7 優理は占い師を始めた1 (ラグトア伯爵)
市場の片隅で棒を組み立て、布をかぶせて作った簡易テント。
椅子と小さな机があれば事足りる、そして何かあればすぐに撤収できる。
それが優理の占い師としての露店だった。
(けれども私の才気は、こんな場末の片隅に埋もれるには眩しすぎたのよ)
優理は物憂げに溜め息をついた。
市場にも監督者は存在する。場所代を集め、変な人間がうろついているようなら対応し、その市場が潤滑に運営されるように目を光らせているのだ。
彼は、売れ残りの小さなガラス玉を買い叩いて占いを始めた優理に、まずは一番小さな露天区画を勧めた人物である。
目立ちたくない優理もそれで良かったが、彼はいきなりやってきた。
「ユーリさん。そろそろ屋根と壁がついてる中央寄りの場所に移ったらどうだい?」
「え? あっちの場所代、けっこう高いですよね? お断りします」
黒いローブに黒いヴェールといった格好で市場にやってきて、そしてガラスの玉を覗きこんで、むにゃむにゃと適当なことを告げ、銅貨をもらったら、それで夕方の見切り品を買って帰る。
その生活サイクルは、優理にとって悪くないものだった。
だが、管理者はそう思わなかったようで、小さな丸椅子にドスンッと座る。
「ユーリさんもインチキ占いをしてるだけなら良かったが、最近は金払いのいい客もついてるようじゃないか。一番小さいのでいいから、屋根と壁のある店舗に移った方がいい」
「これでも私、そう見えなくても凄腕の占い師なんです。百発百中です」
凛とした風情で、優理はインチキ占いを否定した。
(冗談じゃないわ。場所代が高くなったら私の儲けが減るじゃないの)
すると管理者は頷く。
「この周囲の香水占い、カード占い、水晶占い、骨占い、色占い、・・・インチキじゃない占い師は誰だね?」
「どれもインチキですね」
「そして君がやってる占いは?」
「あら、インチキだわ」
優理は見る目のある少女だった。
「では、話に戻ろう。この辺りは毎日の売り上げがせいぜい銅貨20枚未満の区画だ」
「私にぴったりですね。売り上げなんて銅貨5枚がせいぜい。明日のご飯にも事欠く有り様です」
「それは気の毒に。ならば夕方、君が売れ残りの特別飼育豚肉や塩漬け魚卵を買いあさっていた際の銀貨はどこから生まれたんだろうね?」
「・・・そ、それはコツコツ貯めたお金で」
「堅実なのは結構なことだ。そういえばランカート石鹸がお気に入りだったか」
「は、肌が弱くて、安い石鹸だと肌荒れしちゃうんです」
「そうだね。あそこの石鹸はいい。汚れはちゃんと落とすのに全く肌荒れしない。普通の石鹸の10倍はする値段だが、貴族にも愛用されている。あそこで洗濯用も体用も全て揃えていたが、髪の手入れ用オイルにはフェーメを紹介されていたね」
「じょ、女性の髪は命なんです」
「そうだね。あそこのオイルは普通の8倍はするが、品質はトップクラスだ。いい物が評価されて売れるというのはいいことだよ」
「ですよねー。普段使いにはどうしても妥協できない。それが女の業なんです」
てへっと笑う優理に、管理者は穏やかな眼差しを向ける。
「ところでユーリさん。市場の場所代には税金も含まれている。儲ける金額に見合った妥当な場所を借りてくれないのなら、こちらもお役人様と親しくお話をすることになるんだがね」
「え」
「こちらも売り上げをちょろまかしてる程度で口出ししたくないんだよ。だが、トラブルの芽は早めに摘まなくてはならない。今のままでは他の占い師達からやっかまれて面倒なことになるのは分かるね?」
「・・・はい」
管理者の眼差しの奥には日本の税務署員よりも熱く、そして自宅警備員よりもルーズな何かが秘められていた。
「お宅がやってる怪しげな商売にしても、こんな誰でも聞き耳を立てられる場所でやるもんじゃない。変な奴らが絡んできたら、こっちも自警団に出動要請と謝礼を出さなきゃならないんだ。色々な男の子達にも手伝わせているようだが、彼らがよそのお店の前に立つのも商売妨害だからね」
「すみません」
そうして優理は、市場が所有している一番小さな実店舗を借りることになった。
歩道に面した表側の店舗と路地に面した裏側の倉庫の二間がセットになっている。
占いに倉庫は必要ないので、裏側のスペースは休憩室にしている優理だが、全く休憩できない場所になるのは早かった。
(そうよ、あれは休憩室じゃない。たまり場って呼ぶのよ。ああ、どうしてお金を出してこんな落ち着かない状態にされなきゃいけないの。私が優秀すぎたばかりに・・・!)
