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279 後始末は大変


 ミザンガ王城は大騒ぎだ。

 何故ならギバティ王国の第一王女エステルを迎えて、王太子妃クリスティーナがちょっとした船上ティーパーティをしながらの遊覧を主催していたところ、いきなりグリフォンが甲板(デッキ)に降り立ったのだから。


『さようなら、フェル。エスティとレッティにも、素敵な女の子になってねって伝えておいてね。・・・ミザンガ王国のシャレール殿下。この度は、フェリクス様とヴァイオレット様を私のもてなし役に差し向けてくださいまして有り難うございました。同じ年頃の方々でしたら(わずら)わしいだけでしたけれど、おかげで楽しく過ごせました。とても気が利いて良い子達だったと、後で褒めて差し上げてください。ミザンガ王室の方々、そしてホルパイン公爵家の歓待にも感謝いたします』


 鈴を振るような美しい声が、いきなり甲板及び船内の隅々にまで響き渡ったものだから、驚いて手を止めた者は多かった。

 王太子夫妻とその長男・フェリクス、そして第二王子の長女・ヴァイオレットが乗りこんでいたこともある。ホルパイン公爵夫妻以外の貴族、そして役人や騎士達も乗船していたのだ。その誰もが遥佳の声を聞いたのである。

 ミザンガ王国の貴族、そしてミザンガ王国軍に属する者が、ムッとしない筈がなかった。

 小さくても自国のいずれ王となる王子、そして王女を、よその国の人間にもてなし役と言いきられて怒らない人間がいるだろうか。


『エスティッ。もしかしてお姉ちゃまっ、もう行っちゃったのっ!?』

『行くわよ、レッティッ』

『どこにっ? まだ港に着いてないんじゃなかったのっ』

『どっちにしてもお外よっ』


 エステルとヴァイオレットは慌てて船室からバタバタと駆け出した。

 数拍おいて、まだ子供らしい高さのある声も響いたのだが、王女二人は聞いていない。


『今回はお別れが言えてよかったです。楽しい日々を有難うございました、ハールカ様。いつかまたお会いできる時、僕はもっと大きくなっています』


 フェリクスの声に、どういうことだと、ほとんどの人が周囲をきょろきょろと見渡した。別れという言葉が出るのであればもしかしたら甲板だろうかと、慌てて船室から出て廊下にいる人々と顔を見合わせ、速足で移動する。

 そうして幸運な人だけが、その飛翔を見ることができた。

 護衛騎士達を従えた王太子シャレール、そしてフェリクスが見送る中、空へと消えていく姿を。


「ずっるーいっ。フェリクスだけルウカお姉ちゃまを見送ったなんてっ」

「そんなこと言っちゃ駄目でしょ、レッティ。お姉様、パーティが終わったら帰るって仰ってたじゃない」

「そんなのっ、船を降りる時におねだりして一緒に泊まってもらう筈だったのにっ」

「・・・そのパターンが分かってたから、ルウカお姉様、さっと帰られたんじゃないの? レッティは我が儘すぎると思うの」

 

 呆れかえりつつも、エステルはヴァイオレットを(なだ)めるしかなかった。


「シャ、シャレール様。どうしましょう、私、私・・・」

「落ち着きなさい、クリスティーナ。だが、・・・これはもう島でどうこうしていられる状況ではなくなったな。仕方ない、船をザンガに戻せ。直ちに城へ戻る」


 勿論、シャレールはザンガの港に引き返す復路、船室内でギバティ王女エステルや姪のヴァイオレットにも話を聞こうとした。


「フェリクスはあんな状態だからね。二人とも話を聞かせてくれるかな? ルウカ姫のことなんだが」


 エステルは困った顔で笑うしかない。


「それはフェル、・・・いえ、フェリクス様に聞いてもらった方がいいと思います。私、ルウカ様がこちらの国でどんな風に皆様と接しておられたのかがまだ分からなくって・・・。私、城で音楽祭があった日に貴族令嬢として訪れていたルウカ様と一緒にお茶を飲んで、その時にルウカ様のことに気づいたのです。ですが、それを誰にも言わなかったので、今回、旅行に誘っていただきました。えっと、それは、その、シャレール殿下のお気持ちは分かりますけれど・・・。あの、ルウカ様はギバティでも舞踏会で一曲踊られた後はすぐお帰りになりました。あまり騒ぎ立てなくても、大丈夫・・・だと思います」


 エステルにしてみれば、遥佳は別に気を悪くしていなくなったわけではなく、最初から今日が最後と言っていたのである。

 予定通りに去ってしまったと、そういった気持ちでしかなかった。

 それどころか、エステルを真琴に会わせる為だけにミザンガ王国まで連れてきてくれたのだ。これ以上、何を望むことがあるだろう。


「えーっと、シャレール伯父様? あのね、本当は秘密なんだけどね、もう見ちゃったから教えてあげるわっ。実はねっ、ヴィーちゃんはなんとっ、ハールカ様のグリフォンなのよっ。だけどヴィーちゃん、怪我してたから飛べなくなってハールカ様に捨てられてしまったのっ。それをね、ルウカお姉ちゃまが拾ってお世話してあげたから、お礼にヴィーちゃんはルウカお姉ちゃまと私達を乗せてくれたのよっ。すごいでしょっ。私っ、私ねっ、グリフォンに触っちゃったのっ。背中にも乗せてもらったんだからっ。ご飯だってあげたのよっ」

「・・・・・・そうなのか。良かったね、ヴァイオレット」


 シャレールは姪に期待せず、己の長男から話を聞くことにしようと、護衛騎士を振り返った。


「えーっと、フェリクスはそろそろ落ち着いたのかい?」

「フェリクス様は今も柵を握って俯き、海をご覧になっておいでです」

「・・・そうか」


 というわけで、ミザンガ王城の混乱をギバティ王女に見せるわけにもいかないと、結果としてホルパイン公爵邸にエステルとヴァイオレットは預けられることになる。

 ヴァイオレットも当事者だが、フェリクスだけでいいとシャレールが判断したからだ。

 勿論、子供が二人程度、王城だって女官や侍女は揃っている。だが、母親のように対応できる女主人、つまり手の空いている妃が存在しなくなることを、シャレールも察していた。


「すみませんが、マリアーナ様」

「分かっておりますわ。しばらく客もお断りしておきますから安心なさってくださいな」


 真琴達を自分達の棟に迎えていたアルマン夫妻もてんやわんやなのだ。そしてヴァイオレットが何も知らないことは分かりきっていた。

 ホルパイン公爵エドワルドもミザンガ王城に出向いたが、マリアーナは二人の王女と一緒にディリライト島での話を聞いたりして楽しく過ごしている。


「まあ、そんな大きな蝶がいましたの?」

「そうなのよ、マリアーナ様。ねー、エスティ。私達、その蝶をブローチにしてもらったのよね」

「ええ。私の分はいつの間にかお母様のお部屋にあったそうです。レッティの分もお城に届いているんじゃないかしら。頑丈な木箱がお部屋にあって、私の名前とお土産って書かれていて、新聞や布もそこに入っていたってお母様が・・・」

「お名前書いてくれてるなら大丈夫よねっ。今度見せてあげるっ。私ねっ、新聞記者にもなっちゃったのよっ」

「まあ。楽しみにしていますわ、ヴァイオレット様」


 ホルパイン公爵家の一人娘として生まれ育ったマリアーナはとっくに子育ても終わり、息子夫婦や孫達とも同居しているわけではないので、おっとりとしたものだ。

 今になって遥佳や真琴の正体が神子姫だったと知っても、

「道理で・・・。そうですわよね。それでしたらどこの国も隠れ蓑になりそうな王族の身分ぐらいお渡しになりますわね」で、終わっていた。

 何故なら自分達は仲良くやっていたからだ。レオンのような礼儀知らずな子供を可愛がるだなんて公爵夫人としてどうかといった声も聞いたものだが、彼らももう何も言えまい。

 亡くなった娘のドレスを着せてしまったのはまずかっただろうかと思ったが、真琴も気にしていなかったし、いいことにした。


「ギバティールの大神殿は有名ですけれど、まさか神官しか入れない方の大神殿に入れたなんて驚きましたわ」

「あのね、イスマルクお兄ちゃまってば大神殿の偉い神官様だったんですって。それでね、私達だけウルシークお爺ちゃまの親戚の子供ってことにして連れてってくれたのっ。だけどエスティの顔を知ってる人が多くて、すぐに嘘ってばれちゃったのよ」


 ディリライト邸ではどこかのんびりした様子だったが、ギバティ王城や大神殿ではかなり遥佳の意向を皆が気にしているようだと感じていたヴァイオレットである。遥佳にくっついていれば何でもおねだりが叶ってしまいそうだと考えた。

