▄︻┻┳═一 五発目 ≫ 【才の信頼】
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【才の信頼】
「いらっしゃいませ」
いつも聞いているはずの声がなんだかホッとする。薄暗い店、曲名すらわからないレコード、ほのかに漂う甘い香り。まるで遠出した帰りのように懐かしさが滲み出る。
私が席に着くころにはすでにレモネードが用意されていた。バーでレモネードを飲む。今日だけはこれが飲めてよかったと思える。
「登校初日お疲れ様です。久々の学校生活はいかがでしたか」
「いかがなもんか。七面倒くさいだけだ」
それだけ聞くとマスターは店の奥へいった。取り残された私は冷たいレモネードをジャズのリズムにあわせて飲む。ここにいるだけでいくぶんか気持ちが整理される。
そしていつも思うんだ。今いる私は何者なんだって。
人を殺して金を稼いで異名まである暗殺者なのか、はたまた身寄りのなかった孤影悄然の女子高生なのか。
このバーの雰囲気をモラリストが客観的に見たら風刺画として私が映っているだろう。
人というのは他人に対して普段の何倍も強気になれる。あれが正しい、お前は間違っているなど主観のボールを投げるけてくる。そんなやつらにさく感情がもったいない。だから私は他人に感情は抱かないし自分が何者かもわからない。私に残っているのはしがない復讐心のみ。
“カランッ”
氷が溶けてレモネードに浸かる。チックタックという時計ももうそろボーンとうねりをあげるだろう。無機物のほうがまだ信頼できる。
「お待たせしました。久々に作ったのでお口にあうかわかりませんが」
そういいながらマスターが皿を持ってきた。香ばしいチーズの香りと湯気が漂っている。
スプーンと調味料ラックが横に準備された。そしてメインのグラタン皿がゆっくりと目の前に現れた。それを見た瞬間はっと目を見開いた。
「シェパーズパイでございます。お好きな調味料をかけて召しあげってください」
これはイギリスの、私の故郷の料理。休日によく父さんが作ってくれたあの料理。
スプーンを手に取り、チーズの海に差し込む。持ちあげたスプーンの上には牛肉とマッシュポテトが層なり、とろりとしたチーズがその上を覆う。
私はフーッと冷ましてから口に入れた。それは期待を裏切らない味だった。牛肉の上品な油がマッシュポテトと相まって、深みのある味にもかかわらずしつこくない仕上がりになっていた。そしてこのチーズの香りが全体を包み込んで口当たりをまろやかにする。
ゴクリと飲み込むと、喉とお腹が熱くなるのを感じた。懐かしい。そう思うのはきっとあれだろう。
「マスター、このチェダーチーズってイギリス産でしょ」
「左様でございます。個人営業の職人から買い取ってますので少々味に癖があるはずです」
どおりで懐かしいわけだ。この少し臭みのあるチェダーチーズは父さんがよく買っていたやつに間違いない。時期によって味が少し変化するが量産型にはない深みが好きだといっていた。
シェパーズパイ自体の味はやっぱりマスターの作る味な気がする。しかしまさか日本にいてこの料理を食べれるなんて思いもしなかった。
「お気に召したでしょうか」
「そこそこ」
私はあっという間に平らげた。普段コンビニで済ませているということもあってか、久々の手作り料理に手が止まらなかった。まったくここのバーはバーというよりパブに近い。私はそっちのほうが慣れてるからいいんだけど。
食べ終わった食器を片付けてマスターはいつものようにグラスを磨いていた。
「ねぇマスター。ジェラルトンに言付けできる?」
「ええ、できますよ」
私は一枚の紙を取り出しそれをマスターに見せる。マスターは「ほう」と軽くひげをなぞり、鬼灯の笑みを浮かべる。
「かしこまりました。グリーンで通しておきます」
棚から白い封筒とシーリングスタンプ用の蝋を出した。私が持ってきた紙を丁寧に折り曲げて封筒に入れた。温めてドロドロになった緑色の蝋を封筒のベロに垂らした。そしていつもの刻印をして完成。
「ありがとう」
「いえいえ、ちなみに以前ご自身で作るとおっしゃっていたあれですか?」
「……」
マスターの意地悪なセリフに私は頬を膨らませて不貞腐れた。そして行儀の悪い姿勢でズズっとレモネードを飲む。
マスターは「失礼しました」と顔は完全に笑いながらいってきた。仕方ないじゃないか。いくら私でもできないことはある。
