249 遥佳は遊覧船に乗り、優理は傷ついた
ミザンガ王国が誇る「愛と正義のグリフォン号」は美しい船だった。船内の家具も良い物が使われているし、客層もまた裕福な人ばかりだと分かる。
ヴェールで顔を隠した乙女が翼を広げたグリフォンに跨る船首像は一流の芸術家が作ったものらしい。
遥佳は、何とも気まずい思いで船内を歩いていた。
「おかあさまぁ。どうしてここにおおきなとりさんがいるの? まっしろだけど、カモメじゃないみたい」
「ここの鉄柵を切り取って、ハールカ様が悪者を退治してくださったのですって。その時、ハールカ様は白く輝く鳥にお乗りあそばしていたそうよ。だから記念に、白い鳥の像を取り付けたんですって。さあ、坊やも撫でてごらんなさい。きっとご利益があるわ」
「うわぁ。こんなきれいなとりさんにのれるだなんてすごぉい。ボクものりたい」
甲板の鉄柵の一部に、何故か白い大きな鳥の像が取り付けられているのはそういう理由らしい。大急ぎで作成された特注品だとか。
(ええ、そうね。私もそんな綺麗な鳥、乗れるものなら乗ってみたいわ。だけど他の幻獣に乗ろうものならヴィゴラスがどう出るか分からないの。相手がラーナ達なら渋々黙るんだけど)
一度は海賊に乗っ取られたからだろう。乗船時には簡単な持ち物検査があるらしいが、遥佳に対しては全くなかった。
そして客室は一番良い部屋を提供されている。遥佳好みに可愛らしいカーテンやクロスが使われていて、見晴らしもいい。
(仕方ないわよね。いくら他の人と同じようにって言っても、あちらだって私だと確信しているならそうもいかないもの。まだ城へ早馬が飛ばなかっただけいいと思わなきゃ)
遥佳にちなんで造船された船だ。それこそ船長も本来は貸し切りにしたい気分だっただろう。そして国王へとお伺いを立て、見栄えのいい正装した近衛騎士達を勢揃いさせて乗りこんでもらいたかったに違いない。
けれども遥佳がミザンガの第三王子ゲオナルドと暮らしている間、一緒にいられなかったことを根に持っているヴィゴラスだ。いかにそういったことを遥佳が嫌がるか、船長にしつこく念押ししたようだ。
『この時とばかりに押しかけてくる人間はそれで気がすむであろうが、どこに行っても落ち着いた時間を持つこともできない。実はとてもうんざりしているのだ』
『なんと。そんなにも不愉快な思いをなさっておいででしたか』
『当たり前だ。あのような宝石もつけぬ格好をしているのは目立たぬ為だと通常の頭があれば気づくだろうに、世の中は馬鹿が多すぎなのだ。豪華な接待をすればいいという自己満足の輩ばかりだ』
『どうぞお任せくださいませ。全ては姫君様のお望みのままに』
船長は遥佳の意思を最優先することに決め、船員達にはあくまで特別なお客様だから失礼のないようにと言い聞かせた。だが、船員達も真琴によって海賊から助けられたわけである。
王族にしか提供されない貴賓室を「どうぞお使いくださいませ」と、船長自らが案内した美しい娘の正体に、誰もが気づいていた。
身分差ゆえに話しかけることこそ失礼だと思い、遠くから見つめているばかりだ。
(仕方ないわね。色々な催しもあるみたいだし、ここは楽しむしかないわ)
共用のスペースでも自分の客室でも、どちらにいてもいいらしいが、部屋にこもって景色を見ているだけでは、船長や船員達も遥佳がどうしているか分からずに思い惑うことだろう。
ならば人の目がある中で、船旅を楽しんでいた方がいい。少なくとも船員達は、あくまで普通の乗客として遥佳を扱ってくれているのだから。
(ええ、私には貴族夫人に対するよりも丁寧だけどねっ)
有り難いことに貴族の夫人や令嬢は小間使い達を連れて乗船している為、微妙なその待遇の違いに気づいていなかったりもする。しかし使用人達は主人の意を受けて船員達と連携して動くせいか、遥佳のことを身分の高い姫君だと思っているらしい。
遥佳に対しては誰もが丁重な姿勢だった。その空気を読み取らねば貴族に仕え続けられない。
「乗客の皆様、今から第1室で吟遊詩人の弾き語りが始まります。また、遊戯室ではお子様が楽しめる紙芝居を行います。静かにお過ごしになりたい方は図書室をお使いくださいませ。社交室も開放しておりますので、紳士の方々はどうぞそちらへ。団欒室ではお茶を出させていただきますので、お喋りを楽しみたい方はお越しくださいませ」
選択肢があるようで実はない一人ぼっちの遥佳は第1室へと向かったが、よりによって吟遊詩人が神子姫ハールカの海賊退治を語り始めてくれたものだから、すぐに部屋を出て図書室へと向かう羽目になった。
自分の名を騙った妹の英雄譚なんて聞きたくないのである。
人の姿でいる時は姿を見せないでと言っておいても、ヴィゴラスが遥佳から目を離す筈もない。
だから遥佳は図書室で膝に本を置いたまま、うつらうつらとしていた。頭よりも高い位置まで支えてくれる背もたれなので、居眠りにはぴったりだ。
(あらら。レオンが乗りこんでいたのね。フェリクス王子まで一緒だっただなんて。だけど真琴。どうしてあなたが愛と正義の使者なのよ。私、そんなポーズなんて取らないわよ)
目を閉じて船に残る記憶を読み取れば、どうやら真琴は最初から乗り込んでいたわけではなく、単にレオン達を迎えに来たらしい。その時にはもうレオンは脱出していたけれど。
先程の吟遊詩人の話とは、かなり違うようだ。やはりああいうものは脚色成分99.5%なのだろう。
(本物の幻獣は青白く輝いていたのね。それにもっと綺麗なんだわ。本物を見ていないから仕方なかったんだろうけど。ただ、性格は大雑把っぽいのかしら? 海賊達を足で蹴り飛ばしていたのね)
遥佳が寝入っているからだろう。
ヴィゴラスが遥佳の膝の上にあった本をテーブルの上に移動させ、船員から借りた掛布を遥佳の肩まで覆っていった。
切なげに遥佳の髪へと触れていく指先。その眠りを邪魔しないようにと、他の図書室利用者をひと睨みして牽制するヴィゴラスに、誰もが遥佳から視線を逸らす。
(こういうことをされちゃうと許してあげたくなるんだけど、それだとヴィゴラスってば本当に反省しないのよね。今だって、私に近づけなくなるから今度からやらないようにしようって思ってるだけで、反省そのものは全くしていないし)
それでもヴィゴラスがいるなら大丈夫だと、遥佳はその慣れ親しんだ気配に安心して船内の出来事を夢見ていた。
ここの本棚の色を焦げ茶にするか、明るい茶色にするか、黄土色にするかで何日も揉めていた職人達。
高い競争率を突破し、この船で働くことが決まった船員達。初めての出港を見守る人々。
(私は全く関与していなかったのに、この船に人は私を見る。そして現実を呑みこんで・・・)
そんなことを思いながらめまぐるしく変わる出来事を辿っていた遥佳は、自分に近づいてくる存在で目を覚ました。
何故なら自分へ近づいてくる存在に対し、ヴィゴラスが凄まじい殺気を放ったからだ。
「おねーちゃん、ねてるの?」
目を開ければ、そこにいたのは麦わら帽子を思わせる亜麻色の髪に濃い緑の瞳をした男の子だ。
いつも傍にいる青年はもっと甘い色だと、遥佳は思う。
(私が姿を見せないでって言ったのに。駄目ね、私ったら。こんな小さな子にこんなこと感じてるだなんて)
目覚めればいつも隣にいた存在がいないことを、寂しく思う自分が間違っているのだ。
ライムグリーンの瞳を持った存在は、今も室外から遥佳の様子を把握しているのに。
「ここはごほんをよむおへやだから、おねむのときはおへやにいったほうがいいんだよ。そういうときはちゃんとおきがえしてねなきゃダメなんだって」
男の子は、小首を傾げながら遥佳に話しかけてきた。
「そうね。つい揺れているのが気持ち良くて眠ってしまったの。あなたは本を読みに来たの?」
「うん。だけどむずかしいごほんばっかり。よみたいけど、わからないことばがいっぱい。えほんがみつからないの」
「そうなの? ちょっと見せてくれる?」
「うん」
その亜麻色の髪を撫でてあげながら子供が持っていた本を見せてもらうと、どうやら騎士が国王の為に戦う物語のようだ。だが、子供向けではない。
「騎士様の物語が読みたかったの?」
「そうなんだ。カッコいいよね。おおきくなったらボクもきしさまになるんだ」
「素敵な夢ね。たしか子供には紙芝居してたんじゃないかしら」
「それはもうおわったよ。おかあさまはおしゃべりばかりしてるし、おふねもたんけんしちゃったし、やることないんだ」
「そう。それはちょっと退屈しちゃうわね」
きちんと仕立てられた服を着ているし、言葉遣いから裕福な家庭の子供らしいが、貴族というわけではなさそうだ。だから他にも乗っている上流階級の子供達とは友達になりにくかったのか。
遥佳が庶民的な服装だったので、話しかけやすかったらしい。
(そうね。この部屋で本を読んでいるのって、いかめしい顔つきの男性ばかりだもの)
言うまでもなく、「神子姫ハールカ様にちなんで建造され、そして海賊に襲われた時にはハールカ様が直々にいらして天罰を賊どもにくだした」とされるこの船はとても人気で、予約が半年先まで入っている。
だからこそチケットが取れた者は、おめかしして乗りこむのが常だった。
(私だけ? まさに普段着で乗り込んできたの、私だけ?)