 だからもうずっと遥佳の妹スタンスで行こうとヴァイオレットは決意している。


「まあ。それはルウカ様も同行なさいましたの?」

「ううん。ルウカお姉ちゃまは行ったことがあるからもういいって言って、お友達の所に出かけちゃったの。だけどね、沢山の神官様があちこち案内してくれたのよ。神官様ってばこぉんな感じのこわーい人が多かったのに、とっても親切だったわ。だからね、私達にも大神殿はとっても親切な人ばかりだって、ちゃんとみんなに教えてあげてほしいなって頼まれちゃったの。ねー、エスティ」

「ええ。だけどイスマルク様、私達が案内されている間にどこかに連れていかれて、かなりやつれたような・・・。そして親切な人ばかりって言ってほしい相手は、みんなじゃなくてルウカお姉様とマーコットお姉様じゃないかなって思うんだけど」


 エステルはなんとなくだが、イスマルクの置かれた状況を察していた。

 誰だって抜け駆けしたと思うだろう。

 これでも、「とても綺麗で優しい姫君に頼まれて、こちらのイスマルク様も大神殿を休んでお世話してくれたのです。感謝しています」と、あくまでイスマルクは遥佳の意向に逆らえなかったということを口添えしてきたつもりだが、彼は大丈夫だろうか。


(ハールカ様にお仕えできるなんて、神官の夢だと思うもの。イスマルク様とリシャール様、そしてファロン様、皆にやっかまれてなければいいけど。ウルシーク様はリシャール様のお祖父(じい)様ってことだったけれど、もう神官じゃないから大丈夫、なのかな? 分からないわ)


 神子姫が大神殿に全く顔を見せなかったのは有名な事実だ。そしてギバティ王城に姿を見せた遥佳を取り囲んで大神殿に案内したのに、次の日にはもう姿を消していたらしいということも。

 しかし遥佳の要望が通るのは、「綺麗なお姫様が口にすることは、その美貌に惚れ込んだ殿方達がこぞって叶えようとするからだ」と信じているヴァイオレットである。


「そーお? だけど大神殿はいつでもお姉ちゃま達を歓迎しますとか言ってたから、他の人じゃないの? だってお姉ちゃま達はもう行ったことあるって話だったもの」


 ギバティ国王ですら応接用の貴賓室にまっすぐ案内される大神殿。あちこち見せてもらったフェリクスやエステル達だったが、それは子供だからということもあっただろう。

 フェリクスとレオンの会話により、イスマルクが使っていた火の妖精を描いたティーカップの絵柄が真琴によく似ていることが大神殿内に広まってしまったが、盗難などされていないことをエステルも願うばかりだ。

 なんでもあのティーカップ、30客しかないものだとか。本当はエステルも欲しかった。

 

「ほほほ。それよりギバティ王城でもお茶会をしていただいたのでしょう? 本当にドレスを持たずに出かけて大丈夫でしたの?」

「ええ。だって私、エスティとあまり大きさが変わらないからって。それにフェリクスも、ギバティの王子様の子供の頃の服があったから問題なかったのよ。あのね、結構そういうことよくあるんですって。キマリーの王子様も、ギバティ王子様の服を借りたって話してたもの。それにエスティと仲良くしてくれてありがとうって、王様も王妃様も喜んでくれたの」

「それはよろしゅうございましたわ。本当に素敵な大旅行でしたわね」


 ほのぼのとしているのはホルパイン公爵邸ぐらいである。

 せっかく神子姫が来ていたというのにそれにふさわしいおもてなしをできていなかったとあって、ミザンガ王城は荒れていた。



 ― ★ ― ☆ – ★ ―



 この世界を育み、全種族からの敬愛を一身に集める女神シアラスティネル。

 神子姫とされる三人の娘はそれに準じる扱いとなり、そこらの女王や王妃などより格が高く、現時点では世界の頂点に立つ姫君と言っていいだろう。

 三人の姫君の内、名前が明らかになっているのはハールカ姫、マーコット姫で、三人目の姫君の名前は不明だ。

 その二人の神子姫が訪れていたことが明らかになったミザンガ王城では、会議室に王族だけではなく大臣や高位貴族、高官や爵位のある騎士達が集まり、その中心にフェリクスの席が設けられた会議が開かれていた。


「ハールカ姫は黒髪に焦げ茶色の瞳をしていて、顔だって違っただろう。どうしてフェリクスには分かったんだ?」


 王太子シャレールの問いに対して、長男は答えた。


「だって魂は変わらないじゃないですか」

「魂・・・」

「はい。どんなお姿でも、ハールカ様は変わりません。お菓子を焼いては穏やかに微笑んで話を聞いてくれる方でした。楽しいお話をしてくれて、静かに見守ってくださり、挫けそうになれば励ましてくれる方なんです。外見に意味なんてありません」

「・・・参ったな、これは」


 なんてことだろうと、シャレールばかりか、会議室にいた人々は項垂(うなだ)れ、頭を軽く左右に振った。

 どんな人相書きも無意味なのだ。その心で正体を見通せと言われて誰が見抜けようか。


「それをできたのがギバティ王女エステル殿下と、うちのフェリクスだったというのか。そこはでかした、フェリクス。だが、どうしてそれをこの祖父に言わなかった。王子としての義務ぐらい分かっておるだろう。一言、そのことを告げてくれればこの祖父も協力したのだぞ」

「お祖父(じい)様。王子としての義務と仰いますが、僕はハールカ様の正体を当てたご褒美に、ディリライト島へ連れていってもらっただけです。そこで先にハールカ様の正体を漏らしたら、連れていってもらえなくなるじゃありませんか。僕がハールカ様からいただいたご褒美は、ハールカ様と僕とのことです。それを取り上げる権利は誰にもありません」

「相手が神子姫様ならば、こちらとて人質代わりにマーコット姫を留め置かなかったし、諸手を挙げてお前を送り出したであろう。王子としての責務を考えろと言っておるのだ、フェリクス」


 ミザンガ国王も、まさかそんなことが・・・という気持ちだった。マジュネル大陸の民だと思えばこその身体能力と、王政に対する理解の無さだと考えていたからだ。


「そういう大袈裟な対応を嫌うのがハールカ様です。それに人質代わりも何も、マーコット様ですよね? 門を通らず城を出入りできる方を人質にするなんて無謀だったと、お祖父(じい)様もすぐに気づかれたのではないですか?」

「その通りだが、神子姫様に相応(ふさわ)しいもてなしをする必要があったと言っている。気づいたことがあればまず言いなさい、フェリクス。このことが各国に知られたらどんな恥をかくと思っておるのだ」

「・・・言わなければいいと思います。あくまで滞在なされていたのは、パッパルートの傍系王族の姫君ではありませんか」

「ディリライト邸やギバティ王城、大神殿まで訪問しておいて、それですむ筈があるまい、フェリクス。知られないということはあり得ないのだ。いいか? お前は気づいた時点でハールカ姫、マーコット姫の正体を告げる義務があった。それを自分に言い聞かせよ」


 二度も神子姫に来ていただきながら全く気づかなかったなどと、何の自慢にもならない。

 ミザンガ王国としては情けないの極致だ。国王は、海溝よりも深く重苦しい溜め息をついた。


「一人の孫として言わせてください、お祖父(じい)様。マーコット様はずっと城にいらしたわけですし、お名前を変えてもいませんでした。ここで僕が怒られるのはおかしいと思います。だって僕、ハールカ様がゲオナルド叔父上の棟に滞在されていた時、城へ入りこんだ愛人上がりの平民から悪影響を受けてはならないからと、親しくすることを禁じられていました。ここにいる皆さんは皆、ハールカ様がゲオナルド叔父上の婚約者を装って滞在されていた時にもそれなりに会話する機会がありましたよね? 僕なんかより気づくことが可能だった筈です」

「・・・そうかもしれんが、誰が顔を変えられると思うのだ」


 国王以下、気づかなかったのはそれがある。

 髪の色、瞳の色、声、何より顔立ちも異なっていてどうして同一人物と思うだろう。


「僕だってそれでずっと気づきませんでした。だけどハールカ様は変わりません。いつだって優しくて、しっかりなさっていて、ちょっといたずらっぽいところがあって、弱気になったら寄り添ってくださる方です。あの時もハールカ様はゲオナルド叔父上の教育係として頑張っておられました。それを叔父上の愛人だとか、本気で信じていた人がおかしかったんです」

「そのことはそこまでにしなさい、フェリクス。愛人というのは、その男女間のこと。他人がどうこう言うものではない。だからこそ、誰もがゲオナルドのことに踏みこめなかったのだから」


 父であるシャレールが咎めれば、遥佳を愛妾扱いされていたことに不満のあるフェリクスだ。


「あの時のハールカ様は、いつだってゲオナルド叔父上を駄目な大人と思い、叔父上の姉君のようなお気持ちで、だらしない生活全般を叩き直してくれていました。愛人なんて信じる大人がどうかしていたんです。そういう思い込みがあるから、今回のハールカ様にも気づかなかったんじゃないですか」


