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【ブロンド・デイズ】
春休みが明けて今日からついに新学期だ。新鮮な高揚感で気持ちが舞いあがるが、なにぶん新しいクラスになって知らない人が多い。みんなもおそらく慣れない空間で戸惑っているだろう。そんなにすぐに仲よくなんて——
「ねぇねぇ! イギリスのどこに住んでたの?」
「それって地毛なの? ハーフなんだっけ?」
「今日放課後カラオケいくんだけど、俺らといかね?」
とても仲よさそーですねー。べ、別に寂しくなんか……ないし。
イギリスから転校してきた里中アマリリス、髪の毛はオーガニックの小麦色で目は宝石のように青く輝いている。転校生で女性で、かつハーフ。おまけにあのサッカー部エースが食いつくほどのとびきり美人だった。みんな彼女に興味津々だ。
彼女の机を囲むように大勢の人が集まっている。それは美しい花の香りにひかれて寄ってきた虫みたいで、少し不愉快だ。
“キーンコーンカーンコーン”
鐘の音で蜘蛛の子たちは散っていった。俺は彼女のほうを見た。彼女の心は凪のように穏やかで、そのありさまに現れている。イギリスからきたというから少し大雑把というかフランクな人を想像していたが、背筋をピンと伸ばして姿勢を崩すことなく授業を聞いている。その表情は眉ひとつ動かさないほど無表情だったがそれはそれで絵になる。
オリエンテーションにもかかわらずじっと担任を見ている。さっき差別的に思ったのが恥ずかしいほど立派だった。
「おい、受け取れよ」
「あ、ごめん……」
前からやってきたプリントで視界が遮られる。慌てて受け取ったあと横目で彼女を確認するが、隣の人が邪魔で見れなかった。
というか俺はいったいなにしてんだろう。女性を遠くから凝視するなんてまるでストーカー。別にそういうわけではないんだがつい彼女を見てしまう。ありていにいうなら俺もみんなと同じで仲良くなりたいのかもしれない。
チャイムが鳴り響き、一時間目の終わりを知らせる。久々の授業で腰が疲れた。もちろんオリエンテーションで特に大した内容ではなかったが。
休み時間になると学校の中はどこいっても賑やかだ。移動教室の人、立ち話をする人、新学期早々先生に怒られてる人。廊下を歩いているだけで、彩りが出てくる。
多種多様な光景はまさに動物園そのものだ。あそこにはニホンザル、こっちはキリン、窓際に座っているのはミーヤキャットかな。そして後ろから走ってくるのが……。
「空! 移動教室なのになんで起こしてくれなかったの! 罰としてお昼おかずもらうからね」
ゴリラだ。なるほど寝起きは機嫌が悪いのか。図鑑に書いておいたほうがいいかもしれない。
またいつものようにおかずを失った。友達にまで見放されて置いていかれたのはなんか可愛そう。てか、俺悪くない気がする。飼育員の俺が面倒みようかなって思ったが、俺は飼育員側じゃないな。
「すみれ、俺を動物で例えたらなんの動物?」
「いきなりどうしたのよ。そうね……柴犬じゃない?」
「それパシリにされてないか?」
すみれは「さあね」と言葉をこぼして俺の手を引いて廊下を走る。周りの視線など気にせず、持ち前のフットワークで人混みの中をすり抜けていく。俺は何度も教科書を落としそうになり、何度も人と肩がぶつかった。
これじゃあ俺が柴犬というより、振り回されている飼い主だな。
“キーンコーンカーンコーン”
順調に授業を終えて昼休みになった。授業中の静寂が嘘のようにあちらこちらで騒ぎ出す生徒。ある人は購買へ走り、ある人はまだ寝ている。しかしどこを探せど里中さんは見当たらなかった。先生に呼ばれたのかもしれない。
アニメや漫画みたいに屋上でご飯食べたりのんびりできたらいいけど、あいにくあそこは鍵がかかっていて生徒立ち入り禁止だ。中庭や外のベンチもいいが特にこだわりもないのでいつもどおり教室で食べる。
