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187 タマラは恋を知った


 第2等神官ウルシークの屋敷で働くタマラは、外に出る用事が出来た時、いつも寄る場所があった。

 その屋敷の裏口を守る中年の門番達とは、顔見知りだ。


「なんだい、タマラ。また来たのか。余程、仕事がねえのか? 羨ましいねぇ。で、何の大荷物なんだ?」

「こらこら、いくら何でも暇ってこたねえだろ。いいじゃないか。若い恋人ってなぁ、一日中、一緒にいたところでまだ足りねえってもんさ。マレックなら俺が呼んできてやるから、そこで待ってな」

「ありがとう。これでも忙しいのよ。途中で寄っただけなんだから」


 裏口にも二人の門番がいるような格式高い邸宅だが、こうして皆が味方してくれるような祝福された恋をしていることが誇らしい。

 タマラはその門番達が休憩用に使っている小さな二階建ての小屋に入り、いつものように散らかった一階の部屋を片付け始めた。

 一階に一部屋、二階に一部屋しかない質素な門番小屋だが、一階には椅子とテーブルが、そして二階には寝台が二台ある。

 通常は夜になったら完全に閉ざされる裏門だが、非常時には交代で昼も夜も見張らねばならない為、二階で泊まりこめるようになっているそうだ。


(本当にもうっ。どうしてお皿とかカップとかを洗わないのよっ。服だって床に落ちてるじゃないっ)


 そういった散らかった物を片付け、簡単に掃除し、食器を洗って片付けておくだけでも感謝される。だからマレックとの逢瀬に、この小屋の二階を貸してもらえるのだ。


(マレックはここの使用人の中でも出世するだろうって話だもの。だからみんな、私に対しても親切なのよね。ここの家令の方だって私のこと、とても気のつく良い娘さんだって褒めてくださったし)


 そう思うと、タマラも張り切ってしまう。

 手際よくお仕着せにブラシをかけ、食器も水につけて汚れをふやかした。


「飲んでからかなり時間が()ってるんだわ。茶渋がこびりついてるじゃないの」


 偉そうに文句を言いながらも、もうすぐマレックに会えると思うと、タマラの心も浮き立つ。

 本当に彼の仕事中に会いに来ていいのだろうかと、初めて恐る恐る訪ねてきた時、この裏門の門番達は親切にしてくれたものだ。

『ああ、聞いてるよ。マレックに会いに来たんだろう?』

 怖がらせないように、優しく対応してくれた。


(今じゃ仲良くなりすぎて、ほとんど気のおけない近所のおじさん達だわ)


 そして何回目かに来た時、エリーネがあまり好みじゃないからというのでくれた落ち着いた色合いのワンピースを着てきた自分に、ちょうど裏庭に出てきていた初老の家令が目を留めたのである。

『おや、こんな所に素敵なお客様だ。なかなか清楚でお可愛らしい。服装を見ればその心映えが分かるとは言いますが、とても上品でいらっしゃる』

 褒められて嬉しかったものの、それは自分の普段着ではない。


『あ、いいえ、いいえっ。そんなことはないですっ。これはうちのお嬢様から頂いたものでっ、私には大層なものなんですっ』

『おや、そうでしたか。それは失礼いたしました。どちらにお勤めかは知りませんが、令嬢とはとかく気まぐれなもの。それをお洋服を頂戴できる程に可愛がられているとは、あなたが有能で気立てがいい証拠ですな。いや、羨ましい。そういう侍女はとても価値があるのですよ』

『・・・・・・』

『しかも、そこで知らんぷりして自分の手柄にせず、きちんと主であるご令嬢を立てることができるとは立派です。そんなご自分を誇りにお思いなさい、お嬢さん』

『・・・はい』


 自分は侍女ではなく、ただの下働きの娘だ。

 褒めてくれた手前、それを言い出しにくかった。

 だけど自分がどんな仕事をしているかは関係ない。だって、彼は言った。

 自分は有能で気立てがいいのだと。そして価値があるのだと。


(そうよ。私みたいによく気がついて世話をするのが得意なタイプは侍女の方が向いてるって、マレックも言ってたもの。うちのお屋敷の人達が分かってないだけだわ)


 タマラは小さく唇を尖らせながら、そこにあった(ほうき)で床を掃いていく。

 下働きだなんて、もっと気の利かない人間がやればいいのだと、マレックも言っていた。


『その内さ、俺ももっと出世するよ。そうしたらタマラ、お前をうちのお屋敷に引き抜いて侍女にしてもらえるようにする』

『ほんとっ?』


 下働きなんて、皆に顎でこき使われてばかりだ。

 寒い日にも暑い日にも、外に出て誰もが嫌がるような仕事をさせられる。床だってどんなに掃いて磨いても、次の日にはまた繰り返される、そんな終わりのない仕事だ。


『ああ。それって素敵なことじゃないか。一緒にここで働いて、所帯を持とう。そして俺は使用人頭を目指すし、お前は侍女頭を目指すのさ。いいだろ?』

『ええ。ええ、マレック』


 それでもまだ、マレックは使用人の一人にすぎない。

 自分をここに引き抜いてくれるには、まだまだ力が足りない。

 だけどいつかは・・・。

 そんなことを思いながら、タマラは(ちり)()りでゴミを集め、テーブルの上を拭いていった。


「タマラッ」


 ある程度片付いたところでバタンと扉が開き、マレックが駆けこんでくる。


「マレック」

「ああ、タマラ。会いたかったよっ」


 花咲くような笑顔で振り返ったタマラを抱きとめるマレックは、太陽のように輝く金髪をしていた。

 タマラがその髪を手に取って「綺麗だわ」と言えば、「タマラこそ夜のような綺麗な髪をしている。俺が昼で、タマラが夜。俺達の相性、まさにぴったりじゃないか」と微笑んでくる、素敵な恋人だ。


「一日が一年にも思えて仕方なかったよ。さあ、上に行こう」

「ええ」


 今日も買い出しの用事をわざと多く頼まれて出てきた。その荷物を部屋の隅に置いたままにして、タマラの腰に手を回してくるマレックと共に階段を上っていく。

 二階の扉を開けた途端、風通しの為に開けられていた窓のおかげで爽やかな風が二人の間を吹き抜けていった。


「ああ、タマラ。一日が一年にも感じられたよ」


 扉を後ろ手に閉めると、すぐにマレックが抱きしめてくる。


「私も。だけど今日はこの間みたいにゆっくりはできないの」

「そうなのかい?」

「ええ。これだけの買い物があったのよ。少しぐらい遅くなっても当たり前なのに」


 タマラはキャサリンの顔を思い出し、本気で嫌そうな顔になった。






 ギバティ王国からパッパルート王国方面へ向かう街道を、パカパカパカパカと、エミリールとウルティードは馬を歩かせていた。

 あくまで目立たぬようにと、あまり馬に負担をかけさせない速度だ。というより、ほとんどの旅人が追い抜いていく速度だ。


「なあ、エミリール。あの空が燃えてたのって何だったんだろな。大神殿の失火だって話だったけど、あんだけ空が燃えて、いきなり消える火事ってあるわけ?」

「そうですねぇ。たとえば大量の油を大きな屋外の水槽に入れておいて、そこに火を落とせば凄まじい炎が燃え上がるけど、その油の周囲に何も他に燃える物がなければ、油が尽きた時点で炎は消える。そんなところですかね」

「だけどさぁ、あんな風にまっすぐ天まで届く火柱になるもんかねぇ。あの日ってそれなりに風がなかったか?」

「まあ、それはそうなんですが・・・」


 そこでエミリールは言葉を切った。


「それでも用意された金貨をいきなりどどんっと渡されたとなれば、さっさと帰れの意味だと判断するしかありませんからね。とはいえ、なんで俺はここまで変装ばかりが当たり前になったんだろうって、しみじみ思ってますよ。まあ、()けたからいいですけどね。やはり狙いはティードでしょうか」

「どうだろうな。・・・俺、何だか最近、変装の達人になり始めてきた気がする」

「俺もですよ」


 そんな二人は、年寄りじみたボタンのない茶色のシャツに、まさに流行遅れの焦げ茶色のベストを重ね、そうしてズボンもサイズが合っていないお腹の出っ張ったものを身につけている。

