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166 キースヘルム達は災厄を知った



 ティネルの街の外れ、その川べりにある家を、キースヘルムは勝手に潜伏先にしていた。

 その家には耳が遠く、偏屈(へんくつ)で、膝が痛むのであまり移動できない年寄りと、その息子の嫁だった未亡人が暮らしているからだ。

 肝心の息子であり夫である男が死んだなら実家に戻ればいいものをと思うが、色々と訳ありなのだろう。


(この階にジジイは上ってこられねえ。しかもこの部屋は外の様子をこちらの存在に気づかれず眺められるときたもんだ)


 性格は根暗で着ているものも質素な地味な衣服ばかりだったが、ここの未亡人は素晴らしいプロポーションの持ち主だった。

 死んだ夫などに操を立てているよりも、さっさと新しい男を見つけておけば、どれ程に愛されたことか。

 

(さて。そろそろ行くか)


 自分に逆らった元手下達を、手間と時間はかかるが一人ずつ始末していっている。

 そのせいだろう、この家の窓から見える橋の上をたまに通っていく自分の元手下達は、顔に緊張を漂わせるようになっていた。

 だが、その橋に今日は赤い紐が幾つか結び付けられている。キースヘルムを選んだ手下達からの合図だ。


(赤が四つ。今から行けばちょうどいい)


 それが示す待ち合わせ先へと、キースヘルムは向かうことにした。






 林と言う程ではないが、それなりに木々が生い茂った中に、少し開けた場所がある。そして、そこには打ち捨てられた家があった。

 家の周囲は、元は庭のようなものだったのか。ただ草だけが生えている。

 人が集まっても全く人目につかない場所だ。ただし、家はあまりにも朽ち果てすぎていて、床が抜けており、使用不可能物件となっている。

 そこへやってきたキースヘルムは、愉快な気持ちになって笑い出した。


「なんだ、ユーリ。よくここが分かったな。お前にかかったら何もかもがお遊びか」

「それならキースは食べなくていいわ」


 何故なら、キースヘルムを呼びだした手下達と共に、ユーリは大きな敷物(シート)を敷いて、ピクニックですよと言わんばかりに、小ぶりなパイを食べていたからだ。アップルサイダーの大瓶があって、自分のカップにそれを注いで飲んでいるらしい。


「あ、ボス」

「ボス。実は・・・」

「ああ、かまわねえ。そいつは食い意地張ってるが、一人で食べるってんでもないからな。そのまま食え」


 立ち上がろうとした手下達を、キースヘルムは軽く手を振ることで制した。すると手下達も、パイを手に持ったまま立ち上がっても間抜けだと気づいたのか、座り直す。

 あまりにも平和すぎる光景である。問題は、どう考えてもガラの悪そうな男達十四人と少女の組み合わせ、というところか。

 こんな人気のない場所で襲われたらどうする気だと、さすがのキースヘルムも警戒心皆無の少女に言いたくなった。


「どうした。俺に会いたくなったのか? どうやってここを突き止めた?」

「会いたかったと言えば会いたかったかも・・・? 突き止めるのは簡単よ。だってドレイクにおねだりしたら、誰かに連絡は取ってくれるもの。そしたら、この人達もキース呼び出してくれるでしょ?」


 キースヘルムが敷物に腰を下ろせば、相も変わらず人を利用することしか考えていない返事である。


「はい」


 左手に食べかけのパイを持っていた優理は、右手で幾つものパイが入ったバスケットを差し出してきた。


「中身はね、一つが塩漬け牛肉(コーンド・ビーフ)とポテトなの。これはシンプルに塩とミックスハーブね。もう一つが(うずら)の卵と豆なの。それはトマトとチリ味。そしてもう一つがベリーで甘いの。どれがどれかは、食べてからのお楽しみ」

「お前は本当に、食うことだけ根性みせるな」


 そう言いながら、キースヘルムは優理が食べかけているそれをひょいっと奪い去ってそれを口に運ぶ。


「ああーっ、私のパイッ」

「ん。牛か。まあ、悪くない」

「なんで私の()るのっ」

「お前のことだ。とんでもない味のものを混ぜててもおかしくないからな。だが、作った奴はちゃんと自分だけは見分けられるようにしてある筈だ」

「そんなことしてませんよーっだ」


 食べられない物を用意するだなんてこと、優理がする筈がない。

 しかし、幾つものベリーを砂糖煮にしたものは甘く作ってあったから、最初にそれを引き当ててしまった手下達が、微妙な顔になっていたのも事実だった。

 最後に甘いものならば良かったのだろうが、やはり彼らは腹にたまる牛肉を一番に引き当てたかったらしい。その辺りは調理者特権で、優理だけはどのパイがどの味付けなのかは見分けられる。


「で、てめえら。ユーリ(こいつ)に言われてひょいひょい俺を呼びだしたのか」

「誤解しないでくだせえよ、ボス。俺らはドレイクさんに言われてボスを呼びだしただけでさぁ。そしたらこのお嬢さんがここに現れたってだけで」

「そうですぜ。ドレイクさんがボスに会いたいって言うからここを指定しただけでさ」

「その内、ドレイクさんも姿を見せるだろうと、このお嬢さんが言うから、まあ、それならと・・・」

「ふん。で、ユーリ。いつ、ドレイクは来るんだ?」


 指についたパイくずを舐めるようにして、キースヘルムは尋ねた。


「その内に来るんじゃない? それより私、あなたに用があったのよ」

「俺に? なんだ、寂しかったなら正直にそう言え。女は素直が一番だ」

「そうなの? なら素直に言ってもいい?」

「いいぜ?」


 機嫌よくキースヘルムは頷いた。

 やはりそれまでちょくちょくと顔を合わせていたのに、いきなり顔を見せなくなると、女は不安になるものだ。そうして男のことを考えるようになる。

 いいことだ。

 やっとこの生意気な小娘も、自分の良さを認識したのだろう。

 女としては全くもって最低ランクだが、優理にはそれ以上に引きつけられる面白さがある。


「あのね、キースってば今、無職なんですって?」

「・・・・・・おい」


 一気に不機嫌になったキースヘルムだ。

 優理にはそういう無神経なところがあった。真琴程ではないが。

 

「キース、すぐ下にいた人達に追い出されたって聞いたんだけど」

「・・・・・・てめえ」


 かなり不機嫌になったキースヘルムだ。

 優理にはそういう傷口に塩をすりこむところがあった。真琴よりはマシだが。


「でね、そこで提案なんだけど」


 ちょろっと上目遣いでキースヘルムの顔を覗き込んでくる様子は、普段なら可愛いと思えたかもしれないが、今は全くもって可愛いとは思えない。

 二人きりならともかく、手下達の前で恥をかかされて怒らない男はいないだろう。


「お前には口のきき方ってもんを教え込まなきゃならんようだな」


 つい、キースヘルムは片手の親指と人差し指で、優理の唇を両側からくいっと挟むようにしてしまった。

 おかげで、ぶにゅっとまるで家鴨(あひる)のような上下に割れた唇になる。


「むぎゃぎゃぁっ(何すんのっ)」

「もうお前はクワックワッ鳴いとけ。人の言葉なんぞ話さんでいい、このガチョウ娘が」

「ぐぁわわっぐぇっ(なんですってっ)」

「・・・結構、面白いかもな」


 はまりそうになったキースヘルムは、新しい喜びを優理に見出した。

 お仕置き代わりに優理の唇は黄色に塗ってやる。そしてこの礼儀知らずな小娘をアヒル小屋に放り込んでやろう。

 そう思ったところで、横からそのキースヘルムの腕を掴んで強引に外させる手があった。


「こんな子供を(いじ)めるもんじゃありませんぜ、旦那」

「出てくると思ったぜ。お前らがそう甘やかすから、こいつがどこまでも図に乗るんだろうが」

「そりゃそうでしょうがよ、甘やかしてんのは俺じゃねえ。・・・と思いますがねぇ」


 暗に、「あんたもそうだろ」的なニュアンスをカイネは忍ばせる。

 カイネに向かって、フンとつまらなそうに鼻を鳴らしてみせると、キースヘルムは尋ねた。


「で、ドレイクはいつ来るんだ?」

「さあ? 俺ぁ、あくまでユーリちゃんについてきただけですんでね。放っておくとどこ行って何をやらかすやら分かりゃしねえ。俺の女だっつーのに浮気が激しすぎて困ってんすよ、ホント。誰でも彼でも懐いちまってねぇ」

