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252 ヴァイオレットは宿屋にやってきた


 カイトが教えられた屋敷に向かえば、ドアノッカーを叩く前に門扉を開けてくれたのは黄色いワンピースに白いエプロンをつけた遥佳だった。

 波打つ金髪を三つ編みで一つにまとめ、ピンクのリボンをつけている。


「おはようございます、カイトさん」

「うわ、びっくりしましたよ。おはようございます、ハルカちゃん。うちと同じ宿に泊まった方が世話もしてもらえてよくないかと言いにも来たんですけどね。かなり大きい家だ」

「優理の知り合いの、レイスさんからの借り物です。どうぞ入ってください」


 そこでカイトは、持ってきたバスケットを差し出した。


「宿屋で作ってもらったんで、良かったら。ヴィゴラスの分も作るんじゃ大変でしょう」

「慣れてるから大丈夫です。だけど有り難うございます。中身は何かしら」


 遥佳が受け取ると、カイトはその門扉をきっちりと閉めて鍵を掛け、(ゆる)みがないかをたしかめる。


「えーっと色々混ぜ込んだ惣菜ケーキみたいなものだったかな。二つはあっさりした感じで白身魚や野菜が入ってるそうですよ。あとの二つは挽き肉キャベツとゆで卵。最後の二つは鶏肉と野菜だったかな。それから適当な焼き菓子と食事用のパン」

「あら、本当。沢山入ってる。どれも美味しそうです」


 遥佳に背を向け、カイトは持ってきた簡単な道具でカンカンと釘の補強をしつつ、料理人の言葉を思い出してそう答えた。


(やっぱりカイトさんってこういう所がまめなのよね。お父さんもそうだったけど)


 バスケットの布を持ち上げた遥佳は、六つのパウンドケーキの形をしたものと、色々な焼き菓子や丸いパンが入っているのを見て微笑む。


「裏口は外から点検したら少し蝶番(ちょうつがい)がぐらついてたんで、後で直しときますよ」

「ふふ。カイトさんってば本当に面倒見がいいですよね。だけど有り難うございます。助かります。ヴィゴラスってば壊すの専門なんです」

「そりゃ仕方ない」


 カイトが遥佳に、他にも気になる修繕箇所がないかと尋ねれば、遥佳もすぐには思いつかなかった。

 部屋数が多すぎて、使っている所が少ないのだ。


「レイスならリンレイで会いましたよ」

「私はギバティールで会いました。ここは玄関から入るより庭から出入りする方が早いんです。ガラス入りの扉を開け放してありますから。だからこっちへどうぞ」


 二人で仲良く庭に向かえば、そこには尻尾(しっぽ)で枯草などの掃き掃除をしているグリフォンが室内を見守っていた。


(雑草と一緒に普通の芝生まで根こそぎ掃いてないか? まあ、あいつに細かいことを言っても始まらないか)


 カイトと同じことを遥佳も思ったらしい。


――― 大事なのはやる気、そう、やる気。ええ、結果が全てじゃないのよ。


 自分に言い聞かせるような言葉を呟き、少し目線を泳がせていた。


「ヴィゴラス、おはよう」

「キュイ」


 そのグリフォンが見ている屋内の奥に、モップを手にした真琴がいる。

 

「マコト、おはよう。掃除してるのか、偉いな」

「あ。カイトぉ、助けて。お掃除、シルフに頼んじゃ駄目って遥佳言うんだよ。あれ? なんで遥佳がカイトといるの? 三階に行ってたんじゃなかったの?」


 金髪を三つ編みにして水色のリボンをつけた真琴はごしごしと床を磨いていたが、カイトの声に気づいて振り返った。


「歩いてくるカイトさんが見えたのよ。ここの門の鐘、鳴らしたお客の耳にダメージ与えちゃうぐらいにうるさいの。だから先に開けに行ったのよ」

「そーなの? 今度叩いてみよう」

「叩くなら私がいない時にしてちょうだい」


 黄色いワンピース姿の遥佳と違い、真琴は生成りのシャツとズボン姿だ。顔がそっくりでもやはり表情に個性の違いが際立つ。


「あの、ハルカちゃん。マコトがつけているのはエプロンに見えるんですが」

「ええ。いい年をして家事の一つも出来ないなんて恥ずかしいでしょう? 真琴もやる気になってるみたいで良かったです」

「へえ。まさかマコトがエプロンつけてまで家事をするのを見る日が来るとは思いませんでしたよ。この後は雨かな」


 掃除や洗濯を手伝うことはあっても、自分から家事をやるといった思考が真琴にはない。

 さすがのカイトもまじまじと見ずにはいられなかった。


「はは、頑張れ。たまにはそういう格好も似合うぞ、マコト」

「笑い事じゃないよ、カイトッ。助けてよっ。遥佳ったら私を召し使いと思ってんだよっ、ひどくないっ!?」

「召し使いって、お前なぁ」


 面白い出来事としか思えなかったカイトだが、真琴はそんな恋人の概念を叩き直そうとばかりに叱りつけてくる。

 だが助けろと言われても、真琴は別に拘束もされていないし、元気いっぱいだった。


「駄目ですからね、真琴。・・・カイトさんも甘やかさないでくださいね。家事もしないで暇だから変なことをやらかすんですもの。花嫁修業させておきますから」

「あの、えっと、花嫁修業って・・・」


 何と言えばいいのだろう。

 カイトも口ごもる。


「こんなのじゃお嫁に出せませんもの。カイトさんだって、いつまでも真琴の子守りが続くなんて思わなかったでしょう? 本当に恥ずかしい妹ですみません」

「そんなことないもんっ。それに私、十分に大人だもんっ」


 カイトが返事をする前に真琴が反論してきたものだから、遥佳は溜め息をついた。


「大人ならレオンの面倒をみることができて当たり前でしょ。あなた、レオンと一緒に面倒みてもらってるじゃないの。知らないわよ、そのうち見捨てられても」

「うっ」


 モップを持った真琴が、縋るような眼差しでカイトをじっと見つめてくる。


「いや、見捨てないから。だからそういう顔するなよ、マコト」

「ちゃんと夜には宿屋に送り届けますし、予定がある日には仰ってください。宿に泊まるとヴィゴラスじゃ目立ってしまうので、ここで暮らす方が便利なんです。それに真琴に家事を仕込むにしても、宿屋では無理ですもの」

「人の姿になればいいのでは。それにマコトの家事に期待するぐらいなら自分が動いた方が早いですよ」


 グリフォン姿でいる方が楽らしいが、ドラゴンやペガサスだっていつも人の姿でいるのだ。ならば大した問題でもあるまい。

 何より真琴に手伝ってもらうのは一生懸命な様子が可愛いが、時間のやりくりを考えれば自分でやった方が早いと思っているカイトはそれを指摘した。

 すると、遥佳がにっこりと微笑む。


「カイトさん」

「あ、はい」


 遥佳の勢いに、ついカイトも顔を引き攣らせた。

 何故だろう。城にやってきた時もそうだったが、そこはかとない怒りの波動を遥佳から感じる。


「時間を与えると真琴は本当に悪戯(いたずら)しかしません。それならちゃんと生活に必要なことはさせるべきです。人間、掃除に洗濯、買い出しに調理と後片付けをやっていれば、そこまで変なことを考えて実行する余裕なんてない筈なんです」

「・・・えーっと、それはそうですが」

「それにですね」


 笑顔のままだが、目は笑っていない。

 同じ顔をしていても、真琴はこういう表情はしないなと、カイトはそんなことを思った。


「カイトさんが真琴に優しくしてくださるのはとても有り難いんですけど、このままじゃ真琴、何もできないタダのぐーたらロクデナシ人間になっちゃいます」

「えーっと、ですが今回はただの観光で・・・」


 だから遊ぶのは仕方がないのではないかと、カイトは庇おうとする。


「もし真琴が普通の女の子だったら、カイトさんだって家事とか仕込みましたよね? ただの女の子ならルーシー達がついていることもなかったんですから」

「いや、そんなことは・・・。マコトは十分よくやってくれてますよ」


 思ってもいないことをカイトは言った。

 そんな言い逃れは遥佳にとってお見通しだったらしい。


「そんなことありません。実際、真琴の素性を知るまでは、カイトさんだって真琴をちゃんと一人前の大人にする気でしたよね? 本来、カイトさんは男女問わず生き抜けるだけのものを身につけておいて当たり前って考え方じゃないんですか?」

