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142 真琴は男性の正装を見た



 リンレイ城は、かなりの騒ぎが起きていた。

 というのも、どこぞへ出かけていた王弟ラルースが戻ってきたのはいいが、どう見ても庶民の、どこの馬の骨とも知れぬ輩を伴っていたからだ。

 そればかりか、勝手にリンレイ城近くの塔に閉じ込めておいたキマリー国のミンザイル伯爵家令息エミリールを解放して賓客として扱うよう、皆に徹底して命じてきたからである。

 しかも国王ブラージュがリンレイ城へ向かっているというのだ。


「これはどういうことですか、母上。よりによってキマリー国第二王子の供をしてきた伯爵家の人間を牢に放りこみ、侮辱的な扱いをなさったとは・・・! こんなことがキマリー国王のお耳に入ったらどうなることかっ」

「・・・私はあずかり知らぬことだわ、ラルース。この母がそのようなことを指示する筈もないでしょう。誰か、勝手にやったのではないかしら」

「母上っ」


 末息子に問い詰められたミネルタは、あくまで知らぬ存ぜぬを決めこんだ。

 何故ならばもうすぐ、息子であるギバティ国王ブラージュがやってくるからだ。もしも自分がやったことがブラージュに知られたら、さすがに叱られるどころではすまない。

 蟄居幽閉なんてとんでもないことではないか。


「ああ、もううるさいことはやめてちょうだい、ラルース。たしかに私はその伯爵家の息子とやらに会ったわ。けれどもキマリー国の王子がやってきたらお返しするつもりで、それまで丁重にお過ごしいただくように指示はしてあったのよ。きっと誰か、勝手なことをしたのでしょうね。ちゃんと調べさせて、その者には罰を与えましょう。それでいいわね?」

「・・・・・・母上。罰がどうこうではないのです。既に戦になるかもしれないことはお分かりですか」

「何を言ってるの、ラルース。だって私は丁重におもてなしするように命じていたのよ? ああ、だけどそんなひどいことを勝手にしていた者達にはそれに相応しい罰を与えなくてはね。処刑してキマリー国に送ればいいかしら」

「母上・・・」


 ラルースは、自分の言葉が上滑りしていくことに唇を噛む。

 結局、それは誰かが責任を取らされるだけのことだ。ミネルタの代わりに。

 同時にそれが分かっているからこそ、貴族や役人達も自分達に責任が及ばないようにと考える。つまり、ラルースの弱みを握った上で、それと引き換えの沈黙だ。

 だから、自分達に全ての責任が押しつけられると理解した貴族や役人達は、すぐに塔へ人をやった。

 何故ならば、禁制品が塔にあった筈がないからだ。

 それこそラルースが持ち込んだに違いない。ならばその証拠を掴まなくては。

 だが、検分を行いに塔へ向かった役人達は、現地を見て青ざめた表情となった。


『昨日まではちゃんと存在していた塔が・・・っ』

『いや、今朝までもちゃんとあった筈だっ』

『火災かっ? だが、この泥の積もり具合はどういうことだっ』

『こんなことがどうやったら・・・』


 そうして彼らは慌てふためいてリンレイ城へ戻り、ミネルタとラルースが言い争っている広間までやってくる。


「失礼いたしますっ、お妃様、ラルース様」

「何ですか、騒々しい。返事も聞かずに入ってくるとはどういうことなの」

「も、申し訳ございませんっ。ですがっ、・・・大変でございますっ」

「大変な事態が発生いたしましたっ」


 王太后ミネルタに言葉を返しながらも、彼らの瞳はラルースだけに向けられていて、我先にと口を開く。


「殿下っ、あれは一体何事がございましたかっ」

「あの塔の崩れ具合、何をなさいましたっ?」

「塔から戻られる時にはまだちゃんと塔は在ったとのこと。どうやってあれ程に塔を破壊できたのですっ?」

「・・・は? 何のことだ。意味が分からぬ」


 ラルースは彼らが口にする意味を把握しかねて戸惑った。


「塔でございますっ。どうやってあの塔をお壊しになられましたっ。いくら証拠を隠すにも程がございましょうっ」

「そうでございますっ。あの塔は城に置いてはおけない囚人を収容する為の塔。気まぐれになんてことをなさいますっ」

「たとえ殿下とて、ここは国王陛下の城の一つにございます。塔も然り。勝手に壊すとは、許されることではございません」

「・・・いきなり人に向かって濡れ衣をかけるとはどういうことか。何があった。まずは報告せよ」


 ラルースが役人達を睨みつければ、そこで役人達もハッと気づいたらしい。

 口々に、

「申し訳ございません」

「失礼をお許しくださいませ」

などと謝罪しながら、塔の現状を報告する。

 だが、ラルースは信じなかった。


「馬鹿馬鹿しい。言うに事欠いて何てことを。いくら人の住むような場所ではなくても、あれは石造りの塔。今朝まで現存してあったものがいきなり全て崩れ去っていることはあり得ぬ。何を寝ぼけておるのか」

「本当でございますっ」

「どうかお信じくださいませっ」

「いい加減にするがいいっ。他国の王族貴族への非礼ばかりか、どこまで寝ぼけたことを言い出せば気がすむのだっ。・・・ええいっ、他の奴を行かせろっ。まともな報告もできんのかっ」


 だが、ラルースが行かせた騎士や兵士達も、同じように真っ青な顔になって戻ってきたものだから、仕方なくラルースも塔まで出向く。

 そうして呆然として呟いた。


「何だ、これは・・・」

「ですから、あまりにもこれは・・・」


 リンレイ城からほど近いすぐ裏の山中である。

 馬車に乗ったミネルタも同行したのだが、馬車から降りてその塔を見れば、こんなことが可能かと首を傾げざるを得ない壊れっぷりだった。


「何としたこと。通常、石造りの塔が簡単に壊れる筈もないのに。・・・ラルース、あなたはここで禁制品の武器を見つけたという話だったけれど、本当にそうなの? まさか、自分が捏造したそれを発覚させまいと、塔を一つ壊させたのではないの?」

「何を仰います、母上っ」


 ミネルタはぱらりと扇を顔の前で優雅に閉じる。


「言い訳は許しません、ラルース。本当にあなたは悪戯がすぎるのね。少しは大人になりなさい。謹慎を命じます」

「母上っ」

「どうせもうすぐブラージュが来るわ。それまで城で大人しくしていらっしゃい。いいわね?」


 塔が壊れた理由など分からないが、それをラルースのせいにすれば自分のやったことも口止めできる。

 そんな思惑により、ミネルタが騎士達に命じる。


「ラルースを部屋へ連れていきなさい。しばらく謹慎していれば頭も冷えるでしょう」

「母上っ、それでごまかすおつもりですかっ」

「安心なさいな、ラルース。ちゃんとキマリー国の伯爵家の息子は丁重に扱っておくわ。当たり前じゃないの。私は最初からご身分に相応しいおもてなしをするように命じてあったんですもの」


 そこでキースヘルム達の話が全く出てこなかったのは、ミネルタにとってそんな庶民など意味のない存在だからだ。

 さすがに塔を一つ壊したとなると、騎士達もラルース王子は乱心したとみなす。

 ラルースは、

「放せっ、放さないかっ」

と、喚いていたが、騎士達に囲まれてリンレイ城にある彼の自室へと連れていかれてしまった。






 王太后ミネルタは、常に人の称賛を浴びて生きてきた先の王妃だ。華やかなことを好み、優雅な仕草と耳に心地よい言葉に囲まれて生きることを己に課していた。

 何故ならばそれこそが世界で一番尊い女性としての在り方だからである。


(そうだわ。舞踏会を開きましょう。それにあのキマリー伯爵の息子を招待すればいいのよ。そうしたら全てはなかったことになるわね)


