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ホルスタインは主役の妻の座を獲得する夢を見る

ここが、土の精霊王の住処。


私はミリウスたちを振り返らずに言った。


「はい、着きましたー。ここが土の精霊王の神殿でーす。……じゃ、私は逃げるように踵を返したそのとき――

ガシッと、腕をつかまれた。


「え?」


振り返ると、ミリウスがいた。


顔が、いつものミリウスじゃなかった。


どこかニヤけてて、目が座ってて……変だった。


「せっかく来たんだ。もうちょっと楽しんでいこうぜ?」


「え、え? ちょっと、何言って……!?」


私は思わず助けを求めるようにエルミィを見た。


エルミィは、腕を組んで、にこにこと笑っていた。


(あれ? なんか、変じゃない?)


ミリウスの手が、妙に自由奔放になってきて、

息も荒くて――


「……なにこの状況っ!?」


私は叫ぼうとした。


……のに、声が出なかった。


体も動かない。


私は、寝袋の中で跳ね起きた。


「……っは!」


目を見開くと、風が静かに吹いていた。

まだ夜明け前。火も静かに燻っている。


私は、汗をかいていた。

どっと疲れが押し寄せる。


エルミィが、隣でまだ寝ている。ミリウスも。

……マークワンは目を光らせて、こっちを見ていた。


《風の精霊様、呼吸乱れ、心拍上昇、発汗確認。興奮状態と見られます》


「う、うるさいっ!」


私は寝袋をかぶりなおした。


(なにあれ……っ! 私、何の夢見てたの!?

いや、なんであの二人が……!?

っていうかミリウス、あんな顔しないし!)


……なのに、

なんか、ほんの少しだけ顔が熱くなってるのは――

気のせいだ。絶対に。

「はい、着きましたー。ここが土の精霊王の神殿でーす」


私はいつも通りの口調で言い終えると、

さりげなく、誰にも気づかれないように、くるりと踵を返した。


(ここまで案内したし、役目は終わりってことで……)


こっそり抜けようとした、そのときだった。


後ろから――ふわりと、誰かの手が、私の腕をとらえた。


(えっ!?)


反射的に振り返る。


ミリウスだった。


でも、顔が……

いつも同じ

柔らかく、優しく、笑っていた。


「ありがとう、シルフ。ここまで案内してくれて助かった」


ぽん、と軽く手を離してくれる。

それだけで終わった。


私は、立ち尽くしていた。


(……え? それだけ?)


夢と、違う。

変に押し倒されることも、抱きしめられることも――何も、なかった。


優しくて、丁寧で、ちゃんとしていて、完璧に“ミリウス”だった。


私は口を開きかけて、何も言えなくて、

代わりに息が漏れる。


……なんか、変な感じだった。


胸の奥が、もやっとする。


(なにこれ……?)


エルミィの方を見る。

なんか嬉しそうにこっちを見てる。

むしろ、ちょっと得意げ。


私は、眉をひそめながら、内心で叫んだ。


(私……もしかして――

ミリウスのこと、そういう目で見てた!?)


瞬間、顔が熱くなる。


風の精霊なのに、自分の顔に風を送って冷やしたくなった。


夢のせい。きっと、全部夢のせい。


でもそのあと、足元がふわふわしてたのは、

気のせいじゃ――なかった。


私は一歩、彼らの背中を見つめたまま、口を開いた。


「……まぁ、せっかくだし? 土の精霊王の試練も最後まで見届けようかなって」


エルミィがちらりと振り返ってくる。

マルカは何も言わずににやっと笑っていた。


「案内した身として、途中で帰るのも無責任だし? そういうの、風の精霊としてどうかと思うし?」


そう、私は軽く言いながら、誰にも悟られないように小さく息を吐く。


(……本当は)


本当は、違う。


私、ミリウスのこと、気になってる。


あの優しい手の感触。

夢の中とは違う、静かで温かい“解放”。


力ずくでもない、からかいでもない。

ただ、ちゃんと「ありがとう」と言ってくれた。


たったそれだけで、胸が――ふわっと、揺れた。


(……私は、今まで誰かに触れられても、あんなふうに感じたことなんてなかったのに)


