14話 「ダンジョン」
金城を捕まえる作戦を終えてから、早一週間が経とうとしていた。
倒した金城に逃げられ、捕獲する事ができなかった為、作戦は失敗と言えるだろう。
十億円の賞金も、良の元には届いていない。
捕まえられなくとも、倒したのだから、一割でもくれればいいのに、とも思っていたが、世の中そんなに甘くはないようで、なんの配慮も無かった。
勇者という職業は、思っていた以上にブラックらしい。
魔界に行って、利益を持って帰って来られなければ、報酬はなく、また、彼は未だに自分から、魔界や魔界と現実の中間の世界にさえ、行く事ができない。
この一週間、彼は何もすることが無く、ただ、ダラダラとした生活を送っていた。
そして、ここ一週間、頭から離れない事柄が一つだけ存在している。それは――――
『――私が君の中に存在しているということ、か? そんなもの、いるのだからしょうがないだろう?』
全ての元凶である者の声が、頭の中から聞こえてくる。
しょうがないから諦めろと、説得してくるが、自称元魔王の言うことなど、聞くわけもない。
何故、自分がこんなにも面倒くさい事になっているのか、知って、できれば、きれいさっぱり無くなってほしい。
『ん? それでは、約束が違うではないか?』
そう。知ることはできても、碧眼の少女と離れることはできない。
それは、彼女と結んだ契約のせいで、クーリングオフは、もう不可能だ。
『まあ、知りたいというのなら、止めはせんよ。君の話を聞く限り、私が君の中に存在し始めたのは、十中八九、その時であろう。病院にいた男を当たるしかあるまい』
「その時」というのは、龍に遭遇して、噛み殺された日のことで、病院にいた男というのも、自分に勇者の話を持ち掛けた男のことだ。
ここ一週間で、彼女と色々な会話をした。勇者になるまでの話も、その中の一つに含まれている。
「今日、アヤネに聞いてみるかぁ……」
学校に着いて、自分の教室に行き、自分の席に座ると、彼女はいつも自分の席の後ろにいる。
「おはよぉ、リョーオー」
眠そうに欠伸をしながら、間違えたままの名前を呼んで、挨拶をする。
「おはよ。あのさぁ……勇者の企業の人に会いたいんだ……病院とかでお世話になった人なんだけどー」
「病院で? うーん、分かんないけど、企業の本社に行けば、会えるんじゃないかな?」
「本社……他にも支社とかあるってこと?」
彼女は首を縦に振ってみせる。
「なんか色々あるみたいだけど、詳しくは知らなーい。一人じゃ寂しいなら、私がついてってあげよっかー?」
誰も寂しいとは言っていないのだが、ニヤニヤしながら彼女はこちらを見てくる。
「ねぇー! どうなのー?」
「別にいいから……」
「なにー? 照れてる? かわいいなぁ」
(すごい面倒くさい反応してくるんだけど……殺してぇ……)
嫌がることを分かった上で、彼女は楽しんでいるようにも見えたが、多分、気づかずにやっている。彼女はただの馬鹿なので、そんな事を考えながら、発言したりはしないだろう。
「まあ、嫌って言っても、ついてくんだけどねー。だって、私とリョウはパートナーだからさ!」
「えー……」
「なにー? 不満なのー?」
自分の中にいる碧眼の少女について、聞きたいのだが、彼女がいては、それも聞きにくい。
どうにかして、彼女がついて来ないようにする方法を、授業中に考えた。
そして、放課後を迎え、部活に行くであろう彼女に話しかける。
「その本社の場所だけ教えといてくれないかな?」
「なんで? 今から一緒に行くのに」
「部活あるだろ? ついてきてもらうのも悪いから、週末に一人で行こうと思って」
不満そうな顔を彼女はしてみせる。
「週末って、私、練習試合だし、行けないじゃん。今日行こうよー」
彼女はバスケットボール部に所属していて、今週末は練習試合だと、先日から聞いていた。
「試合なんだからちゃんと練習しなきゃ。だから、週末に一人で行ってくるわ」
勿論、これは一人で行くための 口実で、彼女が練習しようとしまいと、自分について来なければ、それでいいのだ。
彼女は渋々、本社の場所を教えてくれた。高校からは、それなりに近い場所にあるようだ。