「それはそうですが・・・。いや、ですが実際にマコトはマコトなわけで・・・」


 もしもを言い出しても仕方のないことはあると、カイトは言おうとした。

 自分でも真琴を甘やかしてしまっている自覚はある。自分が助けた手負いの少年が綺麗な女性へと変化した今、カイトにとって真琴はまさに自分だけの宝物だったからだ。


「それに、私のフリをすることに抵抗がなくなるのも困ります。何もお仕置きがなかったらいつまでも繰り返すでしょう? 少なくともそういうことをする度にお仕置きされるって理解しないとやらなくならないんです」


 まるでいたずら小僧に対する躾け方だと、遥佳も言いながら思う。

 カイトもなんだか小さな腕白坊やの話をしてる気分だ。


「マコトに悪気はなかったんです。ただ、ハルカちゃんを思えばこそで・・・」


 遥佳の気持ちは痛い程に分かる。だが、可愛い恋人がセピア色の瞳を潤ませて自分を見つめているのだ。

 カイトはどうにか取りなそうとした。


「それなら、真琴の名前ですればよかったんです。さすがに真琴が周囲に私だと思いこませてしたことを、私自身がやったと思われてそう対応されても、私だって困ります。私じゃ真琴みたいなこと出来ないんですから」

「・・・すみません。止められなかった俺の責任です」

「カイトさんがどれもその場にいなかったことは分かってます。私、カイトさんを責める気は全くありません」

「いや、それはやっぱり俺が・・・」

「いいえ。いつだって真琴ってばカイトさんの目を盗んでやらかしていますよね? 元々、真琴ってば自分がやりたい時に我慢したことありませんよね?」

「そ、それは・・・」


 カイトの脳裏を、どんなに危険だからと叱りつけて置いていっても、いつの間にか背負い袋の中にいた小猫の姿が蘇る。


(我慢・・・。マコトが我慢したことってあったか?)


 言われてみれば常に真琴はやらかしたことを事後申告するばかりだったと、カイトも考えこんでしまった。


「ちょっとっ。ひどいよ、遥佳っ。なんでそうカイトに私への不信感を植え付けようとするのっ。自分がヴィゴラスに纏わりつかれて恋人なんか一生作れないからって私に八つ当たりすることないでしょっ」


 まずい、このままではカイトからの信用を失いそうだと気づいた真琴が、びゅんっと庭に出てきてカイトの腕にしがみつく。


「キィッキキキキッ、クェッケッ、クルックェ

(ハルカは俺だけいればいいのだ、ひどいぞマコト)」

「自分がストーカー幻獣から逃げられないからって、私の幸せを壊さないでよっ」

「キュキュキュッ、クェッ、キゥキェッ、キィケッ!?

(そこでどうして俺の幸せを壊していくのだっ!?)」


 ヴィゴラスの抗議は、真琴に完全無視されていた。


「八つ当たりなんてしてないわよ、真琴。全部、本当のことじゃない。何でもかんでも周囲に口止めして済ませてちゃ駄目でしょ。あなたにはその甘えきった思考を矯正する人が必要なの。カイトさんはどうしても年上だからあなたには甘くなっちゃうのよ。だけどね、大人になったら大人としての責任ある行動をするべきなの。そうでしょ?」

「まだ子供だもん」


 ぷぅっと頬を膨らませて言い返す様はたしかにお子様で、カイトもそのクルクルした金の髪をよしよしと撫でてしまう。


「そう。じゃあ子供の責任は保護者に取ってもらわないとね。事と次第を納得してもらえるよう、全部報告することになるけど」

「もう大人です。自分の責任は自分で取ります」


 即座に真琴は前言を翻した。


「さ、手が止まってるわ。ちゃんとお掃除の続きをしてちょうだい、真琴。あまり聞きわけが悪いと、あなたのしたことについてカイトさんと話し合いの場を持つわよ」

「ううっ。・・・遥佳の意地悪」


 しゅんとなって、真琴がとぼとぼと屋内に戻ろうとする。

 頑張れと、カイトは去っていくその頭を軽くぽんぽんと撫でた。


「ヴィゴラス。艶が出るまで磨くよう、ちゃんと見張っててね」

「キュウ (分かってるのだ)」

「ヴィゴラスの馬鹿ぁ、裏切り者ぉ。なんで私より遥佳の言うこと聞いちゃうのさぁ」

「キュイキュー、クルッキュ

(仕方ない、俺はハルカが全てだ)」


 やっぱり遥佳の方がしっかりしていると、カイトは思う。


「カイトさん。私達はその気になれば色々なことを皆にしてもらえる立場です。だからこそ自制心を自分達で養わなければなりません。夕食前には宿へ送り届けますけど、特に予定がない日はこちらに寄越してください。ヴィゴラスに送り迎えさせますから」

「それは立派なことなんですが・・・」

「たしか船上ティーパーティに行く予定がありましたよね? 勿論、その日は来させなくていいです。それからフェリクス王子に関係する用事がある時も」

「そういうことなら」

 

 カイトは、せっせと床を磨きながらも、縋るようにちらっちらっと自分の方を見ている真琴へ視線を移した。


「しょうがない。これだけ広い家なんだ。ヴィゴラスとハルカちゃんだけじゃ大変だろう。それに予定がある日には配慮してくれるんだし、泊まり込みというわけじゃない。ハルカちゃんだってマコトのことを思えばこそ、心を鬼にしてあえて厳しくしてくれるんだ。それはとても有り難いことなんだぞ、マコト」

「そうかもしれないけど、ここで見捨てるだなんてひどいよ、カイト」


 分かってはいたけれど、やはり遥佳からは逃げられないらしいと、真琴はカイトを恨めし気に睨む。


「見捨てないって。俺も手伝うから」

「それじゃ何にもなりません、カイトさん。カイトさんは子供達もいるでしょう? 真琴のことはこっちに任せてください。大体、悪いことをしたら罰が待ってると思えばこそやらなくなるんです。カイトさんが手伝ってしまうならいつまで経っても反省しないじゃないですか」

「うっ、・・・なら、あとでルーシー殿もこちらに来させますよ。ハルカちゃんだけでヴィゴラスとマコトを見ておくのは大変だ」


 カイトも、遥佳には強く出られなかった。


「ルーシーは来させなくてもいいです。今、ルーシー達が子供達をみてるんでしょう? ルーシーが来たら真琴の仕事を全部やるだけですもの。そうなると違うお仕置きを考えなくちゃいけなくなっちゃいます」

「違うお仕置きって・・・」


 すると真琴が、ぎゃんぎゃんと噛みつく。


「何それ遥佳っ。愛が見えないよっ、それが可愛い私へ考えることっ!?」

「私に愛を求めるなら、まずはあなたが私への愛を見せてちょうだい、真琴。反省してちゃんと家事するって約束をもう忘れてるあなたにどんな愛があるの?」

「すみません、今すぐやります」

「言っておくけど、無理に予定を入れてサボったらすぐ分かるのよ。その時は本気で怒りますからね」

「遥佳の意地悪ぅっ」


 そうして真琴は再びモップを持って、ごしごしと床を磨き始めた。


(あのマコトがここまで大人しく言いなりになるとは。まあ、家事を手伝うぐらい大したことじゃないしな)


 こうなるとお手上げである。

 姉妹のことだ、自分が口を出すことでもないかと、空を見上げたカイトは裏口の戸を補修しに行くことにした。






 ギバティールにある大神殿では、屋外にある会議場に大勢の神官が集まって清掃に励んでいた。水を運ぶ神官や汚れたモップを洗いに行く神官など、行き来が忙しい。

 バルコニーからその様子にちらりと目を遣ったイスマルクは、どうしたものかと思い、溜め息をそっと隠して視線を空へと逃がした。

 そこへノックの音がして、イスマルクが何も返事しない内に扉が開けられる。


「アルドさん」


 入ってきたレイスは、後ろ手に扉を閉めた。


「いやに手回しが早い」

「鳥の獣人を使ったらしい。ユーリさんの為に新しい部屋を用意中だ。リシャールさん情報によると、側近神官までもう見繕い始めているそうだ。その相性を的確に押さえておきたいと、リシャールさんまで立ち会わされている状態だ」


