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2 三人は手探りから始めた1


 胎内で同じ時を過ごしてきた双子には、特別な絆があると言われる。

 たとえば一卵性の双子が別々の場所に引き取られて養育されても、同じような職業に就く人生を歩んでいたり、似たような人と結婚していたりといった不思議なケースがあるように。

 だから三人は、自分達もそんなものなのだろうと思っていた。

 三つ子の自分達がたまに同じ世界の夢を見るのは、そういう不思議な絆があるからなのだろうと。


「ふわぁあ。うーん、朝ご飯があるっていいよね。クロワッサンは偉大だ」

「なあに、真琴。朝ご飯が出てこない夢見ちゃったの? どうせならトースターで温めればいいのに」


 大きな欠伸をして朝食のテーブルについた真琴(まこと)に、三つ子の一人である優理(ゆうり)が話しかけた。


「やっぱりクロワッサンはトースターのパン温め機能に尽きるわ。バターの香りが違うの。そして終了する30秒前に取り出すのがベストね」


 優理にとってそのこだわりは譲れないらしい。いつもそう主張する。

 トレーナーにジーンズといった格好の真琴は、ショートヘアを適当にしか()かさなかったらしく、あちこちに寝癖(ねぐせ)()ねたままだった。


「面倒だからいい。いただきまーす。なんかねー、お父さんってば朝ご飯の用意忘れてたんだ」

「おいおい。夢の責任をなすりつけるな。だけど真琴はパパ大好きだからしょうがないよな」


 先に食べ終えていた父の大河(たいが)は、泡立てた牛乳を浮かべたコーヒーを飲みながら苦笑する。


「おはようございます。お父さん、もう食べちゃったの?」

「おはよう、遥佳。お寝坊さんな子供達を待ってたら、お腹がくーくー鳴いちゃったのさ」


 そこへ顔を洗ってやってきた遥佳(はるか)は、自分のクロワッサンを電子レンジで10秒温めてから席に着いた。少し長めの前髪は横に流し、肩まで届く後ろ髪はきちんとブラシで梳き終えている。

