180 真琴には友達ができて、ウルティードは懐かれた
基本的に真琴は問題さえ解決してしまえば、後はどうでもいいというタイプである。
執着する相手にはどこまでもねっとりじっとり溶けた飴のようにべたべたと引っ付きまわるが、執着しない相手には砂漠の如きドライさだ。
これで人の世話を焼くスキルを持っていたら、あれこれ世話しながら恋人の僅かな変化に気づいてはその疑問を問いただし、何かというと「あなたの為に・・・」を持ち出し、「うざい」とか、「重い」とか言われて、男に捨てられる人生を歩んでいたのかもしれない。
幸いなるかな、生憎と真琴には人の世話を焼けるだけのスキルが全く備わっていなかった。
そして人の世話を焼くタイプだからこそ持ちうる、僅かな変化にすぐ気づく観察眼を、当然のことながら持ち合わせていない。
だから間一髪のところで、「お前、重すぎ」や「うざいんだよ」を言われずにすんでいたのである。ただし、そこは姉妹ならではの正直さがある優理を除いて。
何より真琴の人生、周囲にいた誰もが、別に真琴の家事能力や生活能力がゼロでも全く問題ないスキルや経済力を持っている年長者ばかりだった為、それで問題が生じたこともなかった。
そういう意味で、ユーフロシュエは真琴にとって新鮮な存在だった。
「シルフがそこまで近寄ってくるということは、本当にいい奴なんだな。悪かった。あまりにもどす黒い気配で、それこそ山に放火したり、カイトを殺して毛皮を絨毯にするぐらいのことはしかねんと判断してしまったんだ。まあ、良かったら飲んでくれ。色々な葉を使って作ったお茶なんだ」
「あー、いいよ、別に。そりゃ森林火災起こされたら大変だもんね。カイト殺されたら私も困るもん。あ、だけど普通の人間でこういう気配の人がいたらちゃんと退治しといた方がいいよ。人間ってば、悪い人はどこまでも悪い人だしさ。・・・このお茶、とても美味しいね。初めて飲んだ味」
出会いこそ最悪だった樹木の妖精のユーフロシュエと真琴だが、風の妖精の効果は抜群だった。
『まあ、とりあえずうちに入れ。茶でも出そう』
招かれてしまえば、真琴と一緒に家の中まで入ってきた、キラキラ光っては姿を現したり消したりする風の妖精達の存在もあって、なんだか普通にもてなされてしまっている。
部屋の中にある四角いテーブルで、カイト、真琴、ユーフロシュエはそれぞれ一面ずつ使い、コの字型に座っていた。
ちょうど真琴が中心になってしまうのだが、それはカイトが自宅以外ではなるべく入口近くの、何かあった時にいち早く対応できる席に着こうとする傾向があるからだ。
「どうなんだろな。この辺りにいる人間と言えば、イスマルクさんとマコトぐらいだろう。イスマルクさんは普通にケンタウロスやウンディーネ達とも交流してるし、港が近いならともかく、ここまでやってくる人間はまずいないんじゃないのか? 何にしてもユーフロシュエが作るのはどれも滋味深い」
「遠慮なくもっと褒めろ。さすがにこの家までやってくる奴ってのはそうそういないし、折角作っても食べさせる奴がいないんだ」
ユーフロシュエも悪気があったわけではない。自らの過ちに気づいたら潔く認めて謝ることができるタイプで、真琴も別に謝罪されたならもういいと考える。
結果として二人は、何事も無かったかのように最初の出会いを水に流すことができていた。
「それなら、自分から遊びに行けばいいのに。イスマルクの所とか、ケンタウロスやサテュロスが普通に来てるし、ドワーフやサイクロプスとも交流してるよ。あそこの湖、ウンディーネもいるから妖精同士だし、仲良くなれると思う。こういうお茶も、みんな、喜ぶんじゃないかなぁ」
「ああ、そうか。悪い、マコト。そこも俺が説明してなかったのが悪かったんだな。ドライアドってのは、あまりその地を遠くまで離れられないらしいんだ。と言っても、俺もユーフロシュエからそれを聞いたんだが」
「え? あ、そっか。木の妖精だもんね。木に触ってないと移動できないの? だからこの木で出来たお家からは出られないとか? じゃあ、板敷きの屋外廊下を作らないと移動できないんだ」
なかなか面倒な制約があるもんだと、真琴が頷けば、ユーフロシュエは呆れたように口を挟んだ。
「お前の説明が悪すぎるんだ、カイト。いいか? ドライアドってのは、まず自分の木があるんだ。その木の妖精であることが大前提。だから自分の木からある程度なら離れられるが、遠くまで離れることはできない。そしてその木を伐り倒されてしまったりすると、ドライアドも死んでしまうのさ」
「え? 何それ。じゃあ、どこかにしまっておかないと大変だよ? 植木鉢に入れて、家の中にしまっておいた方がいいと思う。台風の時とか危険だもん」
「いや。そもそも植木鉢ですむ大きさじゃないんだが」
木の妖精だから山にいるのかと、その程度の認識だった真琴は目を丸くした。しかしユーフロシュエは、両腕を思いっきり広げてみせる。
「これぐらいの幅はある大木なんだぞ」
「植木鉢が割れちゃうね、確実に」
そうなると真琴も、その案を引っこめた。
「うーん。自分の木からあまり離れられないのかぁ。少しは離れて出歩けるだけ自由な気もするけど、それでも鎖をつけられてるのと変わらないよね。それは寂しい」
「そうでもないさ。こうして生き物の真似事をしているのは、けっこう楽しい。ふらりとやってきた虎の獣人に、
『生き物の気配がしないが、お前は幽霊か何かか?』とか問われたりもするんだからな。幽霊に間違われたのは初めてだった。楽しいことは色々とある」
「あのなあ、ここでそれを持ち出すか。しょうがないだろう。見た目は普通だったが、あまりにも血の気配がなかったんだからな」
なるほどと、真琴は納得する。やはり虎だけあって、ユーフロシュエに生き血の気配がないことがカイトには引っ掛かったのか。
血の気配とか言われても真琴には分からなかった。
「えーっと、じゃあさ、じゃあね、挿し木とか接ぎ木したらどうかなぁ」
「挿し木だと? ああ、なるほどな。どうなんだ、ユーフロシュエ?」
「いや、待て。挿し木って何だ?」
そこで真琴は説明する。
「あのね、ユーシェ」