お弁当を開けたときに香る食材やふりかけの匂いがとても懐かしく感じる。フタの水滴がぽたりと机に落ちた。ニ段重ねになった弁当を広げて手を合わせる。
「いただきます」
前の人がお弁当を持って席を立つと、その隙を見てすみれが現れる。机に弁当を置き横向きに座った。
「ほかの子と食べなくていいの?」
「大丈夫よ。空より友達多いから。それよりおかずもらうわよ」
すみれは箸を持ってどれにしようか選んでいるが、いつものお弁当と見た目が違うことにすぐ気づいた。
海が作ったと知るとすかさず卵焼きに箸を伸ばす。綺麗な焼き目のシンプルな卵焼きだ。味わったあとすみれに海の卵焼きのほうが美味しいといわれた。
海の作る料理は下ごしらえや味付け、見た目にいたるまでミリ単位の調整が施されている。本人も料理が趣味で、特に節約術は主婦そのもの。きっといい奥さんになるんだろうな。
「でもあたしは空の作るお袋の味って感じの卵焼きも好きよ。はいこれあげる」
お袋の味か、それは正しいかもしれない。昔お婆ちゃんが作ってくれたのがそのネギ入りの卵焼き。それが好きで見様見真似に作ったのが初めての料理だったけ。
「懐かしいな。すみれがくれたこれも昔……ってこれセロリじゃん」
自分の嫌いな食べ物を寄こしてきた。今はだいぶマシになったけど昔から野菜が苦手だった。それゆえ給食やら飲食店やら、苦手なものは全部俺に渡してくる。すみれは文字どおり生粋の肉食系女子だ。
俺らが幼馴染みなのを知っている人はいるが、初日からこうしていると変な噂が立ちそうで怖い。すみれには好きな人がいるらしいし、迷惑にならないように気をつけたいところ。
しかしそんなことは気にせず美味しそうに食べるすみれは無頓着っていうか純粋っていうか、すみれらしいな。
「あ、そういえば。私って動物に例えたらなんだと思う? ほらあんた移動教室のとき俺はなんの動物だーって聞いたじゃん? 私も気になって」
「え、あーそうだねぇ……」
ゴリラ、その単語が頭をよぎった。正直にいうか、それとも適当なものをいうか。悩ましい。この回答次第ではまたおかずを取られかねない。慎重にことを進めなければ……。
もしかしたらそこまで考えなくても大丈夫かもしれない。たかが昼休みの雑談だし。
「すみれはねぇ、ゴリ——」
俺はすっと顔をあげてすみれのほうを向いた。そこにあったのはキラキラと目を輝かせたすみれの顔だった。期待しすぎじゃね? 期待しすぎて背景に「キタイー」という効果音が見えてくる。箸まで置いちゃってさ。
俺は持っていたセロリをぽとりと落とした。そして考え抜いた結果——
「猫かな」
「えー私ってそんなに猫っぱい?」
若干の嬉しさを見せてすみれはまた弁当を食べ始めた。この先の高校生活がどうなるんだか。安息の地はないのかもしれない。
「あれ、空髪切った?」
「え、切ってないけど」
「そうなんだ。なんか雰囲気違うような」
“キーンコーンカーンコーン“
久々の授業に俺の体はまだ順応できていない。座りっぱなしだと腰が痛くなるし、先生の声が子守唄のように睡魔を運んでくる。
しかしそれも今日は終わり。解放されたように背伸びする。いっそのことこのまま寝てしまいたい気分だ。
登校初日にあの“景色”にまた出会えただけでもう満足だ。自分のイメージが誇張して美化されてなくてよかった。里中さんは授業中しっかりとした姿勢で先生の話を聞いてるし、五時間目の地理のときだって率先して先生の荷物運びをしていた。育ちがいいんだろうな。ドレスを着たら本当にどこかの令嬢みたいだもんな。
俺は机に頬杖をついてぼんやりとそんなことを考えていた。そしてまた背伸びをする。
「ねぇちょっといい?」
