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176 真琴は仮病を使い、遥佳は水浴び村に着いた


 ハチドリ獣人のカサンドラ達が暮らす家に泊まったラーナと遥佳が、エスタの暮らす新聞社に戻ってきた時、外のベンチで座っていたヴィゴラスはじっと遥佳だけを見つめてきた。


「あらまあ。ずっとここでハールカが戻ってくるのを待ってたのかしら。しょうのない幻獣だこと。サフィルスは家の中なのね? ・・・先に行ってますわよ、ハールカ。出発の用意をしなくちゃいけませんから」

「あ、うん」


 たとえ大人しく留守番していたとしても、どうせその間ぶつぶつ文句を言い続けていたのだろうと、あっさりとヴィゴラスの感情を放置して、ラーナはカラフル・バーズ新聞社兼エスタの自宅の中へと入っていく。


(もしかしてラーナ、ヴィゴラスのお世話を私に振り分けちゃったりした?)


 遥佳は荷造り要員として、ヴィゴラスが足手(あしで)(まと)い認定されたことに気づいてしまった。

 遥佳だって荷造りぐらいできるというのに、きっとラーナは、「子供はヴィゴラスと遊んでいらっしゃいな。その間に終わらせますわ」なのだろう。何だかお子様扱いされたようでちょっと切ない。

 だけどヴィゴラスの方が気になるので、遥佳は気を取り直した。


「ど、どうしたの、ヴィゴラス? なんかおめめが怖くなってるわよ? もしかして寂しかった? だから一緒に来れば良かったのに」


 どんなに寂しい思いをしていても、ヴィゴラスは遥佳が一緒にいればすぐに機嫌を直すグリフォンだ。

 だから遥佳が近寄っていけば、ヴィゴラスは遥佳の両脇の下に両手を入れて高く持ち上げてくる。


「ふふ。小さい子みたい。くるくる回ってくれるの、ヴィゴラス?」

「マコトならいいが、ハルカだとあまり回りすぎると目を回してしまう」

「そういう時は少しだけでいいの。せいぜい一回だけ回ってくれればいいのよ、ヴィゴラス」


 いつも見下ろされているから、こうして見下ろすのはちょっと楽しい。

 そう思って遥佳がヴィゴラスの赤や白が混じったキャラメル色の髪に手を伸ばせば、戸惑うような黄緑色の瞳が見上げてきた。


「ヴィゴラス?」

「ハルカがハルカなのに違う。背の高さも体の重さも。だが、大人になったそれとは違うのだ」

「・・・なんて鋭いのよ、ヴィゴラス」


 どうしても無理があったのか、少し背が伸びてしまったのは仕方がない。また、髪の色も黒髪のままというよりは、少し茶色がかった黒い髪というところか。


「何かあったのか? 何かあったならば教えてくれ、ハルカ」

「何もないわ。これは私が望んだことよ、ヴィゴラス」

「ハルカが?」

「ええ、そう。こんな風に私が変わってしまうのは嫌?」


 ヴィゴラスは遥佳を持ち上げていた腕を少し下ろし、片腕を遥佳の膝の裏に、もう片腕を遥佳の腰を支えるように回して斜め抱きにする。ヴィゴラスの肩に手を置きながら、さっきよりは近い視点で遥佳はヴィゴラスの顔を見下ろした。


「ハルカが辛かったり困ったりしていないなら、それでいい。黒髪ならば黄色やピンクの宝石でも良かったが、焦げ茶色の髪ならば、今度は緑や青の宝石が似合うだろう」

「どうしてそこでも私を飾ろうと思うのよ、ヴィゴラス」

「他に何を思うのだ?」

「そう言われると困っちゃうけど」


 遥佳はヴィゴラスの髪を撫でてみる。


「そんなに宝石が好きなら、自分を飾ればいいのに。きっとヴィゴラスの方が似合うわ。ヴィゴラス、とてもキラキラしてるもの。グリフォンの時のあの首飾りも素敵だけど、人の時はもう少し小ぶりなものをつければ格好いいと思うの」


 その性格の壊れっぷりから駄幻獣と言われまくっているが、黙って人の姿で立っているなら、ヴィゴラスはとても独特な雰囲気のある貴公子然とした若者なのだ。


「自分が見られないなら意味はないのだ。ハルカがつけるなら、俺はいつでも見ていられる」

「・・・大好きよ、ヴィゴラス」


 ヴィゴラスは変わらない。こうして遥佳のことをずっと求め続けてくれる。

 だから遥佳がその首に腕を回して肩に顔を埋めれば、遥佳の姿勢が楽なようにと、ヴィゴラスがそっとその腕の位置を下げてきた。


「ね。もしも私が男の人だったら、ヴィゴラス、どうした?」

「どうもしない。だが、ハルカが男なら、あのドラゴンやペガサスにハルカが襲われてしまうから、隠さなくてはならない」

「襲われないし、隠さなくていいから。というより、そういう場合は女の子の優理とか真琴とかを、ヴィゴラス、好きになるんじゃないの?」

「性別はどうでもいいのだ。宝石にだって性別はない」

「そういう問題?」

「その程度のことだ」


 グリフォンの価値観は独特すぎて、遥佳には理解できない。


「だけど私が男の子で、誰か女の子を好きになったりしたらどうするの?」

「困る。だが、俺が一番なら我慢する。それに男でも俺を好きになってくれれば問題ない」

「・・・何だか自分の価値観が滅茶苦茶に壊れてしまいそうよ、ヴィゴラス」


 それでも揺らぐことのないそれが、遥佳を安心させる。

 だから遥佳は微笑んだ。


「ねえ、ヴィゴラス。いつか私が大人になったら、二人でまた第7神殿に行きましょう? そしてね、ドリエータのハミトさんやレイノーさんに会いに行くの。姿がもう全く違ってたら、他の人には私って分からないでしょ。・・・その頃には、きっと私、あの頃の自分とは違う自分で、あの場所に立てると思うわ」

