4 神官イスマルクは優理と出会った
女神シアラスティネルを崇めている神官達は、人間のみで構成されている。
というのも、いくら実在する女神といえども、他の獣人、魔物、幻獣、妖精達は、わざわざそういう神官という職業を作ってまで崇めなくても最初から敬意を示しているのだから問題ないというスタンスだからだ。
女神シアラスティネル自身が、神官などいてもいなくてもどちらでもいい感覚でいたこともある。
けれども積極的に神殿や神官の存在を否定しなかった為、ジンネル大陸に存在する神官達は女神に仕える存在としての立ち位置を構築していた。
「そなたを呼んだのは他でもない。イスマルクよ、そなたに命じたいことがある」
大神殿に呼び出された若き第5等神官のイスマルクは、勢揃いしている第1等神官達の顔ぶれに、何とも言い難い気持ちを押し殺して神妙な表情を作り上げた。
「取るに足りぬ卑賤の身にございます。何なりとお命じくださいませ」
頭をさげて床を見ながら思ってもいない言葉を唇から織りだせば、満足そうな吐息を感じる。イスマルクは笑い出しそうになった。
自分を第5等の若輩者よと嘲りながら、しかし能力ではこの第1等神官の誰ひとりとして自分には敵わないのだから。
(どうせ俺が呼びつけられた理由なんざ分かっちゃいるがな)
全ての神殿から聖火が消えた時、女神がお暮らしになっているという聖神殿へ様子を見に行く一行にイスマルクも命じられた。その使者がやって来るのを見越していたイスマルクはたちの悪い流行り病に罹って寝込んでいた風を装い、それを逃れた。
イスマルクにはイスマルクなりの矜持があったからだ。
(俺が仕えているのは女神シアラスティネル様にすぎない。お前らの欲深いそれにどうして付き合わなきゃならないんだ)
誰よりも敬愛する女神がおわした聖神殿に土足で入りこむような所業、どうして自分にできたというのか。
思った通り、出向いた神官達は国王が差し向けた騎士や兵士達と共に生き埋めとなった。
ざまあみろと思った気持ちを否定はしない。同時にそれは神官として生きる以上、決して口に出せないものだ。
しかし、その件はそれで逃れたものの、今度の呼び出しにまで治らなかったという仮病も使えず、イスマルクは大神殿までやってきたのだった。
病み上がりを装う為に、わざわざ食事の量も減らしていてやつれた様子を演出してみたが、この状況ならそこまで細かくやる必要はなかったかもしれないと、そんなことも考える。
「うむ。イスマルクよ。神子姫様の話は聞いておろう?」
「噂だけではございますが。三人のお可愛らしい幼い神子姫様がいらしたとか」
「その通りだ」
満足そうに頷く気配に、イスマルクは内心を表に出さぬようにしながら柔らかな口調を心がけた。
黒髪に暗い蒼色の瞳をしたイスマルクは、どこか酷薄な印象を人に与える。だからなるべく穏やかで慈愛溢れる表情を作るようにしていた。
「ここに至るまでの街や村にあった貼り紙も拝見いたしました。まさにお幸せそうな絵姿に、民もまた感じ入っていた様子にございます。いずれ神子姫様方がお姿をおみせになる日には、きっと皆が押しかけてまいりましょう。それを期待する声がどこの街角でも溢れておりました」
「そうであろうとも」
おべっかは無料だ。イスマルクは相手が喜びそうな言葉を口にした。
うむうむと、その神子姫が未だに行方知れずというのに、周囲の神官達は頷いている。どうせすぐに見つかると思っているからだ。
(どいつもこいつも薄汚い奴らばっかりだ。それこそ名もなき村人の方がより女神様を大事に思っているだろうよ)
権力闘争と利権に明け暮れている大神殿上層部だ。長年に渡って思うがまま暮らしていた女神と違い、幼い神子姫ならば自分達の言いなりになると既に算盤を弾いているのだろう。
イスマルクは神妙に頭を下げ続けながら、不愉快な思いを飲み下した。
「そこまで分かっているならば話は早い。懸賞金を掛けてはいるが、一般の民ならばともかく、王や貴族の手の者に見つかってはそう簡単に神殿へと引き渡してはきまい。神官イスマルクよ、そなたも探索の任に就くのだ」
「私は現在、第25神殿を任されております。そちらはどういたしましょう?」
「そんなものはどうでもいい。たかが僻地のあってもなくてもどうでもいい神殿ではないかっ」
そこで苛立ったように発言したのはどの第1等神官だったのか。
(そりゃそうだけどよ、それを言っちゃあおしまいだろ? あんな僻地の小さな神殿でも村人にとっちゃ大事な神殿なんだぜ?)
