「奇むすめ」
「奇むすめ」偏食基地と何でも喰い後編
史上、至上の天才レオナルド・ダ・ヴィンチに捧ぐ。
これまでのあらすじ
「箕輪市右衛門」偏食基地と何でも喰い前編
奥村、という男があった。
名家の家々を逃げあるき食い潰す婿養子且つ詐欺師。
ある偶然から天才的画力をもつ狂人と彼は引き合い、やがて箕輪市右衛門という名で奥村は狂人を驚異の天才絵師とて仕立てあげることに成功する。
それを成し遂げたのは、奇妙にも鼻糞という縁、によって、であった。
しかし、市右衛門は、それがためにほどなく餓死する。
後編、もう一方の奇、なるむすめの登場。
終息へと向かい物語は益々極まってゆく!
衝撃のクライマックス。
市右衛門が栄養失調で亡くなる寸前のころ、流石の奥村も、市右衛門の死を予期したのか、絵が売れましても渡航しての豪遊は控えるようにしておったようです。
そしてすこし蓄えていた矢先、本当に亡くなってしまったといいます。
今度こそ奥村の名も潮時であろうか、次はどこへ嫁いでしまおう、と邸で考え、外出しては道端にてウロウロ思案しては放浪をしていたという。
ありとあらゆる悪行の計画を謀るための長旅でございました。
さしたる収穫もないままに意外にも近隣にてそれはあったのでございます。
木村さな江という少女でございます。
歳は当時で十になるかならぬかくらいで。
そう、そうでございます、木村というのはその通り初婚の相手なのです、あんたさん、どうやら耳も聡いようでございますな・・・
実は奥村とその初婚の相手と別れる頃、母のお腹には子がございました。
奥村が一度津森の名で悪さをしていた頃に、奥村を訪ねて娘を連れて前妻が訪れたようでした。
その時も適当な言葉であしらって追い返したそうですが、母娘は結局関西のどこかに嫁いで行ったということでした、稼業は潰されてしまいましたが、それを不憫に思う金持ちのつてはいくらかあったようでした、木村も美しい女だったとききます。
ところで、奥村が流れ着いた奥村邸のある町の隣なりに、実は木村の母娘も市右衛門と奥村が知り合う少し前流れ着いたといいます。
奥村が流れ着いた所は実は奥村の最初に嫁いだ町と隣町通しでございました。
関西の主人を亡くし、元の実家をたよって参ったそうです。
元の実家を買収したのがある貿易の子会社でございまして、嫁いだ先の親族がこちらで商売をするために買収したのでございます。
はじめは実の親子であるのだからと奥村邸を薦めたのですが、婦人も一向に首を縦に振らず、奥村も妻が存命ではあったのでその主人、まあ住まわせるだけならばと情をかけたしだいでございます。
ただ、主人といってもまだまだ若い青年でございました。
年増な寡婦を娶る気までは無かったようです。
さて、労苦の果て、身体を悪くしていた木村母が病に臥していた頃それは始まりました。
さな江が、部屋の漆喰の壁を食べたというのです。
母の方はというとかなりの重態で、起き上がることすら不可能でしたから、主人も他人の子ではあれしだいに折檻までしてそれをやめさせるようになっていきましたが、一向に治らない。
そこで、あれこれ試した結果、赤子に与えるようなおもちゃを与えたら、一時はそれが収まった。
ホッとする間もないうちに、今度はそれを何処かへなくしてしまうようになった。
おっちゃんがこのまえやったばかりやないか、どこへやったんや、と問いただしましても、口を開きません。
ついカッとなって折檻が非道くなり始めました、もともと主人も頭に血がのぼる気質でございました。
これが最期だとおもってすこし貧素なおもちゃを与えました。
するとおもちゃをなくさなくなった代わりに垂らしてあった掛け軸をなんと目の前にて噛み付いてむしりはじめた。
どうしてそんなもんを食うんやと尋ねました。
こんなんいやや、おいしない。
