273 遥佳は子供になった
遥佳がディリライト邸で披露した装いは、サフィルスの見立てだった。
白にも見える淡い朱色のドレスならば夜の酒宴でも映えるだろうと、肌をあまり出さないデザインながらも軽やかに空気を孕んでひらひらと美しく翻る。
その腰に光るのはヴィゴラスがかつて遥佳に贈った、幾つもの鈴蘭が点在する銀の飾りベルト。
小さな冠のような銀の髪飾りにはエメラルドが嵌めこまれ、頭頂部にあるからこそ背を高く見せて、幾つものシフォンの中心をそこにおいても外れなかった。
はしゃぐ子供達を寝かしつけてから戻ってきた遥佳は、少し疲れた様子である。
サフィルスと楽しく酒盛りしていたらしい火焔は、笑顔で迎えた。
「楽しかったか? 誰もがその美しさに言葉を失っていただろう。ヴィゴラスが恋しがって大変だったぞ」
「さすがにおじさまの部下まで同席になると、グリフォンはつれていけないわ。ちゃんとお留守番できて偉かったわね、ヴィゴラス」
「キュウ」
信頼できる場所へ戻ってきた遥佳はやっと作り物ではない笑顔になるが、ヴィゴラスはとても悲しげだ。
「あらぁ。ガーネットは?」
「服を着たらすぐ来るって言ってたわ」
何かあった時にすぐ対処できるようガーネットは目立たない位置に控えていた為、遥佳にとってはなかなかに面倒な宴だった。
何故なら、「是非っ、うちの息子の嫁にっ」という申し込みが殺到したからだ。
今夜はわざと独身者や血気盛んな青年を邸から排除していた首長コウヤも苦笑いして、
「既に立派な婚約者がいる姫君だ」と、止めてはくれたが、なかなかにしつこかった。
(まさか塔へ行く道にも張りこまれてるとは思わなかったわ)
ガーネットが蹴散らしてくれたからよかったものの、温和なペガサスで助かったと遥佳は思っている。
まだ相手に重傷を負わせないからだ。
けれどもやっと聖地へ戻ってきたら、グリフォンは涙目だ。
「そんな悲しい顔しないで、ヴィゴラス」
「クイッ、キュウ、クゥ、キェッ、キィーエ、ギウ
(ハルカが口説かれているのに、俺はここで耐えていた)」
「子供達しかいないのに、口説かれるわけないでしょ。そんなことでどうして泣いちゃうの。もうっ、ちゃんと帰ってきたじゃない」
黄緑色の瞳からぽろぽろと涙を零すグリフォンに、遥佳はドレスの袖でそれを拭う。
守り人達に翻弄されておかしな言動に走ってしまうことはあるが、ヴィゴラスはとても素直で可愛いグリフォンなのだ。
だけど夕食時間ぐらいでこんなに泣かれては困ってしまう。
「妄想で泣いてもしょうがないでしょ。泣かないで、ヴィゴラス」
「ただいま戻りました、守り人様。ヴィゴラスとサフィルスも・・・あら、どうしましたの?」
「それがぁ、聞いてよ、ガーネット。所詮、グリフォンが約束なんて守るわけなかったのよ。カエン様がディリライト邸の様子をこのテーブルの上に映してくださってたんだけどぉ・・・」
遥佳は、口説かれるわけがないと言った自分の説明を、ヴィゴラスが信じないわけを悟った。
「ごっ、ごめんなさい、ヴィゴラス。嘘をつく気はなかったのよ? だけど、ああいう時のそういうのってのは、社交辞令みたいなもので、だから相手の気を悪くしないようにやんわりと相手を褒めながらお断りするのは処世術みたいなもので、真面目に考えちゃ駄目なの。あんなのに気持ちなんてないのよ。分かって。ね?」
「そうよねぇ。適当に持ち上げながらお断りしないと、まずは会ってくれとか言われちゃうもの。あれは仕方なかったわよ」
「キュウウ、キュウ」
慌てて遥佳が自分の言葉をどうにか回収しようとすれば、のほほんとしているようで実はそれなりに考えているサフィルスが、遥佳を援護する。
「そんなに悲しかったの? あら? ちょっと、どうして怪我してるの、ヴィゴラス」
「ディリライト邸まで飛んで行こうとしたからだ。しょうがないからこの島の周囲に透明な壁を作ったんだが、それにぶつかっては落ちて、またぶつかりに行っては落ちて・・・」
「そうなのよね。守り人様も私も止めたのに、ハールカがあまりにも美しすぎて皆が口説いているのを見た途端、ヴィゴラスが飛びだしたのよ。あの壁にぶつかって雷にバチバチ打たれても、何度も行こうとするから守り人様が力づくで押さえてくださって・・・。全体的な擦り傷ですんだけど、びっくりしたわぁ」
火焔とサフィルスの説明に、遥佳も改めてヴィゴラスの姿を見た。
ヴィゴラスが変な言動に走るのは遥佳をとられると思った時だけだ。悲し気なライムグリーンの瞳は、いつだって遥佳を求めている。
「人の姿にさせて連れてってあげればよかったわね、ヴィゴラス。だけどレッティがいるし・・・。ガーネットがいて、心配なんかいらないのよ? どうしてあなたは無茶ばっかりするの」
「キュウ」
「もうお仕置きは終わり。人の姿にもなっていいから、今度からは自分を傷つけるようなことはしちゃ駄目よ。いい、ヴィゴラス? それに口説かれたところで断ればいいんだから」
「キュイ」
すりすりと顎の下の羽毛で遥佳の肩を撫でてくるグリフォンは、きっと綺麗にまとめた髪を崩してはいけないと思っているのだろう。
それでもまだぽろぽろと泣いていた。
「泣かないで、ヴィゴラス。もう寂しくないでしょ。火焔さん、お薬箱ある?」
「俺の部屋の机の上に出しておいた。海岸にも転がり落ちてたし、まずは体を洗った方がいいだろう。だが、グリフォンなら一晩で治るぞ?」
「そういう問題じゃないわ。行くわよ、ヴィゴラス。早く砂を落としてお薬塗らなきゃ。どうしてあなたは賢いのに馬鹿なことするの」
「キュウ」
ふわふわとしたドレスの裾が乱れるのも気にせず、遥佳はヴィゴラスを部屋から連れ出した。
「こらっ。怪我してるのに飛んじゃ駄目でしょっ」
キュンキュンと泣きながら、それでも遥佳を抱えて廊下を飛んでいくグリフォンに、叱りつける声が廊下から部屋まで響いてくる。
残された三人は、顔を見合わせた。
「心が読める割に騙されやすいとは困ったもんだ。ガーネット殿も大変だっただろう」
「そんなことはございませんわ。守り人様にはゲヨネルの者がご迷惑を」
「あいつはハールカのグリフォンだから気にすることはない。だが、夜遅くまでのご機嫌取りで、明日の朝は寝坊と決まったな。やれやれ、俺は自分の寝室でそれを見せつけられるのか」
「本当にご迷惑を・・・」
「いや、俺の部屋がこの島でも一番浄化されている。だからハールカも落ち着くんだろう。どっちもまだまだ甘えん坊だからな」
それでと、ガーネットの腑に落ちる。
あの遥佳が自分から男性の寝室に行くというのが不思議だったが、それなら納得できた。
「とはいえ、男の体をハールカに洗わせるわけにもいくまい。しょうがない。夜半までこの部屋の音楽は鳴り続けるから、二人の宴を楽しんでもいいし、好きなところで切り上げて休んでくれ」
「どこまでもご迷惑を・・・」
「有り難うございますっ。ガーネット、ここの音楽、とても綺麗なのよぉ。カエン様と話が弾んでても、つい聞き惚れちゃって大変だったわ。ああ、耳がもうワンセットあればいいのにって感じよ」
「喜んでもらえたなら何よりだ。明日は違う楽器を演奏させよう」
パチッと片目を瞑ってから出ていく火焔は、どこまでも万能な戦士にしか見えない。
まさに、ミスター・パーフェクトだ。
「駄目だわぁ。カエン様を見てしまうと、もうヴィゴラスがお子ちゃますぎてどうしようもないの」
「そうなのよね。どうしてよりによってカエン様が一番不便な場所の守り人様なのって、私も思ってしまったわ」
火焔が出ていった扉を見つめ、ガーネットとサフィルスは溜め息をついた。
― ☆★ ― ★☆★ - ★☆ ―
昨日は違う島まで蝶を見に行って戻れば、ディリライト諸島の各島を守る有力者達との夕食だったので、何かと疲れてしまった子供達だ。
だから今日は大人しく絵を描いたり、手紙を書いたり、邸内で追いかけっこしたりすることにした。
おかげで遥佳も、塔でごろごろしながらたまに様子を見てあげればいい。塔にあるテーブルは大きいので、子供達が色々な紙や道具を広げていても全く問題ない。
そして今、エステルとヴァイオレットはフェリクスとレオンを見張りにおいて、ガーネットと一緒にディリライト邸へ戻っていた。
(うーん。子供達ってば、私から離れなくなっちゃったわね。とられたくないからってことみたいだけど、独占欲が激しいのはヴィゴラスだけじゃなかったみたい・・・?)
