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元魔王の碧眼勇者  作者: 刹那END
第1章 「碧眼の勇者」
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03話 「空も跳べるはず」

「じゃあ早速レッツラゴー!」

「どこに?」

「え? だから言ったじゃん! 実践で教えていくって!」


 「俺をまた殺す気か!」と言いながら彼女のこめかみをぐりぐりと痛めつけるが、彼女の意見は変わらずに結局は実践で教えていくということになった。

 ソファから立ち上がって広い書庫から出ようと来た道を戻る。


Drows(ドロウズ) miny(ミニー) hdan(ハダン)


 その道中で彼女は日本語でも英語でもない言葉を唱える。

 馬鹿なのによく覚えたものだと感心していると、いつの間にか彼女の両手には一本ずつ黒い刀が握られていた。

 彼女が龍を斬り裂いた時と同じ黒い刀だ。

 その黒い刀を知らぬうちに地面に落ちていた鞘の中へと、何事もなかったかのように収めた。

 驚きのあまり立ち止まって、彼女に尋ねかける。


「……今どっから出した?」

「何にも無いところから刀出しただけだよー?」


 振り返った彼女は「何か問題でもあるの?」と、あたかもそれが当たり前の事のように言った。しかし、そんなことは自分の知っている現実では当たり前には起こらない。いや、まず起こり得ない。

 まだ納得していない様子の彼を見て、察したのか彼女は付け加えた。


「今の言葉は“剣を我が手に”って意味」

「いや、そういうことじゃなくて……なんで何もないとこから刀が出せるんだ? それが魔界の利益(リターン)ってヤツなのか?」

「違う違う! 利益(リターン)で創られたのはむしろこっちの刀で! 刀出したのは単なる魔法!」

「ふーん……単なる魔法か」


 彼女の言葉を何も考えずに繰り返したが、すぐ、その違和感に気がつく。


「魔法……?」


 魔界に魔物に勇者に魔法。

 典型的な王道ファンタジーには必要な要素ではあるが、現実では必要がない。

 何故なら、現実には魔法の代わりに科学があるのだから。


「そだよー。体内にある魔力か外にある魔力を使って、魔法を使うの!」

「魔力……? 誰でも体の中にあるのか?」

「人は魔力持ってないし、魔界にしか魔力は漂ってないよー。だから、私たち勇者は魔力を体の中に無理やり埋め込むんだよー。まあ、私はそんなことしてないけど」


 彼女の話からすると、自分の体の中にも既に魔力が埋め込まれている可能性が高い。

 他の勇者にも施しているということならば、自分を蘇らせた理由とは考えにくい。

 深い思考の穴に、はまり込んでしまいそうだった彼を彼女が引きとめた。


「リョウも魔法使ってみたら?」

「……そんな簡単に使えるわけないだろ」

「いやいや、これが使えちゃうんだよ! 目閉じてみて!」


 彼女に言われるがまま、目を閉じる。

 何かされるのかと思っていたが、彼女は説明するだけで自分で何かしなければいけないようだ。


「魔法って言われて想像するものってなーに?」


 急にそんな事を言われても、うまく想像できない。

 魔法と言えばやっぱり代表的なのは箒で空を飛ぶことだと思う。


「それは魔女でしょー? もうちょっとなんか……攻撃するときの魔法! だよ!」

「攻撃……? 炎とか?」

「そーそー! 炎はどんな色で想像してる?」


 炎の色なんて赤以外の色なんて見た事がない。

 いや、化学の炎色反応で他の色も見た事はある。

 だが、一般的には炎は赤色だ。

 それを彼女に伝えるとまたしても否定された。


「自分の好きな色で想像してみてよ! もっと自分の中の想像力を掻き立てて!」


 どこぞの脳科学者も言ってそうな台詞だ。

 自分の中の想像力を最大限に生かしても、赤と同じくらい目にする青色の炎しか浮かんでこなかった。


「青? リョウにはまだ無理だと思うけど……まあ、やってみよっか! 目開けて。雨が振ってるの確認するみたいに両手出してみて。自分の手の上に青い炎があるのを想像するの。そしたら、頭の中に自然と詠唱が浮かんでくるから!」


 なんとも胡散臭い話だなあと聞きながらに思う。

 それでも、魔法に対して興味がないわけではないので、やってみるだけやってみた。

 自分の掌に青い炎があるのを目を開けていては、うまく想像できなかったから、目を瞑って想像してみる。


 青い炎が黒い空間の中から浮かんでくる。

 だが、その炎はずっと青いままでは存在できず、色が段々と薄くなっていく。

 想像しているのは自分なのに、不思議だった。

 炎の色が真っ白になるのと同時に頭の中にある単語が浮かんできた。

 英語でも、日本語でもない言葉。知らない言葉のはずなのに、その意味はきちんと理解していた。


 “白い炎”