有能だからこそ何かあれば呼びつけられるものの、その出身は平民のイスマルクだ。だからだろう、有事の際以外は僻地にある小さな神殿に見習い神官3名だけをつけられてイスマルクは遠ざけられている。
見習いだけで他に神官がいないのは、半人前だけで十分ということだ。そして20代の若さで一つの神殿を任されているのは凄いことだが、あまりにも不便な場所すぎて、誰も羨んでくれない。
この若さで第5等神官なのは凄い出世だが、これよりも上がることはないだろう。
どうしてここまで出世したかというと、第6から第10等の神官ならあまりにも下っ端すぎて、第1等神官が直接呼びつけることができないからだ。
神殿における出世とは、常に上層部の個人的な理由で決められるのである。
「様々な伝手を辿って神子姫の探索を行ってはいる。だが、それとは別にイスマルクよ、そなたも探索に当たるのだ」
イスマルクを一人で行動させるのは、誰かの指示のもとに動くよりもその方が結果を出してくるからだ。
イスマルクは優れた勘のようなものがある。漠然とした第六感こそが突出しているというのだろうか。一人で放り出した方が思いもかけぬ場所から成果を持ち帰ってくると、彼らは既に学習していた。
以前、欲に駆られた神官達がイスマルクを使いこなすべく報告を細かく入れさせながら動かしたこともある。結局それは時間と手間と費用をかけて失敗し続けた。
「かしこまりました。ですが情報は頂けるのでしょうか?」
「情報などない。あの絵のみが全てだ」
「・・・最後に目撃された場所などは?」
「それもない」
「では、本当に神子様かどうかも分からぬあの絵だけが手がかりなのでしょうか。単に女神シアラスティネル様が戯れていらした村人の子供という可能性もあるのではございませんか?」
「聖神殿の近くに該当するような三つ子の娘達がいなかったことは確認済みだ」
「聖神殿近くで、神子様が目撃されたことは?」
「それもない」
イスマルクは考えこんだ。まさに雲をつかむような話である。
「ではマジュネル大陸もしくはゲヨネル大陸にその身をお移しになっていらっしゃる可能性もおありなのでございますね?」
それを確認しようとしたのは、探索と言ってもどこまで手を広げるべきか分からなかったからだ。
その質問に、第1等神官の後ろに控えていた第2等及び第3等の神官達が激高する。
「口を慎めっ。どうしてあんなマジュネルだのゲヨネルだのに、神子姫様方がお行きになるというのかっ。女神様の恩寵は人間のみに与えられるのだっ」
「その通りだっ。あんな下等な存在になどっ」
「申し訳ございません。失言でございました。ではジンネル大陸に絞ってお探し申し上げればよろしゅうございますね? ただの確認にございます」
さらりとイスマルクがいなせば、そこでハッと何人かの神官が身じろぐ。
イスマルク程に役立つ神官はいないからだ。
彼に対して権限を絞った挙句、もしもマジュネル大陸やゲヨネル大陸に神子姫達が移動していたとして、そこで制限をかけていたが為に失態を犯されても困る。
本来のイスマルクの上司を差し置いて、更に最上部である第1等神官達が直接命じているのには理由があった。このイスマルクの出す結果は自分達が独占すればいいという、きちんとした身勝手な理由が。
第2等から第4等の神官達にその成果をくれてやる必要性を、第1等神官の誰もが認めていない。
「い、いや、ちょっと待て。何もどこが駄目とか、どこまでを探すといったものでもあるまい」
三人の神子姫達をどこぞの王宮だの魔物だの幻獣だのに連れて行かれてからでは遅いのである。ジンネル大陸ならばまだ交渉の余地もあろうが、他の大陸に連れて行かれては人間では手が出せない。身体能力が違いすぎるのだ。
コホンと一人の神官が咳ばらいをした。
「先入観は危険だ。しかし、ジンネル大陸から、いや、このギバティ王国から出て行かれてしまうのは困る。分かっておろうな、イスマルク」
「かしこまりました。鋭意、努力させていただきます」
どこか粘ついてくるような口調に対して恭しく拝命しながら、イスマルクは内心で毒づいた。
人に命じる前に自分達で探し出してみせろよ、と。
(だが、恐らく神子姫様方はまだこのギバティ王国にいらっしゃる。・・・空気が柔らかい。大地が歓喜に震えている)
けれども自分はどうするのか。誰も入りこめなかった聖神殿から出てきたとなっては、もしかしたら自分もまた神子達を目にすることが、それどころか会話することもできるのかもしれない。
神子達はこんな自分に笑いかけてくれるだろうか。聖神殿に入りこんだ神官に嫌な思いを抱いてはいないだろうか。
