失った感情
……ここは、どこだ。
目を開けると、見知らぬ場所に立っていた。水色のキャンパスに白い綿菓子、青緑色の草原が描かれた世界に、彼女は立っていた。
『………ん』
遠くから聞こえる、か細い声。断片的な、少女の声。
『………さん』
『ねえ………』
その声は二つに増える。さっきよりも大きく聞こえる、近づいてくる。
(……私を呼ぶのは、誰だ)
返事をしようとしたけれど、何故か喉が張り詰めて声が出ない。喉に力が入るばかりで、音が出ない。まるで、身体が嫌だと訴えるように。口を魚のように動かした時、また声がする。
『姉さん……』
「ッ!!」
段々鮮明になっていく、姿の見えない二人の少女の声。途端に胸が苦しくなる。心臓の鼓動が早まって、呼吸が荒くなっていく。
(……お前達は)
今すぐにここを立ち去りたかった。でも足は凍りついたように動かない。ただそこで突っ立っていることしかできない。
『エニグマ、姉さん』
「!!」
その声と同時に後ろへ振り向いた。二つの人影がそこにはあった。空が雲で覆われているわけでもないのに、そのシルエットはぼやけてよく見えない。必死に手を伸ばそうにも、身体が動かない。せめて何か言葉を紡ごうとしても、口は発せない。
(お前達は、私の……)
「………………ぁぁ」
黒く染まった世界から一転、色付いた景色は見慣れた自分の部屋。エニグマはまるで激しい運動をした後かのように荒い呼吸でその身体を起こした。強く胸を鷲掴む。その胸元に流れ落ちる汗。外を確認するとうっすら朝日が見えた。
(………今の、夢は)
頭の中でそうぼやいてベッドから身を下ろした。倒れた写真立てをスルーし、窓まで歩き、勢いよく開く。流れ込む風が心地いい。そのまま窓の下を見た、小さな花園がそこにはあった。その花園に、いつもエニグマは疑問を抱いていた。
(……何故、私の部屋の窓下にだけ)
身を乗り出して隣の部屋の下を覗く。そこには雑草が少し生えているだけで色映えはしない。庭にある花壇を除けば、花が生えているのはここだけだ。
(……植物に関するデータは組み込まれていないからわからない。それにしても、あの夢……)
夢の中のあの景色、見たことも訪れたこともないあの景色。その場所に現れた二つの影は、確かに自分の名前を呼んだ。
(………あいつらは)
と、思考を巡らせていた時だった。
「起きてますか」
ドアを爪でノックする音。その音のおかげで夢の事が瞬時に吹き飛んでしまった。
「はっ、起こされたっていうのが正しいんじゃねぇかな」
皮肉そうにエニグマはそう言った。ドアが開いた、その先に居たのは鷹の上半身とライオンの下半身を持つ、グリフォン。
「おはようございます、エニグマ殿」
「ああ、おはようグリフォン」
ゆらゆらと翼を揺らすグリフォン。茶色い羽がところどころ抜けそうになっている。羽繕いはちゃんとしろとあれほど言っただろうに。
「それで、朝っぱらから何か用事か?」
「いえ、ただ起こしに来ただけです」
「はっ」
エニグマが笑い飛ばした。それならもっと寝させてくれてもいいだろう。だが、それもグリフォンに見抜かれていたらしく
「早起きは三文の徳って言いますからね。健康第一に行きましょう!」
お前それの由来わかってるのか? 昔の蝋燭の値段が三文だったから早寝早起きすることによって蝋燭代が浮くからなんだぞ、とエニグマは頭の中でそう言った。そもそも、私に健康もクソもあるか。どう頑張ったってこの身体は状態異常にかからないのに。
「起きてますか」
「あ?」
全く同じ言葉をその日に同じ相手から二度もかけられることは結構珍しいことなのではないか。それが一回目から一時間も経っていないとするならば尚更ではないか。
「次ぼーっとしてたらそのイケ面にジャム塗りますよ」
「いやそこはバターだろ」
「食い物で遊ぶなあいつらが真似する」
鷹の足で器用に小型ナイフをエニグマに向けるグリフォンを紫色の龍、ソルが制止する。冗談ですよ、とグリフォンはそのナイフにたっぷりいちごジャムを塗りたくり、パンに塗りつけた。
