16話 「ヒトか悪魔か」
「なぁ? ホント、こんなにたくさんの魔物を同じ場所に収容してても大丈夫なのか?」
卵の殻が割れる前。
一人の勇者が魔物を連れて、勇英社地下へと足を踏み入れた。
勇者の名前は、青池大和。
多くの魔物を討伐してきた彼だったが、この場所に来るのは初めての事だった。
地上から二十階下りて、やっと監獄の入口へと辿り着いたのだが、最下層まではもっと階段を下りる必要があった。
黙々と階段を下りていた彼だったが、我慢できずに先導してくれている女性職員に尋ねかけると、彼女は淡々と答えた。
「結界で魔力と身体を拘束していますので、問題ありません」
「どーだか……結界が壊れれば、ここにいる全ての魔物が野放しになる。そんなことになれば、被害は甚大だぞ? なのになんで、オフィスビルの立ち並ぶ地下に、監獄があるんだ? おかしくないか? リスクを考えるなら街中にあるべきじゃないし、そもそも魔物を人間界で管理するって考えが、俺には意味わからない」
「人間界で管理することで、魔物との接触を避けられます。多くのオフィスビルがある場所の地下に監獄があるのは、その方が魔物の魔力を抑えられると考えられているからです。科学と魔法は、対を成しているとあなたも聞いたことがあるかと思います。自然を力に魔法は成り立っている。自然から遠ざけるには人工物に囲まれたこの場所が最適ではない、とそう思いますか?」
突っ込んだ質問を投げかけたつもりだったが、あっさりと返されてしまって、それ以上何も言えなくなってしまう。
どうしようかと考えているうちに階段は無くなって、地下施設の一番下にまで辿り着いてしまった。
「案外短いな」
「階段自体が下に動いていましたから」
「それエレベーターでよくねえか?」
彼の質問に答えることなく、彼女は足を動かし続けた。
そこから少しの沈黙を挟むことになるが、無視されたから怒っているという事ではなく、先ほどの会話の内容を彼なりに深く考え込んでいた。そして、回答を搾り出す。
「なぁ? 監獄自体がいらねえんじゃねえか?」
「それでは、ここにいる魔物たちはどうすれば?」
「俺が全部殺せば問題ねぇだろ?」
その瞬間、発言を聞いていた全ての生物が、一斉に彼へと目を向けた。
異形の者たちから視線を向けられているそれは、大人でも泣きじゃくってしまいそうなほど、恐怖を煽る光景であった。
しかし、女性職員と青池は泣くこともなく、女性は振り返って呆れるような目で、悪びれた様子もない彼を見つめる。
「なんか間違ったこと言った?」
「本気で言っているのですか?」
「ああ」
彼は首を縦に振って、言葉を続ける。
「ここにいるのは、死んでもいい魔物だ。人類にとって害悪でしかないなら、殺してもいいだろ?」
『おいガキ。殺していいか、よくないか、で語ってるんじゃあない。ここにいる、俺を含む魔物たちを、お前に殺せるのかって話だ』
女性職員と青池の声が響き、彼は後ろを振り返る。
そこには彼が鎖を引いている、囚われの魔物の姿があった。
黒い肌で、顔は真っ白な毛で覆われている。目はなく、大きな口だけが無防備な状態で、両手足は拘束されていた。
「できないことはないと思うけどな」
『カッカッ! 若いってのは良いなぁ。俺にもお前のような時期があった。自分には何でもできると、その力は無限大だ、と思っていた』
「お前と一緒にすんなよ。何でもできるなんて思ってない。何でもできてたら、俺はこんなとこにはいない……」
暗い影を落とすように、青池は段々と声を小さくしていった。
目の無い魔物に、彼がどういう風に映っていたのかは分からない。
しかし、確かに何かを汲み取った魔物は口を開く。
『なるほど……? お前は自分の非力さ故に、何か大切なモノを失ったらしい。奪ったのは魔物か? だったら、お目当ての復讐相手が俺かもしれないぞ? 殺してみるか? 今の俺ならば、容易いだろう? ほら? 殺せ? 殺せ? 殺せ殺せ殺せ殺せ殺殺殺殺殺殺殺――――』
「Drows miny hdan」
「待ッ――――」