 パステルピンクに赤や白のタータンチェック模様が入ったワンピースはゆったりサイズ。遥佳らしいおうちスタイルだ。


「遥佳、ミルクティーで良かったよね? 牛乳の方が良かった?」

「ありがと、優理。ミルクティーがいい。いただきます。お母さん、どこ行っちゃったの? さっき、お庭のお花切ってたけど」

「今日はお父さんと先に食べちゃったみたい。なんかお隣さんにお花持ってくって言ってた。お隣さん、お姑さんが来るから大変なんだって」

「だから全部のお花、切ってたのね。それならうちから持っていったって分からないし。優理、どっか出かけるの? 髪をおろしてる」


 普段は後ろで一つに()っている優理だが、今日は黒髪をおろしている。

 白の襟付きシャツには大胆な紺色のチェーン模様が入っているし、ブラックジーンズだから少し大人っぽく見えた。


「えへへー。今日はメソポタミア文明展に行くの。遥佳と真琴も行く?」

「いい。優理、学芸員さんとずっとお喋りしてるんだもの。だけど可愛い楔形(くさびがた)文字の絵葉書があったら買ってきてね」

「私も優理と行くのは嫌。面白いスポーツタオルがあったら買ってきてね」

「さすがにスポーツタオルは売ってないと思う」


 中学生になればそれぞれ個性も出てくるもので、一緒に手を繋いで出かけていた小学生時代は終わりを告げている。

 それでも仲良しな娘達を眺め、大河は少し考えた。


「それなら真琴と遥佳はボルダリングに行くかい? 敷地内に岩山と庭園が一緒のところがある。遥佳もそれならお散歩できるし、帰りに気に入った苗を買えるだろ?」

「行きたいっ。やっぱりクライミングは岩だよねっ」

「ちゃんと命綱とマットは忘れないでね、お父さんも真琴も」

「よし来た。詩在(しあ)はお隣さんの困った問題解決で忙しい。途中まで一緒に行こうな、優理」

「はーい」


 両親と三人の子供達。

 ありふれた日々がそこにあった。






 人生とは一寸先が闇なのだ。

 大理石よりも真っ白に輝く石床の上で、優理、遥佳、真琴の三姉妹は顔を見合わせた。


「何これ、これって現実っ!? 夢が現実を食べちゃったらもう廃人って言うよねっ?」

「それはね、真琴。虚構世界を現実だと思いこみたくなった人のなれの果てって意味であって、これを現実だと思いたくない私達は違うと思う」

「だけど優理。それならこの現実を否定していることで、私達は廃人ってことになっちゃわない?」


 真琴の言い分を否定した優理の意見は、遥佳によってひっくり返される。


「つまり(うつつ)か夢か、それは何をもって定義されるかってことなのね」


 視界の邪魔になっていた長い黒髪を手でさらりと肩の後ろに逃がした優理は、(うれ)いを帯びた表情で呟いた。


「遥佳に負けたことを認められずにそっちへ逃げる優理は廃人とゆーこと?」

「負けてないもんっ、真琴の馬鹿っ」

「馬鹿じゃないもんっ、優理の馬鹿っ」


 姉妹喧嘩を始めた二人だが、遥佳はしゃがんでその白い石の床をパンパンと平手打ちしてみる。


「痛い。やっぱり現実だと思う」

「え? 遥佳、そこから?」

「分かってないのねー、真琴ったら。最初の確認は大事なのよ」


 長袖Tシャツにスパッツという自宅スタイルな三人は、そこでうーむと考えこんだ。


「まさかあの夢が本物になる日がくるとは。ひどいよね、お父さんとお母さん。三つ子でしかできない絆なのねーとか言っちゃってとぼけてさ。これは詐欺罪だと思う」

「私、実は睡眠学習みたいなので、お父さんが音声で流したお伽噺(とぎばなし)を夢で見てるんだと疑ってたわ。だけどお父さんとお母さん、共犯だったのね」


 真琴が親を断罪すれば、優理も同意する。


「それが犯罪なら優理も真琴もかなり余罪があるんじゃない? そんなことより、二人共ちゃんと覚えてる? ここの世界、かなり細かい設定があったと思うんだけど」


 遥佳は、特に心配そうな顔で真琴を見る。


「なんでそこで私を見るの?」

「だって真琴だもの。優理はちゃっかりしてるけど、真琴は出たとこ勝負じゃない、いつも」


 すると真琴は、フッと鼻で笑ってみせた。


「まっかせなさーい。これでもいつだってその場で考えてきた私、これからも大丈夫っ」

「あ。これダメだわ。遥佳、ちゃんと真琴見といてね」

「私から見れば優理も真琴もリードを放しちゃったボルゾイ ※ 。気づいた時にはどっかに走ってった後なんだけど」


― ※ ―

 ボルゾイ:ロシア原産の大きな猟犬。俊敏という名にふさわしく、狼を狩る。興味を引くものを見つけたらいきなり興奮して飛びかかっていたりするので注意しましょう。

― ※ ―


 仲良しだけに性格も分かりきっている三人だ。

 三人は床を見下ろして、ちらっちらっと様子を(うかが)い合う。

 誰がリーダーとなるのか、それが問題だ。

 諦めてパンパンと手を叩いたのは優理だった。


「はい、注目。落ち着きましょう、遥佳、真琴。言っても始まらないことは世の中に腐る程(あふ)れているわ。仕方ないのよ、諦めが肝心なの。その場その場で臨機応変に対応しなきゃ」

「だけどさぁ、優理は怒らないわけ? いきなりこんな所に戻されても、私達、今まで女子中学生してたんだよ? それならずっとここで暮らしてた方が良かったのにってさ。何のために西華高校進学予定だったのかなあ、私」

「そこで優理を責めちゃ駄目よ、真琴。優理だって何も思ってないわけじゃないわ。優理なんてもっと凄いところに行く予定だったんだし、そんな西華ごときで口惜(くや)しがっても虚しいだけじゃない」

「ごときって言った? ごときってひどいよっ、遥佳っ」


 ここは女神シアラスティネルを(あが)める世界だ。

 その女神を祀る神殿は数多くあるが、聖神殿と呼ばれるその特別な場所に、自宅でごろごろしていた格好のまま、三人は移動させられてしまった。

 まさか日本にある自宅から、いきなり違う世界に移動させられてしまうとは、誰も予想しないだろう。


「だって真琴。私達、もうおうちに帰れないと思うの。ううん、ここが本当の世界だったのよね。覚えてない? なんかそんな説明してたでしょ、お母さん」


 さすがに進学先をごときと言ったのはまずかったかと、遥佳は話を変えた。


「なんか言ってたけど、アイスケーキはどうなったんだろう」

「つまり真琴はおやつをねだってて聞いてなかったのよ、遥佳」

「だってアイスケーキの特売日だったんだよ? 優理だってバニラ好きでしょ? 遥佳だってストロベリー好きだよね? 私、残ったチョコで良かったのに」

「あら、ごめんなさい。私、今日はチョコの気分だわ。じゃあ真琴はバニラね」

「ひどっ。遥佳ぁ、優理が(いじ)めるっ」

「うん。落ち着いてね、真琴。そもそもアイスケーキないから」


 そんな三つ子の姉妹は顔と黒髪ストレートの髪質こそそっくりだが、ヘアスタイルはそれぞれ違っていた。

 長女の優理(ゆうり)は、前髪は眉が隠れる程度だが、他は背中の半分を覆う程に伸ばしている。

 次女の遥佳(はるか)は、前髪が目を覆う程度にまで伸ばし、横と後ろの髪は肩に届く程度だ。

 三女の真琴(まこと)は、髪は首筋程度のショートヘアにしていた。

 そんな三人の顔立ちは美少年風というべきか、中性的だ。髪の長い優理と遥佳はともかく、真琴に関しては少年か少女かと、初めて会った人は判断に迷うことだろう。


「考えようによっては、私達、十数年のバカンスだったのよ。そう思えば何てことないわ。ええ、アメリカ留学予定が駄目になったことなんて私、悔やんでない」

「そうだよね、優理。せめてアメリカ行ってから連れ戻してほしかったよね。やっぱり一度は自由の女神、駆け上がってみたかったよね」

「あのね、真琴。思うんだけど、優理に真琴が共感しようと思うこと自体が無謀よ? あの女神の内部、たしか三百段近い階段があるんじゃなかった?」


 (うつ)ろな瞳でフフフと笑う優理を真琴が慰めれば、遥佳がその辺りの擦れ違いについてコメントする。

 何にせよ三人は、今まで普通の日本人だと信じていた両親が、異世界の女神と人間の精神が入った人形だったことを理解してしまった。

 そして現在の状況に、内心ではかなりのパニックを起こしている。


「問題はこれからよ。お母さんはぎりぎりまで私達を日本に置いてたから、もう本当のお父さんとお母さんには会えないってこと。それならもっと早く戻してくれればよかったのに。遥佳はちゃんと話を聞いてたわよね?」