 その出っ張ったお腹を強調する為に、わざわざ小さな布袋を腹に括りつけた上からシャツを着ているという徹底ぶりだ。

 そして二人揃って白髪交じりの金髪の鬘をかぶり、顔や手足にも塗料を乱雑に塗りこんで、日焼けした風を演出していた。かぶった帽子も小さな穴が開き、土汚れがついている。

 要はどこにでもいる、くたびれた感じの農民の小父(おじ)さん達といったところか。


「おかげで、あいつらの前を通っても気づかれませんでしたしね。もしかしたら、あの大量金貨狙いかもしれませんが」

「アホじゃねえの。輸送手配なんざ、大使にさせるに決まってるだろうが。持ち歩く馬鹿がどこにいんだよ」

「そんな馬鹿と思われたんでしょうね。あれでシンクエン様は鬼の教育官なんですが」


 自分達の荷物は粗末な麻布で包んでから鞍に括りつけ、その上には土で汚れたスコップや鍬を載せてあるものだから、偽装工作(カモフラージュ)も完璧だ。

 まさか子爵家令嬢を侍女として連れてきている一国の王子が、こんなみっともない格好を平気でやらかしているとは、誰も思いつかないだろう。


「言える。俺、何かと仕込まれたもんよ。まあいいさ。犯人なんざ調べたところで意味はねえ。どうせチンケな下っ端だ。さっさと向かおうぜ、エミリール」

「ですね。ケイファスト様とシンクエン様への手紙も出したことですし、後は問題ないでしょう」


 他人に見られても意味が分からないようにぼかして書いたが、シンクエンならば分かるだろう。何よりケイファストも、弟のウルティードからの手紙が届けば、それだけで嬉しいに違いない。


(報告的な手紙には、無難にギバティ王城へ招待されたことも書いておきましたしね。後はこの王子を無事にパッパルートまで連れて行かなくては)


 そう思ってエミリールがウルティードを見れば、今は農夫にしか見えないウルティードが笑いかけてくる。


「ありがとな、エミリール」

「何をいきなり。俺達は運命共同体でしょう、ティード」

「そうなんだけどさ。お前がいてくれて良かったよ。阿吽(あうん)の呼吸で動けるのっていいよな」


 屈託なくそう言える健やかさは、本心を隠すのが当たり前の宮廷には相応しくないものだ。

 エミリールは苦笑した。


「今はいいですけどね。国に戻ったら、俺なんぞの忠誠を受け取るのは当然って顔しててくださいよ」

「人の上に立つならって注釈がつくだろ、それ。だけど今の俺はただのティードだ。なら当たり前の言葉を俺は話したい。自分の心を見失いたくないからな」

「・・・そうですね」


 それでもウルティードはキマリー国の第二王子だ。そして王太子である第一王子に子供はいない。


(いずれこの人が我が国の頂点に立つのかもしれない。その時、キマリー国はどうなるのか)


 つくづくとウルティードに神子姫の祝福があってくれて良かったと思う。そうでもなければ、こんな奔放な王子が王太子となった日には、他国にどう評価されたことやら。

 勿論、別に食べ方が汚いわけでもないし、礼儀作法を知らないわけでもない。普段、粗野な話し方しかしないとはいえ、必要とあればきちんと振る舞うこともできる。

 それでも別れる前にはあまりにもお転婆かつ腕白になっていたギバティ王女と王子を思うと、やはり影響力は強すぎた。


『え。もうお別れなの? 寂しいわ。じゃあ、いつかキマリーにも遊びに行っていい、ティード兄様?』

『勿論さ、エステル。その時は、俺が城を案内するよ。王宮になると何かと面倒なんだが、城は田舎だし、あっちだと森を歩いてりゃ食える実もあるし、釣りしてても楽しいんだぜ。パトリスもオリヴィアも、・・・まあ王位継承者が一緒にってのは無理か。別々でいいから、もう少し大きくなったら遠慮なく来いよ。パトリスなんて見たら目を丸くするような、ぶっさいくな牛だっているんだぜ』

『ぶっさいくな牛、ですか、ティード兄様?』

『そうそう。だけど乗って走ると速いんだ、これがまた』

『・・・もしかして牛に乗るんですか、ティード兄様? 僕、そんなの初めて聞きました』

『そっかぁ。良かったな、パトリス。じゃあ初めての経験しに来いよ。角、掴んで乗るんだぜ。楽しそうだろ?』

『はいっ』

『わたしはぁ? わたしもいくのぉ』

『当たり前だろ。ちゃんとオリヴィアには可愛いお花が咲いている所を案内するよ』

『やくそくよ、ティードにーさま』

『勿論』


 まさか一国の王子が牛に乗るとは、誰もが思いもしなかったらしい。

 その場にいたギバティ国王ブラージュが目を剥き、王妃ベレンガリアもウルティードをまじまじと見直し、王弟ラルースが腹筋を震わせながら噴き出すのを我慢していたのを、エミリールはたしかに見てしまった。


(何故、シンクエン様はティードを王子らしく教育していなかったのか。あれだけ大事に思ってるくせに)


 田舎で育ったとはいえ、それでも王族の城だ。それこそ深窓の王子様に育てることだって可能だっただろう。

 だが、何となく分かる気もする。


(本人の心を(たわ)めてまでの価値などないと思われたか。いや、このマイペースぶりこそが武器なのか。この人そのものが試金石のようなものだ)


 王子らしくないと馬鹿にされながら、それでもウルティードはそんな声すら笑って蹴散らしていく。

 その丈夫な魂あればこそ、ウルティードは貴族達の傀儡にならないだろう。

 今更ではあるが、エミリールは兄代わりとして多大な影響を及ぼしていたシンクエンの

 

「しばらくはこの駄馬ですが、ギバティールを完全に抜けたら一気に進みますよ、ティード」

「ああ。街道も張られてるかもしんねえし、しばらく油断できねえな」


 こんな格好でいい馬に乗っていたら怪しまれるだけだと、二人はよぼよぼの馬に乗っている。


「いい訓練だと思ってください。いつ、何が起こらないとも限りません」

「そだな」


 あくまで近郊の農夫を装いながら、エミリールとウルティードは進んでいった。






 ゲヨネル大陸の聖地に、リリアンとルーシー、ガーネットがやってきたものだから、カイトの家事の負担が減った。

 ペンダント入り水の妖精(ウンディーネ)火の妖精(サラマンダー)がいなくても、誰かが真琴といてくれるから、カイトも安心して目を離していられる。


「マコト、今年の誕生日はどうする? 何かしてほしいこととか行きたい所はあるか?」

「あれ? そう言えば私、もうすぐ誕生日だったっけ」


 その日、夕食を食べながら横に座っていたカイトに訊かれて、真琴はそういえばと気づいた。

 今日は六人の夕食なので、長方形のテーブルは長い側だけ使うことにし、片側にはシムルグ、真琴、カイトが並び、その向かい側にはリリアン、ガーネット、ルーシーが座っている。

 するとシムルグが真琴の向こうからカイトに向かって左眉を少し上げてみせた。


「へえ。獣人ってのは誕生日、やっぱり祝うんだな」

「いいえ、通常は成人のお祝いぐらいですね。ジンネルで、毎年、人間は誕生日を祝うんだと知ってびっくりしたものです」


 シムルグにそう答えるカイトだが、それは種族的な理由もある。

 基本的に獣人の親は、子供達の生まれた日をわざわざ覚えていない。更に子供はあちこちで色々と入れ替わったりもする。ゆえに子供を見て、成長度で年齢を当てる能力が発達したのだ。

 だからマジュネル大陸では、兄や姉を、弟や妹が成長速度的な問題で追い抜いていったりするケースもある。異父や異母となれば、種族も違ってくるから仕方ないのだ。

 しかし弟妹が先に成人しても、兄姉は気にしない。何故なら、大切なことは成長速度ではなく愛だからだ。

 そのいい加減さに慣れてしまったら、ジンネル大陸で暮らせない。カイトは稀な獣人だった。


「去年は、船で海に出ましたものね。今年はゲヨネル大陸なら、どんな幻獣も参加して盛り上げてくれますわ、マーコット。ねえ、リリアン?」


 青い鍾乳洞が美しいロードニア島のことを思い出しながらルーシーが話を振れば、リリアンも頷く。


「ええ。ドラゴンの男達なんてもう、何かお手伝いすることがあるならいくらでもって、しつこいぐらいですわ。マーコットったら、ケンタウロス達と狩りにでかけておしまいになったでしょう? あれを聞きつけて、自分達だって言ってくれれば空からマーコットをお守りしたのにって言い出しているんですもの」