唐突に話しかけてきたのはあろうことか里中さんだった。俺はびっくりして椅子にもたれかかったまま倒れてしまった。
あからさまにテンパる俺を無表情で見つめる里中さん。そのことがより一層俺を赤らめる。
「ど、どうしたの」
「職員室ってどこだっけ。私忘れちゃって」
透き通る声が耳を撫でる。そしてあの目でじっと見つめてくる。俺が座り込んでいると優しく手を伸ばしてくれた。その手を取って情けない体を起きあがらせる。彼女はどこまでもおしとやかでソメイヨシノの声がする。
「職員室なら二階だよ。案内しようか」
「大丈夫、ありがとう」
表情ひとつ変えることなく彼女は去っていった。俺はあっけに取られていた。目を点にして彼女と触れた手をぼんやり眺める。
「よう空、今日バイトあるか? ないなら久々にカラオケいこうぜ」
急に肩を組まれた俺は変な声を出してしまった。彼の名前は笹原進。一年のとき同じクラスでとりわけ親しくしていた。今年も同じクラスで遅刻したとき真っ先に声をかけてきた人だ。新学期になったからなのかチャラさが増した気もする。
「いいね、準備するからちょっと待ってて」
制服の上着を羽織って机の中に忘れ物がないか確認する。掃除当番の人がガタガタ机を鳴らしているなか、俺らは下駄箱へ向かう。
「吹奏楽部この後演奏会ありまーす」
「サッカー部、マネージャーも募集してます」
「おい邪魔すんなよサッカー部! 野球部もマネ募集してまーす」
放課後は放課後で日中とは違った賑わいを見せる。あちらこちらで部活動の勧誘がおこなわれおり、新入生は屋外から校舎の隅々まで見学にいく。
部活動は高校生活の醍醐味といっても過言ではないかもしれない。憧れの先輩がいて仲のいい後輩もいて、自分の趣味以外の時間も共有するのはそれだけで楽しいものだ。
俺は部活やってないから少し羨ましく思ってしまう。こういうのは大人になってからやっとけばよかったなど後悔するパターンだ。
俺のアルバムに順風満帆な姿はないに等しい。今は生きるだけで精一杯だ。
「いいなぁ俺も部活続けてればよかった」
「笹原は飽き性だし、アニメやドラマに影響されやすいもんね」
笹原は当時バレー部のアニメにハマりそのまま入部した。しかし練習についていけず、結果飽きて一ヶ月でやめた。俺はそれはそれでいい思い出だと思う。多分同窓会や飲み会の席で一生ネタにされるやつだ。
部活勧誘で賑わう玄関を抜け、新入生に紛れながら学校をあとにする。まだ肌寒くカーディガンを持ってくればよかったと後悔する俺とポッケに手を突っ込んでくしゃみをする笹原。
グラウンドのほうからは運動部のかけ声、校舎からは吹奏楽部の音色が聞こえてくる。それは典型的な放課後で、俺もそのモブキャラだ。
彼らの青春に花咲くとき、俺はきっとバイトしてるんだろうな。そう思いながらしけた道を自分のランウェイにして歩く。
「二名様ですね。機種にご希望がなければ二階の五号室をすぐにご用意できますよ」
ふたりでちょうどいい部屋に誘導され笹原はクーラーと照明を調整する。俺は基本聞く専門だし、のんびり笹原リサイタルを観賞することにした。彼が曲を選んでいる間に俺は飲み物を取りにいく。
ここの部屋からドリンクバーは近いし種類も豊富だから俺みたいなやつにはうってつけだ。歌うと喉にくるし笹原には水も持っていこう。バイトしているだけあってコップを持って移動するのに問題はない。
ドアを開けると早速笹原が一曲目を歌っていた。彼はマイクを持っていないほうの手が騒がしいスタイルの人だ。もちろん歌は上手だが、その様子を観るのもとても面白い。
俺は音楽をあまり聞かない、流行など当然知らない。たまにBGMとして洋楽を流すことはあるが歌詞の意味どころか題名すら知らない。
