僕のあだ名と昇龍
カオスは少しだけ首をかしげて僕を見ていた。
僕はなんか緊張するから瞬時に酩酊世界へと再びレッツゴー!
―そうだ!それでいい。カオス、しっかり狙えよ―
俺は微笑みながら自分の心臓がある場所を指差した。
―ここだ!さあ早く撃て!―
きっと今、俺の胸にある龍の刺青は天空へと駆け上っているのだろう、そして俺と同じようにカオスを睨みつけていることだろう。
―俺はお前にやられるのなら本望なんだ!この昇龍ごと撃ち抜け!―
俺はゆっくりと瞳を閉じていった。
さてと、そろそろ現実世界に戻ります。
現実の僕も自分の胸に指を刺していた。
もちろん龍の刺青なんてどこを探しても見当たらなかった。
「ぼ、ボクの名前ですか?」
僕は少しだけ眉に皺を寄せながら四人の息遣いと体温を測り知ろうとした。
眉に皺を寄せてしかめっつらをするのは失礼になることなのだろうか。それすらも僕にはよくわからない。
今、僕がどんな表情を作れば僕の胸中をみんなが察してくれるのかわからないのだ。
―誰でもいい俺を撃てよさぁやれ!―
現実の世界の僕と妄想世界の僕はかけ離れている、そんな事はわかっている。
シンゲンちゃんが突然か「ぷっ!」とお酒を吹き出しそうになって咳き込んだ。
僕はやはり少し違う動作をしちゃったのかな。またこれも人を笑わせてしまう仕草だったのかもしれない。
僕の隣り数十センチ横にはチーコが座っていて左手をテーブルの上に乗せていた。そしてテーブルを挟んで僕の真正面にはタカがいた。タカの視線は今どこにあるのかわからなかった、顔を正面のまま僕を見ているような感じだ。今のタカはドラマ危ない刑事の舘ひろしさんが、愛用していたっぽいサングラスをかけているのだ。あまりに真っ黒すぎてなにを見てるか全くわからない。目の前で「わー」って手を振ってやりたくなる。そんなオールバックの髪型ではないタカの視線の先を僕は知りたかった。
「タ、タカ、サングラスすごく似合ってる」
前にそう言ったらタカはとても喜んでくれた。
いまも言ったほうがいいのだろうか?期待して僕を見てるのならすいません、あえて言わないです。
シンゲンちゃんは窓際に座っていた。決して窓を背もたれにするわけではなく、まるで軍法会議をする大将のようにあぐらをかいて背筋をぴんと伸ばし顎を多少上向きにしていた。膝の上には何かがちょこんと乗っていた。よく見るとまさに戦国時代の甲斐の虎さん武田信玄公が持っていたような軍配だった。色は黒で素材はプラスチック製だろうか。中央には風林火山と白いマジックで大きく書いてあった。縦に巨大な風林火の三文字で大半の場所を使ってしまい最後の山が居心地悪そうに小さく下支えしていた。タカ愛用の危ない刑事のサングラス、シンゲンちゃん愛用の風林火山と書かれた軍配、もうすぐチーコはミニカーを、カオスはギターピックをポケットから取り出すのだろう。そして僕も今ポケットのなかになにかがあるはずだ。大切な…とても大切な何か。
いまはまだ出すときではない。
ここにいる僕と僕の仲間たちは、それぞれに自らの心を宿すものを常備している。それはここから先に進むためのフル装備といえた。五人が手にするものは秋の色とは裏腹に無色透明のまっさらな宝物でありグラスになみなみと注がれる日本酒のように透き通っている。それぞれの顔をありのままに映し出すように僕のグラスを通してカオスのキリッとした顔が水滴と一緒に映り込んでいた。
テーブルの上にはつまみと呼べるものは何一つなかった。あるのはグラスとそれぞれが手にする小さな希望の道具だった。ここからまた一歩進むために四次元ポケットから出てくる魔法のような小さな道具に皆が希望を託している。それはサングラスに軍配にミニカーにギターピックだ。生きているときも死んでしまったときも同じことは立ち止まり続けていてはいけないということだ。
―流れを失ったら淀んでいくだけ―
カオスは長い指で高い鼻をこちょこちょと素早く擦りながら僕に同じことを再度質問してきた。
「だってよ。俺はまっぴーって呼んでるのに、みんな呼び方が微妙に違わないか?まっぴーはこの世かあの世か知らないがとにかく一人しかいないんだ。そうだろう?ならおかしいぜ。だって俺たちは皆んな友達だ、親友だ。じゃあ、なぜそれぞれに違う名前で呼ぶんだよ。みんながお前から距離を置いてるのか?違うだろ」
カオスの鋭い視線がテーブルの周りをゆっくり巡っていく。
―俺たちは友達だ―
僕は今嬉しくてたまらなかった。
あんなカッコいいバンドマンに友達と言われたのだ。しかも友達の最上級ランクである親友とまで言われたのだ。
この偉大なる愛しき親友達と出会ってから二週間が経とうとしていた。知り合ってからまだたったの二週間なのにすでに深いキズナで結ばれている。
僕はずっとずっと前から四人と知り合っていたような気がする。
「俺たちは親友だよ。俺もお前もタカもシンゲンちゃんもチーコもみんながみんなの幸せを心から願ってる」
カオスの力説にタカは腕を組んだまま多分どこかを見ていてシンゲンちゃんは膝の上にある軍配に目を落としていた。
「ふふ…幸せかぁ」
チーコがぼそっと呟いた。チーコは寂しげな表情でスカートのポケットから何かを取り出してテーブルの上にかたりと置いた。それは真っ赤な消防車のミニカーだった。はしご部分の塗装が落ちている小さなおもちゃだ。テーブルの上で凛々しい顔つきを僕に向けているミニカーは火災現場に向かうまさにヒーローだ。サイレンを鳴らして街を走っていたら、大人になってもかっこいい勇者の車だと見とれてしまう。
―ウーカンカンカンカンウーカンカン!ママ見て!この消防車のはしごはこんなに伸びるんだよ!。ウーカンカンカンカンカンカン―
僕はこのミニカーの本当の所有者を知っている。
「すまないチーコ。幸せとかは、まぁそれはいいんだよ。とりあえず今はまっぴーのことだ。タカはさっきなんて呼んでた?」
カオスはグラスに口をつけて酒で喉を潤してから隣にいるタカに視線を移した。タカは真っ黒なサングラスをかけて腕組みを解かないままに話しだす。
「あなたのあだ名はチャッピー。いやどう見てもあなたはチャッピーです。私にはチャッピー以外には考えられないほどにあなたはチャッピーで溢れているんです。ねっ」
溢れている…っていったい何がだろう?
