聖女ですが社畜生活に疲れたので美少女魔王と国を乗っ取ります!
「や、やめろ聖女ミスティ!なんてことをしてくれたんだ!」
恐れおののく国王に、聖女ミスティはたたみかける。
「あんたは国王クビ!もう用無しよ!これからはこの可憐な魔王様がこの国の王になるんだから!」
ミスティが指し示す先には、困惑顔の魔王。
「はー!すっきりした!ずっとこうしてやりたかったのよ!この無能ゴミクズお荷物国王め!」
かつて聖女と呼ばれた姿は影も形もない。国王を足蹴にして高笑いをするミスティに、魔王もドン引きしていた。
―――――――――――――――
この国はもうだめだ。
三徹目を迎えた聖女ミスティは、眠気の限界を突破した勢いで亡命を決意した。
しかし国境には強力な防御結界が張られており、真正面から突破するにはたくさんの罪なき国境防衛魔術師を燃やし尽くさねばならない。
眠気のあまり正常な判断力を失い、無敵感に満ちたミスティにもさすがに大量殺人ははばかられた。とはいえ、全員がクソ国王の顔だったら殺し尽くしていたかもしれない。
国境には一カ所だけ結界が張られていない場所がある。
それは、『境界の森』と呼ばれる森林地帯。この森はあまりに深く、人々から方向感覚を奪うのでここを超えることは不可能とされていた。
そのため、結界を張る必要がないのである。
ミスティは、その森の中を彷徨い歩いていた。
この国で聖女と称えられ、人々の尊敬を集めるミスティは、ただの魔法使いの少女であった。
いや、”ただの”魔法使いではない。通常卒業まで5年かかるはずの魔法学校を、2年で飛び級卒業した天才魔法使いだった。
その魔法の才能を利用し、彼女を聖女として祭り上げ金もうけの道具としてこき使っているのがニークアム王国の王だ。
ミスティが得意とするのは光魔法。たまたま聖女っぽい魔法が使えてしまうのが、彼女にとっての不運だった。
この国がどのようにミスティの才能を利用していたのかというと、その光魔法を使ってぼんやりと発光する魔法石を毎日数百個も作らせ続けたのである。
このぼんやりと発光する魔法石に何の効果があるのだろうか。
実はこの石、何の効果もないのである!
ミスティは寝る間も惜しんでゴミを生産させられ続けた。この魔法石は高く売れるのだ。
哀れな民衆たちはただ光るだけの石を「聖女様の魔法の力が宿った万病を治す魔法石」と信じ、なけなしの財産をつぎ込んで買い求めた。
ちなみに、この魔法石を10個買うとミスティに直接治療魔法を施してもらえるというオマケがついている。
ミスティは魔法石作りの合間に、自らが最も苦手とする治癒魔法で哀れな国民たちを癒してやらねばならなかった。
それでも、治癒魔法を使うのはゴミを作るよりもはるかに気が楽だ。
国民たちにただのゴミを買わせているという事実は、ミスティの心を蝕んでいく。
その上、毎日3時間ほどしか眠ることができず、身体的にも限界を迎えていた。
これだけのことをして、豊かになるのは国王だけ。
ミスティにはまともな給料が与えられなかったし、宮廷魔術師である父ヒューズも激務の割には大した収入を得ていなかった。
それでも、国民の中ではかなり恵まれていた方だ。平民たちは明日食べるものもないという状況だし、貴族たちも着飾っているように見えて莫大な借金を抱えていることが多い。
元々豊かな国ではなかったが、ここまで酷くなったのは国王が代替わりをしてからだった。
先代の国王が亡くなってからたった6年しか経っていない。
6年でここまで経済状況が悪化した事実は、国王の無能さを物語っている。
ミスティの姉がこの国を去ったのもその頃だった。先代国王の私生児だったシルヴィアと共にこの国に見切りをつけて流浪の旅に出たのだ。
