プロローグ 『木漏れ日に揺蕩う』
ふわりと纏った空気の衣が、僅かな身じろぎにも共鳴するように揺らぐ。大気と一体になったような感覚に、私はそっと目を閉じた。
(これから……いや。余計なことは、考えなくて良い)
何も考えずに無心で気流を感じる。この瞬間だけはいつも通り、とても心地が良かった。
ふと時計を見ると、思ったよりも時間が差し迫っていた。ずっとこうしていたい気持ちはあるが、そうもいかない。軽く装備を確認した後、私は椅子から立ち上がって薄暗い待機所を足早に退出した。
通路から外へ出ると、木々のさざめきが耳を撫でた。春先だから肌寒さは残っているものの、日向にいれば柔らかい日差しに包まれた。冷えて固まっていた身体の芯が少しずつ解けていき、自然と肩の力も抜けた。
無条件に降り注ぐその温かさすら、今の私にはこそばゆく感じた。
気を取り直し、私は大きく深呼吸をした。すっと目を閉じて再び気流に意識を託し、今度は更に感覚を広げていく。大気の揺らぎは、木々や地形に遮られ、形を変える。形を変えながら、風は遙か先まで渡っていくのだ。
近くで鋭く、何かが風を切り裂いた。ぱっと目を向けるも、ここからは目視できない。しかし、方角からおおよその見当はついた。特に何を思った訳でもなかったが、私はそこに向かって足を進めた。
少し歩くと、木立の中に少しだけ開けた場所があった。そこでは、よく見知った顔の青年が最後の調整とばかりに自らの獲物を振り回していた。集中しているのか、まだ私に気付いている様子はなかった。
「……きれい」
何故自分の口からそんな言葉が溢れたか分からなかった。確かに彼の太刀筋は、身内の贔屓目を抜きにしても見惚れるほど美しいものだ。だが私は、今まで一度も彼にその事を伝えたことは無かった。
私の声に反応した彼と、目が合った。驚いて目を見開く彼に、私はどんな表情を向けたら良いのか分からず視線を逸らした。
土を踏む音がすぐ近くまで来ていた。それでも顔を上げられずにいた私の肩に、ぽんと大きな手が乗った。
「元気でな」
見上げると、そこにはにかっと笑う彼の姿があった。
普段私は憎らしくて、彼も私を目の敵にして、喧嘩ばかりしていた。それでも、今日ばかりは私も彼を邪険に扱うことは出来なかった。小さく頷くと、彼はまた満足そうに笑った。
『間もなく中継を開始する。全員、所定地へ着け』
場内にアナウンスが響く。彼は最後に、じゃあなと手を振って元いた場所まで走り去っていった。それを見届けてから、私は腰に差した一対の双剣を抜いた。その刀身に目をやると、光を反射して生きているかのように煌めいていた。
「桜木!!」
名前を呼ばれ、顔を上げる。彼が、その手に持った大ぶりな薙刀の鋒をこちらに向けてにやりと口角を上げていた。
「これが最後だ!!思いっきり楽しむぞ!!」
ふっと、思わず口元が緩んだ。普段の緊張が嘘みたいに身体が軽くなり、自然と闘争心が沸き立った。彼の言うとおり、今は思う存分最後の一勝負を楽しむとしよう。
たとえこれから先に待ち受ける日々に、どれだけ希望が持てないとしても。