もしかしたら一般人を装って近づいた方がいいのかもしれない。嫌われたくなどない。
(誰よりも早くお迎えにあがりましょう、神子様方)
なぜ聖神殿が崩れたのかは分からない。けれども幼い神子とあってはまだ無力なことだろう。心細い思いをしていないだろうか。
(寂しさや寒さに泣いておられなければいいのだが。いや、きっと神子姫様には自然の加護がある。ならば後は見つけ出すのみ)
あんな絵が存在したというのなら、女神には夫がいたということだ。ならば、成人男性一人と幼女三人といった形で市井に紛れているのかもしれない。
(あれは女神様がご自分の世話をさせる為に造り上げた神子ではない。母と子、それ以外の何だというのか)
場合によっては神子姫達と共にいる女神の配偶者と話し合う必要も出てくるだろう。
「金に糸目はつけぬ。行けっ」
「はっ」
その暗い蒼の瞳に決意を湛えて、イスマルクは立ち上がった。
さすがは聖神殿のお膝元の街だと、優理は思う。
市場も大きくて色々な店が出ている。
市場の周りにも個人商店が軒を連ね、行き交う人達も人間だけではなく、それこそ海を渡ってやってきたのであろう獣人や魔物などがたまに見られた。
(魔物の見分け方。生きている幽霊。だけど居心地悪そうね、あの人達)
そんな市場の片隅に、占い師として露店を出している優理だが、それもまた見よう見まねだ。当たるも八卦当たらぬも八卦と言われるが、こういうのは適当なことを並べて口にしておけばいい。
安い値段で水晶玉やカードを使って占いをしている優理は、当たることもあれば当たらないこともある占い師である。どこもそんなものだろう。
「あんたが占い師のユーリかい? かなり当たるんだって? なんだ、思ったよりかなり若いな。いや、若い女とは聞いていたが」
「占いとは迷子になったあなたの道を照らす月光のようなものですわ。どなたからお聞きに?」
「フィードって爺さんさ。何でも万策尽きてちょうど目についたあんたに占ってもらったら運が向いてきたってな。かなり吹聴してるもんだからやってきたんだ」
そんな言葉と共にやってきたのは、日焼けした体格に短く刈り上げた金髪、そして威勢も良い壮年の男だった。
待ち受ける優理は、どこか陰を感じさせるような青みを帯びたアイシャドウを薄く塗っている。頬紅はくすんだ色合いをブレンドして塗りつけ、唇には茶色がかった口紅をひいて大人っぽく見せかけていた。そのままの声では少女とばれる為、わざと少しかすれたような声を出している。
真っ黒な衣装と黒のヴェールは、その陰鬱なムードを更に演出していた。
だが、所詮は15才の身。いくら化粧や小物、大人びた表情でごまかしたとしても、18才前後にしか見えないわけで、若いと言われるのは当たり前のことでもあった。
「あれは人生相談でしたわ。ですがあなたもそちらをお望み?」
「・・・実はな」
フィードという名の老人ならまだ覚えている優理だ。
(たしかあのお爺さんには美しく若い女性と知り合えるでしょうって占ってあげたのよね。なのにあのお爺さん、自分は子供の頃から年上のババ専だ、皺がなけりゃセクシーじゃないとか言ったのよ)
占いこそ外れたが、あまりにも気落ちしているので事情を聞いたら、どうやら商売が失敗していたらしい。そこで幾つかのアドバイスをしたら、店まで引っ張っていかれた。
そこで優理はいい加減な資金繰りにメスを入れたのである。
(あれは大変だった。計算ミスを全部見つけて集金額を訂正して、あちこち走り回って契約の品を搔き集めて、更には杜撰な管理担当を辞めさせて、代わりに真面目な人をそっちに就けたんだっけ)
その結果、占いなどよりもはるかに高額の報酬をもらえたので悪くはなかった。
到着が遅れていた積み荷も届いたし、フィードは全てが上手くいくようになったと小躍りして喜んでいた。
感謝の気持ちをこめて、フィードは優理の評判をあげてくれているのだろう。
(有り難いんだけど、あまり有り難くないわ。これじゃ私、何でも屋になっちゃう)
そもそも優理に占いの才能はない。やり方を知っているから適当に取り繕えているだけだ。どうせその報酬がなくても生きていけるから、程々にやれていればいいと思っている。
しかし、やってきた客を追い返す程、優理は薄情ではなかった。だから諦めて話しかける。
「奥様の浮気を疑ってらっしゃるのですか?」
男は大きく仰け反り、信じられないというようにその目を大きく見開いた。
「どうしてそれをっ。あんた、本当に本物かよっ」