姉との関わりはほとんどなかったものの、彼女が旅に出る時はやはり寂しかった。
姉は7年ほど前に父から勘当を言い渡されたが、時々ミスティに会いに来てはシルヴィアの話を聞かせてくれたのだ。
ミスティはシルヴィアに憧れていた。彼女は治癒魔法の天才で、自分よりもずっと人々の役に立つ魔法を使うことができたからだ。
ミスティの治癒魔法は平均かそれ以下のレベルであった。そのため、魔法石10個分の金額ほどの価値はない。それどころか、魔法石1個分の価値もないだろう。
一部の治癒魔法を専門とする魔法使いたちはとっくにそのことに気が付いていた。しかし民衆たちはその事実を知る術を持たなかった。
ミスティの聖女性に傷をつける発言をした者は、国王によって処刑されてきたからだ。
ミスティは国を抜け出したい一心でひたすらに森の中を歩き続けていたが、ここは迷い込んだら出ることができないという『境界の森』。もうどこを歩いているのか、なんのために歩いているのか、何も分からなくなっていた。
(ああ、しんどい。寝たい…つらい。殺す…国王殺す)
ミスティは心の中で呪詛を吐き続け、なんとか意識を保とうとしたものの、限界だった。
(ああ…死ぬかも)
その場に立っていられなくなり、崩れ落ちた彼女が最後に見たのは、真っ赤な毛皮を持つ子猫であった。
「ニャー」
か細い子猫の鳴き声を聞きながら、ミスティは目を閉じた。
―――――――――――――――
目を覚ましたミスティは、自分の身体を思うように動かすことができないと気が付いた。一瞬状況が理解できなかったが、どうやら拘束魔法をかけられているらしい。
床に倒れたままあたりを見回すと、どこかの国の玉座の前に横たえられていることが分かった。
「目を覚ましたか」
少女の声だ。ミスティよりもずっと幼い。
おそるおそる見上げると、玉座に座っているのは真っ白な髪の幼女だった。
「て、天使さま…?」
やたら黒っぽい服を身にまとってはいるが、肌と髪が白く、かわいらしい大きな瞳をぱちくりと瞬く姿はまさしく天使であった。
やはり私は死んだのか。死んだと思うと、ミスティは少しすっきりした。
「天使とか言ってますよ、魔王様」
今度は低い男の声だ。声のした方を見ると、真っ黒な髪で片目を隠したガタイのいい男が笑っていた。
「天使だと…?この、極悪非道の魔王タピア様に向かって、天使だと…?」
ん?なんか魔王とか言ってる気がする。もしかしてここは地獄ですか?!民衆たちを騙してゴミを売りつけていたから、地獄に落ちたんですか?!
「ち、違うんです!国王に命じられて!あのクソゴミボケカス男に命じられて作ってただけなんです!民を騙したかったわけじゃないんです!」
「何を言っておるのだ…?」
ミスティの必死の言い訳も、魔王には伝わらない。なんとなく、ここは地獄ではなさそうな気がする。
ああ、それにしれも…!怪訝な顔の天使様…もとい魔王様も本当におかわいらしい。
「おい、キティ。お前が拾ってきたんだろ。なんで拾ってきたんだ?説明しろ」
魔王はミスティの隣にいる男に向かって問いかける。
横を見ると、赤髪に猫の耳のようなものがついた男が正座をさせられていた。
「た、倒れてたんですにゃ。にゃーが倒れてた時も魔王様は拾ってくださったじゃにゃいですか」
大の男が、幼女に追及されてあせあせと言い訳をするさまは滑稽だ。
「元の場所に返してきなさい」
しっし、と、うざったそうに魔王は言う。猫男は渋々といった様子で、ミスティを立たせた。
「ちょ、ちょっと待って!帰りたくないの!お願い!」
ミスティは必死だった。やっと国を抜け出せたっぽいのに、帰されるわけにはいかない。
それに、こんなにかわいい魔王様と離れたくない!