「俺はハルカさえいてくれたらどこでもいい。あの医者達ならハルカとマコトのことを案じていたから、心配する必要はないと伝えておいた。ハルカに会えたなら喜ぶだろう」

「ありがとう、ヴィゴラス」


 そこでヴィゴラスは、その医者はパッパルートへ行くのではなかったかと思いもしたが、物事を簡単にまとめてみる。


(第一案。

1 医者達がパッパルートに行くと告げる。

2 パッパルートに遥佳が会いに行く。

3 パッパルートで優理に巻き込まれて働かされる可能性が高い。

 第二案。

1 医者達がパッパルートに行く事を言わない。

2 第7神殿に遥佳と一緒に行く。

3 第7神殿とドリエータで、遥佳と二人きりで過ごせる可能性が高い。


 ふむ。それはやはり第二案だろう)

 

 なので、それについては何も言わなかった。


「ヴィゴラス? どうしたの? さっきまでキラキラぽわぽわしていたのに、なんだかグルグルもやもやしてるわ」

「ハルカは男の大人になるのか? 体が少し筋張(すじば)っている」


 パッパルート王宮の面々では都合よく働かされそうだし、しかし優理も気にならないわけではないし、だけど遥佳を優理に取られてしまうのも嫌だし、さりとて遥佳の独占を画策したところで、ばれた後は遥佳に怒られると、そんな心の葛藤を読まれてしまったヴィゴラスは、カイネに習ったポーカーフェイスで、わざと返事を誤魔化してみる。


「抱きかかえているだけでそこまで分かるの? それは分からないわ。だけどどうでもいいんでしょう、ヴィゴラス?」

「どうでもいいが、男相手の講習は受けてない。やはりもっと緑蛇の里にいるべきだったかもしれない」

「・・・受けなくていいから。ううん、絶対に受けないで」


 遥佳は、昨夜のことをふと思い返した。


――― どんな関係を結んだとしても、あなたが彼を失うことはありませんのよ?


 そうかもしれない。ヴィゴラスにとっては、ペットでいることも、恋人になることすら、遥佳の近くにいる手段でしかない。

 仮に遥佳が男だとしても、・・・どんな関係性で一番のスタンスを構築するつもりなのか、聞きたくない程に、そこに揺らぎはなかった。

 だけどそこまで遥佳を求めてくる深い想いに対し、どんな思いを返すのが相応しいというのだろう。

 遥佳は、ヴィゴラスの頬をそっと触ってみた。


「ヴィゴラスの肌ってカフェオレより淡くて、それでいて明るいのにやっぱり印象的な褐色なのよね。綺麗に日焼けしたい人には羨ましい色だわ」

「俺はもっと黒い色の方が良かったのだが」

「なんで?」

「そうしたら尻尾に宝石が絡んでも見つけやすいし、黄金だって綺麗に見える」

「・・・あなたの好きなものって本当に分かりやすすぎよ、ヴィゴラス」


 そう、ヴィゴラスは好きなものはとことん好きな幻獣なのだ。その気持ちを恥じることもないし、あくまでそれに向かって一直線。

 彼が遥佳を好きだと言うなら、その感情に嘘や欺瞞などある筈もない。


(気持ちならば受け取るだけ受け取って(かえり)みなくていいって、ラーナは言うけど)


 それでも母の子供でなかったら、ラーナ達だって自分にここまで優しくしてくれただろうか。

 皆の優しさは、母の子供だからこそ受け取れたものだ。つまり、自分自身に何かがあったわけではない。


(ヴィゴラスだけなんだもの、私には)


 母の子供じゃなければ良かったと、そうまで言ってくれるのは。

 だから手放せない。

 だから・・・。


「ところでハルカ。それなら今から行って、大人になるまで第7神殿で二人きりで過ごせばいいと思うのだ」

「なんでそうなるのっ」


 ただ、あまりにも非常識なレベルで求められるのも、それはそれで悩ましいし、困る。






 ゲヨネル大陸の聖地にある家で滞在している真琴は、イスマルクの女性とのお付き合い経験を考えて真っ赤になっていたところをカイトに見られ、発熱中だと誤解されていた。

 誤解を解きたい気持ちより、自分が何を考えていたかを知られたくない気持ちの方を優先した真琴は、今日はおやすみタイムである。

 基本的に、真琴はカイトに世話してもらうのが大好きだった。何故なら、無償で手間をかけた世話をするというのは、愛情がなかったらできないことだからだ。

 口先だけの愛を語るのは誰にでもできるけど、こういうことは誰にでもできることじゃないから価値があると思う。


(こーゆーのを幸せって言うんだよね。イスマルクの所に行けないのは困るけど)


 真琴が発熱していると誤解したカイトは、柔らかく野菜やパンを煮込んだスープを作ってきてくれた。


「起き上がれるか? 辛いなら俺の腹に(もた)れてろ。寒気はしないか? 頭痛は?」


 寝台の中で真琴の背中を自分の体に預けさせて、スプーンに(すく)ったスープをふーふー冷ましながら食べさせてくれるだなんて、もう愛がなければあり得ない行為だろう。

 真琴は幸せだった。


(こうやって一緒に重なって座ってると、なんだかとても守られてるって気になる。どうしてなんだろう)