今や彼女がリラックスして過ごせるのは借りたこの小さな家だけだ。
半年後には買いとる予定だったが、どうやら扱っているものは違っても商売人には商売人の繋がりがあるようで、売って終わりにするよりも何かあった時の為に大家と店子としての繋がりを持っておきたいと考えたらしく、仲介した男から、できればずっと借り続けてほしいという話があった。
自分の力だけを信じて生きている優理に、占い師としての才能は皆無だ。
だけど優理は知っている。
(男とは悲しい性を持って生きている。占い師に、
『女難の相が出ていますよ』
と、言われるだけで喜ぶ。照れる。嬉しがる。所詮、男なんて、女難とは自分がモテるのだと勘違いしているおめでたい生き物なのよ)
女難とは幅広いものなのだ。
自分の雇用主が女性に貢ぐ為にお金を使いこみ、それを冤罪でなすりつけられて解雇されても女難。
男女トラブルで「あなたを殺して私も死ぬわ」な時に、人違いで無関係者が刺されても女難。
泥酔した時、酒場の女性にサインさせられて借金を背負うことになっても女難。
(そんなことも分かっていない相手から銅貨をせしめたとして、何の遠慮がいるかしら)
優理は女子中学生という汚れなき清水の世界から、大人という薄汚れた濁水の世界へとダイビングジャンプしてしまった。
インチキ商売だと言われてもいい。世の中、需要と供給が成り立てばそれで売買は成立する。
そうして平凡に生きていくのだと思っていた。
(だから男には「女難の相が」、女には「運命の出会いが」って言っとけばよかったのにぃっ)
当然、占いは外しまくっている優理だが、追い詰められて訪れる人には実際の問題解決に至る行動をすることでかなり満足されていた。
評価が客を呼び、その客が高い評価をつけ、その評価を聞いて新しい客が訪れる。
今や優理は占い師ではなく、悩みがあれば何でも解決してくれる何でも屋だ。ただしそれを知るのは一部の人だけ。
誰しも自分のライバルにそんな情報は教えないからだ。自分にとって親しい人が悩んでいるようならばそっとその名を教える。
「市場の片隅にユーリという女占い師がいる。彼女に相談すればいい」
半信半疑でやってきた彼らは、黒いローブに黒いヴェールという怪しげな娘に声をかけるのだ。
「紹介されたんだが、騙されたかな。その若さじゃ無理だろうよ」
そうなると優理も失敗などできない。
「この私の優秀さ、その愚かな目をしかと開いて見届けるのね」
優理の誇り高さが占いの失敗は許せても、己の無能を許せない。
彼女の首を絞めているのは自分のプライドだと言っていい。
「何故・・・。そうよ、何故こんなことになったのかしら」
優理は眉間に苦悩の皺を作りながら嘆かずにはいられなかった。
ぐったりと家のソファにもたれながら、優理はだらりと両手からも力を抜いて目を閉じる。
(どうして使いきりだった筈の少年達から懐かれちゃったのかしら)
優理の体は一つしかない。
そして毎回、神官イスマルクのように都合のいい人間が存在するわけじゃないのだ。
「ねえ、そこの少年。ちょっとしたお小遣い稼ぎをしてみない?」
「僕が金に困ってるようにでも? そういうのはそこらの浮浪児を使えばいい」
「信用できる人が必要なの。学生さんは真面目だし、パンひとかけらで我を忘れることもないわ」
「ふん。まあ、聞くだけは聞いてやるよ」
ちょうどそこにいた少年などに声をかけ、その場限りのエスコート役やちょっとしたおつかいをさせたのだが、なるべく裕福そうな少年を選んだつもりだ。
(貧民救済を考えるなら路上生活者やお腹を空かせてる孤児。だけどそれじゃ、お金の匂いに釣られて私から離れなくなってしまう。行く場所がない、ひもじいと言って家まで後をつけ、強引に家へと入りこむ。そして次は仲間を連れて占拠するの)
自分を過信せず、優理は後腐れのない人間を選んだつもりだ。
なのに怪しげな格好をした少し年上の女性に協力したところ、何やら凄いことをしてしまったようだと思った高揚感がそうさせたのか、少年達は優理を探し出して市場へとやってくるようになってしまった。
「金はいらない。あんたの傍にいたいんだ」
「他にしてもらいたいことがあったら言ってくれ。役に立ちたいだけなんだ」
「分かってる。あんたが何かでかいことしてるってのは」
そこに恋のようなものを感じられたなら、優理も甘酸っぱいファーストラブに入ることができたのかもしれない。
めくるめく愛の世界に飛びこみ、次の女神を生み出す為の愛と希望とロマンに満ち溢れた何かを作りあげられたのかもしれない。
(報酬はいらないって言ってくれるのは有り難いんだけど、何かが違うのよ)
彼らの瞳に浮かぶのは優理への恋心ではない。
なんというのだろう。そう、群れのリーダーに対するような、どう考えても懐かれたとしか言いようのないような、まさに、
「あんたにならついていけるぜ、俺はよ」
と、照れ臭そうに明後日の方向を向いてぶっきらぼうに言い捨てる、そんな感じなのである。
(そんなに私って、女の子としての魅力がないの?)
