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道行くは

作者: のり

それは年の瀬には珍しく、雪が降らない年のこと。

とぼとぼとぼとぼ。

 先頭を行くのは、まだ五つにもならないような小さな男童おのわらわ

 あどけない顔つきの割に足取りは力強い。

「……あの、お腹空きませんか?」

 その小さな背中に遠慮がちな声が掛かる。けれど童は振り向かない。

 かれこれ朝から飲まず食わずで歩いているのだ。お腹が空かないはずはない。

 とぼとぼとぼとぼ。

「なぁ。ちょっと休憩しねぇ?」

 再び童の背中にまた違う声が掛かる。けれどやっぱり童はまっすぐ前を向いたまま歩き続ける。

 童は何があろうとも、日が沈んでいる間以外一切休もうともしなかった。もうこの状態が三日続いている。

「……よう、さち。何でコイツ喋ねーの?」

「えっ……そ、そんな事私に聞かれても……。この子を連れてきたのはさいさんでは……」

「ああっ?! 何か言ったか、聞こえねー」

「つ、都合が悪くなるとすぐそういう事言うの、ズルいですぅ!」

「はあぁぁぁ? 聞こえねーな」

「ううう……」

 幸と呼ばれた女が上目遣いで隣を歩く男を睨む。

「何だよ幸。お前に睨まれても怖くないどころか、かわいいだけだぜ」

 睨まれた男――賽は幸の視線ににやりと人の悪い笑みを返す。

 幸は肉感的な体型の割に小柄な娘で、背の高い賽が幸の顔を見ようとすると、自然と見下ろす格好になる。

「そんなかわいい顔されたら、何だか食べちまいたくなるなぁ」

「うう~ さ、賽さん……か、顔近いですぅ」

「わざと近づけてんだよ」

 実に楽しそうに賽が幸に顔を寄せる。幸の頬が赤く染まった。

 健康そうなふっくらとした頬。まろやかな弧を描く細い眉。目尻のわずかに下がった黒目がちな目。ちんまりとした小さな鼻。さくらんぼのように艶やかで愛らしい唇。どこか幼さを残した幸の顔は、賽に意地悪く見つめられて徐々に赤みを増していく。それはしっかりと出る所は出ている女らしい体つきと相まって、妙な艶めかしさを醸し出す。

「あれあれあれ~? 幸ちゃーん、赤くなってなーい? 俺に迫られてそんなに嬉しい?」

「あああ赤くなんてなってません! それよりあの子、行っちゃいますよぉ!」

 耳まで赤く染めた幸は、賽の視線から逃れるように童を指さした。童は幸と賽の存在などまるで無視するように、ただひたすら前を向いて歩き続けている。

「――ガキのくせに歩くの早ぇな」

「ほらほら賽さん! 急いで下さい!」

 幸に背中を押され、渋々賽は童の後を追う。

 それはなかなか妙な光景だった。年端もいかない童を先頭に、大の大人が二人その後をついて歩いている。

 三人が親子かというと、そうではない。それは童のひたすら前だけを向き、一切後ろの二人を気にしない様子や、大人二人との距離を見れば何となく察せられた。

「全く。厄介なものを拾っちまったぜ」

「もう、そういう事は言っちゃダメです。あの子にだって何か事情があるんですきっと」

「事情、ね」

 ふんと鼻を鳴らすと、賽は 着物の懐に右手を差し入れ、左手で顎を撫でた。

 あらためて前を黙々と歩く童を見る。随分身綺麗な童だ。派手派手しさはないものの、絹の着物は裕福な家の者しか身につけることはかなわないものだし、頭頂部でひとまとめに結われた髪は一筋の乱れもなく清潔だった。

「確か、賽さんはあの子を村の外れで見つけたんでしたよね」

「山の麓な」

 賽達の村はここよりも東にあり、村は山と隣接していた。

「それにしても、こんな小さな子が一人でどこへ行くつもりなんでしょうか」

 幸が心配げに呟く。童が気になって仕方ないようで、始終世話を焼きたがっているのがいじらしい。

「さあてな」

 興味なさげに賽は大きな欠伸をした。

「村の子供でもないみたいですけど」

「みたいだな」

 今度は左手の小指で耳をほじほじすると、ふぅっと息で吹き飛ばす。

「…………賽さん」

「あん? 何だ幸。俺の腕の中が恋しくなったか? まだ陽は高けーが――」

 ちらりと流し目で誘うように幸を見る。妙に色気の滲む目だ。その目で見つめるだけで、幸は大抵の賽のおいたも許してくれる。

 更に賽は幸の耳元で囁いた。

「お前がどうしてもってんなら、その期待にこたえてやるぜ?」

 同時にすうっとうなじを撫で上げる。

 賽は自分の行動が幸のどんな反応を引き出すか、全て承知の上で振る舞っていた。恥ずかしさに肌を朱に染める幸が、賽は何よりも大好物なのだ。

 予想に違わず幸の頬が上気しはじめる。

(よっしゃ、そのままこーい!)