 会議室内に唯一の子供だったが、フェリクスは居並ぶ大人達を前にして断言した。

 女官達によって遥佳がずっと客室を使用していたことも明言されており、あの頃の愛妾うんぬんを今や信じている者は誰一人としていなかったが、ここまで言われてしまうと第三王子ゲオナルドも甥の生意気さにムカつくものがある。

 

「おいコラ、フェリクス。ガキがこの叔父に対してなんつー口の利き方だ。勝手に人をダメ大人決めつけてんじゃねえ。お前にゃまだ大人の男を見る目がねえだけだ。・・・あの頃、俺を骨抜きにした愛人としてあいつはこの城にいた。そこには大人の愛があったことになってんだ」

「ゲオナルド叔父上。僕、ハールカ様と一緒にいたんです。色々と言いたいことがあるのは僕の方なんです。・・・その意味、分かりますよね? 僕がどんな気持ちだったか分かりますか?」

「いいか、フェリクス。大事なことを教えてやる。いい男ってのぁ、黙って全てを呑みこむ奴のことだ」


 遥佳との出会いからして色々と後ろ暗いことのあるゲオナルドは、甥がその内容を口にしないように牽制(けんせい)した。

 そしてフェリクスは、やはり遥佳から教えられたことはゲオナルドの弱みになるらしいと納得する。


「僕、以前、港で叔父上に似た顔というので変なトラブルにも巻き込まれたんですけど、その話ならしていいですか? そもそも叔父上が子供みたいに前髪をおろしてなければ、顔が似てることに気づく人達も出ませんでした。僕だってそういう時は庶民の恰好をしていきます。叔父上が前髪ボサボサでいい加減な服で出歩いてるから、僕の顔にも気づかれたんじゃないですか」


 海賊に乗りこまれた観光船から、レオンと一緒に逃げた経験がそんな恨み言をフェリクスに言わせた。


「俺に似てたからって、女の子にきゃーきゃー騒がれるぐらいだろが。なぁに文句言ってやがる。かっこいい叔父様に感謝しやがれ」

「自分達を取り締まる王子に恨みがあった人達だったんですけど。叔父上の顔はだからよく知ってたみたいなんですけど。僕なら小さいから叔父上への恨みを晴らせるって思われたんですけど。女の子どころか、女性なんて誰一人として僕の顔に気づきませんでしたよ。気づいたのは刃物を持って人のお金を取り上げようとする男達です」

「・・・まあ、ここは見逃してやろう。出来る大人は細かいことをいつまでも言わないもんだ」

「ちょっと待ちなさい。ゲオナルド、フェリクス。その話、後でじっくり聞かせてもらおうか」


 変な方向へ飛び火しているものの、聞き逃せないのがシャレールである。

 拗ねた目つきでつまらなそうな顔をしていた長男が、いつの間にか熱血になって戻ってきた。

 そんな驚きもあるが、とりあえず息子につけてある護衛騎士達の報告はどうなっているのかと、それが気にかかる。


「あいつらからは逃げきったし、ちゃんと見守ってもらっていましたし、無事だったからもういいんです、父上。だけどゲオナルド叔父上にはちゃんと注意してください。叔父上はハールカ様に対してあまりにも敬意がなさすぎです」

「いない人間にどーやって敬意を払えっつーんだっ。大体なぁっ、神子姫様騒ぎがあった時点で、心当たりの場所とか捜しに行ったっつーのっ。そんでも見つからなかったんだよっ」


 ゲオナルドはタイミングが悪かった。

 遥佳が滞在していた邸に行ってみた時に限って遥佳は留守だったのである。そしてその時は違う人間が留守番をしていた。


「会いたいと思われてなかったからじゃないですか? ハールカ様、あの時、叔父上が無神経すぎてアイナーティルディ様が可哀想だったから仕方なく面倒を見てあげたって仰ってました。そして今、アイナーティルディ様とルドルフが仲良く幸せに暮らしているならそれでよかったって笑ってくださったんです」


 しーんと、その場が静まり返る。

 ゲオナルドの隣に座っていたアイナーティルディは、「まあ」と、頬を赤らめた。

 人が多い会議室なので、アイナーティルディはカンディア王国の恰好をしていた。指先しか出していない袖や、体のほとんどを覆っている衣装だが、第三王子妃が慎み深い性格なのは周知の事実だ。

 妃の前ではゲオナルドもきちんと髭を剃り、髪も整え、まともな服装なのだが、城を一歩出ればたちまちいい加減なものだった。


「そう思うなら顔ぐらい出せってことだろうが。あの頃は一緒に寝てたぐれえにルドルフを可愛がっておきながら、それを全く顔も見せねえって薄情すぎるだろうがよ」

「一緒に寝てたって、叔父上がちゃんと乳母を用意していたならそこまでハールカ様に負担をかけることもなかったんです。夜はドラゴンに来てもらってあやしてもらい、ハールカ様はルドルフを寝かしつけてくださっていたんですよ」

「あん時は孤児院から嘘の子役で連れてきたと思ってたんだよっ。んなもんにいちいち乳母を用意するかっつーのっ」

「・・・叔父上。ルドルフはハールカ様じゃなく、叔父上の子供です。自分の子も分からないって時点でおかしいでしょう」


 フェリクスの目はとても冷たい。

 母親のいない我が子を見るのが辛くて預けっぱなしだったというゲオナルドの気持ちを分かってくれる人は存在しなかった。


「ルドルフ、今もドラゴンが大好きなんです。ハールカ様は本当にあの子を可愛がってくださっていたのですね」

「そうなんです、アイナーティルディ様。知らない人ばかりの城でルドルフが寂しくならないようにって、毎晩ルドルフお気に入りのドラゴンの背中に眠るまで乗せてあげていたそうです。だけど今はもうお母様と一緒だから大丈夫、子供はお母様が一番大好きだからって」

「なんてこと。そこまでご厚情をいただいておきながら、私ったら未だにお礼も言えずに・・・」

「ハールカ様は気にしていないと思います。僕、ゲオナルド叔父上がアイナーティルディ様に初めてお会いした途端、抱きついて離れなかったっていうギバティールのベンチにも連れていってもらったんです。それをベタ惚れって言うんだって、護衛の人達が教えてくれました。夜にベンチで女性に抱きつく男性は多いけど、昼間に初対面の見合い相手にそれをやったなら、もう一目惚れして逃がしたくなかったんだろうって。しかもその後、すぐに結婚が決まったんですよね?」

「え。・・・あの、・・・その、そんな・・・」

 

 アイナーティルディは真っ赤になって顔を伏せたが、ゲオナルドは片頬を歪めるようにして虚無的(ニヒル)な笑みを浮かべる。

 アイナーティルディに抱きついて離れなかったと聞いたらなんだか情けない惚れた男の体たらくではないか。だが、酔っ払って寝てしまったとは、もっと言えない。

 隣の席に座る第三王子妃アイナーティルディは、一気に遥佳の味方だ。

 どうして自分だけが孤立させられるのだろう?

 

「ふっ。・・・相変わらずクソ生意気で小賢しい小娘だぜ。そうだった、そういう奴だったよ。俺だけを踏み台にしていいとこどりだ。おとなしい顔して脅しつける。弱みを握っては隷属させる。そうだ、あいつは卑怯な手を使いまくっては高笑いする、悪の元締めだった」


 相手が神子姫だと分かってから散々に責め立てられた歴史、そして今、フェリクスによって与えられたダメージがゲオナルドにそんな怨嗟を言わせた。

 国王以下、船上ティーパーティで遥佳と同じテーブルに着いて過去の黒歴史を暴露された人達がゲオナルドの言葉にうんうんと頷く。

 たしかに遥佳は世間知らずでおっとりとした令嬢に見えるだろう。だが、そう思ってなめてかかると痛い目を見るのである。

 今、やっと第三王子ゲオナルドは、賛同者を得た。

 しかしフェリクスは駄目な大人達に軽蔑の視線を向ける。


「もういないと思っていい加減なこと言わないでください。ハールカ様は我が儘なヴィオラのおねだりだって笑顔で聞いてくださる、とても優しい方です。あんなにも陽だまりのようにあたたかくて思いやりのある方は存在しません」

「ざけんなっ。俺がどんな目に遭ってたと思ってやがるっ。あいつは愛妾とは名ばかりの暴君だったっつーのっ。王子の俺すら足元に()(つくば)らせて馬扱いっ、俺の棟で働く奴全員の弱みを握って口答え一つ許さねえっ。俺はなぁっ、小遣いすらあいつにお願いしなくちゃもらえねえ身に落とされてたんだからなっ。しかもあいつを怒らせたらどんなことになるか分からねえってんで、俺の棟で働く奴らに泣いて縋られたんだぞっ。俺さえあいつに頭を下げれば皆が助かるんだとか言われてっ。あいつは外では日陰の身を演じてたかもしれねえが、俺の棟では一番態度のでかい独裁者だったんだっ。あいつの嫌がらせは目覚めてから寝るその瞬間まで手を抜かねえシロモンだったんだぞっ」


