豚も歩けばプリンスにあたった!
山梨比奈は朝から溜息を吐いた。
恐ろしいことに、体重が昨日よりも増えているからだ。
昨日までは65㎏を表示していたデジタル体重計が、今日は66.6㎏を示している。
1.6㎏も増えている!しかも666!不吉だ。悪魔の申し子よろしくと表示されたそれは、お世辞にも許せる範囲ではなかった。
ああああああ、最悪!比奈は二の腕を掴んだ。
むっちりとしていてとても骨へとは到達できないと思われる太さだった。さらに落ち込む。
どうしたことだろう、3日で1㎏ダイエットに成功したのに、4日目にリバウンドだなんて!比奈は奈落の底へと叩き落された。
ああ、昨日食べ過ぎたせいだわ・・・。
始業式を終えた昨日、怒りの余り妬け食いをしてしまったせいだ。
そして普段から便秘がちの比奈の体は、当然その食べた分の体積を排出できずに脂肪にせっせと変化させていた。
比奈は本当に泣きたくなった。
このまま学校を休んでしまいたい。
きっとこんなに太ってしまったのはストレス太りも含まれるはずだ。行きたくない。学校になんかいったって、豚だの牛だのデブだの言われて邪険にされるだけである。比奈だって人間なのだ。
なのに、デブには人権がないとばかりのあの仕打ち。思い出しただけで悔しさで震えが走り、血の気が引いた。
「比奈ちゃーん!今日から週番なんでしょう?学校行かなくていいの?」
母の野太い声が聞こえた。
母の体重は現在70㎏。明らかに肥満体質である。これは絶対遺伝だと母を酷く恨んだこともあった。しかし、太っていると泣く比奈を慰め、励まして希望を与えてくれるのも母だった。
ダイエットだと言って、お弁当を毎日残してきた時も、怒らずに毎日お弁当を作り続けてくれていた。
父に怒られて、初めて母が必死にダイエットメニューを考えてくれていたことを知った。
泣いている私に『ごめんね』と謝ってくれたのも母だった。
本当は解っている。母のせいではないのだ。それは言わせてはいけない言葉だったのだ。
そのときの母の悲しそうな顔を見て、その時比奈はとっても後悔したのだ。
だから、母をこれ以上悲しませることなど絶対にしたくなかった。
学校は行かなければいけない。現に、母は今日もお弁当を作って比奈を送り出そうとしてくれている。
優しい、優しい大好きなお母さん。
比奈はお弁当を受け取ると、行ってきますと言って家を出た。
しかし、一歩家を出ると、とっても憂鬱だった。
「あーあ、どうして私、プリンスと3年間も同じクラスなんだろう・・・」
そう、比奈が学校を嫌っている原因は、間接的とはいえプリンスと呼ばれる男の子が原因なのだ。
その男子生徒の名は桐生優雅という
。名前からしてセレブリティな血が流れていそうだが、その実プリンスはかなり巨大な貿易会社のご子息様である。
そして、神様はよほどプリンスが好きだったらしく2ブツも3ブツも与えたらしい。容姿端麗、成績優秀、スポーツ万能、その他、歌が上手い、バイオリンが出来る、何ヶ国語も喋れる、乗馬も得意etc・・・とか普段日常生活で使わないだろうオプションを当然のように兼ね備えているのだ。
勿論、そんな彼を周りの者達がほっとくわけがなく、プリンスには常に何人か取り巻きがおり、クラス中、いや学校中がプリンスを尊敬の眼差しで見ている。
みんながみんなプリンスを崇めているのである。
そして、偶然にもそんなプリンスと比奈は3年間同じクラスになってしまった。
昨日の始業式、比奈はクラス替え表を見て目を丸くした。そして青くなった。最終学年までプリンスと一緒だったのである!プリンスが理系クラスを選ぶという噂は既に学校中に広がっていた。それが一体どうして、何故文系クラスにいるのか。