「いや、私の名前はユーフロシュエなんだが」
「長くて呼びにくいんだもん。だから、縮めてユーシェ。その代わり、私のこともマーコットって呼んでいいよ」
「それ、かえって長くなってないか?」
「別にマコトでもいいよ? 細かいことを気にしてもしょうがないでしょ、ユーシェ」
「細かいか? いいけどな。まあ話せや」
身を乗り出すユーフロシュエだが、真琴とそうやって額を突き合わせている様子は子虎がじゃれ合っているみたいだなと、カイトは思った。
(精神年齢的に馬が合うんだろう。ユーフロシュエは家庭的だが、性格はどこぞの少年レベルだ。マコトにはちょうどいい)
どちらも人間関係で苦労してきていない分、すれていないし、必然、子供のように素直な傾向がある。良いことなのか悪いことなのかはともかく、お互いに悪意のない関係を築けるならばそれに越したことはない。
「ちょっと待ってて。見本、見せてあげる。何か使ってない盥か桶、貸して。壊れてるのでいいんだけど」
「そこに箍が緩んだ盥ならあるが?」
「あ、それでいい。ちょうどいい感じ。根腐れしないように、水の抜け道が必要なんだよ」
そして真琴は外に行くと、その壊れかけの盥に土を入れて戻ってきた。そして手にはそこらの木から切ってきた枝も持っている。
「つまりね、こうやって木の枝先をちょっと切ってきてね、土に挿しておくの。そしてね、根腐れしない程度に土を湿らせたり、日に当てたりしておくと、やがてこの土に埋もれた枝の切断面から根っこが生えてきて、そうして一本の木になっちゃうわけ。それが挿し木。これをね、何本か作って、人里までの道の途中に植えていけば、本来の木からできた木々には違いないから、行動範囲が増えるんじゃないかなぁ?」
「・・・なるほど」
真琴は、大体これぐらいの長さでいいんだよと、枝を10センチくらいに何本か切って、ずぼっと指で穴を作った土の中に枝を挿していった。
「上の方も切っちゃってるけどね、根を作るのに栄養がいるから、かえって葉っぱとかついていない方がいいんだ。どうせ根付いたら、この切断された枝の上の方からも更に枝が伸びて葉っぱがついていくからさ。たしか優理がそう言ってた」
「一つの枝からこれだけの木を作ってしまうのか。育つには時間がかかるにせよ、分身を作るようなものだな」
それを見ながらユーフロシュエが考えこむ。
「でね、接ぎ木っていうのは、元々が地面に植わっている木の幹や枝を途中からスパッと切って、そこにこういう木の枝先をくっつける方法。何かでぐるぐるにしてね、離れないようにするんだ。そしたらね、やがて二つの木がくっついて一つになっちゃうんだよ。ただ、これは樹皮の一部を剥ぐように傷つけて、そこに枝先をくっつけるってやり方とかもあるんだけど。ただ、難しくないのは挿し木の方かなぁ」
「へえ」
真琴も知識としては知っていても、挿し木や接ぎ木をしたことがあるわけではなかった。
そんな真琴はいつだって周囲の人に恵まれてきた人間である。
「たださぁ、私もやったことないから・・・。イスマルクなら出来るのかなぁ。あのさぁ、ユーシェ。今度イスマルク、ここに連れてくるよ。そしたらイスマルク、してくれると思う。イスマルク、けっこう薬草とか育ててるし、詳しいと思うんだよね」
「その気持ちは有り難いが、ドライアドは自分の木は人に教えないものなんだ。自分の命そのものだからな」
信用できるとかできないとかは関係なく、樹木の妖精は自分の木を人には決して教えない。
それは本能でもあった。
「別に教えてくれなくてもいいよ? ユーシェが自分の枝、切ってくればいいだけだもん。そしたらイスマルク、その枝を使ってしてくれるよ。で、ここの家の前の庭で挿し木作っておいて、根付いたらそれをユーシェが自分の行きたいところのあちこちにこっそり植えてくればいいだけでしょ? 簡単だよ」
「いいアイディアじゃないか。なかなかやるな、マーコット」
まさか自分の行動範囲が広がるとは思ってもみなかったと、ユーフロシュエが破顔する。
「勿論だよ。だって私ってば頼りになるからねっ」
「全くだな。凄いぞ、マーコット」
「それ程でも」
謙遜はしてみるが、鼻高々な真琴だ。
(これで一気に株もあがったよね。カイト、私に惚れ直しちゃうよねっ)
褒めて褒めてと、真琴はカイトのいる方を振り返った。
「あれ? カイトがいない」
それなのに、そこにいる筈の獣人はいなくて、椅子の上には空間だけがある
「ああ。さっきマーコットが土と枝を取りに行ってる間に帰ったぞ。何でも持ってきた果物が飛ばされたから、今の間にもう一度取りに行ってくるとか言って。虎になっていくなら速いもんだとか言ってた」
「がぁーん。カイトに褒めてもらって、ついでに惚れ直してもらう筈だったのに」
「それを口に出す時点であまり計算高くはなさそうだな、マーコット」
おいおいと、ユーフロシュエは呆れて言った。
かなりの美人だが、どうやらこの人間は男女の駆け引きがあまりできないらしい。気配がどす黒い割に、それに似つかわしくない単純さだ。
「ほっといてよ。恋愛ってば色々と大変なんだよ」
「そうなのか?」
「そうなんだよ。って、ドライアドって恋とかしないの?」
「してもいいが、恋に至る前の出会いがない」
真琴の疑問にユーフロシュエはそう答えたが、肝心な自分達の恋愛観は告げなかったものだから、真琴も自分達の恋愛と同じように考える。
「そりゃそうだよね。山の中に女の子が一人で暮らしてるなんて、誰も思わないもん」
真琴は訳知り顔で頷いた。
「だけど行動範囲が広がれば、出会いどころか、お断りするのに忙しくなるよ。サテュロスなんて10秒あったら口説く種族だよ。ユーシェ見たら、早速、
『おお、こんな所に美女が。ではあなたに捧げる一曲を聞いてはくれませんかな。そうして二人だけのダンスを踊りましょう』とか言い出すね」
「そりゃ凄い。だが、ダンスなんてしたことないんだが」
カイトが素直で可愛いと惚気ていた相手だけに、ユーフロシュエは真琴のことを、兎のように怖がりで大人しい娘なのだろうと思いこんでいた。
それだけに愉快な気持ちになって、そんな相槌を打つ。
たしかに気配はどす黒くて汚れているのだが、真琴といるのは楽しかった。