 言われてみれば、たしかにあの頃、遥佳からゲオナルドにお小遣い禁止令が出ていたなと、国王と王妃、王太子夫妻、第二王子夫妻に共通の思い出が流れていった。

 大人には分かる肩身の狭さだが、子供のフェリクスには理解されない。


「何言ってるんですか、叔父上。ハールカ様はこの世界の頂点に立たれる姫君。それを叔父上が婚約者役をお願いして滞在してもらっておきながら、口答えするような無礼な使用人を揃えていたんですか? 弱みを握られないと働かないような使用人を? お可哀想に、ハールカ様」

「お前はあいつが俺の棟を支配していた時間を知らんからそう言うんだっ。あの恐怖統治を知らんからっ。何がお可哀想だっ。俺を王子と知っていても、あいつは俺を召し使い扱いしていた小娘だぞっ」

「僕やヴィオラだって一緒に暮らしたり、旅行に連れていってもらったりしていたんです。ハールカ様がそんな方じゃないことぐらい、十分に知っています。

 僕やエスティは自分に厳しいから甘やかすぐらいでちょうどいいんだって仰って、ハールカ様は色々なものを見せて楽しませてくださいました。

 あれで文句言うだなんて、叔父上があまりにも我が儘で浪費家すぎたんでしょう」

「あいつが子供に甘いだけだろっ。城すらぶち壊す凶悪幻獣を可愛い鳥呼ばわりしている時点で、飼い主の中身も凶暴に決まってるだろうがっ」


 遥佳がグリフォンに乗って移動していることは有名だ。

 そんなヴィゴラスはいつだって遥佳にべったりだったが、生きて動くソファか、荷物持ちかといった有り様だったので、フェリクスは凶悪だと感じたことがない。

 もらった羽のお礼を言って、世界で一番強い羽だと褒めたら、その翼を広げて見せてくれたのだ。


「言いがかりです。ハールカ様のグリフォンはとてもお行儀よくて賢く、頼りになる護衛です。空を飛んで僕達を運んでくれたし、荷物持ちや水汲みもするし、狩った獲物の血抜きをして内臓をとり、皮も剥いでいました。

 最初に神子姫様を見つけて治療院で働いていたという神官様にもお会いしましたけど、神子姫様は足腰の弱いお年寄りを手助けしてあげたり、恋人達の告白を手伝ってあげたりもしていたそうです。高潔と博愛、それでいて誰もが微笑まずにいられないお茶目さを備えた方々だと、神官様は色々な話をしてくれました。子供とか、全く関係ないです」

「・・・それってあいつだろっ。黒髪で、どこに行っても価値があるのは女神様のご神体とかぬかしやがった世間知らず神官っ。あんなボケボケ主従の意見を聞いてどうするっ」

「口を慎んでください、叔父上。神官様は世間知らずどころか、医療の違いや文化の違い、薬草のことや各地における神殿のことまで詳しく教えてくださったんです。他の大陸のことも教えてくれましたし、とても優秀な方でした」


 第27神殿にまで連れて行ってもらい、小さな治療院でもお手伝いしてみたフェリクスである。その際、イスマルクも作業しながら遥佳がドリエータの治療院で何を手伝っていたか、色々と教えてくれた。

 そしてフェリクスは、具沢山スープの作り方を教わったのである。


「お前は騙されている、フェリクス。いいか? ハールカは、いや、ハールカ姫はその優秀な神官に大神殿を裏切らせ、絶対服従させて薬師としてこき使ってみせたやり手だ。あの大人しい姿に騙されるんじゃねえ。俺が城に連れてくる前のあいつがどうだったと思う。俺を王子と知っていながら買い出しに行かせるわ、荷物持ちをさせるわ、テーブルを拭かせるわ、鍋をかき混ぜさせるわ、(はべ)らせた男達を顎でこき使っていやがる、とんでもねえ小娘だった」

「・・・人聞きの悪い。侍らせたも何も、護衛の男性達に色々な家事を手伝ってもらっていただけでしょう。それでハールカ様の手料理をいただけるなら、誰だって喜んで手伝いますよ」

「その正体とやらを俺は知らなかったんだが?」

「僕だってルウカ様がハールカ様だと気づく前、ルウカ様のお手伝いをしていました。ヴィオラだってそうです。だけど僕達、別に不満になんて思いませんでしたよ、叔父上」

「ぐぬぅ・・・」


 ゲオナルドの気持ちをフェリクスは全く理解してくれなかった。

 真面目で努力する相手には思いやりと優しさを、卑怯で陰険な相手には暴露と脅迫を与える遥佳である。

 第1等神官イスマルクと交流したことにより、フェリクスはイスマルクと同じ真っ白な雪景色フィルターのかかった天上の星世界へと踏み出していたのだ。

 今や遥佳の為に全てを敵に回しても悔いなし、である。


「お前がハールカ姫を大好きなことは分かったからそこまでにしておきなさい、フェリクス。どうせゲオナルドが礼儀正しくハールカ姫に接していたなどと、誰も信じていない。それに口では何と言ったところで、ゲオナルドはハールカ姫に感謝している」

「父上。だからってハールカ様がお可哀想です」

「そう言うがね、あの頃、お前の目にどう見えていたにせよ、ハールカ姫は決して無力でも哀れでもなかった。そうでなければアイナーティルディ殿が戻られる前に女官長を動かし、家具や使用人の総入れ替えをさせられる筈もあるまい」

「・・・お言葉を返すようですが、父上。庶民だと侮り、口答えして逆らう使用人なら交代させられて当然なのでは? それに家具の入れ替えなんてよくあることです」


 その通りだが、さて何というべきかとシャレールは考えた。

 会議室にいる皆が注目していることもあり、ゆっくりとシャレールは息子に語り掛ける。


「いいや、フェリクス。後になって分かったことだが、あの時点でハールカ姫はアイナーティルディ殿の好みを考えて内装や食器、衣類や小物に至るまで入れ替えていたのだ。ゆえに婚約者とは仮の姿、本当はカンディアの人間ではないかと、皆も疑っていた。あの時点で見る目がある者は誰一人として愛人などとは信じていなかったのだ。ゲオナルドの泣き言も真実だろう。実際、ハールカ姫を襲わせようとした者はとんでもない者共に襲われ、威圧した騎士は皆の前で土下座させられ、侮辱した者は取り返しのつかない醜聞を暴露され、馬鹿にした者は失職した」

「・・・父上がそう(おっしゃ)るのでしたら、そういうことにしておきます。だけどハールカ様はとても優しくて思いやりのある方です」


 本当かなと疑ったフェリクスだが、考えてみれば遥佳はあの真琴を叱りつけられる人だったのだ。

 そういうこともあるかもしれないと、思った。

 シャレールは何から注意するべきか悩む。かなりフェリクスは遥佳に可愛がられてきたようだ。


「それは私も疑ってはいない。害意を向けなければ痛い目にも遭わなかっただろうからね。何よりゲオナルドとアイナーティルディ殿の縁を結び直してくださった。だが、意外だな。レオン君と一緒だったマーコット姫の方が、お前とは仲良かったように思ったが」

「色々と大切なことをマーコット様は教えてくださいました。だけど僕には、・・・能力が違いすぎました。大体、野宿体験に行ったつもりがいきなり数百人の夜盗を集めて一人で退治する様子を見せられ、気の毒な少女がいるから役所に行けと言われたら新聞沙汰です。僕では、まだまだマーコット様に教えを乞うだけの実力がありません」


 悔しそうなフェリクスだが、屋根や壁の上を歩き、騎士や兵士達の訓練も平気でこなしていた真琴はもう別格だ。

 身体能力に自信があった兵士達ですら舌を巻いたものである。


「そうか。だが、どんな豪傑であろうと数百人を相手にして一人で戦い抜くことは不可能だ」

「僕もそう思います。だけどマーコット様はそれができて、その上で将たる者の心構えを教えてくれました。それを知ったハールカ様もマーコット様が黙ってやったことだけは怒ったそうですが、あの時点でマーコット様に色々と口止めされていた僕に、その切り抜け方を教えてくださいました。あんな優しい方、他にいません」


 シャレールは少し考えた。


「切り抜け方ってどういうものだい?」

「脅迫されたりするような弱みを作らず、その上でマーコット様に交渉しろと」

「・・・ほう。マーコット姫はいつだってご自分のご希望ありきの方だっただろう。交渉できたのか?」

「いいえ。悪党じゃなければ仕返しされないし、マーコット様を利用するつもりじゃないなら処分もされないから大丈夫って、ハールカ様は仰ってました。だけど僕はマーコット様に交渉しようなんて思いませんでしたし、逆らう方が疲れるんです」