主人、口に含んだときの塗料の味がにがいから、そう勘違いしておりまして、それ以上は深く気にも止めずに、少し値は張るものでしたが、ある匠のつくった工芸品を与えたそうでございます。
すれば、主人を前に血相を変えて、おいしいおいしいと我も忘れてその品を食べてしまった。
主人、あっけに取られ、現実的なことも忘れてただ、さな江ちゃんそれ、どんな味がしたんや、と聞いたそうです。
すると、今まで食べたもんのなかでいちばんや、といいました。
興味深い、主人は思いました。
それからというもの、主人とさな江は、食事をともにしました。
というのは、様々なものをさな江に食べさせてみることで、主人が、実験を試みるようになった、ということです。
主人はそれまで家の召使いに母娘の世話、特に食事の面倒を任せっきりでございました。
さな江と少し関わるようになり、召使いの口から、近頃、漆喰の一件あたりから食事を一切口にしなくなった、ということばを聞いたときには、驚いてしまいました。しかし召使の方も、さな江が、ほかに食うてるもんがあるから平気や、と口答えをし、また、痩せていくどころか少しずつまるまる太っているようにも思えたので、それを表沙汰にすることはなかったという訳でした。
その実験というものが、目を見張るような興味深いものでして。
たとえば以前より1銭でも高く売られている物を与えた場合、おいしいおいしいといって食べてしまう、甚だ硬いものでもがりがり噛み砕いては食べてしまいました。
例えば柔らかくていかにも美味しそうなしかし常人には食べられない物を与えたとして、結果的にそれが安い値のものであれば吐き出してしまう。
我慢して食べるんやと強制しましたところその日は涙を流して食べた。
しかしその夜更け、お腹がすいたと泣き喚いた。
今日はたくさん食べていたじゃないかというと、まずいもんはダメなんや、たくさん食べても腹がへるわ、といいました。
次の日、同じようなものを、しかし実際には値の張るものを与えてみました。
そのころ、主人と仕事をするようになった相棒がいて、彼が古美術の世界の人間だったため、いろいろな珍しい品々が邸に出入りするようになっていたところでした。
うまいうまいと言って平らげてしまいました。
実際にこれまで与えたものの値のなかで桁があがったようなものでしたが。
食事は一日一回、夜だけで済みました。
次の夜、食事の時間、いつものようにはじめよう、としたところ、さな江は、じつはな、きょう、お腹いっぱいやねん、と言いまして。
翌々日、今日も腹減らんわ、と言った。
やっと次の日に通常の食事をしたという。
主人はこれまで起こったことを頭の中で整理していました。
たどり着いた先には、さな江が、値を定める力を持っている、という確信。
さな江の味覚と栄養と値は並んでいて、それを食べることで正確に判断している、という筋書き、これが主人の鑑みた自然な道理でありました。
彼は古美術の流通を会社に取り入れ奔走し今や会社の中核にほかならぬまでに一気に上り詰めていた相棒にその話をして、実験に協力するよう促しました。
馬鹿にするんじゃない、とあしらいましたが、しかし協力だけは強制したのでございます。
すると日を追うごとに彼はさな江の力を信じてやまぬようになっていきました。
なぜなら彼は元来贋作師に師事していた出であって、その技術はとうとうものには出来ずにいましたが、その眼力、偽物と本物に横たわる深い隔絶を見極める腕には相当な自身を持っておりました、そして贋作においても本物においても、彼の流通の巧みさにはかなわぬ品はそうありませんでした、つまり、さな江の実験を見極める材料には事欠かない、そして彼女はほんものにちがいない・・・
主人の名は忘れてしまいました、ほどなく彼は失敗して首を括って死んでしまいました。
