3 三人は手探りから始めた2
優理は一人でこれからのことを考えなければならなかった。
自分を過信せず、できることとできないことを考えて動かねばならない。
「腹が減っては戦ができぬってね。何か咽喉を潤すものが欲しいわね。悪いけど、どこかから果物を運んできてくれる? よく熟れたやつね」
優理が座りこんでしまったからだろう。
風が運んできた林檎が、ごろごろとその傍に置かれる。
「ついでに、大きなパン屋さんで沢山の売れ残りパンがあったらハム入りが一個欲しいわ。その程度ならいいわよね? 一応、このお金をそっと置いてきてちょうだい」
林檎を齧りながらうふっと笑えば、了承とばかりに風が優しく頬を撫でていった。
「今夜はここでゆっくり眠りたいの。風邪をひかないように少し暖かくしてくれる? 土の上に眠るのは少し硬すぎて体が痛くなりそう」
優理が話し掛ければ、周囲の空気が温もり始める。そして眠る際に体が痛くならないようにと、周囲の木々の枝が伸びてきて、ハンモックのようなものを作り出した。
「ありがとう。人や獣が近づいて来たら教えてちょうだい。できれば近づけないでくれると嬉しい。あとね、顔を洗いたいから小川のある場所を教えて。できればここに温泉が欲しいわ。私の体温より少し高めで」
しばし時間がかかったが、少し離れた場所にいきなり温水が噴き出し、その周囲の地面が削られて小さな温泉を作り出す。
優理は服を脱いでその温泉に入り、考えをまとめ始めた。
(長髪にしている男もいるけど、そういう場合は後ろで一つに括っている。私の場合、大人っぽい化粧をして顔立ちをごまかした方がいい)
優理の手元にある資金はかなりのものだ。両親が用意しておいたそれが少ない筈はない。
けれども目立たぬ為にも、なにがしかの生業は持っておいた方がいいだろう。
(今日はこの山で休むとして、明日はゆっくり住まいを探さなくちゃね)
遥佳と真琴が向かった第7神殿は、人が近づけない神殿だから世界の祝福が集まったところで分かりにくいが、自分の所に自然の加護が集まるのは注目を集める。
だから街で自然の少ない場所がいいだろうと、優理は考えた。
(そして聖神殿の近くの街であることね。あそこはお母さんの気配があまりにも色濃い場所だから、私程度の気配は十分にごまかせる筈よ)
単に暮らすだけなら、自然さえあれば自分達は何不自由なく暮らしていける。けれどもそれでは駄目なのだ。
(女神であるお母さんが眠ってしまった以上、次の女神を生み出さなくてはならない。それは私達にかかっている)
次の女神がどんな女神となるのか。それもまた自分達にかかっているのだ。
(だから遥佳をまず逃がさなきゃならなかった。人の心を読んでしまう遥佳が絶望の中で嫌な相手と結婚させられちゃったら最悪よ。次の女神は絶望を司る神になっちゃう)
反対に自分達が幸せに暮らしたならば、次の女神は慈愛に溢れた希望を司る神となる筈だ。
(だから様々な人を見て、そして決めなくては。次の女神を作り出す苗床を生み出す為に)
女神シアラスティネルは、全ての人間、獣人、魔物、幻獣、妖精の敬意を受けていたと、誰もが言うだろう。しかし、皮肉なことだ。その5つの生き物こそが、自分達を害することができるのだから。そして自分達が愛せるのもその5つの生き物であるというこの事実。
「本当にね。あなた達だけに囲まれて暮らせたなら幸せなのに」
優理は、自分を包む温かい水と空気に向かって呟く。
決して自分達を傷つけることのない自然。それに守られて生きていくだけでいいのなら、どんなに安らいだ日々をおくることができるだろう。
「聖神殿の欠片を世界に散らばせてちょうだい。女神の祝福が世界の隅々にまで届くように。誰もが愛を思い出すように」
空中に向かって話しかけたそれは即座に実行され、崩れた聖神殿の欠片が風に乗ってあちらこちらへと運ばれていく。
「私達を探そうとする存在がいても、世界中に散らばった気配が攪乱してくれる」
結局は一石二鳥を考えてしまう自分に、優理は自己嫌悪した。
(明日からはこういったことも封印しておかなくては。あくまで一般の人に混じって生きていくのでなくては、その真価など見極められない)
愚かな女神を生み出すわけにはいかない。自分は安寧の中だけでしか生きられない、そんな腑抜けた配偶者を選ぶような真似はしたくない。
(愛すること、信じること、優しく思い合える奇跡、それはきっと遥佳と真琴が生み出してくれる。だから私はそれ以外のものを。その場限りの感情に振り回されてしまう、そんな考えなしの女神であってはならない。優しさだけでは何も守れないのだから)
優理は、お湯に浸かりながらブルリと体を震わせた。
世界が恐ろしくなる。自分の肩にかかっている運命が怖い。
「お父さん、お母さん。・・・私達を守って」
今までにも女神の神子の心が闇に染まったことがないわけではない。そうして誕生した女神は、世界を気まぐれに血に染めずにはいられない凶悪さを持っていたという。
自分達の母とされる女神シアラスティネルは愛に育まれて誕生したが、次の女神がどうなるかなど分からないのだ。
(力が欲しい。真琴のような擬態能力が私にも少しでもあれば・・・)
自分は様々なことを理解する能力があるが、それでも身体能力は普通の少女と変わらない。遥佳のように気配や人の隠したい心を具体的に読めるわけでもない。真琴のように他の生き物の特性をその身に移せるわけでもない。