「なんでもします!働かせてください!」
「却下。お前、ここがどこだか分かってないだろ。人間がいていい場所じゃないんだよ」
魔王はため息をついてそう言った。そういえば、ここはどこなんだろう。
「ここは魔界だ」
ミスティがあたりをきょろきょろと見回しているのを見て、魔王が答える。
「魔界?!そんなもの、実在したんだ…」
「そうだ。人間がいていい場所じゃない。自分の世界に帰りなさい」
幼女の姿の魔王に命令されるのは不思議な気持ちだった。かわいい女の子に命令されるのも悪くない。ミスティの中の妙なスイッチが入りかけた。
「あんな国に帰るなら魔界で働いたほうがいいです!1日18時間は働けます!昨日までは三徹で672連勤目でした!300連勤までは元気にこなせます!なんでもします!お願いします!」
ミスティの言葉に、あたりがシン…と静まり返る。あれ?何か変なこと言ったかな。
「え…?やっぱり、1日20時間は働かなくちゃだめですか…?」
隣の猫男が、同情したような目でミスティを見る。何?どうしてそんな目で見るの?
「魔王様。これでもこの女を元の場所に返せとおっしゃいますにゃ?」
「うーん」
魔王はしばらく考えて、それから盛大なため息をついた。
「それで、お前、何ができるんだ?」
魔王の問いかけに、チャンスを感じたミスティはここぞとばかりに自分を売り込む。
「なんでもできます!得意なものは光魔法で、一番得意なのはフレアです!その気になればこの世界のすべてを強烈な熱エネルギーで焼き尽くすことができます。自分の全体魔力と一度に出力できる力を具体的に計算したので間違いないです!ちなみに、私のフレアを食らったものは跡形もなく焼き尽くされて塵の1つも残りません。しばらく不毛の土地にはなりますが、魔族は強そうなのでたぶん暮らせますよ!手始めに私の国を滅ぼしましょうか!」
魔王も猫男も片目隠し男も、唖然としてミスティを見た。
「いや…お前の国はいらないんだが」
「え?!ゴミ国王を焼き尽くしたいんですけど、だめですか?!」
「やるなら一人で勝手にやってくれ」
魔王は頭を抱えてもう一度ため息をつく。
「とにかく、一度しっかり寝た方がいい。今回も倒れてからちょうど3時間で目を覚ましたからな。寝てないから頭がおかしくなっているんだろう」
魔王はそう言って、拘束魔法を解いた。
「さ、最初の仕事が”睡眠”ってことですか…?!どんだけ優しいんですか魔王様?!かわいいだけじゃなくて優しいなんてやはり天使では…」
「キティ、連れていけ。くれぐれも他の奴らに会わせるなよ」
魔王はミスティの言葉を完全にスルーして猫男に指示を出す。
「はいにゃ!」
魔王からの命令に、猫男は嬉しそうに答えた。
「しっかりついてくるにゃ」
立ち上がってみて気付いたが、猫男にはしっぽも生えていた。しっぽをピンと立ててミスティを先導する姿は、どう見てもただの猫だった。
―――――――――――――――
魔法学校を卒業して以来2年ぶりに12時間睡眠をとったミスティは、久々に眠りすぎたことによって頭痛に襲われた。
「あ、頭が痛い…っ!猫ちゃん、猫ちゃん!ちょっと来て!」
猫ちゃん、と呼ばれて赤毛の猫男が姿を現す。
「猫ちゃんじゃないにゃ!にゃーにはちゃんとキティって名前があるにゃ。魔王様がつけてくれた大事な名前にゃ」
「猫ちゃんでもキティでもいいから、誰か治癒魔法使える人を呼んできて!頭が痛いの…割れそうなの!」
「それは大変にゃ!」
キティは慌てて部屋の外に走っていく。それからすぐに戻ってきた。
「これを飲むにゃ」
「なに、これ…?」
彼が差し出したのは、紙の包みの中に入っている粉末とグラスに入った水だった。ミスティにとっては初めて見るものだ。
「人間界にはお薬がないのにゃ?これを飲むと楽になるにゃ。魔族は魔法を使えるものが多くないのにゃ」
見たこともないものを口にするのは気が引けたが、四の五の言ってられないほどに頭が痛い。
「水で流しこむのにゃ」
言われた通り、粉末を口に含んで、それから水で流し込む。信じられないほど苦かった。
「魔法と違って即効性はないにゃ。少しだけ我慢してほしいにゃ」
そう言いながら、キティはミスティを再びベッドに寝かせる。はじめ、痛みが全く引かずに騙されたのかと疑った。
しかし、しばらく時間が経つといつの間にか痛みが消えていた。
「何これ、すごい…粉に魔法をかけたの?」
「違うにゃ。魔王様は魔法に頼らない魔界を作ろうとしてるのにゃ。魔法に頼ってばかりでは、その才能があるものしか成り上がれないから」
魔法に頼らない世界?ミスティにとってその言葉は衝撃的であった。
ニークアム王国では、暮らしのすべてと魔法は切っても切り離せない。