その答えは聞かずとも分かる。着飾ることもせずに乗り込んだのはヴィゴラスと遥佳だけだ。
本来は他の乗客達に場違いだと陰口をたたかれていてもおかしくない。
実際に、
「どうしてあのような粗末な服装の者が乗り合わせているのだ?」とか、
「あの方、こういった時のドレスもお持ちにならなかったのかしら?」などと、船員に対して不快そうに言い捨てた乗客もいた。
そこには、見目のいい同性に対するやっかみもあっただろう。
そこは船員達も予想していた問いなので、
「あのお方は一騎当千の騎士様でいらっしゃいます。目立たぬよう庶民の格好をしておいでですが、護衛に際してどなたをも切り捨てていい権限をお持ちです。どうぞ失礼な真似はお控えくださいませ」といったトラブル防止のためのハッタリ90%の説明や、
「姫君様におかれましては、本日、お忍びで港にいらしていたところを恐れ多くもこちらの船へとご招待させていただいたのです」といった返答を受けて、黙るしかなかったのだ。
みすぼらしくはないが、町娘といった格好の遥佳は、かぶっている緑のヴェールに感謝した。学生はシンプルな格好でも許される筈だ。・・・そう信じたい。
気を取り直し、遥佳は男の子に微笑みかけた。
「じゃあ、その本を読んであげましょうか? ここは静かに読む場所だから、そうね、団欒室かお外のデッキで」
「ほんと? あのね、それならかみしばいしていたおへやもつかえるんだよ。おとながいないからすきにしていいんだって。オモチャもあるんだ。だけどボク、おはなしのほうがすき」
「じゃあ、そっちに行きましょうね」
団欒室には貴族の女性もいたりする。
平民の女性とは距離を隔てて座っているにせよ、やはり気後れしてしまうのだろうと、遥佳はその男の子と一緒に遊戯室へと向かうことにした。
やはり一人は退屈だ。
(ヴィゴラス。こんな小さな子にまで嫉妬しないでちょうだい。大勢の子供と遊んでいる時はそうじゃないのに、一人とかだとすぐ拗ねるんだから)
窓の向こうにいるらしいヴィゴラスの、この子供に向ける視線がかなり冷たい。
だけど若い男性とお喋りしているよりはいい筈だ。
遥佳は哀れな犠牲者を出さない為にも、子供達を盾にしようと決めた。
『なあ。とても綺麗な娘がいたんだ。うちのメイドにしたいんだが、素性を探ってきてくれ。緑の布で顔を隠してる。一人でこんな船に乗ってるなんて、貴族の愛人志願だよな』
『坊ちゃま。まさかと思いますが、そんな失礼な申し出をなさっておいでではありませんね?』
『ふん、普通は喜ぶものだ。お前、ちょっと話をまとめてこい。俺付きの侍女にする』
『言っておきますが、坊ちゃま。そのお方は貴賓室をお使いです。庶民の格好をしておいでですが、本来は坊ちゃまこそが膝をついてご挨拶申し上げる立場でしょう。全ての船員があのお方に近づこうとする者をさりげなく排除していますよ』
『え? ・・・良かった、何も言ってなくて。なあ、おい。それなら、ここは崇拝者という立場からいった方がいいのか? すれ違った一瞬でも内側からしっとりと輝くような頬に、薔薇よりも赤い唇をしてたんだ。身分違いなら愛人にと思ったが、手に入れられるなら結婚したい。もしかして学校に通うことを優先して社交界にあまり出ていないのかもしれないし、今が狙い目だろ?』
『何であれ、短慮な真似はしないでください。大まかなご素性すら教えてくれないのです。どの派閥の姫君かも分からぬ状態では危険です』
『ならば本人から聞き出せばいい。さりげなく団欒室か食事室で同席できるといいんだが』
大なり小なり、そういった思惑の男性達もいたのである。
元より遥佳にとっては迷惑な思惑でしかなかったが、かといって彼らがヴィゴラスにより海に放り投げられるのも哀れすぎる。
遥佳は子供達と交流することで話しかけられないようにするという手段をとった。
パッパルート王国に滞在中のキマリー国ミンザイル伯爵家長男エミリールは、ドレイク達と一緒に行動していた。
(これでシンクエン様に処分されないですむ。あの方、ティードが係わるとなぁ。しかも大事にしてる割には放し飼いだし)
本人は自覚していないようだが、あれでウルティードは王太子であるケイファスト、傍系王族のシンクエンからとても愛されている弟王子なのである。
けれどもドモロール国王が来た以上、ウルティードの身は安全だ。軍事大国であるドモロールの精鋭達が、王妹が産んだキマリー国王子を何があろうと守り通すだろう。
(必要なのは他の誰よりも情報に通じることだ。王族や高官の前では見せないそれを、ドレイク達といれば見ることができる)
いざとなれば女装もできるエミリールだが、その心は決して女らしくはない。また、その気になればかなりの演技力を発揮できる。
女装の際に日焼けした肌だと困るので、わざと日焼けしたように見せかける化粧を施すことで日焼けを防いでいるエミリールは、結果として肉体労働系の青年に見せかけることに成功していた。
「エミー、早よ来いや。家、見に行く言うとったやろが」
「悪い、ドレイク。他のも見に行ってたんだ。すぐ用意する」
開いていた扉の向こうから呼びかけられ、エミリールは慌てて荷物を確認する。
「そらええんやけどな、どっから金引っ張る気や。安うないで」
「仕方ない。けど必要なものに惜しんでもしょうがないからな」
「ふぅん」
鼻を鳴らすドレイクにしてみれば、それはエミリールの仕事じゃないだろうと言いたいのだろう。
だが、人材不足は仕方ないのだ。ウルティードは王宮にいるし、自分達は二人きり。
今、買っておくべきだと判断したエミリールは、他国が手を打つ前に土地を確保しておきたかった。
するとドレイクと一緒にいたオールグが、取り成すように声をかけてくる。
「ああいう大通りは俺らには不要だ。そしてあっちは売りてえ。だから俺らは気のないフリをしとくが、エミリールは同情するかのように見せかけて上手くやりゃあいい」
「ああ。よろしくな、オールグ」
まさに貴族とは思えぬ乱暴な仕草で革袋を肩に引っ掛けると、エミリールは、
「待たせたな」と、扉の方へと向かおうとしたが、ドレイクはテーブルの上にあった水差しを指差した。
「エミー、どうせなら水も持ってっとき。咽喉渇いとると何か入っとっても気づかんと飲んでまう。そん水、汲んだばかりや」
「ありがとう。すぐ入れる」
いずれキマリー国の拠点になるであろう場所を考えているエミリールは大通りに面したそれなりの場所が欲しくて、反対にドレイク達は風俗業の店に相応しい立地を考えている。
けれども大通りに面した土地付き建物を売りたいという話がドレイク達に持ち込まれているのだ。
気乗りしない様子で見に行く話を取りつけたドレイクだが、それにエミリールは同行させてもらうこととなっていた。
(パッパルートに大使を常駐させている国はあまりない。大抵はギバティにいて、用事があればそこからやってくる程度だ。だが、街道が本格的に出来るとなれば・・・)
砂の大地が少しずつ肥沃な土へと変わりかけていても、すぐにまた元通りになるのではないかと悲観的な考えを持つ者は多い。砂漠の王国としての歴史は長すぎた。
そして街道計画と言っても、まだ実現可能かどうかも危ぶまれている面がある。
(今、現金を手にしておきたいパッパルート人がいて、キマリーの為に土地を押さえておきたい俺がいる)
もしもパッパルートが復興するのであれば、安い内にキマリー国の大使館として相応しい場所を確保しておくべきだろう。エミリールの姉ラヴィニアは、王太子ケイファストの正妃である。
ラヴィニアの実家であるミンザイル伯爵家の成果と評価が、常にラヴィニアを守る盾となるのだ。
「あ、美味い。冷たいな」
「そうそう。ちゃんと出かける前にも水は飲んどいた方がいい」
「ありがとな、カイネ」
カイネがそこにあったカップに水を注いで出してくれたものだから、ささっと飲めばとても美味しい。
エミリールは一気に飲んでしまった。
「さ、行くぞ。カイネ、エミリール。エスティスは先に行ってる」
「道理で。いつもオールグと一緒なのにと思ってたんだ」
「ドレイクの見張りに先行した。カイネは甘すぎるそうだ」
オールグの言葉に、カイネはおいおいといった表情になる。
「エスティスに言われたかねえな」
それにはエミリールも同感だった。エスティスは一番ドレイクに甘い。
「何でもええわ。エスティスんこっちゃ、少しは情報も集めとるやろ。安うなっとるとええな、エミー」
「ああ。安くて困ることはない」
優理がキースヘルムの焼けた建物代として巻き上げた金はキマリー国の者によってパッパルート王国へ運ばれてきたが、その恩もあるからだろう、優理はそれを無利子無担保でエミリールに貸してくれるそうだ。
キマリー国には、後から代金を持ってきてもらえばいいだけである。
他国の王族がここまで集まっている状態だというのも、王宮の中に留まる話だ。けれどもエミリールには予感がある。
この古い王国は決して埋没していかないと。