 自分のような高貴な女性が、たかが外国の貴族子弟なんぞに謝罪するなどとあってはならない。だが、このまま放置しておけばどうなることか。

 エミリールは助け出してくれたラルースに対して好意的という話だった。ならば話は通じる。

 これで怒りまくって主人たる第二王子ウルティードを焚きつけて戦にしようとするようなタイプだったら厄介だっただろう。しかし理性的な人間というのは往々にして譲ってくるものだ。

 ならば、さすがに蟄居幽閉はないだろう。しかし、こんなことが知られてしまえば・・・。


(ブラージュは容赦なく私の使える予算を削ってきかねないもの。民の手本となるのが王族だとか、そんなことを言って)


 冗談ではない。この自分に欲しいドレスも宝石も諦めて、隠居生活を送れというのか。

 そういうわけで、ミネルタは舞踏会に招待することでエミリールと親しく会話を交わし、お互いの間にあった不幸な一連の事実をなかったことにしようと考えついた。

 誰しも舞踏会に招かれ、それに参加しておいて、相手の非礼を後から言うのはやりにくいものだ。そして立場上、舞踏会に招かれて欠席するような失礼を、貴族の人間がする筈もない。


(だけどこの私があんな若僧と踊るだなんて恥でしかないわね。しかも皆が見ている筈。この私がまるでブラージュを恐れて、たかが外国の貴族如きに膝を屈したように見られるのも受け入れられないわ)


 エミリールに口止めしないわけにはいかない。となると、やはり一緒に踊ることで周囲に会話を聞かれることもなく口止めというのが最善の選択なのだ。

 けれどもリンレイ城の中には、初めてミネルタがエミリールと顔を合わせた時のことを覚えている者も多いだろう。

 あれだけミネルタが誇り高く振る舞っておいて、後で屈したと思われるのも不愉快だ。

 

(困ったわ。ラルースを使おうと思ったのに、あの子ったらこの母の言うことを全く聞かなくなっているんだから)


 ラルースとエミリールの間にはそれなりの良好な関係が築かれたようだと知り、ラルースにうまく取り持たせようとしたら、肝心のラルースがミネルタを責めてくるのだからどうしようもない。

 だが、そこでミネルタはハッと気づく。そうしてテーブルの上にあった呼び鈴をチリンチリンと鳴らした。


「はい。何をお持ちいたしましょうか、ミネルタ様?」


 すぐに侍女が現れて、何の飲み物を持ってくるべきかと尋ねる。


「違うわ。仮面舞踏会を開くのよ。そう伝えてきてちょうだい。勿論、あのキマリー伯爵の息子も招くのよ? ラルースも出席します。ああ、我が国が恥をかかぬようなものをね。なんと言ってもこの私が開くのですもの」

「かしこまりました。すぐにお伝えして参ります」

「そうしてちょうだい」


 このリンレイ城で舞踏会はよく行われていた。


(仮面舞踏会なら、相手の素性をどうこうするのは野暮だもの。ならば相手を知らずに私があの伯爵の息子と踊るということがあっても仕方ないことよ。そしてその際、もうあのことは口にしないと約束させればいいだけだわ)


 ミネルタが口にして、それを断るだなどということがあってはならない。

 あちらも一国の王太后から、こうしてほしいのだと直接言われれば、「はい」としか言えないだろう。

 厳然たる身分の差がそこにはあるのだから。

 ミネルタは、機嫌良く微笑む。


「ところでミネルタ様、いつ頃をお考えだとお伝えしてくればよろしゅうございましょうか?」

「そうね。なるべく早く。ブラージュがやってくる前にすませておきたいの」

「かしこまりました」


 貴族出身の侍女だからこそ、その言葉の意味をすぐに理解した。彼女は慌てて女官長や役人達の所へと出向いていく。

 今回の趣旨はキマリー国の伯爵家子息の扱いが絡む以上、いつもの舞踏会とは少し意味合いが違ってくると、女官長や役人達もそこは察した。


「まあ。そういうことならば女性らしく華やかなものにしなくてはなりませんわね」


 リンレイ城の奥向きを預かる女官長は、仮面舞踏会でも自国の権威を見せつけるものにしなくてはと、途端に考えを巡らせ始める。


「なるほど。そういうことであればミネルタ様を最上席に、そしてキマリーの意気を挫かねば・・・」


 役人達もまた礼を失せず、それでいて相手に威圧感を与える配置を考え始めた。


「仮面舞踏会? 母上はそのような姑息な手で誤魔化されるおつもりか」


 遅れてその話を伝えられたラルースは、とても深い溜め息をつかずにはいられない。

 困った親が権力を持つ時、子の気苦労は増加する一方だ。


(だが、母上のしたことはまずすぎるとはいえ、これで大事にしてしまえば、他国に我が国がどこまで侮られることか。この際、エミリール殿には謝罪してその胸一つに収めてもらい、母上のことは兄上にお灸をすえてもらうのが一番か)


 王弟としては国益上、やはりそう考えずにはいられないわけで、結局、自分が強硬手段をとれないことを見越してミネルタはそう仕向けてきているのだろうと、ラルースは天井を見上げた。


(だが、母上にはきちんとどこかで反省してもらわねば、いずれ隠しようのない何かをしてしまうこともあり得る。どうにか痛い目に遭わせられはしないものか)


 けれどもこの城で今、一番高貴なる身分を所有しているのはやはりミネルタなのである。その次がラルースだ。

 勿論、ここに兄王であるブラージュが到着すれば、ミネルタよりもブラージュの方が尊いことにはなるのだが。


(兄上が到着するよりも前にやろうとしているところが母上だな。だが、これはどうしようもない)


 けれどもそこで、ラルースの脳裏に閃く顔があった。


「正式な封筒と便箋を用意せよ。エミリール殿への招待状は私が書こう」

「かしこまりました」


 自室に謹慎中でも、仕事がないわけではない。ラルースの部屋には色々な役人や身の回りの世話をする者達が出入りしている。

 

(ディー殿に来てさえいただければ、格式としては一国の王。母上とて同格に扱わねばならぬ相手だ。多少の嫌がらせにはなるに違いない)


 問題はディッパがそれなりの衣装を持参しているかどうかだが、持っていないようならば自分の衣装を貸し出せばいい。どうせ仮面舞踏会なのだから。

 招待状など多少増えたところで支障はないと、ラルースは早速取り掛かり始めた。






 宿屋で招待状を受け取ったディッパとニッカスは、困惑した表情でテーブルに置いたそれを見下ろしていた。

 同じテーブルでは、カイネがカードをめくりながらヴィゴラスにその説明をしている。


「なんともなぁ・・・。どうしたものかな」

「なんで同じ物が三つもあるの、ディー? だけど名前が違うよ? こっちは王様の名前になってるけど、もう一つは知らない貴族の名前になってる。もう一つは名前、書かれてない」


 意味が分からなくて真琴が尋ねれば、そういうことに全く不慣れなカイネとヴィゴラスも横からそれを覗きこむ。


「なんか高そうな封筒っすね。封蝋に使われている蝋もいい香りしてるし、やっぱ庶民たぁ違いますねぇ」

「そうだな。隅に描かれた紋様、その色は鉱石を砕いて出しているのだろう」


 だからディッパは丁寧に説明した。


「蝋は、ギバティではそれぞれ差出人によって違う色を使っていた筈だ。緑色だからラルース殿だろうな、やはり。ミネルタ様ならもっと女性らしい色だろう。

 ヴィゴラもなかなか目の付け所が良い。角度によって反射する具合が変わるそれは、たしかに鉱石をすり潰したものだろう。よく知ってるな」

「当然だ」


 偉そうに胸を張るヴィゴラスだが、元々彼らは鉱石についてのスペシャリスト幻獣である。ただし、やることは愛でるだけだが。


「つまりだな、マーコット。門を通過する際にまず招待状が必要になるだろう? そこで門番に見せる招待状は、この適当な貴族の名前が書かれた招待状で通過すればいい。そして次に舞踏会会場への入り口だ。ここで入場する順番というものがあるのだが、本来の俺の正式な身分を書いた招待状を渡すわけだ。そうすると俺はこれでも国王だからそれなりに勿体ぶった登場となる」

「なら、最初から門番の所でもそれを使えばいいだけじゃないの?」


 真琴が首を傾げる。

 どうしてそんな変なことをするのだろう?