「いえ、違います。あ、じゃあなくて、そうです。私こそが伝説の占い師なのです」
「・・・違うのか?」
「いえ、占いとは迷子になったあなたの道を照らす星の光なのです」
「星の光じゃ道は照らせねえからな?」
「じゃあ太陽で」
「照らし過ぎだろ?」
フィードから話を聞いてきたのだから、その壮年男性も優理の占い師としての能力には全く期待していなかったらしい。
「まあ、聞いてくれ。俺には妻がいるんだ」
「分かります。袖口も綺麗ですしね」
だが、浮気を案じる人生相談とやらが、聞くだけで終わりになるのだろうか。
(誰だって奥さんの浮気だろうなってピンと来るわよ。言い出しにくそうな、そして男としての自信を無くしたかのような表情が混じって、あんな不自然な目の動きじゃね。同性の友人には相談できなさそうな苦悩と、もじもじとした指先の躊躇い。占いは必要なかったわ)
それでも優理は頑張ってミステリアスそうな微笑を浮かべてみせる。
(まさかと思うけど、私、浮気調査までさせられるんじゃないでしょうね。問題解決の為に)
その流れが読めてしまう自分の才能が怖すぎる。
きっとこの男は周囲に相談できない理由を持っているのだ。だからここに来た。
(元手をかけずに稼げて、何かあればすぐ身を隠せる。ありふれた、誰も気に留めない怪しげな存在として潜伏するつもりが・・・。いっそ、よろず相談所とでもすべきだったの? いいえ、駄目よ。それじゃ私の優秀さが世間にとってあまりにも眩しすぎるわ)
身なりからして報酬はそれなりに弾んでくれそうだが、自分はどこに向かっているのだろう。
優理は自分の未来を少しだけ不安に思った。
さて。
若き第5等神官イスマルクは、かなりぐったりとするものを感じていた。
(何なんだ、これは一体・・・。いや、分かってる。そう、俺は分かりたくないだけなんだ)
とても優しく愛情溢れる気配と、それを取り巻く世界の歓び。
それらを感じてその気配を探れば、色々な家に辿りつく。しかし、そこに女神の神子らしき子供はおらず、見つかったのは白く輝く小さな石の欠片。
その繰り返しを五回までは笑ってこなすことができた。十回繰り返しても、さすがは女神のおわした聖神殿の欠片だと、その信仰が揺らぐこともなかった。
これもまた女神のお優しい気持ちなのだと、見つけた欠片をその場に戻して自分の持っている地図にその場所を書きこんで、更にそれらを繰り返して二十回までいくと、さすがに思うものが出てくる。
自分はこれを何百回、いや何千回、いや何万回繰り返したら、神子姫様に辿りつけるんだろう? と。
(い、いや。これもまた女神様のくだされた俺への試練に違いない。だけど聖神殿近くの街だけでこれじゃ、俺、生きてる内に終わるんだろうか)
イスマルクは力尽きたように、その市場の片隅にあった石段に腰を下ろした。
今のイスマルクは神官のローブではなく、普通の青年のようなシャツとズボンに裾の長いマントを羽織っているだけの姿だ。馬に乗ったり歩いたりする探索において、マントは必須の防寒具である。
膝に頭を埋めるようにして座りこめば疲労が一気に襲ってきた。
(あ、いたいた。どう見てもよそ者っぽい人、発見)
それを見つけたのが、優理である。
「そこのお兄さん、行き倒れてるの?」
「・・・違う。単に休んでるだけだ」
いきなり声をかけられたイスマルクは顔をあげた。
斜め前に立っているのは年若い娘だ。黒いヴェールと黒いローブを身につけている。
「お金がないの? ならちょっとしたお小遣い稼ぎしてみない?」
とても怪しい勧誘である。にっこり笑ってお断りするのが常識だ。
「別にかまわないが、何を?」
イスマルクが撥ねつけなかったのは、探索に行き詰まっていたことにあった。ちょっと違う気分転換をしたくなったのだ。
「あのね、ちょっとあるお店に一緒に入ってもらいたいの。そしてね、ある二人連れのテーブルの近くに座るから、そうしたらあなた、私に向かって、
『いやあ、助かりました。あなたのおかげで結婚できた上、夫婦円満、更には子供まですぐにできた・・・!』
って、とっても大袈裟に喜んでみせてほしいの。そしてね、
『お礼という程ではありませんが、どうかお好きなものを頼んでください』
って、私に奢る感じでやってもらいたいのよ。どう? できる?」
「詐欺か」
よくある手である。
イスマルクはとても慈愛に満ちたまなざしで、優理に話しかけた。
「つまり君が仕込みの役割なんだね、その二人からお金を巻き上げる為の。お金そのものを騙し取る時には違う人がやるから、罪悪感を抱く必要もない。だけどね、お嬢さん。君の元締めは、いずれ君が詐欺の片棒を担いでいると周囲に顔を覚えられた時点で、君を苦界に落とすんだ。それは分かってるかい?」