十代の少年少女と言えば、もうちょっと違うものなのではないだろうか。
ウフフ、アハハとはしゃぎ合い、時には手が触れては赤くなって引っ込めたり、そうかと思えばおずおずとそっぽを向きながらも手を繋いだりして、見てる方が恥ずかしくなる世界を作るべきじゃないのだろうか。
そう、何かが違うのだ。
手を貸すぜと力強く二の腕に力こぶを作られてしまったり、照れ臭そうにアンタになら命もかけられると言われていたりするのは、LOVEじゃない。
(違う、違うのよ。私が求めているのはそうじゃない)
とはいえ、人手は有り難い。
自分からのこのこやってきた人手を追い払うには、優理にも世間の世知辛さが身についていた。
立ってる者はよその子でも使う。当たり前だろう。
「言ったわね。なら、あなたにはスパイAに協力する役者Bを果たしてもらうわ」
「そしてあなたはBがターゲットの気を引いている内に、そっと鞄に手紙を入れる工作員Cね」
せっかくだからと更に手伝いをさせていたら、どんどんと悩み相談の処理ははかどり、依頼も増え、そうして少年達も自分の親友を連れてくるものだからその数は増えていき、・・・今や何人の手下みたいな存在がいるのやら、である。
(どうして同い年とか自分より年上とかの男の子に、私ってば憧れのお姉さんを見るような目で見られてるのぉっ)
理由は分かっている。この年上に見せかける化粧のせいだ。
三十代以上の男性には十代後半にしか見えない優理だが、十代の少年達には大人びた口調などもあって二十代に見えるらしい。
十代の少年達にだって悩みはある。お茶を飲みながら悩みを聞いていたのが上下関係に影響した。
「今日は何しょげてるの? ・・・え?女の子しか産まないってお姉さんが離縁されてきた?」
「そうなんだ。姉上はそれですっかり自信を失って・・・。うちは男の子が多い家系だったから」
「バッカねー、そういうのは男に原因があったりもするの。心配しなくても次のご縁があった人によっては、男の子しか産まれなかったりするわ。大事なのは、そんな理由で離縁しようとする男に添い遂げる価値などなかったってことよ。かえって薄幸そうなところがいいって求婚されたりもするし、お姉さんには慎み深いドレスを着せておけばまたすぐお嫁に行っちゃうわ」
優理には、怪しげな黒い格好に似つかわしくない理性と知識の裏打ちがあった。
「お母様が怪しげな占い師にはまってその意見ばかりを聞くようになった?」
「ああ。ユーリさんも占い師だろ?」
「一緒にしないで。私はそんなことで愉悦を覚えたりしないの。どんなことで信じるようになったの? ・・・え? それ、カラクリがあるわよ。その信じるようになった場所って暗くしてなかった?」
「暗いとかって関係あるのか?」
「そうよ。あのね、最初にね、そこから離れた場所に人を忍ばせておいて、そして黒い糸を使って・・・ってやり方で奇跡を演出するの。みんなでやってみる? すぐに再現できるわよ」
少年達も高名な騎士の家に生まれていたり、何代も続く商売人の家に生まれていたりする学生だ。それならばと色々な話をしてあげれば、今まで知らなかった考え方や知識に目を輝かせる。
なかには成金の家に生まれた少年もいたが、それだけ父親に商才があっただけだろう、その努力を息子が認めずにどうするのかと、優理が不思議そうに問い返してからは、少しずつひねたところが消えていった。
「すげえな。そんなにもあっさりと見抜いちまうなんてさ。ユーリの姐御ってば詐欺師だったのか?」
「おいおい。ユーリ姐さんに詐欺師はねえだろ。けど、さすがだよな」
「・・・できればその姐御も姐さんもやめて」
「じゃあ、なんて呼べばいいんだ?」
「ユーリちゃん、とか?」
「いやあ、いくら俺らがピチピチに若いからって、ユーリ姐さんの年まで若返らないだろ?」
男子校で学ぶ彼らに、女の化粧は見抜けない。
胸に仕込んだ詰め物と高級化粧品が、優理を彼らよりも年上に見せかけていることに気づかないのだ。
彼らも普段は学校に通っているが、休みの日や学校が終わると市場にやってきて優理に纏わりついていた。
(この家が彼らに知られていないのが救いよね。時間の問題かもしれないけど。これで家にまで押し掛けられたら終わりよ)
それでも突き放せないのは、時に彼らの持つ背景が情報収集に役立つからだ。彼らのネットワークも馬鹿にできない。
今や黒衣の占い師は、占いよりも様々な情報に通じていると、そっちで名高くなりかけている。
(手伝いをさせていれば、余計に揉め事解決の仕事ばかりがくる。ちょっとしたダミー的な生業の筈だったのに)
それでも本当のわけは・・・。
(私も、寂しかったのかもしれない。ここには遥佳も真琴もいない。誰でもいいから、本当は傍にいて欲しかったのかもしれない)
優理は唇を少し噛みしめた。
「遥佳、真琴・・・」
三人、産まれてからずっと一緒だったのに。
優しかった両親も、今やこの世界に溶けこんで眠っている。
優理はソファの背に掛けてあった毛布を手で引っ張って広げ、自分の体をくるむ。
今はこうして丸くなって泣いていたい。孤独が堪えるから。
ぐすっと鼻を啜りながら、優理は頭までその毛布をかぶった。
ディネルの街で幾つかの商売をしているドレイクは、本気でわけ分からんと頭を軽く振っていた。
幾つかある隠れ家の中でも、そこは倉庫として使っている建物だ。
仕入れた商品の数と中身を数え、確認用の紙にチェックしていけば、毎回の地道な作業の煩わしさに発狂したくなる。
「いや、高ぅ売れるんやから文句はあらへん。あらへんけど、なしてこんなもんが売れるんか分からん。べっぴんはべっぴんでブスはブスや。元の造作は変わらんのやで?」
「ぶつくさ言うな。何だかんだ言ってもギバティの脱色薬がどこよりも上等なんだから仕方ないだろ」
