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219 彼らは嘘をなんとも思わなかった


 ギバティ王城で国王夫妻に挨拶し終えたイスマルクは、馬車の中でやや地味な神官服に着替えた。

 正装より地味だというだけで、イスマルクが普段から着慣れていた神官服よりも派手だし、緻密な模様が刺繍されていて、やはり偉そうに見えることには変わりないのだが、もうそれは仕方ないだろう。

 着替え終わったかと思うと、イスマルクは馬車を停めさせて小さな店に入っていき、三口で食べられそうな小さなパンや、少し大きめのクッキーを買い求める。

 

「えーっと、そっちの小型パンを、・・・そうだな、干し葡萄入り、ベーコン入り、チーズ入り、それぞれ30個ずつください。それから、このカカオ入りクッキーを40枚、生姜入りを40枚」

「はい。神官様、良かったら紙袋じゃなく籠に入れましょうか? うちの手内職ですから簡単なものですけど」

「助かります。ありがとう、お嬢さん」

「いえ、こんなに沢山買ってくださったんですもの。有り難うございます」


 今まで自分達が仕えてきた高位神官がそういった物を自分で買うことなどなかった為、イスマルクの補佐としてつけられている神官達は戸惑うしかない。


「良かったら一つどうですか。先に味見しておかないとね。不味(まず)いのをあげると印象最悪になるんですよ」


 焼き立てパンなどの香りが漂うバスケットを持って馬車に戻ってきたイスマルクは、馭者達にもパンを二つずつ渡していたが、神官達にも勧める。


「イスマルク様。そういう物は私共が買いに参りますので・・・」

「いや、店に入って適当な物をさっと買うなら、私の方が早いですよ。それに大した手間じゃありません」

「そうかもしれませんが・・・」


 その通りなので、同じ馬車の中にいる神官達は何も言えなくなった。付き従う神官の質と数は権力の証である。王城へもわざわざついてきたというのに、肝心の国王と会う時にイスマルクは自分達に席を外させた。

 本来ならば軽く扱われてしまうだけであろうに、飄々とした様子でイスマルクは側付きの神官がいなくても全くかまわないとばかりに動き続けている。


『なんということだ。もう自分勝手に動き始めた』

『あまりにも我らを(ないがし)ろにしてはいまいか』


 本来ならば、自分達を軽視することで、どれだけ不首尾なことが出るかを思い知らせてやるべきだ。

 だが、それができない理由がある。

 何故ならば、イスマルクは神子姫の側で仕えることを許された唯一の神官だからだ。イスマルクの近くにいることで、もしかしたら自分もそれに続くことが出来るかもしれない。

 そうなるとイスマルクの不興を買って遠ざけられる方が痛い。


『さりげなく邪魔しようにも、一番下から始めただけあって騙されることがない』

『神殿長としての経験がある上、雑事の処理も彼は得意だ』


 辺鄙(へんぴ)な地にある第25神殿長として様々な雑用をこなしながら、大神殿では第1等神官の直属だっただけあって、物事の進捗状況など予測するのも的確で、イスマルクには誤魔化しがきかない。


「美味しかったらまた買いに行こうと思うんです。安くて美味しいお店が一番ですね」


 そんなことを言うイスマルクは何を考えているのか。戸惑いながら、バスケットの中にある適当なパンやクッキーに手を伸ばした彼らは、正直に詳しく味の感想を述べてみた。


「このカカオクッキー、砂糖粒がまぶされているので甘い物が好きな人にはいいと思います。ただ、くどい甘さが苦手な人にはやめておいた方がいいかもしれません」

「ジンジャーはその点、さっぱりしてますよ」

「チーズ入りパンは日持ちしそうにないですね。焼き立てが美味しいと思います」


 というのも、彼らはこっそりと階段の陰から見てしまったのだ。

 自分達を置いて大神殿の二階へと上がっていったイスマルクが、窓の外に手を差し伸べるようにした途端、その菓子達が空中へ舞い上がり、空を飛んでいったのを。

 イスマルクが呟いていた言葉は聞こえなかったが、自分が食べると嘘をつき、人払いをしてまでそんなことをしていた以上、どういうカラクリかは不明ながら、渡した相手は神子姫であろうと察するのは当然だろう。


「あの、イスマルク様。美味しい菓子を売っている店なら、もっと高級店がありますが? 何でしたら買って参りましょうか?」


 だが、神子姫に渡すのであれば、あんな売店の物ではなく、もっといい菓子を渡してほしかった・・・!

 そう思わずにいられない彼らの嘆きは、不完全燃焼もいいところだ。ついてくるなと言われた以上、覗き見したことを言うわけにいかない。

 けれど、イスマルクが直接仕えている姫君は神子姫なのである。この世界で一番高貴な姫君なのである。そんな駄菓子ですませていい姫様ではないのである。

 自分達が自腹を切ってもいいから、せめて王族や貴族の姫君が茶会で使うような高級菓子を贈らせてほしい。


「そういうのはいいんです。いえ、場所は知っておきたいので、後で教えてくれると助かります。だけど普段、ぱくぱく食べられるのは素朴で飽きがこないものでしょう」


 後続の馬車にいる神官達がどう思っているかは不明ながら、同じ馬車に同乗した神官達の気持ちに全く気づくことなく、イスマルクはそれですませた。


(高級菓子かぁ。だけどハールカが作ってくれる菓子が一番だしな。そりゃ一つ一つに手間がかけられたああいう物もいいんだが、高いだけで少ないし、満足感があるかと言われると・・・)


 イスマルクが溺愛してやまない神子姫の一人、真琴は、彼が適当に作ったおやつでも美味しく食べる素直な舌の持ち主である。そして遥佳はラーナやガーネット達と一緒にお菓子を作ったりするが、それこそ皆で仲良く食べられるものばかりだ。

 従ってイスマルクは、自分が大神殿で買い求めた菓子について疑問を抱くこともなく、馬車内での会話も一般的な話として捉えていた。

 大体、このパンとクッキーを渡す相手がそこまでグルメには思えない。

 イスマルクはイスマルクなりに、せっかくだからと適当な理由をつけて親切で彼らにも食べさせただけなのである。


(そうだな。高級な店はやっぱりエレオノーラと行こう。彼女が気に入った菓子を土産に買って帰ればいい。あ、それから美味しい料理店にも連れてってあげなきゃな。飲み物のレパートリーを増やしたいって、エレオノーラ言ってたし)


 幸せいっぱいな新婚デート計画を諦めていないイスマルクは、時間を有効に使う神官だった。

 僻地で見習い神官達を指導しながら地元の雇用促進と内職に勤しみ、神殿としての働きも忘れていなかっただけはある。


「イスマルク様、到着しました」

「分かりました」


 そうしてイスマルクは、パン入りバスケットを持って馬車を降りると、自警団の詰所へと入っていった。




 自警団は、あくまで治安を乱す人間を取り締まる為に出来た組織だ。同じ犯罪でも軽度のものを中心に対応している。

 軍人だった前歴の人間が団員となったり、軍に所属する治安部隊から責任者となる人間を出してもらったりして、半官半民の色合いが強い組織でもある。実際、人手や牢の貸し借りなどは毎日のことで、軍の子会社みたいなものだろう。

 自警団では対応できない凶悪犯罪は軍へと移行する為、自警団が持つ情報はほとんど軍へも提供されている。とはいえ、規律の厳しい軍とは給料も保障も違う為、何かとこすっからい小遣い稼ぎをする者も多いのだが。