「いや、そういう劇場型な犯罪じゃないから」
浮浪児達はそう言って、自分達はいいことをしているのだと主張する。
信じた相手が自分達に見せていた顔が全てだと、そう思いこむことで心を守るのだ。
だからイスマルクは悲しげに頷いた。
「そうだね。とても優しい人なんだろう?」
「だから私、ケチなチンピラにいいように使われてるバカ女じゃないから」
そうなのかと、イスマルクは少し口元をほころばせる。
「つまり、その人は大きなお邸に住んでるんだね」
「だーかーらーっ、私はぁっ、相手の身分とか肩書きで凄い人なんだって盲目的に信じる考えなしじゃないからっ」
そこでやっとイスマルクは真面目な顔になった。
「つまり自作自演でやらかす詐欺か」
「違うわよっ。なんで私がそこまで堕ちなきゃいけないのっ」
どうやらこれはちょっと違うようだなと、イスマルクは少し口調を変えてみる。
「ふぅん。だけどね、よく考えてごらん、とても賢そうなお嬢さん? 君が同じことを僕から言われたら、これは詐欺だぞってすぐピンとくるだろ?」
「あらホント。詐欺か新興宗教勧誘のやり口ね。・・・だから詐欺じゃないってばっ」
仕方がないので優理はイスマルクに説明した。
「あのね、旦那さんのことを愛してるんだけど、変に拗らせちゃって思いっきり別方向に思いつめた奥さんがいるのよ。でね、旦那さんにちゃんとぶつかればいいのに、その奥さん、変な男に頼っちゃったの」
「あー。自分に自信がない人がそっちに行きやすいんだよな」
「それそれ。その奥さんね、信頼できるお友達がいないからって、優しい言葉で近づいてきた男にいいようにされ始めてるの。後は関係を持つだけのカウントダウン」
何かと人の悩みに寄り添ってきた神官イスマルクである。
掃いて捨てるほど、よくある話だ。
「ああ、人に聞かれたらちょっとアレだからと、最初は個室のある部屋とか、逢引き宿にってとこか。何もしません、私が信じられませんかとか言って笑顔で連れ込む奴だな」
「その段階のすぐ手前ね」
「うーん。その奥さん、信頼できる小間使いとかもいないのかい?」
「そういう人達は旦那さんに色目を使うって思いこんでるわ。だけどそういう思い込みの激しい女の人って、ちゃんと説明しても疑って余計に捻じれた方向へ行っちゃうでしょ? それを引き戻す為に協力してほしいのよ」
「なるほど。そういうことなら協力するよ」
「ありがとう」
目の前にいる娘の言っていることが正しいかどうかなど分からない。けれどもイスマルクは、彼女を信じていいような気がした。
そこで彼女が渡してきた財布の中身がそれなりに入っていたこともある。
「それで支払ってね。で、あなたへの報酬として美味しそうな食事も頼んでちょうだい。うまくいったら、それとは別に銀貨一枚払うわ」
「なかなか大盤振る舞いだな。ちょっとした小芝居で」
「仕方ないわ。見知らぬ人間を使わないと意味がないんだもの」
そうして優理がイスマルクを連れていった店は、それなりに敷居の高そうな料理店だった。
目の前にいる怪しげな真っ黒い衣装の彼女では浮くこと間違いなしだ。
(ああ、そうか。だから俺に声をかけてきたのか)
一般人っぽい格好にしていると言っても、イスマルクは神子姫達を見つけた際に声をかけても失礼にならぬよう、それなりに上質な衣服を身につけていた。
こういう店に入り慣れている雰囲気が必要で、だから彼女も誰にでも声をかけるわけにはいかなかったのだろう。
「どうぞ」
店に入り、彼女が軽く視線で示したテーブルの隣に、イスマルクは彼女をエスコートして座らせる。そうしてにこやかに話しかけた。
「本当に有り難うございました。あなたのおかげで新婚生活に付き物の不安時間も乗り越えることができました」
「まあ、嬉しゅうございます。今日はどんな報告でお誘いくださいましたの?」
黒いヴェールに隠されたその顔が、優しげな言葉を紡ぎ出す。
「ええ。あなたの言う通りにしたら子供もできたんです。本当にあなたに相談して良かった。一時は仕事に追われているってだけで、俺の浮気すら妻に疑われもしましたが、あなたのおかげで誤解も解けて子供まで授かったんです。あなたは俺と妻にとっての最高な導き星でした。ここのお店はとても美味しいんです。せめてお昼ぐらいご馳走させてください」
「本当に律儀でいらっしゃいますこと。もうお礼は十分に受け取っておりますのに」
「そればかりじゃ足りませんよ。ですが、夕食は妻とデートで、・・・ああ、すまないが今日の料理は何かな?」