「ところで、例の依頼は順調ですか」
マスターはかけてるメガネを光らせて聞いてきた。順調かどうかは正直わからない。初日なだけあってその依頼の規模を俯瞰で見れた程度だ。強いていうなら……。
「ひとりだけ怪しい人物はいたよ。それが“ブラックリスト”かまだわからないけどね」
「さすがリリィ様。よい知らせを期待してます」
期待されなくたって私はやる。いくら時間がかかろうとも絶対に逃しはしない。種を植えれば花が咲くまで時間がかかるのは当然。今はじっとその機会をうかがうだけだ。
“カランッ”
飲み干したグラスの氷が溶けて音を鳴らす。私はそれを手持ちぶたさにかき回す。最近こういう時間に浸ることもなかったし今夜はゆっくりとしようかな。
ローレルやルーファあたりがきていると思ったのだが結局今夜も私ひとりみたい。まああいつらがいたらそれはそれでうるさいか。
「ところで、先日の件ですが」
マスターが不意に言葉を漏らす。私はその言葉の意味を瞬時に理解してマスターを見つめる。
「指定暴力団の壊滅、ニュースにも大々的に取りあげられてましたね」
「あいつらが悪いんだ。私を挑発したから」
マスターからおかわりのレモネードをもらい、キンキンに冷えたそれにまた口をつける。マスターはというと、どこか自分の過去を懐かしむようにそのニュースを語っていた。
「ハイドの皆さんも死体が多い割には片付けが楽とおっしゃってました。さすがですね」
ハイド、組織に所属する死体処理の専門家。私たちが暗殺をする場合、普段なら死体は自分で処理をする。しかし特殊な場合、今回でいう人数の多さや指定暴力団という看板が理由で私たちがハイドに依頼する。もちろん請求はあとできっちりやってくる。私も直接会ったことはないが、今までで何度かお世話になったことがある。団体を消したのもこれが初めてじゃない。
今回の規模なら報酬からハイドの依頼料を差し引いても少しは残るだろう。弾薬の補充やクリーニング代を考えたら元も子もなさそう。
「こちら、その依頼の報酬の詳細です」
マスターはブルーの手紙を私に手渡した。いつものようにさっと封を切って中を確認する。あまり期待はできないけど。
「え、なんでむしろ増えてるの」
元の報酬は二〇〇万だったが、ここに記載されている金額は五〇〇万だった。もちろんハイドの依頼料もちゃんと引かれている。
私が目を下の方に向けるとボーナスという欄があった。
「リリィ様に依頼をしたあと、たまたまあの暴力団関係の暗殺依頼がきましたのでその分を上乗せいたしました」
確かに依頼主がふたりになっている。まあ別に金さえもらえあればなんだっていい。だれがどうしたなんて興味はない。
私は報酬の紙にサインをしてマスターに渡した。
それを受け取るとマスターはコホンと小さく喉を鳴らした。
「しかしこれはあくまで特殊なケースです。なるべく目立つような行為はお控えください」
「わかってるよ」
表社会で問題になれば私たちの暗殺業にも影響が出る。抹殺ではなくて暗殺。暗闇に溶け込み、一般人のふりをして、ターゲットを密かに葬る。
表社会と裏社会は決して交わってはいけない。ゆえに学校とシティでは居心地が違いすぎる。いっそのこと一生シティで暗殺をしていたほうが有意義な気がする。現に私の依頼のほとんどがそれだ。その腕を組織に買われて今ここにいる。学校生活が私にとって裏社会だ。
「七面倒くさい」
ボーンと時刻を知らせる時計、名前の知らないバラード曲。それらをBGMにしてストローを食み、結露したグラスをそっと指でなぞった。
* * *
先生は黒板をそっと指でなぞった。
「おーい、今日の日直だれだー? ちゃんと消しとけよー」
学校が始まってからはや数日。二年生ということもあってみんなにだらけさが出てきた。この年の若者が一番面倒だとなにかのニュースで見た気がする。自己の欲求と他者への反発、そう反抗期だ。思春期とも重なるそれは特に家族に対して極端な反応をするらしいが、俺には関係ない。母さんは入院中だし、父さんはいないし。妹に当たるなんて絶対にありあえない。
もし海が反抗期になったら俺にそっけなくするのかな。なんかそう考えると悲しくなってきた。
「この公式テストに出すからしっかり覚えておけよ」
四月にしてもうテストの話か。まだ桜だってあんなに咲き誇っているのに。学生にとって切っても切れないこと、それがテストだ。致し方ないのはとうの昔から知っている。