彼女の制止よりも先に、形成された刃は死を煽った魔物の首を切断した。
ボトリと落ちた生首と、突っ立ったままの魔物の体。それを峰打ちで倒した彼は呟く。
「知ったような口を利くな」
「なんで殺しちゃったんですか!?」
「殺せって言ったのはこいつだろーが」
ふわっと刀は宙に消えると、青池は来た道を戻り始める。
「どこ行くんですか!?」
「連れてきたヤツ殺っちまったんだから、もうここにいる意味ねえだろ?」
確かに彼の言う通りで、死体の処理は自分がしなければならないのかと、彼女は溜息を吐いてみせる。同時に去ろうとする青池も溜息を吐いた。
自分の中にあるナニカを視ていた魔物。
その正体は悲劇で、決して忘れられない、記憶に真っ赤な液体で刻み込まれている。
「全部お前らのせいだ――――」
パリンッ――――。
彼が呟いた瞬間に、何かが割れる音がした。
背筋が凍り付きそうなほどの悪寒が襲い掛かり、咄嗟に振り返ると、景色は暗転。室内の全ての灯りが消え、振り返った方向から強大な魔力が放出されたことに青池も気づいた。
嫌な感じがするのは、勘違いではない。
さっきまで感じなかった、収容されている魔物たちの魔力を感じるのに加えて、奥の方から沸き上がってくる濃度の高い魔力。
「何が起こった……?」
状況が飲み込めないまま、女性職員を探そうとするが、彼女の魔力を捉えられない。先ほどの衝撃で、気を失ったか。
「肝心な時に役に立たねえ」
皮肉を言うくらいの余裕があるように見えて、彼自身も焦っていた。
今の衝撃で、この場所に張ってあった結界が破られたとなれば、魔物たちが一斉に地上に向かってもおかしくない。
しかし、それ以上に、結界を破壊するほどの魔力を放出した存在も、大きな脅威であるはずだ。
彼は歩き出す。一つの脅威に向けて。
「ゴホッ……!」
その咳はフロア全体に響き、彼もその存在がもうすぐそこにあると、足を早めた。
「Thilg」
それはただ、光を作り出すだけの魔法だが、今の状況では役に立った。
真っ暗になってしまった地下を照らすには十分な光源で、咳き込んだ人物の姿もはっきりと捉えることができた。
長い黒髪で、エメラルドのような眼の色をした少女。
「ヒト……?」
一瞬それが何なのか判断ができずに疑問形で呟いたが、人であると仮定した場合に明らかにおかしい部分があった。
耳の上に突き出た角に加えて、黒い鱗のようなものが腕と足の一部についていた。そして、彼女の横には大きな卵の殻が割れた状態で残されていた。
ヒトか悪魔か。
結界を破壊するほどの魔力を放出した原因は恐らく、彼女だ。この状況から、卵から生れ落ちた時に上げた、産声のようなものと解釈しても問題はないだろう。
それに、最近彼はある事を耳にしていた。魔王の卵を勇者が手に入れた、と。
「こいつが、魔王の子供……」
今の魔王、龍王は黒龍。彼女の鱗も真っ黒で、髪の色もそうだ。
「あ、た……う、け、て……」
言葉を発するその姿は、ただの少女にしか見えない。だが、彼女は魔王の子供。
それが分かった瞬間に、青池の目つきが変わった。
「たすけて……たすけて……!」
そんな自分に怯えるような様子を見せ始める少女。
魔王になるかもしれない危険因子なら、ここで殺しておいた方が良い。
「Drows miny hdan」
詠唱すると、彼の手の上に一本の刀が現れる。
凶器を目にした彼女は、必死になって逃げようと、まだ歩いたことも無い足を引き摺る。
この光景を見て、可哀想だと何も知らない誰かは思うかもしれない。
青池はそうは思わない。これは、正義だ、と当然のようにその刀を振るう。
「悪く思うなよ」
魔王の子に生まれた自分を呪え。
刃は、少女を殺すつもりで、力いっぱいに振り下ろされた。
しかし、それは思いもよらないところから現れた人物によって、防がれる。
天井が崩れ、一人の男が下りてくると、少女を守るように青池との間に割って入ってきた。
振るわれた刀はもう止まらない。
このまま見知らぬ男を殺してしまうと思ったが、男は容易く、刀を刀で防いで見せた。
男の眼は真っすぐに自分の方を見ていた。