当初、遥佳は「ギバティ王国とミザンガ王国の血を引く姫君で、王子と王女の引率を任されるぐらいに重要視されている」とディリライト邸では説明されていたそうだ。けれどもあまりの美しさに誰もがのぼせ上ってしまった。タイキの妻にという声が大きくなりすぎたのだ。
仕方なくコウヤは、「ジンネル大陸の王子や王女と知り合い、折角だからとここまで観光しにつれてきてくれたマジュネル大陸の姫君」と、話を変更した。
すると今度は種族の差を気にしない者がでた。だからもう遥佳は昼食とおやつを塔に運んでもらって子供達と食べることにして、朝食も夕食も火焔のいる聖地でとるようにしていたのである。
(昨日、お断りしたからもう大丈夫だと思ったのに。子供達も自分達がいなくなったら塔に誰かが乗りこんでくると思い込んでるし。だからってレッティ、フェルを番犬代わりにするのはどうかと思うの)
さっさと逃げた遥佳を「息子の嫁にっ」と言い出してきた人達は、今朝から子供達に好意を持ってもらうことで口説き落とそうとしたらしい。
だが、「ルウカ様は私(僕)のなんだからっ」という子供達の団結した総攻撃に敗れたとか。
遥佳にはよく分からないが、子供達は燃えていた。
遥佳を欲しがる大人達の手から彼女を守るのだという使命感に。
「手が止まってるわ。書くことが見つからないの、フェル?」
「沢山書きたいことがあって、どう書けばいいか分からないんです」
「昨日は冒険だったものね。性格が出るのかしら。レオンは気に入った色の蝶ばかり集めて、フェルは違う色の蝶を一匹ずつ。エスティは気に入った蝶を一匹だけで、レッティは一番大きな蝶を狙ってみんなに協力させただなんて」
フェリクスの横で、レオンは色々な絵を描きまくっていた。字を書く練習も兼ねていた筈のカイトへの手紙は、いつしか絵が9割、文字が1割となっている。
好きなことを書けばいいレオンと違い、フェリクスは子供ながらに父親への手紙に悩む。場所を教えてもいいのであれば、書きたいことが沢山あった。
「それもそうなんですが、これだけ散らばっている島をそれぞれ任されるって大変なんだなぁって感動しました。だから、なんて書けばいいか分からなくて」
「ああ、あの人達ね。自分達の孫の時に王様になってるだろうフェルだもの。いい関係を築いておきたかったのよ。勉強になった?」
「はい。今までだって、砦の視察に連れて行ってもらったことはあったんですけど、よく分からなかったんです。だけどまるで目の前が開けたように、国を守る意味が分かった気がします」
「あなたが視察に行った場所はミザンガ国軍が守る場所だもの。説明よりも、王子であるあなたに不快な思いをさせないことが優先されたのね。だけどここはディリライト。いつか戦うといった選択肢を回避してもらいたいからこそ、王子であるあなたにディリライトを愛してもらい、ディリライトの民の平和を守ることについて共感してもらうことを優先した説明がなされたんだわ。あなたがディリライトを好きになればなるほど、敵対する確率は下がっていく。未来への布石の一つってことかしら」
フェリクスは子供だが思考は大人びているから、それぐらいの指摘で傷ついたり、視野を歪めたりしないと、遥佳は分かっている。
「そうなると僕は利用されてしまったのかな。だけどいいや。次に視察に連れて行ってもらった時、きっと違う目で見ることが出来る気がするんです」
「それが一つ大きくなるってことだわ。遊びに来ただけだったのに、四人共とても成長しちゃったわね。悪知恵もついちゃった気がするけど。まさかカリンおばさまにおねだりすることを覚えちゃうなんて」
エステルとヴァイオレットは、昨日の遥佳の格好がとても気に入ったらしく、お揃いのドレスを欲しがってしまった。
せめて似たものでもいいから欲しいと、カリンに同じドレスが作れないか相談したそうだ。
「子供だから許されることですよね。ヴィオラも今までは自分一人でやらかしてたのに、なんだかここに来て、兵士さん達を巻きこむことを覚えた気がします。ヴィオラの性格的に欲しかったならルウカ様におねだりしたような気がするのに、どうしてカリン様だったんだろう」
「エスティの影響かしら。年上の権力者な貴婦人に根回ししないと失敗するってこと、エスティはよく知ってるもの。思うに私に直接おねだりするより、カリンおばさまから言ってもらった方が、カリンおばさまの顔が立つとか、そういうことをエスティと話し合った結果だと思うの」
「意味わかんないです」
「私もよ」
魔物が作り出す糸から織られた布はとても軽く、長袖でも全く蒸れずに心地よいのだが、あのひらひら、ふわふわとしたドレスはコルセットなど使わないタイプである。ディリライトでも初めて見た形だ。
しょうがないので、遥佳はディリライト邸へサフィルスに行ってもらうことにした。ガーネットも同行してくれているが、あの髪型はペガサス族が好むものらしい。
遥佳は銀とエメラルドで出来た髪飾りだったが、リボンや革紐を使ってもいいそうだ。
(あの髪飾りのエメラルドが、本当は緑の石に見せかけただけの監視カメラだっただなんて。本当に守り人の力って凄いのね。私には見抜けなかったわ)
道理でヴィゴラスが大人しくお留守番を受け入れたわけである。そういうものがあると知ったなら、あのヴィゴラスだって同行を我慢するだろう。
そうして監視カメラの音声と画像により、遥佳が「息子の嫁に」と言われながらも熱い瞳で見られていることを知って飛び出そうとしたわけだ。
「そういえば今日はヴィーちゃん、一緒じゃないんですね」
「ええ。昨日はなんか海辺ではしゃぎすぎちゃって爪を傷めちゃったの。明日には元気になってるけど、今日はお山の上でお休み」
「蟹に挟まれちゃったのかな。女の子なんだからあまり無理しないでほしいけど」
「・・・そうね」
そんな遥佳の首には赤い石のついた首飾りが揺れている。
一晩中、遥佳を抱えて悲しみに暮れていたヴィゴラスを休ませる為、遥佳は自ら監視カメラを持ち運ぶことに同意したのだ。
「ルーカ。オレ、塩と糖蜜シロップをイスマークにあげたい。帰る時、イスマークに会える?」
「イスマルクに? いいけどレオンの手作りでしょ? カイトさん達と使うんじゃなく、イスマルクにあげていいの?」
カイトへの手紙だけじゃなく、レオンはルーシーにも手紙を書いたりする。どうやら宝物についての相談らしい。
今日はイスマルクへの手紙も書きたくなったのだろうか。お土産を渡したくなったのだろうか。
何故イスマルクなのかと、遥佳は首を傾げた。
「熱が出た時、イスマークは塩と甘いのと水とを混ぜて飲ませるって言ってた。だからイスマークにあげると喜ぶ。と、思う」
「そうなの。喜ぶと思うわ。だけどイスマルク、あれで結構あちこちに行ってるからすぐに使いきっちゃうわよ。それこそ渡したその日に空っぽになってるかもしれないわ。大事に持っててくれないけどいいの?」
「いい。ちゃんと維持するのも大事だけど、使い捨てていくことも大事だって、コーヤも言ってた」
「そう。それならカイトさんにその話をして、マーコット達とイスマルクの所へ寄った方がいいかしら。カイトさんも喜ぶわね」
「なんでカイト? カイトにはあげないけど喜ぶのか? だけどカイト、ちゃんと塩と糖の塊を持ってる」
「そうじゃないわ。イスマルクのやっていることを理解して、イスマルクに渡すことで誰かを助ける役に立ててほしいという気持ちをレオンが持ってくれた。その優しさをカイトさんが喜ばない筈がないのよ」
「そうなのか? じゃあ、カイトにも聞いてみる。イスマークは苦労性って言うんだって、マコットが言ってた。そういう人には優しくしなきゃいけないのだ」
「その苦労を背負いこませているのはマーコットだと思うの」
そこでフェリクスが、つんつんと遥佳の袖を引っ張る。
「イスマルクさんって、神官のイスマルクって人ですか?」
「そうよ。今は大神殿にいるの」
「え? だけど・・・」
「色々とあって、第1等神官になっちゃったの。その内、逃げ出してくると思うんだけど。レオンにとっては育て親の一人なのよ」
「本当に実在したんですね。大神殿かぁ。それなら大神殿に行けば姿を見たりできるんですか?」
どうやら神官イスマルクはフェリクスにとって何らかの思い入れがあったらしいと、遥佳は知った。
「大神殿は皆が入れる大神殿と、神官しか入れない大神殿とがあるからあまり姿を見ることは出来ないんじゃないかしら」
「じゃあ、カイトさん達に同行したら会えますか?」
「あの人達は窓から忍びこむから同行は無理だと思うのよ。会ってみたいの?」
リヴィール王子みたいに神官を目指すとかいう話はミザンガ王国にはなかった筈だけどと、遥佳は怪訝に思いながらも尋ねる。
ちゃんとお祈りとかはするが、神官を目指したことなどフェリクスにはないだろう。
「はいっ。だってハールカ様達を見つけた唯一の神官なんですよねっ。どんな人なんだろうってずっと思ってました。やっぱり威厳ある感じですか? 白いお髭が長かったりして」
「イスマルクはそんなお爺ちゃんじゃないわよ。カイトさん位の年じゃないかしら」
「え? そんなに若かったんですか?」
「ええ。それなら、・・・そうね。エスティをギバティまで送っていくのを先にすれば大神殿も寄っていけるかしら。だけどレッティが・・・。レッティだけ先にお城に届けてフェルは後からにすれば、それもそれでレッティが拗ねるわよね」
くすんだ緑の瞳を輝かせるフェリクスは、かなり気になっていたようだ。
そんなに興味があるのならばと思ってしまう遥佳だが、ヴァイオレットが自分の正体を知ったらとんでもない騒ぎが起きそうだと、そっちに悩んでしまう。
それが分かっているのか、三人の子供達は決してヴァイオレットに遥佳の正体を明かさなかった。
「ならルーカ。ルーカ達はギバティのお城にいてくれれば、オレだけイスマークの所へ飛んでいく。そしたら大丈夫だ」
