愛しまくった証明リングと働きまくった代償耳栓
あの日。
僕が死んだ日の記憶はなぜ消えてしまったのだろう。
僕は死んでナナコさんがこの世で生きていればそれで良いのではないかと、どこか愛情というよりも諦めのようなものがあった。どうせ醜い自分だ。とずっと自分を見捨ててきたなにか。
でも違った、全然違ったんだ。現実の箱を開けてみたらナナコさんは僕のすぐ近くで僕と同じく死んでいたのだ。殺されていたんだ。
どうして重要な記憶が欠落してしまったのだろうか。これは僕が僕をとことん嫌いになるために記憶を消してしまったのか、それとも僕は僕を守るために…
ここにいる親友達は、押入れのなかに押し込まれたようにして死んでいるナナコさんを見て唖然としていた。
「押入れに押し込まれるのは布団だけで十分なのに」
とシンゲンちゃんがポツリといった。
カオスは僕に何度も謝った。
「すまない。俺は十中八九お前は恋人に殺されたと思った。お前の死様は畳を掻きむしり最後までもがき続けそして果てていた。俺も箇所は違うが身体を刺されているからわかるところがあった、力を入れようとしてもエアーが抜けていくように傷口から正気が失われていく。そして厄介なのは噴き出る大量の血液だあれは精神から死を意識させてきやがる。短い時間のなか力を籠めることが体力的にも精神的にも辛くなっていく。お前は刺されて意識が朦朧とするなかでも爪が剥がれるほどに畳に怒りをぶつけていた。俺はお前に恋人がいると知り貯金も二千万円あると聞いた。まさにそれは愛する者に裏切られた怒りだと直感した。俺は最後に見たお前の怒りだけを受け止めようとしていた、お前のホントの真実の姿を俺は全く見ようとはしていなかった。ほんとにすまなかった。おい!こちらを取り仕切ってる例のあいつさんよ!俺はまだあちらの世界になんて行きたくはない!ここでずっと怨霊となり根付いてもいい!。俺は!ヒロ君に…もう一度もう一度だけ重要な何かを伝えたいんだ」
歌はブレスが重要だといわんばかりに息継ぎをしないまま、捲し立てるように話したカオスは″伝えたいんだ″の後になんども咽せた。
タカはサングラスをかけたまま
「これは全く予測できませんでした、私はやはり危ない刑事のタカにはなれないです、はい、永遠に。私は単なる私です、真実を見抜けませんでした」
と悲痛を抱えたままガクッと座り込み、
チーコは
「私は…結局死んでもダメな最悪な女だった。正直いうとヒロ君を見た目で判断して自分の中での物事を勝手に真実だと決めてしまっていた。あなたの深い優しさや底知れない希望を私はこれっぽっちも重んじることができなかった」
といって、赤いミニカーを温めるように胸元で抱きしめた。
「み、みなさんは、な、な、にも悪くないです!」
僕は涙を左右に散らしながら何度も首を横に振った。親友が悪いわけなんてない。謝ることなんてあるわけがない。
すべて悪いのは僕なんだ。きっと僕の深い弱さ故にナナコさんを守れなかった。
いつもそうなんだ。
幼い頃からいつも、いつも。
カオスがナナコさんの死体をもう一度見渡してから口を開いた。
「この人は、ヒロ君の彼女は俺たちみたいに魂が体から抜け出せないままでいるのか。ずっとここでこの場所でこの人は悲しみ続けていたのか…。だが、ヒロ君の死体はマジでどこに行ったんだよ?」
「ナナコさん…ぼ、僕のせいで。あれ?」
僕はあることに気づいた。ナナコさんの右手薬指に光るものがないことに。
「ナナコさんの指輪がない!」
僕は急いで自分のポケットのなかを探る。この中には僕のポケットのなかにはナナコさんと一緒に選んで買ったペアリングが入ってるはずだ。死んでから何度も何度もポケットの中に指を忍び込ませ感触を確かめていた。いつでも取り出せるんだ。四本の指でポケットの生地をゆっくりなぞればリングの丸い輪郭が必ず確認できた。はず。
「あ、あれ…ゆ、指輪がない!」
どうしてなんだ!僕のポケットからもナナコさんの右手からも二人の愛を証明するペアリングが無くなっている!
「ど、どうして……」
僕にはもう大切なものすら何一つないというのか。
「あ!なんかみんなの後ろが透けて見えきてるぞぃ」
シンゲンちゃんが大き声をだした。
「ほんとだ、ヒロ君。あなたも薄くなってきてる、あなたの奥にいるナナコさんが私から見える」
押入れの前で立ち尽くしたままの僕の後ろにいるチーコがどこか悲しげにいった。
僕は、僕はこのままあの世に行っていいのか?ナナコさんをここに置き去りにしていいのか?
「お、お父さん」
僕は祈る。
僕とお母さんのまえからある日突然消えてしまったお父さん。僕を1度だけ助けてくれませんか?