「多分。だけどあまり自信がないわ」

「本当って言うけどさ、日本での体も色が違うだけでよく似てたし、中身はお父さんとお母さんだったんだからどうでもよくない? そんなことよりお父さんとお母さんに会いたい。日本で動かしていた体でいいから会いたい」


 しょんぼりとした真琴を、遥佳が抱きしめる。


「もう私達はこの世界に戻されてしまったのよ。お母さんは女神としての役割を終えてお父さんと永遠の眠りについてしまった。そこは分かるわよね、真琴」

「分かりたくない」


 優理の言葉に、真琴は不貞腐(ふてくさ)れて頬を膨らませた。

 そんな真琴の背中を、遥佳はぽんぽんと手で軽くたたく。その後、遥佳は優理に向き直った。


「まだ真琴には時間が必要よ、優理。それよりもここ、たしか人間だけじゃなく、獣人、魔物、幻獣と妖精がいたのよね? そして女神シアラスティネルを崇めていた」

「そうね。問題は私達の立ち位置だわ。私達は女神の子供であって子供ではない。だけどこの世界の人達には分からない。これについては何をもって親子とするのかってことになるけど」


 口惜(くや)しげな顔で優理が呟けば、遥佳も寂しげに床へと視線を落とす。


「そんなことない。私達のお母さんだもん。お父さんとお母さん、私達のお父さんとお母さんだもんっ」


 真琴はやや涙が浮かんだ上目遣いで睨むようにして、優理に同じ言葉を繰り返した。


「そうね。そうよね、真琴。私達はちゃんとお父さんとお母さんの間に産まれた子供達。ごめんね、変なこと言っちゃった」

「・・・うん」


 母は優理達が思いこんでいたような日本の専業主婦ではなく、この世界における三大陸で崇められている女神だ。

 女神が成り立つそれを思えば違う存在として区別するしかないと考えた優理だが、真琴の気迫と感情のこもった言葉に負けた。

 気分は、泣き出しそうなその瞳に屈したというべきか。


(真琴って昔からそういうところがあるのよね。理屈じゃなくて感情一直線なとこが。私にはできない。だからたまに羨ましくなるんだわ)


 そこで遥佳が不安そうに口を開く。


「ところで優理、真琴。思うんだけど私達、地球にいた時よりも段違いで力が強くなってない? 私、人と話しているとたまにその気持ちが流れこんでくる程度だったでしょ。何だかここに戻されて、もっと人の心や気配が読めるようになっている気がするの」


 遥佳が、目が隠れるぐらいにまで前髪を伸ばしているのはそのせいだ。髪で表情を隠すようにしているのは、自分の表情を見られたくないのと、相手の顔を見たくない為である。

 その言葉を受けて、優理と真琴が少し考え込む。


「たしかに。いつもより体が軽いかも。飛び跳ねてもいい?」


 そう言うや否や、真琴がぴょんぴょんと跳ねてみる。すると見事なばねで垂直跳びができた。


「うわぁっ。もしかしたら私っ、今ならオリンピック選手を目指して頑張れるかもっ」

「はいはい。分かったから落ち着いて、真琴。遥佳の話を聞きなさい。なんでそんなこと言い出したの、遥佳?」

「なんだかね、この場所に人が近づいてきているような気がするの。見知らぬ気配が近づいてきているような感じ。かなり多いわ」


 遥佳が心細そうに言うものだから、優理と真琴も一気に視線が鋭くなる。

 だけどここは聖神殿の最奥にある最上階。すぐには辿りつけないだろう。


「お母さんが眠りについたことで、きっと各神殿の聖火が消えたんでしょう。だから見に来たのよ。どうする、真琴、遥佳? 見つかったら私達、侵入者だわ。この際、ここから逃げる? それとも女神様のお世話係で仕えてたお世話係、つまり神子(みこ)のフリする?」

「別に私達、お母さんの子供なんだから神殿にいてもいいんじゃない?」

「そうもいかないわ、真琴。私達が女神の娘達と知られたらどんなことに利用しようと考えると思う? きっと私達、神官長とか、国王とかの正妻へ脇道無しの一直線ゴール。遥佳のことがバレたら人の心を読まされ続ける日々が待ってるわ」


 真琴のように楽観的な思考を優理は持たなかった。


「そうみたい。なんか来てるの、この国の軍と神官? そんな感じで、この山に入れるようになったことで今こそ聖神殿に行って、女神様をお助けするのだとか何とか騒いでる。だけど本当は、それを理由にここに入りこみたいだけみたい。・・・心が多すぎる、読みきれない。凄い数っ」