 内心舌なめずりしながら、賽はその至福の時を待った。

「……ふふっ」

 突然幸が小さく笑った。

「…………へ?」

 完全に虚を突かれた賽は間抜けな声を出して、笑う幸をまじまじと見返した。

(おいおいおい! ここは恥いるとこだろ!)

 どうして幸が笑ったのか賽にはわからなかった。いつもであれば、確実に大好物の朱に染まった幸が見られるはずなのに。

 賽は半ば呆然と幸を見下ろす。

 そんな賽の様子に、幸がくすくすと笑った。

「な、何がおかしい!」

「だって。賽さん口では何だかんだ言っててもあの子の事が気になっているんでしょう? こうしてついて行くって事はそれとなく心配してる証拠です。それなのに、わざと気にしてないふりしてるのがかわいくって。賽さんはいい人ですね」

「はっ、はあぁぁぁぁッ?! お前、一体自分で何言ってんのかわかって口にしてるか?」

 幸の言葉に、賽は面食らう。 

「賽さん、あの子の行き先がわからなくても最後までついて行く気なんでしょう? ついてく気がないのなら、多分私、いつもみたいにソッコーで押し倒されてます」

 賽は絶句した。確かに幸の言う通りだったからだ。

 ただし、賽が童を気にしているのは幸が思っているような親切心からではなかったが。

 それにしても、いつものうぶな幸とは思えない反応に、賽はそれ以上反論するのをやめた。

「……ったく、この俺を目の前にした女どもは、恥ずかしげに頬を染めるかうっとりと見入るかのどっちかだ。俺の事を上から目線でかわいいやら、いい人呼ばわりする女はお前くらいだぜ、幸」

 呆れてぼりぼりと頭を掻く。すると急に幸は笑いを引っ込めると、視線を泳がせた。

「そ、それは……賽さんが、その……ご立派なのは……し、知っていますけれど」

 ごにょごにょと突然歯切れが悪くなる。

(あん? いつもの幸だ)