僕はこのままあの世には行きたくないんです。まだ死んだままここにいたい。何ができるか分からない、きっと何もできないだろうけど、少しでもナナコさんの近くにいたい。
その時だった、また月の音が聞こえてきたんだ。儚げでとても悲しい音。
「ちょっとずつ俺たちは存在が薄くなっていき、やがてすべてが消えてあの世に行くのだろう」
カオスはそう呟いてから再びベランダへ飛び出していく。
「おい!神!仏!お前さぁ勝手にいろいろ決めこんでんじゃねえよ!冷静な表情で、″そういう流れなんだ″。とかほざくんだろ!君達はぱっと消えるわけではなくゆっくりとゆっくりと消滅していくんだよ。とか上から目線で能弁垂れるんだろ!現世じゃお構いなしに無数の人間を殺し合せて、いざ死んだらすべてお前が決定権もってんのかよ、俺たちはな、死んでも」
自由なんだ!
ベランダの手摺から身を乗り出して夜空に浮かぶ月に向けて叫ぶカオスの身体はかなり透けてしまい背中部分に黄色く輝く満月があった。
「あ、あの…カオス。つ、月の音が変わってきてませんか?」
僕はカオスの隣りに来て同じ月光を浴びる。
「月の音?いや、月はいまも確かに見えるが音とは?俺には最初からいままで何も聞こえないぜ」
「え…はじめから聞こえない?」
月の音は少しずつ大きくなってる気がした。薄くなる僕らの影と、訴えている月の音は僕らに一体この先なにを?
その時だった。ポケットのなかに何か感触が生まれたのがわかった。何かが入り込んだのがわかった。僕はもう一度ポケットのなかを探ってみる。何か小さいものが二つ指に絡まる。
僕はそれをゆっくりと取り出す。
「え?こ、これは、な、なんですか?」
僕は思わずびっくりして部屋のなかに放り投げた。すぐ近くにいたタカとシンゲンちゃんとチーコは「キャア!」と叫び飛び上がった。
最初は何か変な虫だと思った。でも床に転がった物をよく見るとキノコのように見えた。
不思議なキノコだった、こんなキノコが森に生えていたら、絶対毒キノコだと思うだろう。色はオレンジ色で何か頭の
傘のようなものが三つも縦に連なっている。こんなヘンテコなキノコがこの世にあるんだ。
「あれは耳栓じゃないのか?」
部屋のなかに戻ってきたカオスがオレンジ色の物体に顔を近づけた。
「間違いないこれは耳栓だ」
「ミ、ミミセン?」
カオスはオレンジ色の三つの傘がついた耳栓を二つ摘み上げて僕の間近に持ってきた。
「あぁ間違いないな。俺は結構耳栓を使ったりしてたからな。使う理由は第一にやはり耳は休息が必要だ。音と言うものは時にとても繊細でデリケートなんだ。聴覚からの情報は多様だったりする。俺は音楽やっていただろう?だから1度リセットするためにこれをするんだよ。そして二つ目の理由は自分の歌声を自分の脳内で聴くためだ。これをするには耳栓しかない。しかもこれは結構いいやつだな。高級耳栓だよ」
「耳栓に高級とかあるんですか?」
タカがカオスに訊く。
「あるよ。例えば腕時計や自動車なんてピンキリだろ?世にあまり知られてないが同じように耳栓もいろいろあるんだ。音楽業界ではどこの耳栓が良い?とかで話題になったりもする。まぁ高級ブランド耳栓なら全く下界音が聞こえなくなったりするほどだ、聞こえるのは脳内で発する自分の声だけ、外音を完全シャットアウトすると別世界にいざなわれる。まさにこれは千差万別ある人の耳の穴の形にフィットしていくようにシリコン部が膨張したり縮小を繰り返す柔軟性、まさに高級材質だ。しかも傘が三つときた。かなり良いやつだなメーカー希望小売価格だと数万円はまずするだろう。下手すると10万円以上かもしれない。これがヒロ君のポケットから出てきたって事はこれが大切なものなのか?」
「え、こ、高級?い、いや、僕はまったく見たことないんです。あ、み、耳栓なら、む、昔にすごく昔なんですけどお父さんが片方の耳につけていた気がします」
「あ、そりゃあれだなきっと」
シンゲンちゃんが口を挟む。
「きっとヒロ君のチチギミは騒音難聴とかだったんじゃない?それなった人は片方の耳につけたりするんよね。まぁ仕事先の音があまりにうるさいと耳の鼓膜が先にやられちゃうんだよね、そんで取り忘れたまま帰宅しちゃったんじゃない?」
「み、耳栓は…お、お父さん…がお、お仕事頑張っていた証なんですね」
僕はカオスから傘が三つ付いたオレンジ色の二つの耳栓を受け取ってポケットにしまった。