「それもそうだね。だが、交渉する時点で利用するつもりはないという前提がおかしくなりそうだ。あのマーコット姫は『聞いてくれないなら他の人に頼むからいい』と言いかねない。お前なら何を交渉できる範囲だったんだ?」

「えーっと、・・・レオンと遊ぶ場所を希望したり、もう一度行きたい場所を言ってみるとかじゃないですか? マーコット様は十分よくしてくださいました。それ以上を望むのは強欲だと思います」

「・・・そうか。まあ、子供だからね」


 あまり役に立たない話である。

 今のフェリクスが子供だからどうにかなることであって、大人になったら無理だろう。

 シャレールは冷静にそう考えた。


「だけど本気でそれを言われて優しいと思っていたのかい、フェリクス? ハールカ姫の忠告は、実行不可能じゃないか」

「父上は分かっていません。ハールカ様はとても大事なことを教えてくれました」

「・・・そうか」


 長男がとても遠いところに行ってしまったような気がして、シャレールは眉間に皺を寄せた。

 少年の恋は一途だと、親の方が恥ずかしくなる。会議室内のあちこちからも、なんだかほんのりと生ぬるい眼差しがフェリクスに向けられていた。


「あの時、マーコット様は、騎士や兵士がどうして戦うのか、その根底には何があるのか、そして彼らの思いを担うからこその王侯貴族なのだと教えてくださいました。あれはレオンと仲良くしていた僕へのマーコット様からの生きた授業、つまりご褒美だそうです。

 ハールカ様はディリライトのコウヤ様や、ディリライト諸島を守る方々に引き合わせてくれました。立場が違う人を見た方が、ミザンガ王国軍を違う視点からも理解できて、誇りに思えるだろうって言ってくださったんです。乱暴なことはお嫌いなのに、ハールカ様はいつだってお優しい方でした。叔父上の婚約者役をなさってくださっていた時から」

「・・・フェリクス。まさかと思うが、ハールカ姫がゲオナルドの棟にいた時、実は隠れて会っていたんじゃないだろうね?」

「黙秘します」


 シャレールは、はああっと大きく嘆息する。


(てっきりあの美女っぷりに惚れたのかと思っていたが、あの頃からハールカ姫を好きだったのか? たしかに顔立ちは整っていたが、美少女というよりも中性的な容姿だっただろうに。だが、ハールカ姫は常に脅迫と共にあった。そりゃ子供のフェリクスに脅迫されるようなことはないだろうが)


 息子の気持ちが分からないのは父親だけではなく、母親も同じだ。シャレールの隣で、王太子妃クリスティーナはおろおろとしている。


「あの、お義母(かあ)様。どうすれば・・・」

「大丈夫よ。落ち着いてくださいな、クリスティーナ様」


 無言で観察に徹している第二王子アルマンは複雑そうな表情だ。

 一人娘のヴァイオレットはギバティ王女エステルと友人になり、遥佳から二人一緒に可愛がってもらっていた。パッパルート王国の街道計画も神子姫が絡んでいるとなれば信用できるし、真琴の荒稼ぎはどうかと思うが、自分としては全く損してはいない。

 遥佳が身近に置いていた凶暴な鳥だか犬だかというのも、単に幻獣グリフォンと言えずに誤魔化していただけと知ってしまえば、「ああ、なるほどな」だった。


(問題はまだフェリクスが子供であることか。いや、それで助かったのだ。ルドルフは第三王子の子。だが、ハールカ姫が可愛がっていたことや、ゲオナルドの再婚をハールカ姫が後押ししたことで、フェリクスと同等の扱いをという声も出てきていた。今回のことで、その声も小さくなるだろう)


 ゲオナルドがさっきから遥佳に対して不遜な発言を繰り返しているのもそれがある。王太子を脅かす立場になるまいと、あれで担ぎ上げられないよう計算しているのだ。

 だが、ここまでフェリクスが二人の神子姫に可愛がられたとあっては、その必要も消え失せただろう。

 アルマンは慎重に判断していた。

 シャレールもそれがあればこそ、この場にフェリクスを呼び、言いたいことを言わせたのかもしれない。

 少なくとも特別扱いされたという意味において、今やルドルフよりもフェリクスの方が完全にリードしたのだ。


(今後、ヴァイオレットは引っ込めておいた方がいいだろう。あの子はまだ子供だ。周囲の大人に持ち上げられることでフローラを下に見るようになっては目も当てられん。・・・どうせならば今回のパッパルート行きに同行させるか。そうすればちやほやする者も出ず、いずれほとぼりも冷めるだろう。これはもうカティアの手に余る事態となった。だが、仕事で訪れる王宮に子供を連れて行くのはまずい。どうしたものか)


 今になってアルマンは遥佳に感謝する。

 真琴がフェリクスをとんでもない騒動に巻き込んでいたことと違い、遥佳のところにいたヴァイオレットがしていたことは料理や買い物やピクニックだ。これでフェリクスと同じような「授業」とやらを受けていたらどうなったことか。

 王統に混乱は不要なのだ。

 

「ところで、国王陛下。フェリクス様だけではなく、ヴァイオレット様も神子姫様には可愛がられていたとか。ヴァイオレット様はどうしてこの場にお連れにならなかったのでしょうか」


 そんな質問を発したのは、王族の血も引いている貴族の一人だ。変な縁組を持ち出されても迷惑だと考えたアルマンは立ち上がった。


「その質問には父親である私が答えよう。ヴァイオレットはマーコット姫と身近に接していたフェリクスを(うらや)んで我が儘を言っていたところを、見かねたハールカ姫がヴァイオレットではフェリクスについていけないからと預かってくださったのだ。今もヴァイオレットはハールカ姫を、偽名だったルウカお姉様だと信じている。現在、ギバティ王国のエステル王女の話し相手としてつけてあるが、ほとんどお()りをしていただいている有り様だ。呼び出しても意味はなかろう。フェリクスとエステル王女、何よりマーコット姫が連れておられたレオン君もその正体をヴァイオレットには告げなかった。そうだな、フェリクス?」


 フェリクスはアルマンの瞳を見返し、頷く。


「はい、アルマン叔父上。ヴィオラはハールカ様にかなり懐いていましたが、まだ子供なので言いませんでした。エステル様も弟のパトリス殿下に礼をとらせたものの、やはり幼いことを考えてその正体を告げなかったそうです。エステル様はキマリー国のウルティード殿下に話を聞いていたので、ハールカ様に気づいてもその正体を誰にも告げず、その上で礼儀正しく対応すべきだと判断したと伺いました」

「なるほど、小さくても立派な王女だ。フローラがもう少し大きければ、エステル王女といい友人になれただろうが、子供時代の年齢差は如何(いかん)ともし(がた)い。だが、エステル王女の妹殿下オリヴィア王女とお揃いのドレス生地をハールカ姫からフローラにも頂いたというではないか。あれでハールカ姫は切り捨てる時は容赦のない姫君。フェリクスがハールカ姫を不快にさせなかったことの表れか」


 アルマンは、フェリクスの妹だからこそフローラへの配慮もあったように匂わせた。

 生地の手配はディリライト首長夫人カリンのしたことだが、こういう場では遥佳からとした方がいい。あくまでヴァイオレットは自分から迷惑をかけにいったのだと、アルマンはぶち切った。

 フェリクスも、大人の汚い世界を見た気分である。


(アルマン叔父上。だけどヴィオラ、ハールカ様から特注お料理セットもらってますよね? 言いませんけど。それにドレス生地どころか、ハールカ様とお揃いのドレスをとっくにレッティ、ねだり倒してますけど? そういえば女神様に捧げられたドレスも解いて、ヴィオラのドレスも作ってもらったんでしたっけ。あの高原のお嬢さん風衣装も現地で買ってきた布で作ってもらってます)


 王太子妃クリスティーナはまだそのドレス生地のことを知らなかったが、アルマンに柔らかな表情を向けられたことから、その場では周囲に向かって微笑んでみせる。

 ミザンガ王国の第二王子、第三王子はそれぞれタイプが違うものの、どちらも王太子を蔑ろにすることなく、王室を支える土台としての自分を理解していた。

 そうしてアルマンは父の国王に向き直る。


「父上、兄上。フェリクスがハールカ姫のことを報告しなかったことは問題でしたが、この通り、フェリクスなりに考えた上での行動だったのです。エステル王女も無報告については注意されたものの、子供ながらにその意思を貫いて礼を尽くしたことをギバティ国王から褒められたと聞いております。父上もそう怒ることでもありますまい」

「別に怒ってはおらぬ。だがな、王子としての義務は義務であるのだ、アルマン」


 いずれ国王となって国の頂点に立つ王子と、政略結婚して王室から外れていく王女とは立場が違うのである。

 ここでフェリクスが調子に乗り、やがて(おご)るような青年に育ってはまずいという祖父の思惑もあった。


「それは勿論、フェリクスはまだ子供。黙ってやっていいことなどある筈がありません。そういう意味では色々と問題もありましょうが、美しき姫君に対してフェリクスは一人の男を貫いたのです。立派なものではありませんか。・・・ま、あのキマリー国の王子のように求婚するにはちょっと年も背も足りなかったようですがね」

