06話 「白い魔物」
「何を探している?」
今度答えなければ、右手に力を入れて、首を圧し折る気らしい。
「か、肩に乗ってた獣が……! いないと思って……」
「使い魔か。探せ」
骸骨のその一声で、数人の同じ顔をした悪魔たちが部屋にぞろぞろと足を踏み入れて物色し始めた。
しかし、一向に見つかる気配はなく、良が嘘を言ったかのような空気になる。
正直に答えたのに首を絞められて殺されると思ったのだが、悪魔にとってはそんなことはどうでもいいようで、質問を続けた。
「お前は勇者だな」
首を縦に振る。
「勇者は二人一組で行動しているようだが、お前もそうか?」
首を縦に振る。
「それは女か?」
首を縦に振る。
「ところで、お前は何に恐怖している? 首元を掴んだ、この右手か? 血と肉を奪われたこの体か? それとも、俺自身に恐怖しているのか?」
分からない。ただ、声も出せないくらいに何かに恐怖心を抱いているのは事実だ。
白骨化した風貌で、紡がれる言葉。重苦しいほどの低い声。全てが恐怖心を煽っているように感じる。
そして、その声はどこかで聞いたことのあるような、そんな気がした。
「まあいい。こいつはただのモルモットだが、今は使えそうだ。それに俺の中で何かが引っかかっている」
髑髏が近づいて、黒い穴がじっと見つめてくる。
引っかかっている何かを見つけ出そうとしているようで、気味が悪い。
「なんだ、お前は?」
首を掴んでいた白い手が放される。
案外、すぐに解放してくれると安堵したのも束の間、その手は良の頭を鷲掴みにした。
「お前の顔が邪魔だ。消し炭にした方が分かるか?」
冗談で言って良いことと悪いことがある。だが、目の前の悪魔は冗談を言う風貌には見えない。
引っかかる何かを掴み取る為に本気で顔を消し炭にするだろう。
そして、そこまでの事をするのに足る何か、嫌な予感のようなものが骸骨は頭からこびりついて離れない。
「お前は何者だ――――?」
それは良に対して聞いているものなのか。それとも、良の顔が邪魔で見えない誰かに聞いているものなのか。
そこまで追求したことで、骸骨は良の向こう側に何かを見る。
白い長い髪に隠れた口が歪む光景。
良の眼の奥が青く染まり、彼の右手によって腕を掴まれた。
だが、それは良の手ではなく、先ほどから部屋の中を物色していた同類のものだった。
その同類の顔を一瞥すると、良の頭を壁と並行に押した。
床に倒れる良には、一瞬にして興味を失ったように、その同類と会話をし始める。
そして、一通り会話を済ませると、床に座り込んだ良の方を向く。
「俺の聞いた情報だと、お前のパートナーの女は一日か二日は目が覚めないというものだったんだが、精霊でも呼んだか?」
精霊を呼んだなんて話は聞いたことないし、まず第一にパートナーの女というのは彩音のことだと思うのだが、彼女が目覚めたと言わんばかりの表現だ。
あの大怪我を治療した精霊というのは、幽霊よりも上位だと言っていた。魔法を使えば、あの大怪我でも一瞬で治す事ができるのかもしれない。
しかし、「一日か二日は目が覚めない」という情報はどこから手に入れたのかが気になる。そういう魔法があるのか、それとも、内通者がいるのか。
骸骨の口ぶりから多分、後者だろう。幽霊の中に悪魔の仲間が混じっている。
こいつらの狙いも繰り返された質問によって見えてきた。狙いは彩音だ。
「まあいい。そいつが今、外にいるらしいんだが……お前はその女とパートナー。つまり」
内通者は狙いである彩音の寝ている場所までは知らない。
それを証明するように、こいつらはまっすぐ彼女の居場所には向かわずに、彼女を探すようにこの部屋に入ってきた。
「お前は女に対する盾くらいにはなる」
「彼女をどうするつもりだ……?」
「誰に質問している―――?」
その声色で睨めつけているのが分かった。
「お前の方こそ、俺のすることを知ってどうする? 止めるのか? この俺を――――」
一瞬にして禍々しい気配を感じ取り、理解する。
この悪魔に逆らってはいけない。この悪魔の邪魔をしてはいけない。
口を開こうとしても言葉が出てこない。
