バトンはミリウスへ
ルカは退廷の前、扉の前でふと立ち止まり、振り返った。
その視線の先は――エルミィ。
声にせず、ただその瞳だけで語りかける。
(私の行動が、あなたの背中を押すことになったのなら……)
(ミリウスの行動を責めるだけではなく、あなた自身の“行動”も、どうか――)
――顧みてください。
エルミィはルカの視線から目を逸らせなかった。
その瞳に込められた、静かで強い“問い”のような何かが、胸の奥を小さく震わせる。
(……私の、行動……?)
ルカは何も言わず、扉の向こうへと静かに消えていった。
そして、エルミィは小さく唇を噛む。
(……分かってる。分かってるのに……っ)
自分がまだ“何者”にもなれていないことを、エルミィ自身が一番知っていた」
「さて、そろそろ本題に入りましょうか」
エルミィは一歩前に出て、ミリウスの正面に立った。傍聴席にいる三精霊娘も、ノームも、息を呑んで見守っている。
エルミィは目を細め、やや低めの声で静かに問う。
「ミリウス。あなたが、今この場に立たされている理由……わかっている?」
ミリウスは、少しだけ目を伏せてから、ぼそりと答えた。
「……ノームの膝枕?」
会場全体が「それな!」と空気で同意しそうになったが、エルミィは即座にぴしゃり。
「――不正解。」
一拍置いて、声を張る。
「被告ミリウス。あなたに問う罪は、心の誠実さの欠如、恋愛感情の曖昧なまま放置、女性たちの信頼を弄んだこと……そして何より――」
彼女の瞳が鋭く光る。
「――私の気持ちを、ちゃんと見ようとしなかった罪です!」
ミリウスは目を見開く。
一瞬、何か言おうとしたが、口を開いたまま言葉が出てこない。
その姿に、ウインディーネは水を吹きそうになり、イフリートは「なるほど、心の火だな」と妙に納得していた。
シルフは「風のように流せない感情ですね」と、小さく呟いた。
エルミィは、ミリウスの答えを待つ。
静かな空気の中――裁かれるのは、彼の“気持ち”そのものだった。
俺は口を開こうとして、喉の奥が詰まったように言葉が出てこなかった。
心の誠実さ、恋愛感情の曖昧さ、信頼を弄ぶ――
それが、俺に問われた罪。
目の前に立つエルミィは、真剣だった。
頬は紅潮し、瞳は震えていたが、逃げも隠れもしないまなざしだった。
いつもみたいに「お兄ちゃん、ばかーっ!」って叫んで、終わりじゃない。
今度ばかりは――俺も逃げられない。
「……悪かった」
ようやく、出てきたのは、それだけだった。
情けない。だけど、それが俺の精一杯だった。
エルミィは、しばらく何も言わなかった。
ただ、俺の顔をじっと見ていた。
その沈黙の間に、俺は少しずつ続きを言葉に変えていく。
「俺は……自分が誰を好きかなんて、ちゃんと考えたことなかった。
でも、お前が怒って、泣きそうになって、俺を引っ張ってくれて……
それが、どれだけ――嬉しかったか、分かったんだ」
「俺は、お前に……ずっと守られてたんだなって」
エルミィの目が、わずかに潤む。
「俺は、バカで、情けなくて、すぐ他の女の膝に転がるような奴だけど……
それでも、お前が隣にいてくれるなら、俺は――」
言葉が詰まる。
静寂の中、ウインディーネがぽつりと呟く。
「……これは、キマシタね」
イフリートは肩をすくめて、「結局、炎はおさまる先を見つけるのさ」と言った。
シルフはため息混じりに、「まあ、風も落ち着くところが必要ですしね」とうなずいた。
マークワンは無言で記録データに「※恋愛裁判、和解の兆候あり」と打ち込んだ。
そして――エルミィは、すっと手を伸ばして、俺の胸元を軽く押す。
「バカ……でも、もうちょっと言わせてあげる」
「罰として、あと百回は好きって言わせるからね」
俺は、静かに笑った。
「……わかった。百回、言うよ。お前が許してくれるなら、何度でも」