あいつら、というのはエニグマの子供であるアンノウン、ルミナス。ソルの孫であるパルスのことである。三人は人間に例えたら、他人の真似っこをよくする時期だ。
「グリフォン、使ったらそれ俺に貸せ」
「おっ、顔に塗るのなら手伝いますよ」
「はっ、お前のその犬っ面にブッ刺してやろうか?」
「貴方は本当に冗談が通じないな」
ソルとグリフォンの会話はまぁまぁ聞いている側としては面白い。だが、今のエニグマにはそんなことを思う余裕はなかった。今朝見た夢のことで頭がいっぱいだった。
(………あの、夢は)
この世に生を受けてから何年経っただろう。ようやく両手で数えきれないほど生きられたのではないか。夢という戯言なんて飽くほど見てきた。あれは、そのうちの一つに過ぎないのだろうか。たまたま変な夢だったんだ、エニグマはそう結論付けようとするが、そう簡単にはできなかった。それほど強い『何か』が、あの夢にはあった。
ぺと
「ん?」
突然頬に伝わる柔らかい感触。その物体が何か、理解するのに数秒かかった。
「警告はしましたよ?」
グリフォンが笑ってそう言った。伸ばしていた足を元に戻す、握られていたのは先が赤い小型ナイフ。エニグマは自分の頬を指で擦ると、甘い赤色が付着した。
「貴様ァ!」
エニグマはそう吠えると、グリフォンの皿に乗っていたもも肉にフォークをブッ刺し、自分の口の中に放った。
「ファッ!?」
あまりにも速すぎてグリフォンは反応しきれなかった。してやったり、とエニグマはもぐもぐと見せつけるように肉を咀嚼する。
「エニグマ殿のバーカ!」
「創造主に向かってバカとはなんだアーホ!」
ぎゃんぎゃんと子供染みた喧嘩をする二人の間に、大きな岩柱が地面から勢いよく生える。
「飯時くらい静かにできねぇのか!!」
ソルの怒号。空気が震えた、あれほど騒いでいた二人は嘘のように、しゅんとした顔で大人しくなる。ソルは表情を和らげたと同時に、苦笑いをして
「エニグマもよく吠えるようになったよな。昔とは大違いだ」
「あはは、確かに表情が幾分か豊かになりましたよね。おかげでよくこんなことに」
「わかってるのならやめろ、止める俺の身にもなれ」
「それを言うならエニグマ殿だって………エニグマ殿?」
グリフォンがエニグマに話を振るが、エニグマはまた意識が上の空。思い詰めた顔をしていた。
(……昔、昔のこと……)
ソルの言葉で眠る何かが目を覚ましそうな気がした。夢の中の光景が蘇る。そんなことを知るはずもないグリフォンが再びいちごジャムをエニグマにくっつけようとする。ソルがひったくったので事なきを得たが。
………ここは、どこだ。
またもやエニグマはあの時と同じ場所に立っていた。
(……やはり、動けないか)
足を動かそうにも接着剤で固められたかのように動かない。
『ねえ……さん』
(……またか)
再び聞こえるあの声。エニグマは周囲を見渡した。声はするのに、自分以外の姿は見えない。自分の影しか、そこにはない。
『エニグマ……姉さん』
声が増える。誰かが私を呼んでいる。
(お前達は、誰なんだ)
その問いは心の中でしかできなかった。再び現れる二つの影。エニグマからやや離れた場所に鎮座していた。明るいはずなのに、ぼやけている。
『姉さん……』
放たれたのはたったそれだけ。曖昧にぼけて消えていく。エニグマは、何もできなかった。
「…………ああ」
身体は起こさず、目を開けたままエニグマは現世に戻ってきた。
「また、あの夢か」
訳がわからない。見たことも聞いたこともない場所で、見ず知らずの二人の少女の声を聞くだけの夢だなんて。でも、その声には聞き覚えがあった。聞いた瞬間、宿る焦燥が何よりの証拠だった。けれど、わからない。首を捻る、自分以外その部屋には居ないのに、まるで誰かに伝えるように。
「はっ、揶揄うのもいい加減にしろよな」
そうして寝台から身体を下ろして窓を開ける。昨日と同じ行動。背後からドアをノックする音が聞こえたので、声がする前にエニグマはドアを開けて出迎えた。
