生物兵器
「お姉ちゃん……ボスの恐ろしさを知らないから強気でいられるんだよ」
シグルの声は、いつになく低く、震えていた。
「世の中には、絶対に喧嘩を売っちゃいけない人がいる。お姉ちゃんが今、その人に喧嘩を売ろうとしてるのを……俺は黙って見過ごせない」
そう言うと、シグルはマルカさんの足元に這いつくばり、額を地面にこすりつける勢いで頭を下げた。
「ボス……堪忍遣わさい……!!!」
どこの方言かわからないその言葉を、シグルは真剣そのものの表情で吐き出す。
ふざけてなどいなかった。
その光景を見た瞬間、トマティの表情がわずかに揺れた。
──妹の不在により、彼女が龍界を代理で治めている。しかし、純粋な実力では妹の方が上。その妹が、かつてこの女に対して“怯えた表情”を見せたことがある。
(……妹が恐れた存在。それが、この女……?)
今になって、トマティは自分の判断の誤りを悟る。
一方、酔いつぶれていたはずの精霊四人娘も、次第に現状の危険度に気づき始めた。
「やばい……義理の母さんの実家ごと、地上から消されるかも……」
「……これ、ほんとに洒落になんないやつ……」
「逃げても無駄なやつ……だよね……?」
「こ、こんなところで“家系図ごと蒸発”とか嫌だぁぁぁ……!」
四人はお互いの肩を抱き合い、小刻みに震え始める。
その一方で、マルカさんはいつも通りの調子で、
「マークワンのリミッター、外しちゃおうか♪」
などと呑気に呟いている。悪いことに、それが冗談なのか本気なのか誰にも判別できない。
そして──
ビチャァッ……!!!
先ほどマルカさんのお酌をしていた踊り子の一人が、耐えきれなくなったのか、目を虚ろにしたまま口いっぱいに吐瀉物を撒き散らした。
龍界の空気が、完全に凍りついた。