 背中をカイトに預けて、頭の上から聞こえてくる声に包まれていると、とても安心する。少し上向くだけでカイトの頬があって、真琴の視線に気づいたら額にキスしてくれるから。


「大丈夫か? 吐き気とかないか?」

「うん、へーき。スープ美味しい」

「無理するなよ。食べられるだけでいいからな」


 苦い熱さましの薬は嫌だったが、飲む必要はないなどと、さすがの真琴も言えなかった。


「ほら、口直しのクリームな。食べられるか?」

「うんっ」


 ご褒美のお菓子ももらえたし、こうやって甘やかされるなら、病気も悪くないって思う。仮病だけど。


「もー治った。へーき。だからお湯浴びてお出かけしていーい?」

「アホか。薬飲んだからって、次の瞬間に治るわけないだろ。体が気持ち悪いなら軽く洗ってやるから、湯冷めしないようにすぐ布団の中にもぐって、今日は大人しくしとけ。な?」

「はぁい」

「治ったら、一緒に出掛けよう。ドライアドが蜂蜜を分けてくれると言ってた」

「えっ、ほんと? えへへっ、楽しみ」


 樹木の妖精(ドライアド)は人里に姿を現すこともあるが、基本的に森の中で生活している妖精だ。


(お友達になったら、みんなにも紹介してあげよーっと。ルーシー、ウンディーネ、サラちゃん、早く帰ってこないかなぁ。遥佳達はマジュネル大陸を水戸黄門してるから当分帰ってこなさそうだし)


 そんなわけで手早く髪も体も隅々まで洗ってもらった真琴である。


「ほら。ちゃんと長袖な。汗を沢山かくと治りが早いんだぞ。だけど汗をかきすぎると肌が荒れるから、ちゃんと拭いてやるからな」

「うん」


 湯冷めしない内にと、長袖のネグリジェタイプの寝間着に着替えさせられてしまった。


「髪もきちんと乾かしておかないとな」


 水気をかなり拭き取ってもらい、風の妖精(シルフ)達の助けも借りて完全に乾かした後でブラッシングまでしてもらったものだから、金色の巻き毛もつやつやピカピカだ。

 その後はいつも寝ているカイトの客室ではなく、真琴専用の部屋に連れていかれてしまった。


「ほら。きちんと布団をかぶって、咽喉が渇いたらすぐにここの水を飲むんだぞ? トイレに行きたい時はちゃんと連れてってやるから、ここの鈴を振るんだ」

「え。カイト、どっか行っちゃうの?」


 心細そうな声になる真琴だが、カイトとて洗濯物だとか食器の片づけだとか昼の用意だとか色々あるのである。


「お前が寝つくまで一緒にいるよ。その後はお前が食べられそうな果物を取ってくる。ここの部屋は景色もいいし、お前だって小鳥の声が聞こえる方が楽しいだろ。外にいても、お前が鈴を振れば聞こえる。ゆっくりお休み。な?」

「うん」


 いつものように髪を二つに編んでもらって、小鳥の声がよく聞こえるようにと窓も大きく開け放たれて、だけど風が体を冷やさないようにとレースのカーテンを幾重にも重ねてもらうと、とても柔らかな光が部屋に満ち溢れ、花壇から流れてくる花の香りも甘かった。

 祝福の光は全ての生き物に与えられるものだと分かる。いつだって日常こそが、世界の全ての生き物に降り注がれる愛だと。


「ねー、カイト。幸せだね」

「困った奴だな。ほら、おとなしく目を瞑って」

「はぁい」


 頬を撫でてくる手が優しいから自分の手を重ねれば、その手にキスされて、真琴は微笑んだ。

 なんだか幸せすぎて心がぽかぽかだ。

 目を閉じても、自分を見つめてくる彼の息遣いが分かる。

 こうして見守られて眠りにつく瞬間が好きだと思う。きっとそれは、カイトの腕の中なら安心できるからだ。


(だからみんな、好きな人とは最初に手を繋ぐんだね)


 その人が強いとか弱いとかじゃなくて、きっと人は、自分が好きな人の温もりで心が癒されるのだろう。その相手が男だとか女だとか、年老いていたり子供だったりすることなんて関係ない。


「あのね・・・。私ね、カイト、好きになって、良かった」


 手を握り、目を閉じながらも夢見ているかのような声でそう言って寝息に変わる恋人を見下ろしながら、カイトは苦笑した。

 どうしていつも真琴は言い逃げして寝てしまうのか。

 すやすやと平和そうに眠る顔を見てしまうと文句も言えないが。


「俺もだよ」


 その額に落ちた巻き毛を手で梳いて後ろに流してから額に手を当てれば、もう発熱は治まっているようだ。

 そのことに、カイトは安堵する。


(だが、無理はさせるべきじゃない。人間はとても弱い種族だ)


 真琴の手をシーツの中に入れてやって寝具を整えると、カイトはその頬にキスしてから部屋を出て行った。






 ゲヨネル大陸の聖地の守り人は、深い紺色の髪と瞳をしているが、その髪が光の加減で少し淡く見える時は空のような青色が浮かぶ。

 前髪と横髪は短いものの、後ろ髪は長いので、たまに真琴が飾り紐を結んだりしていた。だけどわざと流しておく方が格好いいと、真琴は思っている。

 そんなシムルグは、お姫様のような寝台の中で横たわる真琴を呆れたような目で見下ろしながら、そこにある椅子にどかっと腰掛けて頬杖をついていた。


「全く愚かな奴よのぅ、マーコット。何をやってるんだか。カイト殿がイスマルクの所へ薬草をもらいに行こうとしていたから止めてやったが、本当にイスマルクが来てしまったらすぐ仮病ってばれたぞ?」

