第九話 『縮まらない距離』
分隊長への、形式上の挨拶を済ませ去って行く金剛を見送っていると 、装備点検を終えた火村が駆け足で戻ってきた。三人の視線が集まり、火村は短くこう言った。
「時間だ。行こう」
今回行われる行進訓練は、以前使用した演習場の付近の山を踏破するというシンプルなものだ。
実際の調査では事前に決めたポイントに拠点を設置し、そこで数日寝泊まりする。その際に車の走行音で竜が寄ってきたり、逆に逃げてしまったりすることを防ぐ必要がある。そのためポイント周辺では徒歩移動となることが多いことから、こういった訓練が行われる。
集まった隊員らは整列し、正面に立つ人物の話に耳を傾けていた。
「以上の点を踏まえ、今回の訓練に臨むように。それでは、行動開始!!」
倉庫中に響き渡る返事と共に、各隊がそれぞれの車両に向かい始めた。勿論速見達も移動し始めていたが、全体指揮を執る火村に代わって火村を除いた速見ら火村班四人を率 いているのは、桜木だった。
この事が班内のミーティングで発表された際、千景は上司である火村が目の前にいるにも関わらず露骨に嫌そうな顔をした。当然火村もそれに気づいたが、すぐに怒鳴らず 、諭すようにこう始めた。
「分かっているとは思うが、班内で指揮権……曹以上の階級にある者は俺と桜木三曹のみだ。武装隊本隊への入隊時期こそ同期だが、階級上では二士のお前達と異なる。それを踏まえた上で、この決定には従ってもらう」
火村の言っていることは尤もだ。高校卒業後に訓練学校へ進み、教育期間を終えて入隊した速見らと、中高と第一都市に存在する国立特殊産業機関附属学校に通い、予備隊で訓練を積んでから入隊した桜木とでは、入隊時の階級に差が生まれていた。
結局、渋々納得せざるを得なかった状況ではあるが、今のところはまだトラブルは起こっていないようだった。しかし、いざ行進が始まって数時間経つと、全く別の問題が生じた。
この訓練、とんでもなくしんどいのである。
十数キログラムの調査用装備に加え、その倍近い重さになる飲食料や寝袋といった行軍用装備の入った背嚢を持っての行進は桜木や千景のような、周りよりも少々身体面で劣る面々にはかなり大変なのだ。ましてや、多少鍛えた程度の体力しか無い戸部には重労働も良いところだった。
体力が無尽蔵な速見や慣れている火村を除く三人の班員は、昼休憩の頃には既にヘトヘトになっていた。
「それでは、これより火村班は昼休憩に入る。一三○○に他班と共に整列しておくように。解散!!」
「はいっ!!」
ようやく迎えた休憩に、疲労がピークに達していた三人はすぐさま腰を下ろした。
「毎回思うんやけど……、なんで背嚢ってこんなに重いんや……」
「まじで俺……、なんで前線勤務になったんだ……もやしなのに」
「あなたがもやし……?じゃあ、あなたより力の弱い私は何なのよ……」
疲れているからだろうか。普段一切会話に加わらない桜木が戸部の発言に突っ込みを入れた。それに対しその様子を見て吹き出す速見とは対照的に、火村の表情は曇っていた。
「疲れているところすまないが、桜木三曹はこの後俺と共に作戦会議へ出席してもらう。着いてこい」
なっ……、という声が桜木の喉から漏れていた気がしたが、きっと気のせいだろう。そう祈りながら、今は疲れてそれどころではない二人の分まで、速見はそっと心の中で手を合わせたのだった。
会議は滞りなく、十分ほどで終了した。これから更に全体の見回りがある火村は、桜木を他の班員の元まで送り届けていた。
「どうだった、作戦会議は。勉強になったか?」
「いえ、あ……はい!!とても……参考になりました!!」
疲れて殆ど内容が頭に入って来ていなかったものの、そんな事を言うわけにもいかない。視線を泳がせながら、桜木は咄嗟に不自然な笑みを浮かべた。分かりやすすぎる誤魔化しに、火村は必死に笑いを堪える羽目になった訳だが。
「なら良かった。しっかり休めよ」
「はい……、すみません」
申し訳なさそうに苦笑いする姿に呆れつつも 、火村の頬は自然と緩んだ。そして、ふとある考えに至った。
(まるで別人だな)
火村は、じっと桜木を見つめた。火村の中で桜木の印象は事前情報通り、人見知りで大人しいというものだった。戦闘訓練時こそ殺気まがいの気迫を放つが、ただ単に真剣に取り組んだ結果自然とそうなったとして割り切れた。