「うーん。誕生日と言われても、コレというものが・・・」


 真琴は腕を組んで悩み始めた。


「贅沢かもしんないけど、毎日面白いことばっかりで・・・。誕生日なんてみんなで仲良くケーキ食べられたら幸せかなぁ」


 それこそいつだって大切にしてもらっている。真琴にとっては毎日がとっておきな日(スペシャル・デイ)だ。

 向かいに座っていたガーネットが、笑って尋ねた。


「まあ。ちゃんと作って差し上げますわ、マーコット。どんなケーキがいいんですの?」

「えーっとね、・・・甘いのっ」

「あらあら。本当にマーコットったら」


 あまりにも大雑把な返答にルーシーがくすくす笑うが、真琴はケーキなら何でも喜ぶことができる感性の持ち主である。

 やはり誕生日を祝う習慣のない幻獣達だが、去年、遥佳の誕生日を祝ったことで、ゲヨネル大陸ではその概念も生まれ始めていた。


「ドラゴン達に羨ましがられていただなんて知らなかったわ。じゃあ、あの時、代わってあげた方が良かったのかしら。だけどドラゴンが森の上空を駆けた日には、狩りの獲物も逃げ出してしまうと思うのよ」

「気にしないでちょうだいな、ガーネット。それこそドラゴンの男達が出ていったらどんな騒ぎになったかも分からないもの。ケンタウロスが額に青筋たてて怒る羽目になったんじゃないかしら」

「それもそうね」


 リリアンの言葉に、ガーネットも納得してしまう。


「あ、そうそう。ペガサスの里も、もしもお二人で空を飛んでいきたい時には、ちゃんとカイトさんでも乗れるような男のペガサスを出してくるつもりなんですけど」

「え? そうだったんですか? ただ、特に俺、空を飛ぶ用事は・・・。だけどお礼を伝えておいてもらえますか、ガーネット殿?」

「そんな・・・。大したことじゃありませんのよ、カイトさん。ドラゴンにしてもペガサスにしても、ちょくちょく空を飛ぶ用事の時は頼まれるものなんですわ。ですから、本当にマーコットとどこかに行きたい時には仰ってくださいね」

「有り難うございます。何かの時には頼らせてもらいます」


 その会話に、シムルグは呆れ顔になる。


「お前さん達、何でいつまでもそんな固い話し方してるんだ? 別にお前さん達もカイト殿とはそれなりに上手くやってきてるんだろうに。他人行儀すぎやしないか?」

「あー、それは俺のせいだと・・・。俺がどうしても丁寧に話すからでしょう。ガーネット殿達は悪くないです」

「あ、いえ、そんな。きっと私達に気を遣われてるんですわ、カイトさん。やはり女ばかりに囲まれていたら、色々と気兼ねすることってあると思うんですの」

「だけどみんなに囲まれてても、ヴィゴラス、全然気兼ねしてないよ?」


 カイトとガーネットが庇い合っているものだから、真琴は首を傾げた。


「あんな駄幻獣を引き合いに出されても、カイトさんが困ってしまわれますわ、マーコット。・・・ふふ、こんなにカイトさんに大事にされていてもお分かりじゃないんですから」

「? 今、私の話、してないと思うよ、ルーシー?」

「まあ、そうかしら。ねえ、リリアン?」

「本当に。困った方ですこと、マーコットったら」


 リリアンも微笑み、ふとドラゴンの里の様子を思い出して真琴に提案してみる。


「もしも特にご希望がないのでしたら、良かったら空中散歩にお連れしますわよ、マーコット。ゲヨネル大陸を空から見下ろしてみるのはいかがです? 勿論、カイトさんも。実は男のドラゴン達が、少しぐらいは自分達を使ってくれってうるさいんですのよ、本当に」

「いや、俺はさすがに・・・。なら、朝からマコトをその空中散歩に連れ出してもらうというのは? マコトもヴィゴラスで空を飛んでもらうのは慣れているわけだし、任せても大丈夫でしょう。戻ってきたらうちはうちで祝えばいいだろう。な、マコト?」

「えー。カイト、来ないのぉ?」

「俺が参加すると、あっちも色々と気兼ねするだろ。何よりお前の為にしてくれるなら、俺に気を取られることなく、思いっきり楽しんでお礼言ってこい。誰かの為に何かをしてあげても、その相手が違う奴に気を取られてたら誰だって虚しくなるだけだろうが」

「う、・・・はぁい」


 するとガーネットが、赤い瞳を細めながら困ったような顔になる。

 真琴に皆が色々としてあげようとするのを受け入れているカイトだが、自分はこうやって線を引いてしまうのだ。

 カイトに卑屈になっている様子がないとはいえ、幻獣達とてそこまで遠慮されては寂しくなってしまう。

 カイトはカイトなりに、真琴のヒモになるつもりはないだけだが、この辺りの擦り合わせはなかなか微妙な間合いを孕んでいた。


「そこまで気を遣われなくても。私共、カイトさんだって歓迎してますのよ」

「気を遣ってるというわけでも・・・。ただ、先日、ちょっと小さなグリフォンと知り合いになったんですが、腹が減ってるようだったんで飯を食わせたら、何故か下僕に認定されまして」


 そこでリリアン、ルーシー、ガーネットの瞳が、一気に疲れを帯びる。それは雄弁に、とある幻獣の一種族に対する呆れを物語っていた。


「そっかぁ。ヴィゴラスもイスマルクのこと、下僕第1号とか言ってたもんね。グリフォンってそういうもんなのかな。カイトもさぁ、今度、下僕扱いしたければまずは使用人に給金を払わなくてはならないんだよって、そう教えてあげるといいよ。お金持ってないグリフォンは、宝物を売ってお金にして自分に払わなきゃいけないんだよって」


 カイトを下僕扱いされたくない真琴は、そんなアドバイスをしてみる。

 自分の宝物を給金にしなくてはならないと知ったら、きっとグリフォンも言い出さなくなるだろう。


「まあな。さすがに下僕扱いは辞退しといたんだが、毎日、肉を持っていってたら、『お前はいい奴だ。大きくなったら、特別に背中に乗せて空からの景色を見せてやる。待ってろ』とか言い出したから、・・・ま、いつまでそんな可愛いことを言ってくれるか分からないが、『楽しみにしてるよ』って言ってしまってな。さすがに先に他の幻獣に乗せてもらったと知ったら傷つくだろう。まだまだ子供なんだ」

「知らんぞ、カイト殿。ハールカみたいに執着されても」

「それはないですよ。あの子は男の子です」


 シムルグがどこかおちょくるような顔になったが、揶揄(からか)われるのに慣れたカイトは取り合わなかった。


「さすがにヴィゴラスと喧嘩になったら困りますから遠くへ連れて行きましたが、とても傷だらけでしたしね。まだ心細いからそう虚勢を張ってしまうんでしょう。いずれ、あの子が暮らせるような高い崖を探してやろうと思ってます」

「ふぅーん」


 にやにやと、シムルグは人の悪い笑みを浮かべる。


「あっ。それならドラゴンさん達に空中散歩してもらう時に探してきたげるっ。たしかグリフォンって崖の上に巣をつくるんだよねっ」

「らしい。今は、少し離れた林の中にハンモックを吊り下げてやって、そこで休ませてる。近くには綺麗な川もあるし、魚も泳いでるからいいかと思ってな」

「へー。どれくらい小さいの?」

「ん? グリフォンの姿だとマコトの腕の長さぐらいの体長だな。小さい割にたくましいんだが」


 傷だらけだったが、ちゃんとカイトが教えてあげれば釣りも覚えた。

 とはいえ、目を離したら自分で突っ込んでいって魚を獲ってみせたり、かと思うと川の中の岩に激突してたり、やってることは馬鹿な犬みたいなものだが、その不屈な生活力(バイタリティー)だけは評価できる