魔法がなければ食べ物を手に入れることすらできなかった。魔法によって植物や動物を育て、魔法によって収穫や屠殺を行い、魔法によって食材を調理する…。
ミスティが育ってきた環境では当たり前のことだった。
夜でも人間がものを見ることができるのは、光魔法があるからだ。隣国がある日突然攻めてこないのは、防御結界を張っているからだ。
病気や怪我をした時に、治癒魔法を受けられなければ死ぬしかない。
服や食器や乗り物や家、すべてが魔法によって組み立てられていた。
魔法は無から何かを作りだすことはできない。しかし、原材料さえあればその加工に必要なすべてをまかなうことができるのだ。
その魔法に頼らずに生きていこうとするなんて。
「魔法に頼らずに…」
ミスティは独りごちた。そういえば、魔法学校の落ちこぼれたちがひっそりと暮らす魔塔では、魔法に頼らずに暮らす方法を研究していると聞いたことがある。
彼らの研究は黒魔術と呼ばれて忌避されてきた。
「魔王様はすごいお方にゃ。魔族たちを変えようとしてるのにゃ」
キティはミスティの反応を大して気にしていない様子で話しを続ける。
「魔族は攻撃性の高い個体が多い種族とされているにゃ。魔王様は、魔族に子育ての習慣がないことが攻撃性の原因になっていると気が付いたのにゃ」
「子育ての習慣?どうしてそれが、攻撃性につながるの?」
ミスティは、魔王の考え方に興味を持ち始めていた。これまで生きてきた中で学んだ常識とは全く違うものだったからだ。
「”母”の愛を知らないからだ、と魔王様はおっしゃるにゃ。でもにゃーも、”母”がなんなのか、知らないのにゃ…」
母の愛。ミスティにとっても、それはなじみのないものだった。
「キティにもお母さんがいないんだね。私もね、まだ赤ちゃんだったころにお母さん死んじゃったの」
ミスティの母はミスティが2歳になる前に死んだ。彼女の記憶にはほとんど母の姿は残っておらず、母の愛がどのようなものなのかをあまり分かっていない。
「まあ、その分お父さんが頑張って育ててくれたんだけどね」
父のヒューズは不器用な親であった。ミスティと姉のベアトリスの幸せを願っていたが、魔法至上主義の王国に生まれたにも関わらず、魔法の才能がないベアトリスにどの人生を歩ませるのが正解なのか分かっていなかった。
結果的に、父とベアトリスは決別することとなる。
父は自ら勘当した彼女のことを今でも心配していたが、その資格すらないと自分自身でよく分かっていた。
ミスティは父が理想とする人生を順調に歩んでいた。その結果、彼女は激務に疲れて魔界に身を寄せることとなるのだが。
「魔王様はどうしてそう思ったのかな」
魔王とは、一般的に悪逆非道の悪役のはずだ。
しかし、彼女はとても悪い人には見えない。うちの国王よりもよっぽどまともだ。
「人間の女勇者との出会いが魔王様を変えたらしいにゃ。この話は、アウィスの方が詳しいから聞きに行くにゃ」
―――――――――――――――
アウィスと呼ばれた男は、初めて魔王に会った時に彼女の隣にいた片目隠し男であった。
「魔王様と女勇者の話を聞きたい?いいですよ。私から聞いたことは、魔王様には黙っておいてくださいね」
そう言いながら、アウィスはテーブルの前のイスを引いてミスティに座るよう促す。
キティも彼女の隣のイスに腰掛けた。
「女勇者…ジョアンは、当時本当の意味で悪逆の限りを尽くしていた魔王様を討伐しにきたのです。魔王様は700年ほど前まで、積極的に人間界を襲っていたのですよ」
「な、ななひゃく…?!」
彼女はどう見てもせいぜい10歳ほどにしか見えない。700年前に生きていたなんて信じられない。
「魔族は寿命が長いのです。ちなみに私は、神代から生きていますので…年齢を数えるのはやめました」
「神代って…」
「私は昔、神々の乗る馬車をひいていたのです。ですが、愛する女神を独占したくなって、彼女の馬たちを皆殺しにしてしまいました。その罰として神々の世界を追放され、ひっそりと森で暮らしていたのです。そこに現れたのがジョアンでした」
ミスティは話の展開についていけずにいた。
「あの森は今でも”境界の森”と呼ばれているのでしょうか。あの森は、異なる世界の境界となっている森なのです。人間界、魔界、神の世界…魔王討伐のため魔界に乗り込もうとしていたジョアンが、そこで私を見つけてくれたのです」
『境界の森』にそんな意味があったとは。ミスティはずっと、国境にある森だからそう呼ばれているのだと思っていた。
迷い込んだら出られないというのは、違う世界に渡ってしまうからかもしれない。
「彼女は追放の際に潰されていた私の片目を魔法で癒してくれました。恩に報いるため、私も魔王討伐にお供することにしました」
魔王討伐…とアウィスは言うが、魔王様は今も生きている。討伐に失敗したのだろうか?