テストに向けて今日から少しずつ勉強しよう、って毎回いってる気がするがいつも上手くいかない。一週間前に焦って前日に頭に詰め込む姿がたやすく想像できる。
俺も俺とて別に成績が悪いわけではない。ただ特別にいいわけでもない。学年順位はいつも真ん中。五段階評価はほとんどが三。ノーマルに中のノーマルだ。いい方を変えれば広く浅くできるといえるかもしれない。バイトでもレジ打ち以外にもホールやキッチンなど必要なところに駆り出される。悪くいえば特徴なしなんだろうな。
だからこそいくら成績が悪くっても特出してなにかを持っている人、自分を持っている人は尊敬する。俺が憧れるのはそういう人だ。
「次の問題は……里中、黒板に答えを書いてくれ」
「はい」
里中さんは静かに椅子を引いてトトトっと軽い足音で歩いていった。そして淡々と答えを書いているさまにクラスのみんなが唖然とした。
一切無駄のない動きとなびく髪の毛が彼女の神秘性を高めていた。難しい問題であったためそれを解くこと自体すごいことだった。
書き終えた里中さんは指先にふっと息をかけて粉を吹き飛ばし、何事もなかったように悠々と席に戻っていった。
表情ひとつ変えることない彼女だが、それがミステリアスに思えて少しかっこいいと思った。
「よく解けたな。それに教科書とは別解だ」
教室が一瞬どよめいたのを感じた。「やばくない?」「すげぇ」とちらほら聞こえる。それでも彼女は眉ひとつ動かすことなく、黙々とノートを取っていた。
「ねぇ里中さん! この問題教えてくれる?」
「ねぇ英語もできるでしょ! なんかいってみてよ」
今日も今日とて彼女の周りに人だかりができている。そして彼女はいつも無表情だった。だれかと会話することもなく必要に応じて質問に答えている。
「それは教科書の例文と同じやり方。lemon」
表情こそないがなんとなく面倒くさそうな雰囲気が出ている気がする。まあ毎日あんなに詰め寄られたら無理もないか。
「ねぇ空! ちょっと宿題見せてくれる?」
「え、こんな序盤からそんな感じなの」
俺の視線を遮るようにすみれがフレームインしてきた。同じクラスでないときも、たまに宿題を見せてくれっていってくることがある。小学校からずっとこんな感じだ。
同じクラスになった今なら、おそらくその頻度はあがるだろう。俺は別にいいのだがいつかやらかしそうな予感はする。あまり甘やかさないほうがいいのかなと切実に思う。しかし幼馴染みだからなのか、すみれが喜んでいる姿を見るとなんだか心臓のあたりが暖かくなる。
「写し終わったらちゃんと返してよね。それに自分でもやんないと意味ないよ」
「さんくす、わかってるよそんなこと」
怒られているのにもかかわらず、なんだか嬉しそうなすみれ。やっぱり俺ってパシリ的な扱いなのか、都合のいい男的なやつなのか。うぅ……自分で考えて自分で傷つくなんて……。
「ん? どうかしたの空?」
「な、なんでもない」
ため息をついてふと里中さんのほうを向く。しかしすみれに隠れてちょうど顔が見えない。
「も、もしかして……空もあーいう人が好きなの」
え? っと純粋に言葉を漏らした俺はすみれを見た。目を薄めて俺のノートを強く抱いている。心臓がドクンっと大きく鼓動した。
「別にそんなことないよ」
反射的に出た言葉はゆっくりとすみれへ届く。すみれがどうしてそんなことをいったのかわからないが、こういう表情はあまり見たくない。
昔からそうだ。アイスを落としたときも、ポテチをぶちまけたときも、チューインガムを膨らませすぎて顔にはりついたときもこの表情だった。あれ、なんか食べ物が多い気がする。
「はい、これあげる」
俺はポケットに入っていた飴玉をすみれに渡した。すると満面の笑みで「ありがとう」と返事をした。なんだやっぱりお腹が空いていただけか。
俺は背伸びをして腕を後ろにやった。その瞬間、だれかとぶつかってしまった。
「あ、ごめん……って里中さん!?」
彼女は一旦俺のことを見たが、なにもいわずに去っていった。
「そーらー、今のわざとじゃないでしょうね」
キレたすみれの声が聞こえます。目があわせにくいです。この流れはすでにわかっています。このあというセリフはきっと——
「おかず一個もらうからね!!」
「やっぱりかぁぁぁぁぁい!!!!」
* * *
「ふ、触れられた……」
女子トイレの一番端の個室で私はドアにもたれかかって腕を抱えた。
