子育てと抱擁卵は両立するか
子育てと抱擁卵は両立するか
デミーは毎朝雛に起こされる。雛の声は高音で耳に痛い。
「お母さんお腹すいた」
「もうすぐお祖父さんが外に出してくれるからね」
お祖父さんとは俺のことか冗談じゃない。どうも妻がそう言っているようだ。
ならお前は婆さんだと口には出せない。気の弱い人間は損だ。
「お父さんフーズ、それと新しい水」デミーはこの時だけは私の膝に乗って督促
する。半分母親、半分娘なのだ。
「わかっている、毎日同じことを言うな」餌はデミーと雛とに大さじ一杯ずつ
雛用は小粒でぬかの匂いがする。鶏用は米、ミンチ、大豆などの混ぜ合わせ。
デミーは小粒を選んではこれも美味しいよと雛に示す。女は母になるとどーん
としてくるがデミーも同じだ。もう少女の面影はない。
「お父さんパンちょうだい」餌の後のデザートだ。私は聞こえぬ振りをする。
「餌を全部食べたらお祖父さんがパンくれるからね」
父と祖父と二役をこなさなければならない。妻には夫役を、勤めに出ればその
役目を果たさなければならない。俺だけではないが男はつらいよ。
餌を食い終わるのを見てパンを取り出す。
「そら、お祖父さんがパンくれるよ」
デミーは妻に似てきた。間合いの取り方も憶えたようだ。このリズム感が大切だ。
これは人間だけではない。気が合う基礎である。デミーはパンを引き千切りそれ
をさらに小さくして雛に与える。子に餌を与えることが親の幸せと遺伝子情に
書かれているのだろうか、それは誰が書き込んだのか。生命の不思議を思う。
今日は洗濯日和とか、妻が洗濯の邪魔とデミーたちを追い払う。これは雛が
生まれる前と変わらぬ光景だ。以前はデミーを庭に連れ出したものだが、しばらくはこの洗濯場で妻の怒りに触れないよう大人しくしているしかあるまい。妻の洗濯が終るまで私は子守役か。しかしこの光景は満更でもない、むしろ楽しむことができる。幸せを感じる。
夕方妻が買い物に出たのでパソコンに向かう。メール、ブログなど集中しなくてはならないものをかたづけておく。ついでに美女の映像を鑑賞する。日本の女はやはり色気がある。半時ほど楽しむ。鬼の居ぬ間の洗濯とはこのことだあ。
雛の鳴き声に階下に降りるとデミーの姿がない。雛は母を求めて泣きつづけ
ている。デミーは巣に戻り卵を抱いている。雛は高さ40センチの段ボール箱の巣に入れないという状況だ。雛をつまんで箱に入れる。一件落着、ただそれだけのことであるがデミーは卵を忘れていなかったのだ。今度の公判ではこれをヴィデオに収め、証拠として提出してやる。馬鹿面の検察官に突き付けてやる。
デミーは妊婦の身で擁卵と子育とを見事にこなしていると叫びたい。大したもんだデミーは。若い母だがしっかりしている、俺の自慢の娘でもある。控えおろう。ここまでくれば親ばか爺ばかの域に入ったか。
「あなた、夕飯はお昼の残りでいいですか」これを日本語になおすと「私は友
達のところで夕食を済ませ、かつ酒なども飲んで参りましたゆえ夕餉の準備は
面倒にございます」となる。武士の妻が不義を働いた場合、夫はその相手とも
ども四つにしなくてはならなかった。恋女房ゆえ今度だけは目をつぶろうとは
いかなかったのだ。今日とて一家の主人に昼の残り物とは何事であるか、そこ
になおれ、手打ちに致すと啖呵を切らねばならないのだが再犯重犯には効き目
がなくなってきた。
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