「Weith masfel sctreitinor」
詠唱の前半部分は聞いただけでその意味が分かった。
“Weith masfel”。自分も一度使ったことのある魔法。白い炎。
骸骨が詠唱するのと同時に良は立ち上がると、両手首を合わせて前に突き出す。
それらの行動は全て、良が自分の意思で行ったものではなかった。
そして、白い炎の輪が彼の両手を拘束するように出現した。
「これは拘束じゃあない。俺の気分次第でお前の両手は消し炭。せいぜい俺の機嫌を損ねないことだな」
「あっつ……!」
炎の輪に覆われた部分が急に熱を持ったと思うとすぐに熱くなくなる。
どうやら本当に奴の気分次第で両手がなくなってしまうらしい。
「大人しく外までついてこい」
従わざるを得なかった。
勇者になってから散々なことしかないような気がする。
それは当たり前のことで、もしゲームの勇者ならば、最初から強敵に遭遇することなんてない。勇者のレベルに合った敵を倒していって、勇者の経験値を上げていく。
だが、現実ではゲームのようにはいかない。
最初に強敵に出会ってしまい、殺されてしまう可能性の方が高いのかもしれない。
全くの素人の自分が足を踏み入れていい場所ではなかった。
素人の自分を彼女は強敵から守ろうとしてくれた。
その彼女が今、目の前を歩いている悪魔に狙われている。
このまま彼女の元にこいつを向かわせてもいいのか。
答えは否。
抵抗すれば確実に死ぬだろう。悪魔には敵わない。
”そうなのか?”
立ち止まった。
それは一瞬、彼の目に何かが映り込んだから。
白い長い髪。口元は微笑んだ。
『段々馴染んできたけど、まだまだ』
少女の声が聞こえる。
誰かは分からないが、他人の気はしない。
幽霊とも思ったが、幽霊はただの魔物。魔界では実体として存在している。
しかし、少女は明瞭に見えず、すぐに姿は消えた。
この少女が骸骨の見たがっていたものか。
『どう切り抜けるつも……――――』
最後の方の言葉はよく聞き取れなかった。
我に返ると、立ち止まった自分を振り返って眺める骸骨の姿があった。
「どうした?」
「いや……」
黒い二つの穴に吸い込まれそうになる。
言葉を詰まらせていると、先ほどと同様に手首に痛みが走った。
今度は歯を食いしばって、声を上げないように堪える。
『彼女を守りたいんだろう?』
そんな事は言われなくても分かっている。自分の願望だ。
他人の気はしないと言ったが、それでも頭の中を見られるのは嫌な気分だ。
だが、それすらも受け入れてしまおうとする自分がいる。
この声の主が誰でも、なんで自分の頭の中でこんな声が鳴り響くのかも、どうでもいい。
『そうだ。私のことなんてどうでもいい。いや……どうでもいいはちょっと酷くないか? 泣きそう……』
本当に今は、頭の中から聞こえる声と会話している場合ではない。
それなのに泣きそうとか言われても対応に困るだけだ。
なんなら、手を貸すくらいの事をしてほしい。
『それはまだ無理だ。君と会話できるくらいの事しか今はできない』
ただの天の声というわけか。
『何でも聞くがよいぞ。少年よ』
うんざりするくらいに能天気だ。
スマートフォンの新アプリであるとしたら、即アンインストールするところである。
『両手が自由になったじゃないか。早く仕返ししたらどう?』
何を意味の分からないことを言っているんだ。
拘束している炎の輪が熱を持っただけで、拘束されていることに変わりは――――。
「――――あがッ!? ッ―――!!!」
拘束は既にされていなかった。もう意味をなさなくなったから。
床に崩れ落ちるように座り込んで、体を埋める。声にならない叫び。歯を食いしばって、声も出ない。唾だけが口から床に滴り落ちた。
左手首は焼きつけられ、黒く、辛うじて骨だけで手と繋がっている。いや、もう繋がっているなんていうのは慰めにもならない。
白い骨でさえ黒く焼け焦げ、手首から薄っすらと血が滲む。
左手はまだ存在していた。だが、右手は既に存在していなかった。
手首から先がない。
人間のする所業ではない。彼らは人間ではない。悪魔だった。