「ひどいです、叔父上」


 むぅっとした顔のフェリクスだが、自分でもそれは分かっていたのだろう。少し頬が赤らんでいた。

 会議室内にも思わずといった笑みが蔓延していく。


「そう怒るな、フェリクス。色々と言う者も出てくるだろうが、お前のしたことはかつてのディリライト首長と同じことだ。勿論、本来はよくないことだ。だが、相手が神子姫様となれば話は別。マーコット姫の養い子も礼儀知らずだと言われていたが、今となってはそう教育されていた意味も分かる。お前はハールカ姫、そしてレオン君の真価を見抜いたのだ。虚飾に惑わされる者は多くとも、その魂を見抜ける者はそうおらぬ。よくやった、フェリクス。父上、兄上もお前を思えばこそ注意せざるを得ないお立場だが、内心ではお前を誇りに思っておられるだろう」

「有り難うございます、アルマン叔父上」


 笑顔を見せるフェリクスに、以前のような屈託はなかった。

 そこに子供時代の眩しさをアルマンは見る。


(何かと拗ねたような顔をしていたものだが、いい影響を受けたものだ。高嶺の花に恋すればこそ、少年は大きく成長したか。あのレオン君と一緒では、自己主張も鍛えられよう。・・・ヴァイオレットはとてもお転婆になってしまったが)


 フェリクスとの差異を告げることで、アルマンは自分の娘を低く言ってのけたわけだが、カティアも落ち着いた表情を維持していた。

 侍女のカーティとして遥佳に接していたことにカティアも混乱中なのだが、それを顔に出すことなどあってはならない。

 叔父のアルマンが味方についてくれたことで安心したのか、フェリクスはやっと落ち着いた様子となった。


「別に私も怒っているわけではないのだがね。まあ、いい。フェリクス、もう下がりなさい。後でゲオナルドとよく似ていたとかいう件について話し合おう」

「・・・え。いえ、父上。僕、十分頑張ってきたと思います。それについては不問にしてもらってもいいと思います。マーコット様だって、そういう体験が危機を察する能力を鍛えるって仰ってました」

「マーコット姫か。・・・もう本当に、どこまでやってくれたやらだな。マーコット姫も次から次へと崇拝者が出ていたが、どうしてお前はハールカ姫だったのか、それが分からないよ」


 王太子シャレールは、心の底からそれが疑問である。

 貴婦人からは総スカンを喰らった真琴だが、毎日のように笑いと刺激を与えてくれる楽しい姫君だと、既婚未婚を問わずほとんどの男性から大人気だった。


「ハールカ様の良さが分からないなんて、父上はおかしいです。大体、マーコット様のどこを崇拝してお守りしろと?」


 カイトから、遥佳は優しく面倒見のいい女性ばかりに囲まれて暮らしているのだと教えられたフェリクスである。ディリライト島でも物見の塔が提供され、遥佳は一人で海を眺めていた。

 どれだけしっかりしていても、実は繊細なのだろうと、フェリクスは感じている。


「だからハールカ姫は、決して無力ではないと・・・。マーコット姫は何かとおねだりしてくる可愛さがあったじゃないか」

「何を言ってるんです、父上」


 真琴が「ねー、フェリクス」と言い出す時には、もう舞台は整っているのだ。おねだりも何もあったものではない。

 フェリクスは父も所詮は物分かりの悪い大人なのだなと思った。

 いきなりとんでもない状況に放り込まれ続けた自分の身にもなってほしい。

 父の気持ちは息子に全く通じなかった。



 ― ☆★ ― ★☆★ – ★☆ ―



 カイトお勧めの農場で美味しいベーコンやソーセージを買った遥佳は、守り人達にも配りに行った。

 そして何かと物置場にしてしまったルート砂漠の奥にある聖地。そこの守り人、黒龍と一緒にそれを焼いてみる。

 バーベキューならカイトも手慣れたものだ。ヴィゴラスと一緒のベンチにちょこんと座り、遥佳はその手つきを眺めていた。


「こういう夜空の下での炭火焼きって、とっても雰囲気があるわ。黒龍さんも普段はこれだけキノコのおうちが並んでて無人って寂しいわよね。優理もどうしてふらふらしているのかしら」

「料理は興味深い。ユーリが行き当たりばったりなのはともかくとして、マーコットもどうしてあっちこっちと、忙しいのであろうな。たまには落ち着いて戻ってくるように言い聞かせるがいい」

「普段はカイトさんにくっついてるからいいんだけど、優理の様子を見に行くって言いだしちゃったから。珍しいわよね。自分からどこかに出かけちゃうなんて」


 レオンに金属製のトングを持たせてひっくり返す焼き加減を教えていたカイトだが、遥佳の言葉に苦笑する。


「マコトは甘えん坊だから、ラーナ殿達がいない日々に耐えられなかったんでしょう。男の幻獣も同行していますから、心配はしないでいられますけどね。本当はラークも行きたかったんじゃないかと、それが気の毒かな」

「そうですねぇ。ドラゴンだけじゃなくバシリスクやマンティコラが同行している時点で、行きたくない気持ちの方が大きいですよ。ルーシーも苦労していそうだ」


 ベヌウ族のラークはおっとりした日々を過ごしているせいか、がさつな行動はあまり好きではないのだ。遥佳を乗せたヴィゴラス、そしてガーネット達と一緒に、カイトとレオンを乗せてルート砂漠まで戻ってきたのだが、こうして穏やかに過ごしている方がいいらしい。


「それは言えるかしらぁ。私達、どうしても争いは苦手なのよ。ねー、ガーネット」

「ええ。ドラゴン族とかが暴れだす時には避難しておきたいですわ」


 野菜などを輪切りにしたり、タレに漬けこんだお肉を用意したりするのを担当していたガーネットとサフィルスは、遥佳と一緒に戻ってくることを選んだ。実際、この後はゲヨネル大陸で遥佳が訪れる村や里などとの予定の擦り合わせがあるのだ。

 真琴は放っておけば勝手に戻ってくるだろう。

 

「本当は私が行って、真琴はカイトさんと一緒に戻らせるべきだったんですけど」

「気にしなくていいですよ、ハルカちゃん。クローラマのサスティでしょう? 近づくもんじゃありませんね。マコトにはちゃんとネズミになってあいつらのベルトにつけた籠の中に入っておくように言ってあるからいいですが、本来はユウリ様も行くべきじゃない場所ですよ」

「そんなに治安が悪いなんて。優理ってどうしておかしな道を行ってるのかしら」


 カイトが同行しなかったのは、ミザンガ王国第二王子アルマンが訪問することをパッパルート国王ディッパに伝えておく必要があった為だ。

 護衛のニッカスを連れたディッパも笑顔で迎えた。


『凄いのだ、ディー。本当にコレを見せたらどうぞって言われた。オレは歩いて入ってきていい』

『窓から入ってこないなんて偉いぞ、レオン。そうしてカイト殿と一緒にいると雰囲気も対照的で可愛いじゃないか。で、マーコットはどうした?』

『オレは可愛いじゃなくてカッコいい。マコットはまだ来てない。戻ってきたら寄るって言ってた』

『こらこら、レオン。まずはご挨拶だろ』

『そうなのだ。こんにちは』

『うん。本当に素直でかわ・・・かっこいいな、レオン。こんにちは』


 ディッパから渡されたプレートを見せて面会希望を出すというのをやってみたレオンは、ちょっと大人になった気分らしい。自分に好意的なディッパに色々とミザンガ王国やディリライト諸島、そしてギバティ王国の話をしてきた。

 自分達で作ったというディリライトでの新聞も、「コレあげる」と、進呈してきた。そして可愛いスカンクがいないことにがっかりしたディッパとデューレは、代わりに小さなグリフォンを撫でて堪能することでその寂しさを紛らわしたのである。

 同じグリフォン族のヴィゴラスでは大きすぎて可愛がる気になれないのだろう。

 もっともヴィゴラスは遥佳と共にルート砂漠の聖地へ直行し、他の聖地までお土産のベーコンを配りに巡業していたのだが。

 そして夜はこうしてバーベキュースタイルの夕食である。

 ほとんど中継地点扱いの黒龍だけに、喜んでもらえたようだ。


「ゲヨネルに戻ったら、私、約束した村に行く予定でしょ? だけどなんかとっても大掛かりになってるみたいなのよね。賞品の振り替えで、本当はデート権とかお茶権とかダンス権なのに、全部里への訪問ってことになってるの。しかもその数がいつの間にか増えてるし」