(ハールカ姫様に求婚したティードは、一足先にこの国へと連れてこられた。そしてハールカ姫様と親しくしていたディリライトの兄妹もこの国に来ている。いずれハールカ姫様にはこの国でお目にかかることもできよう。パッパルートにとっては有り難いことだろうが、あれだけの砂漠が消失しているとあっては、ハールカ姫様が関与しているとしか思えない)
それらは水脈に明るい優理、何らかの儀式を成功させたらしい王弟デューレ、何より努力し続けてきた国王ディッパの功績として囁かれているが、目くらましなのだろうなと、エミリールは判断していた。
全てを話してくれないのかと、ウルティードを恨む気はない。為政者がぺらぺらと喋る方が問題なのだ。
だが、何を話してくれなかったとしても、腐ることなくその思惑を推し量り、先んじて手を打っておくのが臣下の務めである。言われてからでないと気づかないのであれば、腹心や側近にはなれない。
そんなことを考えながら、ドレイク、オールグに続いて玄関へと向かっていたエミリールだ。それぞれにパッパルートの未来を見据え、誰もが今の内に動こうとしている。
「うわーんっ、ドレイクーッ」
「・・・うぐっ」
そこで開いていた玄関扉から入ってきた物体が、ドレイクに突進して胸部に頭突きをかまし、一行が歩みを止めるのはすぐだった。
いくら泣く子がやってきたとしても、予定は予定である。エミリールだっていつものように「どうしたんだい、ユーリちゃん?」と、聞いてあげる時間はない。
「しょうがねえな。オールグ、ヴィオルトらと行ってくれ」
「ああ。じゃあ行くぞ、エミリール」
カイネの言葉に頷いたオールグは、隣の家にいるであろうヴィオルト達をドレイクの代わりに連れていくことにした。
「え? エミリール、どこか行っちゃうの?」
「ああ。なんかいい物件が出たらしくてね。先にエスティスさんが行ってくれてるんだ。いい建物だったらユーリちゃんを真っ先に招待するよ。その時は内装とか、相談に乗ってくれる?」
「うんっ」
エミリールの言葉に頷く優理は、ぴたっとドレイクの腰に抱きついて離れない状態だが、エミリールの言葉に破顔する。
「行ってらっしゃい。気をつけてね」
「うん。ユーリちゃんの顔を見て元気になれちゃった。これは幸先いいって感じだ」
「やだぁ、エミリールったら」
「えー、本気なのに」
いつもの通り仲良くやりとりしていると、ドレイクがとても嫌そうな顔になった。
「そんなん二人だけでし。サブイボ立つわ。お前はんも男やろ、エミー」
「別にまざればいいだけだろ。ねー、ユーリちゃん」
「ねー」
相槌を打つ優理の頭に手を置いているドレイクだが、優理の腕もしっかりとドレイクの腰に回っている。二人の髪と瞳はよく似た色合いだったりするものだから、こうして様々な外見の人間が集まってしまうと、相変わらず仲のいい兄妹にしか見えない。
エミリールにとってドレイクの兄スタンスは、羨ましいのか羨ましくないのか、今一つ自分でも迷うところだ。
優理はそこで、自分の頭に手を置いている男を見上げた。
「あれ? そしたらドレイクとカイネさんも行かなきゃいけないんじゃないの?」
「いや、単なる見送りだ。ドレイクはトップだしな。手足の報告を聞く立場がそうそう出てばかりともいかんさ」
横にいたカイネが、何てことはないといった調子で説明する。
エミリールは、目の前に嘘つきがいることを知った。
「そうなのね。いつもフラフラ出歩いてると思ってたわ」
「言うてくれるやんか。そん考えなしな口はこれか? これなんか?」
「いひゃいーっ」
どうせ自分の買い物でなし、ドレイクとカイネもそういうことならばと、飛びこんできた優理をかまうことにしたらしい。
ドレイクが優理の頬をみゅいーんと左右に引っ張る。
「子供を苛めるなよ、ドレイク」
「お子様は痛い目遭わんと分からんのや」
「ドレイクの馬鹿ぁっ」
さすがにカイネがドレイクの指を外させれば、今度はカイネに優理が引っ付いた。
優しい人へ優しい人へとくっついていく優理は、とても分かりやすい少女だ。そしていきなり理解できないことを実行に移す。
ドレイクとカイネが残ったのは、変なことをされてからでは遅いといった気持ちがあるのだろう。
エミリールだって、一体どんなくだらない理由で涙目になって飛び込んできたのか、聞きたかった。
(ユーリちゃんの場合、何をやらかすか分からない楽しさがあるからなぁ。俺も出来れば残りたいよ。だが、こういう予定はずらせない。こちらは酒を飲みながらの商談も当たり前に行われる)
今度は一体何をやらかして泣きつきにきたのだろう。
面白そうという意味で後ろ髪を引かれつつ、エミリールは外に出る。
(あれ? ユーリちゃん、一人で来たのか? ここまでどうやって来たんだろう)
外には護衛の騎士や兵士の姿がなく、エミリールはその事実に首をひねった。
今、優理は国王の(名前だけの)婚約者として常に護衛がついている筈なのだが、一体どうやってここまで来たのか。
(問い詰めてる時間はないか。まあ、ドレイク達がどうにかするだろ。元々ユーリちゃんは王族でも貴族でもなく、こっちの子なんだし)
さすがに今から行く先は優理みたいな娘を連れていくような場ではない。
だからエミリールは気分を切り替えて、優理の前では見せないような顔つき、そして自信のある男ならではの歩き方へと動作も変化させる。
(この国は良くも悪くも力を見せつけてこその国。なめられたら終わりだ)
今夜は帰宅できるのか泊まりになるのかは分からないが、優理との時間がとれないのはとても残念だった。
真琴のおかげで改名された「愛と正義のグリフォン号」の遊戯室では、図書室で声を掛けてきた男の子の手を引いてちょうどいい椅子を探す遥佳がいた。
船の中ならば迷子になりようがないとばかりに、大人達は子供達を放置しているようで、遊戯室には沢山の子供達がいる。
ちょうど空いていた窓際の大きなソファを見つけると、遥佳はそこで大切な注意をした。
「あのね、揺れるお船の中であまり文字を見ていると気持ち悪くなってしまうことがあるの。だから少しでも気持ちが悪くなったら文字を見ないでお外を見るのよ?」
「うん」
「じゃあ、騎士様の本を読んであげましょうね。私が読むから、絵だけを見ているといいわ」
「うんっ」
大きなソファはとてもクッション性がいい。
亜麻色の髪をした男の子を膝の上に乗せて本を広げ、物語を読んで聞かせ始めた遥佳だが、挫折するのは早かった。
「昔々のことです。国はとても荒れ果てていました。兵隊さん達は国を守ろうとして傷つき、腕や脚から出ている血を手当てしようにも、包帯が足りません。綺麗な布もありません。汚れた布しかないので、傷はどんどん悪くなり、腐っていって―――」
「そんなおはなし、やだぁっ」
「いやぁ、きもちわるいー」
そんな言葉が違う場所、つまり遊戯室にいた女の子達から出たからである。
男の子が読み聞かせしてもらっているらしいと知って、遥佳の周囲には子供達が集まってきていた。
遥佳も本に書かれている表現を柔らかくしてみたのだが、それでも刺激が強かったらしい。
「ちがでるおはなし、いやぁ」
「えーっと、・・・えっと、そうね。騎士様のお話は格好いいけれど、女の子達を怖がらせないお話にしてもいいかしら?」
「う、・・・うん。おんなのこにはやさしくしなくちゃいけないんだよ」
「素敵ね。きっとあなたは立派な大人になれるわ」
退屈していたらしい子供達の瞳に、遥佳は負けた。
「じゃあ王子様とお姫様の物語でもしてあげましょうか」
「それならね、ハールカおひめさまのおはなしして」
「ハールカひめのおはなしがいい」
「おひめさまなら、じだいはハールカひめなのよ」
「そうだよ。いまはハールカひめがホットなんだぜ」
「つくりばなしのおひめさまは、もうおくれてるんだよ」
「えーっと、・・・いつからそんな時代に」
今、自分が神子姫ハールカの話をしようものならば、どんな話を語ることになるのか。
子供達に微笑みかけていた遥佳だが、その笑みも硬直する。
それ以前に、羞恥心というものが遥佳にはあった。
「お話する程、知らないのよ。じゃあ、マジュネル大陸かゲヨネル大陸のお話をしてあげましょうか?」
適当に地球のお姫様のお話をしてあげればいいかと思っていた遥佳だが、時代はとあるお姫様がブームらしい。
子供達の要求は時に大人の予想を超えていくのだと遥佳は知った。
「あのね、マジュネル大陸は決して怖いところじゃないわ。みんなが優しくて親切よ。だけど何をやってもいいわけじゃないの。礼儀正しくルールを守り、人を騙したり裏切ったり傷つけたりするようなことをしなければ、仲良くなれるわ」
「えー。だけどマモノとかジュージンっていやしいんだよ。おかーさま、そういったもん」
「そうだよ。にんげんのすがたじゃないのはのろわれてるんだって」
「とてもこわいのよ。わるいこをさらってたべちゃうの」