「知らない場所で迷子になってからじゃ遅いのよ、レオン。何よりレオンは小さいから誰かに捕まっちゃうかもしれないわ。だけど、・・・そうね。お城でお留守番してもらえばいいのよね」
どんなに王子様、王女様と呼ばれていても子供達に自由はない。
そう思うと小さな願いはなるべく叶えてあげたいと、遥佳は思った。
「いいわ。イスマルクも心配性だもの。前にミザンガ城に滞在した時、心配させちゃったみたいだし、フェルを見たら安心するわよね」
「安心? 僕でですか?」
「ええ。イスマルクは世の中の王子様は全員、誘拐犯だと思ってるの」
「・・・色々、あったんですね」
どの国だって血眼で探している神子姫だ。
フェリクスとて二十代の王子であれば、それこそ何があろうと見つけ出して求婚しろと、臣下からも要望されたであろうことは想像に難くない。
「そうね。・・・ここだけの話だけど、あなたの叔父様はいきなりあのザンガにある家まで馬でやってきたかと思うと、自分の結婚話が壊れるまで婚約者役をやれ、用事がすんだら返すって、返事も聞かずに私を引っ掴んでつれ出したのよ。取り戻そうとしてくれたイスマルクも馬の脚には勝てなかったわ」
「・・・叔父上。僕、ちょっと今度、父上と一緒に叔父上との時間を持とうと思います」
ちょっと待てという気迫が、フェリクスに漲った。
「その必要はないわ。ゲオナルド王子には期待してなかったから怒ってないし、お妃様と幸せならそれでいいの」
そんな間抜けな話が出回る方が、よほどダメージが大きい。
遥佳にとってはもう終わった話だった。
「そういえばどこで叔父上と知り合ったんですか?」
「うーん。それはきっとミザンガ王室にとってのトップシークレットだわ。ゲオナルド王子は言ってないのよね?」
「えーっと、神殿で悩みながらお祈りしていたところで出会い、話を聞いてくださり、協力してくださることになったと・・・」
尚、その話を信じているゲオナルドの近親者は存在しない。
「内緒なんだけど、ザンガの港を散歩してたら、ナイフを振り回す危険な人達がいたのよ。だから逃げようと思ってイスマルクと誰もいない船に隠れたら、それが海賊か密輸の船だったらしいの。いきなり兵士達が船に乗り込んできて、私達は海賊の一味だと疑われて地下牢に放りこまれたのよ。そこで取り調べに当たったのがゲオナルド王子。それが出会いだったわ」
なるほどと、フェリクスは思った。
それが明らかになったらどれだけの人間が罰せられることか。
「だから叔父上、正直に言わなかったんですね。」
「そうね。だけど私もイスマルクも海の仕事なんてできないし、用心棒さんもお願いしていたから、疑いはすぐ晴れたんだけど、怪しいからって何度も私の様子を見に来て、うちでご飯を食べていってたのよ」
「怪しいと思ってた相手の所で、食べ物を口にしたんですか?」
意味不明すぎるし、王族としてあり得ない話である。
フェリクスは叔父の危機管理能力に対して大きな疑問を抱いた。
「本気で疑ってたわけじゃないわ。そういうことにして息抜きに来てたのよ。誰も知らない休憩所なら、いなくなってても『仕事してました』って言えば誰も嘘だって言えないでしょう? ディリライトで攫われたとかいう私を見つけようと海賊船を取り締まってたみたいだから、手がかりもなしに城にも戻れず、時間つぶしが必要だったのね。そもそも私、ディリライトどころか、ジンネル大陸にいなかったから、誘拐なんてされていなかったんだけど」
フェリクスは大きなショックを受けたらしい。少し動きが止まっていた。
「ふっ、ゲオナルド叔父上って人は。ちょっと今度、お祖父様と一緒に叔父上との時間を持とうと思います」
「しちゃ駄目よ、フェル。これは内緒にしておいて、いつかあなたが大きくなって、ゲオナルド王子に何か協力させなきゃいけない時の切り札にするといいわ」
「切り札?」
「ええ。どんなに威張っていてもね、『僕は知ってるんですよ。これを今になって皆に知られても平気ですか?』って、言えばいいの。きっと何でもおねだりできるわ。これはフェルへの贈り物。ね? 秘密ってたまには素敵だと思わない?」
「あははっ。僕が叔父上を脅すんですか?」
「どうせそれぐらいじゃへこたれないわよ。フェルは背負うものが大きいんだもの。それぐらいの切り札はあったっていいじゃない」
「はい」
くすぐったそうな顔でフェリクスが頷く。
うふふと、遥佳がフェリクスの頭を撫でてきた。その際に、黄金に輝く髪が揺れて、光を弾く。
きっと、今の彼女を見て誰もが絶世の美女だと褒め称えることだろう。
だけどフェリクスが惹かれたのは、顔立ちよりもこの表情だった。
ああ、この人だと、フェリクスは思う。今も変わらない。それが嬉しい。
「フェリクスだけずるい。オレもなでてほしい」
にこにこしている二人を見て寂しくなったのか、レオンが椅子から下りて抱きついてきた。
― ☆★ ― ★☆★ - ★☆ ―
守り人の聖地は様々だが、赤い大虎が守るディリライトの聖地はとても文化的だ。
美しい庭園もあれば、豊作な菜園もあるし、泉もあれば丘や砂浜もある。気温も常夏のディリライト諸島のように高くなかった。
そうして城の中に入れば、音楽が奏でられている広間にしても幾つかあり、弦楽器がひそやかに悲しげな曲を弾いていると思えば、次に通りがかった時には感動的な合奏曲が流れていたりと、その時その時でがらりと雰囲気を変えている。
「まさか美術品を飾ってあるお部屋もあっただなんて」
子供達が海に潜って採ってきた真珠を褒めてあげた遥佳は、その後は子供達がピンブローチにする加工を教えてもらうというので昼過ぎには聖地へと戻ってきていた。
明日、作品を見せてもらう予定だ。
本番で失敗しないように、最初は木に穴をあける作業で練習するらしい。
「こっちの建物は窓も開いていなかったし、分厚いカーテンも掛かっていた。廊下で繋がってはいなかったのだな」
「そうね。その部屋の鍵を閉めておけば入ってこられないんだから、その方がいいのかも」
そうして折角だからと、火焔に案内されているのは北側にある区画に通じる通路だった。やっと人の姿になれたヴィゴラスが、そんな遥佳と手を繋いでついてくる。
火焔から、ちゃんと手を繋いではぐれないようにしておいてくれと、遥佳が言われたからだ。
「第4広間の奥にある扉をくぐらないと、こっちの区画には行けないようにしてあるからな。こういう芸術品は壊されたら終わりだから、別口にしてある」
「壊す人なんているのかしら。あ、ヴィゴラス。いきなりグリフォンになっちゃ駄目よ? 翼の先が当たったりするだけで壊れちゃうんだから」
「分かった。グリフォンにはならない」
真面目な顔で約束したヴィゴラスを振り返りながら、遥佳はどうして今日になって火焔がこちらを案内してくれる気になったのかを悟った。
尻尾をふりふり、翼をパサパサする幻獣のせいでこれらの絵や彫刻が破損されたなら、自分なら追い出してしまうかもしれない。
「ハルカ。そんなに寂しいならちゃんと抱いていく」
「寂しいからギュッとしたんじゃなくて、あなたがグリフォンに戻らないようにギュッとしたの」
ヴィゴラスと繋いでいた右手に力をこめれば、ヴィゴラスは嬉しそうに遥佳の頭と額と頬にキスしてきた。
抱きしめようとするのはいつものことだが、火焔を見ていて、ちょくちょく自然に髪や額にキスするする呼吸を学んでしまったらしい。
今までは遥佳の心情やタイミングを見計らってキスしていたヴィゴラスだが、火焔はことあるごとに普通にキスしていたからだ。
「こらっ、駄目ってばっ」
「お前なあ、ヴィゴラス。いくら人の姿ならキスし放題でも限度があるだろう。せめて一度に二回までにしておけ。何十回キスしたら気がすむんだ」
「守り人様だってハルカに沢山キスしていた」
「俺は一度に一回だったし、ほとんど挨拶代わりのキスだろう」
呆れ声な火焔にも、ヴィゴラスはめげない。
「分かった、五回までにしておく。だが、ハルカ。手を繋ぐんじゃなくて俺がハルカを抱いていくなら、俺はもっとグリフォンにならないと思うのだが」
「そういうやり方で思い通りにするのを覚えちゃ駄目って言ったでしょっ。もうっ、お仕置きの意味が本当になかったじゃないのっ。私はっ、あなたにっ、まともなグリフォンに戻ってもらいたかっただけなのにっ」
よしよしと、火焔が遥佳の頭をぽんぽんと撫でた。
「やれやれ。本当に幼いな、ヴィゴラス。そんなにハールカが好きか」
「大好きだ。誰だってこんなに愛らしくて綺麗で幸せな宝物を好きにならずにいられない」
「しょうがない奴だ。それなら宝石で出来たハールカの人形をあげれば、ハールカを解放するか?」
「嫌だ。宝石は素敵だが、ハルカはこの性格や動きも含めてハルカなのだ。勿論、ハルカの人形は欲しいが、それはハルカと一緒にいられない時の慰めとして欲しいのであって、ハルカそのものとは比べ物にならない」
ご機嫌な青年に、遥佳の方が恥ずかしくて顔が上げられなくなる。
ここはもう話題を変えるべきだ。
「えーっと、あのね、火焔さん。あそこにあるの、とっても大きな絵ね。あっちにある甲冑も昔の物なの?」
「ああ。面白がってその時代ごとに集めた時のだ。陶磁器にしても、最初は城のあちこちに飾ってあったんだが、遊戯の賞品代わりに持って帰ろうとする奴がいて閉口してな、こっちにまとめた」
「火焔さんを相手に持って帰れる人なんて、グラディウスしか思いつかないんだけど。ヴィゴラスが壊すだけがリスクじゃなかったのね」
きっと大金を使って買い揃えたのだろうに、どうしてそれをもらって帰ろうとする人がいるのかと、遥佳は頭を抱えずにはいられなかった。
黄色い髪に朱色の瞳をした黄の大剣。
やるとしたら彼だろう。他に誰がいるというのか。
「俺は別に壊さない」
「ヴィゴラス、壊したお皿とかは塵一つ残さず捨てて証拠隠滅してるじゃないの。悪気がなければいいってものじゃないのよ。イスマルクが割れた食器用ゴミ捨て場を掘ってくれていたなんて、知った時にはもう何も言えなかったわ。うちの物を壊しちゃうのは仕方ないけど、よそのおうちの物は壊しちゃ駄目。ね?」