「そうなると他国の王がやってきたという連絡が、すぐ門番から城内に届いてしまう。つまり、あちらが即座に対応する時間の余裕を与えてしまうということさ。舞踏会が始まる前には、歓談できる時間と場所があるからな。その間にあちらも用意を整えてしまう。だから門を通過する時は適当な貴族の名前で通過するんだ」

「へー」

「で、入場前になってそれを差し出せば、あちらも王族の席などせいぜい自国の分しか用意していないだろう? だからそれを譲るかどうかしなくてはならない。

 ラルース殿は、恐らくそれを狙ったのだろう。どうせ王宮ではないのだから、ここでちょこっと俺を使ってミネルタ様を窘めておこうと、そんな思惑だろうな。

 まあ、そんな大人げないことに関与せず、最初から本来の招待状を使ってもかまわんのだが、さてどうするか」

「ふぅん。じゃあ、この名前が書かれてないのは?」

「マーコットの分だ。俺の同行者ということにすればいいだけだが、一国の王が伴う以上、その素性を問われてしまうのは避けられない。なら別に適当な名前を書いて参加するならどうぞと、そういうことだ。このメモによると、この招待状とこの紙を持ってこの地図にある店に行けばマーコットのドレスを仕立ててくれるとある。それなら支払いもラルース殿だろう」


 真琴はひらひらとその招待状と、ラルースの支払いで服を仕立ててほしいと書かれている紙を()めつ(すが)めつして検分してみる。


「なんかラースってば結構面倒見いい?」

「舞踏会というのはどうしてもそこらで売られているドレスというわけにはいかんからな。いいんじゃないか? 別にラルース殿の懐に響きはせんだろう。行くかどうかはともかく、ドレスぐらいもらったところで」

「うーん。だけどドレスは持ってるんだよね、私。ちゃんと私に似合うって言ってくれたし、それでいいかな。見立ててくれた人、とってもセンスいいんだ」

「そうなのか? まあ店に行って、見本を見せてもらってから考えてもいいだろう」


 小瓶の中でじーんと感動している妖精がいるとは思いもせず、ディッパはせっかく無料なのだからと、再度勧める。

 そこで真琴は、そのドレスを作るのが自分だけという前提に気づいた。


「だけどディー、舞踏会ってそれなりの格好なんでしょ? ディーは服、持ってきてるの?」

「一応な。何かあった時の為に正装は常に持ってる、ニッカスが。・・・ラルース殿は少し早めに来てくれれば自分の服を貸すと、そんなつもりだったようだが」


 常に流行を追い続けるドレスと違い、男の正装はスタンダードから外れない。ならば自分のものを貸した方がいいと、ラルースは判断したのだ。

 勿論、真琴の為に書かれていた店でも紳士服を仕立ててはくれる。そこは超特急で仕立てることを得意とする店なのだ。


「そうなんだ。だけど仮面舞踏会ってあるよ?」

「仮面なんてのはそこらに売られている物で十分なのさ。どうせ隠したところで、誰が誰かだなんてみんな分かってる。招待状のリストもしっかり作られているからな」


 そのリストからさりげなく名前を抜かされているであろう国王は、ぬけぬけと言いきった。


「じゃあ仮面の意味なさそうだね。ディーの正装って見てみたい。どんなの?」

「ん? 興味あるのか? なら見せてあげよう。ただ自国ではないから純白のシルクしか持ってきとらんのだがな。今度はパッパルート王宮まで来るといい。持ち運びを考えたくないような正装がある」

「そうなの?」


 砂漠の国の王宮で見た格好は、かなり涼しげなものが多かったと、真琴は思い返す。


「ああ。きっとアレを考えた奴は国王にかなりの恨みがあったんだろう。豪華さだけは圧倒的だが、重さと飾りの多さと着付けにかかる時間もダントツだ」

「それも凄いねぇ。だけど恨みは無くても、好きな人に無駄に重い宝石ばっかりじゃらじゃらつけさせる人もいるんだよ?」

「宝石が愛情表現なのか。問題はそれを相手が喜ぶかどうかだな」

「そうだね。どうなんだろう」


 そのままてくてくとディッパの部屋までついていく真琴は、優理と違った意味で好奇心が旺盛だ。


「なあ、ヴィゴラ。マーコットちゃん、行っちまったけどついてかなくていいのか?」

「別に問題ない。あの男はマーコットに害意を持たん。・・・で、これで(エース)がきたのだが?」

「お、そうか。そうしたら次までにそれがもう一つ(エース)を持ってくるか、それともこっちで揃えるかだな」

「ふむ」


 ディッパの正装に全く興味のないカイネは、ヴィゴラスにポーカーを教えているわけだが、ヴィゴラスが初心者の割に覚えが早いことに感心していた。


「ああ、そこでどっちを捨てる? 確率的にはここで勝負だな」

「そう言いながら、実はそれがフェイクというものなのか? さっき、お前はそれで俺を騙した」

「その通り。よく覚えてるじゃないか。今度はお前さんがそれを顔に出さず、相手を騙せばいいのさ。相手を騙そうと思ったら表情には出すな」

「そうなのか」


 イスマルクが聞いたら、

「冗談じゃない。これ以上、駄犬にいらん悪知恵をつけさせんでくれ」と、言ったに違いない。






 鞭の傷は治りにくい上、痛みも強い。

 捕まったその日の内に地下牢へと移されたレイスは、暗闇の中で座りこみながらじっと力を溜めていた。

 ドリエータ城内にあるその棟は、リンレイからやってきた貴族や騎士、そして兵士達の為に提供されているようだが、誰もが抜け駆けを狙っているのだと、レイスは実感している。

 何故なら、

「ええいっ、他の奴に言ってない情報はないのかっ。もっと隠していることはっ」と、入れ代わり立ち代わり、あくまで他の人間が知らない有益な情報を寄越せと、そんな人間が訪れてばかりだったからだ。


(ここまで執拗にやるってことは、結局ユーリを見つけられてないってことか)


 ほとんど八つ当たりされているだけの拷問は、情報を聞き出すものではなくなっている。手加減やメリハリを知らないその鞭により、レイスの肌はあちこちが裂け、血が滴っていた。

 気を失えば、水をそのままぶっかけられた。


(おかげで助かったけどな)