「鎖につないで庭で飼っとけ」

「その鎖を自分で解いて出て行っちゃう子じゃどうしようもありませんぜ、旦那」

「人を犬扱いしないでちょうだいっ。全くみんなしてっ」


 顔を解放された優理は、真っ赤になって怒鳴った。


「ひどいわ。私はただ、・・・ちょっと便利そうだなって思っただけだったのに。普段はいらないけど、必要な時だけ手足になって働いてくれる人がいれば都合がいいなって思っただけだったのに」

「そんなもん欲しがらなくても、言えばちゃんと手伝ってやるだろうが。なんでいきなり変な方向へ突っ走るかねえ、ユーリちゃんは」

「だって、・・・説明したら止められることが多いじゃない」

「そぅだなー。止めるには止めるだけの理由があんだって、そろそろ理解しよぅなー」


 レイスの実家でもある第2等神官ウルシークの邸宅。そこで働く人達を見て、優理もちょっと思ったのだ。


――― 別に普段はいらないけど、必要な時だけ手足になってくれる人がいたら便利かも・・・!


 というわけで、キースヘルムの元手下でもある元幹部達に恩を売って取り込もうとしてみたのだが、脅迫されるリスクよりも男としてのプライドを優先されてしまった。

 あまりにも悲しすぎる。


「やってみないと分からないことってあると思うの。何でもかんでも規制するのは成長を阻むだけなのよ」

「そりゃあな。だがよ、仕方ねえってもんさ、ユーリちゃん。勿論、誰だって冒険はしてみるもんだ。問題はそれが女の子って時ゃ、取り返しのつかねえ傷を負っちまう。男なら名誉の勲章でも女はそうじゃねえ。無茶はするもんじゃねえさ」


 困った顔で笑うカイネにポンポンと頭を撫でられる優理だが、欲しいと思ったその時が欲しい時なのだ。


(こま)けえこと言うなよ、カイネ。何だ、ユーリ。便利な奴が欲しいのか? そんなら俺に言やあ、カイネらみてえにけちけちしたこたぁ言わねえぜ?」

「ほんとっ?」

「ああ、勿論だ」


 瞳を輝かせて見上げてくる優理に、キースヘルムはにやりと笑ってみせた。

 自分の女に対して、キースヘルムはそこまでケチなことは言わない。使い走りの二人や三人、いつでも融通するというものだ。自分がその女に飽きるまでは。


「じゃあ、キース、協力してくれる?」

「いいぜ?」

「旦那。悪いこた言いませんぜ。そこで退()(かえ)しといた方がいい」


 いささか疲れたような、面白がるような、そんな声でカイネが止めてみせる。

 これでも自分は達観した境地で、誰に対しても穏やかで親切なカイネさんという立ち位置なのだ。


「黙ってろ、カイネ。レイスの腰巾着(こしぎんちゃく)が口出しすんな。こういうのは俺とユーリとの問題だ」

「そうでしょ? そう思うわよね、キース」

「ああ」


 キースヘルムは頼りがいのありそうな気持ちいい笑みを、優理に向かって浮かべてみせた。


「じゃあ、キース。今、職無しなんだし、私に雇われるわね?」

「・・・は?」


 優理は無邪気な笑みを浮かべ、質問ではなく確認する声で勝利宣言である。


「私だってケチ臭いことなんか言わないわ。キースについてる手下さん達と一緒に、私の下で働けばいいと思うの。ね? いい話でしょ?」

「・・・おい?」

「良かったわ、キースも頷いてくれて。話が早くまとまるっていいことよね」

「待てやコラ」


 キースヘルムはカイネを見た。さっとカイネは違う方向を見る。

 仕方なくキースヘルムは優理を改めて見つめ直した。周囲にいた手下達も、呆れた顔で優理を注視している。


「あのな、ユーリ」

「なあに?」

「たかが市場の占い師如きがどうして俺らを抱えられると思うんだ? 寝言は寝てから言うんだな、このクソガキが」


 低い声は、あまりにも侮られたがゆえの怒りを包んでいればこそだろう。


「そうかしら?」


 優理は首を傾げ、カイネに両手を伸ばした。

 やはり何かと助けてくれるのはカイネだからだ。


(嫌だわぁ、すぐ怒る人って。カルシウムが足りていないんじゃないかしら)


 何はともあれ、風向きが変わったらすぐ避難である。それをする人間だけが生き延びられるのだ。


「しょうがねえなあ。だからキースヘルムの旦那は怒るって言ったろ、ユーリちゃん。ほら、危ねえから避難しときな」


 カイネが優理を抱え起こしてその場に立たせる。

 鋭い視線で自分を睨みつけてくるキースヘルムに対し、それでも優理は立ったことで見下ろすようにして告げた。


「占い師は一時休業なの。私ね、違う商売を始めたのよ。だからキース、雇ってあげるわ。感謝してよ、そこにいる手下さん達も一緒だから」


 そんな優理の両脇の下に腕を差し入れ、カイネは自分の背後へと押しやるようにして仕舞ってしまう。

 いくら自分がついていても、まずはキースヘルムとの距離をとらせなくてはならない。怒らせたら、キースヘルムもどう出るか分からないからだ。


「ざけんな、ユーリ。大言壮語も程々にしとかねえと、カイネ一人でお前を守れるとでも思ってんのか?痛い目に遭わされねえと分からねえなら、その体に教え込むだけだ」


 女のおねだりや驕慢さは可愛いと思ってやれるが、男としてこんな言われ方をされることをどうして受け入れられるだろう。

 キースヘルムの言葉に、普段の甘さは全くなかった。


「大言壮語なんかじゃないわよ。あなたは頷くわ、キース。これは百発百中の私の予言ね」


 それでも優理は高らかに宣言する。ただし、カイネの後ろで。

 カイネはキースヘルムの方しか見ていないというのに、背後にいる優理の動きが分かるのか、右手だけで自分の前に優理が出てくるのを阻止し続けるものだから、カイネの右側や左側からちょこちょこと顔だけ出して、優理も大変なのだ。

 自己主張とは、時に高いハードルを越えて行わねばならないのである。


「だって、私、あの人達のボスになったんだもの」


 優理はその打ち捨てられていた家の方を指差した。キースヘルム達が振り返れば、見知った顔が、その家の向こうからぞろぞろと現れる。

 ばっと立ち上がったキースヘルムの手下達は、それと知ってすぐにカイネを振り返った。だがキースヘルム達が動揺している間にカイネはかなりの距離を、優理を片腕に抱えるようにして駆け去り、安全な位置をキープしている。


「裏切ったかっ、カイネッ」

「誤解せんでくださいや、旦那。ドレイクも俺も、誰も裏切ってやいませんぜ? 言っておきますが、あいつらはこのユーリちゃんの手下ですからね」

「ざけんなっ」


 そこの敷物に座っていた十四人の手下達も、とっくに立ち上がってキースヘルムを守るかのようにナイフを抜いていた。


「その危ないものを仕舞うように言ってちょうだい、キース。言ったでしょ? 私、新しい商売を始めたの。ちょうどね、ティネルの街で、ボスにいなくなられて困っていた人達がいたから、私が新しいボスになってあげたのよ。そう、占い師から彼らのボスに転職したの、私。だけどね、私も忙しいじゃない? だからキース、私の手下にならない? そして彼らの監督をしてほしいの」