積み上げられたそれらは、髪の色を抜く薬だ。しかも髪の艶を落とさない。
黒髪や茶髪といった人がそれを使えば、髪の色が抜けて白っぽい黄色の髪になる。
その横には、金が少し混じった銀髪に染める薬が積み上げられていた。
「今や薄い金髪にオレンジがかった瞳というだけで値段がかなり跳ね上がる。どっちか一つでもそこそこの値になる。女神様特需って奴だな。実際、これをつけて女と一緒に売るだけでかなりの儲けが出るんだからしょうがないだろ」
「せやけどなぁ、信じられへん。売りもんの女ならともかく、自分んとこの幼い娘にすら色を抜かせる親がおんの」
「馬鹿なんだろ」
レイスはその赤茶けた瞳に侮蔑を浮かべ、吐き捨てた。
「やろ? 店に出すんと違ゃうんやで。攫われるだけや分からんのってなんやの」
「買ったのか?」
少しばかり色を近づけたところで人は人だ。それ以外の何物にもなれやしないというのに。
「断ったわ。けどな、レイス。自分もそん気になったら高・・・、す、すまん、失言やったわ」
顔の横を通り過ぎ、どひゅっと音を立てて壁際の棚に突き刺さったナイフをそろりと確認し、ドレイクは即座に謝罪した。
光沢こそないが、薄い黄色がかった髪に赤茶けた瞳を持つレイスは、かなり女神シアラスティネルの持つ色合いに似ている。
幼い時は女装させようとする人が多かったらしく、また襲われそうになったことも一度や二度じゃないとあって、レイスは沢山食べて体を鍛えたのだとか。
結果、愛想のない根暗な青年になったレイスだが、こうして骨格や体格も育ちきってしまうと、女の子に見られていた面影は全くない。
「そうだな。俺もまだお前をキースヘルムに売りたくはない」
どこか冷ややかにレイスが呟いた名に、ドレイクはびくっと反応した。
恐る恐るレイスを見れば、その赤茶けた瞳は全く笑っていない。
「まだやのうて! 一生売りつけへんとって!」
ガクガクブルブル的な意味合いでドレイクが自分を抱きしめながら叫べば、レイスは優しげな表情を浮かべて、慰めるかのように肩を叩いてきた。
「安心しろ。お前はまだ俺の役に立つ。な、相棒」
「まだって言う!? まだってっ!」
キースヘルムというのは同業者だが、表面上は仲良くやっている間柄の男だ。
お互い、相手に隙があれば即座に噛み殺そうと狙っている相思相愛な仲でもある。
ギバティ王国の首都ギバティールにあるディネルを根城とするキースヘルムはかなりガタイがよく、個人的にはドレイクの顔立ちと黒髪を気に入っていて、何かと秋波を送ってきていた。
「ううっ。男がええならレイスでもええやん。なして俺やの」
自分達を取り込みたいならレイスでもいいだろうと、ドレイクは思うのだが、レイスの色合いと顔立ち、何よりも性格が、キースヘルムは受けつけないらしい。
「次はお前を出して来いだと」
「行かんわっ」
そんなキースヘルムとレイスは、取り引きに関しては色恋が含まれないのでそれなりにうまくやっていた。
ドレイクがその取り引きに出て行かないのは、ヘタにあちらに引いてもらって自分の体を要求されたのではたまらないからだ。
「レイスには分からんのやっ。契約成立の握手や言われてじっくり手ぇ撫でられるんも、よろけた言うて引き寄せられてチューされるんも、埃が言うて股間触られるんもっ。あんな大男やでっ!?」
「小柄ならいいのか?」
「女やないと嫌言うとんやっ」
手下達の見てるところでやられた日には、帰宅してからしくしく泣き続けてしまう自信がある。
「そんなことより、これで黒髪だの何だのの在庫が焦げつくのは困るな」
「そんなこと違ゃう」
「女神様特需もしばらく続くだろう。盗品と組み合わせて売るか」
レイスが顎に手を当てて提案する。
「あれか。足がつかんようバラしたんやろ?」
「ああ。宝石をバラして違う組み合わせで作り直させたが、どうせなら黒髪の身につけさせて売ればいい。お涙ちょうだいのストーリーもつけるさ。家宝だけを持って売られてしまった哀れな令嬢とかな」
「令嬢? あれらをか? そりゃ無理あるわ。所詮は庶民の蓮っ葉や」
「売られた先で、まだある程度の待遇をされるか、それとも手ひどく扱われるかの境目だ。頑張ってもらうさ。口の堅い、礼儀作法を心得た女が、・・・貴族令嬢の触れこみで売りつけてきたのがいたな」
ドレイクにとっては無駄な手間にしか思えなかった。
「なんやかんやと重ね付けしてくんやな。そん手間かけて回収でけんの」
「身持ちの悪い女は十把一絡げで売りとばす。家事が得意なら後妻を探してる奴に家政婦で派遣し、情をわかさせりゃいい」
「阿呆らし。早う売りさばいた方がマシや」
「売られる娘が増えてる。過剰在庫で価格暴落中なんだ」
ドレイクが嫌そうな顔をすれば、レイスが溜め息をつく。
「世も末やな」
「手間を惜しまず価格を積み上げるさ。当て馬がありゃやる気になるだろ。それより、神子様が見つかった。地下オークションに出されるそうだ」
「ほんまか。どこが扱うんや。三人ともご一緒なんか?」
「いや。一人だけだ。薄い金髪に濃いオレンジの瞳。今やそのオークションに入りこみたい奴らで沸き返ってる」
「はーん、パチモンか」
驚いて身を乗り出したドレイクだが、冷静なレイスの表情を確認して、その熱意を引っ込めた。
「ドレイク、来週あたりミザンガに戻れ。横流しのブツに手をつけやがった。俺だと殺してしまうからな」
「殺してええわ。金に手ぇつけ始めたらよぉやめん。許したっても感謝ン涙を流したそん手で同じことすんだけや」
「そうだな。だがお前は寛容さを見せつけておけ。手を汚すのは俺の独断でいい」
その言葉に、レイスに許すつもりがないのを知ったドレイクだ。
(俺が許したったんにそいつが繰り返した言うて始末すんやな)