 イスマルクの言葉に、レイスは苦々し気な表情を浮かべる。


「もっと揉めるかと思ったが」

「俺達よりは取り込みやすいと思ったのかもな。顔が良かったり、よく気のつく性格だったり、口のうまかったりするのを重点に集めたらしい。リシャールさんが閉口していた」

「あいつを取り込みたければ、タダ飯と小銭と金儲けの環境を与えてやればいいだけなんだがな」

「・・・そうなのか」


 あまり優理と接点のなかったイスマルクは、なんと言えばいいのかも分からずにそう言うに留めた。

 遥佳と真琴は、住む場所と生活していけるお金があればそれでいいという感じだったからである。何でもかんでも人に甘えてすませている真琴とて、ちゃんとお手伝いはしていた。


「そうなんだ」


 若き第1等神官二人は、視線だけで「どうする?」と、尋ねあい、かなり近づいた。


「ユーリの弱点はあの二人だ。あの二人さえ安全なら金儲けで世界の頂点に立つことしか考えん」

「それはどちらも大丈夫だろう。問題はここだ。神官は色仕掛けなんて屁とも思わない。この場合は夜這いをかけられかねないことだ。寝室を取り替えるか、もしくは続き部屋の奥で寝てもらうか、その辺りを考えておかないと。まさか獣人を使うとは思わなかった。もう少し後だと思ってたんだ」


 広い部屋の中央で二人は頬を寄せ合いながら下を向き、ほとんど吐息だけの会話を囁き合った。

 こうすれば仮にどこかに人がいたとしても、唇の動きを見られる筈もなく会話内容など分からない。


「しばらくは俺が盾になるが、ある程度で退官する。ユーリさえ確保したなら、あっさり認められる筈だ」

「ユーリ様をここに一人で置いていく気か。それこそ無責任すぎるだろう」

「そうでないと、あいつの逃げ場所がなくなる」

「え?」

 

 レイスは、更に声を殺してイスマルクに囁いた。


「いずれ大人になっては言い訳もきかん。大神殿で保護されておくのは子供の間だけだ」

「そんなのすぐだろう」


 真琴に続いて遥佳も姿を変えて美しく成長したのである。

 イスマルクはそう指摘した。


「ユーリはまだ大人にならない。ランドット達(あいつら)を譲れば、ジジイへの忠誠心でユーリを守るだろう。何か気づかれる頃にはもう誰にも話せんさ」

「なんだか同情したくなるのは何故なんだろう」

「ならお宅も動いてくれりゃいい」

「いや、俺はユーリ様、よく知らないんだって」


 かつて第1等神官の使い走りとして生きていた時は警戒対象だったウルシークとその側近神官達だが、最近では惻隠(そくいん)の情をイスマルクは彼らに強く覚えてしまう。

 レイスはエレオノーラとリシャール以外の人間に対して、かなり人使いが荒かった。


「問題は白柱登攀の体力か」

「どうするんだ?」


 今や次々と話題を巻き起こすレイスを憧れの目で見ている神官も多いというのに、彼は全く興味がない様子だ。

 今も優理のことだけ考えているのだろう。


(いや、神官達のことなんて鬱陶しいとか思ってそうだな。まあ、鬱陶しそうだけど)


 そんなことをイスマルクは思う。

 同じ若き第1等神官でも、元々が一人ぼっち神官だったイスマルクは、先だって遥佳とエレオノーラという美女二人が大神殿にやってきたことで、以前の顔見知りからもこっそりと声を掛けられるようになっていた。

 そして知ったのは、どうやら同情と羨望、憐れみと妬みといった複雑な感情をイスマルクは抱かれているらしい。


(俺はまあ、・・・覚悟の上だ。俺だって他の神官(ヤツ)があんな可愛い神子姫様お二人と逃避行してりゃ羨ましいと思っただろうし)


 そしてレイスは、あまりにも異質すぎるのだろう。不可解な立ち位置にいるレイスにこそと、変な意気込みを抱いている者もいるようだ。

 人の感情は本当にころころと変わりゆくものである。


「くだんらんことでユーリの体力を削ることもない。ウンディーネとして堂々とイカサマすりゃいいさ」


 イカサマで白柱登攀を乗り越えたレイスはそう言いきった。






 ヴィゴラスと遥佳が滞在している邸宅は、二、三人で暮らすには大きすぎる。

 あちこちを点検しつつ、足りなくなった釘や金具、それから遥佳に書いてもらった食品リストを持ってそれらを買いに行き、戻ってきては再び補修していたカイトだが、グリフォンの背中に乗せてもらいながら外側の窓を水拭きしている真琴の様子を見て苦笑していた。


(やっぱり姉妹だな。喧嘩してもすぐ仲良く過ごしてる)


 連携プレイというのか、風の妖精(シルフ)達が盥の中に突き刺した棒でグルグルと雑巾を洗い、次の風の妖精(シルフ)達が雑巾をパタパタ振って水けをきる。そして運び役の風の妖精(シルフ)達が真琴の所へ雑巾を運ぶのだ。そうして真琴が拭き終えた雑巾をまた戻していくのだが、見事な息の合いようである。

 遥佳は、この邸宅で元々暮らしていた人達が置いていった家具や小物の内、処分する物をバサバサッと窓から外に放り出している。乱暴に思えるが、そうすれば火の妖精(サラマンダー)が全部焼いてくれるのだ。


(使う部屋だけ片付ければいいだろうに、・・・真面目なんだろうな)


 何でも前回の滞在時は、レイス達が手伝ってくれると分かっていたから悪くて片付けられなかったらしい。

 各部屋のカーテンやリネン類も水の妖精(ウンディーネ)がいればよかったのだろうが、いないならいないで、風の妖精(シルフ)が大活躍していた。

 全てが庭に運ばれ、グルグルと木の棒が入った盥の中で洗われては干されていく。

 

(これなら俺達がこっちに来た方がいいんじゃないか? 部屋は余りまくってる)


 そんなことを思わずにいられないカイトだった。

 問題は今、フェリクスが一緒にいることだ。フェリクスには護衛の騎士や兵士達も同行する。

 部屋数的には問題ないとはいえ、さすがにグリフォンがいる所に彼らを連れてくるのはまずいだろう。

 

(グリフォンといえばハールカ姫だもんな)


 カイトは、はぁっと溜め息をついた。

 結局は仲がいい姉妹だけに、くだらない口喧嘩をしていても一緒にいる方が嬉しいのだろう。

 ブツブツ文句を言っていた真琴だが、窓拭きまで風の妖精(シルフ)に手伝ってもらって、遥佳に声をかけていた。


「終わったよー。仕分けなら手伝おっか? こういう時は宿屋を経営する気分になればいいんだよ。椅子と机、ベッドがあれば後は不要って感じで処分しちゃうの。いつか使うかもとか、何かの役に立つかもとか考えちゃ駄目なんだよ」

「ズルしたでしょ、真琴。あれ程シルフ使っちゃ駄目って言ったのに」

「少しぐらいいいじゃん。時間かけることに意味なんてないよ、遥佳。大事なのは効率。ヴィゴラス、手伝って」

「キュイ」


 ヴィゴラスに手伝わせて、真琴がほとんどの物を捨てさせていく。あまりのダイナミックさに、遥佳も真琴に任せる気になったようだ。


「じゃあ、お願いするわ。ヴィゴラス、必要な物まで捨てないでね」

「キュッ」


 遥佳は、この屋敷を片付けることでお礼にするつもりだとか。

 たしかに整理業者を雇うよりも有り難いことだろうと、カイトは思った。


(マコトも宿屋慣れしてるからな。それに思い切りがいい)


 部屋から出てきた遥佳に、カイトは廊下の窓越しに声をかける。


「マコトのことだ。最初は宿屋に戻ってきてもその内ここに泊まり込みますよ。良かったら馬車を借りに行きませんか? ついでに幾つかマコトの荷物も運んできましょう」

「馬車を?」

「ええ。馬とか馬車を好きな日数で借りることもできるんです。こんな街中じゃさすがにいつもヴィゴラスに乗って行き来するのはまずいでしょう。馬車があれば、必要な時だけ馭者を雇えばいいですからね。ヴィゴラスもすぐに馬車ぐらい操れますよ。俺が教えてもいい」

「それはそうでしょうけど」


 そんなものまで必要だろうかと、遥佳は首を傾げた。


「俺達は宿屋の馬車もありますが、ハルカちゃんはそうじゃない。この辺りは利便性もいいし、徒歩でも問題ないですが、行き先によっては馬車の方がいい時もありますからね」

「そうかも。だけど真琴はカイトさんと一緒だし、私一人ですよね。二人乗りでいいかしら」

「四人乗りか六人乗りでいいと思いますよ」

「・・・えーっと」


 あれで真琴はどこに行っても色々な物をもらってきてしまう子なのだ。

 あんなにも特定の人物からの贈り物を受け取るべきではないと分かっていた筈なのに、情に負けてホルパイン公爵夫人からもらったという沢山のドレス。

 そして真琴は何かと遥佳に貢ぐところがある。


(今はマコトも大人しく着ているが、どうせすぐに窮屈だとか言って着なくなるだろう。飽きっぽい子だしな)