「ざけんじゃねえっ」


 優理ではもう話にならないと踏んだキースヘルムは、現れた彼らに向かって怒鳴り散らした。


「どういうつもりだっ、てめえらっ! 答えろっ、ジルヴェスター、ゲルトッ!」


 何故なら、それはキースヘルムに離反した元幹部達だったからだ。家は床も腐って人が住めない状態だと思っていたのが敗因か。

 まさかその家の後ろ側に、どうして数十人もの男達が気配を殺して待機していたと気づくだろう。


「どういうつもりと言われてもなぁ、・・・聞いての通りですぜ? 俺達は新しいボスを迎えた。それがそこのお嬢ちゃんだってことで。なあ、ゲルト?」

「その通り。こっちも色々と難しい局面を迎えちゃいるが、そこのお嬢さんにゃ利用価値がある。少なくとも小娘なんぞを自分達のトップとして迎えるのは業腹(ごうはら)だが、十分にその価値はあると判断せずにはいられませんからな。まず第一に、ボス、・・・いや、今はそうではないが、ここではそう呼ばせてもらいましょうや。あなたが俺らにまだ何かを仕掛けてくるにせよ、そのお嬢さんが俺達のトップである以上、ドレイクさんは俺らに味方せざるを得ない。レイスさんの隠し子たぁ知らなかったが、ドレイクさんがその子を可愛がってんのは言うまでもねえ」


 カイネに背を向けたまま、キースヘルムは珍妙な表情を浮かべた。


(レイスの隠し子? あり得ねえだろ、そりゃ)


 キースヘルムやその元手下達との会話をよそに、優理は暢気(のんき)なものだ。


「誰にでも愛されてしまう私の魅力が憎いわ」


 ちなみに人間や動物は、何度も同じことを繰り返されることで覚えてしまう学習能力があり、優理は姑息にも何度も繰り返して発言することで皆にそれを覚えこませ、いずれ自分の魅力の虜にしてみせるという野望があった。

 そんな戯言(たわごと)など誰もきいてはおらず、ゲルトは落ち着いた声で述べる。


「第二に、そのお嬢さんはクソ生意気で礼儀も知らん小娘だが、情報収集能力はかなりのもんだ。それでいて俺達の駒にするにゃ、厄介な保護者がわんさかいて拉致(らち)もできねえ。ならお飾りのトップに据えた方がいい」

「ちょっと待ってちょうだいっ。誰がお飾りよっ。あなた達だって私に膝をついた以上、私がトップなのっ! それ以外は認めないからっ」


 離れたところに避難していた優理が、カイネの後ろでそれを聞いてぎゃんぎゃんと喚きだす。


「はいはい。ユーリさん、そう怒らない怒らない。俺らはユーリお嬢さんをちゃんとトップとして認めてますよ。なんと言ってもどこのトップよりも若くて可愛い上、役立つ人脈はピカイチだ」


 アロイスは持ち上げることでそれを黙らせた。


「第三に、・・・これが何よりもの理由だが、ボス、いい加減、俺らもこんな意味のねえ共食いをし続けることにメリットなんざ見出せねえ。あなたは俺らの元に返り咲いたらまずは俺らを殺すだろう。が、俺らのトップがそのお嬢さんで、ボスがその下につくなら、そのお嬢さんが許さない限り、ボスは俺らを始末できねえ」

「なるほどな」


 キースヘルムはカイネの方を振り返る。


「なあ、ユーリ?」

「なあに?」


 キースヘルムが呼びかけてくるそれは、いっそ優しいと言ってもいい声だ。


「知ってるか? ならお前を倒したら、お前がトップだというこの集団のトップに俺はすぐ成り代わることができるってことをよ?」

「知ってるわ。だけど私を倒すのは大変よ?」

「ほう? そりゃ知らなかった」


 カイネの後ろにいる優理に対して語られる声。まさに舌なめずりをするかのような響きが、キースヘルムの言葉に宿る。


「なら知っておいた方がいいわよ。私を倒そうと思ったら、カイネさんとフォルナーさんとレイスを倒してから来るのね。その上で言わせてもらうけど、この私に髪一筋でも傷をつけたら、ヴィゴラスが黙ってないから」

「・・・・・・て、てめえ」


 優理は、そこで自分が受けて立とうという思考を持たない人間だった。


「ヴィゴラスは容赦しないわ。もう知ってるでしょうけど」


 念押しとばかりに、優理は自分の身の安全を確保すべく言葉を繋げる。

 さすがのキースヘルムも、いささか考えずにはいられなかった。


「そりゃねえ。あのヴィゴラ相手に生き延びるのは、いくら旦那でも難しいだろよ。うちのドレイクに逆らった奴らを皆殺しにした時も見事な手際で、どうやったか俺らすら知らねえときたもんだ。触らぬ神に(たた)りなしってもんだぜ、旦那」


 うんうんとカイネが頷いてみせるが、その瞳は決してキースヘルムから外れていない。


「なら、人知れず闇に葬りゃいい話さ。縄張り(シマ)一つかかってるときちゃ誰だってお前の細首、(ひね)(つぶ)すことを選ぶってもんだぜ、ユーリ」

「お生憎様。私に手を出した人間が特定されないことはあり得ないわ。忘れてるかもしれないけど、追跡能力ならマーコットっていう人材もいるのよ? 私に何かあったら、マーコットはその人を許さないわね」

「・・・たしかにマーコットは(つえ)え。だが、あいつはそこまで残虐にはなれねえ娘だ」


 あの強さは見事なものだったが、真琴にはあくまで汚れのないそれをキースヘルムは感じ取っていた。

 後遺症が残らない、そしてすぐに回復できるような衝撃しか与えてこなかった真琴は、ゆえに格違いの強さを保有していると分かるものだったが、それだけに残虐さとは無縁である。

 いざとなれば恐ろしい相手かもしれないが、そんじょそこらのことでは制限など外れないともキースヘルムは見ていた。


「そうね、マーコットは強いわ。キース達、五人がかりで負けたんですって?」

「・・・・・・」


 そこでキースヘルムの額に青筋が走ったことにカイネは気づく。

 元幹部や元手下達のいる前で敗北した過去を喋られて不愉快にならない男がいるだろうか。

 優理の口はとても無神経すぎた。


「だけどマーコットの周りにいるヴィゴラスも、そしてカイトさんも、人殺しなんて呼吸するかのようにできる人達なのよ。私に怪我でもさせたとして、マーコットが、そしてマーコットに泣きつかれた人達が許すと思う? 助命なんてあり得ないわ。あの人達にとって命の値段は相手によって変わるものなの」

「・・・・・・」

「そしてね、ここが大事なんだけど」


 優理は一拍おいてから言った。


「うちのマーコット、人を利用することにかけてはプロよ? どんな人材もおねだり一つで使い倒すわ」

「・・・・・・」

「全ての大陸、どこに逃げても安息の地はないわね」

「・・・・・・」


 カイネがどこか哀れむような視線を向けてくることに、キースヘルムは気づいた。


「旦那。悪いこた言わねえ。ユーリちゃん自身はそりゃ無力な可愛い女の子だ。素直だし、賢いし、とてもいい子だしよ。けどなぁ、・・・いざとなったら出てくる奴ぁ、百人以上を殺しても怪我一つしねえ、しかも目撃者ゼロでそれをやらかせる奴ときた。ここはユーリちゃんの手下になる方が賢いんじゃねえかって思うんだがよ」

