一人
助けてくれ、と。
まず最初に叫んだ言葉は、それだった。
ここがどこかはわからない。森林なのか、辺りには草木が生い茂っていて、ただし自分が座り込んでいる場所だけは草の無い道で。
遭難と言うなら遭難なのだろう。
たぶん、そうなんだ。
ただし、私が助けを乞い求めたのは、この場所にいるからでも腹が減ったからでも怪我をしたからでもない。
「誰かあ!おぉーい!」
身体を全く動かさず、金縛りにでも遭ったかのように動かさず、私は口と肺だけ動かして、臆面も無い大声で叫ぶ。
良かった。どうやら、発声や呼吸に関する筋肉は例外らしい。
「大丈夫かー!?」
そうして、一人の男が駆け付けてくれた。
駆け付けたところで、何の意味も……いや、いい。
駆け付けたところで、私とその周囲の様子を見て、その男はやはり驚愕したのだった。
「何だ!?何があった!?」
「近づかないほうがいい!私だ!私がやったんだ!」
「何!?何を言っている!?」
私は身じろぎ一つせず、口だけでその男に声をかけた。手一つ、動かせないが……ただし言葉は通じるらしいから、それだけで表現した。
ところでその男、奇妙な服装であった。
私の国の服ではない。杞ではあんな服、見たことが無い。例えば私と同様に彼も男性であるが、その私の服とは似ても似つかず、かと言って女性用の衣服にも見えない。しかし、時たま聞く南蛮人の衣服の特徴と、一致するところもあるようには思う。
「どういうことだ!?お前がやったって…」
「見ての通りだ!こうして地を抉り、そこらの木々を無惨にも消し飛ばしたのが、私なんだ!」
私はありのまま説明する。
数刻前まで自らの家で火を起こしていたというのに、いきなり眩い光に包まれたかと思えば、気付いた時にはこんな場所に居たという時点で、私にわかることなど殆ど無いのだが……それでも私は、説明できることだけ説明する。
「何を……言っている?」
しかし、悲しくも案の定、男は私の言葉を解そうとしない。言葉は通じているが、私の言う内容に戸惑っている。
無理も無し。無理は無い…がしかし、そんなことは関係ない。私はどうしても、伝えるしか無いのだ。
「本当だ!私はさっきここで目が覚めて、普通に立ち上がろうとしたんだ!それだけで周りの木々がこうして壊れてしまったから、慌てて足を急に動かしただけのことで、それだけで突然空に飛び上がってしまって、ここに墜ちてきたんだ!その時に地面がこうして抉れて、砕け散った!」
私の身体は今、私が思ったようには動かないのだ。
私が思った動きを、これ以上無い程の力強さで、これ以上無い程の速度で、やってしまう。
これ以上無い力で、やってしまう。
これ異常な威力で、やってしまう。
そんな力と速度を私が制御できる筈もなく、ほんの少し手を左に動かそうとしただけで、急に腕が物凄い勢いで左に振れて、辺り一帯の木々を衝撃波だけで薙ぎ倒してしまうのだ。
私の必死の訴えに、男は黙り込んだ。それは恐らく、困惑と半信半疑の気持ちに胸を悩ませていたのだろう。
私が必死に説明を繰り返し、その男は私の言葉を吟味する。そんな、やり取りとも言えない行為で幾ばくかの時を経た後、男は言った。
「ならば、試しに何か、動いてみてくれ」
「何を言うか!?私が動くのは危険だ!」
「吾輩のいない方向へ向かって、軽く指を動かしてみるだけで良い。その動きを見て、お前の言葉の真偽を判断しよう」
「それは……まあ……」
私は初め、何か言いくるめられたような、不満と不服を残しているような、しかもそれは相手にとっても良からぬことなのかも知れない時のような不安な心境であったが、冷静になればその提案も尤もだと思って、意を決してそれに従うまでには、そう時間はかからなかった。
そう時間をかけもせずに。
こんな場合の話だのに。
愚かにも、冷静に考えてしまった。
「ならば動かすぞ。しっかり見ていてくれ」
「ああ、見ている」
やはり私が動く訳にはいかないので、代わりにその男に私の背後へ回り込んでもらった上で、私は右手の人差し指をゆっくりと、ゆっくりと、ゆっくりと、
「はあ、はあ、はあ、はあ、はあ」
「そんなに遅くやらなくても……」
ゆっくりとゆっくりとゆっくりとゆっくりと、気の遠くなるような遅い動きで立てて、それから合図として、数を数えた。
「一、二の……三」
ーーー嗚呼、全く不可解だ。
私がその指をほんの少し、指の付け根の動きだけでほんの軽ぅく左に一振りしようとしただけで、訳のわからぬ爆音が鳴り響いた。
いや、実際にはその指の動きは、目で追えるような程度ののろい動きだったとはとても言えないが……
激しい光と、ビリビリと私の顔に伝わってくる衝撃波。
心なしか、顔や手が熱いような気もする。
触れてもいないのに、空中を伝わった衝撃波だけで大きく揺れる木々。元から倒れそうになっていた細い木なんかは、とどめを刺されたように根こそぎ倒れたりもした。
木々の葉と、辺りの地面から飛び上がった砂に、思わず私は目を瞑る。顔に枯れ葉が当たるような感覚に、ふと違和感を覚える。
そうして、多少はそれらの舞い上がりも落ち着いた辺りで、私は目を開け、改めて背後の男に呼びかけた。
「これでわかったろう?」
けれども背後からは、返事が来ない。
何度呼びかけても、背後からは何か、あ、あ、という意味を持たない声が聞こえてくるばかり。
痺れを切らした私は、ゆっくりと、ゆっくりゆっくりゆっくり身体を回し、永遠のような時間にも思える程の長い時間をかけて背後にいる男に向き直って、後ろの状況を確認しようとした。
だが。
私がゆっくりと、針に穴を通す時のような慎重さで、なまじそんな遅さで振り返っていたがために、時間がかかりすぎてしまったのだ。
遅かったから、遅すぎた。
「……え?」
もう少しでその男が視界に入るぞというところで、どさっ、と、その男がいたであろう位置から音が聴こえて……何事かと気になって、私は思わず、普通に振り向いてしまった。
普通に……つまりは超高速で、振り返ってしまった。
刹那、男の姿が視界の端に映って。
皮膚がずたずたに裂け、どろどろに融け、眼は破壊されてドロっと垂れ下がっている男が、尻餅をついて座っているのが、視界の端に映って。
「あぁ…!」
私が振り向き、彼を視界に映した、その瞬間。
二人は奇しくも同じ表情であった。
一方は、身体の苦痛と、恐怖で。
もう一方は、痛恨への後悔と、恐怖で。
引きつった顔が向き合い、目が合ったような気がして。
そしてそれで、終わりだった。
「あ……うあああああああああああ!!!!!」
次の瞬間には、終わっていた。
泣き叫ぶ私の眼前には、振り返ったことで生じた衝撃波で吹き飛んだ男の身体の、かろうじて残った光沢のある遺骨が、ただ積もり始めの雪のように、融けきらずにあるだけだった。