「おはよう」
「あれ、よくわかりましたね」
「昨日と全く同じだからな」
「いえ、全く同じではありません」
「あ?」
グリフォンの翼で見えなかったが、アンノウンとルミナスも居たのだ。
「お父様、おはよう」
「お父様ー!」
「おう、二人もおはよう……」
二人を愛でようとした時、ズキリと胸が痛んだ。その痛みに怯みかけるが、何事もなかったかのように振る舞う。
「ソル殿が疑問に思ってましたよ。『どうして自分を父と呼ばせるのか』って」
「私は母より父だろ」
「まぁ、確かに」
エニグマが大きくため息を吐く。さっきまで寝ていたはずなのに何故かもう今日は疲れてしまった。すると、ルミナスが心配そうな顔をして
「お父様、具合悪いの?」
「何故そう思う?」
エニグマが首を傾げた。
「だって、なんかだるそうだし。大して暑くないのに汗かいてるし」
「何、変な夢を見ただけさ」
エニグマは弁明しようとしたが、その言葉を放ったことを少し後悔する。
「夢? どんな夢?」
ルミナスが心配するのをやめないので、エニグマは電子回路をフル回転させて
「あれだ、グリフォンにいちごジャムを塗りたくられる夢」
「なにそれ」
ルミナスがくすくすと笑う。グリフォンは軽くエニグマのことを小突いて
「ご飯作りますからもう少ししたらきてくださいね」
「ああ、わかった」
追求はせずに、グリフォンは二人を背中に乗せてキッチンへと向かった。その背中を見送りながら大きく息をするエニグマ。なんであんな嘘をついたのか、自分でも正直よくわからない。今はまだ、内緒にしておくべきなんじゃないかと思った。あの夢は何かを暗示しているのか、それともただの変な夢なのか、それがはっきりするまでは……
「……………」
その答えを、エニグマは知っていた。けれど否定していたんだ、無意識のうちに。
………まただ。
また、エニグマは例に漏れずあの場所に立っていた。もはや驚きもしなかった。それでも、小動物や虫の声ひとつもしないその世界は、多少の不安を掻き立てる。
『姉さん』
あの声が聞こえた。エニグマは身構える、身体は一切動かないので気持ちだけだが。また影が現れる、二つ現れる。距離も離れていないのに、どうして顔がよく見えないのだろう。何にしろ、エニグマは影達がまたいなくなるのを待っていた。今までもそうだったから。
だが、この日は違った。
影達は一歩、エニグマに近づいた。近づいてきた。距離が徐々に近くなる。
(………何故?)
エニグマは疑問に思った。どうして今更になって私に近づくのか。一歩、また一歩と影達はエニグマに歩み寄る。ついに数メートル、という距離にまでやってきたのに、影達は相変わらずそこに佇んでいるだけ。
エニグマは、その二人を見た瞬間電撃を受けた。顔ははっきり見えないが、自分はこの二人を知っている、と。
(……誰だ、お前達は。私は、お前達を知らない)
その事実を認めたくなくて、エニグマは冷たく対応する。知らない、知らないんだ。何度も嘘をついた。でも真実は欺けない。
しばらくして、また影達はその姿を消した。顔だけは見えなかったけれど、心なしか悲しそうな雰囲気だった。
「…………」
もうこれで三度目か。汗だくで目が覚めるのは。エニグマは大きくため息をついて
「知らねぇもんは、知らねぇんだ」
まるで何かから逃げるように言葉を紡いだ。
コン、コン
「起きてる。どうせグリフォンだろ」
「違う」
入ってきたのはグリフォンやアンノウン達ではなく、ソルと彼の脇に抱えられたパルスだった。ソルはエニグマの姿を見た途端
「大丈夫か?」
「大丈夫に決まってるだろ。なんでそんなこと聞くんだ?」
ルミナスと同じことを書かれて内心焦るエニグマ。
「グリフォンが起こしにいったけどいくらノックしても起きる気配が無いって言ってたから」
「はっ、その時の私は随分とお疲れで爆睡してたんだろうよ。そんな日もあるさ」
爆睡、というよりかは夢を見るのに夢中になっていたと言う方が正しいのかもしれない。それもまた変な話だが。ソルはフン、鼻息を鳴らすと
