第七話 『いざ、狂気の中へ』
「状況は聞いているのかしら」
殺気を放ちながら近づいてくる桜木は、始めて会った時とも、先程話した時とも別人のようだった。しかし速見とてまた怯むようなことはなく、笑みを浮かべながら構えを取った。
「ああ。けど、最初の不意打ちで俺を仕留めなかった事、後悔させてやるよ」
自分と負けず劣らずな覇気を纏って立ちはだかる速見の姿を鼻で笑うと、桜木はそれを射殺さんばかりに睨み付けた。
「殺気に怯んで何も出来なかった貴方には無理よ。まあ、他の二人みたいに殺気に気付かず突っ込んでくるよりはマシだと思うけど」
痛いところを突かれた速見はばつが悪くなり、口元を緩めて苦笑した。
「そりゃ、格好悪い所見せたな。まさか出会ったばかりの仲間に本気の殺意を向けられるとは思わなくて、つい驚いちまった。ったく、随分嫌われたもんだぜ」
どうやら、速見の言葉の何かが桜木の神経を逆なでしたらしい。抑えきれずに漏れ出た怒りが能力として外界に放たれ、桜木の髪を揺らしていた。
「……仲間、ねえ。貴方が私をどう呼ぼうが勝手だけど、私にとって面倒な相手であることに変わりは無いの。放っておいて欲しい限りね」
言いながら、桜木は両手に携えられた刀を構えて体勢を落とした。
「そろそろお喋りはおしまい。分かってるでしょうけど、最初のあれは序の口よ?まだまだ、こんなもんじゃないんだから!」
そう言うや否か小さな体躯から双剣が大きく振られ、その場全体に強風が巻き起こされた。動けないことはないが、油断すればすぐに体勢を崩してしまうほどの勢いだ。
「開始早々背後を取られたお返し、よっ!!」
桜木は目にも止まらぬ速さで速見の周囲を跳ね回りながら双剣を舞わせ、速見に向け風圧の斬撃を何発も放った。だが速見の動きも軽やかで、刀の動きをしっかり観察して余裕を持ってそれらを避けた。そしてその過程でなるべく距離を詰め、反撃の隙を伺った。
「そろそろこっちも反撃だ、しっかり躱せよ!」
六枚の刃のうち、速見は三枚を桜木に向け発射した。桜木の反応は早く、すぐに距離を取ろうとする。しかし、そこに隙が生まれた。
速見は一気に距離を詰め、刀を振るった。
「お手並み拝見、させてもらうぜ!」
桜木は飛び回る六枚の刃を躱しながら、迫ってくる速見の剣撃を自らの刀身で受け流していた。どうにか間合いを開けようとしているようだったが、それは敵わなかった。
「ぐっ……」
重い 剣撃を刀で受け止めるも、その勢いを殺しきれずに桜木の手がビリビリと痺れた。
(この人、シンプルに強い……小手先の技術じゃ誤魔化せない!!)
下がろうとすれば、同じ速度で付いてくる。猛攻を刀で捌こうとすれば、それを上回る速度で追撃を加えてくる。風刃で責めようにも、飛び回る小さな金属刃の軌道を変えなんとか躱しているこの状況では、攻撃に転じる余裕はない。
速見との純粋な技術の差が、確実に桜木を追い詰めていた。
「そこだっ!!」
素早い一太刀が、桜木の耳を掠めた。飛び散った血液に速見の動きが一瞬止まる。その隙に桜木はすかさず距離を取った。
「大丈夫か?一旦止めて治療してもらった方が……」
刀を降ろして心配する速見を、桜木はキッと睨み付けた。顎を伝う赤い血を袖口で拭いながらも、その目はずっと速見を捕らえ続けていた。
「驚いた、貴方強いのね」
そう言う桜木の声は酷く冷たかった。最初は怯んでいた速見だったが、今は逆に、それが速見の本能を刺激した。
「どうも。けど、そっちだってまだこんなモンじゃないだろ?もっと本気で来いよ!!」
速見の挑発に、桜木の目がきゅっと細まった。接近戦に持ち込めれば十分に勝ち目はある、そう確信していた速見だったが、この時重大なことを忘れていた。
最初の竜巻よりも更に強い突風に、速見の体は再び宙を舞った。追撃を警戒しなければと考えるも、目を開けるどころか呼吸すらも困難な程の風圧だった。いつの間にか刀が手を離れたことに気付くも、身体が高く昇っていく感覚に身を委ね、全身を打つ気塊を何とか耐えるのが精一杯だった。
数十秒程、今度は速見の身体を強烈な浮遊感が襲った。眼前には、見たことも無いまっさらな青空が広がり、速見は息を飲んだ。しかしすぐに戦闘中であった事を思い出し、辺りを見渡そうとする。
「……は?」