「数が限られてしまうと、その里に皆が押し寄せてきてとんでもない騒ぎになるからであろう。いいではないか、新婚旅行と思えば。ゲヨネルの隅から隅まで行ってくるがよい。マーコットもカイト殿とマジュネル大陸を回ろうかなとか呟いていたそうだぞ」


 黒龍の言葉に、レオンが、「シンコンリョコウってなんだ?」と、カイトに尋ねた。

 遥佳の頬が一気に赤くなる。


「新婚旅行って・・・」

「ん? たしか(へき)のがそんなことを言っていたと思ったが。拾って世話した幻獣を自然にかえすのは不可能だと、やっとハールカが理解したようだと」


 黒龍の言葉に、遥佳は絶句した。ヴィゴラスは、なぬっという顔になっている。


「し、自然にかえすとは何なのだ。それは、・・・それは、俺とお外に出かけたいという意味なのかっ、ハルカッ」

「ちょっと待てっ。落ち着け、ヴィゴラスッ。ほら、肉が焼けたぞっ」


 慌ててカイトが自分の為にソースをかけた皿ごと、ヴィゴラスの目の前にさっと出した。つい受け取ってしまったヴィゴラスが流れのままに食べだすが、どこか行動が上擦った感じである。

 パチパチと小さな火が弾け、じゅーっと肉が焼けたり、加熱された野菜の一部が膨れ上がってやや焦げた部分がばちっと割れたりする音が響いた。

 不自然な沈黙を頓着しないのはレオンだけで、いそいそとトングでひっくり返している。

 

「えーっと、まだハールカってばヴィゴラスを自然にかえすつもりだったの? だけどその時はもうポケットにハールカが仕舞いこまれてるんじゃないかしらぁ?」

「勿論、そういうことでしたらゲヨネルの民は全員協力しますわ。ですがハールカも拾ってきてしまった子は最後まで責任持たないと。ここまで懐かせてしまった以上、森の中に置いてきてもすぐ戻ってくるんじゃありませんの?」


 ペガサス族の意見はもっともだった。


「あ、あのね、それは、最初の頃で・・・。ほら、私、ヴィゴラスをレオンみたいに小さい子だと思ってたし・・・。だから保護した後はゲヨネルに連れていって、ちゃんと生きていく世界に放してあげるべきかなって思ってたんだけど・・・。だって野生の生き物って人に懐かせちゃいけないって言うじゃない」

「それは・・・、ハルカちゃん。それはその通りですが、そういう野生動物の場合は撫でたりして自分を覚えさせることはせず、手当てした後は速やかに戻さないと。出会った当初、ご飯は生餌を与える程度にして、すぐ自然にかえさないといけなかったと思いますよ」

「う・・・。その頃は、そこまで深く考えてなかったの」


 しゅんっとしてしまう遥佳だが、カイトはヴィゴラスをちらっと見る。


「あんな子供相手にお前の方が分かってただろ、ヴィゴラス。大体、お前を幼獣だと思った時点でおかしくないか? どんなことをしたらそんな勘違いをさせられたんだ。余程、お前の方が演技力を発揮しないとそれはあり得なかっただろ」

「俺は嘘なんて言ってない」

「黙っていたことはありそうだけどな。お前がいればこそ助かったことは沢山あるだろうが、それ以上にお前、実はハルカちゃんの思いこみを強化させてたんじゃないか? そこは反省しろよ。責任感の強いハルカちゃんなら、迷いこんできたグリフォンをいつかゲヨネルの自然にかえしてあげようって決意していてもおかしくないだろが。俺だってグリフォンはそういう生き物だって思ってたから、レオンには一人の環境を作ってやらないとまずいと思ってたんだぞ」

「それで問題ない。さっさと放り出すがいい」


 正しいグリフォンの育成方法に関して、グリフォン族の意見は全く当てにならなかったので、カイトは普通の子供としてレオンを育てていた。

 おかげで普通に会話できるグリフォンとして育ちつつあるレオンだが、ヴィゴラスはレオンが一人で育ったところで全く問題はない。


「何を言ってんだか。大人のお前がハルカちゃんべったりで、どうしてレオンを放り出すんだ。うちの小さなレオンはもっと大人に愛されて甘やかされてなきゃおかしいだろ」

「おかしくない。俺はハルカに甘えたいし、ハルカだって俺を甘やかしていいのだ」

「お前なぁ。年を考えろ。お前がハルカちゃんを甘やかす立場だろうが。ザンガでだって引きこもっていたからそうでもなかっただろうが、本来は色々な男共が贈り物を携えて日参し、デートや茶に誘っては甘い口説き文句を並べていたってことぐらい理解しろ。顔を隠していなかったり、ラークが側にいなかったりしたら、それこそ後をつけていた男が毎日いてもおかしくなかったぞ」

「大丈夫だ。そういう奴らは排除しておいた」

「やっぱりか」


 カイトは、レオンだけはちゃんと普通に、好きな女の子に好きと言える子にしようと決意した。

 その話題を放り投げた黒龍は足りない塩を足しながら、けっこうぱくぱくと食べている。


「それが護衛というものですもの。ハールカに変な男が纏わりつくのを排除するのは当然ですわ。けれども、いい方との出会いが減るのは困りますわね」

「難しいわよねぇ。だってハールカ、こうして人間の気配にしてもらっていても、あそこまで人気だったもの。本来の気配を出したらどうしようもないわぁ。ヴィゴラス一人じゃ蹴散らされるわよ。マジュネルだろうがゲヨネルだろうが、数百人、数千人が取り囲むんじゃね」

「む・・・。グリフォンとは完璧な幻獣。それぐらい・・・」

「無理でしょ、ヴィゴラス。それこそ他のグリフォン達だってハールカをハールカと気づいたらどうなると思ってるの。気配をこうして隠してくださっているゲンブ様に感謝しなさいよ」


 のんびりとしているようでありながら、サフィルスは現実を見ていた。


「カイトもルーカに誰も近づかせないようにってしていた。オレ達だってルーカを守った。ルーカは色々なところで、お付き合いしてくださいって言われていた」

「ああ。頑張ったな、レオン。ハルカちゃんが望まない人はそれでいいんだ。ひっくり返すのも上手になったな。ほら、熱いから気をつけろよ」

「ん」


 ひっくり返すことに夢中になっていた間に冷めきってしまった皿のものを、熱々のものに取り換えてもらったレオンは、火傷しないように気をつけながら渡されたベーコンと玉葱の串刺しをかぷっと食べる。


「これ、おいしい」

「良かったな。少し離してじっくり焼いておくといいんだ」

「カイト、オレが大きくなっても子供のフリしたらべったりしていていいのか?」

「それはもう無理じゃないか? ヴィゴラスは誰もグリフォンを知らなかったから、大人だけど子供って言えばみんなが信じてしまったのさ。お前はみんなが大きくなるのを楽しみに見守っている子だから誰も騙されない」

「そうなのか。ヴィゴラスだけが使える方法だったのか」

「・・・そうだな、多分、二度と使えないな」


 騙されるうっかりさんは遥佳ぐらいだろうと、カイトも内心では思っていた。


「ヴィゴラスは、レッティが言う、フェリクスだけずるいって奴だったのか?」

「・・・そうだな。レッティもフェリクス君だけが尊重されているようで拗ねていたんだろう。だけどフェリクス君がそれ以上に不自由な立場だって気づけるようになったんだ。いずれ落ち着くさ」

「そうかもしれない。エスティと、小さな王子や王女は自由なのに自分達はとっても厳しい立場だって、海を見ながら言ってた」


 レオンにとっては、それが自分も使えるかどうかが大事なのであって、今現在時点で子供の自分にとってはあまり意味がないようだと理解する。


「全ては最初のあなたが原因だと思うの。何が三才なの」

「三才と言った覚えはない。冬が三回あったと言っただけだ」

「誰だってそれは三才って思うでしょっ。冬になったことを気づかないで過ごしていたなんて誰が思うのっ。ヴィゴラス、あなた、私の誤解を分かっててそのままにしたんでしょうっ」

「・・・仕方がない。どんな手を取ってでもと思う程に、ハルカとマコトは魅力的だった」

「ああ、もうっ。何をあなたは開き直っているの」


 ガーネット達もカイトも、変にヴィゴラスを刺激してとんでもない行動に出ないようにと思って自分達が会話を継いでいたのだが、どうやらヴィゴラスは暴走しないようだと、その表情で判断した。


「他の幻獣に乗って移動することすら邪魔する男が、それ以上に親密な恋人など作らせる筈もあるまい。もう諦めて結婚するがいい」

「・・・何それ。黒龍さんってばなんかとっても投げやりじゃない? 真琴の時は、カイトさんがいい人かどうかをしっかり見極めようとしておいて、私の場合はかなり手抜きすぎると思うの」