「け、仮病なんかじゃないもんっ。そんなことしないもんっ。本当に具合悪かったもんっ」

「嘘こけ。成体となったお前に、どんな病気が取りつけるというんだ。相手が獣人でよかったな。お前の仮病も分からない程に、病気の実体験がない奴で」


 シムルグが来てくれたので、これで真琴も寂しがって寝台を抜け出したりはしないだろうと、カイトも安心して地下にあるボイラーの調子を見に行っている。


「だ、だって、だって、だってぇ・・・」

「ああ、もういい。どうせまたカイト殿に甘えてそんなことしてたんだろう。本当にお前は好きな人とそうじゃない人との前での落差が激しすぎる」


 腕を伸ばして真琴の鼻を人差し指で軽くピンッと弾くと、シムルグは情けなさそうな顔をしている真琴の頭をぽんぽんと撫でた。


「そんなに好きか、あの男が」

「うん、大好き」

「そうか」


 少し寂しげに頷きながら、シムルグは掛布団の上から真琴を抱きしめる。


「だけどシムルグさんも好きだよ?」

「当たり前だろ。どんだけ可愛がってやったと思ってる」

「・・・覚えてない」

「いいさ、それでも」


 だけど青いその色が心に沁みるのはどうしてなんだろう。

 真琴は目を閉じた。思い出せそうで、全く思い出せないけれど、そんなことはきっと関係ないと思う。


「多分、昔のことをどうでもいいって思えるのって、未来を信じられるからなんだね。明日もシムルグさんと会えるみたいに」

「・・・そうだな」


 他の人はいつか自分よりも大切な人ができたり、心変わりしたりするかもしれない。だけど守り人達に関してはそんなことを疑う必要すらないのだと、真琴には分かる。


「ま、特別サービスだ。あと少しの間、頬を紅潮させといてやるよ。夕方には治ったってんで、妥当なとこだろう」


 シムルグの唇が真琴の額に触れていく。何となく体が重苦しく感じられて、真琴は小さな頭痛が自分を襲い始めたことを知った。

 全体的に体も熱い。


「お休み、マーコット。一汗かいたら治った程度で誤魔化せるだろ」

「苦しいのはつけてくれなくて良かったのにぃ・・・」


 頭を撫でられながら、真琴は再び眠りについた。




 一通り配管のチェックもしてから、洗濯物も取り込み、そうしてのど越しのいいデザートを運んでいったカイトは、ちゃんと見張りをしてくれているはずのシムルグが、真琴と同じ寝台で一緒に寝ているのを見て、はあぁっと溜め息をついた。


(普通、この年頃の男女が同じ寝台って・・・。いや、相手は数百年どころじゃすまない爺さんだ)


 真琴を抱えるかのような姿勢で掛け布団の上から寝ているシムルグだが、真琴も真琴でシムルグの胸に顔を寄せて丸くなって寝ている。


(これは、・・・あれに似ている。そう、母虎の体にもぐりこんで寝る子虎だ)


 いつからシムルグは性転換したのだろう。

 それでも頬がまだ赤い真琴が、安心しきって寝ているならそれでいい。

 テーブルの上にトレイを置いて、刻んだ果物のシロップ掛けが入った深皿にスプーンを挿しこんでいるカイトを、いつの間にか目だけを開けていたシムルグが眺めていた。


「少しは()いてやりゃあいいものを」

「どちらかというと、それこそ親子って感じで()くも何も・・・」


 見た目はお似合いの二人かもしれないが、その内面は数百年以上生きている高齢男性である。何を妬けというのか。

 人間ならば勘違いする目撃場面も、カイトにとっては勘違いしようのないものだった。


「それを言われたら終わりか。まあ、いい。・・・ほら、マーコット。冷たいお茶が来たぞ」

「・・・むー。んー、・・・んー」


 軽く揺り動かされても、真琴はシムルグの体の下に下にと、頭を更に突っ込ませていく。


(やっぱり子虎だな。生まれたばかりのによく似てる)


 カイトはそう思った。


「しょうがねえなぁ。寝ついたばかりだからか?」

「そういう時は、口の中に少し食べさせてやれば起きますから」


 カイトが、スプーンに小さなカットの果物を一つだけ掬い、真琴の唇に触れさせる。


「ほら、マコト。冷やしてあったから気持ちいいだろ」

「ん」


 シロップの甘さに気づいた真琴は、ぱくっとスプーンを(くわ)えた。目を閉じたままもぐもぐと噛んで、こくっと飲みこむ。


「食べる」


 ぱちっと目を開けた真琴がのそのそと動き始めたのを見ながら、ひょいっとシムルグは寝台から降りた。


「今度から『お母さん』って呼んでやろうか?」


 カイトは反射的にその持っていた深皿をシムルグに押しつける。

 この口を閉じさせるには何か用を押しつけるべきだ。


(誰がお母さんだっつーの。いや、マコトのことだ。こっそりとそう呼んで・・・。あり得る)


 シロップを掛けたカットフルーツの深皿を渡されてしまったシムルグは、そういえば昔はよくやったようなと、思い返す。


「これはアレだな。あの時も思ってたもんだったが、小鳥の給餌か?」


 だが、スプーンを持っていったら真琴がぱくっと口を開けるものだから、けっこうシムルグは面白がってはまっていた。






 カラフル・バーズ新聞社から次の新聞社までは距離がある為、どうせならばと、途中で一泊していくことにした遥佳達一行は、「水浴び村」に立ち寄っていた。

 ちょうど村の入り口では、汗びっしょりになった体を、その首にかけた布で拭っている男性がいる。その黄色い髪をした男性は、ヴィゴラスと遥佳に気づくと、にかっと笑いかけてきた。