タカはようやく腕組みを外すと、ずれたバーコードを手ぐしで直しながら、僕に顔を向けた。もちろん真っ黒なサングラスをかけたままだったからなにを見てるか、わかりゃしない。
カオスは
「え?ウソ、マジかよ…あだ名はチャッピーだっけ?」
と何度もつぶやくように反芻していたが、
「いやいや、やっぱり違うぜ。チャッピーじゃない、だって考えてもみろよ。そもそもチャッピーなんてどっかの着ぐるみのキャラみたいなあだ名を誰が喜び勇んで呼ばれたいか?しかもチャッピーてなんか馬鹿にしてる感じも匂わすくらいだろ、タカにはすまないがあり得ないな。ところでシンゲンちゃんはなんて?」
「わしはチョッピだ!」
そのままシンゲンちゃんは握りしめた軍配を勢いよく天井へと突き出した。
「チョッピね。厳しいこというがやはりありえないだろ、どこかの小魚みたいだし、なんか言いにくい。シンゲンちゃんもおそらく間違えてる。チーコは?」
「彼はちょぴたよ」
「絶対ありえん」
カオスは即答した。
チーコはもう一度ちょぴたと言ってから鼻の下に人差し指を当てて笑い出した。消防車のミニカーはテーブルの隅に置かれていて今にも転げ落ちそうな場所だった。後輪がすでに落ちようとするギリギリの場所で踏ん張っている消防車はなんだか目に見えない力を持ち続けているように見えた。お願い誰か超能力でゼンマイつけてあげて中央へ。
チーコは隣りの僕に身体を向けてきた。
「ねぇ君はさぁ、多くの名前を持つ謎の男性ってところよね、まさにミステリアスよ。そういうのって男性には必要なことじゃないかしら?神秘的で不可解な男は女を虜にしちゃうものよ。男の全てを知っちゃうと女は飽きちゃうものなの。謎がある男性に求めるスリリングさは女を感じさせちゃうのよじわりじわりとね。え、え?ちょっと待ってよ。どこまでいかせるつもり?やだ…このままじゃ溢れだしちゃう。K点越えちゃうわ!みたいに体が濡れて行くのは最高なことなの。スリリングを提供されたら濡れ方が違うの老け知らずなの。女には非現実的なゲームが必要。びっくりさせてたくさんドキドキさせて耳元で愛を囁いてくれて、そして…」
チーコは最後にまた笑った。
僕は聞き逃さなかった。
また何かが溢れたって?なにが?
「え…ボ、ボクは」
僕がテーブルに目を落としたときにタカが咳払いをした。そしてサングラスを外して内ポケットから眼鏡を取り出した。束の間のつぶらな瞳が現れては再び覆い被されていった。
「ゴホン。カオス、ここから私が。時間もあまりないですし、チャッピーまずは謝ります。すみませんでした。いや、どこかで皆さんが勘違いまたは思い込みによってあなたのあだ名を間違えてしまったようだ。私が皆を代表して謝りましょう。私たちは紛れもない親友です。真実の仲間です。それなのに、あなたのそしてあなたの親愛なるあだ名を間違えてしまっていた。おそらく…三人が間違えていることになりますよね。正解はこの中の一人だけ。ちなみに命もたった一つだけ、凡ミスは決して許されません。ではこうしましょう。すべてを新規にしましょう。あなたのあだ名に関しては、ファミコンのリセットボタンをポチっとしましょう。あなたは本当はなんて呼ばれたいのですか?チャッピーあなたの望むままに私たちは従います。何度も言いますが私たちは真実の友人です」
タカが満足げに話し終わると、すかさずシンゲンちゃんが低くドスの効いた声で
「風林火山」
と言った。