 恐らくそのドレスの最終目的地であろう遥佳を見下ろしながら、あれだけの荷物を運ぶのならばやはり二人乗りは小さいと判断せざるを得ないカイトだった。






 パッパルートの小さな村にある一軒の家。

 一番奥の部屋までやってきたドレイクは、人の気配に気づいて顔をあげたエスティスへ声をかけた。


「オールグに何が何でも食わせろ()うといたんやが、ひどい顔やな」

「ドレイク・・・」


 寝台の上に座りこんでいたエスティスが、立ち上がろうとしてよろける。

 その肩をドレイクは押さえるようにして支えた。


「無理すな。動かんかったら体も動きにくぅなるやろ。エスティス、ユーリとギバティ戻ることんしたわ。一緒に()。俺は途中から抜けるよって」

「ドレイク。まさか・・・」


 その言葉の意味を悟り、エスティスが青ざめる。


「そん為にレイスも稼ぎ()ぎこんでくれとったんや。丁度そんうるさいレイスも留守やしな。いっちょ手に入れてくぅわ」

「無理です。そんな危険なこと・・・っ」


 一気に顔に血の気を戻らせたエスティスだが、ドレイクは皮肉気に微笑んだ。

 そうしてエスティスの背中に腕を回して抱きしめる。


「ユーリん行き先は大神殿や。レイスもおる。安全な所にいてや、エスティス」


 自分の肩に顔を埋める男の囁きに、エスティスも震える手でその背中に腕を回そうとした。

 けれども体格の違いが、過ぎた時間を突きつける。

 昔はあんなにも小さな背中だったのに。


「それなら私も行きます、ドレイク」

「そんでお前をみすみす殺されろ言うんか? あいつら、お前(ねろ)うてくる分かっとんやで。冗談やない。お前は俺のもんや。お前をいいようにしてくれた礼はしたる。あいつらン死体を土産にくれたるわ。おとなしゅう待っとき、エスティス」


 その言葉に、エスティスの瞳に涙が滲んだ。


――― 危ないですからね。おとなしく待っててください、ドレイク。


 うんと頷く小さな男の子。

 彼だけが自分の全てだった。姉弟ではなく、それでも普通の姉弟よりも遥かに強い姉弟の絆で、自分達はお互いを支えに生きていた。


「いや、()りませんから。そんなもの汚いだけじゃないですか。持って帰ってきちゃいけませんよ、ドレイク」


 声が震えるのは、忘れていた過去が追いかけてきたからなのか。

 それとも相変わらずなドレイクに、昔と同じ性格をみたからなのか。

 いつものように無茶をやろうとするドレイクを窘める口調で、エスティスは労わられる立場ではなくあくまで支える側としての自分に戻ろうとする。


「いいや。お前にげしげし踏ませたらんと」


 子供じみた主張をする男は、あくまで本気らしかった。


「そんなもの踏んだら、その靴を捨てなきゃいけなくなるんですけど」

「新しい靴ぐらい()うたるわ」

「ドレイク・・・」


 こんなにも愛されていたことに、涙が零れる。

 エスティスはぎゅっと手に力をこめた。


「あなただけを行かせたりはしません」

「駄目や。安心し。既に金も手間も時間も注ぎこんでレイスが下拵(したごしら)え済みや。下っ端がこん国に来とるたぁ思わんかったけどな、そいつらもオールグに始末さす手筈はついとる」

「・・・っ!? そんなこと、オールグは・・・っ」


 慌てて身を離そうとしたエスティスを、ドレイクの腕は逃がさない。


「当たり前や。誰がそんなん自分の女に言うんや。ええか、エスティス。もうお前の問題やない。俺ん問題や。お前の主人は誰か分かっとるな?」

「ですがドレイク。これは元はと言えば顔を見られてしまった私の・・・」

「それがどないした()うんや。俺ん顔見たら殺しにかかってきたわ。せやろ? お前やから先んずることができたんや。さ、こん話はここまででさっさと用意し。もう出発時間やで」

「は? えーっと、街道視察の出発はまだ先の筈ですが?」

「それやない。ギバティや」

「はい?」


 先程、たしかにドレイクはギバティに戻ると言ったが、もう出発というのはあまりにも気が早くないだろうか。

 さすがのエスティスも呆気にとられた。


「だから出発する()うとるやん。ユーリかて王宮で別れの挨拶し終えとるで」

「・・・私、今まで何も聞いてませんが」

「言っとらん。そん方が悩む暇ものうてええやろ思うてな。さ、あと一刻で出発や。さっさと荷物まとめ。オールグもお()んが出発するんは知っとる」

「だからか・・・っ」


 道理で昨夜はかなりしつこく保存食を作らされたと思ったのだ。


『なんで夜中にここまで作らなきゃいけないんだっ』

『昼間には時間がない』

『後は現地で買うって話だったじゃないかっ』


 あれは自分に色々と思い悩ませない為のことだと、そんな不器用な思いやりなのかと考えた己が馬鹿だった。

 エスティスは、オールグを心の中でバカスカと殴る。

 

「でもって俺ん支度も頼むわ」

「どうして自分の用意もしてないんですっ」

「武器ん用意はしとる。こん国の王様は話の分かるええ王様や。ただな、旅ン支度はしとらん。こんままじゃ着の身着のままの行き倒れになってまうわ。どしたらええかいな」

「ああっ、もうっ」


 慌ててエスティスはドレイクをどんっと突き飛ばした。

 そうして旅用の荷袋を棚から出して引っ掴み、ばたばたと部屋を出ていく。

 突き飛ばされて床に座り込んだドレイクは、その背中を見送ると、くくっと笑った。


(そんでええんや、エスティス。いつもぷんぷん怒っててくれりゃええ。誰も(ちい)そうなって(うずくま)っとるお前なんざ見たぁないわ)


 ずっと大好きだったエスティス。

 自分から奪われたと知ったあの日から、どれだけ捜しまわったことだろう。

 それでも見つからなくて、だけど会いたくて、あの父にまで頭を下げた。

 それなのに与えられたのは、代わりの少年。


(オールグはええ奴や。俺よか(はよ)う辿り着くとは思わんが、ま、お手並み拝見やな)


 ドレイクはすっと立ち上がると、長い髪をたなびかせていた少女を思い返す。

 その黒髪を触って遊ぶのが好きだった。


『なんでこんな変な結び方ぁっ』

『うっわぁ、恥っずかしぃー』

『ドレイクッ、あなたの仕業(しわざ)ねっ』

『知らんもーんっ』


 お昼寝している隙に触り過ぎて、結局、髪を切る羽目になった時はちょっぴり反省したけれど、少しぐらい切ってもエスティスは変わらず可愛かったと思う。


『いやぁっ、虫―っ』

『へへーんっ』


 たまに毛虫を捕まえては髪に絡ませ、自分よりも背の高い少女が泣きそうになるのを見るのも好きだった。


(子供やったんやな。初恋やからしゃあないんやろうけど)


 自分にとってエスティスだけが全てだったあの頃。

 だからこそ狙われたのだと、後になってどれ程に悔いたことだろう。

 

(つぐな)いになるたぁ思わん。そんでもお前ん苦痛を(あがな)わせると、俺は誓ったんや)


 だからこそ長い年月をかけて兄達を殺す手筈を整えてきた。

 レイスに任せていた財産管理は幾つかに分かれているが、その内の一つが彼らの切り崩しである。


(手下は潜りこませとる。寝返っとらんとは思うが、その辺りも慎重にせなな)


 その時が来ただけだと、覚悟を決めたドレイクの瞳には獰猛(どうもう)な光が宿っていた。






 基本的に優理は自分が満足して生きられればそれでいいと思っている。

 勿論、素敵な恋人達を見つけ、その中から誰が見ても完璧だという配偶者を選び出し、新しい女神を生み出すことも大事だ。

 だからこそ、いい男を見つける為に自分が世界を掌握するのである。


(キースには、どうしてまたギバティールなんだって嫌味を言われたけど、そんなことで私の歩みは止められないのよ、うふふん、ほほほん、おーほっほ)