 レイスは冷静にその場の状況を読み、いずれくる時刻を待っている。そう、深夜の見回りが通り過ぎる時刻を。


「かったりぃな。どこまでドリエータの奴らってのは仕事してねぇんだよ」

「全くだ。牢の見回りまでこっちにやらせやがって。大体、どこまで弛んでんだよ」


 やがて灯りを持った見回りの兵士達がやってきて、レイスがいるのを確認すると地上へ出ていく。

 というのも、ドリエータ城にある地下牢の管理は、本来はドリエータ城の兵士達が行うのだが、ドリエータ伯爵は現在、地下牢の使用を全面的に停止しているということだった。


「地下牢をお使いになるのは勝手だが、それに対して協力する気はない」


 ドリエータ伯爵は、リンレイからやってきた貴族達に言いきった。


(行ったか。ここの伯爵も、神子姫絡みで地下牢だけはもうこりごりらしい)


 レイスは手探りで鉄格子の錠に触れる。ガチャリと開錠の音がして、それが外れたものだからそのまま扉を開けて出た。

 ほとんど手探りながらも廊下を進んで階段を上がり、やがてその地上にある扉の鍵を開けて外に出る。

 夜空に瞬く星と、涼やかな空気。

 新鮮な空気を胸いっぱいに吸いこんでから、レイスは歩きだそうとした。


「なんだ、自分で出てきたのか。ならば来る必要もなかったな」


 どこかで聞いた声に振り返れば、闇の中に浮かぶペリドットの二つの瞳。


「どうしてここに?」

「お前が捕まったと知らせが来た。俺はついでにお前を助けてきてほしいと言われたから来た。だが、お前は逃げ出したのだからもういいか」

「まあ。これだから駄目なのですわ。姫様に頼まれて、お使い一つできないとは情けないこと。もういいか、ではないでしょう。さっさと安全な所へ運んだらどうですの」

「お前はうるさいんだ、このドブス」

「んまぁっ、なんてことでしょう。この可愛い私に向かってドブスとはっ。ハールカ姫様に言いつけますわよっ。きっとお嘆きになるでしょうね。姫様に付き従っているこの私をドブス呼ばわりしたとお知りになったら」

「・・・少しは可愛いかもしれんな」


 月明かりの中、暗く沈んだ人影は一つなのに、二人の声がする。


(せっかく逃げ出したのに、こいつらが騒いだせいでまたとっ捕まるのか?)


 レイスは、そう思った。

 だが、助けに来てくれたなら有り難い話でもある。


「この城から逃げ出すのを手伝ってくれたら、後日、豚の丸焼きを進呈しよう」

「お前はよく分かってるな。だが、今回は無報酬でも仕方あるまい。マーコットの頼みだからな。やはりユウリ殿の世話をする人間がいないのは困る」


 風の妖精(シルフ)達の報告により、優理と共にいたレイスがドリエータ城に連れていかれたことを知った真琴の頼みだったのだ。


『あのさ、ヴィゴラス。ディーの正装って真っ白なんだよね。だったら第7神殿に白い仮面あったし、アレ貸してあげたら似合うと思うんだ。・・・で、その前にドリエータ城に行って、その捕まった人、取り返してきてよ。ウンディーネ、ついてって仮面、洗ってみてくれる? 壊れてたら違うの、探してきて?』


 どちらの比重が重いのか分からない話だったが、ヴィゴラスにとっても優理が不自由するのはあまりよろしくないと考える。


「だがレイス(おまえ)、自分で逃げ出せそうだな?」

「勿論、可能だ。だが、もっと楽に逃げ出せる手段があるならばその方がいい」

「そうか」


 全身が血まみれになったレイスの様子に、ヴィゴラスもこのまま優理の所へ連れていっていいかを悩む。きっと遥佳なら泣くのだろう。だが、優理の場合はどうなのか。

 それを察したかのように、レイスは言った。


「城さえ逃げ出させてくれればそれでいい。どこかへ運べと、贅沢は言わん」

「分かった」


 レイスの両脇の下に片腕を突っ込んだかと思うと、ヴィゴラスは凄まじい動きで塀へと飛び上がり、そうして幾つかの跳躍を繰り返して城の外へと出る。

 グリフォンの姿に戻って背中に乗せればいいだけだが、自分の背中は遥佳と真琴と優理専用なのである。男を乗せるなど冗談ではなかった。


(おいおい。俺が膝を上げてなかったら、今頃、(かかと)が擦りきれてたぞ)


 レイスは、まさに非常識な存在というものについて思いを馳せずにはいられない。だが、そのヴィゴラスの胸元で揺れている小さな小瓶の気配・・・。

 やがてヴィゴラスはドリエータの街はずれにある治療院へと辿り着き、その裏庭にレイスをぽいっと放り投げた。

 その動きを察していたレイスは、受け身を取って地面に転がる。


「助かった。ここからならジェルンも近い。もし、これからあの隠された神殿に行くなら、今、ユーリ達がいる筈だ。彼女に、俺は逃げ出したから心配ないと伝えておいてくれ」

「別にお前も連れてったところで問題ないが?」


 第7神殿の存在を知っているならばと、ヴィゴラスが言えば、レイスは首を横に振った。


「こんな状態の俺を見たら、彼女が気に病むだろう。俺はジェルンに用意されたあの家に行く。見た目が回復したら合流するさ」

「そうか」


 どうせこの治療院には自分が乗ってきた馬もいる。だからレイスは地面に横たわったまま、空を見上げた。


(拷問を避ける為に、ジェルンにあるあの家の場所を自白する予定が、・・・やはり言えなかったな)


 もうあそこに優理はいない。それは分かっていても、言いたくなかった。

 そんなレイスの全身が、いきなり水で包まれる。


「男なんてとんでもないことですわ。存在するのも許せませんの。ですが、・・・しょうがありませんわね」


 そんな言葉が耳に届く。

 レイスの肌を切り裂いていた傷が洗い流されていった。


「・・・ばあ、様」


 懐かしい気配に、レイスが目を閉じる。

 気づいた時には既にヴィゴラスの姿は消えていて、打ち身や切り傷の痕は残っているものの、出血は全て止まっていた。






 風の妖精(シルフ)の報告によると、キースヘルム達はリンレイ城の中にある部屋に閉じ込められているらしい。

 だが、彼らが閉じ込められている間に禁制品が盗まれた為、本来の持ち主が盗み出したに違いないと判断され、その待遇はさほど悪くないもののようだ。

 だから真琴は悩み中だ。


(どっしよっかなぁ。助けてあげないと可哀想かもしれない。だけど色々な女の人に手を出した挙句、うちの優理にまでなんてさ。優理が泣くなんてのは絶対許せないんだよね。だけどキース、そこまで悪い人でもなかったような気がするしなぁ)


 真琴だって解決できないことはある。人の心は最たるものだ。

 優理を愛している。だから優理が好きになった人だと言うのならば助けてあげたい。だけど優理の純情をいいように利用していたならそれは許せない。


(どうすればいいんだろう)


 ついつい、リンレイ城の周囲を歩いてしまうときたものだ。

 山の中はともかく街中では女性の格好をしておいた方がいいとディッパに言われたものだから、シャツにエプロンスカートといったスタイルだが、その上からフード付きの外套を目深に羽織ってしまえば、かなり目立たない。

 かなりディッパとニッカスは、そういう周囲に紛れこむテクニックに詳しかった。


(助け出すだけなら簡単なんだけど、・・・だけどなぁ。優理をもてあそばれるのだけは許せない。ディーも、キースが本気かどうかまでは分からないって言ってたし)


 恋愛って難しい。

 そう考えると自分は幸せなのかもしれない。カイトはいつだって優しいし、本気かどうかを疑う必要はないと皆が太鼓判を押してくれるし、それに今だってカイトは周囲にシルフ達を見かけたら、