 それでも市民にとって、あまり怖くなく、それでいて頼りになる存在であることには違いない。


「こんにちは」


 そんな自警団の詰所に、かなり高そうな神官服を着た青年が顔を出したものだから、行儀悪くも椅子の脚を浮かしてカタカタ言わせたり、テーブルに足を投げ出して寛いでいたりした男達は、慌てて立ち上がった。


「えっと・・・。どうしたんすか、神官様?」

「何か困ったことでもありましたかね?」


 イスマルクの後ろに何人かの神官もついてきたものだから、居心地悪そうに居住まいを正す団員達である。


「いえ、実はフェクエ通りの神官のことでお手数をおかけしているようなのでご挨拶に。あ、これ、大したものじゃありませんが、差し入れです。皆さんで食べてください」

「フェクエ通り・・・。ああ、あの馬車に押しこまれたっていう・・・」


 どうやらここにいた団員達がその任に就いてはいないようだったが、話は通じているらしい。パンやクッキーが大盛りのバスケットをテーブルの上に置いてから、イスマルクはその蒼い瞳に憂いを滲ませた。


「おや、これはこれは。神官様、何かご用事でも?」


 いきなり何人もの神官がやってきたと、団員の一人が知らせたものだから、その詰所の団長が奥から現れる。


「ええ。こちらの自警団でフェクエ通りのアルド殿の捜索を引き受けてくださっていると聞き、お礼を申し上げに来たのです。あちこちで聞きこみしてくださってるとか。有り難うございます」

「アルドさんというと、あの神官様の件ですね。いや、申し訳ないことです。残念ながら、未だに手がかりは掴めておりません」

 

 すまなさそうな顔で、イスマルクの前までやってきた団長はやや項垂(うなだ)れた。


「あ、いえいえ。そんなことは・・・。親身になっていただいて感謝しております」

「いや、それこそ我々の務めです、神官様」


 大の男がいなくなっただけなら、大抵は放置される。レイスの場合、いささか注目を集め始めていた神官ということが多大に影響していただろう。


「あの第1神殿の神官様ですよね? 誰があんな罰当たりなことをしやがったんだか」

「今、軍の方でも捜索を手伝ってもらえないか、問い合わせてるんっすよ」

「神官様。他の詰所にも協力要請、出してますから」


 口々に励ましてこようとする団員達の言葉を受け、イスマルクは感謝の気持ちをこめて自分の前にやってきていた団長の手を両手で握る。


「ありがとうございます。・・・アルド殿の家人も全員、聞き込みや捜索に行っているそうです。恐らく、不眠不休で捜しているのでしょう。彼を攫った人間の思惑など分かりませんが、彼は未来を嘱望(しょくぼう)されている神官なのです。解放されることを願ってやみません。もし、・・・もしもですが、繁華街や裏通りなどで彼に似たような人物を見つけた時は、どうぞ大神殿までご連絡ください。お願いいたします」

「大丈夫です、神官様。ですが、そう死体で見つかると限ったものでもありません。どうぞ気を強く持ってください」


 団長は、イスマルクの手を強く握り返した。


「そうっすよ、神官様。金持ちのドラ息子が、あの燃えるご神体を見て、是非にと強行的な招き入れをしやがっただけかもしれねえです。そんなら数日で帰してくれるもんですよ」

「これが若い娘さんならともかく男なんだ。絶望するには早すぎるますって」


 そうやって勇気づけてくれようとする彼らは、犯罪を取り締まる側というよりもする側にすら思える外見ばかりだ。

 

「ありがとうございます。正直、これは女神様に仕える神官を追い落とす為に仕組まれた罠ではないかと思うと、我々も表立ってあまり動くわけにはいかないのです。あなた方の協力がどれ程に心強いか・・・」

「と言いますと? 神官様、どうぞお座りになってください」


 そこにあった椅子を勧められ、イスマルクはテーブルに向かい、団長と並んで座る。


「これは、・・・捜索に当たってくださっている自警団の方々の胸に納めておいてほしいのですが」

「勿論です、神官様。我々は街の治安に貢献する身。様々なものを見聞きしてはおりますが、それを面白おかしく(はや)し立てるような真似は致しません」


 顔を寄せてきたイスマルクに、団長やその場にいた団員達も真面目な顔になった。イスマルクの後についてきた神官達も耳を(そばだ)てる。

 

「今、女神シアラスティネル様に、とても可愛らしくて、とても心優しくて、もう見た目も愛くるしくて、本当にこんなに純粋で清らかな子が現実世界に存在していいんだろうかと思うぐらいに健気(けなげ)な神子姫様がいらしたことはご存じだと思います。

 豪華な衣装に身を包み、人々に(かしず)かれて栄耀栄華を謳歌するよりも、女神様を信仰する市井の人々の中に紛れて、その何気ない日常を共に感謝したいと、神子姫様はあえてご素性をお隠しになり、様々な地を旅しておられます。そんな頑張り屋で愛らしい神子姫様を、欲にかられた誰もが狙っていることも」

「勿論です」


 これはもしやかなり機密事項に係わる裏があるのでは・・・?

 そんな思惑が、団長の顔を更に引き締めた。


「実は、今回攫われたアルド殿ですが、・・・このギバティールに立ち寄られた神子姫様がお声を掛けられる程に信頼された神官だったのです」

「なんですとっ? まさか、神子姫様がこのギバティールにっ!?」


 団長もかなり声が上擦(うわず)る。


「ええ。もう立ち去られておしまいになりましたが、神子姫様はアルド殿に、自分はギバティールを知らないし、できれば案内を頼めそうな信頼できる女性を紹介してほしいと頼まれ、そうして彼が手配した女性に案内してもらって神子姫様はギバティール観光を楽しまれたようです。今度はお友達を連れて来たいと仰ったとか。

 それもこれも、ご婦人だけで安心して歩けるような街の治安維持に努めてくださっている自警団あってのこと。感謝申し上げます」

「当然です。我ら自警団、街の治安にどうして手を抜きましょうか」


 団長以下、誰もが胸を張らずにはいられない。

 もしもまだ遥佳がギバティールにいたなら、全ての破落戸(ゴロツキ)共を牢に放りこんででも安全な街を作り上げたことだろう。


「ですが神子姫様は、ご存じの通り、ご自分のことで騒がれるのをお(いと)われます。あくまで信頼できる者だけにそっと頼みごとをなさっては、静かに立ち去っていかれるお方。アルド殿もその係わりを周囲には決して言わず、ご信頼をひけらかすこともなく、お役に立てたならそれでよしと、自分の胸一つにおさめ、それですませておりました」

「なんと謙虚な方でありましょう。やはり屋外でわざわざ説法をなさるだけはあります」


 団長の相槌にも力が入ってきた。


「ですが、それを知れば、アルド殿に成り代わりたいと野心を抱く者が出てくることなど、団長ならばお分かりでしょう。様々な人の光と闇を常に見ていらっしゃる団長ならば」

「分かりますとも。ええ、そういった人間が出ない筈がありません」


 ぐいっと、団長はイスマルクの方へと身を乗り出す。周囲にいた団員達も、力強く頷いた。


「神子姫様はドリエータでも傷ついた兵士達を治療する場所で医師の手伝いをなさっておられました。世界にはどうしても貧しき者や病み衰えた者がいて、神子姫様は時にそれに心を痛められては、そのお気持ちを分かった上で協力する者を頼ってくださいます。

 アルド殿は神子姫様の為に、・・・ええ、時には神子姫様のお名前を出せぬがゆえに怪しまれ、牢へ放り込まれることになろうとも、あえて自分が全ての罪をひっかぶり、その信頼に応え続けてきた方なのです」

「神官様が、牢に・・・! ですが、神子姫様の御名前を出せば、すぐに・・・」


 イスマルクは、そこで悲しげに首を横に振る。


「ではお尋ねしますが、自己申告など、どこに証拠がありましょう? 本当に神子姫様のご信頼を頂いているかどうかなど、誰が見極めることができますか?