トイレ内にはだれもいなく、ただパイプに流れる水音が流れていた。緊張を解いてすぐさま触れられた部分を確認した。傷口はないか、服に異変はないか、なにか取りつけられていないか。
袖をまくりあげてもなにも異常はなかった。ふっと息を吐いて冷静さを取り戻す。
警戒をしていたにもかかわらず、まるで無意識のように私に触れてきた。暗殺業のせいか人の動きには人一倍敏感になっている。ハンドガン程度の銃弾なら避けれるのに、あれを避けれず察知すらできなかった。もしこれがやつらの手口ならなにかしら手を打たなければならない。
ひとまずなにもされてはいない。これで私のサンプルが取られているのなら相当な技術だ。やはりこれまで以上に柊木空を警戒をしないといけない。
私はチャイムが鳴るまえに教室に戻っていった。
「なのでこのとき、作者が——」
授業を聞くのは退屈だ。高校の内容なんて暗殺に必要な知識に比べたら砂糖ひと粒程度のものだ。私が得意とする狙撃もその土地の地形や設備を理解していなきゃ安全地帯を見つけることはできないし、距離と風速を瞬時に計算しそれぞれのベクトルを調整して標準をあわす。それらすべて暗算でおこなう。
さらに運動能力もそこら辺の男子高校生よりも高い。私の相棒は約六・五キログラム、それを担いで相手にバレないように移動しどんな体勢でも正確にターゲットを射抜く。改良しているとはいえ、その反動はとても大きい。もちろんたまに反動に負けてバランスを崩すことはある。
だから私は平均的な能力が高い。さもなくばシティで暮らすことなんて到底できないのだから。かっこいいからとかテストのためだかたではなく、必要だから自然と身についただけ。そこに自分の意思も他人の教えもない。
テストのためだけの勉強に時間を費やす彼らは、なんとも哀れな気がする。高校生っていうのは縛りプレーが好きなんだな。
私は気を逸らすように窓の外を眺めた。遠くのほうで桜が揺れている。風に身を任せて花びらを散らしている。
「同じだな」
泡のような言葉はだれにも聞こえない。自分にその破片が飛び散っただけになった。
「それじゃあこのとき、主人公の感情を五十字以内で書きなさいといわれたら、どう書くのか」
強いていうなら、そういうのが苦手だろう。人と仲良くするなんて、ましてやあって間もないどこのだれかもわからないやつらに心を許すなんて私にはできない。興味がない。七面倒くさい。
他人の感情なんて操作できやしないのに起伏は激しい。他人にどう見られようが自分は変わらないのに他人の顔色ばかりうかがっている。
私はクラスメイトをざっと見回した。寝ている人、別なことをやっている人、ぼーっとしている人。このクラスにどんなやつがいるのかまだ把握しきれてない。まずはこのクラスから調査し、次に学年、そして他学年とアプローチしていくのがいいだろう。
そのためにもクラスの人から怪しまれないほうがいい。あれ……。
私って今どういう立ち位置だ。
ノートを取っている手が一瞬止まった。学校が始まってから数日が経ったが、私が転校生というレッテルはまだ残っているのだろうか。クラスに馴染めなければ情報を得るのは難しい。いや、むしろ孤立したほうが単独行動しやすいのでは。
私は唇に指を軽く当てて思考を繰り返す。すべては任務のため。そこに感情なんて不確かなものは存在しない。
キャラづけは場合によっては怪しまれて終わりだ。ここは変に媚びて近寄らないほうがいいのか。そもそも世間一般の女子高生は私のスタイルじゃない。情報聞くまえに私の情緒が不安定になる。
理想は可もなく不可もなく、空気的な存在。みんなの印象に残らないのがベストだ。それなら私も変につくろわなくて楽だし。
「じゃあ残ったこれらの問題は宿題ってことで」
私はこの宿題を残してもう少し学校生活を送ることにした。
現時点での進捗状況はあまりいいとはいえない。ここ数日で怪しい行動をしている人はいなかった。校内でなにかしでかす可能性はないに等しいだろう。
それと一年生は調査の対象から外せる。マスターの依頼書には潜伏の可能性ありと書かれていた。それも三月の段階ですでにいたことになる。もしかりに一年生ならばなにかしら入学手続きなどの資料に違和感があるはずだが、私が確認した中にそんなものはなかった。まずは二年生と先生から炙り出していく。
“キーンコーンカーンコーン”