「マコトは元気か? 俺の心配はいらないから、一緒にいてやってくれ。寂しがり屋だからな」

と、話しかけてくれている。


(カイトは私のことばっかりなんだよね。・・・早く帰ってきてくれないかなぁ。だけど早く帰ってこられても困る)


 会うのはまずいと分かっているのに、会いたくなるのはどうしてなんだろう。

 風の妖精(シルフ)になって飛んでいけば会えると分かっていても、会いに来るなと言われているし、もしも会いに行ってしまえばカイトは自分を心配して全てを放り出してしまうかもしれない。

 ちょっと切なくなってしまった真琴の視界の隅に、銀の髪が映る。


「カイ・・・ッ」


 思わずその腕を掴んでしまった真琴は、

「え?」と、振り返った顔に、人違いだと落胆した。


「ごめんなさい。人違いでした」

「あ、いや・・・。別に謝るようなことじゃ・・・」

「ううん、驚かせてごめんなさい」


 カイトとは似ても似つかない顔だ。

 少し泣きだしそうになりながら、真琴はくるりと反対方向へ歩きだそうとした。


「ちょっ、・・・あのさっ」


 だが、今度は真琴の腕が掴まれる。


「え?」


 驚いて振り返れば、相手の青年も戸惑うような表情を浮かべていた。


「あ、いや・・・。ごめん、なんか泣きだしそうに見えて・・・。ごめん、いきなり男に腕なんか掴まれたらびっくりだよな。ごめんよ」

「ううん。いい人なんだね。こっちが先に腕掴んだんだし、気にしないでよ」


 そこまで何度も謝られてしまうと、真琴の方が悪い気になってしまう。


「いや。・・・気持ちは分かる。俺もそういう人はいるからさ。同じような黒髪見ると、つい振り返っちまうもん」

「そうなんだ。私は銀色の髪なんだ」

「そっか。・・・あ、ごめん。ならこれ、あげようか? 実は(かつら)なんだ」

「へ? 何それ」

「いや、何それって言われても・・・。色々とあってさ」

「・・・まあ、人生、色々とあるよね」

「そうだな。色々とあるよな」


 とりあえず銀髪の(かつら)の進呈は、

「ありがとう、だけどごめんね。欲しいのは銀の髪じゃなくて、銀の髪をしたその人だから」と、真琴は断った。


「分かるよ。そうだな。いくら同じ髪だろうが顔だろうが、結局は本人じゃないと意味ねえよな」

「うん。・・・だけど同じ顔はそうそういないと思うよ?」

「そりゃそうだ」


 ははっと笑い出したその顔は屈託がない。

 すると彼の方から右手を差し出してきた。


「俺はティード」

「マーコット」


 真琴がその手を握り返せば、その時になって、

「あれ? そういえば女の子相手の場合は握手じゃなかったか?」などと、すっとぼけた言葉がその唇から出てくる。


「だがマーコットかぁ。いい名前だな。神子姫様と同じじゃないか」

「よく言われる」


 せっかくだからそこの店でお茶でもどうかと誘われ、二人は城の近くにあったお店に入った。


「マーコットさんってば、ここの街の人?」

「マーコットでいいよ。この街の人じゃないけど、ティードさんも違う所の人?」

「俺もティードでいいって。さん付けなんてガラじゃないんでさ。あ、だけど恋人に見られたら誤解されるかな。かなり美人さんだもんな」

「ううん、恋人は今ちょっとお出かけ中なの。だけど誤解はないかな。そもそも私、その恋人が戻ってきたら他の人なんてどうでもいいし」

「へえ。はっきりしてんだな」

「うん」


 だが、どうやら彼は真琴がこの街の人であってほしかったらしい。


「ティードはお城の周りで何してたの?」

「ああ。お城があるから綺麗だなと思って見てたんだ。さすがに中の見学なんてさせてくれないだろうし、外から見えるだけでも見てみようかなってさ。マーコットは?」

「似たようなもんかな。だけどこのお城、王族の偉い人がよく過ごしているからって、貴族の人とかそういう人しか出入りできないらしいよ? 何か手続きとか陳情とかなら、隣の敷地にある建物らしいけど」

「そっか。やっぱり身元確認はあるよな」

「そうらしいよ。・・・もしかしてお城の中に入りたいの? 泥棒でもしに行くの?」

「いや、どうして泥棒だよ。 ・・・そこまで俺、悪党に見える?」


 尋ねられれば、真琴もその違和感は何だろうと首を傾げた。


「だけど何だかティード、お城の中に用事がありそうな空気がある」

「・・・そういうマーコットは何なのさ」

「私はお城の中にいる人が悩みなんだなぁ」

「そっか。俺も似たようなもんなんだけどな」


 二人は同時に溜め息をつく。

 なんだかこの人は悪い人じゃないなと、真琴は思った。


「ねえ、ティード?」

「何だ?」


 お互いにテーブルに肘をついて、かなりお行儀が悪い。だが、手詰まり感というのはあるものなのだ。どうしてもだらけてしまう。


「あのさぁ、お城でもうすぐ仮面舞踏会とかあるみたいだよ。だからさ、その招待状をもらうような人と仲良くなれば入りこめると思う」

「うーん、招待状かぁ。もらうのは可能かもしれねえが、問題はそれなんだよなぁ。やっぱり乗り込むしかないのか」

「もしかしてティードってばそれなりの身分とか持ってるの? 普通は招待状なんてもらいたくてももらえないよ?」

「そういうマーコットはどうなのさ。そもそもそんな予定を知ってる時点でおかしいだろ。普通は招待状をもらうような人のパートナーにすぐなれると考える思考なんてないぞ?」

「ティードこそ」

「マーコットこそ」


 どちらも、相手を怪しい人認定していた。

 お互いにテーブルにごろごろと懐きながら、二人そろって上目遣いになってしまう。


「まあ、クッキーでもいかがです、マーコットさん」

「いいですなぁ。ティードさんもお一つどうぞ」


 二人の間にある皿に盛られた焼き菓子をつまみつつ、お互いの顔をじーっと見てしまうが、双方この街には不慣れなわけで、何とも判断しがたいのだ。


「てか、誰が聞いても怪しいよね、ティードって。わざわざ銀の鬘をかぶって変装してるなんてさ。しかもその気になれば招待状ぐらいもらえるって、貴族とかなんだ?」

「ノーコメント。そういうマーコットだって怪しい人だろ。荷物もなくてこの街の人って格好なのに、それでいて顔を隠すようなフードをかぶったままなんてさ。お忍びでやってきている貴族のご令嬢?」

「ノーコメント。だけどティードが自分の正体を教えてくれるなら、招待状ぐらい手に入れてあげてもいいよ?」

「何だ、そりゃ。てか、もしかしてマーコット、あのお城の関係者か? だとしたらごめん。俺、ちょっとそういうことならすぐ立ち去らせてもらうぜ」

「ブッブー、違いますぅ。あんな城の人なんて冗談じゃないから」


 どうやらティードはあのお城に用事があるけれど、あまり好きじゃないようだ。

 そう真琴は思った。

 しかし、そう察するのは彼も同じことだ。


「もしかしてマーコット、あの城にいる人、嫌いなのか?」

「まあね。大っ嫌いかな。だけど一人だけ、そこまで悪くない人もいるけど」

「そっか。俺もあそこにいる一人だけ悪くない奴に用事があるんだけどな」


 誰しも似たような悩みはあるもんだと、真琴は思う。

 こんなところで知り合ったのも縁だろうか。


「へえ。で、ティード。お城に行けるような正装って持ってるの?」

「あ。・・・やべえ、ねえや。うーん、どっかで手に入れるか? いや、ここ、ギバティールじゃないんだった。どうすっかな。この格好じゃまずいか」

「駄目だなぁ、ティード。普通はね、何があるか分からないから、どこに行く時でも一着は正装を持ってこないといけないんだよ」

「う。反省します」


 ディッパの受け売りを偉そうに真琴が言えば、小さく肩をすぼめる様子が憎めない。


(うん、悪い人じゃないよ、この人)


