第4話~涙!~
「……っ!わ、わかって……いました……っ!」
消え入るような紅の声は、軒並荘の共用リビングで発せられた。体力的にはまだまだ走れるが、精神的に彼女は打ちのめされていた。
リビングにある共用テーブルに腰掛け、突っ伏する。涙を隠そうと、腕を組んだ間に顔を入れる。
一気に玄関まで駆け抜けて、路地裏にでも住もうかとも考えたが、彼女の母親が危険だからやめときなさいと言っていたので、すぐにその考えは捨てた。
「わかって……いました……っ!お、お父さんが……私を、否定、することは……っ!」
母親が言っていたから。彼女の行動、思考力のほとんどは母親の模倣でしかなかったのだ。子供の世界は両親と自分以外はなく、そして彼女も、そんな子供の内の一人だった。
「……紅、ちゃん」
泣いている彼女に声をかけたのは、管理人さんだった。
紅はハッとなって顔を起こし、ゴシゴシと乱暴に涙を拭った。
「な、なんでもないです!き、気にしないで、ください……」
「……お父さんに、何か言われた?」
それは疑問と言うよりは確認だった。管理人さんは紅が何か言われただろうとある程度は予想していた。
「……嘘だ、って」
「え?」
聞き返したのは、紅の声がかすれて小さなものだったからだ。
「うっ、嘘だ、って!つい、っていう感じで嘘だ、って言われたんです!うくっ、ぐすっ……」
仕方ないことなのかもしれなかった。いきなり父親になれと言われて、ハイそうですかと返せる人間がどれほどいるだろうか。
「わかってました、わかってたの!ぜ、絶対に拒絶されるって、わかってた!だ、だから!悲しくなんかない!苦しくなんかない!」
涙を流しながら、紅は自分に言い聞かせるように叫ぶ。
「私が、私は幸せになれないことなんて、わかりきったことだったのに……」
それは、わずか十歳の少女が悟るにはあまりに悲しく、哀しい事だった。
「それなのに……」
心底不思議そうに、けれどどこまでも悲しそうに、少女は呟いた。
「どうして、期待してしまったのでしょう……?」
そこまでが管理人さんの限界だった。
「ひゃう!?」
急に抱きすくめられて驚く紅を無視して、彼女はギュッと力を入れる。
「……紅ちゃん」
「な、ななんですか……?」
管理人さんの瞳は潤み、今にも泣き出しそうだった。
紅にはなぜ彼女が泣き出しそうなのか理由が全くわからなかった。
「あなたはきっと幸せになれるわ。大丈夫」
「……私に、幸せは似合いませんよ」
ゆっくりと、紅と管理人さんは目を合わせる。
管理人さんの茶色の瞳は紅に、紅の漆黒の瞳は管理人さんに、互いを確認するように見合わせた。
「私が、絶対にここに住まわせてあげる」
管理人さんの口からでたのは、強い意思だった。
「え……そんな、迷惑……だと思います」
申し訳なさそうに、紅は言った。
「大丈夫。私を信じて」
強い意志を灯した瞳。
「……でも……」
「大丈夫」
そう何度も言う彼女に……
「……はい」
紅はようやく折れた。
途端に管理人さんの顔が明るくなり、いつもの優しそうな彼女に戻る。やはり彼女に沈んだ表情は似合わない。
「じゃ、呼んでくるわね」
「え?」
力強い微笑と共に、彼女は階段を上がっていった。