そうやって自分達は補い合いながらやってきた。
ドレイクがトップだが、常に決めるのはセカンドであるレイスだ。レイスが言い出した時点で、もう結論は出ている。
それをドレイクが妬んだことはない。何故なら一番割の合わないものをレイスが引き受けているからだ。
(レイスに独立せえへんか言うた奴は多い。けどこいつは、俺以外ん頭につく気はない言うて断ってきた)
常にレイスが仕切っているのを知れば、ドレイクなど不要だと思う人間が出てくるのは当然だった。
レイスにとって、それでは駄目なのだ。自分より上の存在がいればこそ、レイスは才を発揮できる。
そして優秀なレイスを妬まないドレイクだからこそ、パートナーでいられた。
どちらも一人では成し遂げられなかった。二人だからこそ、うまくやれる。
「頼むわ、相棒」
「ああ」
二人はバシッと片手を打ちあった。
優理が少年達に徹底させたのは守秘だ。
人の依頼を受けて動くということは、人の秘密を知るということでもある。
(10代なんて武勇伝を誇りたい年頃。吹聴するのが当たり前よ。だけど口の軽さは命取り。場合によっては殺される)
だから優理は彼らに何かといえば言い聞かせた。
「これからあなた達もこういったお遊びじゃなく、きちんとしたお勤めを果たすようになるの。その時にはしゃいでペラペラ喋るような新入りなんて低評価をつけられて使い捨てよ。今の内にできる男になりましょ?」
優理は基本的なこの世界の常識を分かっていない。
頭では分かっていても、本質的なものが全く体にしみこんでいないし、理解する気がない。
このギバティ王国では国王が頂点に立っているという仕組みは分かっていても、その国王に忠誠心など全くない優理である。
女神を奉じる神殿や神官達は民衆の敬意を集めているが、優理は彼らを母の公認ファンクラブとしか思っていなかった。
「さっきの剣に結ばれていた房飾り、凄かったよな。ユーリ姐もくらっときたんじゃねえ? できる大人の魅力って感じでさ」
「そうね。武勲を称えて贈られたんでしょうけど、絹の部分は汚れる度に新調しなきゃいけないんだもの。大変よねぇ」
だから口では敬意をはらっているように振る舞っていても、ふとした口調や仕草や思考に優理が彼らを何とも思っていない様子が垣間見える。
少年達が惹かれたのは、もしかしたらその本質的な誇り高さだったのかもしれない。
「神官様のメダルはいつも神官服の中に隠してあるんだ。あんなの、なかなか見せてくんねえんだぞ」
「そりゃ彼らの中での身分証明用だもの。だけど世間知らずだけあって、値切ってこないお客様は素敵ね」
王族や貴族、そして神官をまるで何とも思っていないかのようなところが、たかが場末の占い師にはあったのだ。
「ユーリ姐、この人になら無条件で従っちゃうって思う人いる?」
「この市場の管理してる小父さんね。あれ以来、高品質な商品を置いてある店、こっそり教えてくれるのよ。在庫をはかせる為に私を利用してるんじゃないのって思いながらも、乗せられてしまう自分が悲しいわ」
「そうなんだ」
そう言いながらも、市場の管理者と優理は普通に会えば挨拶して世間話をしているし、恐れ入ってる様子など全くない。
――― 普通、占い師なんてその日暮らしだよね。僕、どこで占ってもらっても、「お坊ちゃま」って恭しく対応されたことしかないんだけど。
――― だよな。だけどユーリさん、金持ちっぽい商人の時にも普通に話してただろ。礼儀知らずってやつなのか?
――― そうかなぁ。いつも同じ服しか着てないように見えるけど、ユーリさんが汗臭かったことなんてないよ。ありゃ毎日入浴してるし、何より髪や手先の手入れが行き届いてる。
――― におい嗅いでたのかよ、スケベ。
――― だけどわざと騎士みたいな人がユーリさん、令嬢のようにエスコートした時、平然と受けてただろ。あの時、騎士の方が狼狽えてたじゃないか。まるでみすぼらしい格好してるだけの貴族令嬢みたいたった。
優理がいない所で話し合った少年達の結論は、優理は高位貴族の庶子だというものである。
――― え? 私が貴族の隠し子? やめてよ、ホント。どこにでもいる庶民の娘じゃないの。
優理自身には否定されたが、彼らはそうだと信じていた。
そうして今日も市場の片隅にある、閑古鳥が鳴く占い屋に集うのである。
今回は依頼を受けたわけではなく、ひょんなことから入ってきた情報を使ってお金を稼ぐというものだった。
「あなた達もよく覚えておくのね。それを必要としている相手に売りつけるってやり方を」
まさに愚民を導く女王の風格で、優理は倉庫兼休憩室で皆を見渡しながら言った。
「けどよ、ユーリさん。本気で貴族の家に乗りこむ気か? あいつら、俺達みたいな庶民なんて何とも思ってないもんだぜ?」
その現実をよく知る少年は、優理を窘めようと口を開く。
「あら。だけどこの情報は買うわよ。だって、場合によっては自分の家が失脚しかねないんだから。だけど気をつけなくちゃいけないのはそこで捕まえられて情報だけ奪い取られること。・・・だからレンドルフが役立つの」
「へっ、俺っ? だけど俺、交渉なんてできねえぜ? やったことねぇもん」
いきなり指名されたレンドルフは、素っ頓狂な声をあげた。
「しなくていいのよ。レンドルフは立ち居振る舞いと服装で貴族って分かるし、そうなるとあちらだって軽々しくレンドルフに手を出さないわ。暴力沙汰は起こせないの。だからこれを持っていく運び屋さんに最適なのね」
そこで優理は、予め用意してあった文書をテーブルの上に出した。周囲の椅子やベンチに腰掛けていた少年達がどれどれと覗きこんでくる。
『5年前に貴家より失踪したとされるご次男の身柄を、とある家が押さえました。彼を現在『保護』している家の情報、買ってくださいますか?