けどなんでだろう、音楽に耳を傾けると石垣にツクバネアサガオが咲くように規律で乾き切った心を彩る。それは純粋無垢な和みなのか他人の感情に揺さぶられたのか。その答えを出してしまうのは野暮かもしれない。そう思った。音楽は一種の薬であり宗教というのがふさわしい。
二曲目、三曲目、四曲目。俺が歌って笹原が五曲目。そして俺は飲み物を注ぎにいく。笹原は俺に歌うことを強制してこない。好きに歌って、たまに休憩して俺と会話をする。少し面倒くさがりなところはあるが優しいやつだ。
残り時間十五分、帰る準備も考えてあと歌えて二曲といった所だろうか。笹原は歌い終わるとなにやら神妙な面持ちで下を向いている。
「なあ空、あのさ……新学期になってクラス替えもしたじゃんか。可愛い子とかいた?」
ん、なんか聞いたことあるセリフだな。このパターンはまさか……。
「俺……島塚さんのことが好きなんだ! だから教えてくれ、お前ら本当につきあってないんだよな?」
むせた俺はテーブルをコーヒー塗れにしてしまった。焦って拭いている俺は眼中になく、笹原は恥ずかしそうに話を続けた。
一年のとき、俺と笹原は同じクラスで席も近かった。たまに教科書を借りにくるすみれを見て一目惚れしたらしい。幼馴染みとはいえ距離が近い俺らに嫉妬しその真偽を確認したいとのことだった。
「とんだ爆弾発言だな。全然気づかなかったよ」
今日カラオケに誘ったのはそういうことか。もちろんそういう関係じゃないけど、おそらくすみれが好きなのは笹原じゃない。でもこんな純粋な恋心の持ち主を傷つけたくないし、どうしよう。
「ただ家が近いだけだよ。ゆっくり焦らず自分の気持ち伝えたらいいんじゃないかな」
テンプレート中のテンプレート。そんな言葉でも人は勇気づけられる。ダメで元々、もしかしたら自分の考えが外れてる可能性もある。ゴリラの餌食になったら慰めてあげよう。
「ちなみにどんなところが好きなの」
「そりゃもちろん、見た目もいいし明るくて元気でちょっと抜けてるところがまたいいんだよ。それに運動してるときちょっとエロい」
アーソウナンダネ。
残り数分、笹原は自身の十八番をセレクトし、感情の赴くままに歌った。とても人間らしい姿に感動すら覚える。
店を出て駅までブラブラ歩く。ネクタイを緩めている人、部活終わりの学生、飲み屋のキャッチ。それらすべてが帰宅ラッシュを知らせる。人の群れが駅に集結するがゆえに、ひどいときは自転車のほうが早く着くこともある。ひと駅ふた駅のために乗るもんじゃない。
「今日はありがとな。例の件だれにもいうんじゃねぇぞ」
もちろんと返事をした俺は手を大きく振る。吸い込まれていく笹原はあっという間に見えなくなった。海も待っていることだし俺も帰ろう。夜の街は輝きすぎて俺には似合わないから。
「なあ海、俺って動物に例えたらなんだと思う?」
「んー柴犬?」
* * *
「よし、あとはここを調整して……」
机の明かりをつけて目の前の作業に黙々と取りかかる。暗殺者にとって重要なこと、それは事前準備だ。
学校にいくというのはもはや敵の懐に飛び込むのと同じこと。不測の事態が起きないようにこうして綿密に計画を練っていく。
“ブラックリスト”、それだけ今回は責任が重く、一歩間違えば存在ごとこの世から消される。学校のだれがターゲットなのかわからな状況。先生、事務、あるいは生徒。味方なんていない。私ひとりだけだ。
「火薬が少ないな、一回分解して——」
“バフッ”
手元の物体は小さな煙とともに無惨にも壊れてしまった。私は手に持っていたプラモデルなんかに使う精密ドライバーを放り投げて諦めた。深く息を吐いて、椅子の背もたれがギギッと鳴るくらいもたれかかる。
やっぱり慣れないことはやるもんじゃない。大人しくあいつに頼んでみるか。
そうなるとブツがくるまでほかのもので補うしかない。クラスメイトの名前と席の場所は覚えた。教職員のデータもすでに獲得済み。事前のリサーチでは特に怪しい人物はいなかった。