給仕の女性にイスマルクは微笑みかけた。
「軽く召し上がるのでしたら、パンと牛肉のステーキ、人参のサラダにじゃが芋スープの組み合わせで出しております。ですが今日はとてもいい鶉が入りましたので、食べきれない分はお持ち帰りいただくことになりますけれど、苦手でなければ是非どうぞ」
「へえ、鶉か。お嫌いでなければいかがです?」
「そうですわね。あまり多くは食べられませんけど、鶉にじゃが芋スープですの? かなりお腹にたまりそうな組み合わせですわね」
優理は栄養価も考えて食べたいタイプである。
そうして料理人まで出てきたテーブルで、スープの出汁には何を使っているのか、じゃが芋スープは千切りなのか角切りなのか、ポタージュなのかと詳しく尋ねた。
「人参のサラダってどんな味つけかしら?」
「人参を茹でてからヴィネガーをかけたものです」
「お肉が出るならちゃんとビタミンC、つまり酸味のある栄養も欲しいの。新鮮な野菜は何があるのかしら? ハーブは買ってきてるの、植えてるの? あと、人参は生で出してほしいんだけど」
「新鮮なズッキーニがあります。ハーブは裏に植えてありますよ。ですが、ここまで料理に貪欲なお客さんは珍しいです」
「そう褒めないでちょうだい。照れるわ」
結局、隣のテーブルが呆気にとられている中で、イスマルクと優理のテーブルは、ズッキーニとフレッシュハーブのポタージュスープ、照りを出して焼き上げた鶉、スティック切り人参、胡桃とハーブを入れこんだプチパンを注文したのである。
「あなたが気に入る料理があってよかったです」
「まあ、ほほほ」
そうしてテーブルに並べられた食事を見て、やっと優理は芝居をすることを思い出した。
「奥様の場合は、信頼できる方が傍にいなかったのが問題でしたわ。けれどいい結果に落ち着いてよろしゅうございました」
「ええ。親しい友人がいない妻の為に若い小間使いを二人つけたつもりが、それが浮気相手候補と疑われるとは・・・、本当に思いもしませんでした」
その人数に、隣のテーブルに座っていた女性がピクッと反応する。
「ええ。もう少し年老いた女性の方がいいのではと奥様が言い出した時も、高くても奥様の為に雇い続けようって思われたんでしょう?」
「そりゃお金のことを考えるなら、安く雇える方がいいですよ。だけど妻の為なら稼げばいいと、その為に夜まで仕事で帰れなくなっても頑張ろうと思ってたんです」
ビクビクッと反応した女性が、手を止めてイスマルクの言葉に聞き耳を立てた。
「そうですわね。だけどまさか奥様の為に稼がなきゃいけないからだなんて、言いたくなかったお気持ち、察するに余りありますわ」
「みっともないじゃないですか。愛する妻に、君の為に仕事が増えただなんて言えますか? 家に帰れば笑って出迎えてくれる、その笑顔があればいつだって頑張れるんです」
「そうですわね。言いたくなくて、つい、フイッと顔を背けてしまうのが殿方ですわ」
優理は微笑んでみせる。
隣のテーブルに座っていた女性が目を大きく見開いたのを、イスマルクはしっかり確認した。
「ですが今後は、自分の抱えている仕事を奥様に事細かく相談した方がいいと思いますの。たとえ奥様には理解できなくても、話してくれるだけで奥様は嬉しいものですわ」
「なるほど。だけど俺はあまり妻にそういうのを相談したくないんです。正直、仕事なんていいことばかりじゃない」
「分かりますわ。奥様には何の憂いもなく笑って暮らしていてほしいんでしょう?」
「そうなんですよ。長年の付き合いがある商売相手で君にも愛想がいい男だが、あれで支払いの際にはがめつくて大変だとか、支払い日が来る度に延々と来月払い交渉してくる奴の鬱陶しさだとか、この商品を全部買い占めたいと言ってきたくせに支払いの際には値下げ交渉してくるだとか、月末までにこれだけの金を用意しなきゃいけないとか、そんなの言えますか? そんなことを聞かされた妻がブラウス一つ買うのも躊躇うようになったら可哀想じゃないですか」
身を乗り出したイスマルクに、優理はヴェールの陰でにやりと笑ってしまう。
(いい掘り出し物だったわ。うん、その調子よ。結果が良くなれば良くなる程、私への謝礼が増えるんだもの。頑張ってっ)
やはりこの人に声を掛けて良かったと、優理は自分の人を見る目に感謝した。
「気概のある男性なら当たり前ですわ。奥様もそこで寂しいからと、変な男の人に相談したりするような愚かな真似をなさらず、お二人の愛を信じてくださってよろしゅうございました」
「変な男の人?」