 集中して気配を読んでいたものの、「うっ」と呻いて両手でこめかみを押さえると、ふらりと遥佳は倒れそうになる。

 それをすかさず支えた優理と真琴は、無茶をしようとした遥佳を叱りつけた。


「やめなさいっ、遥佳っ。それ以上は駄目っ」

「遥佳っ、無理しちゃ駄目っ。いいよ、優理、遥佳。ここはもう三人で逃げ出そう。・・・そうして誰にも利用されずに私達は生きていくの。ねっ? なんかさ、私、今なら何にでもなれそうな気がする」


 真琴の言葉に二人が頷く。すると真琴は着ていた服をするりと脱ぎ捨てた。

 その潔さに感心する暇もなく、そこには白馬が現れる。


(すご)いわね、真琴。まさか本当に違う姿に化けられるだなんて。本当に力が強くなってるのね。・・・だけど馬よりペガサスがいいわ。空を駆けることができるもの」

「あ、そっか。馬だと地面しか走れないもんね」


 優理の指摘に白馬が間抜(まぬ)けな口調でそう言うと、すぐに二枚の大きな翼が生える。


「乗りなさい、遥佳。そして真琴、今は使われていない第7神殿に行くの。そこの()れた井戸の中に様々な宝石やお金があるわ。それを生活費に()てるのよ。私はここに残るけど、遥佳は絶対に捕まっちゃ駄目」

「待ちなよ、優理。二人ぐらい乗せたって大丈夫だよっ」

「駄目よ。重量オーバーで墜落する危険は(おか)せない。今は遥佳を安全な所に(かくま)わなきゃ。あまりにも汚い心に触れたりしたら遥佳の心が狂うわ。私は大丈夫。この頭脳と口先で全てを乗りきってみせる。・・・行きなさい、真琴。それでも私達は互いの絆がある。大丈夫よ」


 遥佳の能力に頼らなくても、既にこの聖神殿に入りこんできた人々が何かを探し回っている声や走り回っている音が、この最上階にも響いてきていた。だから真琴も覚悟を決める。


「優理。いつか助けに行くからっ」

「ごめんね、優理。私が弱いばかりに」


 遥佳は悲しげに優理を見つめた。


「その前に遥佳を守って、真琴。あなたは弱くないわ、遥佳。何よりも最強の力よ。そして私達はこの世界に残された希望。この世界を支える三本の柱。何があっても私達は生き残らなくてはならないの。誰を死なせようとも、私達だけは」


 翼の生えた白馬と、その背に(またが)った遥佳を、優理はぎゅっと両手で抱きしめる。

 そうして優理は覚悟を決めた。


「離れていても心はいつも一緒よ、遥佳、真琴。さあ、行って!」


 優理の力強い声に、真琴はその窓から外へと翼を羽ばたかせて飛び去る。見つからない為にまず上昇したからだろう、すぐにその姿は雲に隠れて見えなくなった。


「さて、と。・・・ごめんね、真琴。嘘ついちゃって。だけどあなた、すぐ騒ぎ出すから仕方ないわよね。遥佳には直前でバレたみたいだけど」


 くすっと笑うと優理は壁に同化して分からないようになっていた隠し扉を開ける。そこには脱出用の通路があった。


「女神がいなくなった今、私達はこの世界を支える三本の柱。この聖神殿みたいに緩和してくれる場所ならいいけど、よそで長く一緒にいると異常事態を引き起こしてしまうの。だから離れて暮らさなくちゃいけないのよ」


 それでも真琴は遥佳の為に、安全な隠れ家をあの財宝を使って用意するだろう。そして遥佳が近くにいれば、単純な真琴も人に騙されることはない。

 自分の心を読んだ遥佳なら、適当な理由をつけていずれ真琴を違う場所で暮らすようにと誘導する筈だ。


「さて、と。じゃあやれるところまでやってみましょうか」


 その隠し通路の内側に用意されていたランタンをつけると、優理は内側からその扉を閉めて鍵を掛けた。そして、荷物を担いで長い通路をゆっくりと歩き始める。

 真っ暗な通路は直線距離を貫くように作られていた。やがて隣にある山の(ふもと)に優理は辿り着く。

 その出口にあったレバーを、優理は渾身の力で引いた。


「さようなら、聖神殿。幼い私達を育んだ家」


 両親に愛されて自分達が産まれ、そして物心つくまで暮らした場所だ。その懐かしい我が家に、いくら神官や王の軍とはいえ、勝手に入りこまれたことこそが許せない。


(私達の家によくも我が物顔で入りこんで・・・!)