優理はこぼれそうになった涙を隠すように、その温泉にドボンッと頭まで身を沈めた。
白く輝く小さな欠片が、風に乗って飛んでくる。
上半身は人、下半身は馬といった姿のケンタウロス族はちょうど集会で集まっていたが、一人の若者がそれをパシッと手で掴んだ。
「へえ、綺麗な石だ。だが、こんな物がどうして空を飛んできたんだ?」
「どうした?」
「ああ。なんか風に乗って白い石が飛んでいたからさ。大理石かな? しかし突風というわけでもないのにな」
そこで、ケンタウロス族の長老が近寄ってくる。
「どれ。見せてみろ」
「あ、はい。こんなのですが、どこかの岩山から削られてきたのでしょうか」
だが、それを受け取った長老は目を細めてそれを押し戴き、やがて若者に返した。
「大事にするがいい。小さな欠片だが、持っているだけで優しい気持ちが湧いてくることに気づいたか? それはきっと女神シアラスティネル様がお暮らしになっていた聖神殿の欠片だ。はるか昔にも、やはり女神がお休みになられた際、神子が女神のお住まいだった建物を砕き、そして祝福と共に世界に散らばせたことがあった筈だ。・・・やはりシアラスティネル様はお眠りになったのだな」
聞いていた周囲の者達が目を大きく見開く。
「女神の神子が、ジンネル大陸からこのゲヨネル大陸まで?」
「なんと! 女神の神子は人だけを寵愛なさるわけではないと?」
「くっそうっ。そんなら俺も掴むんだった!」
「ちょっと俺にも持たせろっ。・・・うわっ、ホントだ。心があったかくなるっつーのか、これ?」
「どれどれ。俺にも持たせろよ」
「てめえらっ、ちゃんと俺に返せよっ!」
ケンタウロス族の長老はそこで空を見上げた。
空を駆ける白い石を追いかけるようにして、はしゃぎながら風の妖精が飛んでいく。
「見るがいい。シルフの中には、ジンネル大陸まで渡る者も出てくるだろう。せめて女神の神子がゲヨネル大陸に来てくだされば、どなたよりも大事にさせていただこうものを。こんな遥か遠いゲヨネル大陸にまで欠片を飛ばしてくださる神子だ。きっと心お優しき方に違いない」
好色で戦上手と名高いケンタウロス族だが、それでも見境なしに女性を襲うわけでもなければ、戦うわけでもない。
眠りについた女神に敬意を示し、誰もがしばし目を閉じてその眠りが穏やかで安らぐものであるようにと祈る。
女神シアラスティネル。
彼女が女神として誕生して以来、この世界には穏やかな愛が満ちていたという。戦いを好む自分達も、その歴史が嘘のようにこの平和な安寧を穏やかに受け入れることができた。
「だが、長老。シルフがジンネル大陸に渡ってどうなるというんだ? 人の噂を辿れば神子の居場所は分かるだろうが、いくら風の妖精といえども神子を運んでくる程の力があるわけじゃない」
「だが、近くにいることはできる。女神が閉じこもっておられた聖神殿を壊したのなら、神子はこの外界に出られたということだ。一度は我らもお目にかかりたいものよ」
長老はそう言って溜め息をついた。
「どうして女神はジンネル大陸にお住まい続けていらしたのか。それまでは様々な場所を訪れてくださっていたというのに」
単にそれは人間の夫を持ったからである。
そして三人の子供達を地球に送り、女神とその夫の体は聖神殿で眠りにつき、精神を地球で動かしていたからだと、そんな事情までは長老とて分かる筈もなかった。
崩れた聖神殿に程近い街・ティネル。
市場に程近い雑然とした場所に、その建物はあった。
建てられてから百年程と新しいものだが、石造りの三階建てである。庭などはないが、それはこれだけ周囲が密集しているから仕方ない。屋上に洗濯物を干せるということだったが、風で飛ばされる為、部屋で干す人の方が多いのだとか。
隣との隙間は10センチもないが、こういう所はそういうものだ。大事な防犯として全ての窓に鉄格子がはまっていることを確認し、優理は満足そうに頷いた。
「悪くないわね。頑丈な石をつかっているし、小さめだけどしっかりしてる」
「ありがとうございます」
「建物の裏は、あちらの通りに面している家の裏側と接しているのね。騒音とか響くのかしら」
「大丈夫でございます。この辺りはどこも頑丈な石を使っていますからガラス窓も厚めですし、気になるなら厚手のタペストリーを掛けておけば全く問題ございませんよ」
売りに出されていた建物だったが、瑕疵物件だったりしたのではたまらない。
だから優理は、まずは試しに借りられるかどうかを持ちかけた。
仲介に立っていた中年男性は、その建物の持ち主の親戚にあたるらしく、熱心に説明をしてくれている。
何故なら若い娘だというのに、優理は金に困っていない雰囲気を醸し出していたからだ。
(恐らくこの小娘は本来の買い主の小間使いか何かだろう。貴人の愛人を囲う為に、ちょうどいい建物を探しているに違いない)
よくある話だ。貴族や商人が自分の愛人をこっそりと囲う為に小さな家を求めるのは。
その際に要求されるのは、便利な立地で人が出入りしていても誰も気に留めないような賑やかな場所にあること。そして音が響かないこと。防犯がきっちりとしていること。
この年若い娘が出してきた条件は、それらを全て満たしていた。
「玄関の扉もかなり頑丈なのね。木の扉にしては重いわ」