しかも文系クラスは2クラスあるというのに、何も一緒のクラスにしなくてもいいではないか!神様は血も涙もない!比奈は目の前が真っ暗になり、昨日はあまりの悲しさに自制が効かず、妬け食いをしてしまったのである。
プリンスのせいだ。
そうだ。こんなに体重が増えてしまったのも、元を辿ればプリンスのせいなのである。
入学当初、比奈はデブというよりぽっちゃりといった感じだったし、それ程バカにされることもなかった。しかし、プリンスと同じクラスになったばかりに、そして隣同士の席になってしまったばかりに、女子から反感をかってしまったのである。
『プリンスに近づかないでよ、デブ』
最初はこんな感じだった。それが段々エスカレートして、暴力までは行かないものの、教科書を隠されたり、擦れ違いザマに暴言を吐かれたり、集団でからかわれたりといったことが頻繁に起こる様になったのである。
比奈はたまらず、視力が悪いので前の席がいいと偽りを言って、教師になんとか席を交換してもらったのだ。
そして、なるべくプリンスに近づかないように細心の注意を払って過ごしてきたのである。
そのかいあってか、そのうちイジメはおさまっていき、時折思い出したように「デブ」と罵られるだけになった。
1年と2年、ずっとプリンスの取り巻きにビクビクとして過ごしてきたので、今年はゆっくりできる。今度こそ友達が出来る!そう喜んでいたのにこの仕打ち!比奈は一晩中泣いた。
とはいっても、なってしまったものは仕方がない。一緒のクラスだったといっても、会話をした回数など片手で足りる。
今年もひたすらプリンスを避けていればいいのだ。比奈はそう思うことで自分を慰めた。
比奈は下駄箱に靴を入れて教室へ向かった。
もう一人の男子は確か新田君だったはずだ。
始業式後のホームルームで、一番前の席だからと週番に指名された哀れな犠牲者の1人である。
昨日は比奈によろしくと挨拶をしてくれたいい人だ。新田君なら大丈夫だと安心し、比奈は教室に足を踏み入れた。
「おはよう!!!」
突然、かなり大きなボリュームで挨拶された。そして、その相手を見て比奈は硬直した。
「・・・・・き、・・・りゅう君・・・・?・・」
挨拶も忘れて石になった。
何故なら、目の前にいたのは学校一美形と名高いプリンスこと桐生優雅その人だったからである。あまりのことに比奈は声がでない。
「・・ど、どうして・・・」
プリンスはサッカー部で、確か朝練をしているはずである。
この時間帯に教室にいることなどありえなかった。一体どういうことだろう?
「あ、うん、ちょっと新田が用事あるらしくて俺と週番代わったんだ」
「・・・・」
そんな!比奈は心の中で悲鳴をあげた。逃げなければ、比奈は重い体をめいいっぱい捻って後ろを向いた。それを阻止するようにプリンスが比奈の肩を掴む。しかも結構力が入っていて痛かった。
「・・っ」
比奈が苦痛の表情を浮かべると、プリンスは慌てて「ごめん!」とこれはまた大きな声で謝った。
そして大袈裟に手を離すと、「ごめん!痛かったか?!」と心配そうに声をかける。
「だ、大丈夫、」
比奈は怯えたようにして距離を取ろうと後ろに下がったが、プリンスは同じだけ距離をつめる。
「あのさ、ほら、山梨と俺って3年間一緒のクラスだったじゃん?すごい偶然だよな。週番も偶然一緒になったし、俺達縁があるっていうかさ・・・」
どこか照れたように話すプリンス、しかし、そんなプリンスの様子に構っている余裕はなかった。
プリンスに話しかけられてしまった。もし誰かに見られたイジメられる!