とりあえず、シャワー浴びよう。
イギリスから転校してきたという設定でターゲットがいる学校になんなく入れた。しかしこれからというのに私は総攻撃を受けている。
「ねぇねぇ! イギリスのどこに住んでたの?」
「それって地毛なの? ハーフなんだっけ?」
「今日放課後カラオケいくんだけど、俺らといかね?」
何万回と繰り返されたこれらの質疑は聞きすぎて耳にタコができそう。
ひとりがしゃべればそれに食い気味で別の人が話す。まあ彼らからすれば珍しいのは致し方ないだろう。しかし自分が好んで生まれる国を選んだわけじゃないし、髪の色や容姿もそれにあたる。そんなことでいちいち群がられるのは好きじゃない。七面倒くさい。
「あのさ——」
“キーンコーンカーンコーン”
チャイムだけが私の味方をしてくれた。花びらを貪る虫のようにぞろぞろと現れて正直怖かった。だれがターゲットなのかわからないからこそ無闇に行動したり印象づけるのはよくない。ただでさえ個性で注目を浴びているのにこれ以上目立ってしまえば、仕事どころか私の人生が消滅してしまう。
話し方や素振りからして今きた連中はターゲットじゃないだろう。
一時間目は担任の授業だ。初めて学校にきたときに軽く話したことあるだけだ。先生に紛れているというのが一番妥当な筋だろう。
みんなにとって授業はただ一方的に受けるものだが、私はそれとは違う。相手の話し方、目の動き、表情、仕草などそれらすべてが情報となる。
「それじゃあ今からプリント配ります」
前の人が後ろへプリントを回していく。さらにその人が後ろへ回していく。一番後ろの私はたどり着くまでにディレイが生じる。この待ち時間が少し懐かしいと思った。悪夢の中学時代のことを。
もらったプリントはいたって普通だった。目立った工作はしていないようだ。この人を白と判断するのはまだ早い。慎重に情報を集めよう。
集めたいのだが、現時点で怪しい人物がすでにいる。
柊木空だ。
あいつは一見するとどこにでもいる高校生だが、周りとの雰囲気はまったくといっていいほど違う。教室に入ってきたときもそうだが、このクラスにひとりだけ殺気を放っているやつがいる。と思ったらいつの間にかに気配を消して空気と化す。それが柊木空だ。
たびたび視線があってしまう。そのたびに私の脳内がひどくうずくようで警戒アラートを発令している。
しかしこうもあっさり見つかるとも限らないし、やつらにしては殺気が出過ぎているような気がする。わからない。わからなすぎる。
諜報の依頼は何回かこなしたことはあるが、ここまで大規模となると話は別だ。元々暗殺が主流の私はそれに必要な情報を集めたりはする。でもそれは私のホームグラウンドの話で、こうも表社会に出てくると調子が狂う。
登校初日で勝手な先入観を持つのはまずい。しかし暫定的にあの柊木空の動向には気をつけないと。
“キーンコーンカーンコーン”
まずは可能性の高い先生や事務を調査する。移動教室を利用してあらかた校内を見ておきたいふしもある。
「里中さん、学校には慣れそうですか?」
席を立とうとした瞬間、担任に声をかけられた。「大丈夫です」とひと言いって教室をあとにした。なんだろう、新しい環境に慣れてないからかな。まったく気配を感じなかった。
今日のミッションはこの学校を知ること。まだ午前中だし慌てず冷静に。
「里中さん? どうかしたの?」
「なんでもない」
移動教室まで案内してくれるクラスメイトが首をかしげた。この人はなんだかゆるくてふわふわしている。それも天然物だ。私が転校生ってこと知らないんじゃないかってくらい自然に話しかけてきた。
当分はお世話になるだろう。
「それでねぇ、この前シュークリームを作ったんだけど全然生地が膨らまなくてぇ」