「内側に鉄の板を入れてあります。だから壊そうとしてもなかなか壊れるものではございません。仮に外から火をつけられたとしても、この扉を破ることなどできませんよ」
「凄いわね」
「最初の持ち主が、かなりの財産家だったそうです」
男性はにこにことしながら誇らしげに言った。
金持ちに売りつけるというのは気持ちがいい。貧乏人なら何かと値切ってくるが、愛人を囲う甲斐性がある男なら支払いもきちんとしてくれるからだ。
優理も扉に取り付けられた大きくて頑丈な錠前を見て小さく微笑んだ。
小さな割に高い物件だが、建物の中に井戸まであるのだ。つまり、外に出なくても水を汲むことができる。下水設備も古いがきちんとしたものだった。
「まず半年程借りるわ。それで気に入ったら買いとると思うのだけど」
「かしこまりました。きっとお気に召していただけると思います」
その半年の借り賃を一括で支払ってくれるというのだから、本当に悪くない。
男性は揉み手をしながら、ほくほくと契約をまとめた。
一方、遥佳と真琴に住居の心配はない。
だからまずは買い物だと、フード付きのマントを羽織って街へ出かけた二人は、カルチャーショックを受けていた。
自分はちゃんと言った。ちゃんと卵を買いたいと言ったのに。
「えっと・・・鶏、なんだ」
「そうだよ。ほら坊や、籠に入れてあげるからちゃんと持って帰るんだよ」
「あ、はい」
お金を払って鶏の入った籠を受け取った真琴は、つい遥佳と顔を見合わせてしまった。
市場で露店を出していた肝っ玉母さんといった感じの女店主は、太った腹を揺らしながら、本当にどうしようもない子供達だねえと、そんな感情をありありと顔に表して最後に説教をかましてくる。
「本当に男の子ってのはお金は大事にしない買い物をしてくるんだから。お嬢ちゃんもそこでお兄ちゃんを叱りつけるぐらいじゃなきゃいいお嫁さんにはなれないよっ」
「お嫁さんって・・・」
真琴は男の子らしいシャツとズボンにマントを羽織り、そして遥佳はシャツとスカートにマントを羽織っていた。
顔立ちも背丈も一緒なのだが、雰囲気的に活発そうな真琴が年上に思われたらしい。
「そんなのすぐだよっ。可愛いんだから今からちゃんと花嫁修業しとかないと、後で苦労するよっ」
「あ、・・・はい」
街までやってきたら、誰もが人力で引くタイプの二輪車などを持って買い出しをしていた。だから自分達もそうしようかと、一番にそれを買った二人だ。
あまりにも重い荷物なら馬や牛に荷車を取り付けるのだろうが、ある程度の買い出しなら自分達で引いていけばいいのだと知った。とても新鮮な発見だ。
そうして二人で楽しく二輪車を引きながら、まずは小麦粉や焼いた肉の塊、オレンジなどを買い、そしてチーズや牛乳など目についたものを購入しては積んでいった。
そして最後に割れやすい卵を求めたつもりが、
「卵が足りないから買うってんならともかく、そういうことならどうして鶏を飼わないんだいっ」
と、経済観念のなさを叱られ、二人は鶏を買う羽目になったのである。
「ほら、これはおまけだよ。お腹が空いたらお兄ちゃんとおあがり」
「ありがとう、小母ちゃん」
ゆで卵を二つもらい、遥佳がはにかむようにお礼を言う。
(口調は荒っぽいけど、悪意は感じない。面倒見もいいし、優しい人なんだ)
こういう人が多い場所では人の感情などをシャットアウトしてしまう遥佳だが、それなりに警戒せず話している様子を見て、真琴もこの小母さんなら信用できると判断し、そこで尋ねる。
「ところで小母ちゃん、この辺りにお菓子を売ってる所ない?」
「それならそこの道を左に曲がって二つ目の角を右に行くと、子供に人気なパン屋があるよ。そこで買うといい」
「ありがとっ」
市場でそれなりに買い食いはしていた二人だが、やはり帰ってからのおやつも欲しい。
そうして教えられた店で、レモンピールやジンジャー、クランベリーなどが入っているビスケットを買い、二人は帰ることにした。
もらったゆで卵や買ったオレンジなどを歩きながら食べる。二輪車を引いて第7神殿へと戻りながら、遥佳と真琴は周囲に誰もいないことをきょろきょろと確認してから話し合った。
「ここもいいけどさぁ、多分もう一つ先の街がかなり大きいんだよね」
「そうみたい。ここはちょっと近すぎると思うわ。買い出しには便利だけど」
まさか卵を買いに行って鶏を売りつけられるとは思わなかった二人である。
他の露店でも買い慣れていない様子を悟られ、色々と世話を焼かれてしまった。
「なんだ、お使いかい? お母さんは何がいるって言ってたんだ? ん、坊主? 何人家族だ? これじゃ一人暮らしの買いもんだぞ。少なすぎるだろう。少量だと損するだけなんだ。必要な量をちゃんと買っていけ」
「えーっと、えっとね、お父さんと三人家族なんだ。お父さんが働いている間に買い物に来たんだよ」
何度、家族構成を聞かれただろう。
「肉は今日焼くのかい? 煮込むのかい? 今日、すぐに焼くんじゃなけりゃこっちの塩漬けにしとくといい。ほら、そんなへっぴり腰じゃ運べないだろう。荷車はどこだい? 運んでやるよ」
「ありがとう。妹があっちで荷物の見張りしてくれてるんだよ」
だが、こんなにも面倒見が良すぎる場所では、子供だけで部屋や家などを借りても買っても目立ちすぎる。