「ジョアンは相手を殺さずに無力化するのがうまかった。魔王様の絶大な魔力をすべて小さな箱に封印し、彼女をただの無力な小さな女の子にしたのです」
無力な魔王様…。今はなんだか凄みがあるけど、ただの女の子になった魔王様はきっと悶絶するほどキュートだろう。
「魔力を封じられた魔王様は生活すらままならなくなりました。その上、魔族たちは次期魔王の座を狙い、無力になった魔王様の命を狙っていたのです。そのため、ジョアンは魔界に残って魔王様を守ることとなりました」
私もきっと、魔法を封じられたら生活すらできなくなるだろう。ミスティは魔力がなくなった自分を想像して身震いする。
「ジョアンは魔王様と生活を共にする中で、彼女に愛を教えました。まるで母のように、魔王様を愛したのです。魔王様もジョアンのことが好きでした」
自分を無力化した相手のことを好きになるなんて、どれだけの愛を注いだのだろう。どこまですれば、魔王様に好きになってもらえるのだろう。会ったこともない700年前の勇者に嫉妬する。
「魔王様はそこから変わられたのです。ジョアンは結局、彼女の寿命が尽きるまで魔王様と共に過ごしました。死の間際に、封印していた魔力を魔王様に託して亡くなったのです」
「ジョアンは魔王様を信頼していたのね」
胸がちくちくと痛む。700年も前の話だし、もう勇者は死んでいる。
しかし、魔王様の長い人生を大きく変えるほどの影響力を与えた女勇者がうらやましかった。
「ええ。魔王様は、ジョアンの期待に応えて立派な王になりました。人間を襲うこともなくなり、魔族たちにも愛を教えようとされています」
「愛を?」
「ええ。魔王様は、魔族の子たちを自ら育てていらっしゃいます。希望する者には子育てをさせていますが、長い歴史の中で魔族の子育てなど類を見ないものですからね。寿命が長く世代交代が進まないことも相まって、600年以上経った今でもなかなかうまくいきません」
魔王様が子育てを…?!私も魔族の子供に混ざりたい。
「魔王様が育てた一部の魔族はすでに成長し、今や立派な大臣や政務官にもなっています。彼らは外の世界との交流をすべきだと言っていますが…魔王様は強く反対しておられます」
「どうして?」
「魔族が人を傷つけることを恐れているのです」
アウィスはそう言って、小さくため息をついた。
ミスティはそれを聞き、改めて決意する。
「よし!やっぱり魔王様に私の国を滅ぼしてもらおう!」
「…話聞いてました?」
アウィスはミスティの言葉に、呆然としながら聞き返した。
―――――――――――――――
「魔王様!一緒に私の国を滅ぼしましょう!」
魔王の執務室に乗り込んだミスティは、元気よく告げる。
魔王は頭を抱えてため息をついた。
「断る」
「アウィスさんに話を聞きました!ジョアンさんの話です!」
慌ててミスティを追いかけてきたアウィスは、ミスティの言葉に小さく悲鳴を上げる。
「い、言わないでくださいと…伝えましたよね…?」
「アウィス…」
魔王はじとりとアウィスをにらみつけた。アウィスは大きな身体を小さく縮めてしゅんとする。
「ジョアンさんは魔王様のことを信頼してましたよね?それなのに、どうして魔王様はご自分が愛情を与えた魔族たちのことを信じられないのでしょうか」
ミスティは魔王に問う。魔王は、目をしばたたいてミスティを見た。
「魔王様が人間界との交流を避けているのは、魔族たちが人間を傷つけないか心配に思っているからですよね?」
「あ、ああ…」
魔王は、持っていたペンを置いてミスティの話を聞く。