 赤くなって俯く幸を前に、賽は内心首を捻った。賽は確かめるように幸の耳元に口を寄せ囁く。

「俺のどこらへんがご立派だって?」

 ベタな下ネタだ。自分でもそう思うが、幸はこんなベタな下ネタにもしっかり反応してくれる貴重な存在なのだ。

 そしていつもの如く幸の体は爆発的に真っ赤に染まる。着物の合わせから覗く豊かな胸元が、まるで熟れた桃のようで、賽の目はそれへ引き寄せられる。

「やっぱいつもの幸だよな」

 まじまじと胸元を凝視して呟く賽に、幸が慌てて着物の襟を掻き合わせた。

「ど、どこ見て言ってるんですか!」

「……谷間?」

「た、たに?!」

「見ず知らずのがきんちょのお守りなんて柄にもなくやってんだ。ちょっと位いい目見てもバチは当たらねーだろ。何せ俺はいい人なんだからな」

「も、もうっ! せっかくいい人だったのに、そういう事言う賽さんは全然いい人じゃないですぅ! 悪い人です!」

「はははっ! どっちでも構わねーよ! そら、がきんちょ見失っちまうぜ。ちょっとじっとしてな、ほらよ!」

「えっ、えっ、ひゃあ?!」

 賽は悲鳴を上げる幸の膝裏に手を差し入れ、すくい上げるように体をひょいと抱き上げると、先へ行ってしまった童を追いかけて駆けた。

「あの!あのあのあの! さ、賽さん恥ずかしいです! 下ろして下さい~!」

「何言ってやがる。恥ずかしさに喘ぐ女ほどそそるものはねーんだ。誰が下ろすか」

「ぜ、前言撤回です! 賽さんはただのヘンタイさんですぅ!」

 はしゃぐ大人二人とは対照的に、童は無言で歩き続ける。

「ヘンタイで結構。もうすぐ旅も終わりだ、それまで幸の体の感触を楽しませろよ」

「か、感触……楽しむ……ヘンタイ……」

 一人赤面してぶつぶつと呟いていた幸だったが、ふと何かに気がついたように顔を上げた。

「あの、今終わりって……賽さんこの子の行き先を知っているんですか?」

 腕の中で幸が不思議そうに賽の顔を見る。

「知るわけねーだろ。俺が知ってるのは、こいつが年の瀬に山から来るってことだけだ」

「山にこんな幼い子供がいましたっけ。初耳ですけど。――はっ! ま、まさか賽さん、私に黙ってまた山に入ったんですか!? 山にいる楠姉くすのきねえさんにでも聞かないと、そんな話は耳に入らないはずです!」

「入ってねーよ。お前がうるさいからここんとこ楠ともご無沙汰だっつーの!」

 山の小さな祠の傍に住む楠と賽の付き合いは、幸とのそれよりもはるかに長かった。

 楠は幸とは正反対の大人びた知的な美人で、ほっそりとした背の高い女だった。何故か幸はそんな楠をあまり良く思っていないようで、賽が山に入るのにいい顔をしないのだ。

「ご、ご無沙汰……?」

 幸の顔色が蒼白になる。

「……お前、今頭ん中で俺と楠のあーんなことやこーんなことしてる姿、想像しただろ」

 涙目になって、それでも首をぶんぶんと横に振って幸は必死に誤魔化そうとするが、無駄な努力だった。

「幸っちゃーん、バレバレだから。何度も言ってっけど、俺と楠はそういうんじゃねえし。だいたい」

 幸を抱えたまま、賽が肩をすくめる。

「あいつに下ネタなんか言おうもんなら、こっちが凍りつくような反応が返ってくるからな。かわいげの欠片もねえぞ」

「そ、それってどんな反応……」

 思わず興味をひかれた幸が尋ねると、

「ん? さぁてな。教えてほしいか? 教えてほしけりゃ……」

ニヤリと賽の口元が人の悪い笑みをかたち取る。

「いいです、結構です、やっぱり知りたくないです!」

 慌てて幸が両手を伸ばし、賽の口元を押さえた。

「ちっ、何だよ最後まで言わせろよ」

「これ以上の恥ずかしい目にはあいたくないですから!」

 思い出したように幸が賽の腕の中で手足をばたつかせる。

「今更何が恥ずかしいんだよ。お前いっつももっとすげーことされてんのに」

「あー! わー! わー! 聞こえないです聞こえないですぅ!! あっ、賽さんっ! 何かあんな田んぼの真ん中にお爺さんが一人で佇んでますけど、何か困った事でもあったんでしょうか!? きっと困ってますよね?! 助けてあげないとですよ!」

 わざとらしく誤魔化して、幸が童の歩いていくずっと前方の人影を指さした。

 こういううぶな反応こそが、賽を最も喜ばせる要因の一つだとは気付かずに。

「爺さん?」賽は幸の言葉に顔をあげ、遠くに目を凝らす。

「……幸、お前どんだけ目ぇいいんだよ。遠すぎて芥子粒くらいにしか見えねーぞ」

「え? そうですか? しっかりお爺さんに見えますけど」

 しばらく目を細めて遠くの人影を確かめていた賽だったが、

「おっ、マジ爺さんだ! うっし、これでようやく俺達もお役御免だな!」

少し歩いた所で、ようやく人影が幸の言うように翁であると確信して嬉しげな声を上げる。

「どうしてお爺さんがいると、お役御免なんですか?」

「そりゃ、このがきんちょとあの爺さんが説明してくれるさ。まあ黙って見てろよ」

 不思議そうに小首をかしげる幸に、賽はもったいぶって言った。

 そう言われては幸もそれ以上追及はできず、賽に抱えられたまま黙って前を歩く童とずっと先で佇む翁を交互に見比べるしかなかった。


「これはこれは、よう来たよう来た」

 すっかり稲刈りも終わり、田んぼの真ん中に無造作に積まれた藁に腰かけた、元は上質の絹の着物であったであろう着古した古物に身を包んだ翁が、白いひげの下で満面の笑みを浮かべて三人に労いの言葉をかけるまでそれ程長い時は掛からなかった。

