第五話 『多分、反省してない』
輸送車を降りると、そこには木で囲まれた広大な施設があった。もっとも、速見らは訓練学校に所属していた際もこの施設を使用した事があったので、特に驚くこともなかった。
三人が火村に連れられて移動している最中だった。ふと、速見は自身を、いや、正確に言えば後部座席に座っていた速見と戸部の二人を、穴を開けんばかりに見つめる視線に気付いた。数秒送れて気付いた戸部が、面倒くさそうにしつつも能力でそれぞれの思考を繋げた。
『なんだ千景、そんなに火村さんと二人っきりの車内が楽しかったのか』
『楽しい訳ないやろ、はっ倒すぞ』
『分かったから落ち着けって。しゃあねえだろ、現時点で免許持ってるの、お前しかいなかったんだから』
輸送車の助手席には、運転可能な隊員が同乗する必要がある。そのため、運転免許保有者である千景が自動的にそこへ収まる運びとなった訳だが、どう会話したら良いか分からない、出会ったばかりの上司と二人きりにされた本人はどうやらかなり納得がいってないようだった。
そうこうしている間に、三人は質素ながらも頑丈な造りの建物内に連れて来られていた。受付の前で立ち止まった火村が、窓口に向かって声を掛ける。
「火村です、第三区画を使用している班に内線を繋いで戴けますでしょうか」
誰もいないと思われたが、パタパタという足音の後、すぐに奥の扉から一人の男が顔を引き攣らせながら出てきた。
「おい火村、今第三区画を使用してるの、前までお前の所にいた悪ガキだろ。連れて来た女の子と一緒に見事に、演習場を更地に変えやがったよ。お陰で整備長がずっと不機嫌で、こっちは大変なんだ。お前からも何とか言ってくれ」
「……すまん橋本。あと多分、もう一区画しっかり荒らすことになる」
数秒の間。火村がゆっくりと視線を戻すと、そこには白目を剥いて机に突っ伏す男の姿があった。
数分後、再三火村に慰められた男はようやく作業を開始した。橋本、と呼ばれた男の顔は未だに白く、無言で通信機を操作していた。その後すぐに受話器を火村に手渡すと、速見達の方へ視線を向けた。
「おいお前ら三人、新人か?」
この時速見は、先程まで隣にいたはずの二人の気配を背後から感じる前に悟っていた。この橋本という男のように、面倒そうな先輩や上司に絡まれた場合、二人からその相手を押しつけられることを。
「はい、自分は速見と申します」
橋本は力強く速見を指さすと、まくし立てるように言葉をまき散らした。
「知ってると思うが、お前らが暴れて荒らしまくった演習場は俺達整備課が、それもお前達が帰った夕方から片付けてんだ。その有り難みをしかと噛み締めて使いやが……いっった!!」
なるほど、窓口の向こう側の天井には出っ張りがあり、前のめりになりながら勢いよく立ち上がろうとすれば、額を押さえて悶え苦しむ羽目になるらしい。奥から「うるせえぞ橋本!!」という怒号が飛んできたが、そんな事は速見の知った事ではない。
「内線が繋がらない。一度第三区画に寄ってから第五区画に向かう。という訳で橋本、第五区画の鍵をくれ。予約はしてある」
そして何事もなかったかのように火村は受話器を窓口に戻した。橋本は俯いたままそれを受け取ると、再度無言のまま鍵を手渡してきた。
「毎度のことだが、終了時刻は十七時だ。ちゃんと守れよ」
「ああ、またな。行くぞ」
通路を歩きながら、火村は速見達に謝った。
「すまない。あいつ……橋本は俺の同期なんだ。良い奴だが、少々癖が強くてな」
残念ながら、速見達の目には橋本の変わりっぷりは少々という言葉の範疇を超えて映っていた。その認識は火村にもあるようで、実は、と話を切り出した。
「今年うちの整備隊に配属される予定だった新人が、全員この間の事故で亡くなった。それもあって、あいつは今荒れているんだ。許してやってくれ」
「……そう、だったんですね」
この間の事故。その言葉を聞き、速見の脳裏には赤に塗れた乗降場の光景や、ぬるりとした床を踏みしめた感覚が蘇ってきた。思わず顔を顰めた速見に、火村は淡々と語りかけた。