もしも売買に応じてくださる気がありましたら、次の満月の翌朝、銀貨20枚をお持ちになり、第1神殿の階段右側3番目の柱の陰にご当主自らが赤いハンカチーフを身につけてお越しください』
その右下にはサインの代わりに、ガラクタ処分で売られていたペガサスのスタンプを押してある。
(これも一つの験担ぎよね。真琴ってば勝負には強かったもの)
姉妹の一人が化けた姿に託した縁起を、優理は9割引きで買ったのだ。
そこで少年達は首を傾げる。
「けどよ、ユーリの姐御。たしかラグトアの次男ってすっげぇスキャンダルで失脚したって話を聞いたぜ。そんな人間、いなくなってせいせいしているだろうに、金を出してまで取り戻したがるかねえ」
「俺もそう思う。たしか身分の高い姫君に手を出してどうこうって奴だろ?」
「らしいわね。だけどね、こういうのはその裏に真実があるの。そういうスキャンダルを起こしたことにしてでも隠さなきゃいけないことがあったのよ。伯爵は何があろうと取り戻したいと思ってるわ。恐らくは領地に匿っていたのを誘拐されたんでしょうからね、この次男」
皮肉気な微笑を浮かべて優理が断言する。
するとレンドルフが、その文書をピンと指で弾いた。
「なら銀貨20枚は安すぎるぜ、ユーリ姐。身代金だの何だのが関係してくるなら金貨レベルだ。少なくともあちらさんは貴族なんだからよ」
「いいのよ。ここは格安料金で」
優理は少年達を見渡し、言い聞かせるかのようにゆっくりと形のいい唇を動かした。
「情報の売り買いとして確実なものを安く提供する。それの土台を先に作っていくの。本来は私達も偶然知っただけで終わった情報よ。だけどそれを格安で売りつける。あちらも安いからこそダメもとで払うし、それが確実だと知れば私達を見直す。それを重ねていけば、いずれ私達が売りつける情報は高くても買うようになるわ」
「なるほどね。じゃあ、金の受け渡しにもレンドルフが行くのか?」
「いいえ」
優理は、静かに首を横に振る。
「それは私が行くわ。女が行けば、あちらも貴族のレンドルフがメッセンジャーみたいなことをしたのも、ちょっと女にねだられただけって判断する」
「それは勧められないよ、ユーリの姐御。俺達は庶民の女なんてそこらの下働きにしか思ってない。低く見られていいことなんてないんだ。ここはレンドルフか俺を使った方がいい」
「駄目よ。レンドルフは二回も使えない。貴族としての将来があるもの。変なことに手を染めているだなんて思われたら駄目なの。あなたもそうよ。貴族が二人も続いたら、貴族同士の足の引っ張り合いだって判断されちゃう」
「チッ、たしかに。家を巻きこまれるのは困る」
痛いところを突かれ、彼らは唇を歪めた。
「レンドルフは上品で素直そうだもの。それこそ通りすがりの可愛い女の子に頼まれて、二つ返事で引き受けただけって、誰でも分かるわ。一回きりなら問題ないのよ」
「そうだな。レンドルフ、見た目は純真そうだしよ。怪しげな姉ちゃんに頼まれてもホイホイ引き受けそうだ」
「男の子なんてそんなものよね。可愛い女の子に弱いっていうのかしら」
「まあな。俺達、どんな女性にも礼儀正しくしろって授業受けてるし」
引っ込みがつかないお年頃の二人に、レンドルフが大きな溜め息をつくことでやめさせる。
「分かったから。呼び出しには僕じゃなくてユーリ姐が行くんだね?」
「ええ。惜しくもない金額と欲しくてたまらない情報。そこでもう私に注目するしかないの。次男が見つかれば、信頼できる情報屋として一気に評価を上げるでしょうね。その頃にはレンドルフなんて忘れてる」
そしてどんな形であれ貴族の当主と顔見知りになれば、やがて何らかの際にもその繋がりを利用できるだろう。
優理はそう踏んでいた。
ラグトア伯爵はいつものように穏やかな表情で舞踏会に出席しながらも、かなりの焦燥を抱いていた。というのも、領地にある別荘に住まわせていた次男がいなくなったと報告がきたからだ。
厳つい顔つきに鷲鼻のラグトア伯爵は、見た目もずんぐりとしていて存在感がある。その目つきは鋭く、全ての不正を見抜こうとしているかのようだ。
艶のない薄茶色の髪と灰色がかった青い瞳は全く面白味のない人間であることを象徴しているかのようでもあった。
その実態は穏やかで思慮深い人物であることを、親しい人間で知らぬ人はいない。
(どこへ消えたというのか。いや、あの場所が誰かにばれたのか)
自分の置かれている状況を分かっている次男が自発的にいなくなる筈がない。何らかの事故に巻き込まれたのか、それとも・・・。
周囲には放蕩息子だと言い、考えなしにも身分高い未亡人に手を出そうとした愚か者だと、そういうことにして社交界から断絶させたが、本当は決して愚か者でもなく、そんな女性問題も起こしていない次男である。
いずれ名誉は回復されるだろうが、それは今ではない。
だからこそいなくなった事実に、ラグトア伯爵はかなり胃の痛い思いをしていた。
こうして顔見知りの貴族達と挨拶を交わしながらも、行方知れずの次男が心配でならない。
そこへ、トスッと背中にぶつかってきた少年がいた。