Weith(ウェイス) masfel(マスフェル)


 詠唱するのと同時に目を開く。

 すると、何もなかった両手の上に白い炎が出現した。


「やっぱ青い炎は無理だったねー」


 残念そうにそう呟く彼女に気をとられていると、すぐに白い炎は消えてしまった。


「魔法は想像したものを魔力を使って、それを現実にすることだけど、それでも想像通りにできない事があるの。今のリョウじゃ青い炎は出せないってこと」

「……白と青に違いとかあるの?」

「知らないのー? 炎は色によって温度が違うんだよー。青が一番熱くて、白は中間くらい!」


 自分よりもバカな彩音にものを教えられるのは何とも複雑な気分になる。

 加えて彼女は得意げな表情で見てくる。所謂、ドヤ顔の腹立たしい表情だ。


「そんな事ばっか覚えてるから、勉強が頭に入んないんだな」

「なにそれー、褒めてるー?」


 断じて褒めていない。むしろ、バカにしている。


「あ! ついでにこれ一本持って!」


 と彼女から手渡されたのは先ほど何もないところから出現させた黒い刀だった。


「護身用!」

「護身用って言っても、刀の使い方なんぞ知らん」

「ぶんぶん振り回しちゃえばいいんだよ!」


 刀の扱い方をこうも大雑把に教えてくれるのは彼女くらいのものだろう。それも彼女はふざけているのではなく、真剣に言っているのだ。

 やっぱり、どうしようもなく、バカだ。

 その言葉は心の中で留めておいて、再度歩き始める彼女について行った。

 店の方に戻ると、つまらなさそうな顔をした笹屋が机の上で気だるそうに頬を机につけていた。


「お熱いですねぇ。お二人さぁん。二人だけで何してたのぉ?」


 ニヤニヤと人を煽るような口調で言うが、彩音にはその真意が全く伝わっていないようで、素直に応える。


「話してただけですよー。使わせていただけて助かりました! ありがとうござます!」


 深々と頭を下げると、彼女は黒い刀を携えたまま店の外に出ようとするので、すかさず止めにかかった。


「いや待て! そのまま出たら、銃刀法違反! てか、今現在も銃刀法に引っかかってるよ!」

「もう! リョウはいちいち細かいんだから!」


 細かいと罵られようと警察のお世話になるのはごめんだ。勿論、その理由は面倒なことだから。

 出したときと同様に、変な言葉で刀を消すのかと思いきや、彼女は急に良の手を握りしめた。


「行ってらっしゃーい」

Wimady(ウィマディ) asteg(アステッグ)