「ええ、よくあるんですの。旦那様への愛を、男性だから男性の気持ちがわかるだろうと、優しい言葉をかけてきた殿方に相談してしまう奥様って」
イスマルクは目をぱちくりしてしまう。
「へえ。既婚女性に声を掛ける時点で、信用できない男ですね。俺にも友人の妻はいますが、何か相談に乗らなきゃいけない時には前もって友人に伝えるし、更に見えないところで二人の会話を聞いてくれるよう頼む程度の配慮はしますよ。常識でしょう」
「ですわよねー。そもそも夫婦のことをよその男が解決しようって時点で、間男志願ですもの。だけどそんな愚かな奥様が言うことは一緒。
『いい人だったのに』『だって、そんな人とは知らなかったんですもの』の繰り返し」
「そういう奥さんだけは持ちたくないな。妻の為に尽くしてきた自分があまりにも惨めだ」
イスマルクはさらりと言いきった。
ふらりと、隣のテーブルに座っていた女性の頭が傾ぐ。
「ですが、もしも奥様がそういう男性に騙されかけても、あなたなら助けそうですわ」
「そうありたいですけどね。愛して妻に望んだんです。何かあったら一番に相談してほしいと、いつでも思ってます」
「奥様もあなたを愛してらっしゃいますわ。見れば分かります。いつも袖口は綺麗に洗濯されて、少しでも生地が弱くなったらすぐに補強してありますもの。奥様の想いはシャツを見れば分かります」
「自慢の妻なんです」
「あなたが愛されている証拠ですわ」
にこにこと笑い合えば、隣のテーブルにいた男女は黙りこんでいる。
けれども優理は周囲のことなど気づかぬフリだ。
「あの、・・・デザートも頼んでもいいかしら? まだ食べるのかって思ったりしません?」
「小食すぎて心配していたところです。いくらでもどうぞ」
優理はイスマルクと打ち合わせた通りの流れで会話を交わし、薄いクレープ生地のようなものに林檎と干し葡萄を入れこんで焼き上げたものをデザートに、食事を終えることにした。
「いつでもまたおいでくださいませ。私は市場にいつもおりますから」
「ええ。また何かありましたら相談させていただきます。あなたは本当に優秀な占い師だ」
そうして席を立って去っていく自分達の背中を、隣のテーブルにいた女性がじっと見つめていることを窓ガラスの反射で確認した優理は薄く笑った。
(ふっふっふ。これであの男も色仕掛け失敗ね。そしてお土産には鶉肉を挟んだパンもある)
そして店の外で銀貨一枚を報酬に渡せば、イスマルクはそれを受け取らずに押し返す。
「今の食事で十分にお礼はもらったよ。・・・あれで大丈夫なのかい?」
「ええ。これでご主人に全てを打ち明けて謝れば大丈夫。浮気そのものはまだしてなかったんだもの。さすがに私達の会話を聞いた後で変な宿に連れこまれることにはならないでしょ。もし私を訪ねてくるなら、誘導して夫婦円満に戻すわ」
愚かなことは罪ではない。
けれども愚かさが罪を呼ぶことはあるのだ。
鶉肉を挟んだパンは二つあったので、優理は一つをイスマルクに渡した。
「そうか。占い師なんて無縁だったんだけどそういうこともするのかい?」
「普通はしないんじゃないかしら。私は占いだけじゃ食べていけないからこういうこともするけど」
「おいおい。占い師が占いで食べていけなくてどうするんだ?」
「だからこういうこともするのよ」
占いが当たらないのは自分でも理解しているからどうでもいい。
けれども無能だと決めつけられるのは腹が立つ。
そうして占いに来た客に対し、問題解決をはかってしまう優理だった。
「なら、最初からこういう仕事をすればいいのに」
メニュー表にないメニューを言われたら作るというレストランより、最初からメニューに作れる料理を書いておいた方が普通に注文は入るものである。
「それは負けなの」
「何が負けなんだ?」
「私には怪しげな占い師をするべき運命の星があるのよ」
イスマルクは理解を放棄した。
「ま、いいや。善行ってのは気持ちがいい。ましてやこんな美人さんと食事までできたんだ。十分な報酬だったよ。パンもありがとな」
「そうはいかないわ。ちゃんとこれは受け取って。正当な対価よ」
銀貨を押しつけてくる優理にイスマルクは面食らいながらも、ちょっと考えてからその蒼い瞳を和ませて笑いかけた。
「じゃあ、この銀貨で占いをしてくれないか?」
「いいけど、私の占いって当たらないわよ?」
「自分でそれを言うか。・・・いいよ、それでも」
ぷっと噴き出したイスマルクだ。なんとも面白い占い師である。
「実はね、金色のような銀色のような髪をした、そして夕焼け色の瞳をした小さな女の子を探している。どこにいるか分かるかい?」