 懐かしい我が家。赤の他人にいいようにされるなら、自分の手で壊してみせるだろう。

 神山とされる頂に建つ聖神殿を、一つ離れた山の中から優理は見ていた。


(逃げ出すなら、手がかりは残しちゃいけないの。ごめんね、遥佳、真琴。ついでにここに置かれていた三人分の荷物は有り難く私一人で頂きます)


 やがて、ドオオオオーン!! という大地を揺るがす地響きとともに、どんなに長く風雨にさらされていても白く輝き続けていた聖神殿が粉々に崩れていく。

 その中にあった祭壇も何もかもが粉々になって、何一つそこには残らないだろう。


「これで、いいのよね」


 姉妹を抱きしめた時、覚悟は決めた。


(あそこに来た人達がどうなったかなんて、知らない。少なくとも女神の居住区分に入りこんでいなければ助かってる筈よ。なんで欲に駆られた人達は、都合よく物事を考えられるの)


 本当は何か持ち出したかった。ずっと地球で暮らしていたとはいえ、あそこには幼い自分達の思い出が幾つも置かれたままだったのだから。

 それでも自分達の姿を見られるわけにはいかなかった。


(ごめんなさい、お父さん、お母さん)


 優理の頬にはらりと流れた涙を、近くにいた木々の梢にある葉がゆらりと揺れて、慰めるかのようにそっと触れて受け止めていく。

 そして、空中でもまたその状況を正しく把握する姉妹がいた。


「遥佳っ」

「きっと優理だわっ」


 その地響きは、既に遠くにまで離れていたペガサス達にも届き、上空を飛んでいればこそ、その様子が遠目に分かる。

 空を駆けていた翼を元の来た方向に向け、ペガサスは空中で停止した。


「優理は最初からそのつもりだったのよ。自分一人で壊すつもりで残ったんだわ。真琴、あなたと私には、それが辛いだろうからって」

「信じらんない。優理の馬鹿っ。何が残るだよ、最初から捕まる気なんてなかったんじゃないかっ」


 ぷんぷんとペガサスが怒るのは、騙されたと気づいたからだ。


(分かっている。これが優理の優しさだってことぐらい)


 地球で暮らしている間は、そこで生まれ育った記憶が植えつけられていたから、あの小さな家で暮らしていた日々が現実だった。けれどもここに戻された時点で、夢に見ていた世界こそが現実だと知った混乱。


(どうして思い出した途端に、失わなきゃいけなかったんだろう。お母さん、女神って何なの)


 月の光を紡いだような髪は金糸とも銀糸ともつかぬ色に輝き、その瞳は夕焼けのような印象的な強い橙色をしていた母、女神シアラスティネル。彼女の周りは常に自然の祝福があった。

 夜の闇のような黒い髪に、まるで大地を思わせる濃い茶色の瞳をしていた父、タイガ。父はただの人間だったが、女神を女神と知らずに愛し、愛された男だった。彼はいつも妻と娘達に優しい笑顔を向けていた。

 二人に愛されて自分達はあの聖神殿で暮らし、そうして外へ遊びに出たがるような年頃になったことで、母は自分達を違う世界にある地球へと移したのだ。そこならば自分達の周囲で異常なことは起きないからと。

 懐かしい聖神殿。幼い自分達を育み、守ってくれていた優しい思い出の場所。

 

「私達の家を壊すなんて」

「そうね。だけどきっと優理は、私達の家の中の物を何一つ、他人になんて持っていかれたくなかったのよ」


 十年近くたって帰宅した聖神殿に残されていた、自分達のいたずら書き。暖炉の横にあった積木は、父が作ってくれたものだ。

 三人でよくそれを使って遊んでいた。それらは他人にとってなんら価値はないガラクタだ。


(そうだね。あの積み木だって聖神殿にあったからって持ち出されたりしたら、・・・たしかに許せなかった)


 そう思えばペガサスも静かに項垂(うなだ)れるしかない。


「行きましょう、真琴。きっと優理はとっくに脱出したわ。そうして自分なりに生活を整える筈よ。私達も頑張らなくちゃ」

「そうだね」


 こうして見ていても何もできることはない。

 それは二人とも分かっていた。

 だからそう言って頷き合う。

 けれども視線が、そして足がその場に留まり続ける。

 二人はその聖神殿が粉々に崩れていく様子を最後まで見ていた。様々な思い出を、溢れる涙に託しながら。





 それでも優理が隣の山に脱出するまで、それなりの時間を要していたのは事実だ。

 だから中にはちょうど聖神殿の外に出ていた人もいて、その兵士は聖神殿の中にあったラフなスケッチを持ち出していた。

 そう、かつて女神シアラスティネルに甘えて背中から抱きついたり、膝にもたれて眠っていたり、その腕にじゃれて摘んできた花を見せていたりする三人の娘達を、タイガが描いたスケッチを。

 それらはラフな素描だけで彩色はされていなかったが、可愛らしい幼女達であることは分かった。

 

「なんと・・・! まさか女神様には育ててらっしゃる神子(みこ)様がいらしたというのか。こうしてはおられぬ。探せっ、探すのだっ。なんとしてでも見つけ出すのだっ、大神殿よりも先にっ」