 一度でもそんな主張をすれば、今度は『自分こそが神子姫様のご信頼を頂いている者だ』と、そんな嘘を堂々とつく人間が次々に現れるだけです。

 この世界は広く、神子姫様も一ヶ所に落ち着いてはいらっしゃいません。まさかそのような汚いことを考える人間がいるなどと、人々の愛を寿がれ、誰もが優しさと思いやりを忘れていないと信じていらっしゃる神子姫様に申す者がおりましょうか。

 アルド殿は、神子姫様の願いに応えたがゆえに自分がどんな不遇な目に遭おうとも、それを神子姫様にお伝えすることもなく、その笑顔を守ってこられました。

 あなた方とて、綺麗事で全てが救われぬことなど十分にお分かりでしょう。犯罪を行う人間と協力することで、そう、清濁(せいだく)(あわ)()むことで、あなた方もこの街を守ってきたのではありませんか?」

「・・・その通りです。善だけを前に出しては、誰も救われません」


 今、その善だけを前面に押し出して愛を説く神官の頂点に立つイスマルクだが、そういうことを一時的に忘れられる程度には十分世間ずれしていた。


「ここまで言えば、もう団長はお分かりの筈です。

 アルド殿は、神子姫様の信頼を得ているゆえに、そのことを絶対に言えないのです。いえ、何があろうと口にしない方だからこそ、神子姫様に信頼され続けているのです。

 そして神子姫様がお嘆きになる社会の闇を解消する為、時にその手を汚すことがあったとしてもその罪は自分でかぶってきました。神子姫様が見かけてしまった不幸な女性を救う為、時には闇の勢力の中にも潜入し、その一員になりすましてその女性を殺したように見せかけ、助け出したこともあります」

「なんと。そこまでして神子姫様とは・・・。そしてあの神官様は・・・」

「ええ。ですが不自然さはどこかに滲むもの。神子姫様とアルド殿との関係を察してしまった人間がいたならば、彼を使って神子姫様を罠に掛けようと画策するでしょう。つまり、自分こそが神子姫様を利用して世界を手に入れようと野心を抱く、そんな人間にとってアルド殿はのどから手が出るぐらいに欲しい存在なのです」

「そんな事情が隠れていたとは・・・。ですが、それならばもう我々で対応できることではありません。軍を、いえ、国王陛下が動かれる事態ではないのでしょうか」

「それはできません」


 イスマルクは悲しげに首を横に振った。


「それこそ軍や、この国の上層部が、どうしてそこで神子姫様を利用しようと考えずにいられるでしょう。団長、あなたは良い方だ。こういう話を聞いても、神子姫様を手に入れて利用しようという野心を抱かずにおられるでしょう? ですが、その軍に属する者、全員が全員、野心を抱かないと言いきれますか?」

「・・・・・・」

「我々は神官。神子姫様を優先する存在です。時にアルド殿を切り捨てようとも。

 ですから、・・・どんなに辛くとも、彼を人質にして神子姫様を呼び寄せようなどと、そんなことをさせるわけにはいかないのです。その為であれば彼を見捨てても、それこそ彼が殺される事態になろうとも、我々は神子姫様をお守りし、その犠牲を受け入れます」

「・・・当然です」


 そこで冷たいと言う程、団長も世間知らずではない。何かを守るということは、何かを切り捨てるということだ。

 苦悩をその蒼い瞳に湛え、イスマルクは立ち上がる。


「どうぞこの話は内密に。・・・そして、どうかアルド殿の探索をよろしくお願いいたします」

「我々を信頼してくださったことに感謝いたします、神官様。そういった事情でしたら、神官様があまり表立って動けないのも無理からぬこと。全てが敵でもありましょう。勿論、どなたにも言いません。そして我々自警団、総力を挙げて探索に動きます」

「有り難うございます。感謝申し上げます」

「で、・・・あの、この話を聞いた後で、これを言うのは本当に申し訳ないのですが、・・・神子姫様の外見的な特徴を聞かせていただくというのは駄目なものなんでしょうか、神官様? せめてお年頃だけでも」

「・・・・・・」

 

 少し申し訳なさそうな顔になりながらも、やはり神子姫の外見的な特徴が気になる団長である。もしも自分が気づかぬ内に、神子姫が何かに巻き込まれてしまっていたならどうすればいいのか。

 今度から女性だけで観光している人達を見つけたなら親切にしておこう。そしてあわよくば・・・。


「それは申し上げられません。ですが、・・・そうですね。こちらの団長には特別に、ですよ?」


 イスマルクは、あなた達だけですと、そう囁いた。


「神子姫様はどうしても世間知らずなので、こっちが脱力せずにはいられない程、おっとりしていらっしゃいます。人の善意を信じていらっしゃるので、何ごとにも一生懸命です。

 年頃のお嬢さんですが、まだ子供のようにあどけないところがおありなもので、旅先で出会う老若男女、温かく見守る形になってしまい、いつでも皆に愛されている感じでしょうか。一緒にいると、愛や優しさ、人を大切に思う気持ちを思い出させてくれる、とても愛らしいお方です。

・・・外見は教えても意味がないのですよ。よく変装なさっておられますので、10代前半から20代後半まで、髪の色や化粧や服装で使い分けておられます。時には老婆に化けたりもなさいますね」

「むむ・・・、なるほど」

「女神様と同じです。神子姫様は、いつでもあなた方の心の中にいらっしゃるでしょう。誰かを信じ、安らいだ気持ちになれる、そういった存在として」


 禅問答のようなことを言いながら、イスマルクは、

「それではこれで」と、自警団の詰所に別れを告げた。


(ま、ここだけの話が、本当にそこだけで終わることなどないもんだ。この話はどこまでも広がる。これでレイスさんのヤバい過去がどっからか漏れてもどうにかなるだろう。どうにかならん程度の時までは知らん)


 恐らくレイスは十分に勝算があるのだ。

 そう思って、イスマルクは神殿の捜索を取りやめさせた。無駄な苦労をすることはない。それどころか、足を引っ張ることになるだろう。

 だが、以前からイスマルクは思っていたのである。


――― 自警団ってどうも手を抜き過ぎなんだよな。夜の商売している所とつるんでるから仕方がないんだが。もう少し治安維持に努力しろよ、気の抜けた見回りなんかするなよ。


 神子姫である遥佳が、デングラー男爵夫人とお出かけしたりしていたことは嘘じゃない。

 これできっと、あわよくば神子姫様とお知り合いになれるかもしれないと目論んだ彼らにより、少しだけギバティールの街は治安が良くなるだろう。


(すまない、ハールカ。君の影響力を遠慮なく利用している。だけど君はきっと喜ぶだろう。こうして少しずつでも弱き者にとって安全な場所が増えていくなら。これで裏路地とかの治安もよくなる。君を助けて感謝されたいとかいう下心に彼らが突き動かされるわけだし)


 そんなことを思いながら、イスマルクは着々と手を打ち始めた。






 レイモン侯爵の別邸に呼びつけられた愛人ジェインは、隣の部屋で凄い物音がしたものだから、浴室の扉に耳をつけて様子を判断しようとしていた。

 だが、さすがはレイモン侯爵家というべきか。薄い扉ではなかったのである。大きな物音ならば聞こえるが、普通の声のやり取り程度だと分からない。


(どうすればいいのかしら。出て行った方がいいの? だけどそんな変なお部屋だなんて、今、出ていったらどんな目に遭わされるかも分からない)


 粗野な態度だったが、あの神官らしき男は親切だった。表情や手の合図で悲鳴をあげるべき時のタイミングを教えてくれて、冷たい口調ではあったが、自分の名誉に配慮してくれた。

 

(どうしよう。物音が聞こえなくなったわ。だけどまだいるのかしら。どうなのかしら)


 少しだけだ。

 そっと気づかれないように小さく扉を開けて、中の様子を窺い、まずい事態の時には閉め直せばいい。

 ジェインは、かなりゆっくりとした動きでノブを回し、そろーりと扉を少しだけ開けて、室内の様子を見ようとした。


(あら? 誰もいない?)