 遥佳と真琴が先に大人になったという意味では出遅れた。

 けれども早く大人になればいいというものでもない。

 女神という存在を生み出せる程の内面を育まなくてはどうしようもないのだ。


(ヴィゴラスに執着されている遥佳にそんな余裕はない。そして甘やかされて過ごしている真琴は単純すぎて考慮外。勿論、三人の力を合わせることは大切だけど、最後の大トリは私よ、私。そう、この世界の主人公は決まっているのよ)


 あの二人に比べて自分はどうだろう。

 遥佳が新聞社のバイトをやっている間に、自分はこの砂漠の国を復活させ始めている(そこで最初の水の恵みに関与したのが真琴であったことは、ウンディーネがやったということで考えない)。

 離宮にある果樹園も、あとは街道待ち状態だ(その街道がパッパルート国王頼みであることも考えない)。

 いずれ自分はパッパルート王国の陰の女王となって君臨する。

 何と言ってもパッパルート国王は自分にとても好意的で、それこそ王位を譲ってもいいとまで言ってくれているのだから(そのパッパルート国王が、真琴ならば王という義務など課さずに特別待遇をし続ける気なのは完全に考えない)。

 やがてドレイク達の稼業も軌道に乗れば、提携関係にあるキースヘルム達も軌道に乗るわけで、自分の財産は黙っていても増えていく。


(そして街道を造っている間に大神殿の頂点に立ち、全ての神殿を私の傘下におくのよ・・・!)


 ほほほほほと、もう笑いが止まらない優理だ。

 神殿というまさに日の当たる世界は自分のもの。風俗業というインモラルな世界もまたパッパルート王国から始まって自分が支配していくことだろう。

 黙っていてもお金は自分の元へと運ばれ続け、経済力で自分はジンネル大陸の覇者となる。


(きっと次の女神は私によく似た、全ての人に愛されてお金が集まってくる女帝ね。ああ、私ってばなんて存在こそが奇跡なの)


 そんな優理は、ケイトという女友達を連れて大神殿へと旅立つ。

 その旅立ちは非公開で、しかもまだ星が瞬く暗い夜明け前に行われた。

 ドレイク達一行も離宮に集合し、最後に必要な物を見直してから仮眠を取り、一番人目につかない時刻に出発すればいいということになったのである。


「戻ってくる頃には街道計画も終わっているだろう。しばらくは俺の婚約者だと大々的に告げておいた方がいい。変なちょっかいは出されまい。勿論、いい男がいたら解消してくれて構わんが、その際は一報してほしいものだ」

「今の所、解消予定はないわ。だけどディーさんこそ、いいお妃様候補が出たらさっさと捕まえてね。その時は解消するわ」

「ふむ。やはり俺達は良いパートナーだな」

「ええ。互いに協力し合える素敵な関係よ」


 気遣いあう国王とその婚約者姫だが、二人が「いい独身男情報」と「いいご令嬢情報」を茶飲み話にしていたことは、知る人ぞ知る事実である。

 せっかく他国の王族が来ているのだからと、彼らからも情報を集めて作りあげたリストは、ディッパの本棚に重要情報の一つとして置かれていた。

 それらを興味深く見ていたのはタイキやイアトン、ウルティードやエミリールも同様である。だが、ディッパと優理があまりにも、「結婚とは金銭的な利益が必要だ」を前面に押し出していた為、途中からはかなり腰が引けていた。

 彼らもそういった一面は納得しているが、せめて少しは恋や愛を持ってきてほしかったらしい。


「他の姫君が戻ってくるまで待っていてほしかったがな」

「安心してちょうだい、ディーさん。あの二人が戻ってきたら私に連絡をくれるよう言えばいいわ。そうしたら一晩でここに戻ってくるから」

「有り難いことだ。ユーリ殿は普通の女人として生きようとしていながら、俺の為ならばそれをどこまでも融通してくれる」

「当たり前よ。だって私達は出会ったことが運命だったの。この友情の為に力を尽くすのは当然だわ。それが真の絆なのよ」


 近くでその会話を聞いていた王弟デューレや、ディリライト首長の娘であるケイトなど、ふわぁっと欠伸をしているのは眠さばかりが理由ではなかっただろう。


「ユーリ殿っ」

「ディーさんっ」


 熱く見つめ合う二人はお互いを褒め合うことが楽しいらしく、何かというとコレをやらかしている。

 だからこそ仲の良い婚約者だと周囲には思われるらしいが、やっていることは相手を使っての自画自賛だ。


「ほんま、保護者には事欠かん()っちゃ」


 がしっと抱き合う男女の横で、呆れた顔を隠さないのはドレイクだった。

 見た目だけは初々しいカップルかもしれないが、二人きりで頬を寄せて語り合っているのは、愛ではなく金の集め方だ。

 最初はロマンチックな雰囲気を演出していた王宮の女官達も、国王とその婚約者が二人きりでこもっていた室内の様子を見に行ってみれば、寝乱れた寝室どころか、書きなぐったメモや地図や資料が散乱した床に二人が大の字になって寝ている姿ばかりを見せられたものだから、もう諦めたらしい。


「はいはい、我が王。ユーリさんは未婚の姫君なんですからみだりに触っちゃいけません。花は見るだけと決まってます」


 護衛のニッカスが、優理の肩に置かれていたディッパの手を外させる。そうして礼儀正しく優理の手だけをとり、ケイトの近くへと案内していくさまは、やはり貴族なのだなと思わせる動作だった。


「自分に女友達がいないからと言って妬くな」

「妬く前に我が王の行動を見張るのも仕事です」


 忠言を気にしないのがディッパだ。肝心の未婚の姫君とやらは、様々な男達に囲まれて何かと頭を撫でられていたからである。

 優理や真琴の飾らない行動こそが、彼にとっての(いこ)いでもあった。

 

「ドレイク殿も安心されるがいい。ドレイク殿の仲間も街道の方へは同行されるということだが、不自由がないように取り計らうつもりだ」

「こないな時、どない言えばええんやろな。ディーさん呼んでた日が懐かしいわ」


 さすがに相手は国王である。

 きちんと跪いて礼をとるべきか、かえってそれでは距離を感じさせないかと、ドレイクも悩むところだ。


「公式の場では頭を下げてくれないと困るが、どうせ今は誰も見てない。キースヘルムはともかく、お宅には世話になった」

「うちも色々便宜(べんぎ)はかってもろうて有り難いこっちゃ思うとります。この恩はいずれ返させてもらいますんで」

「期待している」


 ギバティ王国では手に入らない武器の融通まで利かせてくれたディッパに対して、ドレイクもまた恩義は感じている。

 違法ではないにせよ、あそこまでの物をそうそう購入できるものではない。目をつけられて取り調べなり何なりが入るところを国王権限で不問にしてくれた。国境においても、それらは問題なく通過できるということだ。

 そして、これからオールグがやらかすことについても見逃してくれると約束してくれた。

 ある程度は事情を打ち明ける必要も出てしまったが、ゆえにここまで味方してくれたのである。

 その気持ちが嬉しかった。

 必要とあれば国王として立派に振る舞うディッパだが、その中身はまだ若さを失っていない熱い青年だ。


「エミリールやティードにもよろしく伝えておいてね、ディーさん」

「ああ。さすがにドモロール側に今日の出発が漏れるのはまずいからな。仕方あるまい。ケイト姫も道中くれぐれもご無事で」


 どんなに仲良くしていても、互いの国の事情が絡めば様々な動きは生じる。

 今、パッパルート国王の婚約者姫とディリライト首長の愛娘がほとんど護衛もなく大神殿に向かうなどという情報が流れたならば、横から(かす)め取ろうと考えるのがドモロール王国の立場だ。

 ウルティードにしても自分自身の勝手な行動としては優理に味方しても、国の立場を背負えば違う判断を下さねばならぬこともある。

 そういった事情も分かっている筈だが、ケイトは気負うことなく微笑んだ。


「有り難うございます。ですが護衛付きですし、ユーリのことも心配はいりませんわ」

「護衛と言うが、あくまで見張りじゃないのか?」

「勝手に寄越した見張りなど、見つけた側が使いこなすものと決まっております」

「・・・そうか。いや、たくましくて結構だ」


 ギバティールの大神殿まで近衛騎士達をつけると主張したディッパである。だが、どうやら大神殿は見張りを放ったらしい。

 本当に優理がやってくるのか、確実さを求めたのだろう。

 問題はいかにその身を隠していようとも、タイキやカシマ、ケイトといった斥候の存在に慣れている三兄妹がいて、更にパッパルート王国人らしからぬ特徴の男達が優理の情報を集めていると報告があげられたものだから、彼らを割り出すことはとても簡単だった。