 女神シアラスティネルが暮らすと言われ、人は誰も立ち入ることが許されなかった聖神殿。その神山があるギバティ王国。

 しかし、女神の聖火が各神殿から消えた為にその聖神殿に押し掛けた神官達と国王が差し向けた騎士や兵士達は、聖神殿の崩壊と共にほとんどが生き埋めとなった。

 女神はお隠れになったのか。

 けれども神子が存在するというのであれば、その力を受け継いでいるかもしれない。


「何としてでもその三人の娘達を見つけるのだ!」


 ギバティ国王ブラージュは、(つば)を飛ばす勢いで皆に命じた。






 廃棄(はいき)された第7神殿は、聖神殿よりも南方にあった。

 山の中に建つその神殿が捨てられたのは、神殿の周囲に硫黄(いおう)の毒ガスが発生するようになり、神官が住むのも通ってくるのも危険になった為だ。

 そうして捨てられた神殿は、女神の隠れ家として使われるようになったのである。

 空を飛んできたペガサスと遥佳は、第7神殿の最上階にあった部屋のバルコニーへと舞い降りた。


「問題はご飯だよ、遥佳(はるか)。井戸からお金とか財宝とかを取り出したとして、どうやって食べ物を手に入れるか、なんだよね」

「まずは神殿の中を探しましょ。目立たない服を見つけて、そうしてお買い物に行くの。あと、変装もした方がいいかも」

「そっか。どうせなら私、男の子に化けようっと。お父さんみたいな格好すればいいよねっ。遥佳もそうしようよ。髪を後ろで(くく)れば、少し長髪な男の子に見えるよ」

「ううん。私はいい。男の子ならもっと髪を切れとか言われるかもしれないし、すぐ女ってばれるかも。なら最初から何もしない」

「そっか。まあ、そうかもね」


 真琴(まこと)も自分の意見をすぐに引っ込めた。

 けれども真琴は未だにペガサスの姿のままだ。


(そうだよね。遥佳、他人(ひと)と口をきくのも嫌がるし。人見知りがひどいって言えばいっか)


 バルコニーから見える宿舎をじっと見下ろしている遥佳の袖を、ペガサスはクイッと軽く噛んで引っ張る。


「神官が寝泊まりしてた建物より、先にこっちの部屋を見ようよ、遥佳。基本的に神殿はどれもお母さんの別荘なんだし、きっと何かあるよ」

「別荘ねえ。日本にいる時にはそんな豪華なものとは無縁だったんだけど、変われば変わるものよね、たった半日で」

「そうだよねー。考えてみたら地球がバカンス先で、地元ではこんだけ別荘持ちなんだから、私達、すんごいセレブじゃない?」


 セレブ、すなわちセレブリティとは有名だったり著名だったりする人を指す言葉だ。


(真っ白なペガサスってとっても幻想的なのに、発言の全てが俗っぽい。中身が真琴だからしょうがないのね)


 遥佳は、ぽんぽんとその白い首筋を軽く撫でてあげた。


「問題は私達がそのセレブであることを誰も知らないことよ。ならセレブとは言わないんじゃないかしら。お母さんは有名すぎてセレブを通り越してると思うの」

「そんなもん? お母さんなんていつも私達とお昼寝したり、お父さんとデートしたり、普通にいる主婦でしかなかったけど。なんか女神様って言っても普通の人だよね。私達だって普通の人だし」

「・・・そうね。喋る馬とか、ペガサスになれる人間も、ここなら普通かもしれないわね」

「あれ? 言われてみれば少数派かも?」


 まずは相手を肯定することから入る遥佳だ。


「あの、遥佳? 私をなんでとても優しい? 目で見てんの?」


 他人がいるならいざ知らず、家族相手なら遥佳も前髪で表情を隠す必要はない。長い前髪を横に流していた為、遥佳のぬるま湯のような眼差しは真琴に隠せていなかった。

 きょとんと、翼を折りたたんだペガサスが白いその小首を傾げる。


「ううん、別に。そんなことより真琴。早く服も探しましょ。寝る所も確保しておきたいしね」

「まあいいけど」


 神殿の中を探検すれば、広い衣裳部屋の引き出しの中には、庶民っぽい服から豪華な礼装まで置かれていた。


「うーん、やっぱり見覚えがある」

「来たことあるもの。だから優理がここって言ったんじゃない」

「なんか遥佳が言う所へ向かってただけなんだけど」


 真琴も人間の姿に戻って服を着てみる。

 薄い生成(きな)り色のシャツを着てみたら、まさに少年っぽくて自分でもなかなかいけると思ったりした。


「ね、遥佳。これなら男の子っぽくない?」

「そうね。男の子っぽいけどそのズボン、足が出過ぎよ。それにどうしてそんな薄くて安っぽい生地のを選ぶの? もう少しいい服があるじゃない。真琴、はしたないって言われたらどうする気?」