白い、綿のようなものがすぐ下に見えた。それが雲だと気付いた時には、速見は超高速で地面へと落下し始めていた。
走馬灯が駆け巡る中、速見は視界の端、遙か上空に人影を映した。
「……桜木、なんで、ここまで……」
逆光と激しく揺れる視界で、その表情はよく見えなかった。気圧差で頭はガンガンと痛み、耳もまともに聞こえない。それでも聞こえるはずの無い声に、速見の意識は一瞬覚醒した。
「なんで、なんて……私に聞かないでよ!!私だって、本当はっ……!!」
すっと、速見は桜木に向かって届くはずも無い手を掲げた。次の瞬間、速見の身体は本能に抗えずに意識を手放した。
医務室に運ばれた速見が目を覚ましたのは、その日の夕方だった。優しそうな顔付きの医務官は、速見が起きたことに気がつくと水を飲ませてから軽い問診をし、その後火村に連絡を入れた。
「そういえば、君と同じ班の子が隣のベッドに居るんだが、カーテンを開けて大丈夫かな?」
ハッと、誰のことを言っているのか気付いた速見はお願いします、と言った。医務官はカーテンの向こう側にも声を掛けた後、ベッド同士の区切っていた布を奥へと追いやった。
「全く、勤務初日からえらい目に遭ったわ……」
「千景、無事だったか!」
けだるそうに起き上がって頬杖を付いている友人の姿に、速見はひとまず安堵した。見たところ目立った外傷はなさそうだったが、どうやらかなりご機嫌斜めのようだった。
「あほ言うなや、無事やったらここに運ばれてへんわ。あの女、手加減ってモンを知らへんのか」
そうぶつくさと文句を言い、溜息をこぼす。速見はその悪態に思わず苦笑したが、戦いを思い出してつい本音を口にしてしまった。
「いや、十分手加減はしてたよ。少なくとも、本気じゃなかった」
返事は返ってこない。どうやら、千景にも思い当たる節はあるらしい。しばらく沈黙が続いたため、速見は先程の戦闘にもう一度思いを馳せた。結局、まずはあの爆発的火力を封じなければ、強制的に距離を取られ遠距離戦に持ち込まれるのだ。速見は自身の油断を自戒した。
桜木は、白刃戦で速見相手に手を抜いたのだ。戦闘中にその確信を得た速見は、桜木の本気を見たいがために挑発し、隙を見せた。その上で接近戦ではなく遠距離戦に切り替えられたからこそ、剣の腕を駆使して戦う速見としては余計腑に落ちなかった。
速見はぐっと唇を噛み締めて俯いた。
「目が覚めたと聞いてきたが、俺を無視するとは随分と元気そうじゃないか……」
「分隊長っ……!?すみません、少々考え事を……」
ばっと顔を上げると、目の前には笑顔の火村が立っていた。笑っているはずなのに、目が怖い。なんなら心臓が止まるかと思った。そんな思いを胸に速見は、入隊式の日に竜と対峙したとき以上と言っても過言ではない程の恐怖を感じていた。ついでに横にいる千景からも抗議の圧力を感じていた。
そんな速見の様子を見た火村分隊長は眼光をふっと緩めて吹き出し、出口に向かって歩き始めた。
「まあいい。一応顔を出しただけだ、もう上がる。お前らも早く帰れ」
言葉の意図を理解するまで、数秒。速見はばっと頭を下げてお礼を言った。
「お気遣い、感謝します」
火村はふっと笑うと、再び真顔に戻ってから立ち止まり、速見の方へ振り返った。
「気にするな。……難しい班だろうが、上手くやっていけたらと思っている」
それだけ言い残し、火村は医務室を後にした。速見と千景の二人はしばらく顔を見合わせると、互いにふっと吹き出した。
「あの人、多分怖いけど良い人だよな」
「みたいやな。けどああやって釘差されたら、僕らもなるだけ穏便に済ませんとあかんな」
火村は、難しい班と言って表した。速見も全く以てその通りだと思っている。
「……まずは、なんで敵意剥き出しなのか原因を探らないと」
ちょっぴり人見知りで、怖い上司に怒鳴られてピクリと跳ねる、弱気な少女みたいな一面。常にピンと糸を走らせたように警戒しつつも、表面上はそれをおくびにも出さない強かな一面。殺気を振りまき、感情を高ぶらせて容赦なく相手を吹き飛ばす獰猛な一面。
人には様々な側面があるとは言うが、たった二日でここまで印象を変える人間はそうそういないだろう。それでも、速見には確固たる考えがあった。
―――――間に合って、本当に良かった―――――
桜木があの時、赤の他人の無事を喜んで見せた微笑みは本物だったと、速見はそう思えて仕方が無かった。