「ほざけっ」


 キースヘルムは優理を睨みつける。


「人の力を当てにする時点でアタマ張れる資格なんざあるかっ。それが自分の力だとでも思ってんのかっ、ユーリッ」

「人脈も力の内よっ」


 ここが正念場だ。優理は強気に出た。


口惜(くや)しかったら、そこまで強い人達に守られるぐらいの人脈築いてみせなさいよっ。言っとくけどヴィゴラスだって私の為に百人殺しても、他の誰かの為になんて指一本動かさないんだからっ」


 それは嘘だ。ヴィゴラスは遥佳と真琴の為ならばもっとやらかすだろう。

 何となくそれを察していたカイネだが、わざわざ口にはしない。どちらにせよ、ヴィゴラスが動くのはこの三姉妹にだけだからだ。


「あいつらに守られている時点で、てめえの力なんぞゼロだろがっ」

「守られてるんじゃないわっ。ヴィゴラスって手下を私は従えてんのよっ」

「このクソガキがぁっ」


 ぎりぎりと、歯を食いしばるかのような唸り声がキースヘルムの咽喉から出ていく。


「誰がクソガキよっ。ボスって呼びなさいよっ。そうしたらちゃんとナンバー2扱いで雇ってあげるからっ。ついでにねっ、私の為ならマーコットだって塔の一つや二つ壊してくれても、他の人の為には何もしないんだからっ」

「何の自慢にもならねえだろっ。人の威を借りて恥ずかしいと思わねえのかっ」

「それだけキースが誰にも愛されてないだけじゃないのっ」

「あんな非常識人間らがゴロゴロしていてたまるかっ」

「だからそういう人達に愛される人徳の差がそこで出てるだけでしょっ。人間としての格が違うのよっ」


 そこでキースヘルムは優理と口論する愚かさに気づいた。

 ああ言えばこう言う。しかも本当に、優理には厄介な存在との繋がりがあるから面倒なのだ。

 そこでくるりと、後方でそのやり取りを興味深そうに見ていた元幹部と手下達を振り返った。


「よし、分かった。今すぐユーリをトップだのという寝言は撤回しろ。考えてみれば俺が留守にしたのが全ての原因だ。そのことについて責は問わねえ。それでいいだろ。俺がいなかった間のことは全て不問に付すし、俺を殺そうとしたことも水に流す」


 そもそも優理を噛ませること自体が愚かの極みではないか。

 だが、元幹部の男達は首を縦には振らなかった。


「無駄よ、キース。彼らだって馬鹿じゃないもの。人間、殺されようとした恨みを忘れる人なんていないって分かってるわ。いずれ何らかの理由をつけて処分されるだけ。・・・だけどね、彼らにも救いの光はあるものなの。そう、私という光が」


 まるで自分が全ての話をつけたかのように、優理はとても偉そうである。

 元幹部や元手下達があの場を離れた後、ドレイクやレイス、そしてロドゲスやカイネ達が彼らと話し合ってくれた借りや恩や妥協など、優理の脳裏には欠片も残っていなかった。


「キースが絶対に逆らえない、倒せない相手がいれば自分達は処分されない。そんな相手はそうそういないわ。だけどね、キースも、そしてそこにいる手下さん達も、全く敵わないだけの強い人達はちゃんといて、その人達を動かせる存在はここにいるの。そうでしょ?」

「ユーリ、お前って奴は・・・」


 世の中には、何もできないくせに口だけは達者な奴がいる。

 キースヘルムは今すぐ優理の口に、ぐつぐつと燃えている溶岩を詰めたくなった。


「だって私、彼らを処分しようなんて思わないもの」

「・・・てめえ」


 ぎりぎりと、まさに歯を食いしばるような顔でキースヘルムは元幹部達の顔を見た。それは、優理の言葉を全くもって否定していない。


「ヴィー達がやってくるより、俺がお前をどうにかする方が早いとは思わないのか、ユーリ? 女ってのぁ、男にやられたら言いなりになるもんだぜ」


 優理の方を見ずに、キースヘルムはそう尋ねた。

 何故なら大事なのは元幹部達の決断だからだ。こんな馬鹿な茶番、元幹部らが撤回すれば優理には何の権限もない。


「その為にはまず私を可愛がっているドレイクを排除するのね」

「・・・・・・」

「だってレイス、私を誰よりも愛してるし」

「・・・・・・」

「カイネさん、かなり強いわよ?」

「・・・・・・」

「フォルナーさんもだけど」

「・・・・・・」

「エミリールだって大人しい顔して、あれで凄いのよ?」

「・・・・・・」


 最弱な優理は、どこまでも保護者達を前面に押し出す。そこには、頼れる人達は頼ろうという気配がぷんぷんと漂っていた。

 キースヘルムはフッと吐息を洩らし、優理へ清々しい笑顔を見せる。


「そうか。分かった、ユーリ。お前は俺のことが好きで、俺に全てを返してやりたくてこんなことを考えついたんだな? それならそう素直に言えば良かったんだ。な? 本当にお前は可愛い」


 まるで愛しい恋人に向けるような口調だ。キースヘルムは優理の好ましい反応を誘導すべく、優しく語りかけた。


「ううん、違うの。ドレイクはちゃんと私に協力してくれるけど、それとは別に、私も手下を持ちたくなったのよ。そうしたら主のいないヤドカリの巣があったんだもの。自分がそのヤドカリの巣を乗っ取ったっていいわよね?」


 キースヘルムの笑顔が凍りつく。


「お前な、俺の気遣いを(ことごと)く無視してくれやがって」


 普通はそこで、

「ええ、そうなの。私、あなたに喜んで欲しかっただけなのよ」と、女は言えばいい。それだけだ。

 どうしてこの小娘は流されることなく、揺れることなく、己の欲望に向かって突き進むのか。


「だって私、かなりいい条件を出してると思うんだけど」

「そもそも、それは俺のもんだったんだが? それを横から()(さら)おうだなんて、自分が恥ずかしくなんねえのか? お前の親はお前にどういう教育をしたんだ?」

「別に恥ずかしくなんてないわよ?」


 優理は小首を傾げてみせた。


「うちの親は、『自分にポリシーを持って生きていくことは素晴らしい。自分の人生、胸を張って進みなさい』って教えてくれたわ。脅迫に屈することなく、挫折に立ち止まることなく、私は私を生きるだけなの。そしてね、株もそうなんだけど・・・」

「株?」

「それはどうでもいいわ」


 優理はキースヘルムの疑問を制して可愛らしく微笑む。


「底値で買い叩き、高くなったところで売る。それが儲けの秘訣なの。これ、とってもいいお買い物だったと思うのよ」

「・・・・・・」

「ね、キース。ドレイクがバックにいる私の一家に手を出すより、私のナンバー2に納まった方がお得じゃない? そうでしょう?」

「・・・・・・」

「あ、ナンバー2で迎えるからって勝手な真似はしないでね? 私の意見が最優先だから」

「・・・・・・」


 それらの会話を、この場所に続いている小道の陰で頭痛を(こら)えながら聞いていたドレイク達が、そこで出て行く。


「で、話はまとまったんか、ユーリ? ほんま、お前は無茶がすぎんのや」

「ドレイクッ。てめえっ、どうしてこんなアホなことに加担しやがったっ」


 やっと責める相手が来たとばかりに、キースヘルムが唸る。


「こっちに八つ当たりせんとって。こないな状況(こと)にしたお()はんが、一番悪いんやろが」

「言い逃れすんじゃねえっ」


 ドレイク達が味方しなければ何も進まない話だった筈だ。元幹部達を説得したのは優理ではないと、キースヘルムだって見当はつける。こんな世間知らずな小娘が出向いたところで、彼らはその話を一顧だにしなかったことだろう。