 角度が悪いのだろうか? もう少し開けてみれば見えるだろうか。

 だが、扉から顔を出すようにして室内を見ても誰もいないようだ。

 ならばいいかと思って扉から体も出して室内をまじまじと見たら、ジェインは床に倒れている男達がいることに気づいた。


(え? なんでこんなところで寝てるの? さっきの神官様は?)


 けれどもこんな男達の相手までさせられてはたまらない。酔っ払っているのか、何を床で寝ているのかは知らないが、このまま逃げてしまおう。

 そう思ったジェインは足音を立てぬようにして、彼らが寝ているのを起こさずに部屋を出て行こうとした。


(え? なんだか寝てるわけじゃ、・・・ない?)


 けれども廊下に通じる扉まで行った時に、ちょうど床に倒れている一人の男と目が合う。いや、目が合ったと思いたかっただけだ。

 その目は、カッと見開いてどこかを睨みつけている。


(え? まさか・・・)


 酔っ払って寝ている顔ではない。それはまさにもがき苦しんだといった表情だ。


「きゃああああーっ」


 ジェインは、叫ばずにはいられなかった。

 何故なら、床に倒れている男達は、全く動かなかったからである。

 言い表せぬ恐怖が、ジェインを襲った。


「いやあああーっ、死んでっ、死んでるぅーっ。誰かっ、誰かぁーっ」


 もうこんな場所になどいたくない。

 これは悪夢なのか。

 嘘だと思いたい恐ろしさが、ジェインの体を強張(こわば)らせる。

 ジェインは足をもつれさせては何度も転び、そうして死体のない廊下をばたばたと、階段の方へと逃げ始めた。




 どんな思いで廊下を走って逃げたか覚えていないまま、階段のところまでやってきたジェインは、階下のエントランスに人がいるのを見つけて、そちらに駆け下りようとした。

 なるべく死体から離れたかったからだ。


「ひっ、・・・ここにもっ!?」


 だが、気付けば階段でも何人かの兵士達が倒れているではないか。まさか彼らも死んでいるのかと蒼白になったジェインだったが、「う・・・」「ううっ」という呻き声に気づいて少し落ち着いた。


「奥様っ、大丈夫ですかっ!?」

「お怪我はっ?」


 先程のジェインの悲鳴に反応して向かい側にある階段を上って近寄ってきた兵士達に、震える指で、

「あっち、・・・あっちの奥の部屋に、し、死体が・・・」と、指し示す。


「奥の部屋でございますねっ」

「どこか落ち着ける場所で休まれた方がよろしゅうございます。どこか空いている部屋を」

「危険でございます。一階にはお下りになりませんように」

「・・・え?」

 

 一階のエントランスから駆け上がってきてジェインを保護してくれる兵士達がとても頼もしく見えたが、彼らはジェインに下には行くなと、そう指示してきた。けれども階下には、レイモン侯爵を含めた貴族達と、先程の神官らしい男がいる。


「怖いのよ。せめて、ここにいさせてくれないかしら」


 階段の踊り場でもいい。人のいない部屋には行きたくなかった。

 そう告げれば、兵士は少し迷ったようだったが、頷く。


「では、何か椅子をお持ちいたします。下には閣下もおいでですので、お心強くいられましょう」


 空いている部屋から椅子を持ってきて、ジェインを手すりの傍に座らせた。


(アルセニオ様の隣にいらっしゃるあの方は、・・・デンアル伯爵様? 本当に、アルセニオ様だけじゃなかったのね。しかもレスティエ公爵様まで)


 ジェインがいるのは二階だが、エントランスは吹き抜けになっていて、エントランスの両側に階段が設置されている。

 ガタガタと震えながら、それでも階段の手すりを握りしめることでジェインの心は少しずつ落ち着き始めていった。そうなれば、レイモン侯爵の言葉も聞く余裕が出てくる。

 そう、愛人であるジェインがどれ程に悲鳴をあげようとも気にも留めなかった男の言葉を。


「さ、そう怒らないでくれ。他にも友人が来ていたんだが、酔っ払ってしまったんだ。変な誤解をして押しかけたんだろう? 私が差し向けたのは貴婦人一人だけさ。君だって彼女と楽しんだ筈だ。ならば私達はもっと話し合い、友情を深められる。そうだろう?」

「どうでもいいからそこを通してくれないか? もう十分に付き合った」


 エントランスの玄関扉のすぐ内側に、レイモン侯爵やデンアル伯爵、そしてゲイツ男爵達が兵士達に囲まれるようにして立っている。彼らはレイスを通すまいとしていた。

 兵士達はレイスを遠巻きにしながら、それでも全員がレイスの隙を狙っている。まさかと思うが、床に倒れている兵士達はレイスが叩きのめしたのだろうか。


「あのおどおどした君はどこに行ったんだろう? それとも新たな一面が目覚めたのかな?」

「知るか」


 レイスにだって事情があるのだ。


『じゃあ、怪我もしないって約束する?』

『お前が望むなら』

『絶対によ』

『分かった』


 約束してしまったから。

 勿論、約束を破ることなど、自分達には日常茶飯事だ。けれども、ジェルンでの時のように泣かせたくない。水死体だと叫ばれるのもごめんだ。

 大した怪我じゃなくても、あの寂しがり屋の神子姫はレイスが傷ついたことで泣くのだろう。

 だから演じた。レイモン侯爵達とてレイスが拷問で情報を吐くとは思っていないだろうが、それでも最初から喧嘩腰では殴る蹴るといった暴力行為を加えられたであろうことは、簡単に推測できる。

 しかし、ここまでくると演技する気力も動力切れだ。


「これ以上、俺に係わるな。多くを望みすぎる者は破滅するだけだ」

「さすがだね。とても含蓄があるよ。だけど兵士達には君を傷つけないようにとも命令しているし、私はかなり紳士的な行動をしているつもりだよ? もう少し君も協力してはくれないものかな?」