それが、速見達の前に立つと急に冷たく、鋭い空気を纏って人を 寄せ付けまいとするのだから、火村としても頭を抱えざるを得ない状況である。
今も健気に疲労を隠そうと緊張しており、強ばった表情からは敵意なんてものは感じられない。火村は短く息を吐き、覚悟を決めた。
「じゃあな。呉々もこの間みたく、他の隊員と口論を起こさないようにしろ」
すぐに、桜木は痛いところを突かれたとばかりに視線を逸らした。指摘が嫌だという反抗的なものではない、悔しさと悲しさが入り交じった複雑な表情だった。黙り込む桜木に対し、火村は更に言葉を続けた。
「これは個人的な質問だが、お前はあいつらが嫌いなのか?今のお前達は、傍から見ていてあまり良い関係ではないと言わざるを得ない」
少し踏み込んだ発言に、桜木はますます顔を曇らせた。そして言葉を選びながら、ゆっくり口を開いたのだった。
「ご心配お掛けして、すみません。嫌い、って訳じゃないんです。ただ……」
必死に言葉を繋げようとするも言い淀み、再び視線を落とした。これ以上情報を引き出せないと察した火村は、静かに告げた。
「今は、まだ言いたくないなら言わなくてもいい。だが、これ以上関係が悪化するようなら次は上官として介入する。分かったな?」
火村にとって、これは最後通告だった。上官として、という言葉がそれなりに重い意味を持つ事は、桜木も分かっていた。しかし反論できる余地もなくただ、失礼します、とだけ言い残して去っていった。
桜木が速見達のいる木陰まで戻って来ると、速見達三人が楽しげに談笑していた。
「いやー、にしても疲れたな。午後はちょっとくらい楽になればいいんだけど」
笑顔でそう言う速見に、げんなりとした千景が突っかかった。
「なーにが疲れた、や。お前はまだまだ元気やろ。見てみ、僕と戸部の魂の抜け具合」
千景はある意味、喋るだけの体力は残っているのだろう。その側にいるにも関わらず、速見にツッコミを入れたり千景を諫めたりせずに、顔面蒼白で無言のままブロック状の携帯食を頬張る戸部が一番疲れている事に間違いはない 。しかし、それをごくりと飲み込んでから、戸部は桜木の方を向いて声を掛けた。
「おかえり」
視線を向けられたのが嫌だったのか、桜木はすぐに背を向けた。しかし、千景との会話に夢中になっていた速見もその姿に気付き、笑顔のままねぎらいの言葉を投げたのだった。
「お疲れ!!まだ時間残ってるから早く休めよ!!」
返答は無い、いつもの事だ。それでも顔を曇らせた二人に挟まれた千景の舌打ちが虚空に響いた。
その後四人の間で言葉が交わされることは無く、非常に気まずい空気のまま午後の訓練を迎えることとなった。
行進が再開されてから二時間近く経ち、速見ら小隊メンバーはようやく出発地点の演習場へ戻ってきた。
「ひとまず、行進訓練はこれで終了ですかね。なんとか無事に終えられそうで何よりです」
「まだ終わってないわ。気を抜かないでもらえるかしら、小野山二曹」
帰還した面々を横から眺めながら楽しそうに体を揺らす姿が気に入らなかったらしい。滝宮の冷たい視線が向けられる。
「小野山、今説明したことはちゃんと把握したのか?」
釘を刺すように投げかけられた火村の言葉に、小野山は掌をひらひら振って答えた。
「大丈夫っすよ、火村さん。だって……火村さんとこの新人達、可愛がるだけでしょ?」
隊員らは午前と同じ車庫前に集められ、それぞれ整列して全員が揃うまで待機していた。 その脇で固まる分隊長達が何やら打ち合わせをしていたが、大体の隊員にとってその内容は察しが付いたので、特に気にする事も無かった。
再び揃った面々の前に立って講評を述べているのは、総合指揮を行っていた火村だ。火村はある程度以上関わりを持てば、面倒見の良さや苦労人気質から慕われやすい。しかし、そうでない者からは普段の厳しさや見た目から恐れられる事の方が多い。
そのため、車庫を支配している空気はよく分からない緊張感に包まれていた。
「各員、今回の反省を踏まえて日々の研鑽を積み重ね、これからも市民のために力を奮ってもらいたい。―――では」
火村が、ふと一呼吸置いた。分かっていますよ、という隊員達の諦めの視線を一身に受けながら、次の言葉を発した。
「これより、班規模における戦闘訓練を開始する。今から指定する区画へ、各々移動を行う事!!」