「す、すみません。よろけてしまって。失礼いたしました」
「いや、かまわん。大したことではない」
「あ。これ、ポケットから落ちましたけど」
ぶつかってきた少年は、給仕などではなく貴族令息なのだろう。人好きのする笑顔で、封書を差し出す。
「いや。これは私の物ではないだろう」
「だけど今、そちらのポケットから落ちましたよ。もしかして受け取ってお忘れになっていたのでは?」
くすっと少年は笑って、それを押しつけるようにして立ち去ってしまう。
本当に心当たりはないのだがと思いながらも、その表を見れば「ラグトア伯爵閣下」と、書かれている。
(いつ、こんなものを受け取っていたかな)
怪訝に思いながら封筒の裏を再び見れば、ペガサスの紋章で封がされていた。こんな紋章を使っている貴族はいない。
用意された部屋に戻り、ラグトア伯爵はその封を切って中の手紙を見た。その内容が一見では信じられず、何度もその灰色がかった青い瞳で読み返す。
「罠か。それとも、本当に・・・」
折しも今夜は満月。明日の朝、第1神殿に行くべきか、それとも先程の少年を捜すべきか。
「旦那様。邸にお戻りになりますか? それとも今日はこちらでお泊まりになりますか? 奥様は先程からこちらで休まれておいででしたが」
「ちょうどいい。見ろ、これを」
邸から連れてきていた年配の護衛騎士が声をかけてきたものだから、自分一人では判じかねていたラグトア伯爵は手紙を見せた。
彼はもう30年程、自分の警護をしている腹心の部下でもある。
「何が目的でしょう。恐れながら、私が旦那様のフリをして出向きましょうか」
「だが、私にこれを直接渡してきたのだ、貴族の少年が。そうなると私の顔は知られていると思っていい。これは罠なのか、それとも・・・」
「銀貨20枚とは、坊ちゃまの身代金としては安すぎます」
「そうだな。だから分からん」
第1神殿は貴族から庶民、外国人や観光客まで大勢の人が訪れる場所だ。貴族である自分が行ったところで目立つものでもない。
かなり悩んだ末、ラグトア伯爵は銀貨20枚を用意し、赤いハンカチーフをそっと忍ばせて第1神殿を訪れた。
右側3番目の柱の陰にはちょうどベンチがあって、腰掛けられるようになっている。そこには先客がいて、黒いヴェールを頭からすっぽりとかぶった女が熱心に祈っていた。
「すまないがお嬢さん。そこを譲ってもらえないだろうか」
すると、俯いて祈りを捧げていた女が顔をあげてラグトア伯爵を見る。その焦げ茶色の瞳は静かなたたずまいをみせていた。
「ベンチは広くて、まだ座るスペースはありますわ。どうぞお掛けになって。一緒に祈りましょう。一人よりも二人の方が、きっと祈りも届くに違いありません」
「む。それはそうなのだが・・・」
神殿で祈っている女をわざわざどかす理由をうまく伝えられず、ラグトア伯爵は女の隣に座る。
貴族がどくように言ったなら女もどくしかなかっただろうが、ラグトア伯爵はそういった強引さを嫌う人物だった。
同じように手を組んで祈り始めれば、隣にいた女が祈りの姿勢のままで話しかけてくる。
「ベンチの手すりに挟んである紙を手に取ってくださいませ。まず、ご子息を『保護』なさっている方のお名前を書いてあります」
飛び跳ねるように反応したラグトア伯爵だったが、静かに祈り続けている女の様子に、黙って手すりに挟まれていた紙片を引っ張り出して、それを広げた。
そこに書かれていたのは・・・。
「馬鹿なっ。彼が私を裏切る筈がないっ」
「では、今回の取り引きはおやめになりますか? ご子息を隠していらっしゃる場所を移されてはもうどうしようもありませんけど。ここで報酬を支払ってご子息の滞在場所をお知りになるか、それともその方を信じて私との取り引きを打ち切られるか、ご自由にお選びください」
目を閉じて祈り続けながら、黒衣の女は口だけを動かしている。
(もしもこれが事実ならば、・・・何の痕跡も残さずにいなくなった筈だ。キニエスとて、まさか実の叔父に裏切られるとは考えもしなかっただろう)
わなわなと震える右手で紙片を握りしめ、ラグトア伯爵は呻くように言葉を絞り出した。
「交渉に、・・・応じる」
「では、銀貨20枚を私との間に置いてある鞄の中に入れてくださいな」
二人の間に置かれていた質素な鞄。そこにラグトア伯爵は懐から取り出した銀貨20枚を入れた。
すると女が鞄を持って立ち上がる。
「このベンチの背もたれの後ろに青い封筒を挟んであります。その中に、ご子息が閉じ込められている場所が書かれていますわ。ではごきげんよう、伯爵閣下」
慌てて伯爵は立ち上がり、背もたれの後ろを確認する。そこにはたしかに青い封筒があった。
急く気持ちのままにビリビリと破ってそれを切り開けば、中から出てきたのは、次男が閉じ込められているという場所と、そして次男を誘拐するのに協力した者達の名前。
「こ、これは・・・。まさか本当にこれだけの者達が・・・」
振り返れば黒衣の女は、ゆっくりとした歩みで敷地外へと向かっている。走れば追いつくこともできるだろう。
近くに潜ませていた護衛が、ラグトア伯爵に、
(捕らえますか?)