チャイムが鳴り、昼休みを知らせる。私はなにも持ってきていないし食べる気もない。それに昼休みは調査するのに絶好のタイミング。今日は他クラスの様子を見に——
「里中さん、一緒にご飯食べない?」
席を立とうとした瞬間クラスメイトに声をかけられた。胡散臭い笑顔を作っている人がじっと見つめている。奥には三人ほど人が溜まっていて弁当を広げて私に手を振っている。
適当なことをいって断ろうとしたとき、声をかけてきた子が私の手を引っ張った。
とっさに私は彼女の腕を掴んで内側に捻り、関節をきめる。彼女が顔を擦りつけている机を蹴飛ばし、上から思いっきり顔の横を踏みつける。そして余った右手で隠し持っていた拳銃を取り出し、脳幹目がけて——
てなことはしないで、私は無抵抗のまま連れ去られていった。
空いている椅子にポトンと座らされ、アウェイな雰囲気に包まれた。みな等しく胡散臭い笑いをしている。初めのうちはなにを行動するにも注目をされてしまう。こうやって女子グループに混ざっていることも彼らには好奇に思うんだろう。実際、視線を感じる。
「いやーうちらさ、もっと話聞いてみたくてさ」
「そうなんだよねぇ。里中さん昼休みいつもいないし」
きゃっきゃきゃっきゃと花びらをまくように話し始めた。ここまできて逃げるのは不自然だし、ちょうどいい機会だしこいつらを調べてみる。
コードネーム“団子より花作戦”
対象を左からABCDと名付けよう。話している感じ、このグループは私に話しかけたDがトップらしい。容姿もほかの人に比べていくぶんかマシなほうだ。
AとBは同じ部活なのか。見た目からして屋外の運動部だろう。聞いている感じあまり嘘はつけないタイプか。口も軽そうだし利用価値はありそう。
「私は知ってるよ、三年の高木先輩はだれが好きなんだって」
Cは猫かぶってるな。人を見透かしたようなものいいと人の目の真芯をとらえて話すその態度。私はなんでも知っている情報屋のような立場を売りにしているようだが、おそらくそれはホラだろう。たまに考えている素振りが出ているが、それは思い出している間ではなく考えてる間だ。
「てか、里中さん置き去りにしちゃってるよ。ごめんねほんと」
今までいろんなターゲットを暗殺してきたおかげで、その人がどういうタイプなのか判別できるようになった。こいつらは“ブラックリスト”じゃない。
人は装おうとすると綻びが出てくる。それを隠し通せる人もいるがそれはもう自分自身を騙している。
学校中の人を監視してひとつずつ潰していったら、終わるまえに卒業してしまう。なにかいい方法を模索しなければならない。
「そういえば里中さん、お弁当は?」
「まだ買ってない」
一旦盗聴器で探るのはよしておこう。前回みたいなことが起きたらたまんない。ここはGPSで居場所を随時確認するしかない。
「あ、それなら……」
“ブラックリスト”じゃない可能性があったとしても警戒するに越したことはない。まだ試作段階だがこれを使ってみるか。
私は制服からフリスクを取り出そうとした。そのとき、Bが目の前にガサガサっとなにか見せてきた。
「これは」
「今朝買ってきたパンだよ。けど食べる時間ないからあげる」
これは……罠か……。油断させておいて気を許したときに毒殺ってパターンか。そんな典型的な作戦に引っかかるわけがない。ましてや毒を持ってくるタイミングが早すぎるし、そもそも私はあんたらには気を許してない。
「里中さんどうしたの」
いや、考えすぎか。毒ならある程度抗体はあるし、毒味で不味かったらそれ以降食べなきゃいい話だ。しかし毒殺しようとしている人が普通の毒を使うはずもない。
抗体が作れないほどの微量の毒で時間をかけてどの毒が効くのか調べるつもりか。そんなやり方組織のあいつしかやらないと思っていたが、油断ならないな。
今差し出されてる以上すぐに決断しなきゃならない。その結果によっては今後の生活が変わってくる。
どうする……。
もらうか。
拒否するか
私が出した答えは……。
* * *
「私が出した答えは……これだ!!」
そういうとすみれは勢いよく俺の弁当からソーセージをとっていった。今回は向こうからの仕送りはないらしい。機嫌損ねるとすぐこうなるんだからたまったもんじゃない。
しかしソーセージ全部持っていかないところはすみれらしい。食べる人が食べてくれるのはとても嬉しい。俺は自分の作ったものを食べてもらう瞬間がとても幸福に感じる。いっそのことすみれ用に弁当作ってこようか。いや、それはなんか違う気がする。
