喜ぶ心の浅ましさ
窓の外を見ると、雨が降っている。
グラウンドで部活をしていた生徒が走って校舎に駆け込むのが見える。奥の山が霞んで見えているところから判断すると、これはすぐに止む夕立ではなさそうだった。
さっきまで西陽が差していた準備室は急に湿っぽくなって、居心地がよくなり、優はもっと寝ていたくなった。彼女は雨の日がすごく好きなのだ。
ダメだ、と思い、うとうとしていた目を頑張って開けると、目の前には付き合い始めて一ヶ月になる、人生で初めてできた彼氏、細谷優がつまらなそうに座っていた。
「いつからいたの。」
とっさにでたセリフは無愛想な上に寝起きで声が掠れていて、少し恥ずかしくなって咳払いをする。まるでそんな事気にしていないかのようにそっぽを向きながら、彼は「別に」と答えた。
大体顔を見れば分かるが、早とちりしても恥ずかしい。念のため聞く。
「何しにきたの?」
彼は高い鼻をひくひくさせて雨の匂いを嗅ぐような仕草を見せたあと濡れたような目をこちらに向けた。
「しに来た。」
簡潔だ。いつもそう。簡潔で、潔いこのオープンな細谷の変態さが清々しくて優は好きだ。
「ここでいい?」
「...ここがいい。」
そう言われると優は堪らなく切なく、嬉しくなる。つまり、優はこの人が心底大好きだからそういう風に見つめられると"私"を求められている気がするのだが、でも本当はこの人は優が"女"であるとこをいいことに"いいように"しているのが真実で、その二つがせめぎ合って、彼曰く、苦虫を噛んだみたいな顔をするらしい。
実際のところ、優は自分がこんなに堕ちるような人種だとは思っていなかった。
彼女は結婚する人に全てを捧げると思うようなタイプで、プラトニックラブを貫くのだろうと思っていた。一時の感情に身を任せて後々苦労している自身の母のようには全く成り下がる気はなかったのだ。
それが一ヶ月前のこんな雨の日から、だんだん堕ちていって、もう、おそらく、彼以外は愛せない。
「壊したい、って愛したいってことなの?」
「さぁ」
長い長いキスの合間に、小休憩の為挟んだ彼女の短い問いは再開した執拗なキスによって掻き消された。雨の音と、彼の息遣いしか聞こえない。絡まる。思考も絡まる。単純だ。彼が求める、彼がしたいから、彼が、彼が。そんな理由をいくら持ち出しても、今の優は好きな人とこうしていたかった。玩具は考えるべきではないとは分かっているのだが、どうしてだろう、彼の少し汗ばんだワイシャツの匂いが混ざると、思考なんて物は一気に吹き飛んで、彼女はもう身を委ねる他なくなってしまう。
誰かの足音が聞こえる。廊下で騒いでいる。準備室で勉強するのが趣味の地味な女がこんな事をしてるなんて、誰が予想するだろう。
"嗚呼、なんて背徳的。これでいい。私達、どんどん壊れていくけれど、それでいいんだ。"それでいいと思えるのが、唯一、この瞬間だ。
「声出さないの、なんでだよ。」
苦しそうな、切なそうな、何故か楽しそうな、そんな表情を向けて問われても、優は嘘しか言わない。
「気持ち良くないの。」
彼の目をまっすぐ見て言うと、
「へぇ」
と言ってニヤッと意地悪そうに笑う。
これはちょっと、ヤバイかも。と彼女が思った頃にはもう遅い。
すっと身体を離し、身なりを整えて優と自分の荷物をまとめ始めると、わずか一分ほどでまるで何もなかったかのような状況を作り出し、振り返って優に一言「帰るぞ」とだけ彼は言った。帰るとはすなわち、彼のアパートにである。
優は、明日はきっと動けない。それに、帰りは絆創膏を買う必要があるなと思った。
あと、カミソリ。最優先だ。