「だけどさぁ、あんまりいい所のお坊ちゃんぽくして目をつけられてもやばそうじゃない? 貧乏そうな方がいいと思うんだよね」

「どうかしら。私達、それなりの高額貨幣で買い物するなら貧乏そうな格好の方がトラブルになるんじゃないの?」

「どうかなぁ。そう言えばこっちでお買い物したことあったっけ、私達?」


 置かれていた服はどれも袖を通した形跡がなかった。更に神殿の中にも埃は溜まっていなかった。

 きっと自分達の為に用意されていた隠れ家だからだろう。


「なっつかしー。ここ、私達がいつも一緒に寝てた部屋だよね? 何か見覚えがある」

「あ、引き出しの中に昔の服が入ってる。ちっちゃーい。真琴、見て。ほら、お揃いのエプロン」

「うわぁ、人形サイズッ。もう着れないよねえ、さすがに」


 ここもまた自分達の家だったと昔のことを思い出せば、遥佳と真琴も見覚えがあるようなないような、そんな小さな衣服を広げてしまう。

 きちんと畳まれて仕舞われていた。その事実に、両親の愛情を感じずにはいられない。同時に、今の自分達に合いそうなサイズのものもちゃんと仕舞われていた。


「靴あったよ、遥佳。編み上げタイプだけど」

「良かったぁ。家の中から移動してきたから靴下だけだったもんね、私達。・・・靴っていうよりサンダルと草履(ぞうり)の合いの子みたいなデザインね」

「だけど履きやすいよ」


 二人ともそのサンダルを履いてみれば、外の様子が気にかかる。


「ね、明るい内に外も見ておこうよ」

「そうね。部屋は何となくもう分かるものね」


 寝室と服とを確保してから神殿の外を見て回れば、懐かしい記憶が次々と蘇ってきた。

 白く輝く神殿の外には、綺麗に整えられた小さな庭園が広がっている。植えられている木々も見事な枝ぶりで、濃い緑の葉を広げていた。


「ふっしぎー。子供の頃にはとても広く感じられたのに、結構ここって小ぢんまりとしてたんだ」

「そうね。あの頃はとても大きな庭に思えたけど」


 三人で駆けっこした石階段はこんなに段数が少なかっただろうか。あの頃はとても冒険した気持ちになったものだったのに。


「見てっ、遥佳。あっちの小屋に(たきぎ)も揃ってる。古井戸は涸れてたけど、こっちの井戸は使えるみたい。それに畑もあるよ」

「あら、ほんと。もしかして食べられる野菜かしら」


 ずっと誰も近づけなかった場所とは思えないぐらいに整然とした畑だ。雑草もない。生えていたそれを一つ引き抜いてみると、みずみずしい人参だった。

 近くを流れていた小川で泥を洗い落とし、二人で生のまま齧ってみれば、コクがあって美味しい。


「もしかして聖神殿みたいに、ここも私達の為に勝手に野菜が実ってくれるのかしらね。なら急がなくても野菜だけは手に入るわよ、真琴」

「今日はそれでいいとしても、やっぱりお肉とかお魚とかお菓子とか欲しいよ」

「そうねぇ。確かにここには誰も近づかないだろうけど、この山に出入りしているのを見られても厄介よね」

「あっ、これって何の豆だろ。えんどう豆にしては大きいよね?」

「だけど畑にあるんだから塩茹ですれば食べられるんじゃない?」


 じゃが芋を幾つか掘り返し、それと緑色の豆を湯がいて食べればそれなりに満腹にもなる。


「ねー、遥佳。この水道ってどういう仕組みなんだろう。水道局があるのかな? お父さん、たしか消毒管理されていない水道は沸かしてからじゃないと飲んじゃ駄目って言ってたんだよね」

「どこか湧き水から水道を引っ張ってきてるんだと思うわ。消毒されていないのは気になるけど、野生動物とか虫とかで汚染されていなければ、・・・ううん、やっぱり沸かした方がいいと思う」


 神官達が寝泊まりする為の建物は違うが、女神シアラスティネルが使っていた神殿は、夜でもぼんやりと発光する白い石でできている。暗くなっても足元が分からなくなることはない。


「見て、遥佳。あそこに温水プールあったと思ったんだよ」

「温水プールじゃなくて温泉よ、真琴」

「どっちでもいいよ。ね、あまり暗くならない内に入っちゃお?」


 温泉が湧き出ている場所まで、そのぼんやりと発光する石畳が敷かれていた。


「うーん、まさにこのにおいが硫黄の温泉って感じがするぅ。あー、極楽極楽」


 神殿の中にも浴室はあったが、人目がないと分かっている露天風呂だ。入りたいと主張したのは真琴だったが、遥佳も手足を伸ばしてそれを堪能する。

 周囲に人の気配はない。だから伸び伸びとした気分で遥佳は心を開放した。


「やっぱりお外のお風呂で良かったよね? 遥佳も気持ちよさそう」

「そんなこと、・・・まあ、悪くないけど」


 人の心を読むのは自分の専売特許なのに、あっけなく真琴にバレてしまったことで気恥ずかしくなり、遥佳はこほんと咳払いをした。


「とりあえず街にも家を買いましょう、真琴。目立たずに暮らしていく為に。ここはガスが風の向きでどう流れてくるか分からないから誰も近づかないけど、私達が暮らしていることが知られたら、好奇心から人が入ってきかねないわ」

「そうだね。それに街の方が便利そう。ここはいざという時の隠れ家だね」

「ええ」


 自分達がいる場所に毒ガスが流れこんでくることはない。だからこそ、誰かに忍び込まれてしまったら誰も近づけないここは危険になってしまう。

 まだ胸のふくらみも全くない二人は、上半身だけ見たなら少年と間違えられてもおかしくない端正な顔立ちだが、それだけにローティーンの少年や少女が人気のない場所に出入りしていたなら訝しく思われるだけだろう。


「買うのが無理なら借りるのでもいいんじゃない? いい家が見つかるといいよね」

「そうね。どうせならかえって人が少ない場所よりも人が多くてごみごみしている所の方が目立たないと思うわ。庭や木々などの自然もあまりない場所の方がいいわね」

「どうして?」

「私達に気づかれやすくなるからよ」


 優理は別れ際、様々な注意点を心に浮かべて遥佳に伝えてきていた。

 それを遥佳は思い出す。


(見つかるのかしら、私達が愛せる存在なんて。・・・新しい女神を作り出す為、私達は結婚相手を探さなくてはならない)