 冷めた瞳でも笑顔を浮かべるレイモン侯爵は、抜け目なくレイスの油断を見計らっていた。

 けれどもそこで、玄関の扉がドンドンと叩かれる。


『誰かっ。さっさと開けないかっ』

『お、お待ちください、ハリーシュ様っ。今、旦那様の命令でここの扉は開けるなと言われておりますっ』


 かなり怒っているハリーシュと、それを止めようとしている兵士の声がエントランスにも聞こえてきた。


「またうるさい奴がやってきた」


 レイモン侯爵は、小さくぼやく。


『アルセニオ様っ! 中にいるんでしょうっ。開けてくださいっ。人違いで神官様を連れてきたとは本当ですかっ!? ご兄弟をお間違えになったというのはっ』


 ドンドンドンと、何度も扉を叩く音がした。

 ハリーシュはレイモン侯爵家でもかなり偉い立場なので、兵士達では逆らえないのである。


「仕方ない。ハリーシュを入れろ」


 人違いとはどういうことかと思いながら、レイモン侯爵が命じたものだから扉近くにいた兵士が開錠して扉を小さく開けた。


「さっき、悲鳴が聞こえました。あれはジェイン様じゃありませんかっ? 何があったのですっ」


 すかさず入ってきたハリーシュは、エントランスの真ん中で兵士達に遠巻きにされているレイスに気づいて納得する。


「なるほど。たしかによく似ておられる。これでは間違えるのも無理はありませんね」

「人違いとはどういうことだ、ハリーシュ。そもそも、私は人違いなど・・・」


 そう不機嫌そうに鼻を鳴らしたレイモン侯爵だが、ハリーシュに続いて入ってきたリシャールに気づいて、言葉を止めた。


「まさか・・・。いや、だが・・・」


 同じような髪の色と顔立ち。

 人間、思いがけないことがあると、つい惑うことがある。

 レイモン侯爵達がレイスとリシャールを見比べる間に、リシャールは兄を確認した。


「やはりここにいたんですねっ」

「どうして来たっ。さっさと出ていけっ!」


 だが、兄の言葉はあまりにも薄情だった。


(それはないでしょうっ、アルド兄様っ!)


 何ということだろう。

 これがわざわざ髪の色を抜いてまで兄とよく似た外見にしてみせた弟に対する言葉だろうか。尻の痛みにも耐えた弟の愛を理解しない兄が、ここにいる。


「何を言ってるんですっ。しかもどうしてあなたが兵士に囲まれてるんですっ。・・・よもや第3等神官を無理矢理攫って、更には兵士達で脅してっ。大神殿を敵に回すということですかっ、これはっ!!」

「いいからさっさと出て行けっ。そいつらに常識が通用するかっ」


 リシャールの弾劾に兵士達がたじろぐが、レイスはリシャールにさっさと逃げるよう怒鳴りつけた。


「そいつを拘束しろっ」


 レイモン侯爵が横にいた兵士に命じる。


「何をするんですっ。レイモン侯爵っ、・・・いや、あなた方はっ、本気で大神殿を敵に回すつもりですかっ」


 いきなり兵士達に両腕を掴まれたリシャールだが、レイモン侯爵ばかりか、顔だけは知っている貴族がいるとあって、そう声を張り上げた。

 だが、その言葉に動じるような貴族などいない。元より、そのような脅しで動じるようで、どうして神子姫を手に入れようと考えるだろうか。


「どっちが本物かなど、どうでもいい。さあ、流れは変わった。大事な兄弟の命は大事だろう、アルド君?」


 レイモン侯爵は、レイスを舌なめずりしているような顔で熱っぽく見つめた。


「何をなさるんです、アルセニオ様っ。その方々は神官様なのですよっ」

「ハリーシュも大人しくさせておけ。邪魔だ」


 その言葉に兵士達が、リシャールと同じようにハリーシュの肩と腕を掴む。


「どうぞハリーシュ様。申し訳ございません。ですが、旦那様のご命令なのです。どうかお邪魔をなさらないでください」


 いつもは自分達に命令してくる立場のハリーシュとあって、兵士達も弱り顔で促した。

 彼らとて主人の命令は絶対なのだ。


「その首に掛けられているお守りを頂こうか。そうしたならば解放してあげよう。だが、逆らうと言うのなら、ここに飛びこんできた兄弟とやらを殺す。・・・賢い君なら分かるだろう?」

「俺がその交渉に乗るとでも?」

「乗るさ。・・・その時は君の命も助けてあげるからね。そうでないならば殺すまでだ。君が口を開く前に」

「・・・・・・」


 お守りの力を発揮する為の言葉は、もうレイモン侯爵達も知っている。


「君がそれを渡さない時間が長引けば長引く程、君の大事な兄弟も少しずつ傷ついていく。・・・こっちの男の首に剣を当てろ。こちらの要求を呑むまで、少しずつ切りつけていけ」


 兵士に命じるレイモン侯爵にしてみれば、ちょうどいい人質が外から飛びこんできたというものでしかなかった。


「そいつに傷一つでもつけてみろ。大神殿を本気で敵に回すことを分かってるんだろうな」

「覚悟の上さ。だが、君達二人が死体になったなら、今まで通り仲良くできるだろうね。それに君がそのお守りを渡して、その上で二人揃って沈黙を守り続けるならば、今までもこれからも仲良くやっていけることに変わりない」


 レイモン侯爵の声は本気だ。

 憎々しげに睨みつけてくるレイスの殺気すら、どうでもいいと言わんばかりに。

 

「うっ」


 ツプリと、リシャールの鎖骨に当てられた剣が首に小さな血の珠を作り、リシャールが唇を歪めた。


「それ以上傷つけるな! 傷つけたなら誰の命令であれ、お前を殺すっ!」


 レイスの鋭い声が兵士達を鞭のように打ち、なぜかリシャールを拘束していた兵士が苦しそうな顔になる。

 ざわっと、レイスの背後の空気が揺らいだような気がして、何人かの兵士が後退(あとすさ)った。


「そこをどいて、俺とそいつを一緒にしろ。どうせ外にも兵士達はいる。逃げられる状態じゃない。だが、その上で中庭まで出た時点で、このお守りを渡そう」

「渡すのが先だよ、アルド君」

「それぐらいなら、これをこのまま壊す。どうせ二人とも助からないなら床に叩きつけた方がマシだ」

「・・・・・・」


 ガラスでできたお守りの両端を両手で持ち、今にも割りそうな気配にレイモン侯爵もかなり迷いをみせる。

 

「いいよ。無駄な足掻きだけど、そういうことなら門との中間までは進ませてあげよう。二人一緒にね。麗しい兄弟愛だ。だけどそこで渡さないなら、兵士達の剣ばかりか、矢も君達を射抜こうとするよ。そして、あの呼びかけも禁止だ。言い始めた時点で君に矢を向ける」

「分かった」


 しぶしぶ受け入れたレイモン侯爵だったが、お守りを発動させる為の言葉を知られていると知ったレイスにも、悔しげな表情が浮かんだ。


「扉を全開に。よく似たその兄弟を、門とこの建物の間の所まで進ませろ」


 レイモン侯爵の命をうけて、兵士達が玄関の扉を大きく開け放つ。

 忌々しげにレイモン侯爵と、その背後でこの成り行きを見守っている貴族達とを睨みつけると、レイスは場所を譲るように下がった兵士達の間を外へと歩き始める。


「大事なものなら、・・・私を見捨ててください」

「お前は黙ってろ」


 お守りとは何だろうと思うリシャールは、あくまで兄を助けに来たのである。足を引っ張りに来たわけではない。

 だからそう言えば、レイスに素っ気なく提案を叩き落とされた。


「そいつを放せ。代々高位神官を輩出してきた名門の跡継ぎ神官を害して、命令だと言えば許されるとでも思ってるのか。大神殿以下、全ての神殿がお前とその家族を許すとでも? そいつはそこらの神殿長より高い位にある神官だぞ。いずれ大神殿でも中枢に入る神官だ」