「”母”の愛とやらを知らない魔族たちも、魔王様の愛ならすでに十分感じていたのではないでしょうか。魔王様のお姿はまるで聖母のようですから…」
「キティ、こいつは何を言っているんだ」
「にゃーには難しい言葉はわかりませんにゃ」
うっとりと言うミスティに怪訝な顔をする魔王。キティはあきらめたように首を振る。
「それに魔王様、人間の中にも攻撃的な人はいるしゴミクズだっているんです」
うちの国王とかね。
「ジョアンさんが信じたように、魔王様も魔族のみんなを信じてみましょうよ!魔王様が信じられないというのなら、私がその分信じますから」
その言葉にはなんの根拠もない。魔王がその言葉を真に受けて動くには、ミスティはあまりにも幼すぎた。
「だめだ、ミスティ。やはりボクは人間界との交流なんて反対だ」
「魔王様…?!ぼ、ボク…?!か…かわいすぎる…何からなにまで…っ!」
魔王の一人称を聞いて悶絶するミスティ。魔王は呆れて何も言えなくなった。
彼女が魔界にきてから、何十回ため息をついたか分からない。
ミスティははっとして咳払いをする。
「あまりのかわいさに取り乱しました!魔王様、これを見てください」
そう言ってミスティは、最近覚えた魔法を使った。光を使って映像を壁に映すという魔法だ。
「な、なんだこれは…?!」
面食らう魔王と、剣を抜くアウィス。キティは映像を追いかけて猫パンチを繰り出している。
「ご安心ください。これは遠くの光景を映し出すことができる私の魔法です。原理はよく分かりませんが、光を行き来させることでこのように動く絵として映し出すことができるようになったのです」
この魔法は、他の人に見せたことはない。たぶんまた仕事が増えるから。
その映像には、ニークアム王国の民が、食べるものもなく具なしのスープとわずかな芋を大切そうに食べる姿と、王が何人もの女を侍らせて風呂の湯につかって酒を飲む姿が交互に映し出された。
「タイミングが悪くて汚い男の醜い裸をお見せしてしまったこと、お詫び申し上げます」
魔法を解除したミスティは言う。魔王は映像を見て、何やら考えている様子だ。
「…つまりミスティは、自分の国を救いたいのだな」
「はい!…ん?そうなのかな?とにかく国王を殺したいです!」
「殺すのはやめろ。平和的に解決しようじゃないか」
魔王はようやく重い腰を上げた。ミスティは飛び上がって喜ぶ。
「やったー!王は私が殺しますから魔王様は手を出さないでくださいね!」
「…殺したら二度と口きかない」
「殺すのやめます」
殺意は消えないが、仕方がない。あんな男のせいで魔王様と口がきけなくなるのは耐えられない。
―――――――――――――――
魔王とアウィスとキティを連れて森に出る。何かゲートのようなものがあるのかと思ったが、気が付いたら周りの景色が変わっていた。
「どういうことなの…?」
「この森は生き物を惑わすからな」
魔王はそう言って、すたすたと迷いなく歩き始める。
「え、魔王様、方向分かるんですか?」
「魔王様の魔法の一つに、自分が進む道がはっきりと見えるというものがありますにゃ」
キティが言う。
「この魔法があったからこそ、魔王様は絶対的な君主として魔界の頂点に君臨し続けて
いるのです」
アウィスの言葉に、ミスティは相槌を打った。
「私の理想をかなえるために最適な道が分かるんだ」
魔王は振り返りもせずにそう言った。
結界のない部分から、簡単に王国に乗り込むことができた。
防御結界と『境界の森』は、魔法を遮断する効果がある。そのため森の中や国外からではワープを使うことができないが、国に入ってしまえばあとはワープで王の元まで簡単にたどり着けるのである。