遥佳の知っていることなど、ドリエータの治療院か、ゲヨネルに住むご近所の妖精もしくは幻獣、はたまたマジュネルの新聞社関係ぐらいである。
だからマジュネル大陸の話でもしてあげようかと思ったのだが、子供達は魔物や獣人を怖いものだと認識していた。
「怖くなんてないし、呪われてもいないし、子供を食べたりなんかもしないわよ。普通に大陸間の船も出てる筈だけど、なんでそんなことになってるのかしらね」
首を傾げた遥佳に、一人の男の子がおずおずと問いかける。
「おねーちゃん、もしかしてマジュネルいったことあるの?」
「勿論よ。だから言いきることができるの。聞いた話じゃなく、自分の目でたしかめたんだもの」
その会話が聞こえたらしく、遊戯室の隅でボール遊びをしていた男の子や、お人形遊びをしていた女の子も近寄ってきた。
どうやら退屈していたらしい。
「えー、すごーい」
「そしたらたべられちゃったの?」
「じゃあ、おねーちゃん、ユーレイ?」
とても大きなソファに腰掛けていた遥佳だが、膝の上には亜麻色の髪の男の子が座っていて、いつの間にか左右には遥佳を背もたれにして甘える子供達がいて、更に背中から抱きついてくる子供達もいた。
(どうして私はどこに行っても子供達に埋もれてるの。親はどこに行っちゃったの)
何故こんな大人が十人でも並んで座れそうなソファがあるのかと思ったが、きっと子供達がその場でこてっと横になって眠ってしまうことも考えているからだろう。
(親も、子供が船の中にいることは分かってるから大丈夫って思ってるのね。ご飯の時間になったら迎えに来るんだろうけど)
部屋の隅では紙芝居の道具を補修している人がいるが、恐らく乱暴な子供に壊されてしまったのだろうなと、遥佳は同情した。
相手が客と思えば叱りつけることもできなかったのだろう。ついでに子供達が怪我したりしないよう、遊戯室には誰かを常駐させているのだ。
遊覧船の運営は大変である。
「お話を聞きたかったら、ちゃんとお利口にしてちょうだい。背中によじ登られたら重くて、私、動けなくなっちゃうわ。それにここで寝そべっちゃったら他の子が座れないでしょ? さあ、順番にこっちから仲良く座りましょうね。そうしたら誰も知らないマジュネル大陸のお話をしてあげる」
マジュネルでは常に魔物や獣人の子供達と一緒に放り込まれてしまう遥佳だ。人間の子供達など可愛いものだ。
立ち上がってパンパンと手を叩き、そうして注意をひきつけると、遥佳は子供達を端からソファの前へ並ばせていった。
「ボクはキゾクなんだぞ。こんなはしっこはおかしい。いつも、まんなかなのに」
「そんなことないわ。どこにいても私の声は届く筈よ。身分で席が変わるのは、正式な場所でのことでしょ。この場ではみんな一緒。だから仲良く座ってね。それも出来ないなんて恥ずかしいわ」
「なんだと? ボクよりミブンはひくいくせに」
「貴族なら私より身分は低いわ。さ、分かったらいい子で座りましょうね。貴族なら女の子への礼儀は身についてる筈よ。お隣の女の子達が座るのを手助けぐらいできるわね? 相手が貴族かどうかで態度を変える男の子ってみっともないもの。私の知ってる王子様達は、相手がどんな身分でも礼儀正しくエスコートしてくださっているわよ。あなたはエスコート出来ないみっともない子なの?」
「ボク、みっともなくなんてない」
がーんとショックを受けたらしい男児は、しゅんとなって横にいた女の子に手を差し出す。
「どうぞ」
「あ、ありがと」
女の子はちょこんっと手を握って、ソファに座った。
生意気だが顔立ちのいい男の子に手を貸してもらった女の子は、頬を赤くしてちょっと嬉しそうだ。
「はい、みんなお行儀のいい子達ばかりね。じゃあ、お話してあげる」
どうやら遥佳が偉い人らしいと思った子供達が大人しくソファに座ってから、遥佳は一人掛けの椅子を持ってきて向かい合わせの位置に座る。
図書室で声をかけてきた亜麻色の髪をした男の子だけ、自分の膝の上に乗せて。
自分が連れてきたお姉さんを取られてしまったと、拗ねてた男の子はそれで機嫌を直した。わくわくした顔で、遥佳を見上げてくる。
「まずは大きな蛇さんの話をしましょうね。マジュネル大陸には色々な魔物や獣人がいるけれど、みんな仲良く好きな場所で暮らしているの。だからこーんな大きな蛇さん達が暮らす村もあるのよ。太さはあなた達をきゅっと5人まとめたよりも太いぐらいなの」
遥佳は両手をいっぱいに広げてみせた。
子供達はひぇっと反応してしまう。
「このお部屋よりも、もーっと長いのよ」
「えー、こわーい」
「そ、そんなのへいきだもんっ」
「たべられちゃうの?」
「やだよー」
ソファに座っている子供達は、わいわい涙目で言い返した。
「食べられたりなんかしないわ。みんな優しい蛇さん達だし、お料理も得意だもの。わざわざおいしくない人間を食べるわけがないでしょ。私なんて背中に乗せてもらって、綺麗な花畑まで連れて行ってもらったのよ。ちゃんとお昼ご飯の入ったバスケットを持ってね。木登りだってできる蛇さんだから、馬が通れない場所もすいすい動けちゃうんだから」
「えー、いいなぁ」
「ずるーい。ボクものりたーい」
「ワタシもー」
食べられないと知ると、途端に子供達は羨ましがる。
「乗せてもらいたかったらまずは仲良くならなくちゃね。あなた達だってそうでしょ? 自分がおんぶしてあげたいって思うのは、仲がいい小さな子供に対してよね? 蛇さん達だって同じことよ。自分を嫌っている子をわざわざ背中に乗せてあげようだなんて思わないわ」
「じゃあ、おねーちゃんはどうやってなかよくなったの?」
そこで遥佳は少し考えこんだ。
さて、どういう理由で仲良くなったのか。
なんだか頼りない生き物がいると声を掛けられたり、迷子だと思われて保護されそうになったり、買い物に行った先であまりの大量販売に立ち竦んでいたりしたところを荷物持ちを言い出してくれたりしたのがきっかけだっただろうか。
「えーっと、たしかお買い物に行った時に、話しかけられたのよ。他にも沢山いた蛇さん達ともお喋りして仲良くなったの。それから綺麗なお花畑の場所を教えてもらって、そこが遠いから連れてってもらう約束をしたの。お礼に私はお昼ご飯を持っていったんだわ。・・・普通のお友達作りと一緒ね」
「こわくなかったの?」
「全く怖くなかったわ。だって人間と違って、マジュネル大陸には犯罪者がいないんだもの」
すると子供達は目を丸くした。
「なんでー?」
「ろうやにはいってるから?」
「わかった。きっとどこかにとじこめられたんだっ」
「ちかろうがあるんだっ」
「ううん、違うわよ」
子供達はもう遥佳の話に夢中になっている。だから遥佳は、首を横に振った。
「魔物や獣人はみんなが暮らす上でのルールをきちんと決めているの。だから小さな子供が一人で歩いてても攫われたりなんかしないし、ちゃんと保護してくれるのよ。ここだと、暗くなっても出歩いてたり、物騒な場所に子供が迷いこんだりしたら怖い目に遭うでしょ? だけどマジュネル大陸の場合は、迷子になった子供がいたらそれを見つけた大人がご飯を食べさせてくれるし、怖い目になんか遭わないの。だから猫さんの獣人が蛇さんの村に入りこんで迷子になっても、そのまま蛇さんちの子になっちゃったりするのよ。居心地がいいからって。ウサギさんやキツネさんの獣人だっていたわ」
「えー。そしたらボクもへびさんのこどもになるの?」
「ワタシはねこさんのこどもになっちゃう?」
「どうかしら。ちゃんとどこの子か分かるようにしておいたらおうちまで送り届けてくれるけど」
けれども、マジュネル大陸はそういう守ってくれる面ばかりではない。
「私はどこに泊まっているかが分かる目印をつけていたから、どこに行っても皆が優しかったし、道案内もしてくれたわ。マジュネルの人達はとても面倒見が良くて、いい人達ばかりなの。でもね、だからってマジュネルで悪いことを考えたりしたら、その人はとんでもない目に遭っちゃうのよ」
「とんでもないことってなぁに?」
「へびさんにのってあそべるんじゃないの?」
「ねこさんでもいいよ」
「えー。ウサギさんがいいー」
所詮は子供だ。馬に乗る感じで大きな動物に乗る自分しか思い浮かばないようだった。
「そうね。だけどマジュネル大陸では、ルールを守ることがとても大切なの。だから、たとえば子供がいても保護しない大人とか、綺麗な女の人を誘拐しようとする人とか、誰かを騙してひどい目に遭わせようと考える人とかがいたら、マジュネル大陸の人達がみんなで協力して悪い人を退治しちゃうのよ。だから、悪い大人や悪い子が行ったらこらしめられちゃうの。人間では勝てないわ。もし、あなた達が悪いことしようと思ってマジュネルに行ったら、こてんぱんにされちゃうわね」
かなりショックを受けたらしい子供達に、遥佳は微笑んだ。
