120点の接客は僕に何をもたらすのか
客の持ってきたものをレジに打ち込み、お金をやり取りし、袋に詰める。この単調な作業を通すことにより得られるものは月5万から多い時だと10万を超えるお給料、ちょっとした友達、或いは知り合い、そして稀にある客からの感謝の言葉や笑顔…
とクレームである。(あとそれが原因で偉い人からお小言をもらう事もある。要らない)
我々は人間である以上、必ず何かしらでミスをすることがある。野球をファンの何倍も知り尽くした監督が思わぬ采配ミスをすることがあれば、単位の間違いで飛行機が墜落する事もある。
世の中は失敗やミスで溢れている。それらに対して金や命で償わなければならない人がいることを考えると、少しのお叱りを受ければ済むバイトのレジ打ちというものはかなり恵まれているように思える。けれどもやはり叱られるのは嫌だ。
そもそもがおかしいのだ。ミスなくレジを打ち、適切な案内をすることが100点満点の仕事だとするなら、お客の求めていることを先読みし、気配りをしながらレジを打つ毎回の僕の仕事は120点を貰える。けれども、一つミスを犯すだけでその20点は帳消し、それどころかそのたった一つのミスで僕の仕事は0点になりうる。何も評価されず、それがお叱りとなって返ってくる。
それに対して僕の積み重ねた20点の上積みが何をもたらすというのか。給料にならず、お偉いさんの評価にも繋がらず、ミスに対する免罪符にもならない。あるとすれば、ごく稀なそういった気配りに気がつくお客の感謝の言葉程度だ。
この120点の接客は少なくとも僕にはほとんど何ももたらしてくれやしない。
ではお客はどうだろう。120点の接客はお客が気持ちよく買い物をすることに貢献できる。とするとこの接客はお客に対してはある程度の価値があるものだと考えられる。
最後にお店だ。お客が気持ちよく買い物できたらリピーターになる可能性が大いにあることを考えると120点の接客は価値のあるものだ。(生活圏にある必需品を買うための店であればミスをしない限りリピートしてくれるだろうが)
このように、120点の接客は僕には何ももたらしてくれない割りに周りの人間はその恩恵にあやかれるのである。しんど。
誠意は言葉ではなく金という名言があるが、言葉すらもらえないことが多い120点の接客は僕に何をもたらすのだろうか。いい接客をしたらチップをもらいたい。お釣りをよこせ。僕の20点の意味を僕に与えてくれ。何も得られないなら僕は100点を取りに行く。別にポイントカードや駐車券やクーポンの有無も別に聞かなくたってお偉いさんにさえバレなければ僕は困らないのだ。
と言いつつも僕は120点の接客をするしかない。なぜかって?いったいなんでなんだろう…