「その質問、聞いてない占い師はいないでしょうね」
「だろうね」
「だけどまだ見つかってない。つまり占いなんて当たらないってことよ」
「そうかもね。だけどいいじゃないか」
イスマルクは眩しく輝く太陽を直視しないようにして、空を見上げた。
(本当に頼ってるわけじゃない。だけどあまりにも先が見えない。この探索はしてはならぬという意味なのですか、シアラスティネル様)
今の状況に、イスマルクは違う視点が欲しかったのである。
自分の異能がここまで空振りを繰り返すと、拒絶されているとしか思えない。
「あなたも懸賞金が目当てなの?」
「違うよ。ただ、・・・そうだな。お助けしたいとは思ってるけどね」
「助けるって何から?」
どうして自分はこんな怪しげな占い師にペラペラと話しているのだろうと、イスマルクは不思議な気分になった。
だけど何故か、警戒する必要がないような気がする。
己の異能がそう告げるのだ。
「俺を使って彼女達を探そうとしている人達から、かな。いや、全てのものから」
「あなたねぇ。それ、自分が悪の手先だって言ってるようなものよ」
「そういうわけじゃないんだが。・・・あれ、そうなるのか」
優理は、黒いローブで隠れた指先を口元に当ててしばし考えた。その言葉に嘘は感じない。
「本当に見つけたいのなら先入観を捨てることよ、お兄さん。そして覚悟を決めることだわ。少なくとも、見つけ次第引き渡すのが当たり前だと皆が目の色変えている中、それをしないと言いきるだなんて無謀ね」
「そうだな。だけど君はそれを他言しないだろう?」
「そりゃしないけど」
「なら言わなかったのと同じだ。覚悟ならもう決めている」
優理はまじまじとイスマルクを頭の天辺から足の爪先まで眺めた。
「剣ダコはないわね、お兄さん。神殿の人?」
「見事な慧眼だな。占い師よりそっちの方が向いてるよ」
「かもしれないわね。だけどへっぽこ占い師でも占いはできるのよ。・・・そうね、暖かい場所に行くといいわ」
「暖かい場所?」
父親譲りの焦げ茶の瞳を、優理はイスマルクの蒼い瞳に合わせた。
(神官なんて大嫌い。私にあの聖神殿を壊させた。だけどこの人は命令で私達を捜しながらも土壇場で裏切るつもりがある)
こうして女神に対して篤い信仰心を持ち続けている人もいるのだろう。上司である高位神官の言うことには逆らえないが、それでも土壇場で神子に味方しようと考える人達が。
(真琴一人では遥佳を守り通せないかもしれない。そして遥佳なら、この人の言葉が真実かどうかを見抜ける)
真面目で気のいい青年だ。ならば味方に引き摺りこんでもいいのかもしれない。
(何より無料だわ)
それが決定打だった。
「女神にゆかりのある場所で今は誰も近づかない場所に行くといいわ。今も見つからないってことは見つけてもらいたくないってことよ。だから逃げてるの。役に立ちたいのなら何も隠さずにその前に立ちなさい。欺瞞や口先だけの敬意になど意味はないのだから」
イスマルクは目を瞠る。
「見つけてもらいたくないから逃げている」
「違うの?」
「そうだ。結局はそうなんだよな」
薄々はそうではないかと思いながらも考えたくなかった事実を、イスマルクは突きつけられた。
その気が抜けたような表情に、優理はイスマルクの誠実さを確認する。
「さよなら、お兄さん。うまく見つかるといいわね」
「あっ、おいっ。ちょっと・・・っ」
優理は踵を返した。
立ち去る彼女に手を伸ばして追いかけようとしたものの、足早に人混みへと紛れていく背中に拒絶を感じ、イスマルクは立ち尽くして今の言葉を反芻する。
(女神にゆかりのある場所で誰も近づかない場所? 暖かい場所・・・)
そこでハッと気づく。
今や危険だからと打ち捨てられた場所がなかっただろうか。言われてみればあの毒ガスは、尊き存在にまで及ぶものなのか。
いいや、自分達には危険でも・・・。
天啓のようにそれが閃く。
(まさか・・・! 彼女、本当に本物の占い師だったのか!)
自分でへっぽこだの何だのと言っていたが、考えてみればインチキ占い師なら自分からそんなことは言わない。
本気で才能のある占い師だったのではないか。
イスマルクはバッと空を見上げた。
(まだ昼過ぎだ。今日はまだ終わらない)
今から街道沿いにある貸し馬を駆ったとして、日暮れまでにはどこまで行けるだろう。いや、まずは旅装束を揃えなくては。長丁場になるかもしれない。
(急ごう。やっと手がかりが見つかったんだから)
イスマルクは優理が去ったのとは反対方向へと、一気に走り出した。