そして彼を引き継いだのが相棒であった彼でした、彼の名は今井でした。
今井は商売の才に長けていた、比べればその主人であった青年などあまりに無鉄砲で商売上手とは到底いえません。
ただ、今井に比べるとたいへん情が深かったようです、気も荒く暴力的な反面、自分が首を括る始末になるとさな江にもし大変な事があったらその時はよろしく頼むと、少々しつこく頼み込んでいたという、そして隣町の奥村という存在も伝えた。
一方今井はというと冷酷な人間でありました。
主人の死も会社を乗っ取るために傍観するほどで、主人のかけていた保険金にも助けられてそれも達成した訳となりましたが。
そんな今井がさな江を使って商売を切り開こうと挑戦しておりました。
今井はいくら眼力に自信があるとは言え、世の中のすべての品を見定める能力まではいかない。
そこそこの鑑定屋にはなったとして、それで大儲けするほどにはもうひとつが足りていない、だからこそ、さな江の真の眼力に賭けてみたい、そう思い始めていました。
はじめはうまくいきました。
新しい本当の名だたる芸術品をさな江は昂奮にて迎え入れました。
国宝とされていた一品が偽物であると言い放ち、大層な反響が業界に走りましたが、しかし何百年ものあいだそう信じられた嘘が、ある証拠によって暴かれるや、それは事件となり、今井の鑑定士としての名は一挙に駆け昇ったといいます。
さな江はキツイ言いつけを守りきることができなくなり、今井の名はまたすぐに崩れ瓦解してしまったのです。
そのからくりは、こうです。
さな江は真なる一品こそ表面を舐めるだけで言い当てました、ちょうど小さい子がべろべろと飴を舐めるようにです。
そしてその美味なる段階を今井に示してその品はすぐにしまわれ丁重に洗われて復元されるという流れでした。
それでさな江はというと、絶対にかじってはいけない、そうしてしまうともう何も与えない、それが守れるなら、いつもたくさんの珍しい品々を与えてあげよう、という契約でした、すぐにその契約を破ってしまったという。
何といっても小さな娘です。
悪い大人が欲に駆られて利用しようとしてみても、子供の真っ直ぐなそしてこの上ない欲望は、全くもって抑えが効かずこんな計画は端から無理でした。
それでも舌戦心理戦となり激しい攻防がなされましたが、結局はさな江の能力次第ですから、利用する側は利用される側に従うしかないのがオチとなりました。
そこへ奥村の登場でございました。
ますますワガママな娘と成り果てていた、今井は手を焼いていた、市右衛門という絶対的な金づるを無くしていた奥村は、珍奇な噂を道中耳にしてしかも、少女が奇しくも実の子であることを知る、そのことを利用しないわけがない。
なぜならこの世で一番の悪鬼は今井ではない、奥村なのであるから・・・
山積みの金を払いました、これまでの放蕩に比べればなんと価値のある買い物でしょう。
そして奥村の新たな事業が始まりました。
少女を奪いに行った際今井は奥村にこれまでの経緯を知る限り伝えました。
それであなた、この何でも喰い、どうするつもりだい、と聞きました。
ひとつツテがある、それでダメなら、捨てるさ、女を捨てるのは性分でね。
なんと鬼畜な・・・
たどり着いた小さな少女、情のかけらもない立ち並んだ実の父娘・・・
奥村は邸を手放さぬ運命に買われておるようです。
娘には市右衛門の仕事場が与えられた。
毎晩の食事である。
試しにガラクタや高価なものやをひとつの丼に装う、ガラクタばかりを残す、一週間ほどでもう実験はしなくなった。
次に紙幣を与えてみた。
桁の多い紙幣をうまいうまいとたべる、桁の少ないものはまあまあや、と言って食べ残した、金の掛かる女だ、と思った。
さて、鑑定など全くの門外漢であったが、さな江の実力はおそらく折り紙つきであろう、奥村はある人と会うこととなる。