 レイスの言葉に、リシャールの首に剣を当てていた兵士が、慌てて剣を引いて解放する。


「兄様っ」


 すぐにレイスの所へと近寄ったリシャールを片腕で引き寄せ、レイスはその首に軽く手をかざして、周囲には見えないように傷口を洗浄し、皮膚表面の血を止めた。


「来い」


 門と別邸との間まで歩いていけば、ある程度の距離はあるものの兵士達に囲まれているレイスとリシャールは、孤立無援と言っていい。


「さ。そのお守りを渡してもらおうか、アルド君」

「・・・お前はそれを後悔するだろう」

「しないさ」


 レイスは首からガラスで出来ているようなお守りを外し、それを手に持った。


「武装解除した兵士を一人寄越(よこ)せ。そいつに渡す」

「なら、ハリーシュ。お前が行け。ちゃんと受け取れよ」

「・・・どういうことかと尋ねてもいいんでしょうか、アルセニオ様」

「黙って取りに行け」


 よく分からないが、実際に神官をしている兄弟を無理矢理に連れてきて、その持ち物を奪おうとしていることだけは分かる。

 ハリーシュは、主人であるレイモン侯爵を叱りつけたい思いと、そこまでしてまであの安っぽいお守りを手に入れねばならぬ事態を理解しかねて、渋々と従った。

 レイスとリシャールの所まで歩み寄り、罪悪感に苛まれている顔でレイスを見つめる。


「申し訳ありません。それを頂戴してもいいでしょうか」

「約束だから仕方あるまい。いきなり男数人がかりで拉致し、更には人質を取ってまで俺のものを奪おうという恥知らずな盗賊とであっても、約束は約束だ」

「・・・・・・」


 情けなさに涙したいのは自分の方だ。まさか主人であるレイモン侯爵がこのような真似をしていたとは。

 けれども忠実さを忘れないハリーシュは、レイスからそのお守りを受け取った。


「戻って来い、ハリーシュ」


 レイモン侯爵が興奮した顔つきで命じる。ハリーシュの体で自分の体が少し隠れたレイスは、「ピイィーッ」と、すかさず大きな指笛を吹く。

 夜の闇が空を覆う中で、その指笛は、ピィーッ、ピーッと木霊(こだま)した。


「行くぞ、リシャール」

「あ、はい」


 弟の肩を自分の左腕で抱えたまま、レイスは門まで歩こうとする。

 だが、戻ってきたハリーシュからお守りを受け取ったレイモン侯爵は、

「ハハッ、ハハハハハッ」と、哄笑してから兵士達に命じた。


「そこの二人を殺せっ。絶対にこの敷地から出すなっ」

「アルセニオ様っ!? なんてことを! おやめくださいっ、アルセニオ様っ」


 慌てて止めようとするハリーシュもいて、兵士達は躊躇(ためら)ったが、レイモン侯爵は、再度命じる。


「いいから殺せっ。この事態が明らかになったらどうなると思っているっ」


 仕方がないと、一番遠い場所で出番を待っていた兵士達が矢を弓にセットした。


「俺から離れるなっ、リシャールッ」

「私を盾にっ。あなたこそ大事なんですっ、兄様っ」

「いいから俺から離れるなっ」


 その矢が放たれようとする時、レイモン侯爵の手にあったお守りから力が発したと、そこで分かる人間はいなかっただろう。

 レイスの力では及ばないことでも、エレオノーラの力が入っているからこそ出来ることがある。


「なんだとっ?」

「あれはなんだっ」


 レイスとリシャールの周囲を、凄まじい勢いで渦巻く水流が包む。それはあまりにも激しすぎて、矢を通すこともなく、レイスとリシャールを狙った矢は全て、(やじり)を折られながらその水流の中に巻き込まれた。

 だが、それを水流だと分かる人間もいない。無色透明の水流は雫を飛ばすこともなく、ただ何らかの強烈な力が空気を歪めているようにしか見えなかった。

 局地的な竜巻だと思った者も多かっただろう。


「に、兄様」

「今度から来るな、リシャール」

「・・・はい」


 自分達二人をドームのように何かが包んでいる。それは飛んできた矢をへし折って粉々にしていくのだ。その不思議さにリシャールは兄のシャツを掴んだまま、不思議そうに周囲を見渡した。


「あの、さっき渡してしまった物は・・・」


 自分のせいで、兄はとても大切な物を渡したのではないのか。

 罪悪感を抱いた弟の耳元で、レイスは囁く。


『あれでいい。価値のない物をあるように見せかける、詐欺の基本だ』

『詐欺・・・』

『ユーリに言わせると、トロイの木馬 ※ となるそうだ。普通に渡したら捨てられる危険物でも、こういう渡し方なら奴らは勝手に()(がた)がる』

『はあ』


 リシャールは押し黙った。

 何をやってるんだろう、この人。まさか全く何の変哲もないガラクタを、「これを買ったら幸せがあなたに訪れます」とか言って、高く売りつけるアレに加担しているのか。

 自分達は被害者の筈なのだが、本当にそうなんだろうかと、リシャールは悩んだ。


 - - ※ ― ―

 トロイの木馬(トロヤの木馬、トロイアの木馬、The Trojan Horse )


 ギリシャ軍に攻め込まれていたトロイアだが、難攻不落の城壁にギリシャ軍は苦戦していた。

 やがてギリシャ軍は大きな木馬を残して撤退してしまう。その巨大な木馬の中にはギリシャ兵達が潜んでいたのだが、そうとも気づかずトロイア人達は、自分達の所へ巨大木馬を勝利の証として引きこんでしまった。

 そうしてトロイア人達が己の勝利を疑わず油断している夜、こっそりと巨大の木馬からギリシャ兵達は出てきて、離れて待機していたギリシャ軍を手引きする。あっけなくトロイアは滅んだ。

 - - ※ ― ―


 

 そんな弟の心情を理解していないレイスは、水流の向こうにいる兵士達が手を震わせていることを確認する。

 超常の事態に、彼らも忸怩(じくじ)たるものを感じたのだろう。もう次の矢をつがえる気力を失っていた。


「行くぞ。すぐにフェイロック達が来る」

「あ。さっき、仲間を呼びに行ってました」

「そうか。じゃあもう飛び込んでくるな」


 水流がいきなり消え失せる。

 その不思議な現象に、兵士達もレイスとリシャールを気味悪そうに見た。

 けれども指笛という合図を受け、別邸の周囲で待機していた男達はやっと出番が来たと知る。

 彼らは雄叫(おたけ)びをあげた。


「者どもっ、出番だぜぇっ!」

「そいつに手ぇ出すんじゃねえよっ!」

「無事かっ!?」

「待たせたなっ」


 男達の低く太い声が闇を貫いて、別邸の門がいきなり外から開かれる。馬に乗ったり、徒歩だったりする男達が(なだ)()んできた。


「何者だっ!」

「うわあっ」


 いきなり入りこんできた武装した男達に、兵士達は驚きながらも応戦するしかない。

 建物の中にいた兵士達も、その騒ぎに慌てて外へと出てきた。


「レイスッ。リシャールさん、やっぱり乗り込んでたかっ」

「後で覚えてろっ、ニコラスッ」

「俺っ!? いやいやっ、弟さんを怒れよっ!?」


 それでもレイスはニコラスへとリシャールを押しつける。


「怪我一つさせるな」

「へーい。いや、だけどこんだけ似せてくれてるなら、やっぱり囮には便利かなぁと思うわけでな?」

「いいか? 何があろうと、怪我一つさせるな」

「へい」


 二度目の声はかなり低かったので、ニコラスも軽口を叩けなかった。

 ニコラスが余分に持っていた厚手のシャツと簡易防具、大型ナイフを取り上げ、レイスは頭と首を覆う布を巻きつける。


「さっさと連れていけ」

「分かった。リシャールさん、乗ってくれ。ここを離脱する」

「え? だけど、兄様が」

「レイスのこたぁ心配いらねえ。ここに寄ってこられる兵士もいねえだろうが」


 真っ先にレイスの周囲を固めた男達が、兵士達を寄せ付けることはない。

 それでも自分は兄を迎えに来たのである。


「リシャール」

「・・・はい」


 そう主張しようとしたリシャールだったが、兄の冷たい瞳にびびって、大人しく馬に乗った。


(怒ってる。怒ってる。なんだかとっても怒ってる)