「大丈夫だよ。サテュロス、相手が踊れようが踊れなかろうが気にしないから。それこそ、
『踊れないなら誰も見ていない林の中で』とか言って連れ出して口説くね、絶対」
まさに自分は恋のエキスパートだと言わんばかりに、真琴は偉そうに解説してみせる。
何と言っても迷えるグリフォンに恋の指南をしてあげたという自負が、真琴の根底にはあった。
(サテュロスなら、ドライアドを見た時点で逃げるだろうに。本当に分かってないんだな、この人間は)
だが、真琴はカイトの恋人だから仕方ないのかもしれない。
あの獣人もドライアドが木の妖精と知ったら、「へー、そうなのか。木にも妖精っているんだな」というものだったと、ユーフロシュエは思い返す。
(友達ね。まさかドライアドに友達とか考えつく奴がいるとは思わなかった。だが、面白い。こういうのも、たまにはいいだろう)
たしかに真琴の気配はあまりにもどす黒くて醜悪だ。しかし、その周囲を風の妖精はご機嫌で飛び回っているし、自分も話していると心が穏やかになっていく。
「でね、ケンタウロスは下半身が馬でしょ。だから好きな子を乗せてって一目散に駆けて行っちゃったりするんだって。ユーシェ、あまりそこから離れられないなら先に言っておかないと危ないよ」
「私がドライアドなのは、見れば分かる。誰であっても」
「えー。私、説明されないと分かんなかったけど?」
「あの獣人の恋人なんだから同レベルなんだろう」
「うっわぁ、何それ」
くすりと、ユーフロシュエは小さく笑みを零した。
目の前にいる人間は、本当に感情豊かだ。
ころころとすぐに表情を変えて、思いつくままに話しかけてくる。
(そうだな。たまにはいい)
樹木の妖精に似つかわしくない、こんな交流も。
人はすぐに死んでしまうが、それでも心を手向ける価値はあるだろう。
樹木の妖精をまるで普通の娘のように扱ってくる、風変わりな獣人と人間相手ならば。
(ああ。まるで普通の生き物になった気分だ。これが短い命を持つ者の生きざまなのか)
ユーフロシュエは、そう思った。
マジュネル大陸の南の地域にある水浴び村では、あちこちに水遊びできる場所がある。
そこで魔物に擬態してバカンス生活していた第7神殿の守り人・黄の大剣に、体を整えてもらった遥佳は、これもいつか記事にできるかもしれないと思って水浴び村を満喫中だ。
「だが、ハルカ。波がなければ泳げるのではなかったのか? 別に波はない」
「水に動きがなければって意味に決まってるでしょうっ。こんな急流でどうやって泳げって言うのよぉっ」
平然と川の中に立っているヴィゴラスの左腕が遥佳自身を堰き止めてくれているからいいが、そうでなければそのまま流されていただろう。
既に遥佳の下半身は川底に足をつけることもできず、ただ足先を下流へと向けたままの姿勢で身動きも取れずにいた。それもこれもヴィゴラスの左腕に遥佳が両腕を載せることで、どうにか下流へ流されずにすんでいるからだ。
おかげで遥佳の少し膨らんだ両胸をヴィゴラスの左腕に押しつけているわけだが、この状態ではそんなことを気にしている余裕もない。
「表面上は緩やかな川に見えましたものね。色々な意味で侮れない村ですわ、本当に」
「言えるわぁ。私達だから立ってられるけど、ハールカなら流されちゃうのも当たり前よ、これ」
グリフォンであるヴィゴラス同様、足腰の強い幻獣のラーナとサフィルスも、川の中に佇みながらそんなことをのんびりと話していた。
「なら助けてよぉ」
「あらあら。てっきり楽しんでいると思っていたのですわ、ハールカ。だってディリライトの島で、マーコットもそうやってロープにつかまってゆらゆら楽しんでましたもの。まあ、ここにあるのはロープじゃなくてグリフォンの腕ですけど」
「そうなのよねぇ。空中散歩とか言って面白がってたし。ただ、マーコットはカイトさんの前ではやらないようにしていたけど。あ、ハールカは遠慮なく楽しんで大丈夫よぉ」
「真琴と一緒にしないでっ」
運動神経が天と地程に違うのである。一緒にされたくない遥佳は、思いっきり叫んだ。
「ひどいぞ、ハルカ。俺がいるのに、なぜドラゴンやペガサスなのだ」
「ヴィゴラス、さっきから引き揚げてくれないじゃないのぉっ」
「仕方ない。俺にしがみつくハルカはとても一生懸命で可愛らしいのだ。ずっと見ていたい」
「馬鹿ぁっ」
遥佳はまるで一夜干しの烏賊になった気分だ。為す術もなく、物干し竿のようなヴィゴラスの腕に引っかけられて、川の水に揉まれている。
やはりこんな川の流れなど全く問題ないグラディウスは、平然とその川を横断するかのように顔を出して泳いでいた。
「単なる広いゆったりとした川に見えるだろ? だが、川の上部は比較的ゆったりと流れちゃいるんだが、その下方では勢いよく水が流れていて、上下で川の流れが違っているわけだ。つまり、表面だけ見て判断しちゃいけねえってことさ、俺の可愛い子」
「本当に可愛いって思ってたら、入る前に教えてくれるわよぉっ」
「可愛い子をあえて試練の中に放りこむのも愛だからな」
「嘘ばっかりぃっ」
遥佳には分かる。
グラディウスは腐っても第7神殿の守り人、黄の大剣だ。このような川の流れなど最初から問題外な彼は、遥佳では流されるだけだということも忘れていたのだと。
彼はその場しのぎで適当なことを並べ立てているだけだった。心を読まなくても顔に出ている。
「まあ、そう怒るな。ならいいことを教えてやろう」
「教えてくれないでいいから助けてよっ」
目の前にまでやってきたグラディウスに、遥佳は第一要求を怒鳴りつけた。
弱気ではどこまでも聞く耳を持たない男なのだ、彼は。強く言っても聞いてくれないけれど。
実際、にこにことしながら口にすることはあまりにもいい加減すぎる。
「大丈夫だ。そのまま流れていってごらん、愛しい子。そうすればとても綺麗な湖に流れ着くからな。そこでは可愛いお前を大切に介抱してくれる、運命の王子様達がいっぱい待ってるんだぞぉ」
「グラディウスの馬鹿っ。絶対っ、私のこと大事に思ってないでしょおっ」
それのどこがいいことなのかと、遥佳は思った。