ここ最近はすみれと食べることが多い気がする。たまに部活の人や、早弁して体育館にいってるが、ほとんどが俺とだ。
笹原はさっき先生に呼び出されてたし、幸か不幸かいらぬ心配をさせなくてよかった。
「あ、これ返すね。ありがとう」
ご飯を口いっぱいに頬張りながら俺にノートを返してきた。念のためなかを確認する。授業が始まったばかりでそんなに量はなく、こういうのは大体最後のページに……。
「これはなに、すみれさん」
「あはは……バレちった」
板書してある最後のページの上の余白に小さく絵が描かれていた。可愛らしい丸みを帯びた落書きは小学生の交換日記に書く絵を彷彿させた。
箸をくえわえててへぺろしているすみれに聞いてみると「柴犬」と答えた。
俺はふーんと頷き無言で筆箱を取り出した。そして消しゴムのかどで盛大に消した。
「あぁぁ!!私のペロぉォォォ……」
「まったく、油断も隙もありゃしないよ」
ぷっくり膨れたすみれを無視して食事を続ける。おかずを取られたり落書きされたり、里中さんにぶつかったり……。今日はあまり運ないのかもしれない。
すみれはすみれでまたなにか企んでそうな顔をしている。
「あ、いっそのこと空につけ耳を……」
珍しく真剣な眼差しをしてるかと思えば、想像以上に想像以下のことをいわれた。
すみれは携帯を取り出し、真顔の俺を撮った。するとすみれは「わーお」と満足そうな声をあげて俺に画面を見せてきた。
それは俺の写真を加工して犬のつけ耳をつけたものだった。
幼稚化した自分の顔が気持ち悪くて見てて恥ずかしくなった。すみれから携帯を取ろうとするがあっけなくかわされる。
「えへへ、保存しよっと」
無邪気な笑顔で肩をキュッとすくめた。満足げな彼女とはうらはらに、ため息をついて諦めモードの俺。
「やっぱり俺をパシリ犬だと思ってるしょ」
「人聞き悪いなぁ。信頼してるから頼ってるだけじゃない」
そういうとすみれはご褒美といってトマトを渡してきた。さながら餌づけのようだ。
そしてひとり早めにごちそうさまをした。もちろんこのあとはお菓子タイムだ。どこから出してきたのかわからないお菓子を開けて食べ始める。さっき保存したであろう写真を眺めてニヤニヤしている。
俺はそれを花にして団子をいただく。
「そらぁ、聞いてくれよぉ。さっき先生に……」
急に寄りかかられて俺は危うくお弁当を落とすところだった。ダル絡みするように力なく現れたのは笹原だった。
昼休みが始まるとともに職員室に呼ばれた笹原は帰ってくるころには疲労困憊になってた。
近くの椅子を引き寄せて座らせる。水筒を渡すとゴクゴクと運動後のように勢いよく飲んだ。すみれはお菓子を咥えながらその箱を笹原へ差し出す。
「あ、ありがと……って島塚さん!?」
「お前今ごろ気づいたのかよ」
動揺する笹原を軽くあしらってさっきしようとした話について聞いた。すると笹原は文句を垂らすように話し始めた。
なんでも、ある先生がトイレをしにいったとき、トイレの中から甘い匂いがしたらしい。さらにトイレ自体も煙たくなっていて、床にはタバコのような物が落ちてたそうだ。
笹原が疑われた理由は、その先生がトイレで笹原と入れ違いになったそうだ。
「俺だってトイレしてるときなんか変な匂いするなって思ったけどよ。けどタバコなんてやってないし、そもそも先生が見たっていうタバコもなくなってたらしいしよ」
「なくなってた?」
ことの全貌をあらかた話した笹原は深くため息をして、「冤罪だぁ」と椅子にもたれかかった。
確かに笹原は見た目はチャラいが、そういった犯罪ごとに手を出すような人物じゃない。友人だから庇ってるわけだはない。なにかが腑に落ちない。見間違えたとか、香水の匂いだったとか。可能性をあげればキリがない。
笹原はしぼんだ風船のように机に張りついていたが、すみれに餌づけされて機嫌を取り戻した。そして笹原も交えて三人で昼休みを過ごした。
「君……だれだっけ?」
「お、同じクラスのささ笹原です!!」
「あ、そっからなのね……」
眠い眠い午後の授業を終えたあたり、校舎は次第に茜色に染まっていく。それは下校の合図でもある。普段は怠けている人でも帰り際の準備だけ異様に早い。
そしてたまに気づかないうちにクラスからいなくなっている人もいる。そう、里中さんだ。
俺はカバンに荷物を詰めながら教室をぐるりと見渡した。