 真琴は簡単だろう。誰とでも打ち解けて仲良くなれる。

 優理は皮肉屋だけど頭もいいし、心優しい。だからその良さが分かる人と出会いさえすれば何てことない話だ。

 けれど自分は・・・。

 そこまで考えて、遥佳はそっと溜め息をついた。


(人の心が読める人間が、どうして人を愛せるというのかしら。私は、その人の心にふと湧いた猜疑心も何もかも読み取ってしまえるのに。口先だけの言葉を見抜いてしまうのに)


 人が人の心を読めないのは幸せなことだ。

 だからこそ人は信じあうことができる。人の心が読めてしまったなら、人とだけは信頼関係を築こうなどと誰も思わなくなることだろう。

 ちょっとした疑いとか妬みとか、気づかなければ流せたことも、知ってしまえばその人を信用なんてできなくなってしまう。誰だって疑われたりすれば傷つくのだ。

 それはどんなに回数を重ねても慣れることはない。


「遥佳? 大丈夫? やっぱり疲れたよね。そろそろ休もうか」


 浮かない表情の遥佳を、単に疲れが出たのだろうと判断して真琴が寝室へと促す。


「ええ、そうしましょ。優理も捕まっていたなら助けに行かなきゃいけないけど、・・・あれだけのことをしたんだから逃げきってる筈よ。だけど何かあった時の為に、ここは隠れ家としてきちんと作り上げておかないとね」

「そだね。考えてみたら優理、他にもお金とかの隠し場所、把握してそう」


 優理は子供のくせに父へ財テクのアドバイスをしていたぐらいだ。あの世渡りのうまさは自分達の追随を許さない。


(だけどさぁ、優理。優理だってそれが平気だってわけじゃないでしょ。どうして一緒に逃げようとしてくれなかったわけ? いっつもいっつも・・・! 優理ってばホント人の気持ちなんて考えないんだからっ)


 ムカムカとし始めた真琴の気配に気づき、遥佳が困ったような顔で笑う。


「優理は優理なりに考えてくれてるのよ、真琴」

「そうかもしれないけど、それって優理が犠牲になることで解決されてるんだよね? それって本当に正しいことじゃないよね?」

「本当にもう、真琴ってば」


 こういう時、自分達は本当の意味で真琴に敵わないと思う遥佳だ。

 優理のように知っているわけでもなく、自分のように察してしまうわけでもなく、真琴は勘だけで真実を掴みとる。


「ま、いいや。心配しててもケロッとしてんだから優理は。湯冷めする前にお布団に入ろ」

「そうね」


 二人は、今夜は一緒に寝ることにした。寝室がついている部屋は幾つかあったが、やはり別々というのは不安だ。この神殿の寝台は、どれも三人ぐらいが一緒に眠ることもできる程に広い。


「不思議だよね。まるでどこも今日お掃除したばかりみたいに綺麗だし、ベッドもふかふか」

「ここはお母さんが私達の為に用意しておいてくれたからよ。優しい気持ちが伝わってくる。ねえ、真琴。お母さんは眠ってしまったけど、この世界全てに私達への愛が残ってる」

「そういうのも分かるの?」

「何となくだけど」


 長く打ち捨てられていたとは思えないぐらいに、第7神殿は埃も見当たらず、寝具もまた綺麗なものだった。


「優理、ちゃんと眠れてるのかなぁ。野宿とかになってなきゃいいけど」

「大丈夫よ、真琴。聖神殿の脱出路にお金や必需品が置かれてた筈だもの」

「ええーっ!? 脱出路っ? そんなのあったのっ? ずっるーいっ。なら私もそこ通りたかったあっ」


 今からでも優理を迎えに行けるものなら迎えに行きたいと思った真琴だったが、遥佳の言葉に安心するやら、怒りたくなるやらだ。

 優理はいつもそうだ。にっこり笑って一番大変なことを引き受けてしまう。

 

「私達に何かが起きない限り、優理はすいすいと生きていくわよ。真琴、明日は卵とパンも買ってきましょうね」


 遥佳は笑顔を作り、明るく話題を変えようとした。


「うー、・・・いっけどさぁ。優理ってばいつもそうやってこっちの心配を無視して全部決めちゃうんだからずっるいよねー。あ、だけど美味しいもの、あるといいなぁ。スナック菓子はない気がする」


 そこが切ない真琴だ。

 そっと手を握り合って、二人は目を閉じる。やがてすやすやという寝息をたてはじめた二人は気づかなかった。

 この第7神殿を取り巻く大地と大気の歓喜に。


 ドォンッ、・・・ボコッ、ボコッ、・・・シューッ。


 第7神殿が建つ山の麓には地割れが起こり、地中から更に多くの硫黄ガスが充満する。大地が勝手に隆起し、牧場のような窪地が神殿の裏側にでき上がっていった。

 地面からは幾つもの小さな芽が出たかと思うと、やがて驚異的な速度で育った茎は蕾をつけ、可愛らしい花畑が出現する。

 大気が一定の区画毎に温冷を調節していった。

 やがて木々には果実が実り始める。

 そんなこととも知らず、二人は楽しい夢を見ていた。


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