まるで川の流れなどないかのようにすっと川底に足をつけて立ち、優しく遥佳の頬を撫でてくるグラディウスだが、その余裕っぷりが腹立たしすぎる。
「え? だが、お前、そういうお話が好きだっただろ。よく『トラぁ、おはなししてぇ』って絵本持ってきてたじゃないか」
「絵本の王子様お姫様をここで持ち出さないでっ」
「やれやれ。本当に子供は我が儘だな。すぅぐコロコロと気が変わるんだからよ。困ったもんだ」
まるで自分が理不尽な目に遭ったかのようなことをぼやき、グラディウスはひょいっと遥佳を自分の肩の上に抱き上げた。
「ああっ、俺のハルカをっ」
「生憎とこの子は俺の方が先に唾つけてんだよ、グリフォン。いいか? そうやってお前は自分の所で囲い込もう、囲い込もうとするから、この子に安全な男扱いしかされねえのさ。お前だって男だろうが。ならもっと女に望まれるぐらいになってみせろよ」
二人の言葉に色々と言いたいことはあったが、やっと膝から上まで水面の上に出せたものだから、遥佳はグラディウスの頭に手を置きながらほっと一息をつく。
けっこう水の中にいるのは体力を使う。まさに洗濯機に放りこまれた洗濯物気分だった。
「む。だが、師匠には、まずハルカの傍にいたければ、他の奴らをも受け入れる包容力を持たねば、ハルカが自分から駆け寄ってきて抱きつくぐらいに愛されはしないと言われてしまったのだ」
「ああ、白のね。あいつはバランスを重んじるからな。・・・だがな、グリフォン。よぉく考えろ。愛は待ってても手に入るもんじゃねえ。自分から奪いに行くものさ」
「自分から奪いに・・・」
「そうそう。大体なぁ、この子に合わせてくれるのは有り難いけどよ、そんなん言ってたら、この子は一生お子ちゃまのままで居続けるぞ? なんてったって、自分を愛してくれる奴がいればそれだけで幸せなんだからな」
「・・・問題あるのか? それが俺ならば、俺は別に気にしない」
「甘いな、グリフォン」
チッチッチッチと、グラディウスは指を軽く左右に振る。
「見てりゃ分かる。優しいドラゴンとペガサスがユウリやマコトのいない寂しさを埋めてくれて、そして自分を見守るグリフォンがいてくれるならこの子は幸せさ。だがな、そうやって幸せに生きているからこそ、いずれどこかで出会った適当な男にドキドキを感じてそっちに持ってかれるだろうよ。お前は絆が切れない兄弟でいたいのか? 絆なんて不安定だが誰よりも近くにいられる男でいたいのか? そっちをまず決めろや」
「ちょっと待って、グラディウス。なんで私のことを勝手に決めつけて語ってるの。ヴィゴラスのことは放っておいてちょうだい。人の姿をしててもヴィゴラスはとっても可愛いグリフォンなんだからそれでいいのよ」
冗談ではない。グラディウスまでもが、これ以上変なことをヴィゴラスに教えないでほしいと、ぜぇはぁと青息吐息で疲れきっていた遥佳だが、慌てて割って入った。
すると自分の肩の上に座る遥佳を、グラディウスが呆れた目で見上げてくる。
「あのなあ、俺の愛しい子。お前、俺がグリフォンを知らないとでも思ってるだろう。グリフォンにも様々な形容詞があるだろうが、可愛いだなんて言うのはお前ぐらいだ。おばかさんだな」
「そんなことないわ。ヴィゴラス、とってもいい子なんだから。洗濯籠だって持ってくれるし、前脚に箒を持って尻尾で雑巾がけまでできる器用さだし、野菜の収穫だって手伝ってくれるのよ。羽だってふわふわしてるし、背中だってサラサラのキューティクルな毛並みで、とっても手触りいいんだから。うちのヴィゴラスは世界で一番可愛くて素敵なのよっ」
自分がその良さを語ってやらねば正しい実態は伝わらないとばかりに、遥佳はいかに可愛いかを力説した。
「ねえ、ラーナ。アレがいい子で素敵なんですってよ。私には『埃? ハルカが使わない部屋など掃除の必要はない』だったくせに」
「そうね。最初に見つけてくださったのが普通の小鳥や小犬だったら、それでも良かったんだけど、あの身勝手さはやっぱり迷惑幻獣なのよね」
駄目だこれはと、ラーナとサフィルスは頷き合い、せっかく綺麗な川なのだからと泳ぎ始めてしまった。この辺りではまだ自分達の肩程度の深さだが、川の真ん中辺りに行けばもっと深くなっていて、ちょうどいい運動になる。
遥佳にとっては凄まじい流れの川でも、幻獣には大した流れではなかった。
「飼い主バカって奴だな。だがなぁ、自分より年上の幻獣に向かってあまりにもおかしくないか、それ?」
「そ、それは・・・。だけど、幻獣の年なんて分からなかったんだからしょうがないじゃない」
「そうやって油断している内にぺろっと食われちまうんだな、俺のおばかさんは」
「・・・そ、そんなことないもん」
もしかしたらそうかもしれないが、この男にだけは言われたくない。
心の底から遥佳はそう思う。
「寂しいもんだ。あれだけ俺と結婚するする言ってたくせによ」
「全然記憶にないんだけど」
父親のタイガにしか言った覚えのない遥佳は、まさに捏造疑惑を抱きながら反論した。
「んもう、意地っ張りさんなんだからぁってか。そんなにそこのグリフォンにぞっこんなのかよ。そんなら勿体ぶってねえで覚悟決めねえと、ずるずる駆け引きしてる間に逃げられちまうぞ」
「そういうことを言わないでちょうだい、グラディウス。ヴィゴラスと駆け引きなんかしてないわ。ヴィゴラスだってそんなこと思いつきもしないわよ。ヴィゴラス、世間知らずだけど、だからこそ素直で優しくてすれてない、とってもいい子なんだから」
日頃、ドラゴンやペガサスには絶対に同意されないと分かっているペット自慢を、遥佳はここぞとばかりに並べ立てる。
(お前に世間知らずと言われる奴が存在する方がびっくりだろうがよ。相変わらず、こいつは)
グラディウスは朱色の瞳に口よりも雄弁な感情を浮かべた。
「アホか。んなめでたい成獣がいたら、そっちの方が驚きだっつーの。なあ、グリフォン?」
「そんなことはない。だから俺はハルカに一番愛されてるのだ」
「うわ、迎合しやがりやがった、こいつ」
しょうがねえなぁと、グラディウスは川底から足を浮かせてぶらぶらと川に浮いてみる。肩に乗っている遥佳もまたグラディウスと共に川をぷかぷかと流れ始めた。
