深海の果てには
貯金は二千万。
僕はここにいる四人の親友に出会うまで友達と呼べる人は生まれてこのかた誰もいなかった。彼女と呼べる人だってナナコさんと知り合うまではずっといなかった。
アパートでの長い一人暮らし。
稼いだ給料のほとんどは貯金に回る生活の日々。
だけど今、僕には友人がいる。
親友がいる。
ツレ。ダチ。マブダチ。
呼び名はなんだっていい。
僕の存在を認識してくれて、僕の話に耳を傾けてくれる。それが嬉しくて嬉しくてたまらないのだ。
ぞくぞくとするような喜びが満天の星空のように心のあらゆるところが光輝いているのだ。
僕は君達を想いたい。そして願いたいんだ。
フレンドとして出会ったこの縁をなによりも大切にしたい。
友達の存在は生きるすべての色を変えるものなんだと教えてくれた。僕は28年間生きて″友″を知った。
竹田さん。あだ名はシンゲンちゃん。
シンゲンちゃんとの出会いは深夜の国道脇にある停車場だった。激しく行き交う車を見ながら話してくれた。
「わしはトラックの運転手でな、飼ってる三匹の猫を世話することが日々の楽しみ。うん?歴史か?歴史はわっしのすべてと言っていいな。あ、これ?この軍配はなぁ。命の次に大切なものなんじゃ。しかしなぁわしは竹田じゃなくて武田がよかったんだよなぁ」
「とにかく武田がよかったなぁ」
が、口癖のシンゲンちゃん。
シンゲンちゃんとの二度目の出会いは朽ち果てた神社の鳥居の下だった。
「わっしは10トントラックに乗っててな、キャビンから見下ろす世界はそりゃもう全てが小さく見えるんじゃ。どんな高級車だって小さく弱く見えてどんな背の高い男でも小人に見えた。わっしだけ特別な世界にいる感じがしたんじゃ、遥か向こう側まで見渡せるのは気持ちいいぞぉ。トラックを操るときの自分はなんだか強くなったような偽りさも、わしは大好きでな。停車して排気ブレーキがぷっっしゅーってなったときに、ああトラック乗りでよかったなぁって心底思ったんじゃ、だってカッコいいじゃん。結局は居眠り運転で真っ黒な壁に激突して終わっちまったのが悔しいけどな。ああ、そうじゃ、言いそびれたことあるのだが、私の前世は武田信玄なんだよね。おいこらそこは笑うなよ。絶対そこを笑っちゃだめだよ、ほんとなんだから。だから私の事は遠慮なくシンゲンちゃんと呼んでくれ。それで?あんたの事はなんて呼べばいい?」
僕はシンゲンちゃんのユーモア溢れる優しさに尊敬をする。その手にはいつも軍配が握られている。
高井さんあだ名はタカ。
スーツがよく似合うタカ。
仕事一筋に生きて愛する奥さんがいて、ドラマ危ない刑事を心から愛するタカ。
「仕事をできなくなった男はサングラスが似合わなくなった危ない刑事のタカと同じだと思いませんか?」
タカとは高層マンションの屋上で出会った。
「そこの青年。1つだけ質問よろしいでしょうか?このサングラスをかける私はどうですか、似合うと思いますか?これはね私が大好きなドラマで使われたのと同じサングラスでしてね。いやもしあなたがとてもお似合いだと言ってくれるなら私は今ここで踊り狂うでしょうね」
二度目にタカと会ったのは廃墟となったラブホテルの敷地内だった。
「実をいいますと私はニ年前にリストラにあいましてね。はいそうなんです還暦目前にリストラです。早期退職やら
希望退職やら理由は何でもつけることできたんでしょうが私は妻に嘘をつき続ける道を選びました。そして最終的には飛び降りました。当たり前なことなんですが私は職を失ってから妻の目を見ることができなくなっちゃいまして。愛する妻に無能だと思われることが何よりも辛いことでした。わかりますか?この気持ち。ニ年間偽りを続けるのはとても辛かったですしほとほとに疲れちゃいました」
僕はタカの風格に尊敬をする。
その手にはいつも真っ黒なサングラス。
カオス。
天性のロックウルフ。
暴力も愛も平和も自殺も戦争も援助交際も太陽も月も雨もクリスマスも。全てを優しく悲しく激しく慟哭のままに透き通る声で歌い上げていく。それは聞く人の心を震わせて、時に完全なる道標となり、時に燃え盛る勇気となり、時に心底の慈愛となる。人の人生を変えてしまう歌。
僕は思う。カオスは必ず世界一のミュージシャンになれたのだと。
カオスとは殺人事件が起きた公園の隅にある電話ボックスの前であった。
「なぁそこのお前さ、俺の歌を聞いていかないか?ちょっとだけでもいいから聞いくれ。だってお前すげえ寂しい顔してる。それじゃ今ここにある全てが台無しになっちまうだろう。わかるか?心が全て寂しさに侵蝕されちまったらもうお前はお前ではいられなくなるんだ。心すらも見失うことは必ず避けなければならない。まぁつべこべ言わずに聞いていけよ。今から俺がお前に希望を与えるから。ああ、俺か?ここでカップルが数人の野郎どもに絡まれててさぁ、俺は一瞬考えたよ。警察呼ぶべきか一人でもすぐに助けに行くべきかって。でもなんだかしらねぇがギター抱えて向かっていっちまってな。そしたら」
カオスはギターピックをきらりと光らせた。カオスと次に会ったのは第3埠頭の岸壁だった。会ってすぐに僕を強く抱きしめた。
「会いたかったぜ」
そう言って僕の頭をさすってくれた。
僕はカオスの天性に尊敬をする。
チーコ。
専業主婦で五歳になる息子を心から愛していたチーコ。
その手はいつも愛する我が子の小さな手をそして柔らかい頬をそっと温める。
「完璧なんてものは無いのかもしれないわね」
それがチーコの口癖。
チーコとは事故多発地点の看板がある交差点で出会った。ガードレールに腰をかけていた。
「ねぇそこの君。そんな寂しい顔をして、可哀想に。悔しいよね。悲しいよね。でも無意味なことなんてないって信じたいよね。ほら、私の隣においでよ、だって君のほっぺはあまりに冷たそうだわ。私たちが今ここで出会ったことすらも無意味になる前に、まずはここに座りなさいよ。話をしましょう」
二度目に会ったのは踏切の横にある小さな祠の前だった。チーコは一輪の黄色い花を手にしていた。
「また会ったわね。あの日あの子は風邪ひいちゃってて。私は自転車で急いで栄養あるものたくさん買い物して…その帰り道にしくじっちゃって。あれだけ子供には信号が青でも危ないんだからねと口が酸っぱくなるほど言ってきたのに。私自身やっちゃったの。でもね…あの子に会えないのよ。どれだけ探してもいないの、会えないの」
チーコは僕に笑いかけながら涙を流していた。
僕はチーコの慈愛に尊敬をする。
チーコがいつも手にするのは、最愛の息子が肌身離さず遊んでいた赤いミニカーだった。
「死んだときにこれが私の手のひらにあったの。それが嬉しくて。あの子の…きっとあの子の優しさが私に届いたのよね、でも、これが無くなっちゃったなぁて探してないかな、パパ同じの買ってくれたかしら」
いつしか五人は毎日集まり語り合うようになった。
場所は廃墟のラブホテル、廃屋、墓場、魔の交差点、竹やぶ、防空壕跡地、合わせ鏡の10枚目、暴走族が溜まるすぐ横、井戸の中、合戦跡地、なんかあれがいそうな場所、云々…云云…
僕の最高の友人で最高の親友。