「そっかぁ。これでも足掻(あが)くって、やっぱりこういう人達って強さが全てなのかなぁ?」

「そうみたいね」


 上から降ってきた声に、優理が答える。


「男だから、女だからじゃなくて? 正直、私さぁ、こういうガラの悪い人達に優理が(かか)わるの、あんまりいいとは思えないんだけど」

「そうかもしれないけど、ここまで係わったらそうも言ってられないんじゃない?」

「言っとくけど、私達、ちゃんとさっきから話は聞いてたんだよ? どう考えても優理が自分から係わらなければ無縁のままですんだよね?」


 優理を背中で庇っていたカイネがそこで口を挟んだ。声だけで誰かが分かったからだ。


「もっと言ってやってくれ、マーコットちゃん。だけど、よくこの状況が分かったな」

「うん。優理が黒龍さんに連絡とったからね。シムルグさんも大笑いしてたよ、優理。私だから駆けつけられたけど、あまり無茶するもんじゃないと思う」


 どこから声が聞こえてくるのかと周囲を見渡していたキースヘルム達だが、真琴は家の屋根から、すたっと元幹部達のいる場所へと飛び下りる。続いてルーシーも飛び下りてきた。


「どうせ優理をトップだなんて本当は認めてないんでしょ? ならさ、キースとあなた達、全員倒して私がトップになってあげる。いいよ、全力でかかってきてくれて。優理は力がないから認められないんだろうけど、私に負けたら潔く従順になれるでしょ?」


 身軽な男装に、金の髪をきちんと結い上げ、今日の真琴はとても動きやすい格好だ。しかし同じく男装していたルーシーがそれを制する。


「この程度なら私で十分ですわ、マーコット。・・・本当にお茶目がすぎますこと、ユーリ。心配させないようカイトさんには内緒で参りましたから、マーコットは早めに帰して差し上げてくださいね」

「別にカイトさんも連れてきてくれて良かったのに。あ、だけどカイトさんだと男の人だからそのままボスになっちゃうのかしら。それも困るわ」


 ルーシーに軽くウィンクされ、優理はえへへと笑って誤魔化(ごまか)した。


「あ、そうそう。あのね、優理。優理にもルーシー、とっても可愛いマント作ってくれたんだよ。私が狩りした毛皮でお花模様の赤いマントなんだ。黒龍さんに預けてあるから。みんなお揃いなの」


 そっちの方を話したい真琴は、この場の状況にあまり興味がない。

 兎の毛皮でどんな縁取りをしてもらって、どんな風に花模様にしてくれたのかを楽しそうに話そうとした。


「おい、マーコット。そこでユーリを止めるのがお前の役割ってもんだろ。何がトップになってあげるだ。そもそもお前、こんなことに興味ねえだろが。しかもだ。お前が強ぇのは分かっちゃいるが、そこの綺麗な姉ちゃんにまで負けるような奴らじゃねえ。甘く見んな」


 キースヘルムがそこで割り込む。

 真琴とルーシーを取り囲むように、既に男達は動き始めていた。


「んー、だけどさぁ、私、基本的に優理が何してようが興味ないんだよね。呼ばれたから来ただけ。それにさ」


 真琴はキースヘルムをあどけない表情で見返す。


「ルーシー、綺麗だけど弱いことないよ? ルーシーもカイトと一緒でドモロールの精鋭の人達に勝ってきてたもん。それともこの人達、それよりも強いの?」


 見た目はとても綺麗な金髪と黒髪の美女二人だ。

 だからこそ、ほとんどの男達は取り囲みながら品定めする目つきだったが、キースヘルムの周りにいた十四人の内、真琴と面識のある手下達だけは顔をほころばせている。


「いやいや、マーコットさん。何ならこのまま居ついてくださっていいと思うんですぜ」

「そうそう。妹のユーリさんよか、マーコットさんの方がいい」


 ベルントが話しかければ、ホルガーも同調した。


「そっちの綺麗な姉さんも強いんですかい。そりゃすげえ」

「そうでしょ。ルーシー、強いんだよ。とってもカッコいいの。なんてゆーかな、きゅんってする感じで、うわぁって感じで、なのに繊細だけど力強くて、ほんっきで綺麗なんだ」


 ローマンの賛辞に対し、真琴がとても嬉しそうに自慢する。ルーシーも苦笑してしまった。


「いやはや、そりゃあ眼福ってもんだ。このままこっちにいてくだせえよ」

「全くだ。マーコットさんなら即座に一家を立ち上げられますぜ」


 彼らは真琴に負けまくっていた為、女だからと侮る気持ちは全く持っていない。ただし、真琴に対してのみ。

 さすがに優理は論外だ。


「んー、それは駄目。だってカイト、私が危ないことするの、心配するんだもん。だからキノコ見てくるって言って出てきたの。・・・あ、だからごめんね、優理。屋根の上で様子見してたら、かなり時間が経っちゃったから、そろそろ帰る。今日はガーネットのキャロットケーキがあるんだ。その代わりルーシー、残してったげる。リリアンも必要なら来てくれるって言ってたよ? 今、玄武さんの所にいるけど」

「ちょっと待ってちょうだい、マーコット。あなた、私よりカイトさんの前での猫かぶりとお菓子の方が大事なの?」

「うん」


 真琴はあっさりと頷いた。


「だってカイト、その方が甘やかしてくれるんだもん。優理ってば感謝の気持ちを知らないからぁ」


 これでも真琴は忘れないタイプだ。「お姉ちゃん、ありがとう、大好き」をしてくれなかった優理に対し、ちょっと不満が残っている。


「あ、そうそう。だけど優理に髪の毛一筋でも傷つける人がいたら、ちゃんと私が半殺しにするから安心してよ。・・・じゃあルーシー。頼んでいーい?」

「勿論ですわ、マーコット。あなたがいないと、皆が心配しますからね。カイトさんには現場で監督しているとお伝えくださいな」

「うん」


 ルーシーが一緒なら大丈夫だろうというカイトの信頼をいいことに、ルーシーと真琴は現在、ルート砂漠の聖地における建築作業の見学ということになっているのだ。

 いつだって真琴は皆に可愛がられて安全な所で遊んでいると、カイトは信じている。

 真琴の口裏合わせとアリバイ工作は完璧だった。


「大丈夫ですわ。私がお守りしますから」

「ありがとう。大好き、ルーシー。帰ったら、また狩りに行こ? 今度はルーシー達のマントに使う毛皮、調達するんだ」

「まあ」


 ルーシーの頬にキスすると、ひょいっと真琴は家の屋根まで跳び上がる。その跳躍力に驚いたのは、キースヘルムの元手下達だけではなかった。


「なんや。ほんま凄いやんけ」

「カイネの誇張じゃなかったか」


 ドレイクとフォルナーも思わず感心する。


「あ、そうだ、キース。ルーシー、私の剣のお師匠様だから。ルーシーに勝てたら私にも勝てると思うよ? じゃあね、優理。みんなもさよなら。優理をよろしくね。あ、ルーシー、美人だけど口説かないでね。ルーシーに変なことしたらタダじゃおかないから」


