番外 クリスティアナは笑わない
クリティアナ・ブラッドは考える。
――もし、リュカ・L・グレーネスが生まれなかったなら、私はもっと普通の人生を送れていたのではないか。母のようにグレーネス家でメイドをして働き、どこかで人生の伴侶となる人と出会い、平凡な、幸せな一生を終えられたのではないか。
しかし、クリスが生まれて一年後、リュカが生まれ、誰の提案なのか、今となってはどうでもいいいことだが、リュカの遊び相手として屋敷で過ごすようになり、自然と彼に惹かれた。惹かれてしまった。
リュカへの恋心を自覚する頃には「身分違いの恋が実るのはお話の中でだけ」と悟ってしまっていたのが、彼女の不運だった。クリスは普通の女の子のように告白することもできず、ただその思いを膨らませていった。
――そんな時、ラファラン様からリュカ様やジル様と一緒に仕事を見ていて欲しいと言われた。今考えると、おそらく、ラファラン様は薄々私の気持ちに気づいていたのだろう。そして、ラファラン様は立場上、私の恋を諦めさせなくてはならなかった。だから、私がどんな身分の人間に恋をしているのか分からせようと思って同席させたのではないか。
結果として、その目論見はうまくいかなかった。
最初はただリュカと長く一緒にいたいがためにクリスが提案して始まった感想の言い合いで、予想以上にリュカが的確な感想を話したのだ。クリスはこの時、「私の主君はこの人だ」と自分の人生をリュカに捧げることを決めた。
――とは言っても、今思えばあの時のリュカ様は結構子供っぽいことも言っていたが。
時を同じくして、クリスは騎士という存在を知る。主君のために命をなげうってまで忠義を尽くすその姿が、自分の目指す姿と重なった。
――騎士になれば、一生リュカ様の隣にいることができる。私は、安直にそう考えたのだったな。
両親に騎士になりたいと無邪気に言って、猛反対されたことを思い出す。それ以来、両親を困らせたくない一心から騎士になりたいと言ったことはなかった。ただ、一生徒として同級生と談笑するとき、メイドとして働いているときなど、いつも心のどこかに騎士になった自分がいた。
騎士はもっと毅然としている。騎士は笑わない。騎士は泣かない。騎士は強い。騎士は戦場で邪魔になるから長髪ではない。騎士は騎士は騎士は騎士は…………。
全てはクリスが勝手に作り上げた騎士像の言っていることだったが、本物を知らない彼女にはそれが全てだった。
そうやって一人歩きしていった騎士像が次第に彼女自身を侵食し始めたのは、ジルが騎士団に行き、リュカがラファランの秘書じみたことを始めたあたりからだった。その内に、矛盾しているようだが、人前では以前のクリスを演じていたにも関わらず、以前の自分がわからなくなっていた。
そして、その騎士という人格は両親が死んで顕現する。
――両親が死んで、騎士になるという欲求に歯止めが効かなくなったな。騎士にあるまじき行為だ。
騎士にあるまじき行為も何も、そもそもの発端が騎士という人格のせいなのだが、今、彼女は自分の矛盾に気づけないでいた。
それでも、マイラの面影を欲し、それを得られないと悟ったリュカの涙で一旦彼女は元に戻った。しかし、彼女は自分が翌日にはまた騎士の人格に戻ることを分かっていた。だからこそ、彼女は「明日からまた、リュカ様の騎士になりますから」と言った。
わざと、『自分の意思で騎士として振舞っている』と思わせることで、リュカに希望を持たせたかったのだ。「いつかまた、マイラの面影を残すクリスに会える」という希望を。本当は「明日には、騎士に戻ってしまいますから」であるにも関わらず。
「なぜ、あんなことを言ったのだろうな。主よ」
そんな昨日の自分の気遣いを理解できず、目覚めたクリスは隣で寝ているリュカに話しかけた。
返事はなく、クリスは騎士であれば主君と褥を共にしないだろうと気づき、ベッドからいそいそと出た。
隣の人が居なくなったのを敏感に察知したのか、リュカが目を覚ます。
クリスは作った笑顔でおじぎをした。
「おはようございます。リュカ様」
リュカも気づかないほど、クリスの過去の自分を真似る技術は完璧だった。