「現場の状況は聞いている。嫌なものを思い出させたな、悪い」
「いえ。あまり簡単に忘れて良いものでもありませんので」
本来、入隊式の模擬戦闘が行われた場所のように、演練場は森を模して植物を植え、地面に凹凸を造っている。そのはずなのだが、今この第三区画は所々に切り株が残されている、土が剥き出しの平地となっていた。
「おい、何故誰もいない。小野山はどこに行った」
火村は開けっぱなしの区画入り口の前で唖然とし、辺りを見渡した。速見も周囲の気配を探ったが、人がいるようには感じられなかった。
「……分隊長、上です」
何かに気付いた戸部が、空を見上げながら火村に声を掛けた。
「なっ……」
上に視線を向けた火村が絶句した。速見も、よくよく目を凝らして上空を仰いだ。小さくてよく見えないが、言われてみれば遙か上空に黒い点がぽつぽつと存在している。その点が桜木達であると気付いたときには、点だった影は人間の形だと分かるくらい大きくなっていた。
直後、轟音と共に辺りは爆風に覆われ、一面に砂埃が舞い上がった。
「火村分隊長、ご無沙汰してまーす。いやあ、お待たせしてしまい申し訳ないです、つい高所訓練に熱が入ってしまいまして」
数分後、ようやくはっきりとした視界から現われたのは、昼に速見達に話しかけてきた隊員だった。申し訳ない、などと言っているが、その隊員は全く申し訳なさなど感じない軽薄な笑いを浮かべながら速見達に近づいてきた。
「小野山……お前、俺がここに来るまで何してた」
顔を引き攣らせる火村に対し、相変わらずのにこにこ笑顔で小野山は長々と語り出した。
「えーっとですね、まずは手始めに桜木隊員の実力を知るため、私と一騎打ちをしてもらいましてね。一応私の勝ちとはなったのですが、その時点で演練場が使い物にならなくなってしまいまして。なので、桜木隊員には文字通り、より高度な体験をしてもらおうと思いまして、高所訓練に同行させました。流石風使いと言った所でしょうか、上昇はお手の物でしたし、高度の維持も中々でしたよ。それから―――――」
ペラペラと喋り倒す小野山に、火村は頭を抱えながら静止をかける。
「もういい、分かった分かった。一応、新人の面倒を見ようとしてくれた事には感謝するが、演練場をする際はもう少し節度を弁えろ」
「分かりました、とりあえず桜木隊員はお返ししますね。おーい桜木―」
これまた反省の色が見えないにっこりとした表情で、演習場の中に声を掛けた。しかし桜木の姿は一向に見えず、いるのはなんとか起き上がろうと腕をぷるぷる振るわせながら倒れている見知らぬ隊員三人のみだ。小野山は不思議そうに首を傾げた。
「おかしいなあ……あの子のことだし、着地失敗したとは思えないんですけど。でもまあ仮に失敗してたら、高度が高度でしたから死んでるかもしれませんね」
「お前……さらっととんでもないこと言ってないでとっとと探してこい!!」
遂に火村の雷が落ちた。それでもヘラヘラと笑い続けている小野山の胆力は、最早才能かもしれない。
「あ、でもほら。僕が探しに行くまでもないみたいですよ」
小野山の発言に火村が首を傾げたその直後、突如激しい突風が吹き荒れ、速見達は堪らず目を閉じた。風はすぐに止み、速見は何事だったのかと周囲を見渡した。
「お待たせしてしまいすみません。少し遠い場所に着地したので、帰還まで時間を要していました」
声がしたのは、小野山の後ろからだった。新品同様だった隊服は所々解れ、ヘルメットの下から覗いた髪の毛には砂やほこりが纏わり付いていた。
「いやあ、着陸して整列するまでが高所訓練なんだからしっかりしてもらわないと。ま、今回は初回だし次から気をつけてもらえたらそれで……あ、ちょっと火村さんギブです、マジ勘弁っ!!」
手早く火村に組み伏せられた小野山が悲鳴を上げる様を、桜木は溜息交じりに呆れた表情で見下していた。