川の周囲には緑の木々やつる草が多く生えており、南国ならではの鮮やかな花々もあちこちで咲いている。グラディウスの頭に片手を置き、川にまで流れてくる甘い香りを遥佳は吸いこんだ。
「ねえ、グラディウス。このままだと流されるんじゃない? 危ないわよ」
「大丈夫だ。仮に流されたとしても、この先の湖でストップする。それにこの程度、逆流して泳げない奴がいるかよ」
「・・・・・・自分を基準にすべきじゃないと思うの」
逆流して泳ぐだなんてできない遥佳を肩に乗せたまま、グラディウスはゆらゆらどころか、川の流れをつかまえてさぁーっと流れていく。
「って、グラディウス。ほとんど揺れないから流されているって気にならないだけで、かなり流されているような気がするんだけど」
川の周囲に咲く花々や岩などを、
(あ、綺麗。なんて大輪なのかしら)だとか、
(面白い形。まるで考える人みたい)などと思っても、すぐにそれらが後ろへと行ってしまうものだから、遥佳は控え目に指摘した。
「お前は少しでも思っていたこととずれたら心配になるんだな。だがな、俺の愛しい子。予定通りに進むことなんざ他人に任しとけ」
グラディウスは気持ちよさそうに目を閉じながら、そんなことを言う。
「なあ、ハルカ。こうして流れていく周囲の景色は綺麗だろう? お前自身の体でこうして川の流れに身を委ねてるのは、とても気持ちいいだろう? 怖がることなど何一つない。この世界はお前の目に美しく映らないか?」
「・・・・・・」
「自分で自分を縛りつけるな、ハルカ。お前は自由だ、いつだって」
「・・・グラディウス」
まさに流し素麺の如き速さで流れていく二人を、川で立ち尽くしたままのヴィゴラス達三人は眺めることしかできず、顔を見合わせた。
「ハルカがどんどん遠くなっていくのだが、いつ戻ってくるのだ?」
「さあ。守り人様のお気持ち次第じゃないかしら。それ自体は簡単だと思うのだけれど、・・・気持ちよさそうに流れていかれたわね」
「だけどぉ、戻ってくるお気持ちがあるのかしらぁ? 私も一緒にどんぶらこっこしてこーよぉっと」
サフィルスがひょいっと川に身を委ねれば、かなりのスピードで水面を滑るかのように流れていく。そして川をどんどんと下っていく遥佳は、緩やかにカーブを描く川の流れと共に姿を消してしまった。
「俺のハルカが戻ってこない・・・」
「諦めてそこで待ってなさいな。私も行くわ」
ラーナもまた川に身を任せて流れていってしまう。ヴィゴラスは考えこんだ。
(空を飛んでいった方が早いか。さすがに守り人相手には譲るしかないが、どいつもこいつも性格が違いすぎてよく分からん)
仕方ないと水着を脱いで、ヴィゴラスはグリフォンに戻る。そうして羽ばたき、凄い勢いでグラディウスと遥佳の後を追い始めた。
ギバティ王城におけるその日の晩餐は、思ったよりも和やかなものだった。
というのも、子供達がウルティード達に懐いてしまったからである。
面倒な挨拶は避けさせようと、王族の居住スペースにウルティードとエミリールを案内させた王弟ラルースだったが、ギバティ国王ブラージュの三人の子供達、つまりエステル王女、パトリス王子、オリヴィア王女が話を聞きつけてしまったのだ。
「えっ。ラルース叔父様の所に、あのウルティード王子様がいらしてるのっ? 私、お会いしてみたいわ」
「えー。姉上、ずるぅい。僕だってお会いしたいよ」
「ねーさま、にーさま、どこ行くの? おじちゃまのとこ? わたしも行くのー」
そしてラルース達三人が寛ぎ、昼間からワインと世間話を楽しんでいる応接室へ子供達は傾れ込んできたのである。
「お前らなぁ。お客様がいらしている所へ、先触れも出さずに押しかけてくるとは何事だ」
「ごめんなさい、ラルース叔父様」
「ごめんなさい、叔父上」
「ごめんなさーい」
一番上のエステルがしゅんとして謝れば、パトリスとオリヴィアも姉の様子を見上げながら一緒に謝る。
「まあまあ。いいじゃないか。ラースの姪っ子と甥っ子なんだ? そうやってると年の離れた四人兄妹みてえ。うちの弟、俺とほとんど同い年だし、こういう弟とか妹、小さくていいよな」
相手は子供だからと、ウルティードは砕けた口調のまま、ひょいっとエステルを抱き上げた。
「ほら、そんなに落ち込まないで、お姫様。お名前は? 幾つ? 俺はウルティード。ティードって呼んでくれる?」
「は、初めまして。エステルと申します。10才です」
すると、来てみたはいいけれども知らない人がいるというので固まっていた二人も、おずおずと名前を名乗る。
「パトリスです。8才になりました」
「オリヴィア。・・・5才」
いつも大人達に聞かれるそれを思い出したのだ。
しかしオリヴィアは兄のパトリスの背中に隠れて、ちょっと人見知りしているようだった。
「お、みんな賢いな。偉いぞ。ラースを叔父様って呼んでたってことは、えーっと・・・」
さて、ギバティ国王には何人の弟妹がいただろうかと、そこにきてウルティードは思い返す。
「この子達は兄王の子供達、つまりうちの第一王女エステル、第一王子パトリス、第二王女オリヴィアだ、ティード。すまん。デビューもまだまだだし、どうしても王女や王子らしい振る舞いができてなくてな」
「あ、まじい。そうしたらもっときちんと挨拶した方が良かったか? ま、だけどそういう堅苦しいのは大きくなってからでいいよな。いいじゃねえか、大好きな叔父ちゃんの所に遊びに来たかったんだろ? よしよし、気にすんな。ラルース叔父様だって本気で怒っちゃいねえさ」
「お願いですから、ティード。あなたの方が子供じゃないんですから、それなりの礼儀正しい態度をお願いします。軽々と抱き上げてらっしゃいますが、そちらはギバティの第一王女様なんですよ。この国の未婚女性では一番高貴なお姫様なんですよ」
別にラルースに遊んでもらいたかったわけではなく、あの有名なウルティードを見てみたかったエステル達である。
よく分からないが、とても心が綺麗な王子だという噂だったので、キラキラしている人なのだろうと思いこんでいた。
(別にどこも光ってない・・・。だけど、なんか、とっても優しい?)