硫黄ガスが噴き出ている山が近くにあるせいか、この辺りは硫黄の温泉も多くあり、地熱があるせいか温暖な気候で、人の心も伸び伸びとしている傾向があった。
だからだろう、世話焼きが多すぎるのだ。
それは有り難いのだが、はっきり言って目立ちたくない二人には違う意味で有り難くない。
「割高でもいい。鶏よりただの卵が欲しかった」
「そうね。きっとこれから生みたての卵が食べられるのよ、私達」
「何かこの鶏、かなり籠の隙間から人を突こうとしてくるんだけど、こんな狂暴な鶏から卵をどうやって奪えばいいの?」
「そこはほら、根性で」
真琴の泣き言に、遥佳がなるべく気持ちを浮き上がらせるような合いの手を入れる。
「何なんだろう。なんだか精神的に疲れた気がする」
「そうね。スーパーやコンビニでも普通に卵が買えた生活が懐かしい」
「うん。ここは何かが違う、何かがあるんだよ」
けれども第7神殿に戻った二人は、朝出かけた時にはいなかった筈なのに、いつの間にか神殿の裏側に窪地のような牧場ができていて、そこに牛や鶏がいるのを見て目を丸くすることになった。
「ねえ、遥佳さん」
「何でしょう、真琴さん」
「私達、何の為に重い牛乳とか、人を嘴で突こうとする鶏を運んできたんでしょう」
「・・・きっと鶏もお友達ができて嬉しいと思うの」
いくら何でも空中から牛や鶏が出てくる筈はない。しかも牛も鶏も、丸々と太っていて健康そうだ。
「ねえ、遥佳。あの牛、焼印がついてるけど、あれ、持ち主の証拠とかいう奴じゃない?」
「そうね。あの焼印、神殿の模様に見えるけど、どこの神殿の牛なのかしらね?」
この山に生息していたであろう野良の牛にはあり得ないものを、真琴が見つけてしまう。
うふふと視線を逸らしながら、遥佳も追加情報を加えた。
「どうすればいいんだろう」
犬や猫の飼い方は何となく分かるけど、牛なんてペットを飼ったことはない。
「考えようによりけりよ。貧しいおうちの牛なら罪悪感が湧いてくるけど・・・ね?」
「そう、・・・だよね」
「そうよ、きっと」
二人はハハハと乾いた笑い声をたてた。
いくら神殿の焼印が押されているとはいえ、少なくとも長く使われていなかった第7神殿の牛ではないことは確かだ。
「これ、見つかったら私達、牛泥棒の現行犯?」
「大丈夫よ。見つからない内は犯人じゃないわ」
「そうだよね。たしか証拠が見つからなければ完全犯罪」
「そうね。寿命まで飼ってあげれば私達の勝ちよ」
けれどもどこからどうやってここまで来たのかを考えると怖い。怖すぎる。
既に自分達の頭の中は、今までとはあまりに違う生活でパンク寸前だ。だから二人はそれについて考えることを放棄した。
ジンネル大陸に散らばる神殿で燃えていた炎が全て消えた。
それは女神シアラスティネルが長き眠りにお入りになったという意味だ。
その噂は瞬く間に、世界中へ大きな衝撃と共に響き渡る。
それを後押ししたのが、ギバティ王国のあちこちに登場した貼り紙だった。
「三人の小さなお姫様、か。一度、直に見てみてえよ」
「だなぁ。女神様は恐れ多くてしかも近づけないどころか、滅多にお姿もおみせにならない存在でいらしたが、まだ幼い神子様方ならさ」
きっとお可愛らしいことだろうなぁと、皆が囁き合う。
あちこちの街角にあるそれは、薄汚れた石壁の上にはあまりにも似つかわしくない程、とても上質な紙が使われていた。
綺麗な彩色も施されているから、周囲にある安っぽい紙に書かれた他の貼り紙と格段の違いが出ている。
そして誰もが興味深げに見ては各々の意見を述べ合っていた。
「けどよぉ、聖神殿、崩れたって話じゃねえか。あれ、王様の軍が入りこんだことへの女神様の怒りって本当かねえ」
「女神様が眠りに入られたから聖神殿も崩れたって、神官様は話していらしたぞ」
「なあ、聞いたか? 神殿の神官もかなり死んだって」
「そういう話だが、神殿は否定してるぞ。ただのデマだってよ」
「どうかねぇ。火のない所に煙が立つかい?」
そうして肝心の貼り紙で手配されてしまった優理、そして遥佳と真琴は小首を傾げて考えることになる。
特に優理は聖神殿に程近い街・ティネルにいたせいで、かなり早い時点でそれを見てしまった。
最初は何の冗談かと思って目を丸くしてしまったぐらいだ。
『月の光を紡いだ如くに美しく輝く髪、そして夕焼け色の瞳を持つ三人の幼い姫を見つけ出してきた者には、一生を遊んで暮らせるだけの褒美を与える。ただし決して怪我をさせてはならぬ』
そこに描かれていたのは幼い自分達を描いたものと思われるスケッチの写しだが、それは女神と同じ色に彩色されていた。
(どうして女神が自分と同じ色合いの子供達を作ったと思ったのかしら。ほんと、馬鹿ね)
頭から黒いヴェールをかぶって顔を隠した優理は、小さくせせら笑う。
これでもう用事はないとばかりに、その貼り紙に背を向けて歩きだした。
(私達の髪や瞳の色を誤解されてるなら、見つかることもないわね。ましてや幼い時の絵なんか、参考にもなりやしないわ)
俯きがちにしていたこともあり、ヴェールに隠れたピンクの唇が満足そうな弧を描いたことを見る者はいない。
一方。
優理とは別の街・ドリエータまで食料を買い出しに来ていた遥佳と真琴は、ついかぶっていたフードを深くかぶり直してしまいはしたものの、やはり首を傾げずにはいられなかった。
「たしかさー、お母さん、お父さんそっくりの子供が欲しくて私達を作ったんだよねー」