比奈は恐怖した。縁などさっぱり断ち切ってしまいたい。
「・・・・あっ、じゃあ私、か、花瓶の水かえるから・・」
比奈はプリンスから逃れるために、ロッカーの隅に置かれている花瓶を目指して、それを持ち上げる。あまりの緊張に心臓が壊れるくらい高鳴っている。
なるべく時間をかけて花瓶の水を替えて戻ってくると、桐生は既に黒板の掃除を終らせていた。
「じゃあ、日誌取りに行こう」
「・・・あ、うん・・・」
この学校は少し特殊で、職員室とクラスの校舎が別になっている。
渡り廊下で繋がっているとはいえ、やや遠い。その長い距離をプリンスと歩くなんて冗談じゃない。
2人で歩いている所をプリンスファンの誰かに見られたら苛められる。
「・・私取ってくるから、桐生君は教室にいていいよ」
「なんで?同じ週番なんだから一緒に行こうよ」
「えっ、でも」
貴方と一緒に行動すると私の平穏な日々が崩壊するんです!と叫びたいのを必死にこらえ、鈍い頭で必死に言い訳を考える。こういう時に限って頭が真っ白になるんだよね。
「どうしたの?行こう?」
プリンスに促され、比奈はブリキのようにぎこちなく従った。カリスマ系男子であるプリンスの要請を断れる人間がいたら見てみたい。
かくゆう私もプリンスには逆らえなかった。
なるべくプリンスとは距離をあけながら歩く。
さりげなく窓から外を眺めたりなんかして、別に一緒に歩いてなんかいませんよアピールを行う。まだ早いので、廊下を歩いている生徒がほとんどいないのが救いだ。
そんな比奈の努力もむなしく。プリンスはふり返って比奈に話しかけてくる。
「もしかして俺歩くの早い?」
「ううん。私がトロイだけだし。ごめんね、先に行っても構わないから」
むしろ私を置いてさっさと行ってしまって下さい。
「俺の方こそ、せっかちでごめんな。まだ時間あるしゆっくり行こうぜ。」
プリンスはさわやかにフォローを入れると、比奈の隣へと並んだ。
歩調を比奈に揃えてくれているのだろう随分と歩調がゆっくりになる。ああ!かえって裏目に出てしまった!
どうやってこの危機から逃れようかと頭を悩ませている比奈とは裏腹に、プリンスは「朝の廊下って綺麗だよな」とか、のんきに話している。
「そういえば山梨ってさ。古典得意だよな」
比奈は思わず瞠目した。確かに比奈は古典だけはかなり得意でいつも90点以上を取っていたが、何で知ってるんだろう?
「俺、苦手な教科って基本的にないんだけどさ、古典だけは駄目でさ。だから先生に相談したら、山梨は古典が得意だって言うからさ。」
あの村越の眼鏡ジジィ~、余計なことを!比奈は心の中でめいいっぱい古典教諭を罵った。
そんな比奈の心中を知ってか知らずか、プリンスはさらに爆弾を投下した。
「あのさ、俺に古典教えてくれない?」
「・・・えっ・・?」
「今度さ、古典教えてよ。」
「・・・ええっ?!・・」
そんな、天下のプリンス様に私が勉強を教えるなど、ありえない要請である。
これは社交辞令なのかも知れないと想いながらも、万一のことを考えて否定する。
「そんな、私そこまで得意じゃないし、桐生君になら、誰だって教えてくれるよ。先生だって・・」
「週番の時だけでいいからさ」
「えっ、でも」
そうこうしているうちに目的地まで到着。プリンスはさっさと職員室へ入ってしまった。
比奈は慌てて後を追う。断るタイミングを逃してしまった。
その後プリンスはサッカー部の顧問に呼ばれてしまい、結局比奈は1人で日誌を持って教室へ帰った。
自分の席に座ると、ドッと疲労感が押寄せてきた。
職員室へ行っただけなのになんという重労働。
あ、悪夢だ・・・。
これから一週間プリンスと週番なんて!
明日は絶対誰かに代わってもらおう!比奈はそう心に誓ったのだった。