 彼女が詠唱するのと同時に、手を振る笹屋の姿も、机に積みあがった本も、本がぎっしり置いてあった本棚も視界から一瞬にして消えた。

 そして、トラウマとも言うべき空間が現れた。


 誰もいない静寂に包まれた住宅街。

 もう一度来てみて、その恐怖に身体が震えてやっと分かった。

 自分は本当に、この場所で怪物に噛み殺されたのだ。


「……大丈夫?」


 過呼吸に陥りそうなくらいに息の上がった自分を彼女は心配そうな目で見ながら、背中をさすってくれる。


「ああ……ありがとう。もう大丈夫だから」


 ゆっくりと息を吸って、ゆっくりと吐くことを意識して、過呼吸にはならなかったが、不安の残る出だしだ。

 ただでさえこんな状態なのに、怪物に遭いでもしたら、もう一度殺される自信がある。


「ここが魔界?」

「ここは魔界と人間界の間だよ。さっきの詠唱も中間って意味だし」

「その詠唱でしかここには来れない?」

「普通はそう。空間移動の魔法でも使わない限りね! どっちの場合も、同伴させたい人を思い浮かべれば、その分魔力の消費は大きくなるけど、何人だって移動可能だよ!」


 だったら、何故、この前は来ることができたのか。

 自分では不可能だ。その時はまだ、魔力など持っていなかっただろう。

 誰かが連れてきたと考えるのが妥当だった。


「でも一体誰が……」

「考えても出てくるわけないよ! 早く先に進も!」

「ちゃんと面倒くさがらずに考えないと。大事なことだから」

「リョウが……め、面倒くさがらずにって……ただ、先に進みたくないだけじゃん! もう! 行くよ!」


 彼女に腕を引っ張られながら、どこに行くのかも分からないまま連れまわされること二十分。

 道に迷っているのじゃないかと錯覚するくらいに、周りの景色に変化はない。

 静寂の住宅街が永遠に続いていた。

 流石に目的地を聞こうと思ったその時、彼女は急に足を止めた。

 彼女と良の目が捉えた化け物はこの前の龍とは明らかに種類が違った。


 全身を黒い毛で覆われたその生き物は最初は熊に見えなくもなかったが、どこかの熊のマスコットキャラクターのように目が大きい。

 口から鋭い牙が剥き出しており、口の大きさは人間を丸呑みできそうなくらいだった。

 狼や犬のように鼻と口は前に突き出していて、耳は短く、天に向けてピンと立っている。

 がっちりした筋肉質の身体に、三本しかない指からは鋭い鉤爪が生えていた。

 その鉤爪が肌に触れようものなら、肉ごと抉り取られて骨を晒してしまいそうだ。


「ガルルル……」


 野犬のような鳴き声だが、明らかに狼よりも凶悪な見た目で、空想の狼人間に近い生き物だ。


「……実践で教えていくって……もしかして、この為に歩き回ってたのか?」

「そういうこと! それにしても、冷静だね……私が初めて遭った時はおしっこ漏らすかと思ったよ……」


 「ははは」と自嘲気味に彼女は笑ったが、彼は苦笑いしながら応える。


「そう冷静でもない……既に洪水が起きてるかも?」

「え……? さすがにそれは引く……」

「冗談だから……な? だからさ……そんな、人を蔑む目で見るのやめろよ! 傷つくから!」


 彩音は気持ちを切り替えるように深く息を吐いて、怪物の方に向き直る。

 彼女とのやり取りによって幾分かは気持ちを落ち着かせて、冷静になることができた。

 だが、冷静になったところで実際にやりあうのは彼女だ。

 いや、やり合うのが彼女ではなく、自分だったならこんなにも冷静ではいられないだろう。


「さっきも言ったけど、リョウは見てるだけでいいから……」


 そう言ってもらえるのはありがたいが、車一台しか通れないような道幅なので、見ているだけでも危険が及びそうだ。

 いや、本当に危険なのは彼女の方だ。女の子一人に押し付けていい事ではない。

 けれど、自分には何もできることはない。


「逃げたくなったら、いつでも逃げていいからな」

「……ありがと。でも、私結構強いから大丈夫だよ!」


 彼女が振り返って笑顔で応えた瞬間、涎を垂らす怪物の口が大きく開かれる。

 そして、バネのように縮めた脚が瞬時に伸びて、地面と平行に体を跳ばす。

 怪物の鉤爪が彼女の黒い刀と接触して金属音が鳴り響く。

 彼女の力では勿論支えきれずに、彼女の体は五メートルほどの距離を滑るようにして、退いた。

 同時に彼は彼女と十メートルくらいの距離をとって、いつでも逃げられるような気持ちと、加勢する気持ちの両方を準備して、彼女を見守っていた。


 怪物は両手に鉤爪、口には鋭い牙。足にも手ほど鋭くはないが、鉤爪が備わっている。

 対して彼女の武器は一つ。

 彼女は大丈夫と笑顔で応えたが、どう考えても彼女の方が不利だ。

 しかし、彼女の言葉は嘘ではなかった。


 怪物の空いていた右手の鋭い鉤爪が彼女に襲い掛かるが、彼女はその鉤爪を紙一重で空中に飛び上がってかわす。