「記憶にないのだが」
「おうちの裏庭を見に行ってきなさい」
困った顔で見下ろしてくるヴィゴラスは冤罪を主張するが、遥佳は取り合わなかった。
証拠を抹消した時点で記憶から消すグリフォンなので、それ自体は言っても仕方がないと分かっている。
遥佳は火焔を見上げるようにして、利用されてばかりはよくないと自分の意見を述べることにした。
「グラディウス、あれでお金持ちだもの。ちゃんと弁償はさせなきゃ。火焔さんは優しすぎると思うの」
「いや、朱のではなく、持っていくのは碧のの方だ。だからいいのだよ」
「え? イージス? だけどイージスがどうして・・・」
黄色い髪に碧の瞳をした美しい女性なのか、明るい栗色の髪と緑の瞳をした男爵夫人なのか、黄色い髪に碧の瞳をした知的な男性なのか、まさにヴィゴラスを一番おちょくってくる守り人、黄の大盾。
別に酒や女にお金を使っているわけでもなさそうなのにと、遥佳は考えこんだ。
「いつぞやはカップとカトラリーを持っていったが、それはユーリにあげるとか言ってたか。ハールカも気に入った物を持って帰るといい」
様々な茶器が並んだ部屋を案内されれば、どれも目を奪われるデザインばかりだ。
まさにその一点を作りあげたと分かる傑作ばかりが揃っている。一つ一つが躍動感を感じさせた。
「それならここに来た時に使わせてもらう方がいいわ。第7神殿はシンプルで使いやすい物とか可愛い物とか、ちょっと面白いデザインのが揃っていたけど、これらは、・・・なんて言うのかしら、とても力強かったり見ているだけで旅をしているような感じね」
「普段使いを考えた食器と、特定のテーマで作られた食器とは違うということだ。ロイターゼンはバレンリーと共に、この世界の様々な光景を写し取って捧げたいと考えた。ゆえにここにある」
「お母さんに使ってほしかったのね。どうしてお母さんは使わなかったの?」
「気持ち悪かったんじゃないか? 出来上がったばかりの時は執着心が凄いとかで見るのも避けてたぞ」
その言葉を受けて、遥佳はその茶器をじっと見つめてみる。
「ごめんなさい。分かる気がするわ。凄い熱気というか、男の人達の何かがこもっているっていうのか・・・」
遥佳はぶるりと身を震わせた。
時に信仰心は、何かをぶっちぎっている時がある。
「ふむ。何かがこもっているというのは、よくおまじないとか言って、菓子に血や唾液を混ぜるというものか?」
「そういうおまじないはやっちゃ駄目よ、ヴィゴラス」
「その通りだ。そういう時は直接舐めてほしい」
「誰も舐めません。その思考は犯罪だと思いなさい、ヴィゴラス。・・・さすがに体液は入れていないけど、入れることが可能ならしたかも。なんだか土の一粒一粒にすら凄いものを感じるのよ。本当に凄いわね、これ」
「よく分からんが、見事な作品だと俺は思ったな。実際、売りに出したら凄い値がつくそうだ」
火焔は、これらの磁器に使われた土まで品質が違うのだと説明した。
「そうね。だけど私も使いたくないかも。今は昔より薄まったと思うけど、なんだか食器から幾つもの手が伸びてきて使用者に絡みそうなぐらい念がこもってるの。よほどお母さんの傍に行きたかったのね」
「そういう執念か。ではもう少し時が流れて念とやらが消えるまで放置しておこう」
「優理や真琴は気にしないと思うけど。それどころかその手も踏みつけて召し使いにしそう。何よりあの二人は何も感じないと思うわ」
「知らなかったならともかく、それを知って渡す程、性格は悪くないのだよ」
火焔の右腕が遥佳の腰に回されて少し引き寄せられる。
「怖かったか?」
「・・・ううん、平気」
「安心するがいい、ハールカ。お前が許さぬ者がお前に触れることはない」
「うん」
ヴィゴラスと手をつないだまま、遥佳は火焔の右胸に顔を埋めた。
「抱きつくなら俺でもいいと思うのだが」
「お前に感情を遮断する術は無いだろう。外の世界に手出しは出来んが、聖地にあって全てを支配下におくのが俺達だ」
ひょいっと遥佳を横抱きにした火焔は、ゆっくりと歩き出す。
遥佳と仲良く手を繋いでいたヴィゴラスが、それなら自分が抱いていくのにという思いを顔に映し出した。
「あの、火焔さん」
「お前のグリフォンは、俺がお前に手を出さないと思って甘えているのだよ。少しは焦らせておくといい。折角だからガーネット殿とサフィルス殿が戻ってくるまで、ちょっと変わったことをしてあげよう」
「変わったこと?」
「ああ。もう怖くないだろう? ほら、ヴィゴラス。ちょっと手を離せ。邪魔だ」
「あ、本当。なんかさっきの念がさっぱりしてる」
むむっとしながらもヴィゴラスが手を離した途端、遥佳の体がどこか頼りなくなっていく。
「あれ?」
「力も弱まってしまっただろうが、この島なら怖くないだろう? 二人が戻ってくるまでこうしておいで」
「素晴らしい、守り人様。ハルカはもうこれでいいと思うのだ。そうすれば変な男は寄ってこない」
「お前が一番変な男だ、ヴィゴラス」
火焔ははっきりと真実を伝えた。
ずるずるとしたサマードレスの中に埋もれた体は、黒髪に小さな手足の子供である。
「小っちゃくなってる?」
「俺はお前のその頃を見てなかったからな。そうか、あんなに小さかったのにこんなに大きくなっていたのか」
「え?」
5才位の子供にされてしまった遥佳は、この流れについていけずに戸惑った。
こんなに大きくと言うが、そもそも信じられないぐらいに小さくされた気がする。
「ほら、ヴィゴラス。落っことすなよ。ちゃんと着替えさせて連れてこい。ハールカの部屋に昔の服がある。ハールカはチューリップのアップリケがついたワンピースが大好きだ」
「なんて可愛いのだ。こんな小さな頃のハルカが見られるなんて。今ならチビより小さい」
「あの、・・・体を小さくされても、もう子供じゃないんだけど」
小さな遥佳と脱げた服を渡されてしまったヴィゴラスは目を輝かせてご機嫌になる。
黄金の髪にセピア色の瞳をした遥佳も素敵だが、黒髪に焦げ茶の瞳をした遥佳も、ヴィゴラスは愛していた。
何より黒髪だった頃の遥佳の方が、何かとヴィゴラスを頼りにしてくれたのである。
「さっさとハールカに服を着せてやれ。いつまで裸でいさせる気だ?」
「そうだ、早く服を着ないと風邪をひいてしまう」
ちゃんと遥佳が着ていた服やサンダルを回収こそしていても、ヴィゴラスは小さな遥佳から目を離せないようだった。
「それならお部屋に行ってからでもよかったんじゃ・・・。ここまで小さくしないといけないものだったの?」
「いや、俺が見たかっただけだ。お前達はもっと小さい時にここを離れてしまったからな」
そんな遥佳の苦情を、火焔は額にキスすることで封じ込める。
(火焔さんがしたいからしただけってこと? ここまで子供に出来るなんて、守り人でも能力の差があるのかしら。玄武さんは少ししか引き戻せないって言ってたのに。それにシムルグさんだってキスして調節してた筈だけど、火焔さんは抱っこした状態で一瞬だったわ)
色々と疑問は渦巻くが、小さくなってしまうと、全てが大きく感じられた。
「大丈夫だ、ハルカ。俺がちゃんと着替えさせてあげるのだ」
「私、小さくなっても子供じゃないんだけど」
頼りない小さな遥佳を、ヴィゴラスはいそいそと部屋まで連れていく。
そして中身は大人な遥佳に着せられたのは、かぼちゃパンツとアップリケが付いたパステルグリーンのワンピースだった。
― ★ ― ☆ - ★ ―
結果として、ディリライト邸からガーネットが先に戻り、後からサフィルスが戻ってきても、遥佳は5才くらいの子供のままだった。
「本当に可愛らしいでしょう、サフィルス? 私、ここに来させていただいて幸せですわ、守り人様」
何かがガーネットのツボだったらしいが、それが何だったのか、遥佳には分からない。
「どうしましょう、守り人様っ。どの守り人様も敬愛してますけど、もうカエン様最高―って、心の底から叫びたいですぅ。なんか床が温かいなぁって思ってましたけど、小さな足でも冷えないようにってことだったんですねっ」
「ここまで喜ばれるとはな。二人が戻ってきた時点で大人に戻すつもりだったのだが、まあいい。着飾る姿なら次の機会もある」
「ちょっと待って。私、サフィルスが戻ってきたら元通りって思って今まで我慢してたんだけど」
背中の半分までの黒髪に焦げ茶色の瞳をした遥佳は、ちゃんと子供用の靴もサンダルもあるというのに裸足のままだ。おかげでこんなにも小さな足で歩けるのかと、皆がしげしげと見つめてくる。
「ううっ。小さな子ならレオンがいるのに」
「いくら小さくてもグリフォンはすばしっこい。いいじゃないか、ハールカ。どれ、絵本でも読んでやろう」
「中身は大人だもんっ」
分かっていてからかってくる火焔だが、遥佳の健闘を面白がっているようだ。
自分の主張を繰り広げてみせようとソファの上で立ち上がれば、バランスを崩して後ろへとひっくり返る。
そんな遥佳を抱きとめるヴィゴラスは、心の底から幸せオーラを発生中だ。
「こんな筋肉もない小さな足ですもの。何かを履いている方が力を入れにくいのですわ。足が汚れたら洗って差し上げます。階段を使う時もちゃんと呼んでくださいね、ハールカ」
ヴィゴラスが履かせていたウサギ模様のサンダルを、大理石の床では危ないからと脱がせたのはガーネットである。靴下もこんな柔らかい足では滑って転んでしまうのだと教えられ、ヴィゴラスは目を丸くしていた。
「俺が運ぶと言っているのに、ハルカは自分で下りるというのだ。だけど手すりまで手が届かないからと柵を握って一歩一歩震えながら俺の所まで下りてくるのは可愛らしかった」
「斜め横で見守るんじゃなく、下で待ち受けてるとこがなぁ。他の男にやられたら変質者だからすぐ逃げるんだぞ、ハールカ。子供のパンツを見たがる男なんておかしい奴だからな」
「俺はパンツを見たいわけではない。ハルカが俺に向かって飛びこんでくる姿が見たいのだ」