「だけどね、あなた達がマジュネル大陸の人と仲良くなろうと思って、そして悪いことをしないなら仲良くなれるわ。楽しいことや綺麗なものを見せてもらえる。反対に、悪いことを考える子はそのまま退治されちゃうの。それを忘れないでね。いつかマジュネルに行く日が来たら、同じこの世界に生きる命として、相手に対して礼儀を守り、悪いことを考えなければきっと素敵なことばかりよ」
そうして遥佳はとてもカラフルな鳥獣人の話へと移る。
「鳥の獣人は色々な種族がいるのよ。私が見た鳥の獣人はとても鮮やかな色をしていたの。そうね、そのお人形のお洋服みたいな色の髪をしていたわ」
次から次へと語られていく獣人や魔物の話に、子供達は集中して聞き入った。
そうして昼食の時間になるまで遊戯室にいた遥佳だが、さすがに食事となれば親が迎えにやってきて子供達と合流する。
「あら、いい子にしてたのね」
「そうなんだよ。このおねーちゃんとなかよくなったの」
「ごはんなの? あのね、とてもおはなしがいいところだったの」
「それは良かったわね。だけどお食事の時間はお食事をするものよ」
そんな感じのやり取りがあり、遥佳は話しかけられそうになる度に微笑むことで会話を避け、その場を離れようとした。
「じゃあ、私もそろそろお昼に行くから」
「えー。おねえちゃん、いっしょにたべようよ」
「そうだよ。もっとおはなししてよ」
「ごめんなさいね。お食事は家族でとるものだもの。だから、また後でね」
大人も同席の食事となれば、家名や素性を詮索されないわけがない。
遥佳は、さささっと逃げた。
「下の食事室は満席ですので、上階の食事室においでくださいませ」
「ありがとう」
どうやら食事室は二つの階に分かれているようだった。案内された上階はテーブルごとの間隔も広く、柱や家具で他のテーブルの様子が見えにくくなっている。全く見えないわけではないが、視線を気にする程ではない。
この上階はかなり重厚な布がかけられたスペースもあり、そこから楽団の音が響き渡っていた。
(なんかとても軽やかな曲だわ。食事の間、次々と奏でてくれるのね)
ピンクのテーブルクロスがかけられた遥佳のテーブルには可愛らしい花が飾られている。
椅子は一つしかセットされていなかった。おかげで誰にも邪魔されない食事をすることができる。
(上の階って、上品でおっとりした老夫婦しかいないじゃないの。私の為に急遽ここを食事室にしたのね。隔離っぽいイメージにならないよう、他のお客さんを厳選して。・・・ええ、考えないわ。他の人と微妙に異なるメニューだなんてこと)
完全に違うわけではない。
けれどもスープには遥佳のものだけ最後に野菜をすりおろしたものが足されているから爽やかな風味が生まれている。煮込まれた肉にかかるソースも遥佳のだけは生クリームが重ねられて、ソースというよりもまるで濃厚なスープを思わせる味わいとなっていた。
マリネされた魚には酢の酸味を和らげる為に刻んだベリーが散らされ、フレッシュな香りが口内に広がって、ソテーされた貝も食欲を誘う。
(おかげで味に複雑さと深みが出てるけど、・・・ヴィゴラス。あなた、味見と称してどこまで要求したの。別に私、普通の味付けだったって濃いとか思わなかったのに)
生肉を平気で食べるくせに、どうしてあのグリフォンはこんなことにまで口が肥えているのだろう。
(ええ、私が悪いのよ。私がヴィゴラスに色々と食べさせたのが原因なのよ)
遥佳やラーナ、そしてガーネット達の手料理を食べ慣れているヴィゴラスだ。
船内で提供される食事を片っ端から味見して、もう少し味をまろやかにしろだの、ここには何を足すといいだの、味付けが濃すぎるだの、薄めるのではなくこういうものを足せばいいだの、野菜を多めにしろだの、うだうだ要求したのだろう。
けれども世間の人々誰もが遥佳のように薄味志向ではない。
料理人達は船が出港するまでの僅かな時間内で慌てて他の野菜も買いに行き、遥佳の口に合うよう工夫してみせたのだ。
(私が薄味なのって、幻獣のヴィゴラスに人間の濃い味付けは体に悪いだろうって思ったからなわけで。だからなるべく薄味で作るクセがついちゃっただけなんだけど)
生肉だけじゃなく調理された食事も食べたがった、第7神殿に居ついたグリフォン。
人間用の食事は塩分も高いだろうし、体に悪いんじゃないかと思ったけれど、おねだりされると弱い自分がいた。
(今にして思えば、ゲヨネル大陸の幻獣だって普通の食事してるし、別に味つけを薄くしておかなくても問題なかったのよね。ああ、どうして私はこういうことに気づいていなかったの)
そんなことを思いながらも、一番美味しく焼けているパンを遥佳の為に選んでくれた料理人の気持ちが有り難い。
さすがにパンは出来上がった物を船に積み込んだものだが、遥佳が乗ることが決まり、いつもの店から納入されるパンとは別に、他の美味しいと人気なパン屋を幾つかまわって何種類か揃えたのだ。
そうして皆で味見して、どれが一番美味しいと思えるパンかを多数決で決め、彼らは出してきた。
「あの、お料理は足りましたでしょうか? もしも足りないようでしたら違うお肉やお魚も用意しております」
「ありがとう。もう十分にいただいたわ。とても美味しくて、全部瞬く間に食べてしまったぐらい。船の中じゃ温めるぐらいしか出来ないと思っていたのに、まるでお城で出てくるようなお料理が出てきて驚いたわ。それに、やっぱりミザンガのお魚は臭みがなくてとても美味しい」
「ありがとうございます」
少し年老いた給仕の男性がとても嬉しげに顔をほころばせる。
「最後に甘い物をお持ちいたします。お茶は香り高いものがお好みとうかがってはおりますが、ギバティールで一番と名高い商会のお茶も全種類揃えております。どうぞお好きなものをお選び下さいませ」
「ギバティールのお茶も嫌いじゃないけど、できればミザンガのお茶が飲みたいわ。国外の人には喜ばれないからって、あの甘くないお菓子も外国人には出さないんでしょう? だけどテーブルのお花も可憐で目に心地よかったし、ミザンガの曲も楽しいもの。それならミザンガの味を楽しみたいの。あの、もし迷惑じゃなかったら、なんだけど」
「ありがとうございます。すぐに用意させていただきます」
自国ともてなしを褒められ、紛れもない笑顔になった彼は食べ終わった皿を片付けると、うきうきした顔で厨房へと戻っていった。
きっと遥佳の為に用意されていた予備の魚も肉も、ヴィゴラスのお腹に消えるのだろう。
(ごめんなさい。実はどこのお茶もこだわりなんてないです。何でも美味しく飲んでます。ミザンガのお茶もお菓子も今まで忘れきってました)
他のテーブルは、中央に花を飾ってある。だが、一人で食べる遥佳には、向かい側にあたる半円状に、花が飾られていた。
その風信子はミザンガ王国人に愛されている花だ。紫がかった青色や白色、淡い黄色やピンクにカールした花弁は甘い香りを放っている。純白の鈴蘭やピンクの撫子といった小さな花をあしらいながら、あまり背が高くならないようにしてくれていた。どれも、ミザンガ王国の女性が好む花ばかりだ。
他のテーブルの6倍以上の花が使われているだろう。これで豪華な花を持ってこられたら、まさに花を飾るスペースみたいになっていたかもしれない。
けれどもあえて背の低い可愛らしい花をメインで揃えたものだから、まるで花畑のような雰囲気がテーブル上に生まれていた。
(あとでこのお花もらっていいか、訊いてみましょ。やっぱりここまでされて何もないんじゃ気の毒だもの)
相手に対して何かお返しをしなくちゃいけないのではないかと考えてしまう遥佳は、真琴と違ってもてなしを満喫して終わらせる神経の持ち合わせがなかった。
パッパルート王国内で一つの村を滞在用に与えられているドレイクとキースヘルム達だが、彼らなりに小屋を作ったり改築したりしていた。
だから同じ村にいても、ドレイクとキースヘルム達はくっきりと使用スペースが分かれている。同じ村内にいるから結局は狎れあっているのだが、それでもお互いの縄張りを分けるのは大事なことだ。
ただ、キースヘルム達のトップにいるという自覚の薄い小娘が、どこまでもドレイク達の方へとやってくるだけである。
「ほれ、ユーリちゃん。そんだけ喋ったなら咽喉渇いただろ。水、ちゃんと飲んどけ」
「ありがと、カイネさん」
ハーブの葉を一枚、レモンの皮を一片。それに汲んだばかりの涼やかな水を入れて、カイネがカップを渡してきたものだから、優理はコクコクと飲んだ。
優理が喜ぶからと、レモンやハーブが手元にある時はそうして涼やかさをカイネは足してくれるのである。エスティスの仕込みだ。
「甘やかしすぎや、カイネ。大体なぁ、ハールカちゃん可愛がっとった兄ちゃんがお役立ちやからて、ハールカちゃん人質に手下ンなれ言うて脅したら脅し返されたって、なんやそれ。誰かて尽くす相手、自分で選ぶわ。同じ顔しとるから同じ愛情もらお思うんが図々しいっちゅうねん」
「言っとくけどっ! ちゃんと私達三人共愛してるって言ってたのよっ。それなら私にだって特別扱いしてくれたっていいじゃないのっ。差別よ差別っ」
