「箕輪市右衛門」
ワタシ共のような古美術店を長らくやっておりますと、何とも奇妙な噂を耳にすることがままありまして。
いえいえ古美術商と言いましてもワタシの店なんかはたいていが贋作ばかりのインチキでございまして、雲の上みたいな世界とはまったく雲泥の差でございまして。
しかしまあ、こうも店構えしているだけでも古美術協会には足を運ぶ身でございまして。
さあこの店を見渡してご覧なさい、ほう、お目が高い、あの壺だけはお売りできません、確かに一部壊れちゃあいますが本物ですので・・・
しかししかし、あの壺の値打ちをひと目で見通しになるなんて。
あなたさんならすぐ伝わるでしょうこの、ゴミの山々を。
ワタシこの、ゴミ々々をいかにもまあ本物と見せかけて口一つ、ここまで食いつないで参りましたことでございます。
それにしても、そんなあんたさんになら話す価値もございましょう、ワタシの耳にした中でも、一等奇妙極まる業界ならではの伝説。
とまで言い切ってみても過言ではない、そういうお話です。
ある男がおりました。
そいつはこの業界の芥、忌み嫌われし流れ者だと言われておりました。
ワタシが耳にした当時の名は奥村、でありました。
こう言ってしまえば、その後彼が名を違えたような印象をお持ちになることこのうえないですね。
いいえしかしワタシはそいつの奥村、という名を知って以降の名は、他には存じておりません。
ぎゃくに、奥村、という名は彼の名の行き着いた先。
長い放浪生活の末の、漂着の地であったことでしょう。
つまり、奥村という以前、秦、北大路、津森ときてはじめは木村だったということです。
そのはじめと言いいましても、それ以前にも元の名が某かあったと言われております。
奥村、とは男が再婚してまでも手に入れた名、であり、その後、妻が亡くなった後にもその名を変えることはなかった。
男は大変モテたのでしょう。
見方によっては風采の上がらないなりをしておりました。
しかし、女にはモテた。
言ってしまえばこう、女ゴコロを何処か擽ぐるような、という独特の資質に溢れていたという。
男は必ずや婿養子として嫁ぐことを繰り返していたのです。
男としても、もしモテにモテ、再婚を繰り返す人生を送っていたとして、普通なら一度変えてしまった姓をわざわざ度重なる再婚のごとに変えることは二度以上にはしないのではないでしょうか。
男が嫁ぐ先、それはいずれも裕福な家庭ばかりであって、その資産を狙ってのこと、といえばまだ聞こえがいい方なのです、ばかりか、男はコスイ位の計算だらけのクセに、物事の目先に固執する性癖を持ち合わせておりまして、つまるところ、嫁いだ先の稼業を潰してしまう、それどころか、その家の名を、いずれの家家すなわちいずれの業界において名の通った名だたる名ばかりを、その男ひとりの失態によって潰してしまった末、逃げ込むようにして次なる業界の令嬢親ともども騙しひとり生き延びて、崩壊するのはもとの富豪の家ばかり、あとは妻を捨て立ち消えに消えてしまう悪鬼でございました。
それにしても奥村、という名を、妻のとある不幸な死の結果男が捨てずに済みましたのは、男自身、その奥村という名により、終には名を通らせてしまったからにほかなりません。
我ら古美術の業界に・・・
とは言いましても奥村というその悪名を、ワタシが初めて耳にしましたその頃には、奥村自体、現代美術の最先端に属しておりました。
さて、あなたはあらゆる美術に造詣があるようですが、奥村の名を聞いたことがない、いやはやそれはそれがいちばん自然でございましょう。
ただ、箕輪市右衛門、という絵師の名ならば当然知っている筈です。
奥村は、彼の、影でございました。
狂人絵師市右衛門の一枚の絵の値をもってすればたとえ都会の一等地に家一軒を建てたとしてもお釣りがきます。
奥村は市右衛門の影、でありながら、その数知れない取引によって生み出された莫大なる財産の全てを独占してしまいました。
それだけの財産を一度は所有しながらも、瞬く間に散財してしまう奥村のトンデモナイサガ。
その豪遊グセは国内ではすぐに飽き足らず、莫迦みたいな高値の成立を見遣るや否や、世界中のありとあらゆる賭博場を渡り歩いて素寒貧になって帰ってくる始末・・・
しかしまあ、市右衛門の美術的価値の高さは確かにまごうことなきホンモノではございましても、このご時勢、一等地に家が建つほどの値は、すぐには付きますまい。
それは何といっても名だたる令嬢をたらしこんだ過去を持つ奥村の口先の魔術により生み出されたものでございます。
ご存知の通り、いくらなんでもそれだけではうまくいきますまい。
奥村の口、市右衛門の天才的筆致に併せて、もうひとつ、狂人市右衛門の、マサシク狂気なるソクメン、彼のこの世に呼び寄せたる霊なる妙技にて噴出されし内面世界言語に依存シテイルことこの上なし。