 だから真琴は立ち上がった。


「分かった。行こ、ティード」

「へ? どこに?」

「なんとっ、ここにあなたがノーチェックでお城に入れてしまう魔法のお手紙があるのです」


 じゃじゃーんと、真琴はその手紙を取り出してみせる。


「その為にはまず服装からだからさ。大丈夫、その仕立て代も無料だからっ」

「はあっ!?」


 目を白黒させながら、真琴に連れていかれた店で、舞踏会に着ていく服のサイズをウルティードは測られてしまった。


「かしこまりました。この方のお仕立てはラルース殿下のお支払いなのですね」

「そうなの。お城に行っても恥ずかしくない服を仕立ててくれる?」

「はい。お嬢様の分はいかがなさいます?」

「あ、私はいらないの。もうドレスはあるから」


 本来はこんな庶民の格好の男女が来たところで、店も怪しいと思って警戒する。たとえ王弟ラルースの手紙を携えてきたとしても、詐欺の恐れがあるからだ。

 だが、真琴の格好は質素でも、橙色に輝いている紅玉髄の指輪は見事なものだった。そして店に並んでいる衣装の生地に怖じ気づくこともなければ、見本のドレスにあわせてコーディネイトされている宝石すらどうでもいいといった具合だ。

 だから真琴の正体を探ろうと、店員がそれらを指し示す。


「ですが、こちらのドレスはいかがでしょう? こういった首飾りと合わせればお嬢様にはとてもお似合いですよ」

「うーん。だけど私の持ってるドレスの方が良さそうだからいらない。首飾りもここのは少し質素なんだね」

「そうでしょうか?」

「うん。だって宝石と宝石の間にある金とかに模様も彫られてないし。普通はもっと細かく留め金もきちんと宝石で作られてるんじゃないの? なんか用意してもらったの、そんな感じだった。それに石も小さいんだね」

「・・・・・・」


 尚、真琴の比較対象は、女神シアラスティネルの為に仕立てられたドレスや装身具であり、それこそ最低でも王族が正装する際に着用するレベルの逸品ばかりである。

 しかも今回はあのヴィゴラスとウンディーネが見立てたのだ。手抜きなどある筈もない。


「へえ、やっぱりいいお宅のご令嬢なんだな、マーコット。ここにあるドレス、そりゃ王族が勢揃いする式典にゃ無理レベルだけど、舞踏会なら十分だぜ」


 呆れてしまうのは同行したウルティードの方だ。サイズを測ってもらいながら、真琴の発言に溜め息をつきつつ、こんな年頃の王族がギバティ王国にいただろうかと必死で記憶を探っていた。

 この国の王弟ラルースの支払いを指定できるとなると、彼女の正体はラルースの身内か恋人ということになるのだが、たしかギバティ王国の王族は濃い髪色(ブルネット)だった筈だ。銀髪ではない。だから恋人の線は消える。


「うっわぁ、何それ。普通の人、王族が勢揃いする式典なんて出ないよ。ティードってばどこまでお坊ちゃまな人?」

「そういう自分は何だよ、おい。そもそも留め金にまで宝石使って模様をあしらったものなんざ、それが当たり前な時点でおかしいだろ。地方のこんな店で出てくると思う方が世間知らずにも程がある。てか、最初から仕立て屋や宝石商が来るようなお育ちだろが」


 こんな店呼ばわりされた店の方が悲しくなる事態だ。

 身なりは一般庶民の二人なのに、出てくる言葉は、まさにこんな店に来るような庶民じゃないと分かるものでしかない。


「そんなことないもん。そんなご令嬢じゃないもん。そんな人達、来たことないもん」

「じゃあ、どうしてそんな物が用意されてんだよ」

「え? 家にあったから。うちのお母さんのだよ? うち、貧乏だからお母さんの物を使うんだよ。だから令嬢なんかじゃないよ?」

「ちょっと待てよ。それならサイズが合わないだろ。なあ、マーコット。ちゃんと手直ししてもらった方がいいんじゃないか?」


 親の体型と娘の体型が異なったら、どうしてもおかしくなる。しかも流行遅れになりかねない。

 少し手を入れてもらった方がいいのではないかと、親切にもウルティードは忠告する。

 だが、真琴は自信満々に否定した。


「大丈夫。ちゃんと合うのを見つけてもらったから。どんな場面でも困らないようにって、色もデザインもサイズもそれぞれに違うのを用意してくれてたみたい。数千着はあったって言ってた。その中で今の私に合うものを探してもらったんだ」

「おい。その時点でとんでもない発言って分かってるか?」

「何が?」

「普通、そんなにドレスは持たない。そもそもお母さんはそれ全部着たのか?」

「どうなのかな。お母さんが着てたかどうかなんて知らないよ」

「どっちにしてもそれだけのドレスがある時点で貧乏じゃないだろ。てか売れよ、着ないなら。その方が金になるだろ」

「あ、ダメダメ、それは駄目。お金の問題じゃないんだよ。売るぐらいなら、私の姉妹に普段着で着させる方がマシ。だけどああいうのって薄くてひらひらしてて、普段着に向かないんだよね」

「あっそ」

「そ」


 ハッタリか本気かと、店主も店員もその言葉の真実を測りかねる。


「では、襟の形はどうなさいましょう? それからボタンの位置と形は?」


 それでも店の主人はウルティードに見本をみせて尋ねた。


「それらの形は全部やめてくれ。いくらくだけた仮面舞踏会でも、俺がそんな装いしていったとばれたら侮辱行為だ。とりあえず妃殿下と一番目や二番目に踊ったとしても無礼にならない装いで頼む」

「・・・失礼いたしました」


 一瞥したウルティードにそれらを却下され、そう指定されたものだから慌ててそれらを閉じて引き下がる。


「一番目とか二番目とかってなぁに?」

「いや、その意味が分からない時点でこっちの目が点だぞ、マーコット? なんでそこまでのご令嬢で分からないんだ?」

「だから貧乏なんだってば」

「寝言は寝てから言ってくれ。・・・あ、ちゃんと今回の仕立て代、後で返すから。王子に会ったら言っといてくれよ?」

「会うかなぁ。だけど返すんなら、その時に自分で言えば?」

「んー。返すとしたら俺じゃない奴が手配することになるからさ。俺だって借りたって話して、そのまま処理してもらうことになるしよ」


 ギバティールに戻ったらキマリー国の大使に事情を話して、それで終わりだ。ただ、今回はエミリールの件もあるので、たかが仕立て代など問題にならぬ可能性も高いというところか。