黄の大盾に断られたムカムカを、遥佳だって言い募りたい。
絶対に間違っている。この自分への不遇を改善すべく、黄の大盾は自分の手下になるべきだ。
「差別はいかん言うたかて、世ん中差別ない方がおかしぃやろ。差別ないんが当たり前思うんなら、そん空っぽな頭をまずどうにかし」
ドレイクはあっさりと優理の不満を部屋の隅に片付ける。
そうして低いアルコール度数の酒を、ドレイクは水のように一口飲んだ。
「誰の味方なのよっ。ドレイクの馬鹿っ」
「現実見ぃや。キースヘルムん手下でも失敗こいて、そん兄ちゃんもそうなっただけやろが。そもそも男心を分かっとらなさすぎや」
ドレイクが全く同情してくれないものだから、優理はムッとした。
男心と言うが、男にも女にもなれる存在の心はどっちに属するのだろう。
そこまで言うともっと笑われそうで、優理は言いたいことをかなり飲みこんで頬を膨らませる。
「そーゆー自分だって女心を全く分かってないじゃないのっ」
「そんで困ったことあらへん。女が機嫌とってくるんや」
「ほんっとムカつく。女の敵ねっ」
平然といなすドレイクに、優理はむぅっと唇を尖らせた。
「放っといてんか。で、どやって来たんや。一人で来たんか?」
「送ってもらったの。そんなドタバタはよそでやれって言われて追い出されて、しかも私の応援してくれる筈の人を盾代わりに使って再度口説こうと思ったら、その盾代わりの男の人まで私を、
『まったく、おしゃまさんはすぐに背伸びするんだからしょうがねえなぁ。まあ、ちょっと頭冷やしとけ。たしか近くに作り上げてた村があったよな』とか言って、ここにぽーんと放り出してったのよ。信じられるっ? 信じられないでしょっ。どうして誰も彼もが私にはぞんざいなのっ。ハールカばっかり狡いっ」
優理だって差別根絶を訴えたいのだ。
黄の大盾に襲われそうになったところで黄の大剣が来てくれたのはいいが、その出現による違和感を黒龍も感じ取ったらしい。
手に読みかけの本をもって戻ってきた。
『何を騒いでおるのだ、そなた達は。おや、朱のではないか。だがユーリ、いくら女衒の元締めに相手にされなかったのが口惜しくとも、いきなり二人を相手にとは飛躍しすぎだ。それでも乱れた関係を楽しみたいならさっさと朱のの聖地へ行くがいい。全く誰も彼もが破廉恥で困ったものだ』
そして優理は、自分を押し倒そうとしているイージスもろとも、聖地からぽいっと放り出されたのである。
『おや、黒のには追い出されてしまったか。じゃあまたの機会にね。私達の可愛い子』
『ちょっとっ。・・・待ちなさいよっ』
『ほら、飴をあげよう』
黄の大盾には、頭を撫でられて飴を口に放り込まれて消えられた。
救世主の筈の黄の大剣にはこの村へ一瞬で連れてこられたが、それだけだ。
『たしかここに住んでるんだったな。まあ、悪戯は程々にな、俺のおしゃまな子』
優理の話も聞かず、彼は消えたのである。
ここまで放られっぱなしな神子姫がいていいのだろうか。あんな男達で守り人を名乗るとはどういうことだ。
この憤懣やるかたない思いを誰にぶつけるべきか。
やはりここは自分に甘いドレイクだろう。キースヘルムには迂闊なことを言えないしと、置いていかれた優理はむぅっとしながら考えた。
というわけで駆けこんできたのだが、どこまでいっても優理の味方は存在しない。
白馬の王子は優理に爽やかな笑顔だけを残して出かけてしまった。
まだカイネだけが少しは優しいだろうか。
「ああ、まあなぁ。ハールカちゃんは大人しいから可愛がりやすいんだろな。そこんとこ、ユーリちゃんはなぁ。そりゃ、その兄さんも最初から手を出す気はなかったんだろ。その体じゃしょうがねえさ。色仕掛けすんならもちっと育ってからだな、ユーリちゃん」
「私が成長してないのはドレイクやキース達が悪いのよっ。カイネさんもよっ」
「はっ!? なんで俺だよっ!?」
「なぁにヒトんせいにしとんのや。なして俺らがこんなお子様体型の責任までとらされなあかんの」
しょうがない奴やなとドレイクが溜め息をつく。
「ま、ええわ。どうせ果物ばっか先に育てとってもしゃあないやろ。どうせなら街道の下見に同行せぇや、ユーリ。王宮も十分楽しんだやろ。パッパルートの僻地に行きゃ、また変わった食いもんもあるかもしれんで。国との境にゃ、よそん影響もあるやろし」
「えっ?」
ぴくっと優理の頭が跳ねる。
そんな優理にドレイクは優しくにっこりと笑ってみせた。その焦げ茶色の瞳は全く笑っていなかったが。
「てかなぁ、なぁんか変な探りが入っとんのや。濃い髪色んドモロール人っぽい奴らからな。なあ、ユーリ? ドレイク一家のユーリとか言う腕利きを捜しとるらしいんやが、これ、どないすりゃええんやろな? それ、もっと先んことにしてくれな、手ぇまわらへんの分かっとるよな?」
「・・・あ」
優理は、視線をそっとずらす。
「お前はんが傭兵みたいなん、パッパルートでさせよ思てたんも知っとるわ。けどな、現状ではどこもでけへん。そん果物畑だけやなくてな、現状が追っついとらんのや。そこを先走ってやらかしてきたんは誰か、勿論分かっとるよな?」
「あははー・・・」
ドレイクは、フンッと鼻を鳴らした。
「適当にのらりくらりしとかなあかんやろ。どっちかて、まずは行方くらまさな面倒いことんなるわ。架空ん奴作ろ思たところで、キースヘルムん所が口滑らしたら終わりや。うちでユーリ言うんはお前はん一人や言う確証つかまれん内に、ドレイク一家そんもんを留守にした方がええ」
「はぁい」
ドレイクが指先を大きく広げた片手で優理の小さな頭をぐりぐりと掴む。
まさに大鷲の爪で捕まえられた子ネズミのように、その手は獲物を逃がさなかった。
「王様の婚約者は急病で寝ついたんや。さ、戻って用意してき。ああ、こっちに手間かけさせへんならお友達も連れてきたってええで」
「はぁい」
仕方がない。
ここはディッパに事情を説明して、ドモロール国王には商談の道筋をつけておいてもらおう。
今の時点ではまだ輸出するだけの条件が揃っていないのだ。
(ま、いっか。未来の王妃様も飽きてきたし)
なんだか今日はけちょんけちょんにされた気分だったが、優理は頷いた。
その予定がひっくり返ることになるとは、王宮に戻るまで分からなかったけれど。
美味しい昼食を食べた後、遥佳は客室で休むことにした。
(お世話させてもらえるだけで一生の誉れとか思われても・・・。私、ありふれた普通の人なのに)
食事をしながら遥佳だって色々と考えていたのだ。
だから料理のお皿やお茶を運んできてくれた年老いた男性に、遥佳は尋ねたのである。
『あの・・・。このテーブルのお花、とてもミザンガらしくて綺麗だったから・・・。このお花、お部屋に持って帰ってリボンで結んでもいいかしら?』
『勿論でございますっ。まだお花はございますからっ』
『い、いえ。これだけで十分です』
それこそ、やっと遥佳が自分から要求してくれたというので、お世話できる喜びに打ち震えながら必要以上に前のめり状態で何度も頷いていたが、その興奮具合にポックリ逝ったらどうしようと、遥佳は怯えずにいられなかった。
(この船の管理責任者さんが、まさか給仕に扮してまでって・・・。しかも船員さん達に混じっているのはその責任者さんのご家族。本来はこの人達こそ、人に給仕してもらって生活してるのに)
この遊覧船は、ミザンガ国王とミザンガにある神殿が半額ずつ出し合って造船した。
港近くにある神殿は、航海に出る人々や航海から戻った人々を祝福する意味合いもあって大きなものが建てられているが、どうやらこの船の管理責任者は、その神殿でも古参の神官だったようだ。ある意味、名誉職みたいなものだったのだろう。
本当の船の管理は船長がやっているので、本来はせいぜい年に数回の報告を受ける程度のものだ。しかし、その管理責任者の神官は港近くに屋敷を構えており、出航前などには顔を見せてくるフットワークの軽さがあったらしい。だから乗り込むことができたのだ。
食事室の扉の向こうでは、遥佳のテーブルセッティングをした少し年老いた女性が目元を押さえていた。
『本当はっ、心配だったのよっ。薔薇とかの方がっ、いいんじゃないかって・・・』
『良かったわっ。ねっ、お母様っ。本当に良かったわよっ』
感涙に咽ぶその女性は、給仕をしてくれた神官の妻だ。やはり給仕のお仕着せを着た娘の意見を聞きながらテーブルの花を飾ってくれたらしい。
目を潤ませながら母の肩をぽんぽんとしながら勇気づける娘にしても、本来は神官の令嬢としてドレスを身につけてお世話してもらう立場だ。
『よろしゅうございました。奥様が育てていらした温室のお花がこんな栄誉に・・・』
同じくお仕着せ服を着た厳格そうな雰囲気の女性も、もらい泣きしている。
この遊覧はとても短い。だからお世話するといっても、せいぜい客室を飾りつけたり、食事の世話をしたりする程度だ。