変態貴族、富より愛情より刺激を冀求し止まない、もうひとつの鬼畜。
話ひとつでした。
どちらも国宝級のものだ。
しかし贋作でないかと睨む者がいる、さて、これは賭博だ。各界の名士がこの賭けに乗っている、そこへ協力してくれればそれで事足りるぞ。
なあに、ひとかけらも残さず食べてしまって構わんぞ・・・
少女は二つあった絵画のひとつだけ、まるまる残しました。
対峙するふたり、いっぽうはまあまあや、おいしいで、こっちは、いらん。
ははははは、すまんすまん、一度は試してみんとな、ただそれだけが理由である、試しがぶれると本当の遊びは出来ない、しらけて終わってしまうからなあ・・・
しかしお前はほんものだ、このひとつは全くの偽物、もうひとつは国宝どころかそこそこのものだった、お前は見抜いた、実はこの二つとも名うての鑑定士に国宝級と鑑定書を貰ったばかりである、奥村さん、私はこれを次の舞踏会にて皆にバラしてしまおう。
わかりますな、奥村さん。
感謝致します・・・
虐待趣味。
その鑑定士はもう生きるすべをうしなった。
その鑑定士とて間抜けではない、2作とも本物である、という確たる証拠に基づいた結果であるはずだった。
しかし、贋作である、という・・・
これくらい微妙な世界なのでゴザイマス、ワタシみたいな安い古美術屋とは違い、高級であればあるほどたった一度の失敗も許されないのでゴザイマス。
まさに命取り・・・
地の底へ落ちたのは鑑定士の力量不足ではなかった、彼が、であってはいけないときにであってはいけないじんぶつに関わってしまった、ただそれだけの話でした。
名うての鑑定士の崩壊、それは刺激に溢れた事件でした、激震が走り、さな江の登場という衝撃の神話性を、より引き立てるこれは本当に隅から隅まで上手く造られた策略にほかなりません・・・
こうして美術の世界から古美術の世界をまたいでふたつの悪鬼はその価値観を転覆させる源流となり、重鎮することとなりました・・・
結局これまでのいかなる芸術作品と言ったって、結局誰かのものさしできめられた尺度に過ぎません、そして、ごくたまに、こうした突飛な重大事件の勃興により、ひとつの価値観の共同が幻想のように巨大に渦巻いて、今後の世界のあり方を大きな流れの方位や速度を決定してしまう、そういうことが世界の、歴史の、節々にてなされつづけて来た、それが人間と人間の集まった、世界という裏側なのでございます。
それからというもの、奥村家には、市右衛門期にも勝る繁盛が齎された、これまでの世界の、ありきたりな富や贅沢に飽きた裕福な貴族ならびに大金持ちどもが、それこそ世界中から呼び寄せられて来た、もちろん、虐待界の申し子の後ろ盾あっての異様なる狂熱の舞台でございました。
ある地点までは、絶妙な関係性の糸が張られていた事だと記憶しております。
ワタシもそののち一度奥村邸を伺う機会にめぐりあいましたことで。
さな江という女王が中心にあって、その空洞すなわち底なしのような食欲を満たす多彩な骨董工芸芸術作品、背景にほくそ笑む嗜虐趣味の王子、欲の蟲、背徳を満たさんと世界中より集まりし羽虫・・・
本物か贋作か。
この遊びは危険であり狂気である。
本物は姿を消し贋作であれば残る・・・
作品が消えてなくなってしまうことで大金を支払う。
価値の倒壊。
真の作品がこの世からクベラれ消失し、その作品が本物であったという透明なる、伝説だけが語り草となって。
ある日外国のたいそう大きな宝石を色彩豊かにドロップのように口のなか転がして楽しんでおられ、しかしそのうちの一つをぺっ、と吐き出してしまった。
大玉のダイヤモンドと思えたが。
それはダイヤモンドによく似た、少しは劣るけれどそれなりの高価な宝石に違いなかった、偽物だったのか?偽もんかほんもんかなんてうちは知らんし関係ない、天然のもんで造られたような味はせんかった、でも、食いとうない・・・