長距離のワープを使える魔法使いは限られているが、ミスティは天才だ。
四人まとめて王城までワープするのも余裕だった。
「王!ただいま戻りました!」
突然現れたミスティの高らかな宣言に、王はびくりと身体を震わせる。
「な、なんだミスティか…って、なんだ、お前の周りにいる物騒な男たちは」
「魔界から連れてきました」
ミスティの言葉に、王は一瞬ぽかんと口を開けて、それから大声をあげて笑いだす。
「魔界だって?そんなものが存在するわけ…」
王の言葉の途中で、魔王が魔法を使った気配が感じられた。
「な、何をした…」
「拘束魔法」
ぶっきらぼうに魔王は答える。
「それから、人を馬鹿にしたら死ぬ魔法もかけたから」
王は苦々しい顔で魔王を見る。
「ばかな、そんな魔法があるわけ…」
「ばかって言ったね」
王は苦しそうにもがいた。死にそうな姿に、ミスティは焦る。
「ちょ、ちょっと魔王様!王を殺すなら私にやらせてください!」
魔王は答えなかった。やがて、王を苦しめていた魔法は解除されたようだった。
「ふ、ふざけるな…」
「アウィス、キティ」
魔王は二人の名を呼ぶ。
すると、二人は突然見たこともない獣に変身した。
「え…え?!」
その姿に戸惑うミスティ。王は恐れおののいて震えていた。
アウィスは翼の生えた鷲頭の獅子、キティは真っ赤な毛皮を逆立ててうなる巨大な化け猫の姿になっている。
「私はいつでもお前を殺せる。お前の護衛はお前を守る気もないし」
確かに。奇襲とはいえ、いつまで経っても護衛がこないのは不思議だ。
まあ、護衛たちも私と同じくらい働いていたから、疲れててそれどころじゃないんだろうけど。
「ミスティ」
魔王に名を呼ばれ、ミスティはつい「はい!」と返事をする。
「お前の好きにしろ。ただし殺すな。殺すなら私がやる…お前の手を汚してはならない」
ミスティは頷いて、それから国王につかつかと歩み寄った。
そしてまずは魔法で国王の頭をつるっぱげにする。
「や、やめろ聖女ミスティ!なんてことをしてくれたんだ!」
国王も自分の頭が涼しくなったことに気が付いたらしい。
「あんたは国王クビ!もう用無しよ!これからはこの可憐な魔王様がこの国の王になるんだから!」
突然国王に指名された魔王は困惑する。ミスティはそれから、国王の頭から王冠を奪い取って投げ捨て、その頭に魔法をかけた。
その魔法は、国王の禿げ頭を常に光で照らし出して目立たせる呪いであった。
「あんたには王冠よりもこっちのほうがお似合いだわ」
何がなんだか分からぬ国王は、涙目で「なんでもするから殺すな」と命乞いをする。
「はー!すっきりした!ずっとこうしてやりたかったのよ!この無能ゴミクズお荷物国王め!」
国王を玉座から蹴落として、ミスティは満足気に笑った。
「魔王様、二人で魔界とこの国をおさめましょう。人と魔族の共存を目指しましょう。たくさん大変なことはあると思いますが」
ミスティは玉座の前で、魔王をまっすぐ見つめている。
「私たちなら、きっとうまくやれます。私は魔王様のことが大好きだし、魔王様が愛するものをすべて愛しますから」
魔王は、自分の進むべき道をはっきりと見ることができる。
その矢印は、迷いなくミスティへと続いていた。
「魔王様も私を信じてください」
魔王は静かに目を閉じる。脳裏に浮かぶのは、700年も前に出会ったジョアンの姿。
『タピアならきっと、私以外の人間とも信じあえるから』
彼女の言葉を思い出し、魔王は静かにうなずいた。
この小説は、「嫌われ者の令嬢は剣術を極め婚約破棄してお姫様の騎士になる!」と同じ世界の7年後のお話です。
単体でも楽しめますが、ぜひどちらもお読みください!