「そうね。私達がお母さんと同じ色合いでもお父さんは喜んだだろうけど、そうなったら私達、日本じゃなくて北欧かロシアあたりで暮らしてたのかしら。これ、きっとお父さんが描いてくれたものよね」
あの状況でも持ち出されてしまったものはあったのかと、遥佳が唇を噛みしめる。
(ひどい。これはお父さんが私達を描いてくれたものなのに)
地球で暮らしている時は、精神だけ入った人形とはいえ、普通のビジネスマンをしていた父だ。だから平日は会社に行っていたが、休日にはいつも母や自分達を遊びに連れていってくれた。
自分達にとって、それらは今も「ついこの間」のことでしかないのに。
「泣かないで、遥佳」
「だって、真琴」
ぽろぽろと物陰で泣く遥佳を真琴が抱きしめる。
「大丈夫だよ。模写されちゃったのは仕方ないけど、あれは私達の物だもん」
やがて数日後の深夜、ギバティ王宮に一匹のネズミが入りこんだ。ネズミは額に入れられて飾られていた本来のスケッチを盗み出し、天を駆けて脱出する。
そうしてスケッチは、泣き虫な三つ子の一人にプレゼントされた。
「ありがとうっ、真琴っ」
「えへへっ。これぐらいチョロイってぇっ」
まさか自分が寝ている間にスケッチを取り戻してくれるとは思わなかった遥佳である。
絵としての出来は、やはり街角に貼られていた方が本職によるものだから綺麗に描かれていた。けれども自分達にとって価値のあるのは、そのラフなスケッチなのだ。
その日、二人は第7神殿でその絵を眺めていた。
「これ、優理にも見せてあげたいね。どこにいるのかなぁ、優理」
「そうね。だけど優理は大丈夫よ、真琴。だって優理に何かあったら大騒ぎになる筈だもの」
行方知れずの一人を案じずにはいられないけれど。
「それはそうかも。優理なら身代わりぐらい平気で用意しそうだよね」
「あり得る。ううん、人としてそんなこと認めちゃいけないのよ、真琴。・・・ね、この絵、お父さんにも見せたら、恥ずかしがって今なら破りそうじゃない?」
「それは言える。きっと、
『こんなの見なくてよろしいっ』
とか言って取り上げるんだよ。お父さん、変なとこで照れ屋だから」
地球で暮らしていた時は、それなりに本来の姿に似せてはいたが、目立たぬような色合いと髪型、そして顔立ちにされていた両親。
それでもその中にあった魂は、本物だ。
「最後ぐらい、おやすみって言ってから眠ってくれてもいいのにずるいよね」
「仕方ないわ。きっとお父さんとお母さん、ぎりぎりまで普通の暮らしをさせてあげたいって思ってくれてたのよ。ずっと見ていてくれたの」
「それは分かってるけどさぁ」
遥佳は第7神殿から青く澄んだ空を見上げた。
「大気の隅々にまでお母さんの気配が残っているわ、真琴。お父さんがそれに寄り添ってる」
「・・・いいな、遥佳は。私には分かんないもん」
「一番お父さんとお母さんの気配が残ってるのは真琴なのに?」
「へっ? そうなのっ?」
「そうよ」
遥佳は素っ頓狂な声をあげた真琴に、笑顔で振り返った。
「優理は理屈で全てを知るし、私は心を探ることで知るわ。だけど真琴、あなたは体一つで世界を知るの。あなたはこの世界そのものよ」
その笑顔はとても屈託のないもので、太陽に照らされた少女の体は真琴にとても懐かしい気持ちを呼び起こさせた。
(そっか。ここはお母さんの神殿で、誰もいないから遥佳も安心できるんだ)
真琴も笑って、遥佳に抱きつく。
(朝から晩まで前髪で顔を隠していない遥佳を見るのは久しぶり。今、ここに優理がいてくれたら良かったのに)
真琴は、遥佳を更に強く抱きしめた。
「真琴?」
「大好きだよ、遥佳」
「私も」
優しい時だけが流れているような第7神殿に、二人の笑い声が響く。それにつられたか、モォォーッという牛の鳴き声も響き渡った。
「モォだって。牛、鳴いてるよ」
「塩、持ってったげようかしら。あの牛、手を舐めるの好きよね」
だから二人は気づかなかった。この第7神殿のはるか上空を野生の鳥しか飛んでいかない事実に。
どこからか迷いこんできた牛や山羊、鶏などがいつの間にかできていた牧場でのんびりと草を食べていたが、どこに返しに行けばいいかも分からず、有り難く牛乳や卵をもらっている二人には分かる筈もない。
既にこの第7神殿が建つ山は、入りこんだ人間だけではなく全ての生き物を死体に変える魔の山だと噂されていることを。
――― あの山にはマジュネル大陸からやってきた恐ろしい魔物が棲みついているそうだ。
――― くわばらくわばら。女神様の聖火が消えた途端、おっかねえこった。
――― 近づくな。あそこの山に入りこんだ生き物は絶対に戻ってこねぇ。
――― あの上空を飛んでいった幻獣すら戻らなかったそうだ。
全ての生き物を取って食らうと噂される最恐最悪な魔物の正体は、たった二人の姉妹だと知る者は誰もいなかった。
情報は聖神殿のあったギバティ王国を中心に荒れ狂った。
特に貴族や神官達は少しでも手がかりを見つけようとてんやわんやだ。
「たとえ三人揃ってなくてもいい。外出中、金髪に赤みを帯びた色の瞳をした子供を見つけたらまずは確保するのだ。女神様程の色合いには劣ることも考慮せよ」
「かしこまりました、旦那様」
そういった命令があちこちで人を変えて繰り返される。