「小さなグリフォンかぁ。私も見てみたい」

「駄目だ。ヴィゴラスみたいな執着をお前に向けられてたまるか」

「うー。たしかにそれは困るけどぉ」


 小さいグリフォンを今の内に手懐けてもいいかと思ったのに。しかし、あのヴィゴラスの鬱陶しいそれを自分に向けられても困る。

 さすがの真琴も諦めた。


「しょうがないかな。だってグリフォンってちょっとアレだもんね」

「ああ。あのマイペースな性格はヴィゴラスだけじゃないと、よく分かった」


 そう言うカイトこそ、獣人共通の子供に対する保護本能が発動してしまったのだろう。


『獣人って本当に子供を大切にするのね。グリフォンなら放っておいても生きていけそうなんだけど』

『私もそんな気がするのよ、リリアン』


 ドラゴン達がひそひそとそんなことを囁き合う。


「あの、シムルグ様? どうかなさいましたの?」

「いやいや。本当に面白いもんだなと思ってな。あ、そのワイン、注いでもらってもいいか?」

「勿論ですわ。どうぞ」


 立ち上がって横にやってきたガーネットにワインを注いでもらいながら、シムルグはその笑みをグラスに隠した。






 明るい日差しと窓から入りこむ風が昼下がりに相応しい爽やかさを、門番小屋にもたらしていた。

 その二階の部屋では、恋人達が寝台に仲良く寄り添って腰かけている。


「へえ。じゃあ、その長男のアルドって人、どっかに行ったままなんだ」

「そうなのよ。今までそんな坊ちゃまがいたなんて知らなかったけど。リシャール様が長男だと思ってたもの。よく分からないけど、一晩で出ていったままよ」

「じゃあ、また戻ってくるのかな」

「それはないと思うわ。だって、戻ってきた時も数人がかりで連れ戻したって話だったもの」

「ふぅん」


 どこで何をしていたのか、誰も知らないアボルト家の長男アルド。

 誰もが死んだと思い、弟妹ですらその存在を忘れていた存在が戻ってきたらしいという話が騒ぎになったのは、先日のことだ。

 けれどもすぐに出ていったらしく、その後の情報はさっぱりだった。

 別居状態にあったキャサリンの夫テオドールが別居生活をやめたらしいが、帰宅せずに大神殿で泊まり込んでいるからあまり変化もない。


「あ。そろそろ帰らないと」

「もう帰るのか? せっかくタマラとの時間だからって、他の仕事と交換してもらって時間を作ってきたのに」

「駄目よ。だってまた遅くなったら、本当に目をつけられちゃう」


 今日、アボルト邸の女主人キャサリンは外出しているのだ。だから買い出しの仕事を言い出して、タマラは出てきた。

 だけどキャサリンに自分の帰りが遅いことを言いつけているのは、他の使用人だろう。

 あまりにも帰りが遅いことが続けば、本当に一人での買い出しを許してもらえなくなる。


「しょうがないか。タマラはまだあっちの人だもんな」


 マレックは拗ねたような顔つきで唇を尖らせた。


「あっちの人だなんて・・・」

「ごめん。・・・そうだよな。タマラだって本当はこっちに勤めたいのに」


 その口ぶりにまるで突き放されたような気がして、タマラが悲しく呟けば、マレックが抱きしめてくる。


「勿論よ。だってこちらはとってもいいお勤め先なんでしょう?」

「ああ。なんたってこうして俺達みたいな愛の逢瀬すら見逃してくれるようにね」


 くすっとマレックが笑えば、タマラもつられて笑ってしまった。


「早くこっちにお勤めしたいわ。あそこのお屋敷なんてうるさいだけなんだもの。こんな逢引きを仕事中になんて、まずさせてもらえないの」

「可哀想に。その為に俺は出世するよ、タマラ。君と一緒に幸せになりたいんだ」

「私もよ」


 裕福な家で使用人として仕える仕事は、タマラにとってアボルト邸が初めてだ。だからよそのやり方など知らないし、聞いて初めて知ることが多い。

 マレックと知り合い、アボルト家が本当に融通の利かないやり方で、自分達をこき使っているのだと知った。


「だけどタマラ、何か分かったらすぐに教えてくれよ? うちのご主人様はとても顔が広くていらっしゃる。どうせならさ、売り込みたいんだよ、お前を」

「ええ。分かってるわ、マレック。・・・だけど本当に何なのかしら。神官の名門とか威張っておいて、それでいて神子姫様を陥れようとした坊ちゃまがいただなんて。本当にあの奥様、いつも威張ってるくせに、この国の恥じゃないの」


 (とろ)けるような笑みから一転、ぶつぶつとキャサリンの文句をタマラは言い出した。

 マレックに綺麗だと思われたくて、エリーネのあまり着ていないブラウスやスカートももらえるものならもらいたいのだが、キャサリンは娘が使っていないというのに、それを咎め立ててくるのだ。

 もっといいドレスだって作れる財力がありながら、使用人に対して全く思いやりを見せないなんて、あの奥様は自分が恥ずかしくならないのだろうか。


「そういう家だからこそ、神官の風上にも置けない長男は本当に神官になれず、堕落してしまったんだろ。・・・だけど、これでタマラの情報が役に立ってお気の毒な神子姫様を陥れようとしたその長男とやらが捕まれば、タマラは一気に功労者さ。それこそお城に呼ばれて表彰すらされるかもしれないぜ?」

「まあ。・・・まさか、そんな恐れ多いことにはならないわよ」


 少し話をずらしながらもおだててみせるマリックに、タマラは顔がほころばせた。


「大丈夫だよ、タマラ。これが自警団みたいなゴロツキもどきのどっちつかずなら君の手柄を一人占めするだろうけど、うちのご主人様は由緒正しく誇り高い貴族だ。いかに君が素晴らしい女神様に忠実な信者だったかを事細かく王様に報告してくださる」

「・・・マレック」


 このまま自分もこの邸で勤められたらいいのにと、タマラは心の底から思う。

 誰よりも優しくて、自分に様々なことを教えてくれたマレック。

 彼とこのまま幸せになりたい。自分の願いはそれだけだ。


「まだ旦那様も、若旦那様も、リシャール坊ちゃまもお帰りにならないのよ。きっと大変なことが起きているのね。だけど戻ってきたらちゃんと聞き耳を立てて探り出してみせるわ。待ってて」


 けれどもその願いはもうすぐ叶うとタマラは知っていた。

 マレックが言ったのだ。あのキャサリンの長男アルドはとんでもない犯罪者なのだと。その情報をいち早く握れば、それはタマラの手柄になると。

 あの嫌味ったらしい女主人キャサリンの泣きっ面を拝めるのはもうすぐだ。そうして苦労を知らずに育ったエリーネも、その時、現実を知ることだろう。


(名門の家に産まれたからって、あんなに恵まれて育って。私があかぎれになった手を吐息で温めていても、いつだってお嬢様は綺麗な指をしていらした・・・!)


 だけど自分はもう知っている。

 所詮、アボルト一族など、女神様に対する汚らわしき背信者だと。

 没落してあのエリーネも使用人の下働きの身に落ちればいい。

 だけど今は、まだタマラはアボルト邸の下働きの身に過ぎなかった。


「勿論だよ。・・・愛している、タマラ。一緒に幸せになろう。君の肩に俺達の幸せがかかっている」

「ええ、マレック。愛してるわ」


 名残惜しいが、キャサリンが帰宅する前に戻っていなくてはと、タマラは慌てて階段を駆け下りていく。

 手を振って、窓からタマラが裏門を出て行くのを見下ろしていたマレックは、その姿が見えなくなった途端、つまらなそうな顔になった。


「全く、何の情報もないくせに来やがったのかよ。まだリジィの方がマシだったぜ」


 悪態をつくと、マレックはタマラが使ったカップをもって階段を下りていく。口紅がついたカップなど残してはおけないからだ。

 いつ、次の「自分の恋人」が来るかも分からない。「恋人」が重なった時は、ちゃんと門番達が、

「今日、マレックは用事を言いつけられて出てるんだ」と、話してくれるようになっているから、最悪の事態は考えなくてもすむが、情報は新鮮さが命だ。

 何よりも細かく様々な情報を得られないのでは、自分の好待遇も露と消えてしまう。


(そうさ、タマラ。お前の探り出してくる情報に俺の幸せがかかっている。せいぜい頑張って聞き耳立ててきな)


