冥界パン屋
マルカは、シグルにご飯を与えながら話を促した。
シグルは言う。
「で、いつ正体を明かすの? 他の動物は言葉なんて話さないよ」
自分のことはさておき、シグルはセバスチャンに問いかける。
セバスチャンは笑いながら言った。
「……いつから気がついていましたか?」
「最初から」
シグルは、あっさり答えた。
「そうですか」
セバスチャンはうなずいた。
「合格です。冥界の門を通ることを許可しましょう」
シグルは、少しだけ不安そうに尋ねた。
「……死なないよね? ちゃんと、戻って来られるよね?」
セバスチャンは愉快そうに微笑んだ。
「らしくありませんね、シグル様。……もし、私が嘘つきだったら、どうしますか?」
シグルは、少し考えてから、さらりと答えた。
「そしたら……自分の見立てが悪かったってことになるかな」
セバスチャンは、心から嬉しそうに言った。
「――とても、シグル様らしい」
冥界も、思っていたよりずっと普通だった。
ここは、死者が天へ昇るための中継点――魂を整え、旅立ちを待つ街。
シグルは石畳の通りを歩いていた。
ふと、香ばしい匂いが鼻をくすぐる。
懐かしい……パンの匂いだ。
思わず袖で口元を拭った。
セバスチャンが渡してくれた冥界通貨――3枚。
「シグル様、ご自由にお使いください」
匂いを辿って行きついたのは、小さなパン屋。
看板もなく、店先も静かだったが、香りがすべてを語っていた。
中に入ると、店にはひとりの女性だけ。
年齢は……よく分からない。
見た目は中年ほど、でも背筋はぴんと伸び、動きに迷いがない。
「パンをください!」
シグルが声をかけると、女性は黙ってパンを袋に詰め、代金を受け取った。
ひと口――
その瞬間、体がふわりと浮くような感覚に包まれた。
「……美味しい……!」
一瞬で胃袋を掴まれた。
だが、もうコインはない。
「どうしたら、またこのパンが食べられるの?」
女性は、穏やかな声で言った。
「一日、店を手伝えば3枚。働きがよければ、もう1枚」
そして、シグルがパン棚を整え始める手元を、そっと見つめる。
ふっと笑って、ぽつりと一言。
「……あなたのその動き。地上で教え込まれたわね。……あの娘に、違いない」
それだけ。
それ以上、誰の名前も出さなかった。
静かに、焼きたてのパンをまた窯に入れていった。
その後ろ姿を見ながら、シグルは小さく呟いた。
「……この人の方が、上手いかも」
それは、敬意でも、劣等感でもない。
ただ、純粋な職人としての――実感だった。