 あちらも特にこそこそしていなかったことも理由の一つである。

 その見張りの男達を取り込む為に護衛をつけないでくれと、優理は言い出した。


『行く先は一緒でしょ。見張りじゃなくて無料の護衛にしちゃえばいいのよ。悪い人達じゃなさそうだし、私のこと、あまり聞かされていないから情報に飢えてる感じじゃない。なら、私とケイトが二人で心細そうにしていたら、心配で出てきちゃうと思うの。ねー、ケイト?』

『そうね。私とユーリだけでうろちょろしていたら接触してくるんじゃないかしら。だって斥候としての基本も押さえてない人達だもの』

『そうそう。敵すらも寝返る私達の魅力って奴よ』

『そこまで図々しいことは考えないけど、どうもお年寄りや子供に優しい人達みたいね。かなり明るい性格みたいだし』

『大神殿だもの。私が少女だと思ったらガラの悪い人は雇えなかったんでしょ』


 遥佳の新聞記事などに目を通し、何かと情報交換していた優理は、その見張りが獣人らしいということで、かなり楽観的である。

 遥佳によると、魔物や獣人は子供に対して本当の親並みに面倒見がいいということだ。


(油断していたら誘拐されて家族にされてしまう大陸じゃなかったか? 虐待はされんらしいが、あの大陸に差し向けるなら成人男性あるのみと、マーコットは主張していたぞ)


 反対に真琴の話を聞いていたディッパは首を傾げたが、それでもこのジンネル大陸で普通に暮らせている獣人ならばそこまで非常識なことはしないだろうと、そうも考え直して口を噤んだ。

 かえって護衛なんていない方が接触してくる筈だと、自分達を囮にして捕獲する気満々のケイトと優理は、彼らの雇い主はあくまで大神殿だということを忘れていないだろうか。


(まあ、どうにかするんだろ。ハールカ姫かマーコットが戻ってきてから相談した方がいい)


 何よりドレイクとその仲間達は十分に危険への対策をしている筈だ。

 だからディッパは送り出す。

 

(砂漠がほとんどなくなっている今、我が国に根付きやすい植物も違ってきている。新しい苗の作成にユーリ殿があそこまで協力してくれた以上、しばらくは留守にしていてくれる方が有り難いのも事実か。どうしても時間が必要なことはある)


 さすがに国賓を多く迎えていた以上、王宮を留守にはできなかったが、これから国内の地方を自らが回り、国民の意気を高める必要もあるだろう。

 ディッパの予定は山積みだった。

 増税が必要だからだ。

 それでも穀物や果実の恵みが増え、家畜も多く産まれるようになれば皆で乗りきることができる。


「じゃあね、ディーさん。またすぐに戻ってくるわ」

「そうでなくては困る。さすがに国王が婚約者に逃げられたなんて悲しすぎるからな。我が国の民が情けなさに泣き続けるぞ」


 ディッパの護衛であるニッカスはドレイクに、既に国内を出るまでは宿を押さえてあることを告げていた。


「これが宿屋のリストです。無料で宿泊できますから」

「有り難いこっちゃ。ほんま、おおきに」


 やがて何頭もの馬に分かれて一行が動き始める。


「出発します」


 機動性を重視するらしく、屋根付きの荷馬車は一台だけだ。

 一人で馬に乗ったケイトと違い、ドレイクと同じ馬に乗せてもらっている優理が、ぱっかぱっかと進む馬上から元気に手を振ってくる。

 

「またねーっ」

「ああっ、気をつけてなっ」


 その無邪気さについ噴き出しながら、ディッパやニッカス、デューレもまた手を振った。


「やれやれ。まさかと思いますが、またユーリ殿を追って抜け出そうとか考えてませんよね、兄上?」

「心誘われる提案だが、そうもいくまい。すべきことは沢山ある」


 王弟デューレにそう答えながら、ディッパは夜明けを迎えようとする空を仰ぐ。

 

「思うにユーリ殿はいつでも動いていないと気がすまないのであろう。まあ、うちの予算をこの短期間でかなり消費してくれたから、しばらく留守にしてくれるのは有り難い」


 さりげなく本音が出るディッパだった。


「必要な出費は問題ありません。それよりも兄上の人気が急沸騰しすぎているのが問題でしょう。あまりにも勢いよく噴き上げた支持は、一気に変な方向へ向かうことがあります」

「それをさせないよう地方へ行くのさ。留守は任せたぞ、デューレ」

「私がまだ地方を回った方がいいと思うのですがね。兄上に何かあっては困ります」

「ここはもうカディミアだけでも問題ない。だが地方は違う。安心しろ、デュー。俺はそう簡単には潰れん」

「はい」


 首都はデューレやカディミアでもディッパの代わりとして問題なく進む。王弟夫妻はディッパと強固に結ばれていると、誰もが実感しているからだ。

 しかし、地方は違う。

 もしかしたら王弟が王位を狙っているかもしれないと、そんなことを考える者もいるだろう。


「ですが兄上。あまり留守にされるのも困るのです。なるべく肖像画付きの広報を津々浦々にまで回すことでしのいで、地方へのそれは手早く済ませてください」

「へいへい。たまにお前が一番、俺にきついんじゃねえかと思っちまうんだよなあ」

「言葉遣いが乱れてますよ、兄上」


 ふわぁあっと、大きく両手を空に伸ばすディッパに、先程までの国王らしい威厳は欠片もなかった。


「いいじゃねえか。お前らしかいない所でカッコつけてどーなる。あー、心の潤いが足りねえ。やっぱりチビグリフォン、可愛いよなぁ。マーコット、早く戻ってこねえかなぁ。ハールカ姫のグリフォンはでかすぎる上に我が儘だが、チビグリフォンは素直だしよ」


 素敵なパッパルート王宮出入り用ペンダントをもらったというので、レオンはディッパをいい人認定している。


「戻るも何も、マーコットが暮らしているのは違う大陸でしょう」

「いーんだよ。どうせマーコット、全ては自分の庭とか思ってるだろ。その非常識っぷりがいいんだって」


 デューレはスカンクの真琴がお気に入りだが、ディッパはやはり真琴は真琴でいいといった感じだ。


(そりゃヴィゴラは問題ありだが、あの強さは本物だ。大体、三人の姫君でいけばやっぱりハールカ姫がダントツじゃないのか)


 口には出さないが、ニッカスはそう思う。

 三人がそれぞれ違う性格と生き方をしている姫君達だが、騎士として剣を捧げて忠誠を誓うのならば、なんといっても遥佳だろう。後の二人は中身がどうしようもなさすぎる。


(ま、いっか。しかし我が王、こんなのでお妃を迎えられる日は来るのかねえ)


 今こそ自国を再建しようと考えているディッパにしてみれば、結婚などしている暇はないというところか。

 妃という立場を優理に使わせているのはそこがある。

 

(色仕掛けにおける技能を身につけていて、それでも我が王はそれを姫君達に使おうとはしなかったが・・・)


 王弟妃となったカディミアが一気に女らしくなったというのは、小さい頃から元気に走り回っていたカディミアを見ていた大臣達がこぞって感嘆している事実だ。

 婚姻前はいいように尻に敷かれていたデューレだが、妃に迎えてからのカディミアの恥じらいぶりにその寵愛ぶりが()(はか)られている。


「そんなことより、さっさと戻ろうぜ、デュー。我が婚約者姫は体調を崩して寝込んだわけだしな」

「はい、兄上」

「お前もカディミアに無理させるなって言ったろ」

「無理なんてさせてませんよ。元々、カディミアは朝に弱いんです」

「へー、そりゃ今まで知らんかった」


 王弟デューレも色々な顔を持ってはいるが、特にカディミアに見せたくない部分は午前中に片付けるとか。

 カディミアは朝に弱く、午後から動き出すといったことが影響しているらしい。

 

(妃になってから朝に弱くなったってか)