 唇を歪めるその表情は、タマラの前で見せている太陽のような笑顔ではなく、まさに嘲るようなものでしかなかった。






 大神殿より白き神殿の試練を与えられたレイスは、現在、神官の義務を全て(まぬが)れている。

 何故ならば30日間、彼はあくまで自分の心ひとつで人々に示さなくてはならないからだ。女神シアラスティネルに仕える神官として、与えられた場所すら神殿のように祈りの場へと変えるだけの信仰心を。

 ゆえに彼は強気だった。いや、本当のことなど説明できないが為に、強気で誤魔化すしかない。


「これはどうしたことだっ!?」

「私には分かりかねます。ですが30日後まで、ここは私に与えられた場。どうぞお引き取りを」


 第1神殿長がそのぺしゃんこに潰れて跡形もなくなった倉庫に対する説明を求めても、レイスは素知(そし)らぬ顔で突っぱねた。


「なんというっ。ここの倉庫が潰れていて、説明も何もなさらぬ気かっ」

「お言葉ですが、私は今、試練を受けている最中です。どうか女神様に対する私の信仰を示す試練を邪魔しないでいただきたい。神官ならば、女神様よりも優先する事態がないことなど、当然ご存じの筈です」


 そこでムカついた神官達の怒号が飛ばなかったのは、やはり人目があったからだ。そしてなったばかりの神官にすぎなくても、そのレイスは既に第3等という高位神官だったからだ。

 低い柵しかなかった倉庫周辺の敷地は、大通りからもよく見える。そこに集まっているのは、もはや神官達だけではなかった。


「ああ、なんて神々しいこと。神官様、これは、何という不思議なんでしょう。まさか炎で女神様のご神体を作っておられるだなんて」

「まさになぁ。女神様の瞳は夕焼けのようだと聞いとります。きっとこんな美しい目をなさっておられるんでしょうなぁ」


 第1神殿にやってきた信者達が、地面に突き刺さった橙色に輝く炎のご神体を見つけて祈りを捧げていく。


「そこにご神体があろうとなかろうと、尊いのはその祈りを捧げる心なのです。我らが女神様は昼も夜も全てを見通し、我らを見守られておいでです」


 一般人を自分の盾にしようと思ったレイスは彼らに向かい、優しく微笑みかけていた。実際、信者達の前でみっともない言い合いをすることもできず、第1神殿に属する神官達も弱り顔だ。

 自分が目立てば目立つ程いいと、レイスは考えている。神官達からの反感や怒りは覚悟の上だ。

 レイスの一般信者に向ける言葉は、神官達に対する愛想の欠片もない対応とは全くの正反対だった。

 

「さすがはこんな素晴らしいご神体を守られる神官様。なんて穏やかな方なんでしょう」

「全くだ。こんなご神体、初めて見た。いい土産話になるよ。ギバティールにある神殿を全てお参りさせてもらうつもりだったんだが、なんて素晴らしいものを見ちまったんだ。凄すぎるぜ」


 それぞれに皆が興奮した面持ちで囁き合う。


「おかあさん、あのめがみさまね、ちかづくとアチチなの」

「近づいちゃ駄目なのよ。遠くから祈りを捧げなさい」

「だけどあのしんかんさま、わたしよりももっとちかづいてたのよ」

「しっ。神官様は特別なの。だから神官様は偉くていらっしゃるのよ」


 そう子供に言い諭す母親もいた。

 単に女神を表す神体に近づけないのは、その形の炎を作り出している火の妖精(サラマンダー)が人間を嫌っているだけだからだと、誰に分かるだろう。


「どうか私にも祈ってくださいませんかのう、神官様。神官様の髪と目は、やはり女神様にどこか似ておられるんでしょうなあ」


 一番ご神体から離れたベンチに座り、長く祈っていた初老の男が、横を通りがかったレイスにそう話しかけてきた。

 レイスは乾いた砂漠の砂を思わせる薄い金髪と赤茶けた瞳をしているが、そのオレンジに輝くご神体の光を受ければ、少し違った色合いにも見える。

 彼の目には、金とも銀ともつかぬ月色の髪をして夕焼け色の瞳をしているという女神シアラスティネルに仕える神官に相応しい、まさに準じた色に見えたのだ。


「私の色合いなど女神様の足元にも及びません。どうして人の持つ色に意味がありましょうか。世界を愛してくださる女神様の美しさは全てを凌駕し、そのような表面的なものに囚われる我々の小さな心をやすやすと飲みこんで、広くて深い愛を内包しておられます」


 いくら白柱登攀を成し遂げたと言っても、いきなり第3等神官になった一般人だ。

 子供の頃は神官になる為の学校に通っていたにせよ、神官らしいことなど何一つできまいと、第1神殿の神官達も(たか)(くく)っていたが、神官に化けて色々な場所に潜入していたレイスは、神官の真似事など朝飯前だった。

 今までずっと神官をしていましたと言われても信じられる程、振る舞いも板についている。


「私に祈りとは・・・。何かあったのですか?」

「実は女房に死なれてしまいましてなぁ。もう年老いた身、離れて暮らす息子の所へ行こうと思っとるんですが、うまくやっていけるかどうか・・・」

「それは、ご不安でしょう」


 肩を落として身の上話を語る男は、寂しげな空気を漂わせていた。

 レイスはその初老の男の手を取る。


「ですがあなたは、こうして歩み寄ろうとしておられる。親だから面倒をみさせて当たり前と考えず、息子さんのことをまず思いやるような優しいあなたが、うまくやっていけない筈がありません。お亡くなりになった奥様も、きっとあなたを案じながらも信じておられたでしょう」

「神官様・・・」


 その男の目に涙が光った。


「あなたの心が、女神様の愛を見失うことのないように」


 レイスの言葉は決して大きくはない。けれども不思議なことに、周囲の人々が聞き漏らすことはなかった。何故ならば、風と共にレイスの声を隅々まで届ける妖精が存在したからである。

 人々は遠く離れていてもレイスの声が聞こえていて、だから感動せずにはいられない。


「あなたと、そしてここに集っておられる皆様の為に。・・・共に祈りましょう。あなたの奥様の為にも。その祈りが奥様にも届くように。他の方々も、あなたの奥様の為に祈ってくださるに違いありません」

「ああ、有り難い」


 一人一人に頼まれたら面倒なだけじゃないかと、そんな気持ちを綺麗に覆い隠して、レイスは祈り始めた。

 その真摯な姿が、橙色に燃え上がるご神体に近づける唯一の神官という希少価値もあって、人々に畏敬の念を抱かせる。

 それを苦々しく思いながら、それでも少し離れた所から見ていた神官達も共に祈り始めていた。

 不快に思う一方で、誰に何を言われようとも自分の試練だけに向かい合うレイスが、まさに孤独な神官の道を追及しているように見えたからだ。


「不思議ですのぅ。なんか、胸が温かくなりました」

「あなたの誠実な愛と祈りが、奥様を失った悲しい心を温めたのでしょう」

「ずっと、一緒に連れ添ってきましてなぁ」

「・・・ええ」


 しかし、それで終わった気になっているのは、心痛で顔色も悪かったその男に触れることで血の巡りをよくしてあげたレイスだけで、ぷりぷり怒りながら大神殿へ向かった第1神殿長は腹立たしい限りだ。


『何なのですかっ、あの若者はっ!? 白柱登攀を成し遂げた逸材かと思いきや、今度はあのような奇跡に立ち会いながらそれを独り占めするとはっ。神官の一員という自覚もないのですかっ!』

『何があったというのです、第1神殿長? どうなさいました?』

『それが、よりによってあの倉庫が一気に潰されてなくなってしまったのですよっ。大神殿も、女神様のご神体製造を請け負わぬよう根回ししていたと聞いておりますが、何たることかっ、よりによって燃えるご神体が登場したではありませんかっ。彼は何者なのですっ!?』