もしも見つけたらまずは招待しなくてはと、ほとんどの金持ちの邸では客室の色合いや壁紙を女の子好みに取り替え、小さな女の子が喜びそうな人形やレースたっぷりのクッション等、可愛い小物を買い揃えた。
「いいかぁーい、ボーイズ。耳の穴かっぽじってよぉく聞けよ? 子供ってなあ、てめえらみてえな貧相な図体にすら怯えちまうんだ。まずはしゃがめっ。少し距離を取り、それでいて離れぎねえ状態で、優しぃーく怖がらせないよぉーに、笑顔で名前を丁寧すぎずに名乗れっ。子供に『お兄ちゃん』呼ばわりしてもらえる程度にゃフレンドリーになっ。いいか、てめえらっ。ポケットに突っこんでぐしゃぐしゃになった菓子なんぞ蟻の餌だっ。鞄の中に壊れねえよう綺麗な布で包んで持ち歩くんだぞっ」
「はいっ、教官っ」
騎士や兵士、従士の見習いである少年達は何かと使い走りで街に出る。だから徹底して笑顔の練習が行われた。
「では、今日は声のかけ方を練習しましょう。まずは一人ずつ」
「はい。・・・どうしたの、お嬢さん? 迷子なら送っていくよ? ちょうど僕もお菓子を買いに行った帰りなんだ。こういうキャンディ、嫌いじゃない?」
「いいでしょう。ですがもう少し間を持たせてください。笑顔ももっと早くから浮かべるように」
「はい」
神官や貴族、そして裕福な家の子供達が通う学校では、小さな女の子を見つけた時の声のかけ方などまで授業に組みこまれる。
「今日はこの子供を相手に練習して頂きます、坊ちゃま。小さな内に取りこんでしまえばこっちのものですからな」
「幼女趣味はないんだが、しょうがないか」
「莫大な富と栄光、名誉を得るか失うかの二択でございます。何があろうと信頼される存在にならねばなりません。それも競争相手は全ての殿方。機会があるとすれば一瞬でございます」
「分かった。少しでも偉そうな態度や強い口調は一句たりともやってはいけないのだったな。強く手を引っ張らぬよう歩幅も気をつける、だったか」
「練習はもう始まっております。椅子に座って話すなど以ての外。椅子に座った姫君に跪き、笑顔で見上げるのでございます」
「わ、分かった」
おかげで令嬢の為に雇われるような淑女教育の家庭教師はいきなり引く手数多となった
小さな令嬢の好みや行動をよく知っているからである。
「高い宝石やドレスを贈るばかりが全てではございません。上手にできずに挫けてしまいそうな時に励まされるより、ただ寄り添って自信を持たせてくださる年上のお兄様に女の子は憧れるのでございます」
「まずは庇護。そして怖がらせることなく、強権を発動せよとは」
「頼れる存在と思っていただかねばなりません。矢面に立つご覚悟を」
「そこはどうにでもなろうが、・・・小さな子供か。なんと難しい。だが、そこらの王女などよりも価値ある姫君とあればどこも死にもの狂いか。求婚一つですむなら安いものだ」
「その通りでございます、殿下。国家の年間収入などとは桁が違う姫君。お三方、最悪でもお一方だけでも確保せねば、国が沈みます。殿下のお気持ちは二の次、三の次にございます」
王族や貴族の独身男性は、誰もが小さな子供が憧れる求婚のやり方を仕込まれた。
そして既婚の男女は小さな子供が、
「この人ならお父様、お母様になってくれるかしら」
と、願うような態度とやらを付け焼刃で学び始める。
どこまでも真面目に、それは実行された。
何故か今まで汚かった裏通りの清掃が行き届き、何かと近所を見回る男女が増えたあちこちで、そういった小さな子供への声掛け授業も開け放たれた窓から漏れ聞こえてくる。
――― はいっ、もう一回。笑顔を浮かべてっ。
――― 小さなお嬢さん、可愛いね。
――― その次には?
――― あまぁいお菓子があるんだ。一緒に行こう?
ギバティ王国の首都・ギバティールの郊外に暮らしている獣人のカイトは、つい呟いた。
「幼女誘拐の授業か?」
光の加減で柔らかなクリーム色にも、暗い灰色にも見える銀髪をガシガシと掻きあげると、透明感のある水色の瞳を眇めて、貼り紙に見入っている人々の後ろから自分も眺める。
(なんで人間ってそういう考え方なんだろな。みんなで可愛がりゃいいってのに)
本来、獣人が住むのはマジュネル大陸だ。マジュネル大陸には獣人や魔物が住む。
だが、マジュネル大陸に国名はない。獣人や魔物ならではの縄張りはあるが、その程度だ。国といったものを作り、そして互いに争う人間は愚かだと思わずにいられない。もっとも、だからこそ自分達も稼げるわけだ。
(ここはあまりにも決まりが多くて窮屈だ。けれども刺激には事欠かない。まるで体に悪い薬物のようにクセになっちまう)
人間が多く暮らすのがジンネル大陸で、獣人や魔物が多く暮らすのがマジュネル大陸なら、幻獣や妖精が多く棲息するのがゲヨネル大陸だ。本来、誇り高い幻獣や妖精はなかなかゲヨネル大陸から出てこない。
けれどもここ長年、女神シアラスティネルがギバティ王国にある聖神殿で暮らしている気配が濃厚だった為、それに惹かれるかのように様々な獣人や魔物や幻獣、そして妖精がギバティ王国に集まっているという話だ。
実際、人間とは違う能力を感じてみれば人間じゃなかったという経験が、カイトにもある。
知性ある生き物が多く集まれば、経済も活気づく。ギバティ王国の繁栄は、女神がこの国に腰を落ち着けていたことにあった。
(我らが女神がどこにお暮らしになろうが、それはお心のままに。だが、人間共が増長してんのは気に食わねえな)