 なんだか切ないニッカスだ。

 自分も早く、この一日二十四時間出動状態にあるそれを理解してくれる素敵な女性と結婚したい。

 問題はそこまでの資質を備えている女性など、そうそういないことだろう。






 ミザンガ王国の第二王子であるアルマンには、カティアという妃とヴァイオレットという王女がいる。

 金髪に紫色の瞳をしたヴァイオレットは、とても不機嫌だ。

 けれどもそんな感情を見せないようにして、向かい合わせの机についた教師に尋ねた。


「ねえ、先生。フェリクスってばずっとお勉強を休んでいたでしょう? だから怒られてお食事にも来られなかったの?」


 そのフェリクスを「悪の道に連れ込んだ」とかいう男達と、昨夜は夕食を一緒にとったのだが、肝心のフェリクスと「礼儀を知らない男の子」とやらは同席しなかったのである。

 フェリクスの教師もしているこの彼にも怒られたのだろうなと、期待しながらヴァイオレットは興味津々で情報を引き出そうとした。


「そう言えば最後には目が半分閉じていましたね」

「怒られているのに、フェリクスったら居眠りしていたの?」


 かつて役人をしていたこの教師は、色々な地域のことについて詳しい。

 ヴァイオレットなど、行ったこともない地方の名前なんてそうそう覚えられないし、風土の違いなんてどうでもいいと思うのに、無理矢理教えこんでくる。

 

「怒った覚えはありませんよ。たしかに学習内容に(かたよ)りはありましたが、遊んでばかりでもなかったようですね。ですから彼らがこの国を去るまで、またフェリクス様はご一緒なさるとか」

「そんなこと、本当にシャレール伯父様がお許しになったの? どの先生も、王子に相応しい学問を(おろそ)かにしてって、怒っていたのに」


 そんな筈はないという気持ちをこめて、ヴァイオレットは第一王子シャレールの名を持ち出した。


「シャレール殿下はお許しになりましたよ。この短期間であそこまで成長なさったわけですし。今まで苦手だった地方の実態にも興味が出たご様子で、面白い質問をなさるようにもなっていらっしゃいましたからね」

「成長ってどんな?」


 もしかしてフェリクスは一気に背が伸びたのだろうかと、ヴァイオレットは首を傾げる。


(ずるいわ、フェリクス。私がずーっとガマンしていい子でいたのに、なんで遊んでばかりいたあなたが怒られていないのよ)


 なんだかとてもムカムカする事態だ。

 自分よりも「偉い王族」になる立場のくせに、フェリクスは(ずる)すぎる。

 ヴァイオレットはとても不平等だと感じた。


「そうですね。学ぶ意味をお知りになったというべきでしょうか。今、ヴァイオレット様はどの土地で何が収穫されやすいかを学んでいらっしゃいますね?」

「ええ」

「そういった収穫物は市場に出るわけです。その経済がどう国に影響し、やがて国を富ませていくか。そういった意味をフェリクス様は実感なさったようですね。だから学ぶ意欲を大きくなさっていらしたのでしょう」

「じゃあ、フェリクスが一緒にいる人達といれば、みんな成長するの?」

「そうではありませんよ、ヴァイオレット様。どんなことを学んでも身につく人とそうでない人とは存在します。あのラーク様とカイト様は、遊びの中に学習を取り入れていたようですね。体を使って遊ばせながら、その中で様々なことを教え、フェリクス様や小さなレオン様が興味を抱きやすいような言葉にして生きた学問をさせていたと言えるでしょう」

「・・・私もそれ、してみたい」


 母であるカティアと違い、この教師ならば話が通じやすそうだと思ったヴァイオレットは、おずおずと言ってみる。

 すると沈黙が下りた。


「ヴァイオレット様は女の子ですから、何かあっては危険ですし、無理でしょう。お可愛らしい姫君にはまだ分からないでしょうが、男なんて誰も彼もが危険な存在なのですよ」

「先生も男の人だわ」

「こういった場では安全ですが、世の中には、ご婦人にとてもひどいことをする男達も存在するのです。ですからヴァイオレット様も、いい人だと思っても、男の人と二人きりになってはいけません」

「だけどフェリクスともう一人の男の子もいるんでしょう? それなら、二人きりじゃないわ」

「男の集団だなんてもっと危険です」

「フェリクスは危険じゃないわ」

「今のフェリクス様は安全ですが、もう少し大きくなったらフェリクス様も危険な存在になるのです。いいですか、ヴァイオレット様」

「はい」


 なんだか穏やかな筈の教師の声に力がこもったような気がして、ヴァイオレットは背筋を伸ばした。


「祖父である国王陛下と、父親であるアルマン殿下。そしてあなた様と結婚式を挙げる方以外の男性は全て危険な存在なのです。決して人目がない状況で近づいてはなりません。同じ部屋にいなくてはならない時は、絶対に窓と扉を開けておき、そして常に侍女を同行させねばなりません」

「そうなの?」

「ええ」

「私が王女だから?」

「そうです。ですが王女でいらっしゃらなくても、やはり可愛らしい姫君は危ない目に遭います」

「・・・・・・」


 よく分からないけれど、やっぱりフェリクスは狡い。


(女の子なんてつまんない。フェリクスやルドルフばっかり(とく)してる)


 ヴァイオレットはそう思った。




 かなり良い馬車を借りたカイトは、馭者台に遥佳と一緒に乗って宿屋に戻った。

 今日はフェリクスとレオンを、ラークとルーシーが仕立て屋に連れていっているのだ。レオンと違ってドレスに興味のないフェリクスは、どうやらグリフォンの額飾りを褒められたのが嬉しいようで、追加を買いに行きたかったらしい。

 フェリクスの護衛騎士達も宿屋にはいないだろうと、そこを見越して連れてきたカイトは、遥佳が他人と会いたがらないことを理解していた。


「大丈夫ですか? 揺れがダイレクトにきたでしょう。お尻が痛くなったんじゃないですか? と、失礼」


 ひょいっと、馭者台にいる遥佳の脇腹を抱えるようにして下ろす腕はとても力強い。

 同じ力強い腕でも、あまり遥佳の体に触れないようにと心がけるカイトと、いつでも遥佳に引っ付いていたいヴィゴラスとは掴み方も違うのだなと、そんなことを遥佳は思った。


「これだけクッションを置いてたら痛くなんてなりようがありません。だけど面白かったです。カイトさん、ザンガにも詳しいんですね」

「隣国だからたまに来ていたんですよ。馬車の中からだと片側しか見られませんしね」

「はい。とても面白かったです。色々なお店も教えてもらえたし、行くのが楽しみです」


 つばの広い帽子を目深にかぶった遥佳を連れて部屋に行こうとするカイト達だが、宿の人間が慌てて外へと出てくる。


「お帰りなさいませ、カイト様、マーコット様。お客様がおみえです」

「客? 城かホルパイン公爵家以外の来客は全て断っておいてくれと頼んだ筈だが」

「勿論、心得ております。ですが、さすがに私どもでは・・・」


 すると、ぱたぱたと足音がしたかと思うと、甲高い声が響いた。


「追い返そうったってそうはいかないんだからっ。フェリクスはどこっ?」

「・・・・・・」


 仁王立ちして主張する、どこか見覚えのある顔。ただ、何故か髪が少し乱れていて、白いブラウスと紺色のスカートのあちこちも少し汚れている。

 お付きの女官がいたらこんな状態で放ってはおかないだろうと、カイトも即座に判断した。

 カイトは、宿の使用人達に問いかける。


「まさか来客って、こちらの姫君か?」

「こちらのお・・・、いえ、その・・・、あの、はい、こちらの、・・・名前は仰いませんでしたが、ええ、お嬢様にございます」

「・・・・・・」


 宿の人間も馬鹿ではない。

 名を告げぬ女の子の素性を察したがゆえの困惑があったことだけは、カイトも理解した。


「いつもいらっしゃる騎士様方さえいてくださればそちらにご相談申し上げたのですが・・・」

「・・・・・・」

「さすがにお城に連絡しようにも、どう申し上げればいいのかも分からず・・・。人違いということも考えられましたので、そうなるとまた厄介なことになると思えば・・・」

「いや、保護してくれて助かった。騎士の方々ももうすぐ戻ってこられるだろう」


 そう言いながら、カイトは精一杯の虚勢を張る女の子に合わせて腰を屈める。


「フェリクス様はまだお出かけ中です。お一人でいらしたんですか?」

「そうよ。私、とってもがんばったんだから」


 そんなカイトに、遥佳は後ろから声をかけた。


「あの、カイトさん。ヴァイオレット王女様ってば、フェリクス王子様が恋しくて追いかけてきたんじゃないみたいですよ」

「え? いや、だって」


 フェリクスご指名でやってきたのだ。

 カイトにしてみれば、仲のいい従兄妹なのだなと、そんなものである。

 ヴァイオレットの心を読み取った遥佳は、その辺りの認識違いが起こる前に訂正した。


「フェリクス王子様だけお城を出て遊べるなんて狡いから、自分も一緒に遊ぶんだって感じで抜け出してきたみたいです。自分だけお勉強なんてつまらないって感じで」

「・・・・・・困ります」


 中腰のまま振り返ったカイトは、感情をこめずに、ただそう呟く。


(会って気がすむならいいが、それだけじゃ終わらないってことだろ? 冗談じゃない)