何でも喰いだった少女が。偏食ははじまっていた。
ろくに常人の食事は摂らないクセに、近頃はまるまると太りはじめていた・・・
食べなさい、いやや、ぺっと吐き出される芸術品のかずかず・・・
過激さはしかし痺れを産む。
貴族の名を今申しておきましょう。
彼は三島という名の伯爵でありました。
少女の偏食がますます加速している途上、符合するかのように三島はぼちぼちと奥村邸すなわちさな江のもとに姿をあらわすようになっていました。
奥村はいてもたってもいられずに三島に相談を持ちかけたといいます。
実は、いろいろな金持ち貴族の品をさな江が鑑定する日常、最近ではさな江の口にはあわず、本物であるというのにわずかでも口にすることを嫌がることが度重なっていた。
それで奥村のほうも、鑑定料が激減しており困り果てていたのである。
しかし三島伯爵は二つ返事、それどころかさな江にはもっと高級な芸術品をたくさん貢いであげたいので、これからはもっと短い期間内にしばしば訪れていきたいと思っていたところだ、と話した。
そして彼は奥村に、若い頃から大事にして来た名品である、という青色の壺をひとつ、友情の証として与えました。
鑑定料として、破格の金銭を保証することだろう。
奥村はそれならもう、偏食し肥満症であるさな江のもとの状態への復帰は諦めて、しかしさな江にとっての食いブチにはこの上ないのだから、三島の定期的に持参する品々を期待することで今後の方針は固められていった。
それを三島の次の訪問までに分割して、さな江には与えるほかはないのであった。
さて、ここからがこの奇妙な話の更なる奇妙なのでございます・・・
三島伯爵がさな江に高級な品々を与え続けていたというのも、実をいえばこれを行うための下準備にほかなりませんでした。
伯爵は三島邸にて、途轍もない大祭事を行う企みだったのです。
世界中の大金持ちと王室のものたちとが、選りすぐられて一堂に介したといいます。
世界に燦然とする宝の品々を三島邸たる一箇所に集めて、どれが最も世界で素晴らしい珠玉の逸品であるのか、それは勝ち抜き戦にて行われていくのです・・・
肥え太ったそれはかぐや姫だったといまでは伝えられるようです。
さな江は三島邸にむかい、それはもう、世界中の至宝の頂上に坐することとなりましょう。
そして世界中の変態貴族たちはそれを待ちわびていたことでしょう。
父、奥村は同行しませんでした。
三島伯爵は、娘の晴れ姿、しかし苛烈な場面もありましょうから奥村氏は伝令にて報告をお聞きになさい、ともうされたようです。
が、彼にはそんなことどうでもよかったようです。
三島は完全に変態趣味を満たす目的でやっていることでした。
世界の貴族から集められた寄付金はもう奥村の懐にすべてはいることは決まっておりましたし、よって彼は悠々と次なる目的を果たすのみでした。
奥村邸では古美術協会の会員を集め賭博を計画しました。
内容が内容だったために皆は興奮して喜んで殺到しました。
実はというと、ワタシはその時に奥村邸を訪れたのでございます。
伝令は今井でした。
さな江の元の引き取り人でしたし、三島伯爵とも幾度か面識があるようでしたから。
今井は我々のいる奥村邸の大広間にて、ありありとした実況をたくさん施してくれました。
一番はじめの伝令に興奮して言うには、三島の会話でした。
三島は気高い笑い声を高鳴らせたといいます。
今井さん、あの娘の食欲を飼い慣らせなかったらしいですね、といわれ、わたしはなにひとつ言いよどんでいた。
すると、その高価な品を守るためにその食欲を止めることなど、簡単明瞭なことである、と言い放った。
もっと高価なものをあたえればいいんです。
馬鹿な!