「おや、初めてかい? そりゃ素晴らしい。この村を知れば永住したくなること請け合いさ。水浴び村へようこそ」

「こんにちは。私達、『水浴び村はこっち』って看板見たからやってきたの。あの、・・・この村だとみんな水浴びしなきゃいけないの?」


 恐る恐る遥佳はそう尋ねてみる。

 新聞記者としてあちこちに行くようになって、遥佳は自分から知らない人にも話しかける勇気を持てるようになっていた。


「水浴びが嫌いな奴なんているのかい? 汗をかいた後の水浴びは最高だぞ? 俺はあと少しかいてから飛びこむんだがな。何だ、それとも水が怖いのかい? お子ちゃまだなぁ。だーいじょーぶ。そういう時は隣にいる奴に声を掛けたら、一緒に飛びこんでくれるさ。ちゃんと子供用に、崖になってない場所もあるぜ」

「そうなのね、ありがとう。ここって宿屋はあるのかしら?」


 子供と看做(みな)される自分で良かった。どうして水浴びに崖という単語が出てくるのか。

 危うく遥佳は、水浴びという微笑ましい単語の落とし穴にはまるところだった。

 こうして自分は危機管理を身につけていくのねと、心の底から遥佳は思う。


「ああ。宿屋というか、休憩部屋だな。ここらは別に雨の日じゃない限り、屋根の下で眠る必要もない。だから、あちこちにあるベンチで寝泊まりする奴も多いのさ。ただ、水浴びする時は誰もが水浴び用の布をつけておかなきゃならん決まりがあるから、それだけはどっかの店で買ってくれや。勿論、そういう風に外で寝るのが嫌なら休憩部屋を有料で借りて、そこで寝泊まりすればいい。あちこちで屋台も出てるから、大抵の奴はそれで食事もすませる」


 喋りながらもその男性はシャツまで脱いで体を拭っているが、どうやら休憩したらまた体を動かすつもりらしい。片手間な様子で遥佳に説明しながら、その合間にも体のあちこちを伸ばしたり屈めたりして、まだまだやる気十分という感じだった。


「なんだかお金をあまり使わなくても楽しく過ごせる感じね」

「そうだな。ま、あまり水浴びばかりしてても体がふやけちまうから、畑仕事をしたり、家畜の世話をしたりして汗をかいてから、また水浴びを楽しむのさ。じゃあ、楽しんで・・・・・・ああーっ、そこの美しい人、恋人は募集中じゃありませんかねっ」


 遥佳と話している途中で、遅れてやってきたラーナとサフィルスに気づき、その男性は遥佳を置き去りにして、どびゅんっと凄まじい勢いで駆けていく。

 いや、駆けていく姿を遥佳が見ることはなかった。


(速い・・・、なんて速さなの)


 何故なら、気づいた時にはもうラーナ達の前にいたからである。


「ごめんなさい。私の好みじゃないわ、あなた」


 だけどラーナは素晴らしくストレートに断っていた。


(ラーナ、・・・ひどい)


 もっと穏やかな断り方があるのではないかと、遥佳は思う。

 親切に説明してくれた男性に、遥佳はちょっと同情してしまった。

 誰だって一目惚れはあると思うし、ラーナはとても魅力的だ。自分なら一目惚れした相手にそんなことを言われたら立ち直れない。


「そっか。そうなのか。・・・だけど明日には好みも変わってるかもしれない。その時は俺の愛を受け入れてくれ」


 だけど、全く男性の方も気にしていないから問題ないのかもしれないと、遥佳はすぐに自分の浅はかな思考を反省した。

 マジュネル大陸の人達は立ち直りが早すぎる。

 それだけ自分に自信があるのかもしれないと、遥佳は思った。


「というわけで、明日、君は俺の恋人かもしれない。そんな未来の恋人と、二人きりの水浴びはどうだろう? 大丈夫、恥ずかしがらなくても誰も来ないとっておきの場所さ。この村では数えきれない程の水浴び場があるから、誰もが自分のお気に入りの場所を持っている。君に、一番にそこを案内したいんだ」


 遥佳の前でのだらけた様子とは打って変わって、とてもきりっとした表情で男性はラーナに語りかけている。


「まあ。・・・ふふ、その言葉、私が何十人目?」

「さあ。君と巡り会った瞬間に、過去の何千という出会いは全て俺の中から消え失せたよ」


 なるほど、断られても断られたと思っていないからなんだなと、遥佳は納得した。


「ねえ、ヴィゴラス。私なら最初のお断りで心が折れると思うの。なんでこんなに、マジュネルの人達ってたくましい精神力を持っていられるのかしら」

「心が折れる必要性を見出(みいだ)していないからだろう。断られても、断られたことで会話は成立している。会話が成立したなら、その時点でコミュニケーションは取れたのだから問題はない。会話の内容を一々考えるからハルカは立ち止まってしまうが、それを気にしなければもっと世界は広がるということだ」

「・・・私が気にし過ぎなの? そうなの? それっておかしくない?」


 そんなにも自分の世界は狭いということだろうか。

 さりとて、そこで自分がまるで愚かな人間扱いというのも何かが違う気がして、遥佳は言わずにいられなかった。


「この大陸ではハルカの方がおかしいことは間違いないだろう。勿論、ジンネルならば、あの男性の方がおかしいだろう。たしかジンネル大陸では口説くことすらせず、勝手に結婚まで決めることもあるのではなかったか?」