可愛らしく飾りつけてくれたこの花々は、その奥方が丹精込めて育てたお気に入りの花々でもあった。
(別にハルカはどんな花でも喜ぶだろう。花で機嫌が直るなら幾らでも集めてくるのだが)
遥佳の前に姿を現すことを禁じられているヴィゴラスは、興味なさ気に母と娘と使用人との感動を見ていたが、花を沢山用意してくれば許してくれるだろうかなどと、欠伸しながら思う。
ヴィゴラスは、それぐらいで許してはくれないことも分かっていた。
それらの気配をダイレクトに感じている遥佳は、いささか居心地が悪い。
(否定的な言葉なんて言えない。言おうものなら誰もがどれだけ落ち込むかも分からないわ)
わざわざテーブルに飾られている花を欲しがるだなんて、行儀が悪いと思われるだろうかと少し悩んだ遥佳だったが、何も持っていないのだから仕方がなかった。
(なんかこのお爺さんには、女の子が野原でお花を摘んでるのと同じ扱いされたっぽいけど。私、もしかして野原みたいな所にも行ったことがない深窓のお姫様だと思われてるんじゃないかしら)
こういった船では時間つぶしに刺繍や編み物などをする女性も多い。
だから船には裁縫関係の道具も揃っていて、すぐさま色とりどりの綺麗なリボンが用意された。
(うーん。何色の組み合わせがいいかしら。どうせなら男の子っぽい色と女の子っぽい色と、二つの色のリボンを使ってみようかしら。あ、あの男の子の目の色に似た緑色もある)
遥佳に用意された客室にも花は飾られていたが、こちらこは白百合や大輪の薔薇がメインで、それぞれに趣向を変えて気を遣ってくれたのが分かる。
(このお部屋は豪勢な気分になれるようにってしてくれたのね。それならこっちも使ってあげないと)
勿論、子供達が待っているであろう遊戯室に行かなかったことに罪悪感がないわけではない。
だけど仕方がないと思う。
(子供達だってお父さんやお母さん達にマジュネルのこと話しちゃうわよね。パパ達が知らないことも知ってるんだよって自慢するわよね。しょうがないわ、それは)
問題はそれで大人達が感心して終わりにならなかったということだ。
マジュネル大陸からジンネル大陸へとやって来る魔物や獣人はいても、人間であちらの大陸に行こうと思う者は少ない。身体能力が違いすぎて、人間の男が行っても自信喪失するだけなのだ。恋愛感情を抱いてくれる魔物や獣人の女性もまずいない。
そして人間の女が行こうと思う場所ではない。何故ならば身体能力が違いすぎるからこそ、マジュネル大陸で稼ぐ手段などないからだ。
マジュネル大陸でバイトしている遥佳はそんなことはないと知っているが、一般常識的な視野から見て、非力な人間の女が金を稼ごうと思ったらそれこそ売春といった手段しかなく、それすらも体力の違いがありすぎてすぐにボロボロになると、判断するだろう。
そして大金を持って、何が起こるかも分からない、庇護もないよその大陸へ行こうと思う女性がいる筈もないのである。
ゆえに、子供達から話を聞いた大人達は一笑に付した。
『はは、やっぱり子供だなぁ。そりゃ騙されたんだよ』
『ほほほ。面白いお話ね。だけど信じちゃ駄目よ。マジュネル大陸は恐ろしい場所なんだから』
『まあ、そんなお伽噺があったの? 楽しくて良かったわね』
勿論、子供達は言い募る。
『だまされてなんかないもんっ』
『ほんとうのことなんだよ』
かくして、遥佳は階下の食事室から響いてくる声を階段の所で聞いてしまったのである。
『分かった。そのお姉さんとやらの化けの皮を剥がしてみせよう。そのような子供だましなど簡単にひん剥いてくれる』
『あらあら。坊やったら本気で信じてるの? だけどそんなことをよそで言われたら恥ずかしいわ。・・・いいわ、その方には私から話しましょうね』
『ばっかだなぁ。そんならそのお姉さんとやらを見に行ってみるか。大体、貴族よりも身分が上って、王族がマジュネル大陸に行っただなんて聞いたこともないよ』
論破できないとは言わない。
だが、したくない。
従って遥佳は自分の客室に行き、食事室のテーブルにあった風信子や撫子、チューリップやムスカリ、そして部屋に飾られていた薔薇や百合等を使って幾つもの小さな花束を作ることにしたのである。
どうせ客が降りたら捨てられてしまう花なのだ。それならば・・・。
(それもこれも真琴が考えなしなことをするからっ。しかも私の名前でっ)
同行者がいたならその幻獣に海賊退治を任せてしまえば良かっただけなのに、何が愛と正義の使者なのか。
だから自分がこうして見つかってしまうのだ。
「ヴィゴラス、いるんでしょ? 出てこなくていいから、子供達がいるお遊戯室まで行ってきてちょうだい。きっと親に嘘つき呼ばわりされて、子供達、しょんぼりしてると思うの」
「・・・俺はハルカだけを見守るのだ」
「お願いよ。そうでなければ船員さんに事情を話してお願いしなきゃいけないじゃない」
「分かった、俺が行こう。ハルカと話していいのは俺だけだからな」
「誰だって私と話していいのよ、ヴィゴラス」
顔も上げずに窓の外へと声を掛ければ、とても不満そうな返答があった。
それでもヴィゴラスは、言えばやってくれる幻獣だ。あの姉妹と違って、勝手に人の名前を使って動いたりもしない。
(初めてミザンガに来た時は、私のフリをした優理のやらかしたことが原因でゲオナルド王子に目をつけられたんだったわ。そして二度目は私のフリをした真琴のやらかしたことが原因でこの船長さんに見つかってしまったのよ)
何かが間違っている。
自分は姉妹によるなりすまし詐欺の余波ばかりを受けているのではないかと、遥佳は溜め息をつかずにはいられなかった。
朝から夕方までの遊覧は、もうすぐ終わりを迎える。
食事の後は部屋でゆっくりしたいとのことだったので、茶と菓子を途中で持って行かせたのだが、とても優しいお言葉をかけていただいたらしい。
お姿ばかりでなく、やはりお心もお美しいのだろう。
ああ、なんでこんなにも早く時間は経ってしまうのだろうかと、愛と正義のグリフォン号船長は溜め息をついた。
(いいや、それでも出来る限りのことをさせていただくのが我が務め。騒ぎにならぬよう、一番に降りていただいた方がいいだろう。出来るならば再びお乗りいただきたいところだが、そういうことをお伝えしてもいいのだろうか)
そう思って、遥佳がいる客室へとやってきた船長だが、コンコンとノックする前にカチャッと扉が開き、緑色のヴェールで目元を隠した娘が出てくる。
「ちょうど良かったです、船長さん。あの、ちょっとお願いがあるんですけど」
「何なりとお命じください。船員一同、全力でそのご期待に応える所存にございます」
その言葉を受けてどこか疲れたような顔になった遥佳だが、ぱあっと喜びに顔を輝かせている船長の目にそれは映っていなかった。
「実はですね、ちょっと子供達にお話してあげたら変な騒ぎになってしまったらしくて」
「存じております。どうぞお心安らかにおいでくださいませ。そのような雑音は全て・・・」
「あ、そうじゃないんです」
遥佳はパタパタと片手を軽く振る。
「単に煩わしいから、もう顔を合わさないようにここで失礼させていただこうと思ったんです。だから私、ここから帰ります。今日は本当にお世話になりました。とても快適な時間を過ごさせていただきました」
「は? あの、ここで帰るとは・・・。まだ岸には着いておりません。いえ、一番に降りていただきますよう、ご案内させていただきますが」
「いえ、それは別に必要ないですから。・・・それでですね、えっと、良かったら岸に着いたら海の方を見ていただけますか? ささやかですけど、ちょっとしたお礼をさせていただきます。いえ、そちらが用意してくれたものなんですけど」
「そんな。お礼などと。・・・こちらがお礼を申し上げる立場でございます」
船長は、戸惑いながらもどうにか言葉を返した。
命を救われたあの日を忘れることはないだろう。その感謝を忘れぬよう、直談判して船名も変更してもらったのだ。
船長の心に、炎を操って海賊の服を燃やしつくしたお茶目な美女の姿が蘇る。
それをダイレクトに読んでしまった遥佳は、頬を赤らめた。その理由が羞恥か憤怒か、それは遥佳しか知らない。
ただ、捕獲カウントダウンが始まっただけだ。
「本当に気にしないでくれていいんです。・・・あの、じゃあ、本当に有り難うございました。船員の皆さんにもどうかよろしくお伝えください。えっと、みっともないので、乗る所は見せられないんです。私、ここで失礼します」
「は? あ、はい・・・」
意味が分からないままに返事をした船長の前で、そそくさと扉が閉められる。
もしかしてこれは追い払われたということだろうかと、船長は悩みながらも姫君が一人きりの部屋の前で立ち尽くしているのもまずい気がした。
(着岸したら一番にお迎えにあがればいいだろうか)
諦めて廊下を引き返し、そうして船内の様子を見回る為に甲板へと出る。
港までの距離を目で測る為だ。
(え? あれは・・・!?)
