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保護責任者遺棄罪

保護責任者遺棄罪


私たちが朝食を済ませ妻が流しに食器を運んだ時であった。縦揺れを感じて「伏せろ」と叫ぶ。すぐ横揺れが来た。大きいと思い妻を外に連れ出す。が、妻は喚き叫ぶだけで這いつくばっている。ガスを消せと命じるが腰が抜けているようだ。実際は10分後だが「もう消しています」と口だけは達者だ。

妻の腕を肩に回して庭に出る。揺れは10程で収まったがフィリピン人は動揺している。アパートの住民は庭に集まる。午前8時10分。震度5位か。ラジオをつけろと指示する。地震に慣れている日本人でも建物の倒壊と津波が心配だ。

アナウンサーの興奮した口調がフィリピン人の不安を煽る。「震源はどこか。津波の恐れはないか」私が語気を強めて尋ねると少し冷静になる。セブ市でビルが崩れた、タリサイ市でバンが横転して4人負傷したなどと叫ぶ。震源地はと重ねて尋ねる。「震源はボホール南部、場所は」「後でいい、津波は」「わからないがM7.2」「余震は」「まだラジオ言わない」

万事こんな調子である。緊急時でも何が重要かと考えない、考えられないのだろう。「地震で怖いのは火事と崩壊だ。ガス電気の元栓を閉じ出入り口のドアを開けておけ。行け」男が家に戻る。残った女どもに「津波が来たら逃げるところがないからあの高い木に登るしかない」「あそこは5人しか登れないわ」「なら残りは屋根の上だな、登る方法を考えろ」


男たちが貴重品をバッグに背負って出てきた。女たちが仕入れたばかりの津波対策を伝える。男たちは黙ってうなづく。災害時は沈着冷静な行動が命を救うと申し渡してあるからだ。韓国人は車を庭の中央に移動する。しかもエンジンをかけて車に留まっている。韓国はビルの崩落事故が多い国だからなと思った。

「日本の3.11のマグニチュードは」「9.1だったかな、史上最大の規模だった」「すごい」「Mと津波は別の話だ。震度は」震度?説明するのが面倒だ。「ボホールからここまで30km、1時間して津波が来なければ発生しなかったと考えられる」時刻は9時35分か、部屋に戻る。妻が危ないと叫ぶが黙って中に入る。デミー親子の搬出に下げ袋を用意し、ネットで津波を確認する。もう大丈夫だと2階から叫ぶと住民たちも解散した。


 地震のない国だから人々が動揺するのも無理はないが妻が初めての体験だから恐れおののいたと告白したのには驚いた。3年前の地震はすぐ近くのネグロス島はドマゲティー、ボホールも同じ活断層に乗っているのかも知れない。この地震は直下型だろうからボホール島は大きな被害が出ているに違いない。

様子を聴くよう妻に命じる。ミンダナオの実家の方は無事らしいが従姉の家は半分に割れたらしい。この家に2度泊まっているから数宿数善の恩義がある。家の修繕費用を用立てるから材料を確保するように連絡させた。材料が高騰するのは目に見えている。人の不幸につけ込むのは世界の常識である。火事場泥棒がいないのは日本ぐらいであろう。


この国で最近の地震は火山性地震を除くと30年前のパガディアンの地震らしい。地震の備えがないから死者3000人を超えたらしいが阪神淡路東北地震に比べると桁違いである。パガディアンは南太平洋のミンダナオ海を望む町だがモロ湾のさらに内なるイリャ湾にあるから津波の被害だったと想像される。フィリピン人に30年前のことを訊いても詳しいことは解らない。



 その夜変な夢を見た。デミーが保護責任者遺棄罪並びに堕胎罪に問われ近くの裁判所に起訴されたのだ。私と妻は特別弁護人として出廷している。起訴状によると「被告人デミーは9個の卵を産みながら孵化した2羽の雛を育てることに専念し、残り7個の卵を死に至らしめた」というのである。

 「検察官は公訴が棄却される前に訴えを取り下げる気はありませんか」と私が尋ねると若い検察官は「どうしてその様な発言を」と顔を真っ赤にする。その顔は誰かに似ているのだが思い出せない。

「被告人の卵を胎児と見做すことに異議はありませんが卵は保護責任の対象ですかね」傍聴席から失笑が起こる。

「被告人は保護責任者です」

「卵は保護責任の対象かと訊いているのですが」

「被告人は保護責任者です」同じ言葉を繰り返す検察官は馬鹿丸出しである。私の侮蔑の眼差しは声にも出るから法廷内が緊張する。

「検察官は主語を変えないで貰いたい、貴方がどこで法律を勉強したのか知りませんが。では質問を変えましょう。保護されるべき者は誰ですか」

「被告人の産んだ7個の卵です」

「それらは胎児ではないのですね」Are they not her unborn babies ?

「そうです、胎児でもあるのです」この場合の Yes はいいえの意味である。

「そうすると検察官は保護責任者遺棄罪と堕胎罪との併合罪と考えるのですね」

 Sha must be boankaこの男バカじゃないとデミーが叫ぶ。

「被告人は静粛に」と裁判官。

「被告人は当職を侮辱しています」と検察官。

「鶏にバカにされる程度よ、あんたは。子育てと卵抱くのとどちらが楽しい」

と妻。他人の話と座席に割り込むのはフィリピン人の得意技。

検「今は訴因の話だ。茶々を入れるな」

妻「ソインかコインか知らないけど道理が解らないと話にならないでしょ、

  私の質問をあんたの奥さんに訊いてみな」

検「本件に関係ない」

妻「関係ある。種は悪くても畑がいいと育つからあんた心配しなくていいよ」

このような発言は私には理解できないが傍聴席のフィリピン人には受けた。



私「この国の乳幼児の死亡率はどれくらいですか」

裁「弁護人は何を主張したいのですか」

私「被告人は2羽の雛の育児と7個の卵を孵化させる義務があると検察官は主張したいようですが、それは現実に可能でしょうか」

裁「弁護人は、仮に検察官主張を認めるとしても果たしてそれは実行可能かという趣旨ですか」

私「そうです。育児と孵化との選択を迫られた被告人の胸中を察するには余りあるのではないでしょうか。この点の洞察が重要かと」

裁「検察官は次回公判までに乳幼児の死亡率を当法廷に示してください。本日はこれにて閉廷します。被告人は逃亡の恐れが認められないから在宅裁判を相当とします。被告人は両親と一緒に帰宅することができます」


そこで夢は醒めた。隣で妻が高いびきをかいている。

                  子育てと抱擁卵は両立するかへ

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