 青い大鳥(シムルグ)だけではなかったのかと、遥佳が地味にショックを受ける。

 だが、黒龍とて何かと遥佳を乗せたり、翼の中に仕舞いこんだりするグリフォンを見ていたのだ。


「仕方あるまい。元々カイト殿は白のが守る聖地でマーコットと仲良く暮らしていたという。白のに預けてから外出し、何かと可愛がってくれていたというではないか。ならば文句はないというもの。・・・その点、そこのグリフォンは守り人すら信じず、ハールカを囲ってばかり。それでもハールカが気にしていないのならもうそれでよかろう。嫌になったら捨てて違う男でも見繕えばよい」

「な、・・・なん、だと・・・? 浮気かっ。浮気するのか、ハルカッ」

「どうでもいいことを喚いておらず、子供が頑張って焼いておるのだ。有り難く食べるがよかろう。ハールカもしっかり食べぬと力が出ぬぞ。ペガサス族は野菜の方が好きであろうが、キノコにこの果実を絞って塩を振るだけでかなりいけるだろう」


 首の半分まで覆う高い襟の服を着ている黒龍は、食材それぞれに自分が美味だと思う味付けを追及している。


「最初に話を放り投げたのは黒龍さんだと思うんだけど」

「そこまで反応するとは思うまい。だが、結婚するわけでもなく、恋人でもないのであれば、適切な距離は取るものだ、ハールカ。レオンのように小さいのであればともかく、ヴィゴラスの図体を子供とは誰も言わぬ」

「う。・・・はい」


 子供じゃないグリフォン族は遥佳の横に座ってその髪にすりすりと頬ずりしているが、大人じゃないグリフォン族は、焼け具合を確認してから食べるといった作業を繰り返していた。

 どちらが大人か分からない。


「何を幸せに浸っているの、ヴィゴラス」

「守り人様が新婚だと認めてくれたのだ。俺は幸せだ。やはりハルカは愛らしい」

「・・・あなたの解釈はとても問題があると思うの」


 それでも嘘じゃない心が自分に向けられているから受け入れてしまうのだろう。

 遥佳はちょうど焼けた白い野菜を突き刺してヴィゴラスの口元に差し出した。色々な野菜やキノコ、肉や一夜干しの魚まで混じっているので、もう何かだなんて見ていない。

 大根なのか、蕪なのか。

 そんなことを思った遥佳だが、ヴィゴラスも嬉しそうに咀嚼しているから美味しかったのだろう。


「やはりハルカが作ってくれたのは愛情がこもっている」

「切ってくれたのはガーネット達で、焼いてくれたのはカイトさんよ?」

「最後に取ったのがハルカなら、ハルカの手作りなのだ」

「いや、お気遣いなく。もうハルカちゃんが隣にいるだけでヴィゴラスは幸せですよ」

「そうなのだ。カイトは正しい」

「あなたって人は・・・」


 これでヴィゴラスは野菜も好きなのだ。



 ― ☆★ ― ★☆★ – ★☆ ―



 クローラマ国のサスティに向かって、ペガサス族のイオリット、ドラゴン族のルーシー、翼と角持つ蛇(バシリスク)族のクラーン、そして元水の妖精(ウンディーネ)のエレオノーラ、サラマンダーと共に向かった真琴だが、基本的に真琴の情報収集は他人任せだ。

 カイトのことなら風の妖精(シルフ)を総動員させたりもするが、優理のことは全然心配していなかった。

 そして、自分は来る必要が本当にあったのだろうかと、真琴はちょっと考える。


「私は一体どうしてここに来たんだろう」

「まあ、マーコットったら。そんなの決まってるじゃありませんか。どこにいてもあなたが主役ということですわ」

「・・・えーっと?」


 カイトは優しい。

 昔の真琴そっくりの顔と声をしている優理にころりといって、そのおねだりを二つ返事で叶えてしまうばかりか、全面協力する程に真琴を愛してくれている。

 ラーナは優理を大切にもしているが、レイスと一緒にいたのが良かったのか悪かったのか、単にジンネル大陸がどうなろうがどうでもいいと思っているからなのか、ゲヨネル大陸で行動するよりも吹っ切れているところがあった。

 それはルーシーも同じだ。

 優理にとって悪影響だと思えばキースヘルム一家を殲滅させても構わないと思うぐらいに、ルーシーも優先順位がはっきりしている。

 そんな保護者達が、真琴は大好きだ。


「何故、神子姫様がマフィアの支配者になっているのでありましょうか・・・」


 本物の神子姫様は、そう呟いたのである。



 ― ★ ― ☆ – ★ ―



 レイスと共にサスティへやってきていたラーナは、ストレートの黒髪を肩ぐらいの位置で切り揃えた妖艶なドラゴン族だ。後ろよりも前に来るほど長めになっているというボブスタイルが(なま)めかしい。

 誰もが見惚れる美女といえるだろう。

 そして神子姫達に危害が及ばないのであればニコニコとして見守っているが、危険だと思ったら手段を択ばないところがあった。

 優理のいるサスティへ向かう途中、あちこちの街に寄っていた真琴は、エレオノーラと共に、カイトへのお土産を選んだりもしていた。だが、先行してドラゴン族のアルフレッド、マンティコラ族のガレスがやってきたものだから、ラーナは一気に切り替えたのである。


『まあ、マーコットもいらっしゃいますの? それなら、ユーリも十分に楽しんだようですし、さっさと掌握しましょうか』


 ドレイク達は、一気に頭をなくしたらただでさえ無法地帯と言える場所がとんでもないことになると分かっていた。だからせめて次に台頭する勢力を置いておかないとまずいとも考えていたのである。

 復讐心とそれとは別だ。そういうことを考えてしまうから、なかなか復讐も出来なかったとも言う。

 普通に悪人ばかりの場所でも、善人だって存在しているし、統率が取れていればこそ、ある程度の秩序も生まれているのだ。


『何を言っているのかしら。誰を巻きこもうと、復讐とはそういうものですのよ。・・・ですが、ユーリを可愛がって保護してくれていたのですし、ここはその意見を尊重しましょう』


 言うまでもなく、ラーナは水の妖精(ウンディーネ)としての力を不完全ながらも使えるレイスと共に動いていて、マジュネル大陸の鳥獣人であるアマトとマックスも仲間だ。

 そして現地の状況はドレイクが忍び込ませていた仲間達によって把握している。

 そこへアルフレッドとガレスがやってきた以上、ラーナが戦力として考えないわけがなかった。


「そうですわね。マーコットが海賊騒ぎを起こしたところで、そのミザンガ王城とやらにハールカも姿を見せてしまったのであればどうしようもないでしょう。ここは攪乱しておきましょうか」


 そうしてサスティにいたドレイクの兄達を全滅させたのが、顔を仮面で隠した黒髪の美女とその一味である。

 黒髪の美女を取り囲んだ仮面の男達は、まさに死神だった。誰もかすり傷さえつけられず、あっけなく死んでいった。

 そうして一気に君臨したのである。「名前を告げない黒髪の美女」が。

 人々はそのニュースを聞いて美女の正体を察した。

 そうだ、他にいる筈がないではないか。無法地帯に舞い降りた破滅の女王。逆らった者には死という沈黙を与える永遠の申し子。


「ここはハールカのお名前とマーコットのお名前。どちらを使うべきかしら。それとも三人目ということで、全く違う名前の方がいいかしら」


 真琴が到着した途端、ラーナから尋ねられたのは、それだった。

 尚、優理は「もう帰りたい・・・。神子姫様なんて知らない」と、オーナー不在の弁当店で今日も頑張っている。

 そんな優理にレイスが掛ける言葉はとてもあたたかかった。


『良かったじゃないか。トビアスの情婦とやらが夜逃げしてくれて。これで売り上げは全てお前の儲けだ。せっかくだから家と土地の名義もお前にしておくか?』

『こんな所の弁当屋なんて、もらったって二度とこないわよぉっ』


 ドレイクの兄達は無力化された上で、ドレイクに与えられている。


『え? いや、なんつーか、土産ってもらっても・・・。どないすっかな、アレン』

『良かったですな、坊ちゃま。指を一本ずつ切り落としていきましょうか』


 今までの長年にわたる工作は何だったのか、ドレイクもちょっと不完全燃焼だ。

 優理の為に動いた筈が、結局は真琴に甘いラーナとルーシー、そしてゲヨネル大陸の幻獣達である。アマトとマックスも、ラーナににっこりと微笑まれてしまえば、「美女は正義だ」であった。

 優理の少年らしい可愛さよりも、真琴の美女っぷりの方が獣人には点数も高い。


「知らない間に、マフィアを手に入れたけど、どうしよう?」


 真琴の相談相手はどこにもいない。




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― 新着の感想 ―
[一言] 三人がそれぞれの能力でやらかしてくれる所が面白いです。 遥佳に要求ばかりのヴィゴラスはいらない、ペットとしてなら使いがいはあると思う。 三人がそれぞれの方法で世界平和?していって欲しいです。…
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