 左手の鋭い鉤爪を刀で防いだまま、飛び上がった彼女の体はそのまま、怪物を飛び越えるように一回転し、体を横に捻りながら空中で怪物の背中に一蹴りを浴びせた。

 か弱い女の子の蹴りが筋肉質の二メートルを超える怪物には通じないと思った。


 その時、良の真横を怪物の巨体が通り過ぎていった。


 何が起きたのか、理解が進まない中、振り返った先には崩壊した民家の塀の残骸と共に地面に倒れこんだ怪物が見える。


「ごめーん! そっちに飛ばしちゃった!」


 何事もなかったかのように近づいてくる彼女に説明を求めようとするが、言葉が出てこない。


「なに驚いてるのー? ただ蹴っただけじゃん」

「いや! 普通あんな蹴り方できないから! なんだよ、今の! 怪物を蹴ってどこまで飛ばせるかってギネスに載るレベルだったよ!?」

「言ってなかったけど、魔力は自分の筋力に上乗せできるんだー」


 彼女はそう話しながら、リョウには目を向けずに起き上がろうとする怪物の方を見ていた。

 流石、怪物と言うべきなのか、然程、ダメージは与えられていないようだ。

 瓦礫を押しのけながら起き上がるとすぐに、彼女に向けて襲い掛かった。


 先ほど不利だと予想した自分が恥ずかしくなるほど、一方的な戦いだった。

 怪物が鉤爪を振るえど、すらりと避けられ、握られた黒い刀で傷をつけられる。

 決して怪物が遅いわけではないが、彼女の動きの方が明らかに目で追うことが困難だ。

 斬られた肌からは人間と同様の赤い血が飛び散って、周りの景色を汚していく。

 そして、彼女の振るった黒い刀が怪物の左腕を斬り落とした時、怪物は苦しむような叫び声を上げた。

 同時に怒り狂ったように目玉をギョロリと彼女の方に向ける。

 それがもしも自分に向けられたものだったなら、恐怖で動く事さえできなかっただろう。

 しかし、彼女は違った。

 迫り来る右手の鉤爪を刀で受け流しながら化け物との距離を詰め、右腕を斬り落とし、脇腹を深く斬り裂いた。


 まるでゲームの世界だ。

 大量の血しぶきが飛び、怪物が倒れると、彼女が刀に付いた血を振り払う姿が見えた。

 もはやどちらが怪物か分からない。

 到底、彼女のようになれるとも思わない。

 彼女だけが戦えば、何も面倒くさいことにならないような気がする。


「来週くらいにはリョウもこんな感じでやってもらう予定だから!」


 たった一週間で彼女のように動けと言うのだから、返答は当たり前に「無理」の一言だった。


「えー大丈夫だよー。私が手取り足取り教えてあげるから!」

「彩音に教わるくらいなら、猿にでも教わった方がマシ」

「ん? 今なんか言った?」

「『彩音さんに教わるなら、一週間も掛かんないですよー!』って言った」

「そうっしょー?」


 笑顔での圧力を受け、そう言うしか選択肢がなくなってしまう。

 そうは言うものの、彼女よりも教えることに長けた人に教わったところで、一週間で彼女のように戦えるようになるとは到底思えない。


「リョウなら、私なんかより上手く扱えると思う!」


 根拠のない彼女の言葉は軽く、良にとっては重い言葉だが、それが彼を前向きにさせてきた事は今までに何度もあった。


「そういっときながら、俺の方が上手く扱えるようになったら、お前絶対怒るだろ?」

「失礼な! 怒りはしないよ! けど、夜の街を一人で歩く時には背後に気をつけた方がいいかもね?」

「俺刺されんの!?」

「それはこれからのリョウのがんばり次第だねー。ってことでもうちょっと先行ってみよっか!」


 つまりは、一週間で彼女のような身のこなしができるようにならないと、後ろから刺されてしまうわけだ。

 その前に化け物の餌食にならないように今からの彼女のがんばりを応援しなければならない。

 そう。自分は応援する事しかできないのだ。歩く彼女の背を見ながら――――



 ――――あ。



 荒い息遣いが耳元から聞こえた。

 ねっとりとした液体が肩から腕にかけて垂れ落ちる。

 この感覚を知っていた。

 一度だけ味わったことのある感覚。

 横を振り返る間もなく察した。


 ここが人生の終着点なのだと。


 そう思っていたのに、どうしてか自分は龍に首を掻っ切られることなく、地面に倒れこんでいた。

 同時に鞘が地面に落ちる音とともに人が倒れこむ音も聞こえてくる。

 これはこの前の状況と酷似していた。異なるのは、自分と彩音の立場だけだ。

 だったら、今の音の正体は容易に想像することができた。


「彩音……!?」


 起き上がるのと同時に後ろを振り返ると、血だらけの彼女が地面に突っ伏している姿があった。

 そして、その傍らには、彼の肩に涎を垂らしていた怪物が血のついた鉤爪を舐め回していた。

 今度は自分を助ける為に彼女が動いたのだ。

 その結末は、


「死……――――」


