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母となった喜び

デミー子育て日記


佐々木三郎


1母となった喜び

2保護責任者遺棄罪

3子育てと抱擁卵は両立するか

4間引きの理論




母となった喜び

デミーの子供が生まれた。日曜日の朝のことだ。妻が子供の鳴き声がすると言う。その顔は初孫の誕生を喜んでいる。そっと巣を覗くと確かに一羽の雛がいた。孫の顔をじっくり看たいのだがデミーはこれを許さない。雛を羽の下に隠し恐竜のような声で威嚇する。翌日もう一羽が生まれた。正確には孵ったと言うべきだが鶏が卵を抱いている期間は卵を哺乳類の胎児と看てもおかしくないだろう。

犬猫なら母親はへその緒を食い切って乳を与えるだろうが、雛はなにも食っていないはずだ。

「デミーも雛も食ってないだろう」

「そうですね」

「そうですねって、48時間以上飲まず食わずで」

「放っておけばいいの、彼女の判断ですよ」

妻に限らずフィリピン人は年長者にも一丁前の口を叩く。生意気だ。


 問題点は、デミーと雛の健康、彼女が巣を離れて食事をする間の卵の面倒である。この相反する問題をどう解決するか。フィリピン人は何事にも心を砕くことはない。為るようになる、の哲学だ。腐心など無縁である。


 しばし思案して母鶏を排除すればよいとの結論に至った。強制執行は私がデミーを妻が2羽の雛を戸外に出す手配をした。まずデミーをそっと抱き上げ餌場におろす。つづいて雛をその傍に置く。小さな雛だ。ピンポン玉の卵だからしかたないがタマゴッチだ。先ず水だと海苔の蓋に水を入れて雛に与える。ところがデミーがこれを飲む。お前の水は素焼きの皿だろうがと言いかけたが止めた。理由があるはずだ。

 雛はデミーに習って水を飲む。考えてみれば雛にとっては初めてのことだ。鶏の餌と雛の餌を混ぜて与える。デミーは雛の餌を啄む。雛が餌を食い出すのを観てデミーは鶏の餌を食い始める。なるほど恐れ入りやした。更に好物のハエも美味しいよと雛に与える。私の手から引き千切ったパンもさらに小さくして雛に与えるのだ。またあちこちを突いては「これは食えるけどこれは食えないよ」と教えているのだ。自分が食う時間はほとんどない。しかしデミーは教える喜び、与える喜びを感じているのかも知れない。


 すべての動物は母親を信じる。疑うことはない。森永ヒ素ミルク事件で母親はヒ素入りミルクを与えた自分を責めたそうだ。親子の信頼は類を問わない。この信頼は動物界の根底である。生き物を飼うことは親子の信頼を知ることでもあろう。次の課題は外敵からいかに身を守るか、その術を如何に伝授するかまた習得するかであるがこれまた見物である。


女は妻にそして母に見事に変身する。甘えん坊のデミーも見事に母鶏に変身した。別鶏のようである。神など信じない私だがこの変身ぶりは神業と言うほかはない。鶏の神様がデミーを指南しているとしか思えない。母となったデミーは水を飲むときも餌を突くときも周りの警戒を怠らない。

雛をドミンゴとルネスと名付けた。それぞれ日曜日、月曜日に生まれたからだ。ドミンゴは一日の長があるから飲み込みも早い。ルネスはややおっとりしている。二羽の雛の特徴は上記以外に羽毛がドミンゴは黒いのに対しルネスは褐色であること及びドミンゴがよく水を飲むのにルネスはめったに飲まないということが挙げられる。母鶏デミーはどのように識別しているのか。

デミーは分け隔てなく雛に接しているが残りの卵が孵ったらどうなることやら。それよりも前に卵を抱きながら2羽の雛を育てるのは至難である。育児は私に回ってくるかもしれないが卵の孵化次第だ。夕方には雛を巣に戻す。デミーもつづく。そして卵を抱くのだ。2羽の雛はデミーの羽の下に潜り込む。果たして卵はどうなることやら。


 母となったデミーはいじらしい。生まれてすぐ人間に育てられたのだ。母鶏の温もりも知らない。生きる術も独学で身に付けた。生得の知恵もあろうが後天的経験が大きいと思われる。苦労した親ほどよけいに子が可愛いのであろう。母の子に対する愛に勝るものはあるまい。そしてまた母となった喜びを噛みしめているのであろう。


「あなた珈琲いれましょうか」

妻は私が機嫌を損ねていると気づくと懐柔策をとる。

「8ヶ月前のデミーもこんなだったな」

当時の写真はタバコの箱の半分もないから雛たちと同じ位か。

「そうでしたね」

マノックは8ヶ月で卵を産みますとは言わなくなった。わかり切ったことを言うでない、もう少し気の利いたことが言えないのかと来るはずだわ、調子を合わせておくところだと判断したようだ。これも根気と忍耐の教育効果である。

「あなた何を考えているのですか」

「デミーはいい先生だな」

「2羽の生徒も優秀じゃないですか」

妻も近頃は胡麻をすることも覚えた。格段の進歩である。

「デミーはどうやって子育てを勉強した」

これだから日本人と話すと疲れると言う顔をする。

「人間の赤子は3kg、母親は45kgとすれば何倍か」

「15倍でしょうか」

「雛と鶏のデミーとでは何倍位か」

ぱっと見でデミーの体重50倍、体長20倍以上と思われる。

「失礼します、ちょっとトイレ」

これもフィリピン人常用の逃げ口上である。急に腹の調子がおかしくなったも同義語。語彙も文句も知れている。ゲームをすれば赤子の手を捻るが如し。また感慨に耽ることはない。人生を噛みしめることもない。

「何ですか、何か言いましたか」

妻も蔑まれていることは感覚的に解るようだ。

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