 慌ただしく自分の言いたいことだけ言うと、真琴は屋根から近くにあった枝に跳び移り、更に次々と離れた枝に跳び移って姿を消した。


「なんて跳躍力だ」

「猿か・・・」

「あんな枝と枝の間を・・・」


 そんな言葉が、誰かの口から洩れる。


「えーっと、ルーシー、大丈夫? 一人じゃ大変でしょ?」

「そんなことありませんわ、ユーリ。かえってマーコットがいない方が助かりますの」


 周囲を数十人の男達に囲まれておきながら、ルーシーは微笑む。だが、グンターの目配せにより、ルーシーの背後にいた男が殴りつけようとした。


「ぐぇっ」


 しかし目にも留まらぬ速さで、その殴りがかった男は腹をくの字にして、背後にいた男達を巻き添えにして吹っ飛ばされる。


『フォルナー、見えとったか?』

『分からん。足で蹴ったんだ、よな? 後ろに目なんぞないのに何故分かった。しかもどう跳び上がりやがった』


 いつの間に跳躍したのか、ルーシーは屋根の上に立って彼らを冷たく見下ろしていた。


「ところでユーリ、何人まで殺していいんですの? 私達、マーコットの前では死体を見せないようにしておりますの。ですがもういなくなりましたから制約は外れましたわ」

「ねえ、キース。こういう時はどこまでするの?」

「殺すのは無しだろ、おい」


 普通なら言わないことを、キースヘルムは言う。


(マーコットの剣の師匠だと? 冗談じゃねえ)


 やり合うだけ損だ。負けはもう見えていた。

 しかし、それを体で納得しないと元手下達も素直に従いはしないだろう。


(どうしろってんだ。なんてこった)


 厄介なことを言い出した優理だが、もっと厄介な娘がやってくるとは、キースヘルムも立て直し方が分からない。

 ルーシーは、

「まあ、いいですわ」と、屋根から空いているスペースに飛び下りた。


「かかってらっしゃい。殺しはしないから」


 嫣然(えんぜん)と微笑む姿はあまりにも美しい。少し波打つ黒髪を後ろで一つに括り、男のような格好をしてはいたが、ルーシーの赤く濡れた唇が(なま)めかしく見える。

 同じ黒髪でも優理とは違って、ルーシーには蠱惑的(こわくてき)な雰囲気があった。


「いい女じゃねえか。俺のもんにするにゃあ丁度いい。ま、ちょいと痛い目には遭わせるけどな」


 テオフィルが鞘に入ったままのナイフでルーシーに殴りかかったが、ルーシーがその腕を内側から殴る方が早かった。


「げぇっ」


 腕の骨にヒビが入った感触と、腹を蹴られて家に叩きつけられたショックで、テオフィルが呻く。


「退屈しのぎにもなりませんわね」


 テオフィルの強さを知っている元手下達には緊張が走った。


「四方からかかれっ。女だと油断するなっ」


 アロイスの命令で、ざざっと足音を立てて二十人程がルーシーを取り囲み、そして合図と共に次々とナイフをルーシーめがけて振り下ろそうとする。

 

「ぎゃっ」

「ぐぇっ」

「うっ」

「ぐふぉおっ」


 だが、その場で高く跳躍したルーシーが、両足をそれぞれ違う男達の横顔を蹴りつけ、更に動きが鈍かった男の頭上に着地したかと思うとすぐに蹴りを入れたものだから、次々に彼らは地面に倒れ伏した。脳震盪を起こしたか、誰も立ち上がれない状態だ。


「私に剣を抜かせる程度の男もいないのかしら」


 ルーシーの挑発に、こうなると元手下達も悟らずにはいられない。

 自分達では勝てない相手だと。


「確かにな。あのマーコットとかいう娘にボスが負けたって話は、どうせ女相手にデレデレしてたんだろうよたぁ思ったが、・・・どうやら実力か」

「さあ? 試してみたらどう?」


 誘うような言葉をジルヴェスターに返してみせる。


「いらっしゃい、坊や。あなたの方が年上そうだけどね」


 ルーシーは軽く指先だけで手招いた。ぴくっと誰もが頬を引き攣らせる。


「野郎共っ。卑怯だとか考えるなっ、殺す気でかかれっ!」


 ジルヴェスターの掛け声に、動ける人間はざざっと輪になってルーシーを取り囲む。


『ボス。どうしやすか?』

『何があろうが手ぇ出すんじゃねえ。マーコットの師匠なんざ自殺行為だ』


 自分の周りにいた手下達にそう答え、キースヘルムはルーシーをまっすぐに見ていた。

 真琴とは違い、油断したら自分を食い殺しかねない空気がルーシーにはある。

 美人だからと鼻の下を伸ばせる余裕はなかった。


「うおおおおっ」

「せぇええっ」


 それぞれ別の方向から、鞘から抜いた大きなナイフを振りかざして男達がルーシーに切りかかる。だがルーシーに届く前に彼らの腕から離れたナイフが宙を舞い、地面に凄まじい重みをもって突き刺さった。


「でぇええっ」

「いってええっ」


 腕を押さえて座りこむ男達に頓着することなく、更に別の男達が、

「くそっ」

「行けっ」

と、切りかかり、だが、彼らが反撃される前に他の男達もルーシーめがけて切りかかる。


「ぎゃあっ」

「ぅげえっ」

「ぅおおおっ」


 しかし、ルーシーがあまりにも高く跳ぶばかりか、男達の頭を蹴りつけることで更に跳躍を重ね、しかも頭を蹴りつけられた男はいきなり脳震盪を起こして倒れ込むものだから、その場は混乱状態に陥った。

 次々と男達をその足の蹴りだけで処理していくルーシーの動きは美しい。空中で舞っているかのようだ。


『あのさぁ、ユーリちゃん。ちょおっと強力すぎる助っ人じゃないかと思うんだがよ?』

『あら。私が呼んだのはマーコットだけよ? だけどルーシーってば素敵』

『素敵とかじゃなくてよ、・・・あいつら、誰が運ぶんだ?』

『キースがするんじゃない?』


 結局、自分達姉妹だけで終わらなかったなぁと思う優理は、投げやりにカイネへ適当なことを言ってみた。

 先だっての優理と元幹部達との話し合いが決裂した後、キースヘルムの元幹部達はその足でドレイクの事務所に押し掛けたらしい。

 そこで先に事務所へ戻っていたロドゲスが、言い方が悪かっただけで優理の提案は合理的なものなのだと説明し、更に戻ってきたドレイクやレイス達の話を聞いて、彼らは帰っていった。

 そうして元幹部達は、自分達の事務所に戻り、フレドルクを呼んで優理の話を聞き出し、翌日も喧々諤々(けんけんがくがく)と言い争う羽目になっていたとか。

 そうして更に翌日、彼らは暫定的に優理を新しいトップだと認めることを知らせてきたのである。


(だけど結局、ああいう人達って力で押さえつけられないと駄目なのよね。だから真琴でいいかと思ったんだけど、真琴ってば頼りなさすぎるのよ)