私が口を開かなくてもゆったりとした口調で話を続ける。身長が小さめで童顔のせいか同じ学年には思えない。
こう廊下を歩いて改めて思ったが、この学校は生徒数が多い。都心ということもあって生徒不足にもならないのだろう。これをひとりずつ調査するのは骨が折れる。なにか策を講じなければ。
冷静に状況を確認したのも束の間、後ろから多大な覇気を感じた。とっさに袖から隠しナイフをバレないように出した。そしてその覇気が近づいてくる瞬間そのナイフを——
「うあぁぁぁごめんなさーい!!」
目にも止まらぬ速さで柊木空が引きずられていった。確かあの女は島塚すみれ、同じクラスだったな。危うく登校初日にひとり殺めることになるところだった。
私はすっとナイフを元に戻し、なにごともなかったように歩いた。
“キーンコーンカーンコーン”
「ねえ里中さん一緒にご飯食べよう……ってあれ? どこにもいない」
「仕方ないね、うちらだけで食べようか」
すっと教室のドアを閉めて任務開始。
昼休み、それは勉学に励む者の休憩時間。ゆえに校内は活気であふれる。それは昼顔のように一定時間のみ咲き誇る。
時間はたっぷりあるし学校中をうろついても不思議ではない。転校生という設定のおかげでかりになにか聞かれても対処できる。このレッテルをおおいに使ってやろうじゃないの。
校内図はすでに暗記済み。私の教室があるのは四階で下にいけば三年生や職員室などある。先輩に絡まれるのが一番厄介だ。ここはまず上を目指そう。
そう決めて階段へ向かおうとしたとき、ポンと軽くだれかとぶつかってしまった。
「あ、すみません」
「いえいえこちらこそ……って君は転校生だね!」
顔を見あげるとリンドウのような満面笑みを浮かべた男子生徒がいた。靴の色からして三年生。制服をビシッと着こなす姿はエリートというか真面目というか。
いや待てよ、なんでこいつは私が転校生って知ってるんだ。他学年のことなんて知る由もない。なぜあんなに断定して私を転校生といえるのか。
「あなたは」
「あはは、これは失敬。私はこの学校の生徒会会長、蓬菊斗だ。よろしく頼むよ」
いちいち声が大きい。元気なのは伝わってきたがあまり目立つことをしてほしくない。
私は会釈してその場を立ち去ろうとする。
「あー待ってくれ。君はこの学校にまだ慣れてないだろう。私が校内を案内するよ」
彼は有無をいわせず私の肩をポンと叩いて先を歩き始めた。別に律儀につきあう義理もないが。
「どうしたんだい里中くん。さあ早くおいで」
周りの注目が一気に私に集まる。気乗りはしないがやむを得ずついていくことにした。
この生徒会長は人望があるらしく、道いく人から挨拶をされる。それに返答する声がやはりでかい。
「ここは特別教室が連なっているから覚えておくといいよ。音楽室はもう一個上だから気をつけてくれ」
隅から隅まで淡々と説明される。そこには事前調査資料にもなかった場所や生徒だけが知っている秘密などあらゆる情報が混じっていた。この人の話し声はでかいが、それだけじゃなくしゃべりが上手だった。人が興味をそそるような話ぶりはひとつのトークショーを見ているようだった。持ち前の元気さも相まってこの学校の生徒や先生から支持されているのだろう。
「さてと、昼休みが終わりそうだな。残りはあと屋外と屋上か。ここまできたら最後まで——」
「残りはクラスメイトと見たいのでこのへんで」
このままいけば授業を無視するか放課後にまた集まることになってしまいそうだった。そのため機転を利かせて回避した。この人のバラのような情熱はどこか偏っている気がするがまあいいだろう。おかげでさまざまな情報が聞き出せたので万々歳だ。
私が会釈すると「またなにかあればいつでも頼っていいぞ」と学生にしては頼もしいセリフをいった。
教室に戻ろうと背中を向けた瞬間——
「あ、そうだ。これだけ伝えとくよ。校則には気をつけてね」
