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マイラが死んでも、リュカは驚くほど冷静でいられた。冷静でいる自分自身に驚いたほどだった。
――まあ、死んでしまったものは仕方ない。ハーレム計画から、彼女を抜かすだけのことだね。むしろ、マイラ一人よりも、目を付けていた同級生が何人も死んでしまったのが惜しい。
そう考えていたし、むしろこれは好都合かもしれないとも思っていた。マイラの夫もまた、病に倒れて帰らぬ人となっていたのだ。親族の居ないクリスは今や天涯孤独の身だった。
――天涯孤独なら、彼女に何が起きても気にする人間はいないだろうな。ある程度のことなら、今の僕ならもみ消せるし。
リュカはこの機会にメイド見習いであり、幼馴染である彼女を手篭にする気でいた。だからマイラとその夫の葬式がしめやかに行われたあと、さすがに疲れた顔をしているラファランにリュカは提案した。
身寄りのないクリスをグレーネス家に住み込みで働けるようにしてはどうかと。
もちろん、リュカが好きなときにクリスを呼び出せるように、という意図だったが、ラファランは家族同然だった人を亡くしたリュカと家族を亡くしたクリスが寂しがってるのではないか、不安に思っているのでないかと気がかりであったので、お互いのためになるだろう、と快く首を縦に振った。
リュカは慕っていたメイドが死んで悄然とうなだれている風を装いながら、物陰で舌を出した。
――両親を亡くして傷心の彼女なら、誑かすなんて朝飯前だね。むしろ、僕の他にそう考える輩が出るだろうな。彼女を狙っている男は同じ平民だけじゃなく貴族の子息も少なからずいるというし。なら、早いほうがいい。
ラファランは迅速だった。その日のうちに自らマイラの家に赴き、頑なに謝辞するクリスを説得し、屋敷の中にクリスの部屋まで用意した。クリスは何も知らずにお膳立てしてくれる父に感謝した。
その夜、適当な理由を付けてクリスを部屋に呼んだ。
「失礼いたします」
行儀良く部屋に入ってきたクリスを見て、リュカは驚いた。
「……髪、切ったんですね」
「ええ」
腰まであった銀髪が、今や肩にもかからないほど短くなっている。髪を切ったせいか、クリスがやたらと無表情に見えた。
――いや、思い違いじゃないな。
一歳年上の、良く笑い、良く怒り、よく泣いた彼女が、今は氷か何かのような冷たい顔をしていた。
リュカは悟る。
――僕は、彼女に死んだマイラの面影を見つけたかったのか。
マイラが居ないということを、リュカは初めて実感した。
「短いのも、お似合いですよ」
「ありがとうございます」
声が震えた。それにクリスが気づかないふりをしてくれたのが嬉しかった。
――泣いてはダメだぞ、僕。彼女を手篭にするんじゃなかったのか?
リュカは平静を装って予定通りのセリフを紡ぐ。
「子供の時のように、一緒に寝ませんか? それとも、僕ではお嫌でしょうか」
多少なりとも逡巡されると思っていたが、クリスは首を縦に振った。
「それが主君の命とあらば」
時代がかった、どちらかと言えば騎士が主君に言うような言葉。以前の彼女では考えられない言葉遣いに、リュカはもう限界だった。
「やめてくださいよ。そんな言い方」
苦笑は泣き笑いにしかならず、リュカは膝から崩れ落ちた。そんな彼をクリスが抱きかかえる。マイラと同じ、いい匂いがした。ここに生まれたとき、初めて嗅いだ香りだった。
「申し訳ありません」
クリスはリュカを強く抱きしめる。
「リュカ様は、お疲れなのです。お早めに、床につきましょう」
クリスの胸の中でリュカは何回も頷いた。
――そうだ。彼女の僕への気持ちを確かにするために、これは必要なことなんだ。別に、マイラが死んだ事が悲しいわけじゃない。
クリスに抱きかかえられ、リュカはベッドに寝かされる。クリスも、リュカの隣に体を滑り込ませ、再びリュカを抱きしめる。
「前から、両親には反対されていましたが、リュカ様を守るために騎士になろうと思ってたんです。ですから今日、髪を切り、口調を変えたのですが……。ダメですね、私は。」
リュカは、クリスも泣いてることに気づいた。
「明日からまた、リュカ様の騎士になりますから、今は、今だけはお許しください」
そう言って、クリスは一層強くリュカを抱きしめる。
結局、その日リュカはクリスを抱くことができなかった。