位を一瞬忘れてしまうほど私は興奮してしまい強い言葉をつづけてしまった。
それじゃあいつまでたってもキリがないじゃないか・・・
今井の無礼に対しても三島は何一つ気にかけることはなくて、ただおおきい高笑いをいつまでも続けていたという。
それからの伝令は怒濤の展開でした。
世界中からの驚愕の品々が目白押しで、信じられない名作が、つぎつぎ敗られ、これでもかこれでもかの応酬でした。
さな江には、世界一の食事がズラリと並ぶのだから、その表面を味わうだけにしておきなさいとだけいいつけました、それでもあなたの食欲は、十分に満たされるのですから。
そしてそれは実際そうでした。
世界中の名家の、こぞって世界一の称号を獲得するための意気込みが集まっていた、というわけなのです。
しかし後半あたりから、特に三島の名作を敗る名品の登場によって、混乱は一気に収束していきました。
メディチ家の末裔、ジル・メディチ。
彼のルネサンス期の名品が、最後の最後まで勝ち抜いてしまいました。
これが今井の報告する内容の結末と思われました。
しかし・・・
今井と連携してきたもうひとりの伝令が、慌てた様子で奥村邸に駆け込んだ。
奥村の反則勝ちだー・・・
結果賭博は払い戻し、奥村に儲けは一切支払われなかった。
皆が非常に混乱してしまい、こう収束する以外にいい方法はなかったのである。
さて、何が起こったか。
メディチの作品が優勝仕掛けた。
すると三島がもうひとつの品を登場させた。
ひとりひと品のルールは完全無視されて。
モナリザでした。
天下の名画、レオナルド・ダ・ヴィンチの言わずと知れた。
ここへ来て贋作かよ、とヤジが飛ぶ。
シカシ・・・
さな江が悲鳴を上げ、血相をかえ食べはじめた。
そして三島伯爵が勝ち誇った巨大な高笑いで会場を覆った。
アレは本物ですよ本物ですよ本物ですよ、ははははははははははは・・・・・・
うまいうまいうまいうまいうまい・・・・・・
世界中より集まった名家の人々が必死の形相で一箇所を睨みつけているのがわかる。
本物か、本物なのか!!!
ウチ本物か偽物かとか知らんわ!
さな江が叫んだ。
でも、でもこれが世界で一番のあじってわかんねん。もうウチ、止まらへん・・・
凶獣の獰猛さでございましたことでしょう。
三島邸は戦慄と悲鳴とにやがては包まれてしまいました。
そしてとうとう・・・
三島がもう一枚、市右衛門の絵・・・
驚天動地。
まさか!あの絵を・・・・・・
奥村は震えていました。
そして、のちのちまで口を閉ざしてしまったといいます。
出会い以来、三島は市右衛門にはたくさんの依頼を続けていたという。
そんな中、ある日、自分を視て市右衛門に絵を描かせたという。
そんなことは無理だろうと奥村はたしなめたが、いいから描かせてみるんだ、と奥村に促した。
奥村はたっぷりと鼻糞の大きな塊を、ほじってから市右衛門に与えた。
そして、すらすらすらと描き始めた。
実は三島には双子がいてもうひとりは水子となった。
その絵は、どぎつい色彩、暗く眩しい、襞、滑り質感。
気持ちの悪い腐ったようなドロドロとした生き物、角度によってはそれが一つ目だったり三つ目だったりに思える強烈な、冷淡な眼球。
腐食したしかし宝玉のように強烈な色彩を放ったそこは確実に子宮だとわかった。
子宮から胎児が見下げるのは、現在の貴族の書斎だとひと目でわかる。
恨めしそうな羨んでいるような表情も熔けてしまった魚類鳥類獣類を混ぜ合わせたような生物。
三島はずっとずっと胎児に睨まれ続けて生きている、と判明・・・
さな江はその、三島侯爵を描ききった市右衛門の至上の名画をさきほどまで夢中で喰らていたはずのモナリザをほたってそれを喰う。
・・・そして平らげる。
みなは呆気にとられそれを眺めているほかなにもできるわけありませんでした・・・・・・