 そもそもリンレイ城がちょっかいを出さないでくれれば自分も正装して城に出向く必要はなかったのだ。

 正直、エミリールさえ見つけて連れ出せないものかと思ってしまうウルティードは、できることならばちゃんと名乗って正面対決というのは避けたいところだった。

 ウルティードも頭が痛い。


「その発言で身分を白状してるようなもんだよ、ティード。普通、貴族なら自分から頭を下げて出向くもんじゃないの?」

「自分こそ、そう言いながら俺に対する口調が変わらない時点で、本当の身分を語ってるようなもんだぞ」


 お互いに、不毛な言い合いだった。


「私、そんなご令嬢じゃないから喋り方なんて知らないもん。それに王様とか王子様とかだったって、普通にそこらを歩いてるよね?」

「その意見には個人的に同意するけど、世間一般的な視野に立てば普通は歩いてないし、まず会わない。会うって時点で王宮とか平気で出入りしているってことになるだろが」

「そんなことないよ? 大体、いつも王様とか王子様とかに会うのって、道端でお散歩してた時とかご飯の時とか、旅していたら同じ船に乗ってたって感じでごろごろいるよね?」


 ウルティードの目が、疲れたように泳ぐ。


「普通の王様とか王子様とか、警護している騎士達がいるからそう簡単に道を通ってても近づけない。食事時も貸し切り。同じエリアで会える時点で、自分もそういう身分って言ってるようなもん」

「うそぉ」

「嘘じゃない」

「えー・・・」

「えー、じゃない」


 そこで店主が口を挟んだ。


「申し訳ございませんが、それでしたらもう仕立てに入らせていただきますので。衣装の最終確認をお願いできますでしょうか、殿下? 姫君にはこちらでどうぞご休憩を」

「あ、へーきへーき。さっき、お茶ならしてきたから。それよりどんな服になるのか見たいな。ここの正装ってどんな形なの?」

「ちょっと待て。どうしてそれでギバティの正装を知らないんだ?」

「見たことないもん。私が知ってる正装って、ここの国のじゃないから」

「もうワケ分かんねえ」


 だが、礼儀正しく沈黙を守ってはいたものの、一番訳が分からなかったのは、この店の店主だっただろう。


(どう考えてもお二人とも他国の王族。ラルース王子様の手紙を持ってこられた以上、これでもしも、

「ギバティ王国の仕立てもこの程度か」と、恥をかくようなものを作ったならば、あの王太后陛下のこと、今後の営業停止もあり得る。冗談じゃない。他の仕事よりも最優先でこなさなくては)

 

 彼はそう思い、徹夜で全てのお針子を取りかからせねばと、決意していた。






 世の中には、様々な出会いがあるのだとウルティードは知った。

 いきなり自分の腕を掴んできた彼女は美人だが、どこか子供っぽいところがあった。そして全てにおいてアンバランスだった。


(どこの王族だか貴族だか知んねえが、外に出したら恥をかくってんで出せなかったんだろうな。俺、似たような年頃の王族の姫達ならそれなりに顔合わせてる筈だが全然記憶にねえぞ、おい)


 顔良し、スタイル良し。性格も良いと言えば良いが、しかしそれはウルティードの個人的な受け止め方であって、外交的には全く王族の自覚もない欠陥品だと看做されることは間違いない落第姫。


(貴族じゃない。ぜってえ貴族じゃねえ。王族にここまで敬意を持たねえ貴族は存在しねえって)


 仕立て屋の主人もまた、真琴の素性を知ろうとしてはいたのだ。


「あのぅ、申し訳ございませんが、ラルース殿下とはどういうお知り合いでいらっしゃるのかお尋ね申し上げてもよろしゅうございましょうか? いえ、姫君に失礼があってはと・・・。ご家名も頂戴できましたら幸いでございます」

「ん? 普通にただの知り合いだけど? ばったり会ってご飯作ってもらってたの。面倒見いいよね、ラルース王子って。ちゃんと私の護衛も見張りもしてくれたし。あ、家名はないんだ。あると言えばあるけど、名乗る必要ないしね。そもそも私、家名なんて尋ねられたことないし、ただの庶民だから失礼とか気にしなくていいよ」


 ウルティードも店主も、その答えに動きが止まった。

 言うまでもなくラルースはギバティ王国の王子である。食事を作らせたというのは言葉のあやで単にご馳走させたという意味であっても、そんなことはあり得ない。

 どうして王子が直接護衛だの見張りだのをするというのか。そういうものは騎士や兵士がするものだ。

 おかげで店主や従業員達も、これは(かた)りではないかと思ったらしい。


「ですがご家名も不明というのは・・・」

「なんで私にしつこく訊くの? 今までどんな王様も王子様も私にそんなの訊いてきたことないよ? コウヤおじさんは王様じゃなかったけど、それって私に対して失礼なことって聞いたけど」

「へ? コウヤおじさんって、ディリライトの首長か? おい、あの方をおじさん呼ばわりかよ、マーコット?」


 ウルティードの方がその名前に反応してしまった。


「え? ティード、知ってるの? うん、だってコウヤおじさんが、おじさんって呼んでくれって言ったんだよ? あそこのおばさんも優しいよね。いっつも色々なリボン、用意してつけてくれる」

「いや、あのな・・・。海の覇者と呼ばれるディリライトの首長夫妻をおじさんおばさん呼ばわりってのがおかしすぎるんだが。よくお宅の周りの人はそれを止めなかったな、マーコット」

「だってコウヤおじさんがそう呼んでくれって言ったんだよ? タイキ達だってそれでいいって言ったもん」

「・・・しかも跡継ぎ殿を呼び捨てかよ、おい」

「あっちだって私のこと呼び捨てだよ?」

「そりゃ俺だってカシマ達は呼び捨てだが、さすがに首長殿に対してそこまで大胆にゃなれんぞ、おい」


 ひょんなことから、お互いの知人同士が共通であることを、二人は知ってしまった。

 そこで完全に真琴の警戒心は消えたらしい。


「そっか。カシマと友達なんだ。ならティード、やっぱりいい人だね。カシマ、いっつも一直線だもん。その友達ならおんなじタイプだよ。・・・今度、カシマにティードのこと聞いとくね。またコウヤおじさんとこ行くから」


 ウルティードは真琴に肩をぽんぽんされてしまった。


「そうなるとマーコットってばタイキかカシマの奥方候補か? そうでなきゃそんな特別扱いしねえだろ」

「違うよ。カシマは私の子分なの」

「・・・おい。なんつー大胆なことを。てか、マーコット、やっぱりお前さん、どっかの王女だろ」


 現在、ディリライト首長の若君達には様々な国から縁談がきている筈である。


「違うってば。だから一般庶民だって」

「ディリライト首長一家と親しくて、ギバティ王子にまで配慮される庶民がいるかっつーの。王族や首長一族のハードルの高さ舐めんな」


 いきなり行って会えることなどない雲の上の方々という意味を、この娘は全く分かっていないと、ウルティードは自分よりも落第生な王族がいたことを知ってしまった。

 だけど面白い。きっとカシマもこの面白さが気に入ったのだろう。


「それはティードがもの知らずなだけだよ。普通に王様とか王子様って世話焼きさんだよ。だって私、いつもご馳走してもらってるし、歌ってもらったりしたし、お城の中も案内してくれるし、その国に伝わるお話とかも教えてくれるんだよ。全然ハードル高くないよ。ディリライト邸なんて、いつ行っても大歓迎してくれるよ? 王子様だってお城にいつでも入れるように手配してくれたし」

「普通は姫君の方が歌を披露したり、茶会を催したりするもんなんだが? てか、どこまで各国に出入りしてるんだよ、マーコット?」


 こいつにだけはもの知らずと言われたくないと、ウルティードは思う。

 このマイペースぶりが、それだけ各国を回っても縁談でお断りされた原因だろうか。気の毒すぎる。こんなに楽しいのに。


「お茶は侍女さんが淹れてくれるもんだよ? ついでに私、招待はされてるけどまだ行ってないよ? その前に行くところがあるんだ。だって招待を受けてたらそれだけで予定が埋まっちゃうもん。私は私のしたいようにするんだよ」