「聖地に変質者なんてまず入りこめないと思うの」
いつもなら足元をくすぐっていくだけのさざ波も、小さな体には力強く感じられて、砂浜で何度か転んだり、ずぶ濡れになってしまった遥佳だ。
お茶を飲もうとしても小さな手には重たく感じられてカップの中身を零したりして、遥佳はすっかりご機嫌斜めだった。
そんな遥佳の体を洗って何回も着替えさせたヴィゴラスは、完全に遥佳の保護者である。
「そう拗ねるな、ハールカ。ガーネット殿達も戻ってきたし、安心か。ならばお前のグリフォンも小さくしてやろう」
「え?」
「ぐぇっ!?」
慌てて振り返れば、さっきまでヴィゴラスが座っていた所に服が落ちていて、その中に少年が入っていた。そこまで小さいとは言わないだろう。10才くらいだろうか。
「あらぁ。子供の頃はレオンより中性的だったのねぇ、ヴィゴラスってば。きりっとした女の子に見えないこともないわ」
「これぐらいならハールカを抱っこはできますわね、カエン様」
「あまり小さくすると二人で遭難しかねないからな。それぐらいならちょうどいいだろ。ほら、脱いだ服を持って部屋で着替えてこい、ヴィゴラス。お前の部屋にも少年の服は置いてある」
「キュイ」
グリフォンの姿になると、服を引っ掴んで飛んでいくヴィゴラスは、レオンよりは大きめサイズだ。
「かっ、可愛いっ。火焔さんっ、ヴィゴラスってばずっともうあの大きさでいいと思うのっ」
「お互いに同じことを言ってるな、ハールカ。一人だけ子供なのは嫌でも、あれならいいだろう。子供同士でおままごとだってできる」
「中身は大人なんですけど」
唇を尖らせた遥佳を膝に乗せて、火焔はよしよしと頭や頬を撫でてくる。
子供にされて不満は不満なのだが、幼稚園に通っている頃の姿を見たかったと言われてはあまり文句も言いにくかった。
火焔からは遥佳へのまっすぐな情愛が伝わってくる。
「こうして大きくなっていったんだな。滑り台も作ってやろう。ブランコもいるな」
「だから中身は大人・・・」
小さくなったおかげで皆から遠慮なく抱き上げられ、キスをされてしまった。遥佳としては、中身も子供じゃないのが申し訳ない気になってしまう。
「こういうワンピースも可愛いけどぉ・・・。カエン様、もっと可愛いのを着せてもいいですか?」
「ああ。ハールカの部屋に子供用の服を揃えておいた。好きに着させていい」
「やったっ。ガーネット、行きましょっ。小さなヴィゴラスも一緒なら、手を繋いでおけば転ぶのもそこまで心配しなくていいわよ」
「そうね。大人と手を繋ぐにはあまりにも小さすぎて足をくじくのが心配だったけど、今のヴィゴラスなら大丈夫ね。それでも石の床は滑りやすいんですから、走らないように気をつけてくださいね、ハールカ」
「だから私、中身は大人なのよ」
その夜は火焔のリクエストに応えて着飾ってみる予定だったが、子供の姿にされてしまえばそんな予定も消失だ。
サフィルスの趣味で、遥佳はお子様用の真っ白なひらひらドレスを着せられてしまった。
ヴィゴラスもまた、ジンネル大陸の騎士っぽい格好である。ただし遥佳に当たったら危険なので武器はない。
「可愛いーっ。もっ、ここにいないラーナ達が可哀想すぎるぐらいに可愛いっ。ほらっ、ヴィゴラス。こういう時は後ろから抱きしめるんじゃなくて、跪いてお姫様の命令を待たなきゃっ」
「落ち着いてちょうだい、サフィルス。ちゃんとご飯の時間までには戻ってくるのを忘れないようにね、ヴィゴラス」
「そうしていると、まさに絵本のお姫様と王子様だな。青の達はハールカだけでいいと言ってたが、それでは帰さんかもしれん。ちゃんと戻って来いよ、ヴィゴラス」
「む。それは難しいかもしれない。誰だってこれは帰したくなくなる」
「なんでみんなして面白がってるのぉっ」
守り人達のゲートを通れば、すぐに違う聖地だ。はっきり言って、聖地同士は隣の部屋に行くよりも近い。
夕食が出来上がるまでの間、折角だから黒や白、青の守り人の所へ見せに行くといいと巡業に出されてしまう自分は何なのだろうと、遥佳はヴィゴラスに手を繋がれたまま思った。
― ☆★ ― ★☆★ - ★☆ ―
ミザンガ王城滞在中の真琴は、レオンからの手紙により、ディリライト首長の権力行使でレオンの運び屋見習いとしての実績値が貯められていっている事実を知ってしまった。
遥佳は気を遣って書かないようにとフェリクスやヴァイオレットに言い聞かせていたが、レオンがカイトへの手紙に書いて、その手紙を第二王子アルマンが見てしまったならどうしようもない。
尚、アルマンが見てしまったのは、全面的にそこらに放り出しておいた真琴が原因だった。
「あちゃー、アルマン王子が慌ててシャレール王子の所に行っちゃうわけだ。偽名での登録って、そーゆーのも出来ちゃうんだね」
第二王子アルマンの暮らす棟に滞在中の真琴達だが、この遊戯室は夜のたまり場と化している。
真琴がレオンの手紙を読みながらソファに寝転がってゴロゴロしているなら、アルフレッドとクラーンは盤上で駒を動かす対戦を繰り広げ、カイトとイオリットは壁に貼られた地図を見ながら様々な国の事情を話している。
エレオノーラは水を入れて音を響かせるという楽器を練習し、ガレスはそれを興味深そうに見ながら説明を聞いていた。
「国が管理する戸籍とは違うからな。フェルとレッティで登録されていたところで、その名前を使い続けるならいい。どうせ休眠プレートになるだけだ」
真琴の言葉が聞こえていたらしく、カイトがイオリットとの話を中断して振り返る。
「どうなることかと思っていたが普通の子供みたいだな、レオンは」
「あちこちの里でも可愛がってもらったからだろう。自分を取り巻く大人はみんな優しくて親切だと思ってるから世界を愛せる。まだまだ可愛い女の子には興味ないみたいだけどな」
「ははっ、サテュロスに預けとけば一発だぞ?」
「やめてくれ。ただでさえ宝石を沢山買う為にはどんな仕事が儲かるだろうって考えてるんだからな。女の子に貢いでもらうことを覚えないよう、今から俺はハラハラだ」
「それで男の子同士の友情を邪魔しないのか。子育ては大変だな」
そんなことを話しながら真琴の方へ戻ってきたカイトとイオリットは、空いていたソファにどさっと座った。
カイトは真琴が寝転がっている三人掛けソファの頭側にある一人掛けソファ、イオリットはカイトの横に並んでいる二人掛けソファだ。
「なんとゆーことでしょう。これでは私がレオンに抜かれてしまう。というわけでイオリット、協力して」
「それは幾らでも。だが何を?」
「イオリットが銀髪に染めてくれれば外見的にカイトの特徴を満たせるからさ、カイトがお城で忙しくしててもなりすませると思うんだよね」
運び屋のプレートには外見的な特徴やナンバー等が刻印されている。
金髪に染めている白い髪、紫がかった薄い青の瞳をしているペガサス族のイオリットは、それを聞いて納得した。
「たしかにこの中じゃ、俺しかいませんね。カイトの特徴に似せられるのは」
「うん。要はミザンガでもカイトが使っていなかった運び屋の支店窓口で依頼を受けて、そうしてこなしていけば実績は積めるってことなんだよ」
「だそうだ、カイト。ならそのプレートやら、貸してくれや。心配すんな、ちゃんと仕事はしてやるし、姫様も守る」
焦げ茶色の髪に黄色い瞳をした蠍尾の獅子族のガレスは、エレオノーラの手元を覗きこんでいた姿勢から振り返り、カイトの方へと手を差し出す。
要は投げろという意味だ。
「お前らなぁ。そりゃ外見的特徴と仕事はともかく、俺になりすますのは無理だ」
「へ? なんで?」
きょとんとした真琴の頭をがしがしと撫でると、カイトは幻獣達やエレオノーラにも分かりやすいように噛み砕いて説明した。
「俺はそれなりに長くやっているから、組合の隠語や時に運び屋とは少し異なる依頼も受けたり拒否したりもする。もし受付でそういった話を持ち掛けられてまともな受け答えができなかったら即座に取り調べだ。名義を貸したりして実績を作る奴が出ていい筈がない。マコトやレオンの準組合員プレートは、何か起きた時に俺が連帯責任を負うってことだ。無責任な仕事をする奴を紛れ込ませないよう、『知らなかった』は許されないのさ」
「そっか。だけどカイトも見習いから始めたんだよね? そうなるとカイトの責任を負ってた人はどうなったの?」
「俺は運び屋の誰とでも組んで見習いをするってことで契約したんだ。誰とでも同行して点数をつけられるってのを選んだ」
「あ。じゃあ、私もそれで点数を重ねればいいんだ?」
「やめとけ」
カイトは嫌そうな顔になる。
「誰もが聖人君子じゃない。わざと嫌がらせしたり、低い点数をつけられたくなければ言いなりになれって要求をしたりもする。関係ない使い走りをさせられるのは常識だ。特に女性は何を要求されるか分からん」
「へー。じゃあ、カイトもそーゆー使い走りから始めたの?」
「まあな。だが、そう長くもなかった。いささか普通の運び屋では難しい仕事があったもんで、そっちに組み込んでもらったんだ。そして難しい仕事の時に俺を組み込めば成功率が上がるとなれば指名されるし、評価も高くつけられる。だから見習い期間は長くなかった」
「そっか。じゃあ私も難しい仕事に組み込まれてしまえば一気に見習い脱出」
「だからやめとけって。そういう時は組合の監査員が紛れ込んでいたり、とんでもない仕事だったりする。それでもやり遂げなきゃならない。マコト、お前はたとえばそれが誘拐された子供をどこかに届ける仕事だったとして、それを遂行できるか? 自分の正義感だけで引き受けた仕事を途中放棄するなら、それはもう除名処分だ。だから怪しい仕事は受けないだけの見る目も必要となる」
「引き受けた以上はやらなきゃならないってこと?」
「そうだ。そして届けた後に助け出せばいいという欺瞞は通用しない。守秘の誓約は、それを知ったことで行われる全てを放棄するということだ。後から助け出すことも、誰かに告げて助けに行ってもらうこともしちゃいけないんだ。そしてその誘拐に加わっていたことがばれてお尋ね者になっても、自己責任になる」