良はカバンを持って、教室を後にすると、いつものように帰宅するかと思いきや、家とは違う場所に向かい始めた。
『週末に行くのではなかったのか?』
頭の中で少女の声が聞こえる。
受け答えするのも面倒くさいので、無視していると、うるさい声が鳴り響く。
『どうして、無視するんだ……? 私が君の中にいるということが……そんなに気に食わないの? でも、いるんだから、そこは割り切って……私との関係を良好に保っていくことが、お互いにとって、一番良い事なのではないか……?』
途中、鼻をすすりながら話す彼女は、堪え切れなくなったのか、大声を上げて泣き始める。
「わかった! もう無視しないから、泣くのやめろよ!」
あまりにもうるさい声が響き渡るので、思わず、声を出して止めようとする。
しかし、その姿は周りから見れば、良が一人で奇声を上げているだけで、不審者でも見るような視線が一斉に、彼へと向けられる。
皆一様に、良には関わりたくないと、足早にその場を去ろうとする。
彼もこの場から一刻も早く逃げ出したい気持ちなので、小走りで移動し始めた。
『本当か……? じゃあ、私の質問に答えてくれ』
(週末に行くって言って、今日行けばアヤネについて来られることないし、まず、週末に行くのが面倒くさいんだよ)
今度は声が出ないように、頭の中だけで会話を成り立たせようと試みた。
どうやら成功したようで、周りの目が一気に彼に向けられることはない。
しかし、良の目論見の方は失敗だったようで、それを彼女に気付かされる。
『ん……? でも、もうついてきてるようだぞ?』
「ついてきてるって誰が……?」
そう呟きながら立ち止まって振り返ると、そこには笑顔を振りまく、馬鹿そうな女子高生の姿があった。
「今、バカって思った?」
「アヤネ!? いや、バカとか思ってないし……なんでついてきてんの……」
「面倒くさがりのリョーが週末に行くわけないじゃん?」
馬鹿なのに、いらないところで鋭いのが、彼女である。
ここまで来て、行かないというのも面倒くさい。しょうがないので、一緒に行く事にする。
「着いたよー。ここが、本社!」
ちょうどいいので、案内してもらうと、彼女が指さしたのは、思っていたよりも大きなビルだった。
こんなにも大きなビルを建てる金があるなら、少しくらい報酬をくれてもいいのに、と思いながら、見上げるだけでなく、足元にも目を向けていると、あるものに目が留まった。
社名の入った看板だ。それは、彼女の指したビルのもので間違いないだろう。
そこに書かれていたのは、勇英社。
それは紛れもなく、日本で大手の出版社の名前だった。
「なんで?」と首を傾ける良に対して、彩音の方は気にしていないのか、気づいていないのか、ずかずかとビルの方へと歩いていく。
「ちょ、ちょっと待って!」
「んー? どったのー?」
「『どったのー?』じゃないから! ここって出版社だよね!? 漫画の持ち込みでもする気かよ!?」
「じゃあ、リョーが原作者で、わたしが作画ね」
「はぁ?」
全く会話が成立しないまま、彼女に手を引かれて、ビルの中に入っていく。
受付に対して、彼女がどんな発言をするのか、大方の予想はついていた。
これから、面倒くさい事に巻き込まれるのだ。
「ご用件は何でしょうか?」
「漫画の持ち込みです!」
彼女の意味の分からない発言に、良は溜息しか出てこない。
案内された個室で隣同士で座ると同時に、この状況になったことに対する彼女の意見を聞いた。
「なあ。漫画の持ち込みってマジ?」
「マジだよー。わたしが作画した!」
「で、原作者は俺?」
「そうそう! 分かってんじゃん!」
「分かんねえよ!」
彼女は人を嘲るような笑顔で、良を見ていた。
彼が面倒くさいことが嫌いなのを分かった上で、わざとやって面白がっている。
後で覚えとけよ、と心中で思っていたところに編集者であろう強面の眼鏡をかけた男が個室に入ってきて、二人と向かい合うように席に着いた。
「原稿見せて」
自己紹介も何もないまま、男の言葉に従って、彩音は学校の鞄の中から原稿を取り出す。
(マジで描いてるの……?)