「俺の機嫌を損ねた結果だ。早く立て。その為に足を無傷のまま残してやってる」
こんな状態で平然と立ち上がれる方がおかしい。
右手がなくなったんだぞ。
『それくらい、どうと言うことはない。私だったら、焼かれる前に丸焼きにしてあげてる』
だったら、丸焼きにしてみろと言わずとも天の声には伝わっている。
しかし、先にも言ったように会話くらいの事しかできないので自分でどうにかするほかない。
このまま目の前の骸骨に黙ってついていったところで、今度は彩音が同じ目に遭うだろう。
ゆっくりと立ち上がって、良に背を向けて歩く骸骨についていく。
良の後ろにも四体の悪魔。
まずは後ろを仕留めるのが先だ。
『私でも彼らを丸焼きにはできないんだ。骸骨には火系統の魔法は通じないから。君は返り討ちに遭うのが目に見えている』
ならばどうしろ、と。
『私に考えがある』
色々と説明されたが、できるかどうかわからない。だが、やるしかない。
瞬間、良は全力で走り出す。
目の前の骸骨を追い抜き、すぐさま体を反転させて、詠唱した。
「Weith masfel」
骸骨たちと良を遮る白い炎の壁が出来上がった。一つではなく、何重もの。
まずは視界から自分の姿を消すこと。これで何をやっているのかは相手には見えなくなる。しかし、それは自分自身も同じこと。
ここまではまだ、やれる自信があった。問題はここからだ。
『想像。そして、何も考えずに蹴り込め、位置修正は私が行ってやる』
悪魔の位置は全て、天の声の任せ。
あとは想像すること。
――――剣をわが手に。
「Drows miny hdan」
彼女から受け取った黒い刀を想像しながら、詠唱する。本数は四本。
四本の黒い刀一瞬にして宙に生成され、良にはそれがゆっくりと落ちていくように見えた。
普通ならば、一秒にも満たないくらいの早さで落ちているはずだが、今の彼の研ぎ澄まされた感覚は、時間をも支配していた。
そして、言われた通り、何も考えずに刀の鵐目目掛けて蹴り込んだ。
同様に蹴られる黒い刀は四本とも全て、白い炎の壁を通り抜けて見えなくなる。
数秒も経たぬ内に硬いものを貫いて、引き摺っていく音がした。
頭の中で鳴り響く声の主の狙い通りならば、既に四体の悪魔は戦闘不能。
残るは良の右手を奪った悪魔のみ。
『こいつには単純な攻撃は通じない。けれど、流石の彼でも少しくらいは動揺してる。ここは魔界。私のが使えなくても、魔力は豊富。なら、君はそれを利用すればいい』
魔力を利用する。
それはすなわち、魔力を筋力に上乗せするということ。
動揺しているというのなら、今のうちに畳み掛けた方がいい。
そう思って、白い炎の壁を消しながら一瞬で、その間合いを詰めた。
背筋に悪寒が走る。
白い壁が消えた時、彼の目の前には黒い二つの闇。
一瞬にして顔が青ざめた。
そして、骸骨の右手が良の首を掴んで勢いよく壁に押し付けた。
「ガ……ハッ……!」
「下賤な真似をしよって。お望み通り殺してやる」
首を圧し折ろうとする骸骨に蹴りを入れるが抵抗にもならない。
「く……そ……!」
『まあ、こうなるだろうね。私を泣かせたんだから、ロクな死に方はしない』
泣きそうと言っただけで、まだ泣かせたわけではないだろう。
そんなどうでもいいことを頭の中で呟くうちに意識が薄れていく。
その最中で聞こえてきたのは聞き覚えのある鳴き声。
「モフ! モフ!」
白い影が目の前を通り過ぎたその瞬間、黒い二つの穴が視界から消えた。
「モッフゥ!」
勢いのある鳴き声と共に破壊される音が同時に聞こえる。
「ゲホッ! ゴホッ!」
咳き込みながら床に座り込むと、足の上でピョンピョンと跳ねる白い毛むくじゃらの生き物がいた。
そして、天井を見ると大きな穴が空いている。
「嘘だろ……?」
「モフ!」
拘束具を壊したようにその長い尻尾で骸骨を吹き飛ばした。
その勢いは天井では止まらず、それを突き破って、外にまで飛ばしてしまったのだ。
『可愛い……じゃなくて、白い魔物は君よりも数十倍……いや、数百倍も強いようだな!』
わざわざ言われなくても、倒したのは正真正銘、良ではなく、小さな白い魔物だった。
「モッフゥ!」