「・・・そんな仕事、誰が引き受けるんだろう」
「報酬はいいからな」
「カイトはそれ、どうやってやり過ごしてたの?」
「口封じに誰かを送りこまれても次の仕事で留守にしてたんだ、俺は。運び屋ってのは安い物から高価な物、繊細な貴重品まで様々な仕事がある。どの仕事が得意か不得意かも実績となるし、仕事で引き受けた物を売り払って大儲けしようとする人間を組合は排除してかなきゃならん。最初からそういう目的で送り込まれる奴もいるからな。見極めに時間や回数が必要となるのは当たり前なんだ」
「そっか。だけどそれじゃいつまでたっても私は見習い」
しょんぼりとしてしまった真琴に、カイトは少し背中を丸めてその顔を覗きこんだ。
「そうぼやくな。たまにでも小さな仕事を受ければ見習いは取れるさ。ジンネルに来た時にだけ俺と一緒に仕事するってのは嫌か?」
「ううん、嫌じゃない。だけど小さな仕事だと、どれくらいの見習い期間になるの?」
「さあ? 俺は二ヶ月ってとこか。他の奴はどうなんだろな。今度聞いておこう。安く使い捨てたい時に見習いばかり連れていく奴もいる。だからなかなか見習いを外してもらえなかったりな。俺はお前達を堂々と連れていくことが出来ればいいってだけだ。プレートにそこまでこだわることはない」
「うん」
それでも権力者なディリライト首長が現地の運び屋にレオンの指導をさせて点数を稼がせる手が使えたならば自分も同じようにどうにかならないだろうか。
真琴はそんなことを考える。
(一つしか手段を構築していない時、それを破られたら終わりだってお父さん言ってたっけ。私にしても色々な調達手段はあるけど、それを増やしておいて困ることはないんだよね。そして小さな仕事を積み重ねるより、一点豪華主義な仕事でいった方が有り難味も増す気がする)
カイトにだけは可愛いと思ってもらいたい真琴は知っている。
ちゃんと今日の予定を伝えておけばカイトはうるさくチェックしないことを。
(二ヶ月ってかなり短いよね。同じ都市内での配達ならともかく、違う都市とかに行くなら往復だけでも日数かかるのに。カイト、ほとんど初めから大きな仕事を幾つも任されて審査されたんじゃないかなぁ)
自分が組合側の立場ならどうだろう。
カイトは先のことを考えて早目に動くし、貴族から下級の兵士まで入り込むのに慣れている感じだ。思えばあの出会いの時も、大荷物を馬車で運んでる感じはなかった。
今の真琴だからこそ気づくことがある。
(信用がないと任されないものを運んでたんじゃないかな。考えてみたらドモロールなら狭くて寝床しかないような木賃宿で潜伏できたのに、カイトの定宿って広そうなトコばかりだった)
だから真琴は笑顔でカイトの腰に腕を伸ばして抱きついた。
「私、カイトと一緒ならそれでいい。ずっと見習いでもいいや」
「ああ。ルーシー殿だって不在になればこうしてみんなを寄越してくれる。ひょんなことからお前が見つかってしまう方が心配だ。金があってしつこい奴ってのはとんでもないことを考えつく。俺が目を離した隙に何をされるやらだ」
「そこはイオリット達がいれば安心だと思うけど」
ちょっと見上げるようにして、真琴はカイトの反応を見てみる。
「お前は安全だろうが、被害が大きくなりすぎだ。まさか見初めた町娘を強引に招待しようとして門と塀を大破させられるとは誰も想像しなかっただろう」
「だけどカイト、止めなかったよね?」
「止める前に壊れてたじゃないか。だが、お前に何かあるより余程いい。だからこそ安心してお前をみんなに任せてるんだ。そしてお前は彼らが力を揮わなくていいように危険には近づかない。分かるな?」
「うん」
これでも自分は負けず嫌いなのだ。
優勝を繰り返してきたのは伊達ではない。
ゆえに真琴はいい子で頷いたのである。
― ★ ― ☆ - ★ ―
ミザンガ王国にある運び屋の受付窓口に、新規登録希望者が来たのはとてもよく晴れた日のことだった。
「ガレスさんにクラーンさん、イオリットさんにアルフレッドさん。どなたかの紹介で? 身元保証人はどれくらい用意できますか?」
「いや、実はこちらを使ったことのある人から、是非登録してほしいと言われたんだ。俺達に引き受けてほしい仕事があるそうだが、どうやら組合に所属していないと予算が下りないらしくてな」
「では、こちらへどうぞ」
四人はそれぞれ自信に溢れた物腰とあって、すぐにピンときた受付の青年は奥にある個室へと案内する。
そういうことならと、青年の上司にあたるらしい男性も二人程やってきた。そうして四人が渡した身元保証の書面を見て首を傾げる。
「なんともバラバラな身元保証人ですね」
「問題はないと言えばないですが、何故それで一緒に?」
その言葉に四人の内、ガレスが頷いた。
「そこは取り合いがあったのさ。俺達四人は護衛でこの国にやって来たんだが、そこで仕事は終わった。だが、兵士達を鍛えてやってたのを見られててな。引き抜きか、単発でいいから仕事を引き受けてくれとしつこく頼まれちまった。だが、俺達は傭兵として他国の違う組織に属してる。勝手に護衛の仕事は引き受けらんねえ。分かるだろ?」
「それでうちですか」
「ああ。何かを運ぶついでに腕が立ったとしても問題ないからな」
なるほどと、受付の青年だけではなくその上司も納得する。
要は「この剣を運んでもらいたい」という仕事を運び屋に発注したことにして、その移動を共にすることで護衛をしてもらうわけだ。
「俺達も傭兵としての腕を売り買いさせるんなら組織を通さなきゃならんが、副業が認められんわけじゃない。詭弁っちゃあ詭弁だが、その程度の目こぼしはあるし、競合しないなら組織も目くじら立てねえ。要はその身元保証人とやらが発注を出す人間ってことだ。で、見習いから始めなきゃならねえんだろ? 幾つか当日までにその見習いとやらをしておきたいんだが、どうすりゃいいんだ?」
「そうですね。そういうことならまず簡単な仕事を幾つかしていただきましょう。ですがその最初の仕事とやらが入れられる時もあなた方はまだ見習いとなります。指名での仕事なので見習いと違ってちゃんと規定額が支払われますが、その後も他の仕事を引き受けるならばそれは見習いと同じ基準になります」
「どうせなら見習いって文字は取っ払っときてえ。先に仕事をガシガシ入れてくれていい。俺達も色々な国に行くんでな。国を跨ぐ際に副業をこなせるなら悪くないってもんだ」
「分かりました。では、急ぎの見習い仕事を入れることにしましょう。準組合員プレートを作りますが、それが出来上がるまではカードを渡しておきます。で、今日から見習いの仕事はできますか?」
「ああ、いいぜ」
にやりとガレスが笑えば、他の三人も軽く頷く。
「楽しみですね。誰が最初に見習いを外せるのか」
「言ってろ、アルフレッド。そんなん俺に決まってるだろ」
「困ったものですね、ガレスはあまりにも自信家すぎる」
「イオリットもやる気だろう。俺が一番厳しいってとこか」
真琴はまだ見習いだ。しかし、正規の運び屋について仕事をすることなら出来るのである。指導に当たるカイトが忙しいなら、四人に運び屋になってもらい、その四人に指導してもらったということで見習いを外せばいい。
というわけで、四人にまず見習いになってもらうことにしたのだ。
本来の気配は隠されているものの、神子姫との作業だなんて誰が譲れるだろう。
四人にとってはちょっとした競争だ。
尚、身元保証人はそれぞれエレオノーラに心酔してしまった神官、ホルパイン公爵家に代々仕える使用人、アルマン王子の部下にあたる役人、フェリクスの護衛騎士隊長セレスタンと、まさにバラバラだ。
「言っておきますが、運び屋は様々な階級や職業の方を相手にします。高貴な方への礼儀作法なども全て点数化されて記録されます」
「そりゃおもしれえ」
そういうことならばと、同席していた上司である二人の内、一人が部屋の外まで受付の青年と一緒に出ていき、何か耳打ちした。
「分かりました。ではすぐに集めます」
「ああ。四人、別々にだ」
「はい」
大金が動く仕事がくると分かっている以上、見極めは詳細でなくてはならない。
ザンガ在住の運び屋を選ぶ為、青年はぱらぱらと冊子をめくり始める。
(ふーん。こっちがミザンガで登録されている人達なんだ。カイトはギバティで登録されている筈だから入ってないね)
風の妖精になっている真琴は、青年がどういう選抜で名前を選んでいるかを見ていた。
運び屋のランク付けも細分化されている。
(普通の宅配便みたいな仕事での評価もランク付け、御用聞きみたいな仕事もランク付け、少しガラが悪い人達との取引もランク付け、役人みたいな人達との場合もランク付け、貴族相手や軍人相手もランク付け。これならぴったりな人を見つけ出すのも簡単だよね)
恐らく敬語が使えないとか、態度が下品とかいう人が、貴族や軍人相手にはバツ印なのだろう。それでも女性相手には二重丸だとか、反対に女主人の店にはバツだとか、見ているだけでその運び屋の性格が目に浮かぶ。
(凄い。どの人にコネがあるとかまで備考欄に書かれてる。すぐに登録できるけど、保証人が適当な人ならどうでもいい仕事しか回してない。だから空欄があったりする。道理で誰でもできそうな仕事なのに皆がやるわけじゃないんだ。予算内と予定日数で往復できないのもマイナス査定かぁ)
その中でも全般的に高い評価がつけられている名前を、青年は選んでいった。
そうして呼び出し状の定型用紙に、その住所と名前を書いていく。
「これ、できるだけその場で返事書いてもらってきてよ」
「分かりましたー」
受付の青年が渡した封筒を、雑用係の青年が受け取って出ていった。
(ギバティのをちょっと失敬してもすぐにはばれなさそうだよね)
誰も見ていない内にひょいっと抜き出して外へと持ち出した真琴は、ぱらぱらと屋根の上でカイトの評価を見てみる。
かなり高い評価だった。勿論、普通の荷物を運ぶ仕事も引き受けてはいる。引き受けてはいるようだが・・・。