彼の狂気は人間のソトノ世界を捉えそれを描く。
彼は生粋の基地でゴザイマスゆえ、言語を一切発語いたしません、そのおかげか、絵画の腕は常軌を逸しておりました。
しかし、彼の奥村との出会う以前、彼を飼っていた主人が居ったそうなのですが、その以前の主人が彼の本領を見出し活かし切れていた訳ではありませんでしたし、すべては、奥村と彼との出会いに繋がり、それがなければ彼という芸術家も誕生し得なかったという結局はそう言った縁起なのでございました。
彼は文字通り飼われて居りました、そしてそれ以降も、奥村に生かされ、飼われ続けていったのでした。
出会い。
奥村の妻が生きていた頃、奥村家は老舗の反物屋をしておりました。
二人してよく町を出歩いたといいますが、めづらしいお着物をお召しになって、またそれがたいへん美しうお似合いになっていたそうでございます。
奥村の妻はたいそう有名な婦人でございました。
それゆえ、彼女の結婚相手が悪い噂に満ちたやもめであったため家の評判は急落して仕舞った結果あまり芳しくはなかったようです。
彼女の父が亡くなって以降、彼女の評判ひとつでなんとかやってはいっていましたが、いまひとつでした。
奥村の名を救ったのはそう、箕輪市右衛門でございます。
奥村。
のちにそれは闇に輝く漆黒の通り名となりました。
ある日のことです。
奥村夫妻が町を歩いていると、見かけぬ行商が珍しい絵を売っていました。
それは美しい花畑や果樹園などの風景画ばかりでした。
それを奥村の妻がたいそう気に入って欲しがりました。
一枚だけならと選ばせていたところ、どうせならと思い立ったのでございます。
奥村は行商に家内を描いてはもらえぬかと提案しました、すぐさま彼女も乗り気でございました、ところが行商は渋り始めたといいます。
見ての通り名の通った反物屋だ、金は弾むぞと言い放ちました。当時は義父が存命でございましたので。
問題は金ではないという。
何でもこの絵を書いているのはひとりの人物であり、つまりそれがのちの市右衛門なのでございますが、箕輪市右衛門などというのは奥村が勝手にそれらしい名を宛てがっただけで、当時は名もない不浪人みたいなもんを本郷の蔵に住まわせているということで、ただ問題は、言葉がなにも通じない、それにこれまで風景画ばかりを描いていた。
行商であるから、その土地土地の珍しいもんを持ち帰ると、かわりにその土地の風景を描く、昔は本郷の菓子を売り歩いていたというが、試しに売ってみたところこの方が儲かった、それ以来描かせているということ。
ただ不思議なことにその土地の土産ものを渡しただけというのに、行ったこともない風景をありありとさせていることである。
まあ理屈は抜きにして儲かるからいいやというわけである、しかし人物画となると難しいことだろう、というわけである。
とにかく妻をそこへ連れて行こうかと提案してみるも、それならばと奥様の手荷物をおひとつ頂くだけで結構と言いはる、いくらなんでもそれでは無理だろうといえば、引き下がる様子も見せなかった。
強情だなとは思いつつも、金持ちの余裕といいますか、興味本位で折り合いを着けました。
ところで奥村には何とも言い難い癖がございまして。
鼻をほじって所構わずその鼻糞を付け回るのです、贈り物だというのに、いつものように妻の綺麗な反物にびっちゃりと着けてしまいました。
行商も目を見張りましたが、客前、わざとらしくそれを取る素振りも失礼かとそのまま仕舞い、家路につく頃にはもう忘れ果てていました。
後日報告がてら反物屋にお伺いしますと約束をしていたが、すっかり忘れてしまった。
散歩から帰ってみると、義父が倒れていてその晩死んでしまった。
三ヶ月ほど経って、悲嘆にくれた日々を過ごしていた妻が衰弱した様子で、うっかり橋桁から脚を踏み外し溺れて死んでしまった。
立て続けの葬儀も終わり、そろそろ今後について考えなければと思いあぐねていたところ、先日の行商がひとりの基地らしい人物を引き連れてやってきた。
青い顔をしている。
絵が完成した、奥様がしっかり描かれている、お亡くなりになられていたばかりと聞いて仰天したが合点がいった、そう言って見せつけた絵には戦慄の風景。
まず妻の美しい姿が。
眼を綴じ、あたかも死に顔のようである、そして背景には薄暗い冷たいまるで冥府みたいな景色が広がっている、河が流れている、解かった、と奥村はおもった、妻が絵のなかで着けているのは、いかにも水難事故で亡くなった日の着物であった。
死に顔のようである、しかし身体はいきいきと躍動している、生きているのだ、それでここにひろがっているのはあの世の描写である。
死んだ筈の妻が、ここにありありと生きている。