火のように熱くもなく、水のように潤すでもなく、

風のように、そっと吹いていく優しさ。


それを、私の中の“なにか”が、求めてしまった。


(……なにそれ。私、なに考えてんの)


自分で自分にツッコミを入れながらも、

私はもう、あの風の道に戻れないと、気づいていた。


「――まぁ、もうちょっとだけ付き合ってやるわよ、あんたたち」


誰に言うでもなく、私はぽつりと呟いた。


たぶん、それでいい。

少しくらい、風が寄り道しても――いいよね?


私は、もう一歩だけ前に出た。


(……決めた。少しくらいは、付き合う。風のくせに寄り道するけど、それでもいい)


そんな覚悟を決めた直後――


エルミィの視線が、鋭くこちらに突き刺さった。


それは、まるで――


泥棒猫を見る目だった。


(……ひっ)


視線だけで、肺の空気が全部抜けそうになる。

しかも、あの子、にこりともしていない。目元だけ、冷たい。


イフリートは、うんうんと納得顔。

(うん、そうなるよねー)って感じで。


ウインディーネにいたっては、もはや予想通りという顔で、視線をそらした。


(えっ、ちょっと待って? この空気、私が悪いの?)


私は内心、悲鳴を上げた。

言っておくけど、私はまだ何もしてない。何も奪ってない。触れてもいない!

……夢の中ではちょっとアレだったけど、あれは私の責任じゃない!


(あれ? 私の命日って、今日?)


エルミィの瞳が、地の底よりも冷たい色を帯びる。

あれだ。あの目だ。気に入ってた猫が近所の野良と仲良くしてるのを見てしまった、

“極限状態の幼女”の目だ。


イフリートは口元を押さえながら、何故かよだれを拭っている。

ウインディーネは背後でマークワンの冷却ファンに隠れている。


(逃げ道、なし)


私はすこし背筋を伸ばして、呼吸を整えた。


「……よ、よろしくお願いします。しばらく、ご一緒させてください……」


精一杯の笑顔で、できるだけ角が立たないように頭を下げる。

だけど――


エルミィの目は、言っていた。


「ミリウスは私の物」


(ああ……風の精霊って、本来、もっと自由で軽やかなものだったんじゃないの?)


私は空を仰いで思った。


あの青い空に、私の墓標が、軽く揺れていた。



-ゴゴゴゴゴ……


地響きとともに、石の奥から土の精霊王が現れた。

顔はまさに大地そのもの。でかい。ごつい。無口そう。


だが開口一番、思いがけないことを言い出した。


「――試練だ。おぬしらに問う。“おπの体積を求めよ”」


……場が静まり返った。


俺たちの視線が、一斉にマルカへ向く。


マルカは書類を閉じ、ゆっくりと立ち上がった。


「はいはい出ましたー、神のクセに“近似値問題”持ってくるタイプ」


土の精霊王が一瞬だけ眉をピクリと動かした。


「“π”は近似値なんですよ、王。

おまけに“乳房の体積”って、対象が変形可能な柔らかい物体でしょ?

どんな数式を持ち込んでも、正確には求まりません」


土の精霊王、沈黙。


マルカは続ける。


「それに、羞恥を覚える対象に対して“測定”を課す試練は、

倫理的にもアウトです。試練不成立です」


さらに追い討ち。


「証明します? 国王の御前で?」


土の精霊王、眉間に皺を寄せて、うめいた。


「……むぅ……た、確かに……

試練、論理破綻……我、自らの過ちを認めざるをえぬ……」


その場に、静かな風が吹いた。


エルミィがひとこと。


「そもそもあれ試練じゃなくて、ただの性癖の露出では……?」


ウインディーネが水を出して、土の精霊王の顔を冷やす。


土の精霊王はごほごほ咳き込んでから、

静かに手をかざし、土の証を俺たちの前に差し出した。


「……納得いかぬが、敗北は敗北。受け取るがよい」


俺はそっと受け取った。


ゴツゴツしてるけど、ほんのり温かい土の証。

でも、たぶんこれは“敗北の証”でもある。


マルカが小さくつぶやいた。


「……やっぱり神様も穴だらけね」


それを聞いていたノームが、そっと自分の胸を隠したのは――

多分、偶然ではない。


その頃、神殿の奥――いわば舞台袖。

薄暗い通路の裏で、土の精霊王の娘・ノームはそわそわと待機していた。


「……まだぁ?」


顔を出してステージの様子を覗き込むが、

そこにはマルカが腕組み仁王立ちして、うちの父――土の精霊王――に向かって全力説教中。


(また、やり込められてる……っ!)