 姉妹だというのに、真琴は薄情すぎる。まさか自分よりもカイトに対する猫かぶりの方が優先事項だなんて、あまりにも何かが間違っていないだろうか。

 一人で頑張っている姉妹が心配にならないのだろうか。

 優理は恨まずにいられなかった。

 あれは、・・・そう、アレだ。彼氏ができるとそれまでの付き合いとかをないがしろにして男にのめりこみ、全ての友人をなくしてしまうという、とても迷惑ガール。


『すげぇな、カイネ。あいつらのケツ蹴っ飛ばして、あそこまで宙を舞わせるんだからよ』

『そうなんだが、本気で同情するね。ありゃあしばらく椅子には座れんぜ』


 感心しているロドゲスに、カイネは顎でクイッと地面に転がっている男達を示した。彼らはどれだけ尻が腫れあがっていることか。

 こうなったらルーシーを疲れさせるしかないと思ったか、誰もが休みなくかかっていっている。だが、彼女は次々とそれらを地面に沈めていた。


「何だかなぁ。ここまで実力の差を見せつけられちゃあな」

と、グンターが苦笑し、

「女の格好をした男じゃねえだろうな」

と、アロイスも憎まれ口を叩く。そんな二人の顔には一種の諦観が漂っていた。

 ゲルトは、

「ま、それでもな」

と、持っていたナイフを鞘から抜き、

「おうよ。俺達だけ無傷じゃ誰もついてきやしねえ」

と、ジルヴェスターは獲物を持たずに構える。


「女だと思って侮ったことは謝罪しよう。だが、ここで退くわけにもいかん」


 グンターが言い終わるや否やルーシーの顔をめがけて拳を突き出し、アロイスもまた隠し持っていたナイフをルーシーの腹部を切り裂くべく腕をはらった。

 ゲルトとジルヴェスターも二人の様子を見ながら挟みこむようにして攻撃を仕掛け、ルーシーはそれを避けようとしたら誰かの攻撃が当たるといった状況に置かれる。

 それまでと同じように。


「つまり、男は馬鹿だってことなのね」


 優理は、残った元幹部ら四人がルーシーに襲い掛かるのを見ながらそう結論付けた。


「なんでだ、ユーリちゃん? 負けると分かっててやるからか?」

「ええ。フォルナーさんはそう思わないの? 負けるならやるだけ無駄だわ。それぐらいなら降参して体力を温存しておいた方がいい。そうでしょう?」

「そうだなぁ。だが、そこで自分だけ無傷ですませるような男に、男はついていかねえってもんだ」

「だから男は馬鹿なのよね」

「・・・どこまでもそれを言いたかったんだな」


 後はもう遊びと決めたのか、ルーシーはからかうかのように四人の攻撃を避けるだけにしている。思いっきり打ちかかっていく男達が間抜けに思える程に、ルーシーの華麗な動きが際立っていた。

 その動きは誰よりも激しい筈なのに、どんどんと男達だけが疲れていく。

 いつしか元手下達も地面に座りこむようにして、それを感嘆しながら食い入るように見ていた。


『すげえ』

『ああ。なんて強さだ』

『しかも(はえ)ぇ』


 キースヘルム達も、そしてドレイク達も近寄ってそれを見ずにはいられない。

 やがて元幹部達が疲れきって地面に座りこめば、ルーシーは冷たく言い放った。


「他にも仲間はいるんでしょう? 全員、ちゃんと相手してあげるわ。その上で叩き潰さなくちゃね」


 立ち上がるのも億劫な状態で、アロイスが、

「おいおい。俺達のアタマになろうってのに叩き潰すってのぁどういうことだよ」

と、苦く笑ってみせた。


「ユーリの話ではそうなりますね。ですが、マーコットはユーリが危険になることは避けたいと思っていますの。だからここで壊滅させておくのですわ。玩具(おもちゃ)がなくなれば、ユーリもおとなしく安全なもので遊ぶでしょうから」

「はいーっ!? ・・・ちょっと待ってよ、ルーシーッ。何それっ、ひどいわっ。私よりマーコットの方を優先するわけっ!?」


 ルーシーに駆け寄ろうとした優理だったが、その両脇をフォルナーとカイネによって固められていた為、それができずに叫ぶ。


「まあ。怒らないでくださいな、ユーリ。だって話は聞いておりましたけど、そこにいる元のボスとやらにしても、こっちの男達にしても全く信用なんてできないでしょう? もしもあなたが危険な目に遭ったりしたら大変です。怪我してから半殺しにするのではなく、先に半殺しにして怪我をしないように手を打つのって当たり前じゃありませんの」


 ルーシーはにっこりと微笑んだ。


「既にマーコットは調べに行かせましたわ。彼らの稼ぐ手段も何もかも。早晩、彼らは金もなく街をうろつくだけの存在になり果てるでしょう。そうすればあなたも、安全な人達だけに囲まれて暮らせますわね、ユーリ」

「ひどいーっ。どうして私の意見よりマーコットを優先するわけっ?」


 がぁんと、優理はショックを受けてしまった。

 なんということだろう。風の妖精(シルフ)達まで自分に訊かず、真琴の指示に従ったというのか。


「マーコットの頼みで、しかもあなたの安全に係わることでしたもの」

「ひ、ひどい・・・。どうしてマーコットばかりが何も努力しないくせして、軽くおねだりしては全てを思いのままにしていくのよ。間違ってる、何かが間違ってるわ。冗談じゃないわよ」


 末っ子特権をあそこまで享受する存在がいるだなんて、許されるのか。

 まさに優理はそれを糾弾したい。

 くすっと笑って、ルーシーが右手をひらりと軽く振ってみせる。


「しょうがありませんわ、ユーリ。マーコットの頼みは誰もが聞いてしまうことぐらいお分かりでしょう?」

「カイトさんやルーシー達が甘やかしすぎなのよっ。何でもかんでも聞いてあげてたら、ダメ人間にしかならないんだからっ」


 びしっと優理はそれを指摘した。


「ですが、ユーリ。私達がおねだりを聞かないとしても、マーコットが頼めば聞いてくれる代わりの人材なんて掃いて捨てる程いるではありませんの」

「何それ。まさか・・・」

「カイトさんに内緒だから私でしたけど、そうでなければ私より好戦的で、更にマーコットにいい所を見せたい男達が何人もここへやって来たことでしょう」


 ふぅっと、ルーシーは軽く両肩を竦めてみせた。そのついでに左手と右手を軽く振り払うように動かしたが、まさに素早すぎる。


「先程、あなたがおっしゃった通りですわ、ユーリ。マーコットがおねだりできる相手なんて、どの大陸にも散らばっていますもの。急いでいたから私をここに置いていきましたが、もし時間があればマーコットは彼ら全員を捕縛させてそのまま処刑させる手も打てたんですのよ?」

「・・・そこまでこの国に人脈があると思えないけど。あの子があるの、他の国々でしょ?」

「すぐに作れますわ、マーコットなら。必要と判断したら、マーコットは一直線ですもの」


 この国の王弟ラルースと真琴は既に顔見知りだ。その伝手(つて)を使えば、国王だって動かせる。


「そうかもね。だけどその過激さと、急いで帰った理由がカイトさんと一緒のおやつだなんて、すっごくバランス悪くない?」

「それがマーコットでしょう?」

「・・・そうだった」


 真琴は他人の評価を全く気にしない。気にするのは自分が好きな人のことだけだ。

 だけど優理は気にすることもある。だからこうしてルーシーと話している間に彼らが逃げてくれないかと思っていたのに。


「さっきからルーシー、何か投げてたわね。額に血が滲んでるわ、みんな」


 その意味を優理は確認しようとした。


「ええ。目印は大事ですから。言ったでしょう、ユーリ。あなたに敵意を向ける存在は叩きのめしておかねばなりません。それがマーコットの愛ですわ」

「・・・愛。なんて手抜きで人任せな愛」


 あまりにも小さなそれが何だったのか分からない。けれどもルーシーが手を動かす度に、元手下達の額に傷がつけられていたのはたしかだ。

 

「ちょっと待てっ。そこのルーシ・・・ぐぇっ!」

「どぇっ」


 キースヘルムがそこで割って入ろうとしたが、ルーシーの名前を呼び終える前に、そこにいた男を顔面に投げつけられる。


「お前如きに名前を名乗った覚えはありません」


 ドレイク以下、誰もが沈黙せずにはいられない膂力(りょりょく)だった。

 まさか人間をぶつけられるとは思っていなかったキースヘルムは思いっきり転倒したが、すぐに上に覆いかぶさってきた元手下を横にどかして立ち上がり、ルーシーに向き直る。


「分かった。俺は、キースヘルムだ。名前を頂戴してもいいか?」

「断りますわ。呼ばれるのは迷惑ですもの」


 ルーシーは素っ気なく答えた。何となくヴィゴラスという前例があったので察していたキースヘルムは、そうかと受け入れる。

 世の中には礼儀知らずが溢れている。それだけのことだ。


「分かった。そこのお嬢さん。いや、お嬢さんというのはいささか語弊があるが、似たり寄ったりの年でも、そっちがやや年下っぽいからそういうことにしておいてくれ。ここで提案がある。どうかそいつらを見逃してやってほしい。ユーリへの安全と言うのなら俺が責任を持って彼らを抑え込み、決して傷などつけさせないと約束する」

