入れ替わり1
王女様の日常をリアルタイムで見られるなんて、楽しそう。
……なんて気持ちが甘かったことを、私はすぐに理解した。
私はラピスが意識を失っている間に、どうやらラピスの身体に入り込んでしまったようだ。だからその前のラピスの記憶はない。ただラピスがその時のことを思い出すと、記憶と感情が流れ込んでくる。ラピスから聞いた話で、結婚相手とうまくいっていないことはわかっていた。その時に感じたラピスの気持ちも決して楽しい物ではなかったし。
でも……こんなにひどいなんて。
『お目覚めになったようで、なによりです』
翌朝、ラピスの寝室にやってきたラズリー王子は、能面を張り付けたような顔でラピスを見下ろした。
『それだけ?あなたのせいで、ラピスは階段から落ちたのですよ』
ベッドのそばについていたラピスのお母さんが、ラズリー王子を責める。それはそうだ。大事な娘が危ない目にあったんだから、怒るのは当然のこと。
『……あれは、事故です』
王子の表情から、感情は読み取れない。
なんて言いぐさだ。確かにわざとじゃなかったのかもしれないけど、そこは謝罪するのが当然なのでは?実際にラズリーは、大きな怪我にはならなかったものの一時意識を失っていたのだし、あちこちに打撲を負った。
『まぁ、謝りもしないおつもりなの!?』
そうだそうだ!と私はお母さんに声援を送る。もっと言ってやれ!
だがラピスの気持ちは、私とは違ったようだ。
『お母さま。私は大丈夫です。私がぼんやり立っていたのが悪かったのですわ。幸い、大事にはならなかったのですし』
えー!?ラピスいい子すぎる!こんな王子を庇ってやるなんて!
もっと文句を言っても良い場面なのに。しかもなんだそのふてくされた態度は。
『……本日のお披露目は問題なさそうですか』
いや本当に、気にするのそこじゃないよね!?ラピスの体調より、お披露目の方が大事ってこと!?
確かに大事な行事かもしれないけど、そこは先に体調の心配をすべきでしょうが!!
案の定、お母さんは怒り心頭だ。
『この婚約を、なかったことにしても良いのですよ!』
そりゃそうだ。大事な娘を、こんな思いやりのない男と結婚させるなんて、いくら政略結婚と言えど母親としては許せないだろう。
すると王子は、信じられないような冷たい目でお母さんに視線をやった。
『……なるほど。モルガン王国は15年もの間守られていた約束を、勝手な理由で反故にするおつもりなのですね』
『……!』
確かに、王女の駆け落ち……なんて、勝手すぎる理由だ。婚約を条件にモルガンはラズリーの資源をもらい受けていたのだ。その代わりに金銭的な援助をしていたとはいえ、先に約束を破ったのはモルガンのほう。
ラズリー王子の言うことはもっともだけど…でも、ここまで冷たい態度をとっておいて、その言い草はないだろう。
まだ15歳の王女を労わる気持ちが少しもないなんて。悲しくて、悔しくてじわ、と涙がにじんだ。
それでもラピスの口から出るのは、場を収めるための言葉ばかりだ。
『リアトリス様、母は混乱しています。失言をお許しくださいませ。私は何の問題もありません。お披露目の時間までには参りますので』
『……それなら結構』
ラピスの言葉に、ラズリー王子はちら、と視線をやってそれだけ言った。
そのまま退出の挨拶もなく、踵を返して去っていく。
いや……さすがに失礼すぎる……。
私が唖然としていると、しくしくと悲しげな泣き声が聞こえてきた。ラピスのお母さんだ。
『なんてこと……あんな……あんな男に、大事なラピスを嫁がせなければならないなんて……』
あんな冷たくて、娘を全然大事にしてくれそうにない男に、こんなにかわいいラピスを嫁がせるなんて、母親としては胸がつぶれる思いだろう。だがそれを拒めばどうなるか。戦争になったって不思議ではないことは、さすがの私でもわかった。王女の駆け落ちで婚約がなくなったなんて、向こうのメンツは丸潰れだ。国力…については私はわからないけれど、たとえどんな結果になろうとモルガン側が悪い戦争になるだろう。
今もラピスの胸の痛みがじくじく伝わってくる。それでも、自分の気持ちなんて後回しにして、ラピスは微笑んでいる。
『お母さま、ご心配なさらないで。私、ラズリーのことをたくさん勉強しましたわ。いつかリアトリス様にも分かっていただけると信じています』
多分ラピスも言葉通りに思っているわけではないだろう。ただ母親をなだめるために、そう言っているのだ。
それが痛いほど伝わってくる。
いつの間にかお母さんだけでなく、近くにいたメイドたちもしくしくと泣いていた。そんな中、一番泣きたいはずのラピスだけが微笑んでいた。