「そっか。そうよね。・・・考えてみればそんなこと自体がおかしいのよ。人間だと勝手に親が婚約者を決めていたり、色々な政略結婚とかがあるけど、たしかに本人の気持ちを無視するのって異常だわ」

「つまりどの大陸においても変わらぬグリフォンの生き方こそが、この世界の至高に位置しているわけだ」

「え。それは違うと思うのよ、ヴィゴラス」

「何故だ?」


 ヴィゴラスの我田引水(がでんいんすい)を否定しながらも、とりあえず自分は人としておかしいわけではないようだと遥佳は考える。


(だけどラーナも、見かけはとっても色気のある女性なのに・・・)


 先程までそこにいた筈の黄色の髪の男性が、青い空を背景にキラリーンと流れ星のように飛んでいくのを見てしまった遥佳は、「ふぅっ」と、両手をパンパンとはたいているラーナに、「問答無用、一撃必殺」という言葉を連想せずにはいられなかった。


(格好良すぎるわ、ラーナ。その容赦のなさが)


 ジンネル大陸にいた頃の遥佳ならあまりの乱暴さに怯えて動けなくなっていただろう。最近は慣れてしまった自分がいる。


(だってあまりにも頑丈(タフ)すぎるのよ、ここの人達)


 空のお星様になるところだった男は、どうやら鳥の魔物か獣人だったらしく、上空で黄色い鳥に化けた。そのまま上昇気流に乗って高く、高くと、太陽に向かって飛んでいく。

 きっと勇気一つだけを友に、彼は大空を飛ぶのだろう。


「あちこちに細い水路が沢山あって繋がってるのね。今日は、なんだか落ち着いて寝られそうな気がするわぁ。せせらぎの音がとても気持ちよさそう」

「それは言えるかも」


 目の前でそれを見ていても全く気にしていないサフィルスが楽しげに話しかけてきたので、遥佳も頷いた。

 何が起きても気にせずに忘れる。それがマジュネル大陸の生き方なのだ、きっと。


(昨夜が刺激的すぎただけなのよ、本当に。だけど今日は穏やかな気分で過ごせそうだわ)


 この入口付近でも、小さな噴水や綺麗な石が敷き詰められた小さな池で、子供達が水をパシャパシャと叩いて、きゃいきゃいと遊んでいる。

 子供のせいか、人間の姿と獣の姿がごっちゃになっていて、肉食獣系の耳が頭についていたり、腕に羽がついていたりする。かと思うと、体の色がガラスのような子もいた。

 水着みたいなそれが、恐らく水浴び用の服なのだろう。ぷかぷかと池で浮かんで泳ぐ様子はとても愛らしい。

 

「ふふ、可愛い。本当にマジュネルの人達って、全力で楽しんで生きてるのね」

「ハールカも全力で楽しんで過ごせばいいのですわ。あら、そうですわ。ハールカ、泳げますの?」

「え? ・・・まあ、それなりに。波がなければ」


 ラーナに問われて遥佳は背後にいたヴィゴラスを見上げた。


「だけどヴィゴラスも鳥さんとライオンだから泳げないわよね?」


 遥佳の脳裏に、あまり深さのない池でヴィゴラスに泳ぎを教えてあげる自分の姿が浮かぶ。

 これでもプールならちゃんと泳げるのだ。子供用の水浴び場所なら遥佳だって泳げるに違いない。

 そして自分はヴィゴラスに泳ぎを教えてあげたりするのかもしれない。


「泳いだことはないが、潜ることならできる」

「泳いだことないのに、潜れるってどうして言いきれるの?」

「水底に宝が沈んでいる時は潜るからだ」

「そう」


 その水底は水深何メートルなのだろう。

 何だかヴィゴラスと自分とでは水に対する感覚の次元が違うような気がした遥佳は、ラーナとサフィルスを見た。


「ラーナは泳げそうだけど、サフィルスは?」

「な・い・しょ。だってハールカより下手だったら悲しいもの」

「ひっどーぉい」


 もしかして自分は一行の中で一番何もできないと思われているのではないか。

 遥佳の中にそんな疑惑が芽生えた一瞬だった。






 マジュネル大陸にある聖地で、リリアンとガーネットは玄武を交えて、ほのぼのと過ごしていた。

 単に、もう匙を投げていただけでもある。


「ハールカが全新聞社の頂点に立ったところでなぁ、後のことは全てマジュネル大陸の者らが決めそうじゃと思うんじゃが。ちょんと座っとるだけじゃないかのう」

「そうですわね。たしかにハールカがそれでお困りになるものでもありませんもの。今しばらくは様子を見てみてもいいのかもしれませんわ」

「リリアンったら。だけどイスマルク、大丈夫かしら。いくらカイトさんに内緒にしておきたいからって、マーコットもあの花をイスマルクに押しつけるだなんて」


 リリアンもまた遥佳達と合流すべくここを()とうかとは思ったのだが、今、遥佳が魂の兄弟契約書を集めさせられている理由が、「神子姫達がマジュネル大陸にやってきた時、案内する権利を獲得する為にも、人間である遥佳を全新聞社の頂点に押し上げる工作」の一環だと知ったら、それこそ遥佳は作業をストップしてしまうかもしれないと案じたのである。


(せっかく生き生きと動いていらっしゃるんだもの。だけど幻獣と獣人って似ているように思うけど、やはり違うのね。どうして姫様の気配が分からないのかしら)