『それは一体・・・。少々お待ちください、第1等のどなたかを呼んでまいりますっ』


 そうして大神殿に第1神殿倉庫跡に燃え上がるご神体が現れたことが把握されれば、誰しも現場確認にやってくる。

 どういうからくりかと、大神殿に所属する神官達も息を呑んだ。


「これは何という・・・。こんな形に燃えさせることなど、どうやったらできるというのだ? ご神体の形に薪を組んだわけでもないというのに」

「いきなり現れたご神体のことなど私には分かりかねます。あくまで私は自分の試練を貫くのみにございます。どうぞお捨て置きくださいませ」


 やってきた第1等神官ドリエスがレイスに尋ねても、取りつく島もない。


『なんたる口の利き方っ』

『いきなり第3等になれたからと、あまりにも不敬が過ぎようっ』

『・・・やめよ。それでも白き神殿の試練の際、その者には全ての自由が認められるものなのだ』

『ですが、ドリエス様』

『良い。決まりは決まりだ。・・・帰るぞ』


 むかむかっとしながらも、それでも炎で出来たご神体は美しいものだから、彼らとてあまり強く出ることもなく祈りを捧げてから帰った。

 だからと言って、怒りが収まるわけでもない。

 第1等神官ドリエスとて、皆の前だからこそ鷹揚(おうよう)に振る舞ってみせたが、自分の子供よりも若いレイスに偉そうに言われて腹を立てていないわけではなかった。


(やっといなくなったか。妖精なんて気まぐれなものと決まっている。神子姫達に何かあったらここを放り出してそっちに向かうと分かっている妖精を使って大風呂敷なんぞ広げられるか)


 それですっきりしていたのはレイスだけで、大神殿に戻ったドリエス達が誰に八つ当たりをするかといえば、それはもう自明の理である。


『さすが優秀なお孫さんをお持ちの方は違いますな、ウルシーク殿。わざわざこちらが出向いても、全く歯牙にもかけぬとは』

『・・・・・・』

『まあ、さすがに第1等の我らとて、一日で第3等まで出世するようなことはしておりませんでしたが、あそこまで偉そうにできるとは神経を疑いますぞ』

『・・・色々とありまして気性(きしょう)が歪み、根性も(ひね)くれてしまいましてな。今、あれの祖母の亡くなった真相を調べさせておるところです』

『なんと。その祖母とは、もしや』

『ええ、第7等神官ランディ殿の奥方、アレクシア殿。その死にアルドが係わっているものと思っておりましたが、そうではなかったようでしてな。そのことも含めて、今のアルドは我らを家族とは思っておらぬでしょう』

『・・・・・・だとしても、最低限の礼儀は弁えさせておくべきですぞ』

『全くです』


 一応、たまには神官らしく祈りを捧げたり、信者達の話を聞いたりもしているレイスだが、この試練そのものの結果はどうでもいいと思っていたので、第1等神官と共に大神殿に所属する神官達が引き上げていった後、敷地内の木陰にベンチを一台運んでいき、そこで居眠りとしゃれこんでいた。


(夜の間にベンチをきちんと配置しておいてくれたのは有り難い。さすが神殿の生き字引。無駄に年はとってないな)


 人目につかぬよう、どうやら深夜に運んでおいてくれたらしい。第3神殿に所属するファロンの手配してきたベンチは、屋外用で10人掛けだから全身を伸ばして横になれるのもちょうど良かった。

 ご神体の形をした火の妖精(サラマンダー)の気配も、そして大気の中に光る風の妖精(シルフ)の気配も、レイスにとってとても心地いい。こうして目を閉じていても風の妖精(シルフ)の気配が心を洗っていった。

 思ったよりも幸先(さいさき)はいいと考えているレイスである。

 なのに人間(じんかん)万事(ばんじ)塞翁(さいおう)(うま)、こうして幸せな居眠りすら途中で邪魔されるときたものだ。


「アルドよ。第1等神官が直々にやってきても、30日間は自由な筈だと説明もしなかったそうだな。お前のおかげで休む暇もない祖父を気の毒に思わんのか。どういう躾をしていたのかと、嫌味を言わぬ神官こそおらん有り様ではないか」

「躾どころか育てた覚えもないと、そう言えばいいだけだろう」


 こうして堂々とレイスが居眠りしていても、イメージというものは素晴らしいものだ。


『きっとお疲れなのね』

『こんな何もない場所で祈りを捧げていらした方だもの。休まれる時もこうしてご神体が確認できる場所でと、思っておいでなのよ』

『神官様の(かがみ)じゃなぁ』


 ふらりと珍しいご神体を拝みにやってくる信者達は、勝手にレイスを美化してくれる。


「何の為にここまで来る羽目になったと思っておる」


 ウルシークは、レイスの寝ているベンチの空いているスペースに腰を下ろした。

 レイスのおかげで、ウルシークは娘婿のテオドール共々、ずっと帰宅せず大神殿に泊まりこんでいる。

 それは我が身の潔白を証する為でもあった。レイスとあえて何も連絡をとっていないことを誰の目にも明らかにし、レイスの行動に自分の意思は関与していないことを示していたのだ。


「誰が来たところで俺の返答は同じだ。・・・邪魔だ、帰れ」


 ちらりとウルシークの様子を確認したレイスは、再び目を閉じてしまう。

 その様子を見ていた第5等神官ランドットや第6等神官ガントークは、なんだかもう投げやりな気分にならずにいられなかった。


(さすがアルド兄様。どれだけ口説かれても平然と無視してたアレクシアお祖母様そっくりだ)


 マイペースな兄に感心しているのは、そんなアレクシアの秘密の恋人になれたのは自分だけだと自負するリシャールただ一人だ。

 報告を命じられていた第1神殿の神官達は聞き耳を立てながらも、そんな祖父と孫息子の会話に殺伐(さつばつ)としたものを感じずにはいられない。

 

「お前がきちんと説明すれば全ては問題なく終わる。そうは思わんのか」

「説明も何も俺は何も知らん。それに何を聞いたところで、誰に何が出来るというんだ? 馬鹿馬鹿しい」

「それで通ると思っておるのか、アルドよ」


 ウルシークがうんざりとしてしまうのは無理もなかった。祖父にくっついてきたリシャールだが、さすがにそこで二人を交互に見ながらおろおろとし始める。

 

「あ、あの・・・、お祖父様。何度も言っておりますが、アルド兄様もこんなことになるとはご存じなかったようですし、仕方ないのでは? あの時、アルド兄様もびっくりしておられました」

「それで説明になるのであれば誰も苦労はせぬ、リシャール。これにどんなからくりがあるのか、それぐらいは教えてもらわねば誰だって思うものはあるであろう」


 大騒ぎにならぬよう、このご神体に気づいて祈りを捧げていった信者達には、

「これは神殿ならではの特別な儀式なのです。あまり他言しないでいただきたい」と、要請しているので、あまり大きな噂にはなっていないが、毎日祈りにやってくる信者もいるし、どれ程に口止めしてもやってくる信者は増えていた。


「だから知らんと言ってるだろう。俺は、普通にご神体はちゃんと神殿御用達(ごようたし)の店に発注するなり、自分で簡易的な物を作るつもりだった。それが突然現れたんだ。どんなからくりがあるのかなんざ、やった奴を見つけて吐かせればいいだろう」

「それこそ、そんなことをする者がいたとしたら、心当たりなどお前に尋ねるしかないであろう、アルドよ」

「・・・だから知らないと言っている」


 なんだかレイスは面倒になってくる。


(こういう時、一発で黙らせる方法はなかったか。そう言えば、誰もが二の句を継げなくなるというのは、マーコット姫が最強だった)


 だが、あれは自分には無理だ。彼女の場合は、理屈や正論を全て超越して自分の感情しか見ていないと誰もが分かるから、周囲が諦めるのである。真琴は自分の心を向けているカイトの気持ち以外に、価値を見出していなかった。

 そうなると優理だろうか。


(ユーリの場合はなぁ、誰もが突っ込みどころ満載すぎた)


 彼女のことならばずっと見ていた。あの気の強さと心の弱さと。偉そうに説教を垂れながらも、それでも庇護者としての権利も甘受する我が儘さ。

 

(ああ、そう言えばあいつはよく二言目には言ってたな。ツルペタの分際で、私の魅力がどーたらこーたらと。そういった女性の魅力というのなら・・・)


 そう思って、レイスは身を起こして立ち上がる。


「どこへ行くのだ、アルドよ」

「心当たりのないものを尋ね続けられることにも飽きた。誰があのような不思議なご神体を用意してくれたか、そんなのを知りたいのは俺の方だ。だが、別に知る必要もないとも思っている」