 歩調を緩めることなく淡々と歩き続けていた童が、ようやくその言葉に足を止める。

「お知り合いなのですかね?」

 こそっと幸が耳うちするように尋ねてくるのに小さく頷くと、賽も歩みを止めて幸を下した。

 それを待っていたかのように、童が二人を振り返った。その顔は何故か、三日前に初めて童の顔を見た時よりも心なしか大人びて見えた。

「そなたらも、ようここまでついて来てくれた。ご苦労じゃったな」

 翁の柔らかなまなざしが賽と幸に向けられる。

「まあ飲まず食わず、日の出てる間は休まずの、とんでもない道行きだったぜ、爺さん」

 翁に心安く応じる賽に、幸は目を丸くした。

「え! 賽さんもお知り合いなんですか?」

「知り合いじゃねーよ、こんな爺さん」

「? だってすごく知り合いっぽい会話してるじゃないですか!」

 訳が分からず幸はしきりに首を捻っては三人を順に見比べる。そんな幸の様子を微笑みながら見ていた翁が、ゆっくりと立ち上がると賽に言った。

「おぬし、わざわざ言わんでもいいような事は進んで口にするが、肝心要の事は口にせんようじゃの。娘っこが困っておるぞ」

「余計なお世話だ。俺の性癖にまで口出ししてくんな」

「すすす、すみませんっ! 賽さんは心根は多少優しい所もあるんですけど、口が悪くて!」

 慌てて幸が謝り倒すが、翁はいっこうに賽の態度に気分を害した様子はなかった。

「多少は余計だ、多少は」

 褒められたのかけなされたのか、判断が微妙な幸の言葉に賽が苦い笑いを浮かべる。

「仲はいいようじゃの。感心感心。まあおぬしらの本性からすれば、それも当然の事かの」

 ほっほっと翁は笑って童の頭を撫でた。

「どーでもいいが、くっちゃべってねーでさっさと仕事済ませろよ爺さん」

「賽さん!」

 着物の胸元を引っ張るように幸が諌めるが、賽はどこ吹く風だ。

「そうじゃったそうじゃった。おぬしの言う事が正しい。では最後の仕事を済ませるとしようかの」

 翁は気にする風もなく言うと、童と向き合った。けれど二人は向かい合って何をするでも何を話すでもなく、ただ視線を合わせただけだった。

「では、後の事は頼んだぞ」

 わずかの間の後、翁が笑顔で言葉を掛けると童がそれに力強く頷いた。

「???」

 訳が分からないといった表情で幸が賽の顔を盗み見るが、答えは返ってこなかった。

「おぬしらも仲よう達者でな」

「おう、言われなくても俺達は仲いいんでな」

「だからっ、賽さんってば!」

 何度も何度も謝って頭を下げる幸とふんぞり返っている賽に背を向けると、翁はゆっくりとどこかへ去っていく。

 やがて翁の見送りを終えた二人は、先程まで一緒にいたはずの童が消えている事に気づいた。

「あ、あれ!? あの子、どこへ行ったんでしょうか!?」

 幸は血相を変えた。けれど賽はそんな幸を尻目にくるりと踵を返す。

「さーてな。俺達に気を使ったんじゃねーか? 役目も済んだ事だし、俺達も帰るとするか」

「ええっ? まだ小さな子供ですよ、そんな訳ないです! 賽さん、心配じゃないんですか?」

 幸は辺りを見回すが、やはり童の姿はなかった。あの一瞬の間に、一体どこへ消えてしまったというのだろうか。

「小さい小さいって、お前あいつの正体にまだ気づかねーのかよ」

 賽が呆れた顔で幸を見下ろす。

「正体、ですか? えーと、えーと。実は私達の間に生まれる……将来の、こ、子供だったりとか……は、しませんよねぇ。あ、あはは!」

 幸の顔が桃色に色づく。けれどそれに反して賽の顔は強張った。

 あんまりな反応だ、と幸は泣きたくなった。

「そんな固まらなくてもいいじゃないですか……。賽さんひどい……」

 じわっと幸の目が涙で潤む。

「いやいやいや普通固まるだろ。お前、一体どんな神様産むつもりだよ。俺はあんな神様のがきんちょなんていらねーよ」

 本気で嫌そうな顔をして賽が言うもんだから、幸は涙をこらえきれなくなった。

「やっぱりひどいですぅ!」

 ぶわっと涙の粒が幸の目尻で膨らむに至って、ようやく賽は自分と幸の意見の相違に気が付いた。

「え? ああ、お前誤解してる。あの爺さんとがきんちょはこの辺り一帯の歳神としがみだぞ。古い年が過ぎて新しい年が明けるって事だ」

「……歳、神様?」

「そうだ。幸はまだ生まれたばっかだから知らなくても仕方ねーか。歳神は年の瀬になると山から子供の姿で下りてきて、古い歳神と交代するんだよ。歳神は一年かけて翁になる。だから交代する時には、爺さんの姿をしてるのさ」