さな江が奥村邸に帰り着いた時。
発狂。
ほぼ何も食べません。
無理やり何かを口に入れても、嚥下した瞬間にさな江はすぐに嘔吐しました。
よほど高級な品をいちど別の貴族が鑑定に現れましたが少しくちに含んだだけでした。いや、それでも延命はできたのですからましな方でした。
しかし貴族たちのあいだで、もうその背徳への流行はすぎさってしまったようでございました。
それでも3日後三島伯爵が、とっておきの品を持参するとの連絡が奥村には届いて来ていました。
しかしそれでは間に合わない旨を伝えるも別件があると打ち合わななかったのでございます。
つまり、もう三島からの関心もさほどではありませんでした。
ただただ発狂した肥満の、しかしもうすでに栄養失調に陥ったむすめが、途方に暮れる父のとなりへ、ただ、涎を垂らしいるありさまだけがあるばかりでした。
息も絶え絶えの状態でございました。
なんとか、娘を生き延びさせなくては・・・
奥村も必死でございました。
決心とともに、奥村は大事にしまっておいた品を奥から引っ張り出してきたのです。
さあ、食べてご覧、お前の命はこれで助かるのだよ。
それは以前、三島伯爵が奥村に友の証として譲ったあの青い壺でございました。
すると、さな江は、すこし精気を取り戻したかのようにそれへと近づいて、猛獣のようにかぶりついたといいます。
しかしすぐに、ぺっ、と吐き出してしまいました。
そしてぜえぜえと荒い呼吸になってしまいました・・・
さな江はその晩息を引き取ったといいます。
奥村という男、その手に掛かった二人の末路はけっきょく、同じような運命にたどり着いたものでございました・・・
奥村は発狂していました。
この様子を発見したものがのちつたえたところによれば、奥村は娘の死体にずっとしゃべり続けていた、ということでした。
発狂しておりました。
ずっとずっと、本物か!これは本物じゃないのか!・・・
と、同じようなことをただひたすら繰り返していたということなのです。
実の娘の死期を目のあたりにして、奥村が考えていたことは、ただただ物欲と金銭欲に取り憑かれていた、血の通わぬ非情なる世界のありさまにほかなりませんようでした・・・
いえ、考えようによっては実の娘を失ったゆえの結末と言えぬこともありませんなあ・・・
まあ。
それはそうと、先日ある良い品を売りに来た者がありまして。
そうです、あの青い壺でございます。
つまりこの店には場違いな人物がしかと立っておりました。
しかし、興味深いことにワタシが奥村様、と声をかけましたところ、わたしは奥村などではない、と言い張りました。
もちろんあの日お見かけした通り、奥村本人には間違いありませんでしたが。
そしてこのツボは本物だ、しかし私にはもう先立つものがない、一部壊れてはいるが名のある職人によってきちんと接いである。こんなにいい品を誰も買い取ってはくれなかった、少しでも高く私は売って、はやく私には金が必要だ。
おそらく彼が奥村という当人の名を失っていた理由は発狂故でしょう。
ワタシが適当な値で、それでも相当な額を払いましたが、取引を終えた後、ワタシの知る限りでの奥村の情報を引っ張り出しては彼に話しかけたところ、たくさんのお話を、彼はワタシにしてくれました。
それでも、彼が奥村である、ということを思いだしてくれることは結局ありませんでした。
さてさて、奥村の話は以上でゴザイマス。
はて、あんたさんもひとがわるい。
あの壺は簡単にはお売りできません、この店唯一の本物でございますゆえ、ふうむ、なるほど、そこまでおっしゃるというのなら、もう特別でございます、300万円でお売り致します、元三島所蔵のこれほどの名品でございます、これを逃せば二度と巡り合う機会はございますまい、もう今だけでございますよ。