それはささやくような少し低いトーンだった。唇の先端に人差し指を重ねて目を見開いている。少しだけ雑音が消えた。
パッと切り替わるように生徒会長は去っていった。
私はあれこれ考えていたが、チャイムの音で我に戻った。そして急いで教室に向かう。
午後の授業も終わり、この暇疲れのような感覚が懐かしい。仕事だ仕事だいってたけど、私はまだ十六歳。部活動したり、友達と遊んだり、恋愛したり。まあどれも興味はないが。
放課後ぶらつくのは声をかけられたりして少々リスクが高いが、ターゲットが動きやすくもある。となればあそこにいくしかないか。
「起立、気をつけ、さようなら」
少ない荷物をカバンに詰め込み声をかけられる前に教室をあとにする。あれをしてから。
「ねぇちょっといい?」
柊木空、調査のターゲットとしては申し分ない。暗殺者に抜かりはない。こうもあろうかと小型のGPSつき盗聴器を持ってきている。一円玉にすっぽり隠れるほどコンパクトだが、稼働時間は多く見積もって二十時間。高めのコストに対してほぼ使い捨てなのが欠点だ。
私は怪しまれないように無知を装い柊木空に近づいた。チャンスは一回きり、話終わったあとの去り際。
「職員室ってどこだっけ。私忘れちゃって」
すると柊木空は床に座ったまま私を見あげていた。これは予想外のチャンスかもしれない。
私は手を貸すふりをして左手を差し伸べた。そしてもう片方の手で彼を支えるようにしつつ、盗聴器を襟の裏に隠した。
「職員室なら二階だよ。案内しようか」
「大丈夫、ありがとう」
私は一旦そのままトイレへ駆け込んだ。カバンの中から財布を取りだし、一枚のカードを手に取る。一見するとただのクレジットカードのようだが、これはそうじゃない。
カードを手に持ち、均一に並んだ点を手でなぞるように指を滑らす。すると小さな機械音とともに中央から小さなレンズのような物が現れた。そのレンズは微量の光を放ってる。
すかさず私はカードの一辺を壁につけ上から照らすように傾けた。すると壁にキーボードが浮かびあがった。盗聴器のナンバーを確認して光のキーボードで打ち込み、接続を試みる。
“CONNECTED”
その文字とともに光は消えカードは元の形に戻った。
持ち物と身だしなみを整えて私はトイレのドアを開けた。
屋上に通じるドアはあるが案の定カギがかかっている。逆にいえば滅多なことで人が入ってくることはない。
私は少し校舎内を歩いてとあるポイントへ向かう。
七階にあるこの教室は形式上地歴公民の準備室らしいが、実際は物置になっていると生徒会長がいっていた。もちろんカギはかかっている。
しかしそれは想定済み。午後の授業終わりに先生の隙をついてカギを奪い、型をとってあった。地理の先生ってどうしてあんな抜けているのだろうか——
『あれ、カギはどこだ』
『先生落としてましたよ』
『おおありがとう。私ブラジルにいったときもパスポート落としたんだよ。あはは』
そのおかげでこうして入れるので文句はない。
“カチャ”
簡易的に作ったカギは開けた瞬間に折れ曲がってしまった。
だれにも見られていないことを確認して吸い込まれるように入っていく。音を立てないようにゆっくりドアを閉め、内側からカギをかける。
生徒会長がいっていたとおり、ここには地図やら資料集やら雑に置いてある。もちろん人の気配はない。
窓を開けて外を見るとデパートや高層ビルが誇らしげにそびえたっていた。春風がしけた準備室に充満し私の髪をもてあそぶ。外の景色がやけに眩しくてこの教室とのコントラストが激しい。
ふっと息を吐いて少し感傷に浸る。そして目をゆっくり開けて胸元の十字架のネックレスに制服の上から触れる。
「いこうか」
窓から身をのりだし袖から出した手のひらサイズのフックを上へ投げた。それは弧を描いて屋上の縁にひっかかった。緩まないようにテンションをかけて一気に登っていく。