「それはあなたが彼らのトップに返り咲くということですの?」

「その通りだが?」


 まさに信頼できる男といった風情で、キースヘルムは鷹揚に頷いてみせた。


「マーコットから聞いていますわ。ユーリと駆け落ちすると嘘をついて、連れ攫おうとしていたんですってね」

「・・・うっ」

「ですからお断りします。そんな犯罪者に使える手下達をくれてやる必要性を見出せません」


 軽くルーシーが手を振る。すると、キースヘルムの周囲にいた手下達にもその額に傷がつけられる。ただし、先程、真琴に対して好意的な反応をしていた三人だけはそれを免れていた。


「本気でお前さん、マーコットだけが大事なんだな」


 振り返ってそれを確かめ、キースヘルムは疲れた声になる。ルーシーは何も言わなかった。


「分かった。どうせ俺でもお前さんには勝てねえ。だからお嬢さん、あんたを俺達のトップとして迎えよう。だから壊滅だけはさせないでくれ。俺らにとってもそれなりに苦労して作り上げてきた。あんたにゃ(うす)(ぎたね)ぇもんにしか見えなくてもよ」


 キースヘルムは潔くルーシーに負けを認めて跪く。


「生憎と私、けりがついたら戻らなくちゃいけませんの。手下なんて不要ですわ」

「ならば本当にユーリを俺達のトップとして迎えよう。それならば文句はねえ筈だ。元幹部達(あいつら)のトップに据えたとかいう口先だけの寝言と違って、俺らにはちゃんとそういった儀式だってある。それを済ませちまえば、ユーリは(だれ)(はばか)ることなく俺らの上に立てる」

「そしてユーリを追い落とせばいいだけですわね?」


 くすっとルーシーは笑った。


「それはしないと、・・・少なくとも誰かがユーリに対して何かやらかしたら他の奴らがこぞって犯人を捜し出し、そいつを殺すと約束しよう。おい、ジルヴェスター、グンター、アロイス、ゲルト、テオフィル、誓えっ。このまま犬死にしていくより、ユーリを選んだ方がマシだっ」


 キースヘルムは、元幹部達にそう怒鳴った。

 まずはアロイスがルーシーの前に出る。


「ここまでの強さを見せつけられた以上、あんたがボスでいい。だが、あそこのユーリお嬢さんをというのが希望なら、それを受け入れよう。もしもユーリお嬢さんに何かあれば、犯人を捜し出し、きっちりと落とし前はつける。約束させていただく」


 片膝をついてルーシーを見上げるアロイスの瞳には、どこか憧憬のようなものが浮かんでいた。

 よろけながら、ヒビの入った腕をもう片方の手で支えるようにしてテオフィルもルーシーの前に出る。


「あんたこそがボスに相応しい。だが、あのお嬢ちゃんを戴いている限り、あんたとは切れぬ縁があるんだろう。ならば受け入れる。あのお嬢ちゃんを俺達のボスに」


 グンターも、

「同じく俺も誓おう」

と、ルーシーの前で頭を垂れ、

「仕方ない。ならばあのお嬢さんを俺も守ろう」

と、ジルヴェスターもそれに倣う。


「命乞いするかのようでみっともねえが、仕方ねえ。あのお嬢さんは生意気だが、ドレイクさんやボスが気に入るだけのもんはあるんだろうよ。喜んでボスに迎えさせていただく」


 最後にゲルトが、そうルーシーの前で膝をついた。


「仕方ありませんわね。元々、ユーリも欲しがっていたようですし。いいでしょう。ですが、何かあったらその命で責任は取ってもらいます」


 所詮、優理の希望にもルーシーは弱い。

 そしてルーシーは優理に優しく笑いかける。


「だそうですよ、ユーリ。では、ボスとして最初のお仕事をした方がいいですわ」

「最初のお仕事?」


 優理は首を傾げた。


「ええ。まずは被害状況のチェックと立て直しでしょうか。今頃、彼らのアジトはかなりの被害を受けている筈ですから」

「はいーっ!?」


 優理に凝視され、くすくすと笑いながらルーシーは説明する。


「あれでマーコットは戦を生業としてきたお父様の教えを受けた方ですのよ、ユーリ。時間を無駄になんてしません。打てる手は打っているに決まってますでしょう? おやつの時間に間に合わせる為にここから立ち去りましたけど、それを指示する時間はありましたもの」

「まさか・・・」

「口先だけのボスだなんていう男達、どう考えても危険でしょう? しかも、あなたを倒せばトップに成り代われるとキースヘルム(そこのおとこ)が口にした時点で、全て燃やし尽くすように命じていましたわ」


 寡黙で働き者な橙色の山椒魚(サラマンダー)は、小さくなって風の妖精(シルフ)に運んでもらうことができるのだ。


「キースッ、すぐ向かうのよっ。マーコット、後のことなんて考えないんだからっ」

「てめえらっ、すぐ行けっ! マーコットは非常識の塊だっ!!」


 キースヘルムは手下達に強い語調で命令した。


「いや、ボス。ですがうちのアジトにゃ、そうそう入りこめませんぜ」

「そうですぜ。かなり頑丈な上、出入り口のチェックも厳しい」

「関係ねえっ! マーコットにゃどんな警戒も無駄だっ!」


 どんなに強くてもあの中に入りこめるかどうかは話が別だと、手下達がキースヘルムを落ち着かせようとそれを言い募る。

 しかし、キースヘルムは聞く耳を持たない。

 優理は近くにいたドレイク達にも頼み込んだ。


「お願いっ、ドレイクッ。マーコットがそんなこと決めたら遠慮なくやってるに決まってるじゃないのぉっ。協力してぇっ」

「あー。カイネ、頼むわ」


 どうも真剣さがない返事だ。何故ならドレイクにはそれがあまり想像できなかったからである。身軽だったが、真琴は綺麗な女性でしかなかった。


「おう。・・・そうだった。マーコットちゃんが出てきた時点で、何もしねえわけがねえ。そしてあの子は平気で嘘ついて出かけて、何かやらかすんだよ」


 かなりげんなりした顔になったカイネだが、そこで気を取り直す。


「あんたらっ。マーコットちゃんは容赦ねえっ。ユーリちゃんを連れてけっ。何が動いているにせよ、ユーリちゃんだけは傷つけないよう命じてる筈だっ」


 いつもの飄々とした態度が嘘のように、キースヘルム達に向かって(げき)を飛ばした。


「ユーリッ、来いっ」

「きゃあっ」

「ユーリ、気をつけてくださいね。大丈夫ですわ、あなたが行けば火も止まるでしょう」

「ルーシーの馬鹿ぁっ、裏切り者ぉーっ」


 キースヘルムが優理を小脇に抱えて馬に飛び乗れば、にこにことしてルーシーが手を振る。


(真琴。あなたってば、あなたってば・・・)


 キースヘルムの元手下達も、誰もが慌てて少し離れた場所に隠してあった馬の所へ駆けていった。

 駆け出した馬の振動に舌を噛みそうになりながら林を出れば、向かう先には見事な黒煙が立ち上っている。

 恐らくは真琴といる火の妖精(サラマンダー)風の妖精(シルフ)の仕業だろう。

 晴れて彼らのボスになったのはいいが、(しょ)(ぱな)から見事な恨みを買ったことを、優理は知った。




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