ゆっくりと上空に向かって飛んでいくのは鳥ではなかった。あんな大きな鳥などいる筈がない。
そう、翼を広げた大きなグリフォンが雲をめがけて飛翔していく。
「船長っ、あそこに・・・っ」
「分かってるっ」
やはり進路を見ていた船員達が声をかけてきたものだから、船長は怒鳴り返した。
誰もが呆然と空を見上げるが、すぐにその姿は見えなくなる。
「船長。・・・せめて全員で並んでお見送りしたかったっすね」
そのグリフォンがどこから飛び立ったのか、理解していない船員はいなかった。
「そうだな。だが、岸に着いたら海の方を見るように仰ったのだ。しかしグリフォンと共に岸の方へ飛んでゆかれたのに、海を見ろとは一体・・・」
「え? だって岸の方へ飛んでったわけですし、海の方を見ても何もないと思いますよ」
「そうですよね。もしかして戻ってきてくださるのでしょうか」
集まってきた船員達も口々に言い合う。
「まあ、いい。まずは着岸だ。皆、配置につけ」
気を取り直した船長はそう命じ、船は無事に港へと入った。
ミザンガ王国は聖なるギバティ王国の隣に位置している。ギバティ王国は愛を司る女神シアラスティネルを崇める大神殿があり、武力を重視しない国だ。
だからこそミザンガ王国で騎士になり、ギバティール王国へと向かう者もいたりする。武力を重視しない王国だからこそ、よその国で鍛錬した騎士を雇ってくれたりもするのだ。
(ボクもカッコいいきしさまになるんだ)
そう思って騎士様のご本を読もうとしたら難しくて読めず、すやすやと居眠りしていた綺麗なお姉さんには、物語を読んでもらう筈が、マジュネル大陸の話になってしまった。
だから昼食の時、いつも偉そうにしている父や兄、そして母の前でマジュネル大陸の話をしてあげたのに、皆は自分を騙されたバカ扱いしてきたのだ。
そんな理由により、亜麻色の髪をした男の子はとても不機嫌だ。
(ひどいよ、みんな。ボクだってだまされたヒガイシャなのにさ)
あのお姉さんは嘘をついたのだろうか。
そう思うとなんだか心か苦しい。とても優しそうな人だったのに、嘘つきなんてひどい。
目の端にかかった亜麻色の前髪をぶんぶんと振って、その男児はまた落ち込んでしまった。
――― 船を降りる前に、海を見ろとの伝言だ。ちゃんと伝えたぞ。
遊戯室で待っていたら、そんなことを大上段に言ってきた男の人がいたけれど、そんなの信じない。
(あのおねーちゃんがいうまでしんじないんだから)
嘘じゃない、本当にマジュネルのお話をしてもらったんだよという子供達の言葉を受けてやってきた大人達は、
「ほら、やっぱり嘘だったのよ。だからその人も来ないんだわ」とか、
「騙されたのさ。だからその女は逃げたんだろ」などと言い捨てて違う場所に行ってしまったけれど、自分達はずっとあのお姉さんが戻ってくるのを待っていた。
(海を見ろって、海を見たら何があるんだろう。また騙されちゃうのかな)
そんなことを思いながら、ぼうっと甲板の椅子に座っていると、船が岸に着いたと、船員達が声を掛け合っているのが聞こえた。
「うわあ、何あれ」
「すっごーい」
「なんだ、これは」
そんな声に、沖側を振り向けば・・・。
「うわぁっ、すっごーいっ」
思わず駆け出したのは男の子だけではなかったらしい。一緒になって遊戯室でしょんぼりしていた子供達も、今は嬉しそうに海を指差している。
「あっちみてっ」
「すごーいっ」
濃い緑色の瞳を輝かせ、男の子は柵の所まで行って誰よりもそれらをよく見ようとした。
ほとんどの乗客がその声を聞き、どんどんと集まってくる。
「ねこさんーっ」
「うわぁ、おおきなへびさんだぁ」
「とりさんもいるぅー」
そこには、海の水が盛り上がって様々な動物の姿を作り上げる景色が広がっていた。
(そっか。あれがマジュネルたいりくのじゅうじんなんだ)
だって動物たちの横には「マジュネル」って文字が海の水で作られているのだから。
その文字を大人達に読んでもらった子供達は、大威張りだった。
「だからいったのにっ。ほんとうにマジュネルにはよいジュージンがいるんだからっ」
「おとうさまがしんじてくれないからよっ」
文句を言う子供達に大人達も閉口しつつ、この奇跡をぽかんとして見つめている。
「あはっ」
嬉しくなって、男の子は笑い出さずにいられなかった。
(やっぱりあのおねーちゃん、すごかったんだぁ)
海の水で出来た動物は透明で、所々に魚が入っているのはご愛嬌なのだろう。
騒ぎを聞きつけて集まってきた船員達も、海の水が織りなす奇跡に動きを止めている。
「これは・・・」
「おお、やはり」
同じ港の中にいる他の船からも、甲板に人が集まってこの不思議な現象を指差していた。
海の水で出来た大きな鳥が、トビウオのように水面を跳ねる。
「わあっ、おはな-っ」
「かわいいーっ」
やがて空から小さな花束が次々に降ってきた。
それは乗客のみならず、甲板にいた船員達にもだ。
誰もが慌てて自分の前に落ちてきた花を拾っている。中にはだだーっと涙を流している少し年老いた女性もいた。その女性に降ってきた花は、リボンも複数使われていて、特に可愛くてきていたからかもしれない。
(そっか。やっぱりあのおねーちゃんがいってたの、うそじゃなかったんだ)
きっとご飯の後からいなくなっちゃったのは、皆が囲んで苛めようとしたからなのだろう。
だけどこうして、騙してないよ、マジュネル大陸には本当にこんな人達がいるんだよって、そう教えてくれたのだ。
だって、どの蛇や羊、そして獅子や豹達だってとても穏やかな目をしている。柵から手を伸ばす子供達に向かって近づいてもきたのだ。
「おみずだぁ」
「しょっぱーい」
海水で出来た体を触らせてもらった子供達が、嬉しそうに笑い出す。
(うみのへびさん。さわっちゃった)
一番に自分に近寄ってきたのは、もしかしてあのお姉さんに声をかけたのが自分だからだろうか。
本当にあのお姉さんはマジュネル大陸の魔物や獣人のお友達だったのだ。
だからマジュネル大陸には優しい人達がいるに違いないと確信できた。
(おねーちゃん、どこにいるんだろう。もしかしてうみのなか? それともあのうみでできたへびさんのうえにのってでてくるのかな)
そう思って男の子は、この気持ちをどう言えばいいのかも分からないまま、えへへと笑ってしまう。
手の中に降ってきた花束は、自分の瞳とよく似た濃い緑色のリボンがかけられていた。
「いってみたいな、マジュネル」
だから男の子は花束をぎゅっと抱きしめてそう呟く。
大きくなった時の夢は沢山ある。
騎士様になること。お菓子を沢山食べても怒られない大人になること。
だけど今日から、「マジュネル大陸に行ってみること」が増えてもいい気がする。
馬に乗って戦う騎士様もいいけど、蛇に乗って戦う愛と正義の使者もカッコいいと思うんだ。