制服を着ているせいか少し動作がおぼつかない。特に胸まわりがきつい。
フックをしまって屋上を見渡す。そこには室外機がずらりと並んでいた。私はその物陰に隠れるように座り込んだ。そしてカバンからタブレットを取り出す。
「職員玄関はオートロック……暗証番号の打ち込みかカードキーでのロック解除。裏口も一応見えるんだな」
そこには監視カメラの映像が流れていた。学校の出入り口付近に設置されていて、教室や体育館、屋上などの場所にはない。これである程度先生の動向はうかがえる。何時に出勤して何時に帰るか。また、変な行動をしていないかなど大まかにはわかる。しかしターゲットが監視カメラを気にしないわけがない。地道だがデータを集めるしかなさそうだ。
タブレットの外部接続端子にケーブルを繋いで、それをカード入れほど大きさの黒い装置に繋ぐ。
装置のほうには細長い隙間があり、なにか差し込めるようになっている。財布からさっきトイレで使ったカードを取り出し、そこに差し込む。するとタブレットが読み込みを開始した。
“WELCOME”
新宿のマップ、緯度経度、音声波形グラフ、バッテリー残量などあの盗聴器からわかるあらゆる情報が表示された。私は耳にワイヤレスのイヤホンをしながら聞いている。
柊木空、あいつは今都市部にいってる。まだ屋外にいるのか音声がたびたび風にさらわれて聞こえにくい。もう少しノイズゲートのレベルをあげるか。
室外機でうるさいとはいえ、野球部の金属バットの音や吹奏楽部の練習する音色は聞こえる。みんなが青春を謳歌しているなか、私はひとり屋上で室外機に囲まれている。表社会に興味はないし青春だのなんだのもどうでもいい。仕事じゃなかったら学校生活なんてしたくなかった。血に塗られた道が私のランウェイだから。
「シティのほうが居心地いいな」
室外機に頭を委ねて空を見あげる。隙間から見えた空は夕暮れに染まりかけていたが、私の心を動かすわけでもなく、ただじりじりと色を変えていく。空はこんなにも早く色変わりしてしまうのか、そう私は主観的に思ってしまった。
“ピッ”
その音に反応して私はイヤホンに手をかけた。なんの音だ。しばらく静寂が続きまた“ピッ”という音が聞こえた。
音声が小さいのか。ノーマライズしてノイズゲートのレベルを調整して——
“君を愛してるぅぅぁぁぁ!!”
ビクッと体が震えて反射的にイヤホンを吹っ飛ばした。インジケーターは振り切っていた。GPSの場所を確認するとそこはカラオケ店だった。呆れた。カラオケを盗聴するなんてどんな趣味だよ。それにこれは柊木空の声じゃない。
タブレットの画面を消して少し考える。初日からうまくいくとは考えてなかったが、これは想像以上に大変なものになるかもしれない。
「前途多難だな」
依頼を受けた以上きっちりとこなす。そして身を投じてでも復讐をおこなう。この任務が終わったとき、私はこの世にいるのだろうか。父さんと母さんに会えるだろうか。
重い腰を持ちあげてさっき吹っ飛ばしたイヤホンを取りにいく。屋上なだけあってあまり掃除はされておらず、イヤホンが少し汚れてしまった。
ハンカチで拭いて念のためふっと息をかける。そして耳につけた。
“と……爆弾は……だ”
その単語が聞こえてきて私は驚愕した。彼の声ではっきりと「爆弾」といった。カラオケ店でなぜそんな話を。まさか“ブラックリスト”は複数人いて、その仲間とカムフラージュのためにカラオケ店にいったのか。
確かに周りは音であふれてマイクを使わなきゃ外に漏れる心配もない。ましてやあの閉鎖空間なら人目につくこともない。学生の権限を大いに利用した大胆かつ安全な方法。
怪しい、怪しいぞ柊木空。
そのあと私は怪しまれないように学校を偵察して登校初日を終えた。