「なら良いんだけどよ。とっくに飯できてるからさっさと来い」
「りょ」
そうしてソルはその場から去る。ばいばーい、と抱えられたパルスが途中でそう言った。短い息を漏らして、エニグマは虚空を見つめ
「もう出てくるんじゃねぇぞ」
威嚇するように、言葉を放った。
エニグマの希望は叶わなかった。あれから例の夢を毎日見た。夢の中は見知らぬ世界で、どこからかくる声が彼女を呼ぶ。二つの影が見えたかと思えば、エニグマに近づいて、ふっと消えてしまう。その繰り返し。影達はエニグマに何かするわけでもない、ただ大人しくそこに佇んでいるだけ、そして突然消えてしまう。何故彼女に近づいてくるのかはわからない。
至近距離で見えるにも関わらず、その顔はよく見えない。顔が見えなければ誰なのかわかるわけがない、エニグマはそう言い訳をしていた。
(ふざけんじゃねぇ)
ソファーに座って、心の中で悪態をつく。太陽は既に空の半分を過ぎていた。あまりにも同じ夢を見続けるので、エニグマも苛立ちを覚えていた。だが、夢のことを考えるのは気が進まない。理由なんてものはない、ただ考えたくないだけだった。
「お父様、変な顔してる」
エニグマの横にアンノウンがちょこんと鎮座していた。
「別に、変な顔なんてしてないさ」
笑ってそう返した。アンノウンはずっと首を傾げていた。そこでソルが合流。
「準備はできたのか?」
「うん、できたよじじい!」
「じじいじゃなくてじぃじな」
「あ? どっか行くのか?」
「今日は海を越える日だろ、忘れたか?」
今日はアンノウンとルミナスの母親、そしてパルスの祖母の墓参りに行く日だそうだ。その者達の名前は
―――404 not found
「…………そうか、行ってこい」
「は? お前行かないつもりか?」
「別に、今に始まったことじゃないだろ」
そう、エニグマはその墓参りに一度も行ったことがないのだ。行けないわけではない、彼女自身が拒否するのだ。その理由は、彼女にしかわからない。断られるとわかっていても、ソルが行こうと誘うのは、エニグマも来るべきだと思っているからだ。
「えにゃ」
そこでパルスが前足をソファーにかけてエニグマに言う。
「ん?」
「えにゃが来たらばぅぁきっと喜ぶ。だから一緒に来る」
「…………」
「ばぅぁのこと嫌い?」
「…………」
エニグマは黙ってしまった。それでもパルスは問いを投げ続ける。五回目くらいで、アンノウンがパルスを引っ張って
「パルス、行こう。きっとお父様は具合が悪いんだ」
「ぶぅ………」
「…………気をつけてな」
皆が外に出たことを理解する。今この家に居るのは、エニグマたった一人だけ。自分の呼吸音と鼓動がただ虚しく木霊する。
「ほんと、あいつどうしちまったんだろうな」
「エニグマ殿は、思い出したくないんですよ。あの二人を」
「お父様、誰よりもお母様のことを愛していたよ」
「ばぅぁ、なんだかんだえにゃのこと大好きだった!」
「どうしたら良いんだろう……」
「………何もなかったかのように振る舞おう。それが僕達がお父様にできる唯一のことだ」
『姉さん』
『エニグマ姉さん』
『姉さん………』
『……………』
それから、しばらくが経った。変わらない日常で、変わらずエニグマは夢を見続けた。『エニグマにとって』知らない何者かからの問いかけ。近づいては消えていく、その繰り返し。そんな滑稽な夢を見続けていたら心がすっかり疲弊してしまった。それは、他人が見ても一目瞭然だった。
「本当に大丈夫なのか」
隣でソルがそう言った。エニグマは項垂れたまま視線だけを彼に向ける。
「………何故」
そこでグリフォンも合流。
「何故って、明らかに顔色が悪いからじゃないですか。放っておけませんよ」
何度もやってくる神妙な夢、それによって引き起こされた精神の疲れは家族の目から見て明らかになものだった。エニグマは無理やり声を出して
「大丈夫に決まってるだろ、私は最強なんだぞ。頭が空っぽになる時くらい私にだってあるさ、ソルじゃないんだからよ」