まるで存在しないかのように里中さんはいなくなっていた。だれかと会話しているのも見たことがない。今日はお昼に女子グループとご飯を食べていたけど、あまり楽しそうではなかった。
里中さんは授業を聞いているときも、休み時間を過ごしているときも、廊下を歩いているときだっていつもあの顔だ。表情筋ひとつ稼働していない彫刻のような表情。
もしかしたらまだ学校に慣れていないのかもしれない。国が違えば文化も違う。馴染めないのも無理はない。
掃除当番のじゃまにならないように俺はそそくさと教室をあとにした。
今日はバイトがあるし毎日同じ日常を繰り返すんだろうな俺は。若干の皮肉を思って階段をくだる。清掃用のモップを避けるように軽いステップを踏む。最高学年だったの色の靴がちらほらと目に入る。改めて俺は先輩になったんだなとこのとき思った。だれかに頼られるいい先輩になれるといいな。部活はしていないけど。
いまだに勧誘で賑わっている玄関を抜けて、その活気に反した男がひとり正門から出ていった。それはごく自然なことで、だれも気にかけなどしない。俺はただの生徒だから。
「今日バイト何時までかなぁ。また夜までやり……あれ?」
ピンと釣り糸に引っ張られたように背筋を伸ばした。そしてカバンの中を調べた。制服も調べた。靴やズボンのポケットも。しかしどこにもない。今日いくバイトの制服がない。今朝はちゃんとあったはず。
とりあえず教室に戻ってみよう。
「ほんと、今日は散々な日だ」
不幸な日は不幸が重なる。そんな言葉のテンプレが今日らしい。玄関を出るときあんなに目立たなかったのに戻ってきた途端みんなから注目された。俺はそれを無視して教室まで走った。
「おっと、びっくりした」
階段を一心不乱に駆けあがっていた俺はだれかとぶつかりそうになる。その正体は……。
「せ、生徒会長!? す、すみません!!」
腕のところに“会長”と書かれた腕章をつけていた。手にはバインダーを持っていてる。
俺は汗だくの制服をさらに濡らして頭をさげた。すると生徒会長はひまわりのような声で「大丈夫だよ。怪我するから廊下は歩いてね」と優しく忠告してくれた。
階段をくだっていく生徒会長の背中はなんとも頼もしく、先輩としての威厳が満ち満ちていた。
そんな生徒会長の姿に見惚れていたが忘れ物のことを思い出して、ゆっくり走りながら教室を目指す。
この時間になると掃除も終わって部活動の生徒がちらほら見える程度になる。ほんの数分前は人でいっぱいだったのに今となっちゃなにもない空間が広がる。そのおかげか窮屈感はなく教室にもあっという間に着いた。
膝に手をついて呼吸を整える。思いのほかカバンが重たく、階段をあがるだけで息が切れた。
俺はフーッと息を整えてドアに手をかけた。ガラガラっと大きな音が空虚な教室に広がった。
「だれ」
ドアを開けた瞬間に一線の眼光が俺を貫いた。あまりの気迫に俺は尻餅をついてしまった。窓の外に広がる夕焼けの空、そこに佇むひとつの影。逆光になって一瞬わからなかったが、この凛とした声はあの人しかいない。
「さ、里中さん……どうしてここに?」
帰ったはずの彼女がなぜか教室に。しかもひとりでいた。彼女はなにも答えようとせずただただ俺を見つめていた。それで少し冷静になって俺はずっと尻餅をついていたことに気がついた。
跳ねあがるように立ちあがりお尻をパンパンと払った。そんな俺は興味ないといいたげに里中さんは黙々とカバンに荷物を入れていた。俺は里中さんに近寄るように言葉をあわせた。
「も、もしかして勉強してたの? すごいなぁ俺はそこまで得意じゃないから尊敬するよ」
俺の言葉は届かず、イヤホンでもしてるんじゃないかというくらいに反応しないでカバンを担いだ。
「が、学校はもう慣れた?」
歩き出す里中さん。
「あ……」
言葉が見つからなかった。彼女になんて声をかければいいのかわからなかった。嫌われてるとも避けられてるとも違うこの感覚。まるで認識されていないような虚無感。好きの反対は無感情というが、それをまさに今痛感している。
俺みたいなやつは大人しくしてればいいのかな。でも、時折見せる少し寂しげな表情は放っておけない。善人の押しつけでも構わない。だってあの顔は……無表情で憂いを帯びているあの顔は母さんと同じだから。
「なにかあったら俺を頼っていいよ。力になれるかわからないけど、ひとりよりはマシかもしれないし」
すると彼女は歩みを止めて静止した。そして髪をなびかせて振り向いた。
