没落貴族
没落貴族が身を立てるには、ある程度の権威が必要である。
没落したとはいえ、元は貴族。王立音楽院に籍を置くこと自体に問題はなかった。
――なかったのだが。
貴族のための音楽院である以上、入学金・授業料・生活費などは高額であり、
没落した実家に頼ることはできなかった。
そこで私は、この国でも一、二を争う工房に金を借りることにした。
担保は、自分自身。
音楽院を卒業した暁には、豪商のお抱え楽団員として雇われること。
それが条件だった。
工房の方も、“天下の王立音楽院卒の楽団員”を抱えることで商売に箔がつく。
双方にとって、得になることしかなかった。
――私が、音楽院を卒業できればの話だが。
卒業課題の練習中、私は指の腱を切ってしまった。
そして結局、課題曲を仕上げることができなかった。
王立音楽院は、“才能”と“財力”のある者しかその席を認めない。
そのどちらも持たない私は、放校処分となった。
放校処分になった私が音楽院の門を出た途端、工房の手の者たちに拉致された。
馬車に押し込められ、工房の応接室へ。
ほぼ軟禁状態で、半日待たされた。
待ち人は――この工房の女主人、マルカ・イノウ。
マルカは応接室のテーブルを挟んで、反対側の席にゆったりと座った。
そして開口一番、こう言った。
「坊や、大きくなったね。七年ぶりかね」
私は冷静を装って答える。
「マルカさんの情報網には驚かされました」
「校門を出てすぐに、こうして“ご招待”いただけるとは」
マルカは笑って言った。
「急に招待して、すまなかったね」
「私も、ほら。何かと忙しい身だから」
私は視線をまっすぐに向けたまま、低く言った。
「腹の探り合いはここまでにして、本題に入りましょう」
マルカは目を細めた。
「坊やの方から切り出すとはね……。で、金の返済はどうするつもりだい?」
私はゆっくり息を吐いてから答える。
「マルカさんみたいな、やり手が――不当たりになるような貸し付けしかしないとは思っていません」
「きっと、何か“保険”をかけているはずです」
マルカはふっと笑った。
「坊やにも高く評価されたもんだね。――それ以上に、私は坊やを高く評価しているんだが」
マルカの天秤にかけられている。
私の答え一つで、これからの人生が決まる。
私の命を奪ったところで、マルカにとって得にはならない。
それに、わざわざ私をここまで拉致してきたということは、私に――何か“させたいこと”があるのだ。
だから私は、真正面から尋ねた。
「マルカさん。――“正解”を、教えてください」
マルカはゆっくり一つ息をついて、答えにならない“答え”を吐き出した。
「エルミィブラックウッド」
ブラックグウッド家は名門中の名門。
宮廷音楽隊を数多く輩出した名家だ。音楽家を志した者で、知らぬ者などいない。
下手をすれば、王族の面々より有名だぞ。
「エルミィ様がどうなされたんですか?」
マルカは目をそらした。
私は何かを察して、
「……じゃ、失礼します」
自分の鞄を引き寄せて、席を立とうとした。
マルカは慌てて、
「ちょっ、一寸待てぃ!」
――これは、話を聞いてはいけない流れだ。
話を聞いた途端に、命の一つや二つ、平気で晒される流れだ。
命は一つ。命、大事に。
私は回れ右をして、出口へ向かって歩き出した。
マルカは済まなそうな声でつぶやいた。
「ごめん、坊や……もう遅いんだよ」
私は歩みを止めて、頭をフル回転させた。
――どの時点で、引き返せなくなったのか。
……分からない。
再び回れ右をして、椅子に座り直した。
マルカは、私が座り直すのを待っていたかのように言った。
マルカは再び、名門の名を口にした。
「エルミィ・ブラックウッド」
「そして――坊やの名前は?」
「ミリウス・レッドウッド」