「ひでぇな、心配してんのに」
「ご無理は、禁物ですよ」
呆れた顔のソルと、少し安心した様子のグリフォン。憎まれ口を叩いたのは正解だったようだ。
「……ああそうだ。これから少し買い物に出かけるんだが、お前は疲れてるだろうから休んどけ」
「ああ、そうだな。昼寝でもしてるよ」
「お土産に元気が出るものを買ってきますね。唐辛子をすりつぶしたものとか」
「お前の餌皿にぶちこんどくわ」
けっ、とエニグマが軽く笑う。二人が外へ出たことを確認し、ぐったりとソファーに横になった。
(まさか、昼寝でも見るんじゃあるまいな)
もうあの夢を見るのはこりごりだ。これ以上私を困らせないでくれ。いい加減休ませてくれ。文句を垂れながら、エニグマは回路の電源をオフにした。
晴れの下にあるのは、緑色の草原だけだった。
エニグマはやはりその場所に立っていた。昼寝でもここに呼ばれるらしい、たまらずなり舌をする。夢を見たのはこれで何回目だろうか、十より先はもう数えていない。
『姉さん……』
やはりやってきたあの声。例の影は目の前にやってくる。エニグマは憤りを覚えて、その影に怒鳴る。
(もう出てくるなって言っただろ!! うぜぇんだよ!!!)
『……………』
「……………」
仮に聞こえていたとして、自分の名前を呼ぶことしかできない影が会話なんてできるわけがないか。あとはこいつらが消えるのを待つだけ。今までと何も変わらない。
「…………?」
『姉さん』
二つのうち、一つの影がエニグマに近寄る。一歩、また一歩と、徐々に近づいてくる。大きな緊張と焦りがエニグマを襲う。影はエニグマのすぐ目の前にまでやってきた。そのおかげで、はっきり見えてしまった。その招かれざる無垢な瞳は大事な誰かに似ていた。エニグマの心臓が活発に動く。私はこの子を知って―――
―――404 not found
(知らない、知らない、私はこいつなんて知らない!!)
首が捩じ切れるほどに否定したい。知らない、それだけをただ頭の中で反芻する。
『寂しいよ』
ぽつり、と言葉が紡がれた。その瞳はエニグマを明確に射抜いていた。あぁ、掘り起こされていく。もう二度と思い出さないと誓った記憶が抉られていく。
『どうして、来てくれないの?』
(…………あぁ)
否定することすら、忘れてしまった。
『ソルもグリフォンもパルスもアンノウンもルミナスも来てるのに、どうしてエニグマ姉さんだけは来ないのさ』
奥の影も喋り出す。
今すぐにでも叫んでやりたい、その煩わしい声をかき消してやりたい。呼吸が荒くなる、心拍数が跳ね上がる。それでも、ここから逃げ出せない。
『姉さんは、私達のことが嫌いになっちゃったの?』
(そんなわけ……ないだろうがッ!!)
自分に嘘をつき続けた、本当の心の言葉。今までさんざん二人のことを否定してきたくせに、今度は肯定という名の否定を行う。そんな皮肉、今のエニグマに届くわけはないか。
『寂しいよ……』
悲しそうにそう呟くと、二人はその場から去っていく。
(待ってくれ、私の話を聞いてくれ!!)
その肩を掴んで止めたかった、声を出して引き留めたかった、でも何も出来なかった。遠のいていく二人をただ見ることしか出来なかった。その代わりとでも言うのか、声が聞こえてきた。
『お前達は私の妹だ。わかったか?』
『まぁ、悪くはないもんだな』
『家族が増える? 大歓迎なこった。一人二人増えたところで変わらねぇよ』
(ああ………私の………)
聞こえてきたのは、かつての自分の声。それに気を取られたせいで、二人の姿はもう殆ど見えなくなっていて
(くっ……!!)
一瞬、ほんの一瞬だけ身体が動いた。必死に伸ばすその手はただ虚空を掴むだけ。
『姉さん………』
『………………』
その声が鍵となる。何重にもかけた南京錠が悉くその鍵によって解除されていく。蘇る、かつての記憶が、遥か昔の光景が
喉が震えた。
「……う……うああああああああああああああああああああああああああああああッッッッ!!!!」