三月ほど何も描かず、ちょうど奥様がお亡くなりになられた、という日に符合いたします、三日かからずこの恐ろしい、見事な絵を書いてしまった。
理由あってここへ参った、この絵を売りに来たのではない、実は、と。
反物を預けると、びっちゃりとこびりついた旦那様の鼻糞を物珍しそうに指に絡めて遊び始めた、それから取り憑かれたように。
物事に憑かれるとなんにしても集中力だけはこのうえない。
愛おしそうに口に含んだがすぐに出してしまった。
嫌だったのではない、のちに気づいたことだが、彼なりにちびちびと節約を始めていたのである。
なんだこんなもんが好きだったのかと行商は自分の鼻糞を丸めて手渡すと、普段は涎を垂らしてばかりいる緩慢な動作のくせに、見たこともないような機敏さで、指で跳ね返してしまった。
始めは見紛うたかとおもいもう一度与えると、今度は確信していた。
にちゃにちゃとひと月程はそれで遊び続けたという。
それ以降は、最初は結構な塊であったものももう粒ほどになり、それをじいっと眺める日々が続いた。
食事を与えてもあまり食べようとしない、よほどあなたの鼻糞が良かったのだろうか。
さじでお粥みたいなもんをすこしづつ与えて居りました。
これではいかんと友人たちを集め、訳を話して鼻糞を頂けるよう協力をしてもらっていた、しかしどれもこれも、俊敏な指返しで拒むばかり、これでもう、間違いないと思いました。
しかし、わざわざあなた様の所へ出向いて、鼻糞を分けてくださいとは言えず、もともと親戚じゅうをたらい回しにされ義理の義理の義理の親戚のようなもんをたまたま引き取っていただけであるし、これが死んでも誰も咎めんだろうし、コイツの絵はなくとももともとの菓子売りに戻ればいいと割り切っていた次第、そんな中急に精気を取り戻したように描き出したのだからそれは眼を奪われた。
奥様の姿に絶句、それから描かれ完成していく風景の死世界に魂も凍りついた次第でゴザイマス。
という訳で、奥村邸へ移り住む流れとなってのです。
本当に奥村の鼻糞を歓喜して慰みものとし、仕舞いに飲み込んでしまう。
それからというもの餌付けのように鼻糞を付けていたが、次第に量を減りゆく一方である食事を与えるために制限するようになった。
奥村はもう少しこの家に留まるよう考えていた。
いくらか資産もあるし立派な屋敷もあった。
ただ自らの豪遊癖は抑えられず、ともなれば、コイツしか無かった。
熟考してみた。
コイツとは何物だろう。
妻の絵を眺める、実に見事である。
いつか町で初めて遭遇したあの風景画とは比べ物にならない。
初めてのお客は上品な奥様だったと言われております。
これは、その次の客だといわれている貴族とともに語り草でございます。
奥村は故人の形見を預かりました、それを渡したところでなんの反応も見せない。
まるで愛玩動物のようであるな、犬や猫のようであるなと納得したようでゴザイマス。
控えていた鼻糞をたっぷりと平皿に装って与えた。
スラスラスラと書き始め一晩で描いてしまった。
形容し難いコトでございました。
それはあまりに多彩な情景、そこへと息づいた亡き彼女の主人のまざまざとした生きた死後の姿。
これはほんとうにお安くしましたといい、たんまりと金を搾り取った、しかしその婦人は、満足なされた、そして遠い土地までの噂が広まった。
奥村邸は繁盛していた、しかし、予約に漕ぎ着けるまでを、渋りに渋った。
そして貴族が現れました。
その貴族の亡き父を描いたその絵画は、見るも凄惨な地獄絵図でした。
一度は書き直させようと、しかし奥村は思い直して、思い切りそのまんまの出来栄えを手渡したのです。
貴族は大笑いしました。
地獄に墜ちたとは傑作だ、あんたの絵はほんとうに本物だ。
豪快な喋り方の貴族であるな、と思いました。
素晴らしいじつに素晴らしい、気に入ったはははははは。
変態趣味の貴族のおかげでございました。
奥村の名が町から国じゅうへ、そして世界へ向けて、通った瞬間のそれは始まりでした。
言い換えるならば、箕輪市右衛門の誕生のそれは瞬間でした・・・
それからはご存知の通りでございます。
しかしながら名画を神業の疾さで生み出していく一方、市右衛門の偏食はますますひどくなる次第。
空気の汚れた古い廃屋などを経巡るなど、奥村はいろんな方法で鼻糞を増やす努力をしていたようでした。
しかし結局は栄養失調で亡くなるまで、たったの三年だったそうです。
奥村の名は人々の間から忘れ去られ、今ではすっかり知るものなど誰ひとりいないことでしょう、それに引き換え、箕輪市右衛門は、世界中から愛好され、元の値段を倍に倍にとんでもない額にまで膨らんでしまいましたね、しかしながら、他の世界的な名画とて、アレには適わない、そう思われませんかねえ。
という訳でして、市右衛門に纏わる奥村の話は帰着いたしました、ところが、奥村の話は続きがありまして・・・