「頼るってなに」
俺の頭は一瞬フリーズした。里中さんから返事がもらえるなんて思いもしなかったし、その言葉の意味自体もよくわからなかった。
「頼るって……その……助けを用いる? なにかをつてにする?」
「そうじゃなくて……」
里中さんはタンタンタンっとゆっくり俺に近づいてきた。そして彼女の瞳がよく見えるほどの距離まできた。俺は恥ずかしくなって後退りするが後ろが机でこれ以上さがれず、えびぞり状態になった。
「君は頼られたいの」
「ま、まあ困っている人がいたら助けたい気持ちはあるよ。それが頼られたいからなのか正直わからない」
じっと見つめる里中さんは「そうね」とひと言いってカバンを背負い直した。それ以降口を開くことなく教室をあとにした。
“キーンコーンカーンコーン”
完全に茜色に染まり、影が長くなった教室に規律的な音色が響く。
ひとり置いていかれた俺は里中さんが出ていったドアをただただ見つめることしかできなかった。彼女の言葉を心で反芻しながら。
* * *
——新宿、某路地裏
輝かしい新宿の街とはまったくの別世界。この路地には暗く光っているライトがひとつふたつしかない。夜も更けてきたらここはシティの住民の溜まり場となる。
しかしこんな物騒なところに入っていけるのは私らくらいだけ。
今日は大事な約束がある。彼がくる間、あの言葉の意味を何度も反芻して考えた。柊木空が発した「頼る」という言葉。何度もいわれたその言葉。
頼りにしているよというやつはその多くが私じゃなくて結果をほっしてるだけ。
頼っていいよというやつはそのほとんどが対価を求める。
私はその言葉に何度も利用されてきた。騙されたことだってひとつやふたつじゃない。だから私は頼るなんて無責任な言葉は使わず、自分でできることを増やした。問題が起きれば自分で解決し、わからないものがあれば自分で調査した。
自分の能力を増やして増やして増やした結果、なにかが失われた。それがいまだにわからない。
「よう、リリィ。久しぶりじゃねぇか」
闇の中から現れたのは汚れた白シャツにオリーブグリーンのジャケットを羽織った男だった。首からはバイクのゴーグルをかけて今さっき仕事が終わったような雰囲気を醸し出している。
「遅い、ジェラルトン」
「お前さんはいっつも手厳しいんだからよ。せっかく丹精込めてつくたんだぜこれ」
そういうとジェラルトンはペンケースほどの箱をチラつかせた。そしてゆっくりとリリィに近づく。
こいつは昔からもったいぶりが多い。さっさと渡してくれればいいんだ。
ブツを手に取ろうとしたがジェラルトンがすんでのところで引っ込めた。「チッチッチ」と古臭い舌打ちをして人差し指を振った。
「まずはお前のブツから渡してもらおうか」
「七面倒くさい」
渋々カバンから頑丈な入れ物を取り出して彼に渡した。嬉しそうに受け取ったジェラルトンはプレゼントを開ける子どもみたいにウキウキしている。
入れ物の中には銃弾が五十発が綺麗に入っている。そのうちひとつを取り出しジェラルトンは光に照らすように持ちあげて眺めた。
「こりゃすげぇな……」
「火薬の量と成分を改良して作ったソフトポイント弾だ。弾頭と薬莢は市販されているものだが、お前の作ったガラクタでも安全範囲で最大威力を出せるようになっている」
「ガラクタじゃねぇ、男のロマンよ」
私が作った銃弾にジェラルトンは満足したようで大事そうに銃弾を元に戻し、あっさりとブツを渡してきた。その中身をパカっと開いて軽く確認した。バレないようにカバンにしまって契約成立。
「ソフトポイント弾なんて趣味が悪い」
「暴力団を殲滅したお前にはいわれたくないね」
「まあね」
ジェラルトンはきた道を戻っていった。ズボンのポケットに手を突っ込んで格好をつけている。そして右手をあげて背中越しに私に手を振った。
「じゃあ、なんかあったら連絡するわ。頼りにしてっからさ」
そういって深い闇に消えていった。
私はただひとりで路地裏に突っ立っていた。暗く光るライトが寿命短そうに点滅した。
「頼りに……ね」
そう呟いた私はひどく惨めに思えた。月の光も、ラブホやキャバクラのあかりでさえこの路地には届かない。それがシティで生きるということ。利用するされるはお互いさま。
私はジェラルトンとは反対方向を向いて、パーカーのフードを深くかぶりこの路地をあとにした。そのときちょうど切れかかったライトが天命をまっとうした。