尚、ラルースは身分を隠してふらついている時は口調も砕けているが、王城ではそれなりに取り繕って暮らしていたので、エステルはウルティードみたいな雑な話し方に触れたのは初めてだった。
「あー、そっか。・・・失礼。お可愛らしい王女殿下。キマリー国第二王子、ウルティードと申します。よろしければ、一緒にお茶やお菓子などいかがでしょうか?」
「は、はいっ」
「よっしゃ、いい子だな。どうせもう難しいお話は終わってる。そりゃ叔父ちゃんだってもうすぐ結婚してしまうんだ。なるべく一緒にいたいよな」
注意されてもその程度ですませるウルティードは、基本的に子供はのびのびと遊ぶべきだという自論の持ち主である。
(国王陛下や王妃殿下の前だけ取り繕ってくれれば良しとしよう。ああ、今まで破天荒すぎると注意されてばかりだった俺が、この王子のお守りを言いつけられたばかりに、まるで常識人みたいなことを・・・)
エミリールも諦めるしかなかった。
「ずるいー、姉上ばっかり抱っこしてもらってぇ」
「わたしもぉ、抱っこぉ」
いつもは小さい子からなのに、なぜか一番上の姉が抱っこされているものだから、二人の弟妹がウルティードの足元に寄ってくる。
「こらこら。ティードだって三人も抱えきれるか。ほら、パトリス、オリヴィア。こっちにおいで」
「ラース様も二人では大変でしょう。良かったら小さな王女様。私ではいかがですか?」
一番小さなオリヴィアをエミリールが抱き上げれば、パトリスもいつものようにねだった。
「叔父上、肩車してください。肩車」
「しょうがないな。ちょっと茶と菓子を用意させてくる」
ラルースは筋肉もたくましく、パトリス達をいつも片手で抱き上げては楽しませてくれるのだ。
ひょいっと甥を肩車すると、ラルースは廊下に出ていった。
「けどよ、子供って本当にちんまりしてんのな。俺、今まで弟っていうか、一人っ子っていうか、そんな感じだったから、こんな小さいのに動くのがすっげぇ不思議」
「たしかこちらの王妃様はケベリック王国のご出身のように記憶しています。小柄でとてもお可愛らしい雰囲気の方でしたよ。きっとエステル様もお母様のように、お可愛らしくお育ちになるんでしょうね」
「へー。だからか。ラースは結構大柄だけどな。良かったな、叔父ちゃんに似なくて」
10才の子供なんてどれくらいの大きさなのか全く見当もつかないウルティードが、エステルの頬をちょんとつつくと、エステルはどうしていいかも分からずに赤くなる。
「オリヴィアも、ちいさいのー」
「そうですね。だけどオリヴィア様ももっともっと大きくなりますよ。沢山食べて運動してよく寝てれば。高い高いはお好きですか?」
「すきー」
同じ王女でも5才の子供ならさほど礼儀正しく振る舞う必要もないだろうと、エミリールはオリヴィアを、腕を目いっぱい伸ばしては持ち上げたり、床すれすれに下ろしたりしてみる。
「きゃー、わーっ」
ぶぅんぶぅんと振り回されても、怖い速さではなく、自分を支えてくれている腕もしっかりしていたので、オリヴィアは喜んではしゃいだ。
「うーん。さすがに5才の子供にあれは許せても10才じゃなぁ」
そう言いながらも、やはり10才にしては小柄に思えるエステル王女だ。ウルティードは、その青い瞳を灰色の瞳で覗きこんだ。
「なあ、エステル。ああいうの、してもらいてえ?」
「・・・・・・」
既に敬称はなく、今まで家族以外に呼び捨てられたことのないエステルは咄嗟の返事もできない。
やがて肩車したパトリスと共に応接室へ戻ってきたラルースは、扉を開けるや否や目を丸くした。
「何をやってるんだ、お前達」
「え? ダンスの練習? 子供だとリフトも楽々できるんだな。すげえだろ、見てくれよ、ほら。俺ってばダンスの天才?」
「おじちゃまぁ、オリヴィアもできたのー」
今、エステルが習っているダンスを聞いて、それをアレンジして高く持ち上げて踊るそれを、ウルティードはやってみたのだ。
ダンスなんてそこそこできればいいと思っていたが、やはりリンレイ城でいざという時の為にそれなりの練習は必要だと、ウルティードは学んだのである。
「ラルース叔父様。私、こんなダンス、初めてですっ。とっても高く跳ぶんですっ」
「・・・あー、そうだろうな」
「ええー。オリヴィアのほうが、すごいもんっ」
「あー、すごいすごい」
エステルもまた、講師に習ったダンスとは全く別物なので、大はしゃぎでそれを楽しんでいたら、見ているオリヴィアも真似したがり、エミリールはオリヴィアを違う感じで持ち上げてはクルクルと回転することでダンスっぽいものに見せかけていた。
「叔父上ぇ、僕もやりたいです」
「お前じゃオリヴィアを持ち上げるのも難しいと思うんだがな、パトリス」
「持ち上げられる方でいいです」
「・・・・・・そうか」
というわけで。
やがてホールから軽快なダンスの曲が流れてくる。
扉の前に騎士達がいたとはいえ、扉や窓は開け放されていたものだから、廊下や庭を通った人々はそこを好奇心から覗いたりもしていった。
「まあ、・・・なんて微笑ましい。ダンスの練習かしら」
「ふふ、パトリス様ったら。女の子のパートになってますわ」
「舞踏会にあまり出席したがらないラルース様ですけど、やはり可愛い殿下方の練習相手はなさいますのね。・・・どう見ても普通のダンスじゃありませんけど」
「いいじゃありませんの。とても楽しそうですこと」
普段、王子や王女達が練習する広間もあることはあるが、せっかくだからとラルースはもう少し広いホールを使ったのだ。
「たとえ練習でも、やはり様々な宮廷へ行ったことのある相手と踊るのはいい経験だからな。せいぜい胸を借りなさい、エステル」
「あのー、ラース様。それ以前にこんな乱暴なダンス、どこの王城でも、普通あり得ませんから」
「堅苦しいこと言うなよ、ラース、エミリール。いいじゃねえか。どうせなら一番高く跳ばしてやるからな、エステル」
「はいっ」
練習用の広間だとせいぜい数人の演奏しかできないが、ホールならばそれなりの楽団が入れる場所がある上、普通のダンスよりもはるかに大きな動きになるなら広い場所の方がいい。
ラルースはそう判断した。
両手両足を大の字にした子供達の腰を掴んでくるくると回転する時点で、普通の広間でバランスを崩して倒れようものなら窓にぶつかりかねないという現実問題も、その判断にはそれなりに影響していただろう。