 だと思ったその時、彼の目は彼女の体が上下に動いているのを捉えた。

 生きていると希望を見出したのも束の間、彼女の方に目を向けて涎を垂らす怪物が目に入る。

 怪物はまだ、獲物が死んでいないことに気が付いていた。加えて、血を舐めたことで彼女に対する食欲が増幅したのだろう。

 このままでは、本当に彼女は死ぬ。

 自分を助けて、彼女が死ぬ。



 それはとても面倒なことだ。



 握っていたのは黒い刀。

 しかし、それを用いて戦う術は知らない。

 それでも、やるしかなかった。

 鞘から出して、両手で柄を握りしめる。


「絶対死なせねえからな! 彩音!」


 その声は彼女の耳に届く。当たり前だが、怪物の耳にも届いていた。


「グガァァアアアアアア!!」


 狼人間のような怪物は涎をまき散らしながら声を上げると、刀を構えた彼の方へ向かっていった。

 向かってくる可能性も頭の中にはあったのだが、実際に目の前で起こってしまうと、体は言う事を聞いてくれない。

 今から自分が怪物を倒すというイメージはできず、ただただ死のイメージだけが頭に纏わりついて離れない。


 するとその刹那、彼女は刀を手に取りながら起き上がり、振るった刀は怪物の首を刎ねた。


 その後すぐに、彼女は崩れるように地面に倒れた。


「彩音!」


 駆け寄って、彼女の様子を窺う。

 薄目は開けているものの、焦点は合っていない。


「早く……逃げない、と……早く……また来ちゃう……」

「分かったから! もうしゃべんなよ!」

「なんで……気づかな……どうして……」


 意味不明な言葉を発する彼女を連れてこの場を離れようにも、どこが出口なのか分からない。

 まずこの空間に来たのは彼女が訳のわからない詠唱を行ったからだ。

 だったら、詠唱を行うことでしかこの空間から出られない。


「どうやったら、この空間から出られる?」

「やっさんに……」

「誰?」


 やっさんという人物が誰なのか教えてくれる前に彼女は目を閉じた。

 気を失っただけで、死んではいないが、彼女の左わき腹からは今も尚、大量の血が流れ出ていて、制服を赤く染めていく。

 このまま何もせずに放っておけば、死んでしまうのは確実。

 どうすればいいと考えているその時間も今はない。

 そして、彼が行動しようとしたとき、彼女の言葉通り、それはやってくる。


 全身を黒い毛で覆われた怪物。


 彼女を置いて逃げるなど毛頭なかった。

 つまりは、彼女を担いで逃げるのか、自分一人で戦うのか。

 先ほどは一人で戦おうとしたが、死のイメージが頭から離れずに全く動けなかった。

 だから今度こそ、冷静でいようと心がける前に、彼は氷水に浸したように冷たく、自分の体温が下がっていく感覚に陥った。


 それは決して恐怖からくる寒気などの類ではなかった。

 何かが体を駆け抜けていく。


 その正体はわからないまま、彼は彼女の元に置いた黒い刀を手に取って立ち上がった。

 それに呼応するように怪物は態勢を低くする。

 そして、間を置くことなく、彼の方に突っ込んできた。

 このままでは彼と怪物との間に倒れた彼女が踏まれかねないと思い、咄嗟に前に出てみたものの、怪物の振るう鉤爪に対して、黒い刀で防ぐことしかできない。

 いや、逆に防ぐことができたという事態を驚くべきだ。

 普通なら防げるはずがない。

 後方に吹っ飛ばされて、自分の持っていた刀が腹に刺さるのが普通だ。


 どうして、そんな状況が起こらなかったのか。

 それは彼女の言っていた魔力を自分の筋力に上乗せできることに関係しているのだろう。

 つまりは意識せずとも、この状態から少し力を込めるだけでいい。そうすれば、怪物は――――。


 接触していた鉤爪と黒い刀が離れる。

 その巨体は少しだけ後ろに下がった程度で、彼女のようにはいかない。

 彼の行動によって、警戒心が強くなったのか、怪物はもう数歩だけ身を退いた。

 彼女からも距離をとる事になるので彼にとっては好都合。

 一気に攻め込もうと、刀の切っ先を真下に向けて、怪物との間合いを詰める。

 その速さは今までの彼の運動能力を遥かに超えたもので、思っていたよりも距離を詰めすぎてしまう。

 同時に怪物は彼の動きに合わせてもう一歩だけ後ろに下がり、鋭い鉤爪を彼の足元目掛けて振るった。

 一秒にも満たない時間の中で行われた出来事だったが、彼はそれをちゃんと把握できていた。

 怪物の刃を避ける為に地面を蹴る。

 避ける為なのでそんなに高く跳ぶ気はなかった。


「んぁ?」


 そんな阿呆みたいな声を漏らしてしまうのも無理はない。


「……マジかよ」





 彼の体は地上から約十メートルもの高さまで跳躍していたのだから。

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