本来、種族による差別はない。けれども混血は生まれにくいということもあり、一定の線引きはある。
(幼くて力もなさそうな子供達とあっては時間の問題だ)
ギバティ王国は総力を挙げ、目の色を変えて探し回っている。
(こんな薄汚い私欲に塗れたジンネル大陸でなくても・・・。どうして我らがマジュネル大陸においでにならなかったのか。そうすればどの獣人も魔物も、大切にお育てしただろうに)
人間同士で王だの貴族だの役人だのと、そんなものを決めては力も頭脳もない者が人を統べるようなジンネル大陸より、強き者が群れを率いるマジュネル大陸の方が、幼い神子姫達の健やかな成長を育んだに違いないのに。
カイトは、今日はもう家に帰るかと、踵を返した。
(シアラスティネル様。あなたが愛しておられたのは人間だけでしたか)
その問いは、人間以外の獣人、魔物、幻獣、妖精が共通して抱いているものだ。
確実な答えを聞きたくて、聞きたくなくて、自分達はずっとこの世界を守る女神を慕い続けていた。
見上げれば水色の空に、白い真昼の月がうっすらと見える。
(今夜の月は大きくて綺麗だろう。山でも走るか)
カイトの生業は、運び屋だ。時には護衛もする。たまには盗っ人紛いのことをして、依頼された物を奪ってきたりもする。勿論、盗みに関してはまともな場所からの依頼に限っていた。
王宮や軍、神殿というのは、失敗できない後ろ暗いことを抱えているものだ。しかし報酬はいい。
見た目は銀髪に薄い水色の瞳をした普通の青年だが、カイトは優秀な運び屋だった。人間では無理な跳躍も疾走も難なくこなせる。
だから不可能を可能にする運び屋として評価が高いのだ。
(聖神殿の山はここから遠いが、どちらにしても幼い神子ならばたいした移動はできまい。早晩、神殿なり国王なりの手配した人間に保護されるだろう)
獣人よりも人間の方が几帳面で信頼がおけると言われる。
けれどもカイトの仕事は、契約内容や結果に信頼がおけると気難しい依頼人が太鼓判を押す程で、そこらの運び屋よりもランクも報酬も高かった。
(誰も俺が獣人なんて思いつきもしない。獣人は金だけ受け取ってトンズラするもんだ。やりたいことしかしねえし、縛られるのを嫌がる)
そんなことを思いながら、カイトは帰り際にいい皮革や鋲打ちをした籠手なども買いこんで、塩漬け肉を樽で買い、チーズも直径30センチ程の大きさの物を塊で買い、一輪の手押し車にどんどん載せていく。
郊外で暮らす自分に、まとめ買いは不可欠だ。しかし、そこが享楽的な獣人らしからぬ堅実さで、面白味のない人間にしか思われないのだから、性格とは因果なものである。
「あ、おっさん。そこのワインも1ダースくれよ。牛乳は3瓶でいい」
「あいよっ」
野菜は家の裏庭に植えてあるが、牛肉や豚肉は買うしかない。山で鹿肉や猪肉は自力調達できるのだが、人間が飼っている牛や豚を襲うわけにはいかないからだ。
そうして家に帰りついて、挽き肉入りパンや温め直したシチューを平らげれば、空が夕闇に沈み、綺麗な月が出ていた。
「その内にこの山を買おうかと思ってたが、今後どうなるか分からんな」
女神が暮らす場所には加護が篤く出ると言われる。
この場合、女神の神子達にもそれはあるのだろうか。
ギバティ王国ではない国へと神子達が落ち着いたなら、そちらに繁栄は移るのか。
もし三人の神子達を他国に確保されたなら、ギバティ王国の栄華は一気に凋落する可能性もある。
だが、女神ではないただの神子だ。それ程の力はないかもしれない。
(いいや、神子に力があろうがなかろうが関係ない。象徴として使えればいいのだから)
恐らく三人の神子姫が見つかったなら、その行き先によっては自分に依頼が来るだろうと、カイトは予測していた。
その居所が明らかになって、それが一国の王宮だったとしても、誘拐してでも手に入れようとする国は出てくる。
(俺に依頼してくるならギバティ王国か。外国に取られるのだけは許さんだろう。だが、俺とてマジュネルの民。どうせ最後の仕事なら、評判をどんなに落としてもかまわねえ)
あどけなく小さな三人の姫君達。
怖がらなくても誰もがあなた達を愛しているのですと言って、マジュネル大陸でもとっておきの綺麗な花を摘んでプレゼントするだろう。毎日、誰もが日替わりで。
姫君達は赤い花が好きだろうか。白い花の方がいいだろうか。小さな女の子なのだから黄色い花の方が好きかもしれない。
最初は恐ろしい獣の姿だと怖がられてしまうかもしれないが、毎日優しくしていれば怖くないのだと分かってもらえるだろう。
そうして獣人や魔物を好きになってもらえたら・・・。
それはどんなに素晴らしいことか。たとえ三人の神子姫達に、女神のような加護がなくたってかまわない。
欲深い人間ならば役立たずだと罵るのだろうが、獣人や魔物ならば敬愛する女神の神子達に対してそんなことは思わない。
誰よりも何よりも大事にして、そうして皆が心のままに愛するだろう。
(三人の神子達は、マジュネル大陸から見る朝焼けを、そして輝く太陽と青い空、赤く沈む夕日や満天の星空を気に入ってくれるだろうか)
そんなことを思いながら、カイトは服を脱いで目を閉じる。
段々とその色素の薄い肌全体に白っぽい銀毛が生え、二本足で立っていた姿は四つ足となっていく。そうしてそこに現れたのは、白銀色の毛に灰色の縞模様が入ったシルバータイガーだった。
