沢田だからジュリーじゃなってシンゲンちゃん
シンゲンちゃんが低音ボイスで風林火山といったりするときは。すごくダンディーな俳優さんしか発声できないような異次元の世界のボイスを風林火山に乗せたときは。
学生が手を挙げて「はい先生質問です」と言うのと一緒のようなものなのだろうか。いや僕は絶対に違うと考える、もっと濃密に魂に訴えてくる。たとえばチェスをしていてチェックメイトと自信満々に言う感じの方が似ていると思う、必ず勝てるぞこの戦いと思わせてくれる大将の決め台詞だ。
シンゲンちゃんは張り詰めた姿勢を維持しながら手にする軍配を小刻みに揺らしていう。
「何を言ってるんだ?。ニックネームはちょっぴだよちょっぴ。わっしはよく覚えてるぞぃ、ちょっぴは恥ずかしがり屋で人付き合いがちょい苦手な正真正銘なチェッッリボーイだからちょっぴだよな。な?いつも溢れそうな青年だもんな?」
え?何かがまた溢れるの?
シンゲンちゃんはチェリーボーイの部分だけ妙な発音のうまさで言ってのけた。風林火山と同じような低音ボイスでキッレキレのエッジを効かせてきたのだ。
マグマのなかから現れた火の巨人の声だ。
チェッッリボーイ
「あ、あの、シ、シンゲンちゃん違います。この前みんなで決めてくれたあだ名は、チョッピでも、チャッピーでもまっぴでもちょぴたでもないんです。あ、あの…ジュリーです。ぼ、僕の名前が沢田ヒロシだから、沢田かぁならニックネームはジュリーじゃなってシンゲンちゃんが…あ、あのそれに僕はチェ、チェリーボーイじゃありません。ほ、ほ、ほんの数日前ですけど…もちろんこうして皆さんと知り合う少し前になりますがチェ、チェリボーイじゃなくなりました。だ、だ、だから僕は自分がチェリーだとか云々は全くもって言ってないです」
「なんだと?」
カオスが鋭い目線のままに超特急な反応を僕に向けてきた。
「まっぴ…じゃなくてジュリーか…ま、まさかチェリーボーイではなく立派なバナナボーイだとでもいうのか?」
「え?バ、バナナボーイ?」
カオスはなんだか怖い顔してるし、シンゲンちゃんは「なんだチェリーじゃないのか?蓋を開ければつまんない答えだったね、あるよなー、問題解くまでが面白いやつって、答え聞いてげんなり」と、シケた面して手にする軍配を縦に振り続けていた。
タカはいつのまにかまた眼鏡から真っ黒なサングラスに変わっておりつぶらな瞳は隠されしかも無言のままだからなにを考えてるのかさっぱりわからないし、チーコはただ僕にニッコリと微笑みを向けているだけだった。
なんか納得できないなっていう雰囲気が膨らんだままに部屋のなかに停滞して少しの時間を無言が支配した。
そんななかチーコがひと風をおこす。
「ねぇちょぴた…って違うのよね。とりあえず今あなたのことなんて呼べばいいのかしら?」
僕の隣に座るチーコがスカートの裾を右手の指先で触れながら口を開いた。左手には赤いミニカーが大切そうに握りしめられていた。
「あ、あの…もしよかったら、ほ、本名のヒ、ヒロシでお願いします」
「わかったわヒロ君。それでね、今ここに集うみんなが聞きたいことを、次は私が代表する形で質問しちゃってもいいかしら?」
「ど、ど、どうぞ」
「ねぇヒロ君。あなたには相思相愛の彼女がいるの?それともこんな聞き方おかしいかもしれないけど、あなたに彼女がいたの?」
ここにいる皆が理解していることは僕達は過去形になることばかりだということだ。生前と死後の二つはあまりに大きく掛け離れている。時計の針の音が狭い部屋のなかをこだましていき何らかのリズムをつけるかのように水道からこぼれ落ち続ける雫。
外では奏でる秋の虫と秋の満月と。
え?音?
リーン、リーンと聞こえてくる。遥か遠くを起点にして耳元で聞こえる不思議な音。
「この音は…」
僕はつぶやいた。
これはきっと月の音だ。
そう。これは月音なのだ。これは秋の満月の音だ。この部屋の中まで聞こえてくるのは決して空耳ではない。月の奏でる音が聞こえるのはとても深い意味がある。
とても。
「は…はい、ぼ、僕には彼女がいました。いえ…います。すみません」
僕がそういった矢先に四人は一斉に立ち上がった。シンゲンちゃんは軍配を、タカは真っ黒なサングラスを、カオスは銀色のギターピックを、そしてチーコは消防車のミニカーをそれぞれに抱きしめながら隣りの部屋へ通じる襖を開け放った。そして四人はうつ伏せで寝そべったままの僕の死体を再び凝視した。僕はそんななかただ呆然と月音を聞いていた。
そんなわけないよ、そんなわけ。
僕の心の中で願いというか、祈りのような気持ちが空中に投げ出されていった。
空気はただ霧を覆うように儚げだった。
大切な友達は僕にどんな言葉を言うのだろう?死んでも現実は変えられない。
ただ僕は今の僕を信じることしかできない。一体何を信じる?そうだ。それは僕自身だ。
彼女が今もこの現世で生きていることを。
僕は信じたい。
「チーコそう思わないか?」
カオスがチーコに訊いた。
「断定するには早いけど、それはちょっとあり得るかも。でもなぁ正直かなり驚いた。ちょぴじゃなくて、ヒロくんに彼女がいたなんて」
チーコは僕の死体のすぐ隣りに座りそっと触れようとしたがタカがチーコの肩に指を添えて首を横に優しく振った。チーコは寂しげにその手を引いた。
「ここで遊ぶ?」
チーコは大切なものに話しかけてからミニカーを畳の上に置いて指で押した。数センチだけ進んで停止したミニカーはその場所で固まった。本当の主人を探すかのように静寂を携えた。
タカはサングラスを外してバーコードの頭の上に乗せた。
「まだ決まったわけじゃないです。それに彼女ですよ。彼女なんです。先ほどチャッピー…いやヒロ君は彼女と言ったんです。彼女ならばもちろんお互いに好き同士だったわけですよね?」
僕は「うん」と頷いた。