「お前、誰だ?」
問いかけに男は答えない。代わりに、後ろにいる少女の方を振り向いて、無事なのを確認すると、安堵の息を吐いた。
勝手に目の前に現れて、勝手に安心され、此方の質問には答えないその態度は、青池を怒らせるには十分であり、刀を握った両手に力を入れる。
「誰だって聞いてんだよ! お前は!」
男を睨みつけると、その眼はそのまま、青池の事を睨んでいた。
「子供だろ……? なんで殺そうとしてる?」
「……はぁ?」
自分の質問には一切答える気はないのか、男は質問で返してきた。
そして、質問の内容はごく当たり前のことだ。なんで生きてるの、と同じくらいの質問に思えた。
「そいつは魔王の子供。死んで当然だ。生まれただけで、この監獄の結界全部壊すほどの力持ってんだぞ? そんなヤツ、生きてるだけで迷惑だ。それに、魔物を殺すのが勇者じゃねえの?」
「助けを求めてる人を守るのは、当たり前のことだ」
「ヒトじゃねえよ。魔物だ」
青池とその目の前にいる男はまさしく、水と油だった。
絶対に少女を殺したい男と、絶対に少女を守りたい男。
会話をしたところで、二人の意思が変わることはないだろう。
それが既に分かった青池は、見知らぬ男との闘いをイメージする。
「魔物だから、彼女を殺すのか……? そんなの間違ってる!」
「間違ってるのはどっちだよ。お前は知らないだけだ。魔物の恐ろしさを。その脅威を。守る? だったら、その言葉通り、守ってみろよ!!」
『こいつ、手強そうだぞ』
青池の発言の後、頭の中に響く元魔王の有り難いお言葉。
手強いと言われたところで、どうしようもない上に、戦うつもりなど毛頭も無い。
しかし、彼の方はそうではないらしく、良の刀を弾くのと同時に後ろに下がった。
刀の切っ先を地面に向けて、左手を離す。
その左手のひらを良の方に突き出した。
「Critelec sckoh」
青池が詠唱した瞬間、黄色い閃光が彼の左手から放たれる。
電撃。
光の速さで向かってくるそれを避けられるはずもなく、食らった途端に相手は動き出した。
狙いは勿論、良の後ろで怯えている少女だった。
電撃の魔法を受けたところで、外傷は無かったが、全身に走った電気が数秒、良の動きを停止させる。
その隙に、後ろにいる彼女へと近づき、刀を天井から振り下ろす。
良が動けるようになった時にはもう、鋭い刃が彼女に襲い掛かる直前で、身を乗り出して、彼女に覆い被さった。
青池の刀は、良の前頭部を斬り裂く。
滝のように流れ出た血が床に広がる。
彼の視界も真っ赤に染まり、心臓の鼓動と呼応するように、ズキンズキンとした鈍い痛みが頭を支配した。
左手で額に触れると、ぬめりとした感触と共に、真っ赤な血が左手全体を染め上げているのが分かった。
「守ろうとするから、そんなひどい目に遭うんだよ」
ただ、助けてと言われたから守ろうとした。そんな自分が悪いと、彼は言う。
悪いのはどっち? なんて聞かれたところで、誰も回答にはたどり着けないだろう。
こんな時、人類はどうやって正しい方を選んできたのか。
『そんなの決まってる。強い方が正しい。そうだろう?』
真っ白な髪で、碧い眼をした元魔王は、不敵な笑みを浮かべてみせた。
『こいつは、さっき言ったように手強い。だが、君が手こずるほどの者ではない。彼女は生まれたばかりの赤子も同然。そんな子を殺そうとするようなクズを君は許せるのか?』
そう。この男は本気で、殺そうとしている。それに良を巻き込んでも構わないとさえ思っている。
「だから、分からせればいいんだろ……?」
呟きながら彼は、青池へと目を向ける。
その顔は頭から溢れ出す液体によって真っ赤に染まっており、そこから覗き込む眼は碧く輝いていた。
「……なんだよ、その眼……? お前、ヒトなのか?」
「ヒトじゃなかったら、何の抵抗もなく、殺せる、か? それなら、今からヒトとして見なくていいよ。俺もお前を本気で、相手してやる――――Beul masfel」
魔法の呪文を唱えた瞬間、彼の握っていた黒い刀は、炎によって青く染まった。
「どっちが正しいか、示してやるよ」