(吼えらんねえのが辛い・・・。人間なんて襲わねえってのに)
郊外とはいえ、山の中ではない。自分の正体がバレても特に問題はないと分かっているが、やはりここは人間の国だ。目をつけられて、動きが制限されるようなことは遠慮したい。
だから吼えたい気持ちを抑えて、カイトは山へと走り出していった。
そしてまた、聖神殿にほど近いディネルの街で、とある青年二人がのんびりと椅子に腰かけて幾つかの書類を見ながら会話していた。
「神子姫様やと。ナンボになるやろな。レイス、これ銭儲けの匂いせんか?」
「仮にも女神の神子様に対してそれはないだろ。お前だって本気で考えてるわけじゃあるまい、ドレイク」
「考えてしまうんはしゃーない。そりゃ本気でめっけたら生き神様言う大事に大事にお迎えさせてもらうけどな。いや、隠し通すんは無理や。ほな、やっぱ金に・・・、いや、そんでもあいつらに渡すんは嫌やな」
考えこむドレイクに、レイスは呆れてハッと鼻を鳴らした。
ギバティ王国にある一軒の隠れ家にいる二人は、実は隣国・ミザンガ王国の人間だ。
陸続きの上、同時に女神の恩寵があると言われるギバティ王国の民は豊かさに慣れて警戒心が緩いところがあった為、こうして足がかりを作って縄張りを広げようとしていた。
「見つけてもない内から楽しい妄想だな。何にしても三つ子では見つけるのも容易かろう。早晩、お触れが出るさ。聖神殿からはじき出されてしまったお可哀想な神子姫のお披露目パレードを行う、とかな」
皮肉っぽい口調のレイスは少し長めの前髪を掻き上げた。
その髪の色は日に晒されて乾ききった砂のような金髪だ。光沢のないその髪色を、ドレイクは時間がたって黄ばんだ骨のような色だと言う。
多くの人間を死体に変えてきたレイスだ。乾いた砂の色と言われるよりも、時を経た白骨の色と言われる方が確かに似合いだっただろう。
「分からへんでぇ。聖神殿は跡形ものう壊れたっちゅー話や。せやけどおかしゅうないか? ならなんで他の神殿は壊れてへんの。女神様がおわした神殿だけ壊れとるっちゅーのは女神様のご意思か? 俺はそうは思わへん」
にやりと笑うドレイクの黒髪が僅かに揺れる。
その下にある覇気溢れる焦げ茶色の瞳に歓喜が宿っていることに気づき、レイスは探るような視線を向けた。
「なあ、レイス。聖神殿、本当に女神様お壊しにならはったんやろか。大事な神子様が残っとらっしゃるんに? けどな、女神様以外にも壊せるお方はおるんとちゃうか?」
「はっきり言え、ドレイク。持って回った言い方は嫌いだ」
「女神様言うたかてお一人では子もでけへんやろ。俺はな、壊したんは女神様ン旦那はんか、まさにそん神子姫様方やと睨んどるわ」
「つまり神子様は実子だと? ・・・あり得るかもな。だが、あんな小さな子供が?」
愉快そうにドレイクが咽喉をクックと鳴らして笑う。
「幼い言うたかて何も分からへんわけやない。いや、子供やからこそ損得考えんと動くんや。面白ぅなるで、レイス。ああ、そんお可哀想な神子姫様、うちがめっけたら大事ぃに囲うてもうて綺麗なもんだけお見せしてな、そこらの王女はんより幸せにしたるんになぁ」
「女を売りもんにしてるお前が何をアホくさい。それこそ不敬にも一番の高値をつけて売るだろうよ」
「それこそど阿呆や。ほんまに価値あるもんは売り買いなんてでけへん」
そのしみじみとした声音に、レイスは不思議そうに動きを止め、やがてその赤茶けた瞳を見開いた。
「もしかして本気だったのか? まさか見たこともない、いくら世界で一番価値のある姫君だからって、海のものとも山のものともつかんような幼女相手に、お前、本気で言ってたのか、ドレイク?」
その嫌みったらしい言い方に、ドレイクも鼻白む。
「うっわ、何コイツ。信じられへん。自分、何の為に生きとるん。そんでも男か? この世界の生きもん全てが頭を下げる女神様の残しはった三人しかおらん姫君やで? どれかお一人でもかまへん。欲しい思わん男がおるかいな。嫌な奴ぅー」
「取らぬ狸の皮算用か」
大袈裟に肩を竦めてみせるドレイクだったが、取り合ってくれないレイスに、おふざけはこれまでかと、気分を切り替えた。
「分不相応な夢など見ても仕方あるまい。それよりも明日の買い付けはどうする? 貴族の姫君って話だがどうも怪しいな」
「そんお姫さんと一緒に育てられた乳姉妹っつーのを高う買わせる魂胆やろ。上手う暴いて安う買い叩いてこ。で、うちん国で貴族の姫君言うて高う売りつけようや」
「そうだな。しかしこれだけ豊かな国で愚かなことだ。見栄を張る為の金欲しさにそこまでやるか」
「豊かな国やからこそ見栄を張るんや。ええ商売させてもろとる。せやな、マイルートとカイネ行かすわ」
「適任だな。それから鼻薬を嗅がしといた自警団、要求が増えてきてるがどうする? 予算的に余裕はあるが、このペースだと自滅も近い」
「調子こかれんは困るわ。うちらが出んよう始末してや」
「分かった。酔っ払いの喧嘩に巻き込まれたようにして処理しよう。ちょうど酒浸りになった奴がいる」
「頼むわ。ホンマかなわんわ、欲かかれんのは」
まるで自分は清廉潔白、真っ当に生きているかのような台詞を口にして、ドレイクは溜め息をついた。
後ろ暗い裏街道を歩んでいても、様々な柵はあるのである。