 近くにいたランドットが口を挟んだ。


「知る必要がないとはどういうことでしょうか、アルド様? 本当はお心当たりがあるのでは?」


 ランドットの方をレイスが向けば、その周囲にいる神官達は誰もがさりげなく視線を外しながら、耳を(そばだ)てている。


「心当たりなどないと何度も言っている。そして相手を特定する必要性が俺には分からない。よくお祖母様も言ってたものだ。

『勝手に贈ってくるものをどうして感謝しなくちゃいけないの? その人がしたくてしたことでしょう?』と。

 名を告げずにしてきた相手を、どうして俺が探し回らなきゃならない? 俺はしてくれなんて頼んでない。誰かがそれを口惜しいと言うのなら、口惜しく思う奴がそれだけ神官としての魅力を持てば、そいつにもしてくれるだろうよ。俺の知ったことか」

「・・・・・・アルド。お前という奴は」


 ウルシークは第1等神官だけではなく、中位・低位の神官達の恨みをもかったことを知った。

 その場にいた神官で、ここでレイスに殺意を全く抱かなかったのはアレクシア大好きだったリシャールだけである。


「アルド様。こっちの苦労も考えてくれませんかね?」

「何故、俺が?」


 ランドットは額を押さえずにはいられなかった。情報を少しでも集めて周囲からの風当たりを少しでも弱めようもしているというのに、情報を集めようとすればする程、敵を作ってくれるとは何事か。


「その考え方を傲慢とは思われないんですか、アルド様?」

「生憎と俺を育てたお祖母様は、それを傲慢とは教えてくれなかったな」

「どこへ行かれるのです、アルド兄様?」


 ベンチから立ち上がり、歩き出したレイスの背中に、リシャールが声をかける。


「昼飯だ」

「あ、じゃあ私も行きますっ」

「お前は仕事があるだろ。俺は時間配分も自分のペースでできるが、お前は違う。お前はちゃんと自分のすべきことを為せ。俺に振り回されてるのは暇人だけでいい」

「・・・はい、アルド兄様」


 リシャールは、兄には人前で口を開かせないのが一番敵を作らない方法だと知った。

 そんなレイスが休憩に行ってしまえば、燃えるご神体もいつの間にか消えている。

 今の内にと、ご神体が設置されていた場所を神官達が丹念に調べても、そのからくりは分からなかった。

 そしてレイスは普通に歩いているだけなのに、大抵は誰もが途中で見失ってしまう。


『あれだけの人間に尾行させているというのに、なぜいつも撒かれてしまうのだっ』

『いきなり目の前にいた筈なのに姿が消えるんですっ。油断などしておりませんでしたっ』

『そうなんです。角を曲がったわけでもなんでもなく、通りでいきなり姿が消えるんですっ』


 どこまでも秘密主義を貫き、そうして探りを入れても何も明かさないレイスに、誰もが焦れずにはいられなかった。






 パッパルート王国へ向かっているドレイク達一行は、追いついてきたキースヘルム達を迎えて更に大所帯になっていた。

 ちょうどいい野原で休憩を取り、ジルヴェスター達と共に、ドレイクやフォルナー達と互いの集団について打ち合わせをし始める。

 移動中、すやすやと荷馬車の中でお昼寝していた優理が、動きが止まったことに気づいて起きたらしい。ひょいっと顔を出した。


「ドレイクー、なんか人が増えてるんだけど、キースが着いたってホント? あ、本当に着いてる。・・・思ったよりも遅かったのね、キースったら。実は仕事できないタイプ?」


 寝起きの優理は、思ったことをそのまま口に出す。


「前から思ってたが、お前はどうも口の利き方ってもんが本当になってねえよな」

「前から思うとったんやが、キースヘルム、お()はん、こんなクソ生意気な小娘のどこがええんや?」


 ぴきっと額に青筋を立てながらも、キースヘルムも顔だけは笑みを浮かべていた。だから優理は、キースヘルムが立ち上がって寄ってきたのを、何かお土産でもくれるのかなと、わくわくしながら見上げる。

 しかし、現実は甘くない。

 キースヘルムはとても優し気な笑みを浮かべてから、優理の頭頂部に拳骨をぐりぐりと押し付けた。


「痛い目に遭わんと分からん奴ってのはいるからな」

「きゃーっ、痛いっ、痛いってばぁっ。カイネさぁんっ、キースがぁっ」

「あー、もう。キースヘルムの旦那。今やユーリちゃんはお宅らのボスでしょうがよ。あんまり苛めるもんじゃありませんぜ」


 ドレイクの両のこめかみグリグリも嫌だがコレも嫌だと、優理はドレイクの近くにいたカイネに助けを求める。

 しょうがないと、カイネも立ち上がって近寄ってきた。

 ひょいっと優理の腹に右腕だけ回して、自分の所へと引き寄せるカイネも到着早々何やってんだと呆れ顔だが、キースヘルムにしてみれば本当に休む暇もない慌ただしさだったのである。

 それを開口一番、あのセリフだ。怒らない男がいるだろうか。

 自慢じゃないが、自分達はかなり機動性がある方だと自負している。


「その前にそのクソ生意気な口の利き方をどうにかさせろや。だっれっのせいでっ、こんな慌ただしいことになったのかもなっ。よぉく教えこんどけっ」

「そう言われてもなぁ。ユーリちゃんは今やキースヘルム一家のボスだ。俺が教えるなんてとてもとても・・・。旦那ももう少し心を広く持ちましょうや。こんな可愛いボス、そうそういないでしょうがよ」

「そーよねっ。やっぱりカイネさんは分かってると思うのっ」


 よしよしと頭を撫でられてご機嫌な優理は、自分にとって都合のいい言葉だけを選択透過する耳の持ち主だ。

 カイネのポケットから出された飴までもらって喜んでいる優理に、キースヘルムの黄緑色の瞳がかなり険しくなる。


(なんでこいつはいつもいつもこうなんだっ)


 まずは合流してドレイク達と話し合っていたキースヘルムも男だ。それなりに久しぶりに会った女の反応や対応には手慣れている。

 自分が到着したことを聞きつけた優理は、本来は「会いたかった・・・!」と、駆け寄ってくるところだろう。それ以外ない。女ならここはしおらしげにそうあるべきなのだ。

 そう思いきや、あの可愛くないセリフである。しかも、ちょっとしたお仕置きをしてやったら、すぐにカイネの所へ逃げてくれた。

 カイネがいなければ、それこそほっぺたびよーんの刑にしてやったものをと、キースヘルムはカイネをも睨みつけながら、いずれ隙を見て優理の頬を思いっきり伸ばしてやろうと決意する。


「てめえん所は無傷だからそんなこと言えるんだろうよ。てか、なんでお前は何かとすぐにカイネん所に行くんだ、ユーリ」

「一番頼りになるから」


 優理はきっぱりと答えた。ドレイクもフォルナーもレイスも、自分が助けを求めれば助けてくれるが、お説教付きは免れない。その点、カイネはあまりうるさくないのである。

 この差は大きい。


「俺の方が頼りになると思うんだがな? 大体、それでお前はうちに来たんだろうがよ」


 背後には自分の手下達もいるとあって、キースヘルムもあえて揶揄(からか)うような口調で臨む。

 そう、自分は優理に対して本気であたふたしているわけではない。

 単なる小猫がじゃれついただけさと、そう言わんばかりに内心の怒りを隠して、笑顔でカイネと一緒にいる優理に近寄っていった。

 すると、優理は偉そうに胸を張る。ちっちっちと、人差し指まで振ってくれるおまけ付きだ。


「キース、いざとなったら身動きとるのもひと手間かかるってもんじゃない。その点、カイネさんってば、いざとなったら即座に色々な人を動かしてくれる機動性があるもの。それに誰からも信頼されてるから、話も通りやすいし。大体、キースを手下にしても、未だに働いてくれてないしぃ」


 キースヘルムはたかが小娘如きの戯言を真に受ける程、お子様ではない。

 しかし、こういう比較をにこにことして聞いてやれる程、低いプライドは持っていなかった。ぴきっと、額に引き攣るものが生まれる。


「それにキースってば、所詮は信頼ないからいざという時は何だか内部分裂しそうじゃない? 私はね、ちゃんとそこの辺りを見極めた上で、カイネさんの方が・・・って、痛いっ痛いっ、痛いってばぁっ」