「……あっ!」

 ようやく幸の中で目の前で起こったことと、賽の話が結びつく。

 つまりあの童は山から下りてきた新しく始まる一年を司る歳神で、ここで待っていた翁が過ぎ去っていく一年を司る歳神という事らしい。

「まあ歳神は毎年現れる場所も行く方角も変わるからな。俺だってまだ奴らに合うのは数える程だ。それでも一応俺達の村を通るってんだから、放っておくのも何だしな」

「そうだったんですか」

 幸は納得したように小さく息を吐いた。

「と、いう訳でだな」

 突然賽が声の調子をあらためて、幸を見る。

「はい」

「幸ちゃーん、俺達は俺達の将来の子供に会う準備をするぞ」

「……はい?」

「歳神のがきんちょはいらねーけど、俺は幸との子供は早く欲しいからな」

 にやりと賽が笑う。

「は、はははは、はいぃ?」

 たらり、と幸の胸の谷間に一筋汗が伝う。

「幸も欲しいよな、俺に似た俺の子供。何かさっき俺達の将来の子供がどーとか言ってたもんな、お前?」

 実に楽しげに賽がひきつる幸を目を細めて見つめる。

「そ、そんな事言いましたっけ?」

 さっと視線を逸らすと、幸はすっ呆けた。けれど賽がそれを許すはずもなく。

 賽はゆっくりと幸との距離を縮めると、両手で頬を挟み込むようにしてそむけた顔を自分へと向けた。

「どの口がしゃあしゃあとそんなつれない言葉を吐くんだ? 嘘かどうか確かめてやろうか、ゆっくり時間を掛けて」

 幸を見下ろす賽の目が、甘く艶やかな色を帯び始める。

「こ、こんな人目に付くような場所ででででで」

「気にすんな、じきに日が暮れる」

 少しづつ賽が顔を寄せる。その余裕な態度に、幸が顔を赤らめながらも唇を尖らせた。

「さ、賽さんはずるいです! そ、そんな風に賽さんに迫られたら、私が断れないのを知ってるくせに!」

「わざとやってんだよ」

 頬を包む右手の親指が、そっと幸の唇をなぞる。もう幸は、それ以上賽を拒むことなどできなくなる。

 賽に見つめられ優しく触れられるだけで、幸は自分の内側からじんわりとした幸福感と、抗いがたい熱を感じた。

(いっつもそう。私が賽さんを本気で拒めるはずなんてないです。だって私は……)

「も、もうっ! ……でも好き。私、賽さんが――」

(好き)

 幸の最後の一言は、賽の唇で塞がれた。

 容赦なく深く割って入る賽の舌は幸を絡め取り、身の内の熱を煽って欲望へと変化させる。

 お互いの吐息さえ漏らすのが惜しい程、狂おしく唇を求めあった。

 幸の手が賽を求めて逞しい背に回れば、賽の手はするっと幸の着物の袷へと滑り込む。

「……嫁にそういう顔されると我慢できねーんだけど」

「我慢する気なんてないくせに。旦那様の口も嘘つきです」

 そうして再び絡みつくような口づけの嵐。

 足元にはまるで用意されていたようにおあつらえ向けの藁の褥。

 冬の短い夕暮れが過ぎ、辺りは宵闇に染まってゆく。

 今年も残すところ一夜限り。明日の朝には新しい年が始まるのだ。


 ここより東にある山の麓の鄙びた村には、この頃では珍しくなった道祖神どうそじん様が祭られている。それはそれは立派な鉾神ほこがみ様で、子宝に恵まれたい女達が訪れる姿を見るのも珍しくはない。

 そうそう。近頃道祖神様のご利益にあやかった村の長者が、そのお礼に鉾神様にお嫁さんとなるミホト神様を奉納したという。

 きっと鉾神様も喜んで夫婦仲睦まじくされていることだろう、と村人達は意味深な笑顔を交わしあう。

 鉾神様はまたの名を「賽の神」、奉納されたミホト神様は「幸の神」と呼ばれ、今も村人達に厚く信仰されているという。                   (了)

最後まで読んで頂き、ありがとうございました!


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