「・・・うん。周りの人達は大変そうだな、マーコット。それよりカシマ、元気そうだったか? いつ最後に会ったんだ?」


 ウルティードは、姫君らしいことが何もできずに全ての縁談が壊れたのであろうと判断し、そっちに話を切り替えた。


「んー、この間。いつもはコウヤおじさんに教わってるんだけど、なんかコウヤおじさんとタイキに取り入りたい人達が多くてさ。今度は私に取り入ろうとしてくる人が多くて、だからカシマとケイトの所に避難してるんだよね。で、代わりに色々と教わってるの」

「へー、何を?」

「色々な職業とか商業とかかなぁ。戦略論とかは私あまり合わなくてさ」


 風と海の流れを読み、人間の兵士達を動かす戦い方の理論は、妖精達に囲まれている真琴にとってあまり意味がなかったのである。


「女の子ならそんなもんだろ」

「というか、自分が使えるものが違うからね。カシマやケイト達はディリライト水軍があるけど、私は違うもん」

「そりゃそうだ。けど、戦うのなんて男の仕事だろうが」

「そうでもないよ? 私の護衛してくれてる人達、女の人だけどみんな強いもん。数人がかりで襲ってきた騎士の人達を一人で叩きのめしちゃってたし」


 ウルティードは優しい言葉で教えてあげることにした。


「そっかぁ。だけど一般庶民のお嬢さんに、そんな凄腕の女性の護衛がつくことはないって知っておいた方がいいと思うんだ。庶民に紛れ込みたければ、まずは常識を学んだ方がいいぞ、マーコット」

「おや? ・・・まずい。やっぱりちょっと変?」

「ああ。それで庶民とは言わねえ。普通のお嬢さんは男に襲われてもせいぜい悲鳴をあげる程度で、護衛なんていねえしよ」

「そっかぁ。やっぱり姫様呼びされているのが普通になってたのがまずかったんだね。よし、ここは頑張ろう。今の私は誰がどう見ても護衛もいないし、一般庶民」

「・・・頑張ってくれや」


 そんな二人の会話の時にも、ウルティードの体には裁断された布地が当てられ、仮縫いが進められている。

 部屋の隅では、店主と従業員の一人が顔を引きつらせていた。


『て、店長。これはもう・・・』

『そうです、知らない方がいいに違いありません』

『そ、そうだな。ああ、そうだ。うん』


 のんびりとした南のディリライト島で過ごしてきた二人は、かつてディリライトと戦った国々がどこまでその港を破壊されたかなど知る由もない。

 ディリライトの民は、まさに戦上手な海の覇者なのである。水のある所で彼らが行けぬ場所はないとまで言われている。

 やがてほとんどの仮縫いを終え、なんだかとても緊張しきった顔の店主と店員達に深く頭を下げられて見送られたウルティードと真琴は、そのすぐ近くの公園で別れたが、その時も真琴はマイペースだった。


「あっ、もうこんなお腹が空く時間だ。帰んなくちゃ心配しちゃう。じゃあねっ」

「え? あ、そっか。そうだよな。・・・って、ちょっと待てよっ、送るからっ。危ねえだろっ」

「へーきへーき、私には最強の護衛がいるんですぅ。サラちゃんって言うんだよ」

「いねえよっ、そんなんどこにもっ!」


 どこを見渡しても護衛の姿などいない。

 ウルティードは小さく叫んでしまった。

 それなのに真琴は、自信満々で偉そうな態度で告げる。


「強い者とは、一見そうとは見えない姿だからこそ強いのですぞ、若者よ。精進するがいい」

「ははぁっ。分かりました、お師匠様」


 つられてウルティードもそのノリに合わせて答えてしまった。


「じゃあ、うまく探してる人見つかるといいね。頑張ってね」


 真琴は大きく手を振って、ウルティードに別れを告げる。そうして駆け去った。


(すげぇ。あそこまで大股で走っていって、それでいて全くスカートが絡みもしなければ足も見えやしねえ。ありゃタダモンじゃねえぞ、おい)


 見送るウルティードが感心すべきは、何も考えずに走っていく真琴ではなく、その周囲でスカートの裾にまでフォローしている風の妖精(シルフ)の方なのだろうが、さすがにそこまで見通すことはできない。

 ウルティードの手に残されたのは、ギバティ王国の王弟ラルースからの招待状。

 その無記名の招待状には、適当な名前を書くだけで城に入れると言われた。


『だけどね、その代わり、一つ条件があるの。これだけは守ってもらわなくちゃいけないんだな』

『どんな条件だ?』


 いささか警戒したウルティードだったが、それは別に難しいものではなかった。


『あのね、日が暮れてからの鐘が3つ、あれが鳴ったらお城から帰ること。だから早めに行って、その人を見つけて連れ出してよ。3つの鐘が鳴ってから後はいちゃ駄目だよ、ティード。いーい?』

『つまり、舞踏会に参加しても、もう夜には残るなってことか』

『そう。舞踏会本番になるまでいちゃ駄目』


 そう語る、真琴のセピア色の瞳は真剣だ。だからウルティードも頷かずにはいられない。


『分かった。俺だってあの城の中にいる奴さえ見つけて出られりゃいいんだしな。舞踏会当日は招待客の出入りに紛れることができる。ありがとな、マーコット』

『ううん、いいんだ。だってティード、いい人そうだしね』


 そんな会話を思い出せば、かなり怪しいことには間違いないのだが、しかし手に残されたのは紛れもなくラルース王子からの招待状。

 けれども彼女は頑として自分の素性を答えなかった。


「なあ、マーコット。せめてどこの国の人かぐらいは教えてくれよ。それぐらいはいいだろ?」

「私の国? んーとね、・・・島なんだ。ジャパンって言うんだよ」


 せめて母国を教えてくれと頼めば、スパルタ教育を叩きこまれたウルティードですら知らない島の名前を挙げてくるという胡散臭(うさんくさ)さ。

 うん、どう考えても嘘だ。

 いくら世話になったと言っても、この一点でもって自分の素性を明かす気にならなくなったウルティードを、責められる人はいないだろう。

 招待状は感謝している。本来は自分の身分を告げて姫君に対する礼を取りたい。

 だが、そこで嘘を言われてまで自分だけ名乗れるものだろうか。


(フッ、俺を責める奴がいるなら連れてきやがれっ。説教しちゃるわっ)


 誰にともなくウルティードは喧嘩を売ってしまった。

 本当に訳の分からない出会いだった。


(ま、どこかでまた会うよな。今度はお互いに本当の名を名乗ってさ。てか、カシマ達に会うことがあったら訊いてもいいし)


 様々な王子達と見合いするような王族の娘なら、あれだけの個性だ。

 その噂もいずれ出回るだろうし、いつか再び顔を合わせることもあるだろう。その時に借りは返せばいい。


(ラルース王子ねえ。俺、会ったことないよな。そもそも俺、パスティス公爵達を刺激しねえようにって派手な行動、控えさせられてたしよ)


 そんな自分に、王太后ミネルタとの対峙はあまりにも荷が重すぎる。

 やってやれないことはないかもしれないが、はっきり言って面倒臭い。

 さっさとエミリールとカイネ達を助けだして逃げようと、ウルティードは思った。

 いくら何でもエミリールはキマリー国の伯爵家令息にして王太子妃ラヴィニアの弟だ。せいぜい城の客室に留め置かれているに違いない。



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