 それでも利用しようと考える存在が多すぎるジンネル大陸より安心できる。違う意味で安心できないものはあるが、愛情がありすぎる為だと思えば、妥協範囲だ。


「そんなに心配しなくていいんじゃないかしら、ガーネット。だってイスマルクだもの。あの花の香りを吸いこんでも、そのまま女神様を讃えて一晩中お祈りしているぐらいじゃない? それに、他の男の人とは違って、イスマルクなら大丈夫だと思うのよ」

「そりゃイスマルクはウンディーネどころか、誰が相手でも遊びといった気分で何かすることはないと思うけど、・・・やっぱり何も教えなかったことで恨まれたりしたら悲しいわ」


 争うことも(いさか)いすることも苦手なガーネットは、どうしても悩んでしまう。


「そう心配せずともよかろうよ。惹かれあう者達がおるならば決着はつけておかねば苦しいだけじゃ。ハールカもいない今なればこそ、神官としての自分に囚われることなく素直な心で向き合えるのではないかのう」


 玄武はその黄色い瞳を細めた。


「ですが、ゲンブ様。イスマルクはハールカをお守りしようと神殿を裏切った神官なのでしょう? 神官ならばハールカに身も心も捧げるべきだとはおっしゃいませんの?」

「それは言わんじゃろなぁ。神聖視とは、とかく本来の姿を歪めてしまうものじゃからの。何よりハールカとてそれを望んでおるまいよ。・・・こうあるべしと言い始めてしもうたら終わりじゃ。自らが考えて動くこと、それが生きているということではないかのう」


 リリアンに対し、玄武は思慮深げに言ってのける。


「自分が考えて動くことですか。難しいことですわね、ゲンブ様。何が一番いいのか、こうしていても私共は迷いますもの。リリアンだってハールカに会ってしまえば教えなくちゃならないと思えばこそ、こうして戻ることができませんのに」

「そうね。姫様に隠し事なんて・・・って思うわ。だけど、ハールカにとって、こうやってお出かけになって誰かと接し続けることは決して悪いことじゃないと思うのよ。これも裏切りなのかしら。だけどシムルグ様は面白がっておいでだというし」

「青のは基本的に何でも(けしか)ける奴じゃからなぁ」


 そんな玄武は、何が起きても、「まあ、どうにかなるじゃろなぁ」などと言って、何も動かない白い大亀だった。






 マジュネル大陸でも南の地域にある「水浴び村」は、村の入口から林の方へと入っていくようになっていた。

 林と言っても、歩けばすぐに広い湖に突き当たる。けれどもその湖の周囲には幾つもの切り立った崖があり、そこから幾つもの水の筋が湖へと流れてきていた。


「なんて豊富な水・・・。まるで夢みたい」

「本当ですわね。どうやら土よりも、岩の方が多いようですわ。木の根もあまり地中深くまで伸びてはいないようですもの」

「あらぁ。見てよ、ラーナ。あそこの崖と崖の間。洞窟にもなってるんだわぁ。きっとあそこが船着き場ねっ」

「そうだな。あの滝のようになっている裏側にも洞穴(ほらあな)がある。昼寝している奴が見えた。思うに、そういう場所があちこちにあるのだろう」


 木々の間から射しこむ光が水面に反射し、周囲へきらきらと光を振りまいている。湖に浮かんでいる舟もまた、普通のボートもあれば、(いかだ)のような形だったり、かと思えばよく分からない半円球のものがぷかぷかと流れていたりする。

 それらは色々な装飾がされており、まるでここは遊園地のようだ。


「なんだ、ここは初めてかい。あそこのボートは空いてれば誰だって乗っていいんだ。どうせなら夜に乗るといい。誰もが舟に灯りをつけているもんだから、とても幻想的なんだ。ま、この湖でそういう舟遊びを楽しむのはお子様だけだけどな」


 背後から声を掛けられ、遥佳達が振り返れば、そこには赤く燃える剣が地面に突き刺さっていた。


「剣が、喋ってる。ううん、その前に燃えてる」

「なんだ、俺みてえなのは初めて見たのかい、お嬢ちゃん? いや、坊やかい? よく分からんな。どっちだい、可愛い焦げ茶色の子。どっちでもいいけどよ」

「あ、私、一応は女の子かしら。まだ大人じゃないからあまり性別もきちんとしてないのよ」

「なんだ、そういう種族かい。そんなのいたっけなぁ」


 そう言うと、赤い剣がぐぅっと背伸びをしたかと思うと、次の瞬間にはそこに真っ赤な髪をした赤銅色の肌を持つ男が現れる。だが、ちょっと腰をかがめてあっちを向いていた。


「えーっと、服、服、と。いやん、見られちゃ恥ずかしいだろってな」


 一応は気を遣ってくれたのか、後ろを向いてそこに置かれていた裾の長い水着らしいものを着る。


(お、お尻、見ちゃった・・・。なんでここの人達ってば、ここの人達ってばっ)


 見られた方ではなく、見てしまった遥佳の方が頬を赤らめて地面を見ずにはいられなかった。


「よっし。これでいいか。言っとくが、剣じゃねえの。剣の形をしてても普通に魔物さ。これでも夜にゃモッテモテなんだぜ? だけど子供にゃまだ早い。大人になったら俺の所に来るといいや」

「ごめんなさい。遠慮します」


 まるで裾の長いタンクトップにも見えるが、ちゃんと足の部分は短パンのようになっている。

 最初に足から穿いて、肩の所にあるボタンで留めるらしい。ツナギタイプなのだが、腰の部分には幾つものプリーツや布の重なりがある為、視線を逸らさずにはすむようになっていた。