今までの話は本当だったのかと、少しビビり始めた時、呼応するように機械が駆動するような音が聞こえた。
ガコンッ。
同時に体が宙に浮かぶ感覚が襲い来るのを、良はどこか知っていた。
エレベーターに乗っている時のものに相違ない。
「桜彩音と瀬口良。同じ高校で、同じクラス。勇者としてはパートナー。だが、人生におけるパートナーではない」
(こいつもふざけてるのか……?)
そう心の中で呟いた事を見透かされたのか、強面の男が良の事を睨みつける。
「瀬口良。偶然、現世と魔界の中間に入り込んで、偶然、魔物と遭遇し、殺される。そして、偶然、勇者になった。伊藤という男が、君と当社との接点」
これまでの出来事を振り返るように話すが、“偶然”という表現を何度も使って、そこを強調しているように思える。
あまりにもずっと睨みつけられていることに我慢できずに目を他の場所に移した。
その瞬間、椅子から拘束具が飛び出してきて、両足を椅子の脚に固定される。
「ちょっ! なんですか!?」
「残念ながら、先日、伊藤という男が、君のデータを持ち出して、消えてしまった」
「消えた……?」
病院で、自分を勇者にした男が消えたという事実に、首を傾げる。
何故、消える必要があるのか。しかも、何かのデータを持ち出して、やましい事でもあるのか。
考えていたところで、思い当たる節はすぐに見つかる。
自分の中にいる元魔王の存在。
伊藤はそれを知っていたのか。
「そう。だが、彼は全てのデータを持ち出したわけではなかった。先の金城捕縛の作戦での君の戦闘データだけが残っていたのだが、碧い眼に変わった君はまるで別人のようだったよ。我々としても、君が信用の足る人物なのか、判別を付けたいと思っていた。そこに、君が本社を訪れてくれて、此方としては非常に助かっている。君に利益があるのかどうか。それだけが、我々の確認したいことだ」
伝えたい事を全て言い終えたようで、息を吐く男。
毎回、何故か知らないが拘束されている身としては、今からロクなことが起こらない事は分かっている。
下に動いていたエレベーターが止まった時のような重圧が、体に掛かる。
ビルの地下に移動したのだろうか。
「このまま拘束……ですか?」
「あーホントだ! リョ―の足、椅子に固定されてる! おもしろ!」
(何にも面白くねえよ、バカ!)
「拘束していたところで、君の利益は見出せない」
だったら、最初から拘束なんてするなと言う正論を投げる前に、言葉を続けた。
「今から見定めようと思う」
「……今?」
「そうだ。ダンジョンは知っているかね?」
「だんじょん……」
ゲームなどでは聞いたことはあるが、薄暗い迷路のような場所というイメージしかなかった。
次の瞬間、椅子から転げ落ちた時のように、目の前の男が視界の上に消えていく。
「え?」
嫌な予感がして、下を見た時にはもう遅く、真っ黒い穴の中に吸い込まれていった。
「えええええええええええええええええぇぇぇぇぇ……――――!?」
「あれ? リョー落ちちゃったけど、大丈夫なの?」
「心配ないよ。我々の作った仮想ダンジョン。魔物は出るが、大したことはない。ただし」
男は両手を目の前に組んでみせる。
「最下層まで進んでいくとなると、そうはいかなくなる。ここには凶悪な魔物を収容する施設も存在している。それが、仮想ダンジョンのさらに下にあるのだが、まあ、そこに行く前には、我々が彼を止めるだろう」
「ふーん。なんか面白そうだから、わたしも行ってくるねっ!」
そう言って、彼女は自分の横に開いた穴に、自ら進んで入っていった。
「自由な奴だ。此方としても、彼女のように勝手に動いてもらっては、利益には繋がらないのだがね……」
溜息を吐きながら、ポケットの中からスマートフォンを取り出す。
その画面を見た途端に、ずっと怒っているような表情だった男が、にやりと口元だけ笑みを浮かべてみせた。
「なるほど。これは良い利益になりそうだ」
彼のスマートフォンの画面には、緊急事態という文字が赤と黄色と黒で強調されるように表示されていた。
誰かが聞いた。卵の殻に皹が入ったような、パキッという高い音を。
「割れたか?」