そんな音色と、子供達がはしゃいで大笑いしている声に誘われて、ギバティ王妃も姿を見せる。
さすがに扉の前にいた騎士達も、ぴしっと背筋を伸ばした。
「こ、これは、妃殿下」
「あらまあ、あの子達、姿が見えないと思ったら・・・。ラルース様がお相手をしてくださっていたのね。あの方々はどなた? あまりお見かけした覚えがないのだけれど」
「はっ。キマリー国第二王子ウルティード様と、同じくミンザイル伯爵家ご令息のエミリール様。ラルース殿下のご友人として訪ねておいででございます」
「まあ」
それはすぐにでも挨拶をさせていただかねばと、慌ててホールに向き直ろうとした王妃ベレンガリアだが、すぐにその足を止める。
「今、ご挨拶、していいものなのかしら」
扉を守っていた騎士達に尋ねる王妃は、どこか途方に暮れた瞳になっていた。
「ばてたら言えよ、ラース」
「この程度でばてるかってぇの。オリヴィアもステップ、タンタンタン、ほーらっと」
「きゃー」
「わーいっ」
「きゃははっ」
「はい、ご到着っと。オリヴィア様、さあ、くるくる回りますよ?」
「よっしゃ、さあ、エステル。このままタンタンタンと、はい、ステップな。次はラースの所に投げてやるからちゃんと跳ぶんだぞ?」
「はぁいっ」
何故なら彼女の子供達は、三人の青年にひょいっひょいっと、まるでお手玉のようにお互いに投げられては受け止められてと、かなり曲芸的なダンスを楽しんでいたからである。
楽団員達も面白がって笑いながら、変則的なダンスの伴奏を務めていた。
ラルースとエミリールも足腰には自信があったが、ウルティードもまた王城を離れた地方で伸び伸びと育っていた為、体力には自信のある王子だった。
敬語を忘れていないのは、エミリールだけである。
「自分には分かりかねます。お二方とも気を遣わせまいと、大使のご子息及び子爵令息という身分を名乗っておいでになりました。ですがお二方とも、本日は皆様の晩餐にご同席なさる予定とうかがっております。恐らくは後程、妃殿下にもお伝えされることかと存じます」
「まあ、それは大変。ご馳走を用意させていただかなくちゃ。だけど、晩餐の前にあれじゃ皆さん汗だくよね。入浴の用意もさせなくては」
あえてダンスについては何も考えないことにしておくが、どうやら世界に鳴り響いた英雄王子はかなりとっつきやすいタイプらしいと、ベレンガリアは思った。
そんな理由で汗をかいたら一休みして、王妃の手配した浴室で汗を流した六人だが、晩餐の席には王太后ミネルタは体調不良の為に欠席していたので、国王と王妃を交えた8人での食事は和やかに進んでいた。
国王ブラージュだけはどこか苦々しい思いがあったかもしれないが、それを顔に出す筈もない。
「ねえ、お母様。ティード兄様、あとでユーレイのお話もしてくださるって言ってたの。だから行ってもいいでしょう? パトリスだけなんてずるいわ」
「えー。にーさまとねーさまだけなのぉ」
「後って? だけどパトリス、あなた、怖いお話、苦手でしょう?」
「大丈夫です、お母様。ユーレイだけど怖くないってティード兄様、おっしゃいました。今日は叔父上とティード兄様とエミリール様と四人でねるんです」
あらまあと、ベレンガリアは困った顔になった。いくら三人が親切な青年達でも、寝る前まで世話をさせるのは申し訳なさすぎる。
普通の貴族でさえ、子供達にはせいぜい当たり障りのない挨拶をして終わりだ。ラルースみたいに子供の相手をしてくれる王族も少ない。
こんな賓客と言ってもいい相手に迷惑をかけるのは躊躇われた。
「だけどね、パトリス。そういうのは遠慮させていただかなくては。叔父様やウルティード様達には大切なお話があるのよ」
「えーっと、いえ、義姉上。実はティード、いや、ウルティード殿下がちょうどディリライト島での幽霊の話をしようとしたところで、食事の時間になってしまったのです。だから今夜は一緒に寝ることにして、寝つく前にその続きをしてあげようってことになったんですよ」
「ですが、ラルース様。そんな図々しくなど・・・」
そうは言われても、パトリスは8才。あそこまで遊んでもらって更に面倒をみさせるのではあまりにも図々しすぎるだろうと、ベレンガリアも戸惑わずにはいられなかった。
「ラース、いや、ラルース殿下のおっしゃる通りです。どうせ難しい話はとっくに終わっていますし、私もパトリス殿下のような小さな弟がいれば・・・と。子供の内は色々な話を聞きたがるものですし、もしもご迷惑でなければ、パトリス殿下を一晩お預かりできませんか? エミリールは子供の世話も得意です」
「ウルティード様。ですが本当にご迷惑では・・・。先程も、あんなにも子供達を楽しませてくださいましたのに」
ちらりと、ベレンガリアはエミリールに青い瞳を向ける。エミリールはどこか女性らしさを感じさせる、とても顔立ちの綺麗な青年だった。
「得意という程ではありませんが、怖さに泣きだしそうになったら連れ出すぐらいはできますから、どうぞご安心くださいませ、妃殿下。パトリス様は、ウルティード様の話がとても新鮮に感じられておいでのご様子。せっかくでございますから」
「あのね、お母様。グリフォンっていう動物もいるんだって。お顔が鳥なのに、足がライオンなんだそうですよ」
「こらっ、パトリス。その話は内緒って言っただろうが」
「あっ、ごめんなさい。ティード兄様」
さすがにこの国にとって遥佳とグリフォンの話題はタブーだろうと思って口止めしてあったのに、あっさりと口にしたパトリスをウルティードが注意すれば、パトリスも慌てて謝る。
子供達にはそんな機微など分からなかったからだ。
(何故なのか・・・。紛れもなく自分の娘と息子なのに、赤の他人の王子と家族のように仲良くなっている)
ギバティ国王ブラージュは、切ない気持ちでそう思った。
王妃であっても、元々が他国の人間であるベレンガリアは、さほど遥佳やグリフォンの話に過敏反応する理由もなく、もしかしたら巷に流れている英雄譚よりも詳しい話が聞けるのならばと、つい微笑む。
「あらまあ、そうでしたの。それでもうわくわくしていましたのね。良かったわね、パトリス。じゃあ、ご迷惑にならないように、ちゃんとウルティード様やラルース叔父様のことをよく聞いて、エミリール様に何かあったらすぐ言うのですよ」
「はいっ、お母様っ。やったぁ」
「ずるいわ、お母様。私とオリヴィアは? 私だってお話、聞きたいのに」