 実際、レイスの仲間である男達は、武装した兵士達が相手でもかなり善戦しており、それはどちらが戦闘の専門家なのか分からない程だ。

 彼らの動きは統率がとれていて、誰もが強い。


「行くぞ、リシャールさん。舌を噛まないようにしろ」


 リシャールの後ろに跨ったニコラスは、レイスが離れたのを確認してから大きな声で叫んだ。


「お前らが街中で無理矢理連れ去った第3等神官は頂いていくっ!! 首洗って待ってなっ!」


 その言葉にぎょぎょっとしたのは兵士達だ。何かがまずいと分かる言葉に動揺する。

 ヒヒーンと、前脚を少しあげて(いなな)いた馬が、すぐに門から出ていこうと走り出した。


「追えっ、追うんだっ!」

「行かせるわけねえだろがっ!」

「待てぇっ!」


 あまりにも混乱している事態だが、ハリーシュはまず主人と客人の安全確保を優先する。


「裏門から出ます。裏口はこちらです」


 レスティエ公爵やジェインを含めた貴族達を逃がす為、玄関の扉を閉めて時間を稼ぎ、ハリーシュは先頭に立って案内した。


「だが、ハリーシュ。馬車を裏門から出せるのか?」

「いいから黙っててください、アルセニオ様っ。皆様をっ、まずは無事な所まで避難をっ」


 馬車ではなく馬の方がいい。一人でも貴族が負傷することになってはどうなることか。まずはここから逃がさなくては。


(何ということだ。ここの兵士達では守れないかもしれない。あの男達の方が強いではないかっ)


 レイモン侯爵に詰問したいことは沢山ある。だが、優先順位は彼らを安全な所へ逃がすことだ。

 そうして何人かの兵士と馬に二人乗りさせて、ハリーシュは、レイモン侯爵以下、客として来ていた貴族達とも裏門から脱出した。

 残された兵士達が皆殺しになると、予感していたかはともかく。

 少なくともレイモン侯爵のお遊びとやらで、多くの命が失われたことは確かだった。そして兵士達を殺されようと、その犯人を告発するわけにはいかないことも。


(どちらにしても拉致したというのが本当ならば、とっくにその届け出は出されているだろう。犯人としてアルセニオ様の名前を出されるわけにはいかない。そして兵士達が一気にここまで姿を消したというのも隠してはおけない)


 翌日、ハリーシュは強盗の仕業として届け出ることにしたが、人数が人数である。軍隊が出動する騒ぎとなった。


『まさか、どなたか政敵とかがおいでなのでしょうか? なんと残虐な・・・』

『心当たりなど全くございません。ただ、無事にお逃げになったとはいえ、訪問中だった皆様はどなたも名家の方々。身代金目的だったのか、どうだったのか・・・。守ってくれた兵士達の死を嘆き、感謝するばかりです』

『部屋の方で亡くなられていた方は? かなり良い衣装でしたが、貴族の方でしょうか』

『さあ。勝手にこの別邸に置いてあった服を着ていたようなのです。別に入り込んだ者共なのか、それも不明で・・・』


 心当たりを問われても、大神殿に所属するアルドとリシャールという神官名を出せぬまま、ハリーシュは大神殿からの反撃に怯えるしかできない。

 殺せなかった以上、レイモン侯爵には第3等神官と第6等神官を殺そうとした事実が残るだけだ。

 だが、大神殿は全く動く様子を見せなかった。






 ゲヨネル大陸の湖近くにある家に戻っていた遥佳は、筋肉痛よりも辛い状態に置かれていた。


「だからぁ・・・っ。嫌だって言ってるじゃないのっ。あぁっ、やっ。触らないでっ、ヴィゴラスッ」

「しかしハルカ。ちゃんとそこで揉んでおけば楽になるのだ」

「いいから触らないでっ。痛いんだものっ」


 遥佳は頑張ったのだ。何と言っても、あちこちの王族が参加していた誕生日会だったのだから。

 ディリライト首長の子供にあたる三兄妹、そしてキマリー国第二王子のウルティードは、遥佳の体力や性格をよく分かっているから、まだいい。さすがにギバティ王国のラルース王子と、リヴィール王国のイアトン、そしてパッパルート王国のディッパ王とデューレ王子に対しては気を抜けない。当たり前だろう。

 

『ずっと謝りたいと思っておりました、ハールカ姫。あの時の私は何も分かっておりませんでした』

『あのっ、・・・いえ、本当にもう、私もあの時は失礼なことを言いましたしっ』

『いいえ、お怒りは当然のことでした。ましてやどれだけ我が国の身勝手な思いが、あなた様のお心に深い悲しみをもたらしていたことか。心より恥じ入るばかりです』


 ラルースは、改めて遥佳に謝罪してきた。

 けれどもヴィゴラスと真琴がかなり世話になり、しかも沢山の白い薔薇をもらっている遥佳としては、借りの方が大きい気分だ。だけど自分の白い薔薇よりも沢山の種類の花をもらっている真琴が全く気にしていないのがちょっと引っかかる。


『本当に、全くもう気にしてませんから。それに頂いたお花も綺麗でした。ヴィゴラスとマーコットもお世話になったようで、本当に有り難うございました』

『庭師が聞いたなら喜ぶことでしょう。ヴィゴラとマーコット姫にはとても楽しい時間を頂きました。・・・ええ、きっと忘れられない思い出になると思います』

『・・・あの、大丈夫ですか? 正直に、あんなはた迷惑なコンビ、どうしようもないって言ってくださって平気ですから。本当にすみません』


 後半ではどこか視線が泳いでいたラルースの心の中を、遥佳に化けていた真琴のやりたい放題なメモリーが流れていく。

 一国の国王や王子達に世話をさせてヴィゴラスと大の字になって寝ていた真琴とか、偉そうな態度にでる方法を教わっていたりとか、囚人の入る塔をぶち壊したりとか、父の武器を使って荒稼ぎしたりとか、リンレイ城を破壊したりとか、そしてそれは遥佳の名前で認識されたこととか・・・。


(真琴。あなたって人は、あなたって人は・・・)


 遥佳はわなわなと震える手を隠すのが精いっぱいだった。


――― まあ、なんて醜い厚化粧なんでしょう。

――― まあ、男のくせに貧相な持ち物なのね。


 言わない。自分ならそんなこと、絶対に言わない。

 百歩譲って、真琴の自分を名乗っての仮装はまだいいとしよう。自分だって大人になったら今の真琴とよく似た姿になる。

 あんな大きな態度はとれないかもしれないけれど、怒ったらやれるかもしれない。だけど。

 