(ねえ、カイト。脱獄付き人間運送ってどういう意味? マル印と回数がついてるんだけど。でもって生死不問位置不明な首搬送って何? 回数が書かれてるんだけど)
運び屋というのは、宅急便のお兄さんのことではなかったのだろうか。
位置不明な荷物をどうやって運んだというのか。
運び屋で扱っている荷物に、生ものはお断りだったと思うのだが、せめてそういう時は野菜や果物、もしくは水槽に入った魚とか、檻に入った愛玩動物ではないのか。
(うん、忘れよう。聞いたら怒られるどころじゃすまない気がする。本気で怒ったら、カイト、今のような自由を許さない気がする)
真琴は大人しく冊子を元の場所に戻しておいた。
― ☆★ ― ★☆★ - ★☆ ―
マジュネル大陸の白い大亀からは発光する白い花を、ゲヨネルの青い大鳥からはピンクの小さな薔薇を、そしてルート砂漠の黒龍からは大きな緑の葉っぱをもらってきた遥佳は、ガーネットとサフィルスの見立てで可愛い民族衣装を着せられてしまった。
「もう一回、その格好で回ってこないとな。可愛すぎるぞ、ハールカ」
「さっきはお姫様で、今度はコロボックルなの? なんで黒龍さんもこんな葉っぱをくれたのかしら。そりゃとっても大きくて凄いけど」
「そう言いながらハルカはちゃんと持って帰る。だから宝石じゃなくて布で飾られてしまうのだ。ハルカは宝石がなくても可愛らしいが、黄金と宝石で飾ればもっと愛らしい」
大きな葉の太い茎を杖のように握る小さな遥佳を、火焔は面白そうに抱き上げる。そうすると傘のように、葉が二人を覆った。
頭にはジグザグ模様が刺繍された赤い円筒の帽子をかぶり、同じ模様の赤いワンピースを着ている遥佳はどこか山岳地方に暮らす幻獣の正装をさせられたらしい。
けれども帽子やワンピースの胸元に飾られている花が、まるで遥佳を妖精の子供のように見せていた。
「駄目ねえ、ヴィゴラス。こういうのは黄金や宝石を使わず、植物から出来た物だけを身につけているからこそ素朴で愛らしい雰囲気が出るのよぉ? つけていいのは木工細工だけね」
「本当に可愛らしくていらっしゃいますでしょう、カエン様? 岩の多い山で暮らす幻獣の子供達には、こうして目立つ色を着せるんです」
「なるほど。うん、もう一度見せて来るといい。白のや青のにしても、こうして帽子飾りに使われたのを見たら喜ぼう。男というのは単純でな。それだけで嬉しいものなのだ、ハールカ」
「嬉しいというより、シムルグさんには、小さいのが笑えるとか言われて爆笑されたばかりなんだけど」
遥佳の消極的な反論は流され、火焔はヴィゴラスを振り返った。
「可愛らしいが、木靴は痛かろう。地面には下ろすなよ、ヴィゴラス」
「分かったのだ」
「そうなると思いまして、こちらを守り人様方に。たまには海のものもいいのではないかと」
どうせ門を通過すればすぐそこだ。隣のおうちに行くよりも近い。
「差し入れまで用意してくれてたのね、ガーネット。じゃあ、・・・しょうがないから持っていってくる」
ガーネットとサフィルスが差し出した三つのバスケットを持って大急ぎで回って戻ってきたヴィゴラスと遥佳は、ようやくそれから食事となった。
「今日は打楽器を中心とした曲が合いそうだ。さっきのドレスもよかったが、それも喜んでいただろう、ハールカ?」
「なんかね、草木の妖精にでも転職しろってシムルグさんに笑われちゃった。玄武さんと黒龍さんもね、ヴィゴラスもお揃いの服を着ればいいのにって言ってたけど、後ろを向いて笑ってたの。ちょっとひどくない?」
「さすがに時間切れでしたもの。さあ、その葉っぱとお花はこちらに飾りましょうね」
遥佳の頭や服に飾られていた生花は、水が湛えられた美しい鉢にそっと浮かべられる。
「やっと葉っぱを手放せたわ。なんかね、今度お礼に果物とかお肉をあげるって言ってたけど、考えてみたら守り人をしてると食べたい物も食べられないのよね。大きな海老とか貝料理とか嬉しかったみたいよ、ガーネット」
雨傘にもなりそうな葉っぱは、大きな壺を花瓶にして飾られた。
「食べなくても問題ないんだ、気にするな。わざわざハールカがペガサス手作りの差し入れを持って二度も来たってんで機嫌をよくしたんだろうよ。純白の美女達に酌をしてもらい、こんなハールカを俺だけが楽しんだとあっては、後で盛大な文句が出た筈だ。俺としても処世術というものだった」
「そんなこと、思ってもないくせにぃ」
床の上に大きなクッションを置いて座り、低い大きなテーブルにご馳走を並べるスタイルは、ちょっと非日常的な気分になる。
くすくすと笑いながら、胡坐をかいた火焔の膝に座って料理の小皿を取ってもらう遥佳は、火焔の優しさが分かっていた。
「今夜は妖艶すぎるハールカを披露するつもりだったのに、なんだかカエン様にしてやられた気分。あれだけ思わせぶりにしておいて、ちょっとひどくありません? それでもハールカの可愛さに負けちゃった私達が悪いんですけど」
「失礼なことを言わないの、サフィルス」
海の幸が並んだ食卓は、子供でも食べやすいよう、野菜や魚も小さめに切られている。あまり熱いと口の中を火傷してしまうかもしれないと思っているのだろう。
サフィルスは何かと遥佳が食べようとした時、一時的にストップをかけて自分で同じ物を食べて温度を確かめ、
「うーん、ちょっとフーフーした方がいいわぁ」などと、過保護だ。
「そうですわね。ちょっとこれは唐辛子の粒が少ないものを食べた方がいいですわ。全くついていないと味気ないと思いますけど、子供でも大丈夫だと思いますのよ」
「あのね、私、中身は大人なんだけど」
揚げた魚の味に満足したガーネットが、そこで火焔のグラスに酒を注ぐ。
瞳を和ませた火焔は、味わうように一口飲んだ。
「そうだな。悩殺してくるハールカはこれからも見るチャンスがあろうが、今回は特別だ。二度とないかもしれん」
「悩殺なんて、そんなのしませんっ」
「別にしてくれていいんだがな。ほら、これも美味いぞ」
口元に差し出された貝が大きすぎて、何口かに分けて食べた遥佳は、少しだけ顔を反らして火焔を見上げる。
「もしかして本当はしちゃいけないことをしたとかなの? 大丈夫なの?」
「しちゃいけないことはしないさ。その上でチャンスを見逃す程、守り人は大人しくないということだ。誰も気にしてなかっただろう? 朱のや碧のも気にせんよ」
「あの人達は何がどうなっても何も気にしない気がするわ」
「違いない」
遥佳の唇を火焔の親指が軽く触れて、少しついていた汁を拭った。
(火焔さん、格好いいもの。普通ならセクシーってこっちが悩殺されちゃいそう)
自分の指を舐める仕草にドキドキするよりも、火焔には当たり前でいつものことだという何気なさ感があまりにも強い。
「たまにしか会いに来ないのに、ハルカはこちらの守り人様には素直だ。守り人様とはハルカ達の兄か、女神様の兄弟だったりするのか?」
「ハールカのグリフォン、守り人のことについて質問はならぬ」
「ならば取り消す。失礼をいたしました、守り人様」
「それでいい。お前もせっかく小さくなったんだ。可愛いとハールカが悶えてくれている内に甘えとけ。明日には消える夢だ」
「そうする。こちらの守り人様は最高だ」
小さくなった遥佳は、ヴィゴラスにとって理想的だった。
小さな波にも怯えて抱きついてくるし、大人にとっては何でもない段差でもヴィゴラスの手を自分から握ってくる。
何よりも面白がってからかってくる青い大鳥から逃げようと、自分を目指してぱたぱたと駆けてくる様子にぐっとくるものがあった。
「そういう下心満載なのはどうかと思うの、ヴィゴラス」
「下心のない男はいない。ハルカは本当に可愛い」
「そうだな。下心のある男をいいように操ればいい。もっと狡くなれ、ハールカ。こんなに可愛いんだ。遠慮なく世界中の財宝を集めさせて大陸でも世界でも好きに君臨すればいいのさ」
「今ある財宝だけで十分すぎるもんっ」
からからと笑う火焔にむくれてみせれば、ご機嫌取りのように頬にキスされて、頭を撫でられる。
小さなサイズが面白いのか、さっきから火焔は遥佳の手首や手を指だけで持ち上げたり撫でたりして楽しんでいた。
「マジュネル大陸のお子様保護主義ってあまりにもおかしいって思ってたけど、なんかハールカ見てたら分かった気がしてしまう自分が怖い。小さくて無力だから何でもしてあげたくなるのよ。どうしよう、たまに子供返りしてくるこのハールカならヴィゴラス出し抜いてでもって思っちゃうわぁ」
「明日には消える夢だそうよ、サフィルス」
自覚はないようだが、小さな遥佳は何かと甘えて抱きついてくる。
普段は出来ることがこの小さな手では出来ないと、しょんぼりとした顔は、そのまま抱きしめるしかない愛くるしさだ。
たまに意識が子供の頃に返るのか、ガーネットやサフィルスをお姉ちゃん呼びしてきたりもした。
無意識のようだが、遥佳は子供のようにあどけない顔をちらほら見せていたのである。
「そうじゃなかったら小さい内にヴィゴラス排除してたかも。良かったわねぇ、ヴィゴラス。あなた、本当に出会うタイミングに恵まれてたのよ。大人になってからでも子供すぎる時でも駄目だったんだわぁ。本当に出会いって不思議よねぇ」
「そうかもしれない。小さかったハルカを知らずに生きてきたのは寂しいと思っていた。だけどハルカを守り人様達の所に連れていって思ったのだ。こんな幼い頃なら俺は近づくことも許されずに苦しんだだけだと。そしてハルカが小さい頃に俺を危険分子として認識されたなら、大きくなったハルカからは慎重に遠ざけられただろう」
この聖地に戻ってから火焔にべったりな遥佳を寂しく思いながらも止めなかったヴィゴラスは、それを強く感じていた。
「正解だ、ヴィゴラス。さて、さっきから目がとろんとしてるぞ、ハールカ。もう寝るか?」
「・・・トラと寝る」
「じゃあ虎の姿で寝よう。寂しいなら拗ねた目をせずお前も来ればいいだろう、ヴィゴラス。俺がお前を排除したことがあったか?」