 ただでさえ第一王子の長男を預かっているという厄介な状況で、更に第二王子の長女まで面倒みられる筈もない。

 どう見てもすぐに熱を出すか、怪我をするかの壊れものだ。


「そうですね。だけど誰にも言わずに抜け出してきているから、本気でもう困った事態にはなってるんじゃないかしら。お城での捜索はとっくに始まってると思うんです」

「ですよね。せめて護衛騎士の誰かが残っててくれればこんなことには・・・」

「私っ、お城には帰らないんだからっ。私もお城の外で遊ぶんだからっ」


 慌てた子供は、カイトではなく遥佳のスカートに、ひしっとしがみつく。


「え?」

「男の人と一緒じゃなきゃ安全なんでしょっ。なら私っ、あなたの奥様と一緒にいるからいいのっ」

「えっと、私、マーコットじゃない。というより、・・・うちのマーコットについていける女の子は、まずいないと思うの」


 なんてことかしらと思うのは遥佳だけではない。

 カイトも、真琴に小さな女の子の世話ができるとは思えなかった。


「誘拐扱いになる前に連絡しないと。まさかこんなことになるとは、・・・すみません」

「いえ。カイトさんも大変ですね」


 それでも自分のスカートにしがみつくヴァイオレットの金髪を、遥佳は撫でる。


「怖がらなくても大丈夫よ」


 ヴァイオレットは自分だけ置いてけぼりなのが寂しかっただけなのだ。


「持ってたお小遣いで、流しの馬車で連れてきてもらったのね。いい馭者さんだったから良かったけど、そうじゃなければとんでもないことになっていたわ。今度からこんな危ないことはしちゃ駄目よ?」

「危なくなんてなかったわ」


 まだ子供なので、遥佳でも抱き上げられる。

 それでも必死で言い張ろうとするヴァイオレットは、少し重かった。


「世の中には悪い人も沢山いるの。可愛い女の子が一人なら攫って怖い所に連れて行ってしまう人の方が多いのよ。だから、ね? 今度から一人で行動しちゃ駄目。ちゃんと約束して守れるのなら、フェリクス様みたいな冒険をさせてあげる。約束できない悪い子なら、冒険なんてさせてあげない。どっちがいい?」

「お約束するっ」

「そう。いい子ね」


 ふふと、遥佳は微笑む。

 そうして右往左往していたらしい宿の責任者に向き直った。


「お城の第二王子アルマン様に連絡を。王女様はしばらくお預かりします。怒らないと約束してくださったら無事にお返しします、と」

「・・・申し訳ございませんが、そのようなことをお伝えした途端、こちらが捕らえられます」


 宿屋としても、とばっちりはご免だという気迫が(みなぎ)る。


「じゃあ、私がお手紙を書くわ。それを持っていってちょうだい。それでいいかしら、カイトさん?」

「ええ。考えてみれば俺よりもあなたの方が陛下や殿下方とも親しかったわけですよね」


 この国の第三王子ゲオナルドの再婚に関与したという神子姫ハールカ。

 たしか彼女は城でも暮らしていた筈である。

 そう思ったカイトの言葉に、宿の責任者達もほっとしたような吐息を洩らした。


「まあ、それなりにどなたとも交流はありましたし、揉めるようでしたらどうにかします。・・・フェリクス様もヴァイオレット様も、お父様お母様のことをよく聞く大人しい子だったのに、いつの間にかやんちゃに育っていらしたのね」

「預かりましょう」


 遥佳の腕にはきつそうだと見たカイトが、ヴァイオレットを自分の腕に引き取る。


「まあ。あなた、私のこと知ってるの?」

「ええ。あなたは覚えてないでしょうけど、お城に招待されて滞在したことがあったの。その時にね」

「じゃあ、・・・本当に、お母様に怒られないようにしてくれる?」


 カイトの左腕に腰掛けた状態で、おずおずとヴァイオレットは尋ねた。

 今になって母親の怒りが怖くなったらしい。


「二度とこんなことをしないって約束を守れるのなら、決して怒られない魔法をかけてあげるわ、王女様」

「守るわっ」

「いいお返事ね。じゃあ、まずはカイトさんが馬車まで荷物を運ぶのをお手伝いしてくれる? 私はその間に、あなたのお祖父様、お父様へのお手紙を書くわ。そしてね、帰りにあなたのお洋服を買っていくわ。うちはとても強い護衛がいるから安全よ。せっかくだから一緒にお菓子を作ってみましょうね」

「うわぁ」


 よく分からないけれど美味しそうだと、ヴァイオレットの瞳が輝く。


「小さな女の子なんてすぐに体調を崩します。本当に大丈夫ですか? 何より、ただでさえあなたの護衛が少ないことをルーシー殿も案じていたのに」

「心配しないでください、カイトさん。今まで彼がいて、私、危険な目に遭ったことなんてありません。それに王女様、多分、男の子のすることにはついていけないと思うんです。こちらでいるよりも体調は崩しにくいと思います」


 どこか心配そうな顔になったカイトに、遥佳は微笑んだ。


「それはそうでしょうが、それならマーコットもそちらに滞在させましょう。ルーシー殿も」

「無理じゃないかしら。マーコット、基本的に女の子がするようなことには興味ないですし、お菓子作りなんて退屈すぎて今度はマーコットが家出します。ルーシーも大切なのはマーコットですもの。かえってマーコットの邪魔だと判断したら、勝手に王女様をお城へ返品しちゃいます」

「ああ、あり得ますね」


 もうここまで来たらどうでもいいという気になったカイトは、ヴァイオレットを抱えたまま、部屋へと歩き出す。


「じゃあ、ちょっと荷造りしてきます」

「あら、あなた。どこに行くの?」

「俺達が借りている部屋ですよ。ちょっと運ぶ荷物があるので一緒に行きましょう」

「まあ。男の人と二人きりになっちゃいけないのよ?」

「そりゃいい教育ですね。だけど俺はマーコット以外の女性に全く興味はない上、子供に手を出す趣味もない。そして今、王女様に何かあったら責任問題になるから、俺が預かっておくのが一番安全というわけです」


 小さな女の子を腕に抱いて歩いていく様子は微笑ましくて、やっぱり子供に優しいマジュネルの獣人なのだと、遥佳は思った。

 マジュネル大陸の住人達は、いつだって弱い存在に温かい目を向ける。


「そうなの? あなた、強いの?」

「この宿屋に残っている中で考えるなら。世の中には俺よりも狂暴で危険な女性もいますよ。信頼はできますけどね」

「狂暴で危険ってどんな?」

「具合を悪くして倒れていたところを助けたら、腹を殴ってきますね」

「うわあ、ひどい」

「そうでしょう」


 どうやらヴァイオレットと一緒では遥佳も手紙を書きにくいと判断してくれたようだ。

 ただ、何故だろう。

 カイトの言葉に申し訳なさが募ってしまうのは。


「では、ペンと紙を貸してくださいます?」

「はっ、はいっ。どうぞこちらへっ」


 真琴そっくりの顔だが、どうやら真琴ではないらしいと気づいた宿の使用人達は、慌てて遥佳を屋内へと案内した。

 


『ミザンガ国王陛下、アルマン王子殿下


 ヴァイオレット王女様が、お城をこっそりと抜け出してこちらにいらっしゃいました。

 事情をお尋ねしたところ、フェリクス王子様が王子ではできない暮らしを楽しんでいて、だというのに怒られることもなく、反対に自分には許されないことで拗ねたみたいです。

 せっかくですから、「王女様をお休みする日」を楽しんで、普通の女の子の生活をしていただこうと思います。

 しばらくお預かりしますが、どうぞご心配なさいませんように。  マーコット 』



 たまには姉妹の名前を使ってやろうと考えた遥佳である。

 カイトには、いざとなったら自分が直接話をつけると言ったが、あれで真琴は過保護で心配性なのだ。

 アルマンを脅して了解を取るぐらい、朝飯前の作業だろう。


(アルマン王子のお妃様というと、・・・ゲオナルド王子とその愛人って感じで、虫けらを見るような目をしていた人ね)


 くすっと笑った遥佳は、封筒に(ろう)を垂らした。



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