「なんでそう大人げない真似しますかね、キースヘルムの旦那は」


 再び頭頂部に拳骨をぐりぐりとされた優理が悲鳴をあげれば、カイネが呆れ顔でキースヘルムの手をどけさせた。


「誰だって怒るだろうが」

「こんな子供の言うことを真に受けてどうするんですかい。大体、ユーリちゃんはこの生意気なところが可愛いってもんでしょうがよ。従順で愛想を振りまくのが欲しけりゃ、ちゃんといい子がいますぜ、旦那」


 ひしっとカイネの腰に両腕を回してくっついている優理は、誰がどう見ても二人の男を手玉に取っているというより、口うるさい母親から逃げて優しい父親に庇ってもらっている状態である。

 キースヘルムの手下達に、「なんでボスはあんなお子様を・・・」みたいな空気が、しらぁーっと流れていった。


「なんでお前ん所に金落とさなきゃならねえんだ。と言うよりな、お前がそうやって庇うからこいつの生意気さが直らねえんだぞ」

「生意気さのないユーリちゃんはユーリちゃんじゃありませんぜ、旦那」


 よしよしと、カイネは優理の頭を撫でている。馬鹿らしすぎると、ゲルトも気を取り直してドレイクに話しかけた。


「それじゃあ、ドレイクさん。俺達が後ろ側の方がいいですかね」

「そん方がええやろ。今まではお宅らが少なかったよって混合にしとったけどな、ここまで来たら別々にしとる方がやりやすいやろが。それにな、後からついてくる方が楽や。疲れたやろ。今日は早めに宿とるか野宿するよって、ゆっくり休み」


 なんだかんだ言っても、ドレイクは人情味のある対応をする男だ。素直にそこはゲルトも感謝する。


「お宅の元ボスと現ボスがあそこでサボってんだが、立ち合わせとかねえとまずいんじゃないか?」

「お気になさらず。ボスがやりたいことを邪魔する方が、俺らにとってまずい事態になるんで」


 小声で話しかけてきたフォルナーにそう返しつつ、アロイスがチラリとそちらを見れば、さっきまで喧嘩していたくせに、今はもう忘れているようだ。


「ほら、ユーリ」

「なぁに? ・・・うわあ、美味しそうっ」


 キースヘルムが優理に何かを渡していた。


「一人で食え。どうせそんなの、女子供しか食わん」

「ありがとうっ。・・・そうだわ、キース達も疲れてるでしょ? とっても疲労に効くお茶をブレンドしてみたのよ。効果はフォルナーさん達で実証済み。すぐに作ったげる」

「ああ」


 缶入りの焼き菓子をもらってニコニコし始めた優理は、自分の荷馬車へその特製ブレンド茶を取りに行く。


「ま、所詮はガキだ。菓子一つで他愛ないもんよ」

「それ、教えたったの俺やろが、キースヘルム。何なんやろな、ほんま。どうせ喧嘩せんのやったら最初から仲良うしとけっちゅうねん」


 つい、毒づかずにはいられないドレイクだった。






 デングラー男爵邸の女主人は、若き未亡人ルシアだ。亡き男爵とルシアとの間には子供もいなかったことから、ルシアはひっそりと暮らしている。

 しかし最近、ルシアに恋人が出来たらしい。その恋人が今日も訪ねてくるというので、料理人や侍女達は張り切っていた。

 

「こんにちは。男爵夫人はご在宅でしょうか?」

「はい。お待ち申し上げておりました。どうぞこちらへ」


 家令であるローランが案内に立つが、その案内する先は食堂である。


「奥様。アルド様がおいでになりました」

「ちょうど良かったわ。今、テーブルに並べてくれているところなのよ」

「少し遅れましたか。申し訳ありません」

「まあ、いいのよ。神官様は色々とお忙しいのですもの。お昼をご一緒できるだけで十分ですわ」

「ありがとうございます」


 本来は給仕する使用人がいなくてはならないのだが、ルシアの希望で、最初に食事を全てテーブルに並べるようにしてほしいと言われていた。

 ゆえにこれは二人きりの時間を持ちたい恋人同士の逢瀬であると、使用人達が判断したのも無理はない。

 何より二人とも若く、神官は妻帯も許されているのだから。


「毎日こんなご馳走を用意されてしまうと申し訳ないぐらいです。ここの料理人の方はとても素晴らしい腕をお持ちでいらっしゃる」

「ほほ。私一人では腕の振るい甲斐がないところでしたもの。お客様は大歓迎ですのよ」


 ルシアばかりではなく、皿を並べていた侍女達もにこにことしたものだ。


「どうぞ、神官様。本日のワインは何がよろしゅうございますか? ルシア様が、こちらのすっきりしたものと、少し甘めのもの。どちらが今日のお魚料理に合うかを悩んでおいでで、神官様がいらしたら決めましょうと(おっしゃ)って・・・」

「それは大役ですね。こちらのお料理は盛りつけも色合いが美しく、繊細に感じております。よければすっきりした味わいの方を」

「はいっ」


 盛り付けには自分達も参加している侍女達である。褒められて嬉しいのは料理人だけではなかった。


「そうだわ。うちの侍女が、家族の為に神殿で祈りを捧げてほしいのだけれど、どれくらい用意しておけばいいのか分からないと悩んでいるそうですのよ。何でも、もう長くないかもしれないと覚悟しているとか。そういう時は、どうすればいいのか教えてくださいます?」

「ああ、それはやはり近くの神殿に問い合わせないと分からないですね。良ければ調べておきましょう。どちらにお住まいですか? ・・・男爵夫人の侍女殿のご家族となれば、私がと言い出したいところなのですが、今、私は大神殿所属になっておりまして、言うまでもなく大神殿は人々の身近なそれは、通常の神殿に任せているものですから」


 その言葉に家令のローランばかりではなく、その場にいた侍女達も目を丸くする。

 何故なら大神殿に所属していることこそ、エリートの中のエリートだからだ。


「まあ。神官様は、大神殿にお勤めになっていらっしゃいますの?」

「そうですが、臨時的なものです。私自身は特に偉くも何もありません」


 客人に自分から尋ねてしまった侍女にしてみれば、それこそが謙遜にしか思えなかった。

 働いている者にしてみればルシアはいい主人なのだが、男爵夫人になった経緯から世間ではあまり良い印象を抱かれていない。

 そこへ出入りするようになった青年・・・と言えば、誰しも淫らなものを思い浮かべてしまうものだが、何と言ってもその相手は男爵夫人に取り入ろうとするヒモ志望ではなく、神官なのだ。

 ましてや大神殿所属と知って、どうしてルシアの男性を見る目を評価せずにいられるだろう。


「けれども大神殿だなんて・・・。もしも普通の神殿に移られた時には是非教えてくださいませ」

「そうですわ。是非、私共もそちらに参りとうございます」

「ありがとうございます。その時は是非」


 そうにこやかに礼を述べる様子は、だからと言って自分を強くアピールするでもなく、どこまでも自然体だった。


「お前達もそうアルド様を煩わしてないで、並べ終わったなら退出しなさい」

「はい、ローラン様」

「ではローラン様。こちらのワインを」


 最初の一杯だけはローランが客人に注ぐようにしている。それを知っている侍女の一人がワインを渡していく。

 そのローランもアルドが大神殿所属と知り、さすがだと感じたのは否めなかった。

 若き未亡人の恋人。だが、彼は昼間にしかやってこない。

 二人は共に昼食を取るだけの健全なお付き合いである。

 どうしてそこで張りきらずにはいられようか。


「どうぞ。お注ぎいたします」

「ありがとうございます。ここの屋敷は本当にきちんとしているのに温かみがあって、・・・家令殿のお人柄ですね」


 エリート神官はどこか偉そうに人を使って当然といった雰囲気が溢れているものだが、彼には如才なく褒めてくるところがあった。

 貧しさから這い上がろうと苦労して育ってきたからかと思いきや、高級な家財にも慣れているのか、純銀のカトラリーですら綺麗に操ることをローランは知っている。


(何にしても、うちの奥様はかなり(したた)かなお方だ。人物を見抜く目だけは最高レベルと言っていい)


 まさか二人が食事をしながらしているのが愛の語らいなどではなく、とある小生意気な占い師の日常生活の暴露だと知らないローランは、そう思った。



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