「あなたは女の子でしょう、エステル」
ラルースも一緒ならば大丈夫だろうと思うベレンガリアだが、いくら子供でもエステルは女の子だ。
「ごめんな、エステル。やっぱりどんなに子供でも、王女が複数の男達がいる部屋で寝たなんて話が流れたら、いずれ縁談に差し支えることがあるんだよ。何も悪いことなんかしてなくても、悪く言われたりな。まあ、これがギバティ王城じゃなきゃどうにでもなったとは思うんだけどさ」
「え? なんでですか? 他の所なら大丈夫なんですか、ティード兄様?」
訊いたら教えてくれるウルティードに、エステルは不思議に思ったそれを尋ねた。
「王城じゃなきゃ、そこまで細かいことは言われないし、噂にもなりにくいんだ。あ、だからよその城に行った時は気をつけた方がいいんだぞ? 何が起こるかも分からないと思って、警戒しすぎてしすぎることはないんだ。よその城に出かけた時は、同じ部屋に侍女を3人は一緒に寝かせた方がいい。できれば女騎士も。
あと、ディリライトの首長の館も大丈夫だった。ケイト姫も、ハールカ姫も、うちの従妹のエルルーカも、普通にみんなで一緒に居眠りしたり、俺の部屋にも平気でケイト姫、入ってきてたしな。
あそこ、首長の権限があまりにも強くて絶対的だから、客人として迎えられたらまず滅多なことは起こらない。いつか機会があったら行ってみると楽しいぞ。魚は泳いでるし、自分で獲って焼くと美味しい」
「まあ、楽しそう」
目をキラキラとさせて、エステルは見たことのない南の島を思い描く。
「ただ、ギバティから行く時はかなり遠いから、キマリーでうちの王城に寄るといい。一気に向かうと疲れるぞ。馬車の旅って退屈だし、途中で叫びたくなるぐらいに、本当につまらないんだ」
「だけどキマリーって、綺麗な島があるんでしょう? 青くて女神様がいらっしゃる洞窟があるって聞きました」
「ああ、ロードニア島ね。・・・綺麗な島だが、エステル、あそこは女神様、出ないから。ここだけの話、あれは女神様じゃなかった」
「ええっ!?」
がーんとショックを受けるエステルだったが、ラルースとウルティードは二人だけが分かる視線を交差させた。
世の中には自分の母親の真似をしたり、姉妹のフリをしたりする高貴で腕白な姫君が存在しているものなのだ。
「別にラルースがいる上、パトリスも一緒なのだ。それならそんなことまで気になさらず、エステルもお願いできぬかな? エステルは10才にしてはまだ成長も遅く、こう言ってはなんだが、ウルティード殿下にとっても全く興味ない年頃であろう。何の心配がいるものか」
「本当っ、お父様っ?」
「・・・陛下がお気になさらないなら、かまいませんが」
それでも外聞的にどうなのかと、ウルティードも考えずにはいられない。
「それでしたら、陛下、妃殿下、ウルティード様。ならば鍵をかけず、扉も少し開けておきましょう。そうすれば、夜中でも誰かをこちらに見回りに来させることが可能でしょうし、妃殿下もご安心なされるのでは? 廊下に近衛の騎士か兵士を、更には何でしたら古参の侍女達に続き部屋で休んでもらっておけば、心配することもないかと存じます」
「ああ、それならいいか。さすがエミリール。じゃあ、オリヴィアも来るか?」
「行くっ」
ウルティードは本物の遥佳が根底にあるので分かっていないが、ブラージュにとっては仮面で隠したその美貌すら匂い立つ、見事なスタイルの持ち主だった「リンレイ城のハールカ姫」に求婚した王子というイメージがあった。
ならば、まだまだ子供のエステルなど問題外であることは一目瞭然である。
何より人々に押し掛けられるのが嫌さにキマリー王城を家出し、誰に何を聞かれても神子姫のことは一切語らないといわれるウルティードが、子供相手にならば警戒せず色々な話をしてくれるなら、エステルやパトリスも聞いておいた方がいい。
(子供など、考えなしに口にするものだからな。後でエステル達から聞き出せばいいことだ)
そんな計算もあった。
「よしよし。じゃあ、今日はみんなでお泊まり会な。枕投げて遊ぼうな」
「枕を投げてどうするのですか、ティード兄様?」
「ぶつけるんだよ。やったことないのか、パトリス?」
「ありません」
聖なるギバティ王国の第一王子として産まれたパトリスは、蝶よ花よと育てられており、乱暴なことからは完全に遠ざけられて育っていた。
「そっか。じゃあ、初めての経験だな。それを打ち返して、男は強くなるんだぞ」
「僕も強くなるんですか?」
「勿論」
そんなウルティードに、エミリールが袖を引っ張る。
「子供だと思って、何を嘘、教えてらっしゃるんですか。それにどんな広さを要求する気ですか、あなたは」
「大丈夫だろ。ディーだってルートフェンの王女達とよくやってたって言ってたぞ。寝台ぐらい、俺とラースとお前がいれば、すぐに運んでこられるし、くっつけてしまえば広くなるって。たしか寝冷えしないように、デューは子供だった王女達の寝間着にシーツを縫い付けておいて、どんなに寝転がっても大丈夫なようにしてたって言ってたぞ」
「実の兄妹並に仲のいい王室同士でしょう、あそこは。まさか王女様や王子様の寝間着に掛布を縫い付けるつもりですか」
「ああ。一晩、要は寝冷えしないようにしとけばいいんだしな、数針で大丈夫だって。乳母が何かと様子を見に来てくれるならともかく、大の男が寝入ったらそうそう起きないんだし、それなら最初に縫い付けておけばどんなに転がっても平気だろ? 寝台から落ちないように、俺達が端っこで寝て、子供達を真ん中にしておけば大丈夫さ」
「・・・・・・そりゃそうですけど」
その通りかもしれないが、一国の王女や王子に対する礼儀はもうとっくに消え去っていると、エミリールは確信するしかなかった。
(考えてみれば、あの神子姫様を呼び捨てにしていた王子。今更、礼儀とか紳士であることを求めるのが間違っていたのかもしれない)
くらりと眩暈を起こしたくなるエミリールだが、母親のベレンガリアは子供達の寝相が悪いことを知っていたので、これはと思って微笑む。
(本当になんて面倒見のいい方なのかしら。これなら安心ね。ならば、先に寝間着にこちらがシーツを縫い付けておきましょう)
ただ、ひっそりと過ごしていた神子姫を見出し、彼女が何の身分も持たなくてもいいからと求婚した気高き王子という幻想は、既にガラガラと音を立てて崩れ落ちていた。
いや、瓦礫すら残っておらず、完全に消え去っていた。