「ハルカはそれだけでいいのか? 具合が悪いのか?」
少年の姿でも食欲旺盛なヴィゴラスは、心配そうに遥佳が食べ終えた皿を見る。
「子供は大人より食べる量が少ないものなのよぉ、ヴィゴラス」
「でしたらカエン様。ハールカの入浴をお手伝いいたしますから」
ガーネットが先に行こうとすれば、火焔は片手を軽く振った。
「今夜はいい。俺が虎の姿でも泳げる浴室があるのさ。ハールカ達はそこで俺と遊ぶのが好きだったんだ。お子様はもう連れていくが、後はそこの坊やを煮るなり焼くなりしてくれ」
「かしこまりました、守り人様」
「どんなに煮ても焼いてもこんなグリフォン、ハールカじゃ食あたりを起こしそうよね。ねえ、ヴィゴラス。今からでもレオンと一緒に育て直された方がいいんじゃない?」
「チビと違って俺に不足など無い」
「自己認識能力不足が、今、露呈されちゃったわよ?」
立ち上がった火焔の腕の中、目の前にある首に手を伸ばせば、いつものように遥佳は安心する。
(何も怖くない。大きなふさふさの赤い毛。私のトラはここにいる)
満腹になって眠くなった遥佳は、火焔の髪を小さな手でぎゅっと掴んだ。
― ★ ― ☆ - ★ ―
どんな大浴場だと言いたくなるような広い浴槽でお風呂を楽しんだ小さな遥佳は、寝間着を着ることもなく、赤い大虎の背中に乗って、子供グリフォンと共に寝室まで運ばれていた。
「寝間着を持ってこなきゃいけなかったのね、私」
「キュイ」
「寝ている内に大人になったら布がはちきれるだけだぞ。それとも今すぐ大人に戻した方がいいか?」
「子供のままでいい」
大きな虎の背中に跨ろうにも、5才位の遥佳では大の字になって腹ばいで寝そべるしかない。無性の子供だからいいのだろうが、大人の姿でこれをやったら破廉恥そのものだ。
小さな手でふさふさしている毛を握っている遥佳の足元で、子供グリフォンなヴィゴラスが危なげなく控えている。遥佳だけじゃなくヴィゴラスまで乗せてくれる火焔は心の広い守り人だった。
「思うんだけど、ヴィゴラスが人になって私を支えてくれればいいんじゃないかしら。私のお尻に頬ずりしないで、ヴィゴラス」
「俺の上で、裸の少年が裸の幼女をうっとりとした顔で抱きしめてるってのもなぁ。幼女の尻に頬ずりするグリフォンよりはマシなのか? 俺の島ならいいが外ではやるなよ、ヴィゴラス」
「愛らしい足に頬ずりしたくてもハルカのお尻の方が高い位置にあったのだ。だけどハルカのお尻もぷりぷりしていて最高だった。大丈夫だ、ハルカ。俺がハルカを落とすことなんてない」
少年の姿に戻ったヴィゴラスが、遥佳の上半身を引き起こした。
「だから変なこと言わないしやらないのっ。ヴィゴラスの馬鹿っ」
「そもそも足に頬ずりしようとするなって話だ。どっちにしても普通に座ってられんのかってことだが」
「ご、ごめんなさい。ほらっ、ヴィゴラスも大人しく座ってるのっ」
「別に俺に乗って飛んでいけばいいだけだ。小さな俺に見惚れていたくせに、ハルカは毛が俺よりもふさふさしているというだけで守り人様に夢中だ。ひどいぞ」
ぎゅっと抱きしめた遥佳の肩や腕にキスするヴィゴラスにとっては、そこが不満だったらしい。
流れるような身の動きで寝室まで辿り着いた火焔の背中から、ふわりと遥佳を抱いたまま寝台へと飛び移る。
「毛の長さが違うんだからしょうがないだろう。全くしょうがない子供達だ。寝てる間に踏みつぶしたりしないから安心しておやすみ、ハールカ」
「そんなのは心配してないけど、・・・気持ちいい」
服を着ていないせいだろうか。寝台に寝そべる赤い大虎の毛皮が気持ち良すぎて、すりすりと全身でその肌触りを堪能してしまう小さな遥佳がいた。
火焔の寝室はとても落ち着く。
(ここ、三秒で眠れちゃう)
虎の大きくて太い前脚の間に入りこめば、そこは遥佳にとって一番安全な世界だ。
忘れていた幸せを遥佳は思い出す。
(やっぱりトラがいい)
そこでハッとしたようにヴィゴラスが身動ぎした。
「第7神殿で暮らしていた時も、ハルカは俺の毛皮を撫でている内に眠ってしまっていた。あの頃は俺の前脚の間に包まれることにも抵抗がなかったのだ。まさか、その根底にあったのは・・・」
「つまらんことに気づくな、ヴィゴラス。安心しろ。ハールカは羽毛の手触りも大好きだ」
「んー、まことはトリさんのとこぉ」
ふさふさした毛を左手でぎゅっと握る遥佳は、寝心地のいい角度を探してその会話を聞いていない。
小さく愚図るような声をあげて、お気に入りの毛布が自分以外にかまけていることをおかんむりだ。
遥佳は意識していなかったが、子供の姿に変えられてから、たまに幼かった頃の言動がちらほらしていた。
「いつもは俺と手を繋いで寝るのに。何故なのだ、ハルカ。俺では駄目なのか。そんなにも俺の毛皮は負けているのか」
ヴィゴラスが多大なショックを受ける。
いつもなら気づいてもらえる悲しい気持ちも、子供になって能力がほとんど失われている遥佳には届いていなかった。
「昔に心が戻ってるんだろう。明日には元のハールカになるさ」
「んむー、ゆーりぃ」
「よしよし、大丈夫だ。みんなも俺もここにいる」
ショックを受けるヴィゴラスだが、遥佳は大きな赤い虎の前脚の間で目を閉じかけている。
「トラぁ。おやすみ、するのー」
「おやすみ、愛してるよ」
大きな虎だけに舌もビッグサイズだ。遥佳の胸から首、そして頬や髪まで一度にぺろりと舐められると、それで安心したかのように遥佳は寝てしまった。
「俺は、・・・身代わり、だったのか?」
やはり虎は獅子にとって永遠のライバルなのかもしれないと気づいてしまった少年を置き去りにして。
― ☆★ ― ★☆★ - ★☆ ―
朝の清らかな光が室内に満ちている。
ディリライトにある聖地は、朝日も柔らかく入り込むように考えられていて、眩しいといったことはないが、暗くもない。
爽やかな風と光が、室内に目覚めを促すのだ。
「なのに何故、私はこんなあまりにもふしだらな状況で目を覚ましているの・・・?」
幅と厚みも素晴らしい胸筋を持つ火焔にぴたっとくっついた状態で目覚めた遥佳は、背後からの怨念が自分を覚醒に導いたのだと知った。
どちらも寝間着は着ているが、大人の女性としてはアウトな構図だ。
「そうか? 俺もハールカも健全なものだと思うんだがな」
「ハルカは薄情だ。俺じゃなく守り人様ばかりだった」
いつの間にかピンクの寝間着を着ている遥佳の肩に回されていた火焔の腕は力強かった。
「えっと、・・・えっと、おはようございます」
火焔に触れていた腕を引っ込めて泣きそうな顔になった遥佳に、火焔もまた遥佳に回していた腕を回収する。
遥佳の頭に軽くぽんぽんと触れてから、落ち着くようにと仕草で促した。
「おはよう、ハールカ。朝まで虎の姿でいてやりたかったのは山々だったんだが、寝間着を取りに行くのさえ嫌がる奴がお前を抱きしめて眠ろうとしてしつこかったのさ」
「え?」
「いや、さすがに全裸の男に抱きつかれて眠るのはあまりにも不憫でな。しょうがないから俺も人の姿になってハールカを取り戻したついでに、二人の監視兼添い寝をしてたわけだ」
そんな遥佳を背後から抱きしめていたのは、寝間着など着ていないヴィゴラスである。
「ちょ・・・っ、ヴィゴラスッ。起きたならせめて何か着なさいっ」
「いつもと同じだ。グリフォンの時は何も着てない」
拗ねたような響きの声で主張するヴィゴラスに、ふうーっと、火焔が溜め息をついた。
「穏やかに見守ってやるべきか悩んだが、さすがに全裸男と抱き合って眠るのは変質者みたいで嫌だろう? しょうがないから俺が役得で抱き寄せて寝ていたわけだ」
「ヴィゴラスッ、パジャマぐらい着てちょうだいって言ってるでしょおっ」
「大丈夫だ。眠っている時は目を閉じているから見えない」
「そういう問題じゃありませんっ」
普段は両者の言い分を聞いてから判断する公平さを持つ遥佳だが、ヴィゴラスの意見を聞く必要はないとばかりに小さく叫んだ。
(どうしてヴィゴラスってばこーゆー時に分かってくれないのよっ。今っ、後ろだけは振り向けないっ)
どこからか取り出した白いシーツを、火焔は遥佳の肩の上から掛ける。
遥佳はネグリジェタイプの寝間着を着てはいるが、目のやり場に困っていたので有り難い配慮だ。
「もう起きたんだから放してやれ、ヴィゴラス。あまりごねると、お仕置きで俺がハールカを独占するぞ」
びくっとヴィゴラスの手が止まる。
「ハールカ、30数えながら目を閉じておいで。その間に俺達は着替えて先に行っていよう。ゆっくり着替えてから来ればいい。ヴィゴラス、着替えてから西の庭で青いリボンをつけたメロンを幾つか取ってこい。ハールカはメロンのジュースも大好きだ」
「青いリボンだな」
「ああ。今日、食べ頃なのは青いリボンだ」
「ありがとう、火焔さん」
目を閉じた状態で礼を言えば、小さく笑う気配があった。
同じ寝台を共有していた二人が離れていく。
「折角だ。今日はお前もハールカや子供達と海で遊んでくればいい」
「子供のお守りは疲れる」
「昨日のハールカはどうなる」
「ハルカは子供なんかじゃない。永遠の宝物なのだ」
そんな会話をしながら、火焔はヴィゴラスと手早く着替えて出ていったようだ。
取り残された寝台の上で、遥佳はそっと唇に指を当てた。
(とても安心して眠れたけど、・・・なんであんな夢を)
ある筈がない出来事だ。
(どうして私があんな夢を見るの。火焔さんは別に私の恋人でもなんでもないのに)
青い大鳥と違って、火焔はとても紳士だ。
一緒に眠っていても、そして額や頬にキスしてきても、それは父親のような愛情である。
(私達が異性を意識しないよう徹底してるのよね、火焔さんってば)
昨日の小さかった手足が嘘のように大人の姿に戻った自分は、彼にとってまだ可愛い子供のままだろうか。
(あり得ないわ。火焔さんとまるで・・・。火焔さんの夢に影響された? そんな筈ない。火焔さん、眠らないもの)
遥佳は、ぎゅっとシーツを握りしめた。