喜ぶ心の浅ましさ3
付き合い始めてから約一ヶ月。
縛られた手からわずかに血の匂いがする。きっと長時間こうしていたせいで擦れたのだろう。優は、俗にいうマゾヒストではないので、あまりこういうのは好きではないが、目の前の男の興奮の仕様にどうしようもなく胸が高まる。周りは奇妙な程静かで(まるで周りの住人が彼らの事の顛末に耳をすましているように)、細谷の息遣いと自分の掠れた喘ぎ以外は布の擦れる音しか聞こえない。彼の前髪が顔に当たってくすぐったくて、優は彼の肩に顔を埋めるようにした。細谷はそれを足りないサインと解釈して、それは完全に間違った解釈と知っていて、彼女を一層せめたてた。その後明らかに優の余裕がなくなったことを表情を見て確認すると、彼は心臓を抉られるような動悸、というのか、むしろ心臓発作のような感覚に襲われた。
今優は両腕を縛られて、向かいあって彼の上にのっている。ついでに言うと繋がっている。後ろには壁があって、逃げようがない。そろそろ腕が痛い。首を強い力で噛まれて、血が出たのを感じる。彼の八重歯は結構鋭いんだった。
てっきり今日はカットセックスをするのだと優はふんでいたが、細谷が帰り寄ったのは町のホームセンターだった。ブツブツ言いながら歩く細谷についていくと、そこには頑丈そうなロープがずらりと並んでいた。優は心が冷たくなるのを感じた。また、"遊ばれる"。
縛られた両手が堪らなく痛い。そっちの気はないのだが、彼の頼みだ、仕方が無いと思って優は黙って目を閉じていた。
優には腕の自由がないため否応なしにただただ耐えなければならない。
彼、細谷優は始終ため息をもらして、乱暴に彼女の細い腰を掴んで動かした。普段の彼女からは全く想像できないその動きが彼を異常なほどおかしくさせた。彼はまたしても心臓が締め付けられる感覚を味わった。才色兼備で、普段頭のキレるはずのこの女は、今自分しか考える他なす術がないのだと考えると、彼はあと何回でも彼女を求めていたくなった。
事が済むと彼、細谷優はびっくりするほど甘い言葉ばかり囁いて、それが優にとっては嬉しいどころか逆にゾッとして、次の瞬間にはベットテーブルの上にある細いボールペンで刺されて殺されるのではと思い気が気でなかった。愛してる、今日という日は忘れられない、どこにも行くな、君が好きだ、ずっと一緒にいよう、俺の物だ、死ぬときも一緒にいよう、などなど。よくもまあこんなセリフがポンポンでてくるものだと半ば関心しながら彼女はまだ痺れの取れない体を彼に投げ出し、虚ろな感じでたまにうん、とか、ええ、とか返事をしてただ他には静かに聞いていた。男が女に優しくなるのは後ろめたい事があるときというが、それがいまかと漠然と思う。彼が彼の好きだった人をすれ違いざまによく見ていたのを、優は見ていた。それに気がついた彼はなんともいえない、それでもすがるような、あまり心地の良いものではない目を優に向けて、放課後に来たメールは今日うちにおいで、なのだから、最初は別れ話を持ち出されるのかと思ったほどだ。
「気にしないで、気にしてないから、だから気にしないで下さい。別にいいんですよ。好かれなくても、知ってます。だからこのままでいいから。」
「なにか誤解してるな。」
「え?」
「何か変に誤解してるだろ。」
そんな事言われて、優の中でさっきまで全身に漂っていた心地よい痺れはびっくりするほど瞬時に吹き飛んでしまって、彼を抱き締めている腕すら気持ち悪く、優は優を育ててくれた人達に申し訳なく感じて、ばっと彼から離れようとしたが、まだ繋がっている事に気がついた。
「しかも、なんだそのとってつけたような敬語は。やめろ。好きじゃない。」
「…黙って。好きって言うのは私が女だからのくせに、人格を求めないで。そもそも、彼女と皆に紹介するのもおこがましいと思わない?どうしてセフレを彼女なんて…」
「違う。彼女だ。ちゃんとした。しかも初めての彼女だ。」
「デートなんてした覚えないけど。」
「したいならしたいって言えよ。男は欲にまみれてるからそういうのには疎いんだ。」
「何その理由全然納得いかない。っていうか、抜いて。」
下半身の違和感が気になって会話もままならない。
細谷優は惜しむようにそれを抜いた。彼の少し長めの前髪が枕の上にあり、彼の頬をくすぐる。
その後、優はどうにか反撃しようと試みた。
「あたしは、つまり、あなたと親密になりたいわけじゃな…いッ!」
「こんなに親密な関係なのに、今更なに綺麗ぶってんだよ?」
案の定、彼は一瞬で彼女を引き裂いて、彼女は息をするのをやめた。忘れた。
その後の事は覚えてない。途中で気を失ったようだった。