と、目で合図してくる。
「よい。行かせろ」
ラグトア伯爵は首を横に振った。
これだけの情報が本物だとしたら銀貨20枚は安すぎるからだ。
「彼女の素性だけ調べよ」
尾行して正体を突き止めろと、それだけを命じる。
渡された封筒と紙片を持って、ラグトア伯爵は邸に戻った。
「この邸に内通している者がいる」
秘密裏に騎士や兵士達を動かし、次男がいるという場所を急襲させる。
やがて黒衣の女を尾行していた兵士からは、市場で占いをやっている女だという報告が届いた。
「占い師だと? どの貴族かの愛人をしてるのか? だが、市場などに愛人を置くものか?」
そうしてやきもきしながら待っていると、次男がいるという場所に向かった者達の内、一刻も早い報告の為にと、二人の兵士が戻ってくる。
「見つかりましたっ、旦那様っ。坊ちゃまはご無事ですっ」
「おおっ」
やがて騎士や兵士達が、毛布にくるんだ次男を連れて帰ってきた。
「父上っ。良かった、見つけてくださってっ」
「キニエスッ。やはりこちらへ連れてこられてたかっ」
「はいっ。殺されたくなければ俺に証言しろとっ。さもなくば殺すとっ」
「なんということだ」
そうして見つかった次男からも話を聞いて情報の正しさを確認すると、ラグトア伯爵は妻には話を通さず、妻の弟達を捕らえさせた。
縁戚だからと、かなり厚遇してきたつもりだ。けれども人は、それよりも高い報酬で他者に魂を売り払うこともあるのだろう。
(キニエスが見つかってよかった。取り戻せなかったらどんなことになったことか)
ありもしないスキャンダルをでっち上げてでも、自分達には守らねばならぬものがあった。それを今、暴露されては終わりだった。
「すまない、キニエス。不自由な思いをさせて」
「私こそあの場所を離れて申し訳ございませんでした、父上。まさか叔父上達が・・・。母上はご存じないということでしたが」
「言わなくていい。だが、あと少しだ。あと少しでお前の潔白を表明できる。それまで堪えてくれ」
「分かっております、父上」
やがてひと段落ついてから、ラグトア伯爵はそのユーリという女占い師を市場に訪ねた。
「いらっしゃいませ。どんな占いを?」
「先日は役に立つ情報をもらった礼をと思ってな」
「あら? 初めまして、ですわね?」
ぬけぬけと、黒衣の占い師はそんなことを言ってのける。
(ゆする気は無いということか)
ラグトア伯爵はそっと笑いを噛み殺した。
「なら、占ってもらおうか。そうだな、私の運勢でも」
にっこりと笑って優理は水晶玉を見つめながら占いを始めた。
「そうですわね。女難の相が出てますわ。ちょっとした浮気などを誘われたり、新しい出会いがありますけど、それはあまり良くないことですの」
「ほう。女難の相・・・」
ラグトア伯爵は鷲鼻に皺を寄せ、珍妙な表情になった。というのも、ラグトア伯爵は妻一筋で女難も何も、そういった噂など全くない人物だからだ。
妻にさえ気の利かない朴念仁扱いされているラグトア伯爵に、思わせぶりな何かを仕掛けてくる女性などまずいない。
しかし、占い師は澄まして言った。
「ええ、そうですわ。あまり女性と遊ぶのはお控えなさいませ?」
「そうしよう。さて、これは今の占い代だ」
金貨が入った小袋をそこに置くと、優理は困ったように顔を横に傾げた。
「あら、どうしましょう。あれはちょっとした顔つなぎの意味合いもあってお知らせしただけですのに」
「次回は直接、邸に来てもらってかまわない。封筒に入っていた他の情報も助かった」
「恐れ入ります」
軽やかに微笑む優理だ。
「それならこれ、おまけに差し上げます」
「不細工さに味があるな」
売り物らしい猫の置物をもらったラグトア伯爵は、こういう物が存在する意味を測りかねた。
「それは飾っておけば幸運を招いてくれると言われています」
「これがかね?」
「ええ。ある国では収集家までいる程なのです」
「・・・色々な感性の持ち主がいるのだな」
2本足で立つ猫がどうして幸運を招くのか分からないが、その陶器の猫を持って、ラグトア伯爵は帰路についた。
(情報はたしかだったが、占いはさっぱりだな。女占い師のユーリ、か。普通、貴族相手では誰しも腰が引けるものだ。まさかどこぞの令嬢が身分を隠してあんな商売をしているわけでもあるまいに)
しかし覚えておこう、ユーリという名を。
ラグトア伯爵の背後に、護衛の騎士がそっと近寄ってくる。
「旦那様、それは一体?」
「飾っておけば幸運を呼んでくれる猫らしい」
「化け猫が幸運を呼ぶのですか? こんな物を邸内に飾られるのですか?」
「裏庭にでも飾っておけばよかろう」
「はあ」
庭園に置かれているのは、それなりの彫刻家が彫りあげた美女や妖精などの彫像だ。
その中にこの珍妙な猫を混ぜるのかと、護衛の騎士はとても嫌そうな顔になった。