ノームは両手で自分の頭を押さえた。


日に焼けた健康的な小麦色の肌、

精霊娘とは思えぬ筋肉量、そして――


目を見張るほどのバスト。


「……こっちは全部準備できてんのよ! 台詞も練習したし、ポーズも考えたし!」


マークワンにちょっかい出す入り口とか、

粘土をこねて「これが私の器です」とか、

パン作りでトーマスと共演とか、色々な可能性を頭に描いていたのに。


なのに、父があっさり「証を渡す」と言ってしまったのだ。


「ねえパパ! 空気読んで! 私のターン、まだ来てないよ!

 証を渡すのはあとでいいじゃん!? あと数行で良かったじゃん!」


彼女の声は舞台には届かない。

精霊王は「敗北を認めよう……」とか言ってる。


ノームは必死に祈った。


(頼む、だれか! 誰でもいいから! 話をもう一波乱こじらせて!!)


でも舞台は徐々に幕引きムード。


ノームは唇をかみ、

自らの豊かな胸元を見下ろしてつぶやいた。


「このサイズ……活かす場面、なかったら……マジで父親、恨むからね」


と、そのときだった。


エルミィの視線が、ちらりと舞台袖のこちらを捉えた――ような気がした。


(……これは、ワンチャンあるかも?)


ノームの表情に、わずかに火が灯った。


舞台は終わらせない――

風の精霊が寄り道するなら、土も揺れていいはずだ。


次の展開で、ノームが「土の器と心の器」で勝負を挑む気配が漂い始めた。


土の精霊王は、証を渡しながら、

まるで何気ないような口調でこう言った。


「……そして、この証を受け取った者には、

 我が娘――ノームを、同行させようと思う」


その場に、一瞬だけ重力が増した。


ウインディーネ、イフリート、シルフ――

三人の精霊王の娘たちが、同時に、静かに、首を横に振る。


それはもう、ものすごく緩やかに。

まるで“断頭台に送られる哀れな子羊”に、無言の弔意を送るかのように。


ノームは舞台袖で、ピクリと動きを止めた。


(えっ? 今、何て?)


だが、生殺与奪権を持つ者――つまりエルミィが、即座に発言した。


「さっき、舞台袖でね。ホルスタインの幻覚を見たの」


静寂が走った。


「胸ばかり大きくって、脳に栄養が行ってない顔をしてたの。

 ああいうのって、ほんとに興味ないのよね」


土の精霊王の指先がピクリと震えた。

(え、まさか我が娘のこと……?)


エルミィはなおも続ける。言葉に迷いはない。


「揃いも揃って、精霊王たちは馬鹿なの。

 二言目には『お兄ちゃんの嫁候補にどう?』とか言い出すし。

 私だけで、充分に兄を満足させられるってのに」


一同、呼吸を忘れる。

エルミィの背後で空気が凍る。


「父のベッドの下の書籍だって、既に読破済みよ」


精霊三人娘――ウインディーネ、イフリート、シルフは、

その瞬間、ぴくりとも動かなくなった。


顔は真っ青。口元が微かに引きつっている。


(読破……!?)


(何を……!?)


(あの兄上専用……!?)


マークワンは《映像記録の送信準備完了》とつぶやき、

マルカは袖の影で腹筋が崩壊しかけていた。


土の精霊王は、完全に沈黙。


そして舞台袖のノームは――


「……パパ。

 これ、私の出番どころか、私の命日じゃない?」


と、棒読みでつぶやいた。



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