「ま、まだ子供だかんな。大人の魅力が分からねえんだろ。しょうがねえ。そっちのべっぴんさん二人はどうやら意中の男がいるってか。目に揺れがねえやな。・・・さて、ここの水浴び村に来たらな、男はこういう水着を買って着るんだ。ああ、安心しろや、そこの兄ちゃん。膝まで覆われてるパンツに見えるだろうがよ、ちゃんと大事なもんは紐を解けば出せるから、どっちの姉ちゃんが相手でもすぐ脱げるぜ?」

「そういう奴らにこそ、ぜひ、この二人を連れてってもらいたいものなのだが」


 こんなドラゴンやペガサスのおかげで遥佳と二人きりになれないのだ。

 色々と文句を言いたいながらも、彼女達に言えば倍返しにされるので、ヴィゴラスはささやかに希望を述べてみる。


「両手に花で最高じゃねえか。喜べない奴ぁ、男じゃねえ」

「む? そうなのか?」

「そうだ」


 ヴィゴラスの不満は、全く頓着しない男により却下された。


「湖を回るようにしてあそこの崖の手前を右側だ。そうすると店もある。お勧めの洞窟とか水浴び場とかを教えてくれるから、好みの水温を言えばいい」

「好みの水温ってことは、色々な水温の場所があるのかしら? この子だと体があまり強くないからあまり冷たすぎたりするところは困るのだけど」

「なるほどな。氷みてぇに冷たい場所もありゃあ、ぬるま湯みてぇな所もある。俺だと岩が溶けるくれえの洞窟でもいけるんだがな。ま、たしかに弱々しい感じだし、そんならぬるま湯の所を教えてもらえばいい。貸し切りもできるし、どれも無料さ。ただし、水着は買ってやってくれよ」

「そうなんだぁ。水着を買うことで、安心して使える場所を教えてもらえるのね。ふふ、貸し切りって素敵だわぁ。だけどこの広い湖でぷかぷか浮くのも楽しそうね」


 遥佳の体力では体を冷やしすぎるかもしれないとラーナが案じれば、サフィルスはボートに揺られながらのそれを楽しんでもよさそうだと、湖を振り返る。


「ああ、名札が掛かってないボートなら勝手に使っていい。だが気をつけろよ、青い瞳のお嬢さん。俺もそうだが、ボートの形をした魔物だった日にゃ、好みだと思われたらそのまま愛の巣に早変わりするからよ」

「・・・何なのかしらぁ。魔物とボートとの見分け方って、あるの?」


 やはりマジュネル大陸は理解不可能だと、サフィルスは遠い眼差しになった。


「ふむ。見分け方? 見分け方ねえ。そうだな、『このボート素敵、愛してる』って思ったら、それが運命の出会いさ。遠慮なくそのボートに飛びこめ」

「そっちじゃなくて、魔物じゃないボートに乗りたいんだけど」


 赤い燃えるような髪をした男は少し考えこむ。


「燃やしてみて、燃えたら普通のボートだ」

「それだと乗れなくなるんだけど」

「なら、そっちの兄ちゃんを先に乗せればいい。男なんぞ嫌だと思ったら吐き出すだろ。そしたらそいつは魔物だ」

「ああ、なるほど。そういう役立たせ方があるのね。あったまいいわぁ」


 やっと納得したサフィルスだったが、遥佳は思った。


(女の魔物だったらどうするのかしら。ヴィゴラス、愛の巣に二人きりになっちゃうのかしら。どうしよう、その時、ラーナ達、ヴィゴラス助けてくれるかしら)


 すると、その男と目が合う。


「どしたい、お嬢ちゃん?」

「ううん。えっと、あなたの種族って、みんなそんな赤い剣の形をしてるの?」

「いいや、青や緑の剣もいるし、ランプの形をしている奴もいりゃ、椅子の形をしていたりもするぜ? ボートの形だったりもな。要は、俺らは好きな形をとれる魔物なのさ。ただ、色は変えられねえ。俺らは夜には様々な姿で光ってるからよ、とっても綺麗だって言われるのさ。ま、大人になったお嬢ちゃんが望むなら剣以外の形もとってやるよ」

「・・・えっと、ごめんなさい。私、恋愛とかはまだ考えられないので」

「そうかい。そりゃ残念だ」


 そう言って遥佳の頭を撫でてくる男の手は、普通の体温をしていた。


(ああ、流れ込んでくる。・・・なんて強い意志の力なの)


 ふらりと、遥佳がよろめく。それをヴィゴラスはさっと受け止めた。


「ハルカッ!? 何をした、お前っ」

「・・・へっ? 何もしてねえよっ。てか、具合でも悪かったのかっ? ちょっと医者、医者、医者ってぇとっ、・・・あ、俺じゃねえか」

「おいっ!」


 遥佳を抱きとめながらも、ヴィゴラスが気色ばんで男に敵意を向ける。


「けどよ、俺だって違う種族の診察なんざできねえぜ。それより、この子の種族は何なんだ? 病気だったのか?」

「何をしたんだっ、ハルカッ、ハルカッ」

「ちょ、ちょっと待て。ハルカっつったか? おい」


 違うのだと、遥佳の気持ちを置き去りに、周囲で男達が喚き散らしているのが耳に届いた。


(違う、違うのよ、ヴィゴラス)


 あまりにも優しく穏やかな心にばかり囲まれていたから・・・。


(あまりにも強い魂に、揺さぶられてしまっただけなの)


 ヴィゴラスに抱きかかえられたまま、遥佳の意識は遠ざかっていった。





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