(そんなこと、私がどうして言うというのーっ。真琴の馬鹿ぁーっ)


 けれども、まさかこれだけの王族がいる中で叱りつけるわけにはいかないのだ。

 何よりラルースは、どうも神子姫を一緒くたにはしていないようで、個々の性格の違いを理解しているようだった。

 今はルートフェン国にいるが、何かあればすぐギバティ王国の兄王に連絡を取ってどうにかするので、今後は何でも言いつけていただきたいと、そう言ったラルースは、最初の出会いが嘘のように親切で気持ちのいい王子である。


(あの時、ちゃんと話していれば通じたのかしら。この人も王族の義務に縛られている人なのね。時に利益だけを考えることすら、国の為だと割り切っている)


 あの時の自分には分からなかったことが、少し年を重ねた今だから分かる。

 そうして。

 

『お初にお目にかかります、ハールカ様。パッパルート国王ディッパにございます。どうぞよろしければディーと呼んでくださいませ。先だっては、私が留守の折、ユーリ殿と間違われて災難な目にお遭いになったとか。弟が早とちりをしたようで、本当に申し訳ございません』

『え? まさか、兄上・・・』

『そう。お前がユーリ殿と間違えて俺の婚約者にしてしまったのが、こちらのハールカ姫だ』

『それは申し訳ございません。道理で、全く別の人間を連れていたと・・・』


 ディッパと一緒にいたデューレが目を見開くが、遥佳はどこか空虚な笑みを浮かべる。


(気づいていても、あなた、私が使えるようなら目を瞑ったと思うわ。頭の中、ルートフェン王女でいっぱいだったもの)


 だから遥佳は、大人な返事をしてみせた。


『お気になさらないでください。ルートフェン国の王女様とうまくいって良かったです。どうぞお幸せに』

『有り難うございます。ですが、マーコットからはとても繊細な妹君と伺っておりましたが、次々と外国の高官をも撃退なさったとか。ユーリ殿よりもかなり過激で容赦ない方なのですね。まさに女帝になるに相応しい能力をお持ちです。表舞台にお立ちにならないとは勿体ないことです』

『・・・・・・(誰が過激で容赦がないと言うの・・・?)』


 ひどい。ひどすぎる。

 女の子は強いわけじゃない。

 強くならないと生きていけないから、強くなるしかできなかっただけなのに・・・!


(あーなーたーがー、国運営を押しつけただけでしょうがっ)


 言えない。だけど言えない。それでも言えない。

 ここで反論したら、ディッパが申し訳ないと、遥佳に平謝りするだけだろう。


(この王様、本当に優理や真琴を大事にしてくれてるんだもの)


 こんなにも何かと優理のやりたいことに全面協力してくれて、真琴の後始末や世話もしてくれている国王に、どうして謝罪なんかさせられるだろう。

 ディッパの国王権限を自分の為に流用させっぱなしの優理や真琴を思うと、姉妹として文句など言える立場ではない。


(ああ。こうして人は、言いたいことを飲み込んでいくんだわ)


 遥佳は厳しい社会の現実について思わずにはいられなかった。

 自分の姉妹二人が好き勝手にやった結果を、なぜか関係ない遥佳に押しつけられていく。事態はもう、どうにも覆い隠せない修復不可能物件となっているのではないか。

 となると、世間における神子姫の幻想をこれ以上崩さない為にも、自分だけでも真面目でいなくてはと思うに至ったのは、遥佳だからこそである。

 自分の為の誕生日会なのだからと、皆とも交流して、あちこち歩き回りながら優勝できなかった幻獣達も(ねぎら)って、遥佳はとっても頑張った。 

 そうして誕生日会とは名目だけ。誰がどう考えても運動会なそれをこなした遥佳は、翌日から筋肉痛なのである。


「足の裏を押すだけでそこまで痛がられても、ちゃんと刺激しておかないと駄目になってしまうのだ、ハルカ。それにハルカの瞳が涙で潤んでいるのは可愛らしい」

「痛すぎるのっ」

「そんな筈はない。俺はちゃんと練習もさせてもらった。これぐらいでちょうどいい筈なのだ」

「いやあんっ。・・・やっ、やめてっ」


 土踏まずをヴィゴラスの指で押される度、遥佳は悶絶しそうになっていた。ふくらはぎや太腿まで揉まれているから少しずつ楽にはなっているのだが、やはり痛い。


「それならラーナ達にやってもらう方がいいわよぉ」


 何よりも、ヴィゴラスはかなり楽しそうだ。それが余計に不満である。


「絶対に駄目だ。それこそハルカはいつ大人になるかも分からない。もしもあいつらの前で大人になられたら、早速襲われてしまう。たかだか土踏まずを押されただけで、足を突っ張らせて身悶えするハルカは、もっと泣かせたくなるぐらいに可愛いのだ」

「どうしてあなたはそんな子になっちゃったのっ。もう少し清らかな思考を持ってちょうだいっ」


 ヴィゴラスの指が与えてくる痛みが辛い。それでも凝りがほぐれてからは気持ちいい痛痒さを足に感じていた。

 それこそ自分の足を異性に預けている事実に羞恥を覚えてしまっても、ヴィゴラスは変わらずマイペースだ。

 

「清らかなのはハルカだ。それより俺の部屋がない。だからここで寝ていいか?」

「・・・条件があります」


 一階にあった自分の部屋をエレオノーラ用に改装されてしまったヴィゴラスだが、それまで自分の部屋をまともに使ったことがない。

 こほんと、遥佳は寝台の上で仰向けに寝転がったまま、咳払いして返事しようとした。しかし、足首をヴィゴラスが持っているので、今一つ格好がつかない。


「私と一緒に寝る時は絶対にグリフォンで。人間の姿になるのは駄目よ、ヴィゴラス」

「何故だっ。それではこっそりハルカにキスできない」

「しなくていいの」


 ヴィゴラスを遠ざけるのは無理。だが、あのままでは大人になり次第、ヴィゴラスに襲われる。

 とりあえずグリフォンになっていてくれれば、自分の身は安全だろう。その夜ぐらいは。


(問題はその次の日からだけど、もうなってから考えるわ。ええ、考えてたってどうしようもないんだもの)


 最近、真琴に影響されたのか、自分でも行き当たりばったりになってきている気がする。それとも影響されたのはマジュネル大陸なのか。

 ヴィゴラスにショックを与えた遥佳は、今後の予定を考え始めた。


(えーっと、お茶会権は、ケンタウロス族の人だったわよね。どこのケンタウロス族だったかしら。だけど筋肉痛が取れないと話にならないわ。・・・あら? なんで私のお誕生日だったのに、私がサービスすることになってるの?)


 同じ神子姫でありながら、真琴ではなく遥佳ばかりに申し込みが殺到して、結果として幾つの里へ行く予定が入っているのやら。お茶会もデートもダンスも、全てそこの里へお出かけプランということでまとめられているような気がしてならない。

 その辺りはラーナ達が里の場所確認などもしておいてくれるそうだ。

 そうして遥佳は自分の筋肉痛と向き合っている。

 悲しみに暮れるヴィゴラスは、せめて今の幸せを堪能しようと思考を切り替えたようだ。

 

「駄目っ、もうそこはやめてっ」

「だが、放っておくと、明日も足を突っ張らせてプルプルしているだけになると思うのだ、ハルカ」

「やぁっ、・・・駄目ぇっ」


 遥佳は足首からふくらはぎへと移動し始めたヴィゴラスの指に翻弄されていた。




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